『背泳ぎ』#152

速さとか楽さとか身体の仕組みとかなんとか、理由は特に「これだ」とピンとくるものはないけど、一番好きな泳法は背泳ぎ。好きな理由でピンとくるものがなくてどう「一番好き」って思ったのかといえばザブンとプールや海に入って何気なく一番最初にすることは仰向けになって天を眺めて深く息をすること。自分の外周を水表面がゆらゆらなぜるあの感覚、耳と鼻には水を入れまいと気を配る注意心、対して動きのない天井や空、旗。あの浮いている時間は「時間」なのだけど積分的・断片的な、瞬間記憶の積層。背泳ぎで見た眺めすべてを覚えているわけもなく具体的に覚えている記憶もないけれど心像としてくっきりある。
スイミングスクールに通っていた幼稚園くらいのころの、はるか前な記憶だけれど、一番最初に習う泳法が背泳ぎじゃなかったか、そうでなかったか。背泳ぎばかりで泳いでいたらしいから、そういう記憶になったのだろうか。やっぱり最初はクロールだろうか。
いかんせんクロールは、スピード。スピード中心、最高速度を得るためにある泳法と、そうイメージがある。速く泳ぐことに苦手意識もあるしそもそもの関心がないことから、クロール自体にときめかない。美しい泳ぎのスイマーにはもちろんときめくが。最近では、水泳界最強って感じがしてきた池江璃花子さんの泳ぎに凄みを感じる。立ち姿も、レスリングの吉田沙保里さんのような、風格を纏わすようになってきた。背泳ぎに関してで入江陵介さんのしなやかな泳ぎは、クロールの定速運動感と違う、ストロークと伸びでヒュンヒュンと振り子運動のように揺れて進む感じで、楽しい。平泳ぎどバタフライとも違う、頭の位置が変わらずに左右の腕が交互に回って進むリズム。
人体構造上、一番速く泳げるはずの泳法は平泳ぎだったか背泳ぎだったか、どっちだっけ、バタフライだっけ。なんか背泳ぎだった記憶があるんだけど違うかな。
速く泳ぐことよりも、身体を長く動かし続けられる持久性の高い泳ぎ、それは私自身のスポーツスタイルでもあるのだけれど、陸上競技においても長距離専門にしていたり、エネルギーを長く使い続ける持久力運動に偏った意識があって、息を長く。静かな運動。何に起源するのか、それはおそらく短距離種目への苦手意識からも来るもので、それは根強くあって、こうしてつらつらと書いているのも持久力なのか、はたまた踏ん切りのつかなさや言い切りのできなさ、短文構成でやりきれず長文にして「掛け言葉」を散らせまくれる冗長性に甘えてると言っても間違いではなく、何を言いたいかといえば、「息継ぎの必要がなく、気分に合わせて腕を回したり脚をバタつかせたりして進める気楽さ」と「短期集中の取り返しのつかなさへの恐怖」はスポーツを筆頭に顕在意識にあるんだな、というまとめを背泳ぎから浮かび上がらせておしまい。

#背泳ぎ #180519

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