『点字ブロック』#248

唐突に、自分の好みの話から。
電車のホームで流れる案内放送にある「黄色い線の内側」という、表現、レトリックが妙に好きなのだ。いっときツイッターのプロフィール欄の現在地部分に「黄色い線の内側」と書いていたこともある。今思うと、いや、というか、考えるタイミングと心持ちによっては恥ずかしいけど、いいもんはいい。
黄色い線、と言われているのは線というほど細くもなくてそれは点字ブロックで、ぐーっと俯瞰してみればそれは線状にも見えるかもしれないがとにかくそれは40センチくらいの幅がある点字ブロックの並びだ。踏めばわかるし、見てもわかる。
黄色い線の内側まで、下がってお待ちください。
内側ってどこのことだろう。どう考えたって、安全側のことを言っているわけだからプラットホームの縁から遠いほう、中心線側のことだとは勿論わかる。勿論わかるけれど、思春期の、というか、大学生の自意識と思考志向をこじらせた時期、「電車や線路の側から見たら、そっちが内側だろう」と思うなどしていた。危なっかしい自分は、黄色い線の内側をどちらに見るか、わかりませんよ、みたいな過剰な自意識でもって線上を反復横跳び。していたのか。安全とも危険とも言えちゃう場所で自分の安全を謳う。現在地。あー恥ずかしい。
かつてはきっと、ホームの足元には黄色いテープなどでラインが位置取られていたのだろうな、耳にしているのがそのときのその放送とその線ならば、なんの引っかかりもなく好きも嫌いもへったくれもなかっただろうな。
街中で見かける点字ブロックは、気づけば黄色いものだけではなくなっている。タイルの色に合わせたグレーのものとか出てきて、ぱっと見の色味合わせがしやすくてミニマルでスタイリッシュだ、とか思っていたのだけれど利便性からしたらかなり難があると知った。必ずしも盲目の人だけのものではなくて、色弱の人からも視認性が高い色として黄色いブロックなのだという。正直、正直に申し上げてそこまで想像が及んでいなかった。ツイッターでその指摘を目にして初めて「なるほど」と認知した。
自分の界隈性から認識・想像できない事柄って結構ある。「言われてみればそのとおり」とか「合理的に考えれば当然」とか、あとからみれば納得の理屈でも、道筋がまったく見えてなければ無理筋である。
アハ体験のように、見えていなかった大きな差異を捉えられる感受性と想像力と注意力を養っていきたい。不意にひとを傷つけることのないように。安全な位置まで下がって。誰かの道標を踏み隠さないよう。

#点字ブロック #180823

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