わきまえない女でいい
寅子が、にこやかに、怒りを口にした。理路整然と。
晴れの場で、スンッとした顔で、言葉少なく殊勝な言葉(「浅学非才の身ではありますが」とか「諸先輩方の指導を仰ぎながら」とか「後進の者たちにも恥じない女性弁護士として」とか……)を口にするのが、期待される振る舞いだろう。いわゆる「弁えた《わきまえた》態度」というやつ。
でも、寅子は、いつもの「はて」から入り、「私たちは怒っているんです」と言い、傍らの久保田と中山を見やる。目と目でうなずき合う。ここまで、ふたりと語らう場面は少なかったけど、寅子より一年早く受験までの道のりを行っていた久保田と中山の志も同じだったのだろう。
そもそも法律が男女平等でないこと。そもそも同じ高等試験を受けて合格しても、裁判官や検事の道はなく、女には弁護士となる以外の選択肢はないこと。
ここにたどり着けなかった女たち(魔女5の仲間たちだけでなく、法学を学びながら途中で脱落した女学生たちすべて)、そもそもこんな道があることを知らない女性たち(そして、よねの姉、その他にも知らないがゆえに不遇や不正義に苦しんでいる女性たち)に思いを寄せて、男でも女でも困っている人たちの力になりたいと決意を口にする。
頑張れ。時代はこれからますます逆風だけど、それでも頑張れ。
わきまえない女で上等っ
あえて「わきまえた」「わきまえない」という言葉を使ったのは、私がいまだに森義朗の言葉に怒っているからだ。
政治家が「わきまえている」とか「民度が高い」というのは、よく躾けられていて従順で、逆らうことはもちろん反論や批判もしないしデモもしない、というほどの意味だと思う。舐めてるのだ。
某経営大学院でMBAを取得した日本人卒業生の同窓会組織で経験したこと
もう10年以上前の話だし関係者が引退しているので話してもいいだろう。
私は30年ほど前にアメリカの経営大学院で学び、MBAを取得して帰国した。複数の外資系企業で人事で人材育成とりわけリーダー育成に取り組んできた。約10年前に独立して人事コンサルタント的な仕事をしている。大学までは日本で教育を受けてきているので帰国子女ではないが、外資系企業でいろいろな国のリーダーと協力しあって仕事を進めることには割と慣れていると思う。
ある時、卒業した経営大学院の日本人同窓会組織で、女性の卒業生だけを集めて意見を聞く会があり、参加した。何についての話だったか内容は忘れてしまったが、会長(日本人男性)が参加している女性たちに意見を求めた。一瞬、女性たちは場の雰囲気を読むように沈黙して、視線を交わし合っていた。その時私は、誰かが口火を切れば話しやすい雰囲気になるのではないかと思い、口を開いた。「えっと、私はですね……」
その時、会長は烈火のように怒った。「お前はいつも『私は』『私は』だ。お前に聞いてるんじゃない」
ショックで口がきけなくなった。
どうその場を凌いだか覚えていない。
後になってよくよく分析するに、会長は、その集まりの中で自分に協力的で自分を立ててくれる他の女性卒業生たちの意見を聴きたかったのだろう。
私は、その同窓会組織の集まりにはもう出ないし、会費も以来、払っていない。繋がっていることに意味を見いだせないから。
わざわざアメリカで自費留学までしてアサーティブなビジネスパーソンとしての自分を確立したのに、「わきまえた」姿勢や態度を求められるのはまっぴら御免。わきまえない女、上等。
寅子の志にエールを送る
だから、寅子の志にエールを送る。これからますます逆風の中だけど、負けないで。わきまえなくていい、寅子のままで進んでいって。
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