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猪爪家に日本国憲法が追いついた

記事「『優三さんは日本国憲法になって帰ってきた』説が最強かも」が200ビューを超え、「スキ」も私のマガジンの中では一番多くなった。多謝。

『虎に翼』第59話でとうとう、はるさんが逝ってしまった。猪爪家の精神的支柱だったはるさんを失った寅子(苗字は佐田になっているが)や花江が直明とともに、どう一家を支え子供たちを養育していくのか、これからまた新たな局面を迎えるかも知れない。

振り返ってみると、直言はる夫婦の下にあった猪爪家は、大日本帝国憲法の日本ではとても「民主的」な家族だった。

直言は帝国銀行に勤めるなかなかのエリートサラリーマンであったけど、決して家長としての権限を振りかざすことなく、はるに家事だけでなく家計を任せ(日々の金銭管理は、はるの日記に記されている)、娘の寅子が婚期を気にすることなく法学の道に進むことを後押しした。

妻はるは、旅館の家に生まれて女学校に進学することも許されなかったが、直言に嫁ぐことで故郷を脱した(協亜事件で親元から縁を切られたようだが、直言が無罪を勝ち取った後はどうなっただろう。一方、結婚で丸亀を出る時に友人たちと縁を切ったと言っている)。卓越した家事能力(物置の棚を縦横に名前を付けて何をどこに置いてあるか把握していたり、花江の結婚に際して猪爪家での会食を仕切ったりしている)を持ち、正確詳細に日々の記録を残したりしているので、実務能力は優れていただろう。そのため、大日本帝国憲法の下の民法では「妻は法的に禁治産者と同じ無能力者と見なす」という家族制度であることを知って、寅子が「はぁ?」と驚くことになる程度には、実質的なパワーはむしろはるさんが握っているように見える。戦後に制定された日本国憲法と民法における夫婦の形に近いかも知れない。

長男の直明も、戦前の家長・跡取りの長男が優位にあった家制度においては、長男の権威を振りかざさなかった。母はると妻の花江がギクシャクした時には、若夫婦で別居した方がいい関係を築けると判断し、近くに別居した。

その直明が徴兵され戦死(船を撃沈され水死?)した後、直言が死に際に寅子に確認したことは、猪爪家における花江と子供たちへの対応だった。花江はこのまま猪爪家に残ることも、新たな配偶者を見つけて猪爪家を出ることも花江次第、子供たちを猪爪家に置いても連れてもいい。戦前の家制度であったら、婚家の舅姑の決断次第であったろう花江の立場を保障してくれた。

そして寅子は猪爪家の稼ぎ頭として働くことを選び、直明に帝大に進む自由を与えた。

優三さんだけでなく、猪爪家自体が戦後日本の新しい家族制度にあった生き方をしている。時代が猪爪家に追いついた、というべきか。

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