ぼくの内側、または外側にある悟性

6月22日の日記

ぼくの中には、ぼくの世界があって。
あの人が実際にどのようなことを考え行動するのかとは全く関係なく、ぼくにとってのあの人は、ぼくの内側にある。

いくら綺麗事を並べられても、ぼくの経験からくる、ぼくの内側の世界とは、厳密には切れていて。
実際の本当にそのように思っていても、ぼくの中の世界とは繋がりはない。
したがって、
「いつまでそんなことを言ってんの?」
と言われても、ぼくの世界観の中では、現在進行形で存在している。まるで昨日のことのように。

逆に言えば
対象となる人がどのような気持ちを持っていたとしても、ぼくの世界の中で好意があると思えば、その内側で物事が処理されていくことになる。

結局は、ぼくには知り得ないことは、ぼくの外側に存在していて。
ただ、それが存在しているからと言って、ぼくの内側でない限り、それは厳密には存在していないのとほぼ同義。
もちろん尊重するべきことなのだということは理解できる。
が、本当の意味では知り得ないことはあってもなくても同じで。
ぼくの内側を構成する過程にだけ、関係がある。
それ以上でもそれ以下でもなく。