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「見たい」アニメと「見せたい」アニメ

※「劇場版鬼滅の刃 無限列車編」の軽いネタバレが有ります.ご注意下さい.

『竈 炭治郎』は良い子である.
そう,彼のようになって欲しい.
何時でも家族を想い,仲間を想い,挫けず,目的に向かい鍛錬を怠らず,
そして正直で,明るさも失わない,そんな『子供』に.

多くの親は,自分の『子供』に,彼のように育ってほしいと思うだろう.
だから見に行くのだ.見せに行くのだ.お金を出すだけでなく,一緒に映画館に行くのだ.

『炭治郎』が生きる世界(鬼滅の刃の舞台)は厳しい.
邪悪な鬼が跳梁跋扈し,力なき人間は文字通り食い物とされる...そんな社会だ.
その中で,『炭治郎』は力無きゆえに悲劇を経験し,それをバネに力を手にする.
しかし『炭治郎』は,手にした力を,己が復讐心を満たすだけでなく,力なき無辜の市民を守りつつ,巨悪を倒す為に使う.つまり『炭治郎』は巨悪とのバトルと社会奉仕を,同列,同時に行っている.これはかつてのジャンプヒーローが人知れぬ場所で世界を決める戦いをしていたのとは,一線を画している.

多くの親は,自分の子供に,この社会で生きる,成功する力を手に入れて欲しいと願っている.
そして,その力を手に入れた後も,傲慢にならず,社会的に正しい方向で使ってもらいたいと願っている.
だからこそ親は,この映画に対し,お金を渡し,友達と行かせるだけではなく,しっかりその精神が伝わるか,一緒に行って確認したいのだ.

彼の仲間は個性的である.寝坊助の女好きイケメン,直情でワイルドなイケメン,手もかかるが,肉親の絆で結ばれて,頼りにもなる美少女の妹.
彼の先輩は更に個性的である.「柱」と呼ばれる先輩諸氏は,悪い人たちでは無い...悪人ではないが,いかんせん癖が強すぎる...『炭治郎』らは,最初は彼ら先輩にぞんざいに扱われ,苦労するが,だんだん認められていく事になる.

社会人となること,組織に入ることって,そういうことだ.同期は,みんな自分と違う個性を持っている.兄弟姉妹は...なんだかんだ言って,人生で頼りに出来る.会社や学校の先輩は,劇中の「柱」程ではないが,みんな癖が強く,心中測り難い性格なのだ.しかし,本当は後輩を思っている...ような気がする...
だから,『君』がこれから入っていく「社会」ってこういうものだよ,と.伝えたいのだ.どんな組織に入るか解らないけど,できればこういう厳しくも暖かい組織を選び,そこで研鑽に励めば,きっと「社会」でも成功できるよ,と親たちは,伝えたいのだ.

しかし,親は,自分の声の無力さを知ってる.
親の言うことを素直に聞くふりをする子供は居るが,
親の言うことを素直に聞く子供なんて,居やしない(笑), 少なくとも「我が家」には居ない...
だから,自分の言葉では伝えられないから,物語を通して,『子供』に伝えたい,伝えたいのだ.

かつての親たちは,物欲に溢れたこの消費社会でも,真に成功する条件は,「優しさ」「仲間」「創意工夫」である...と伝えたかったのである.
故に『のび太』のようになって欲しい.と,『僕ら』を大長編に連れて行った.

かつての親たちは,都会で育てざるを得ない,自分達の『子供』の境遇を哀れみ,世の中には「田舎」「里山」という世界も存在していて,そこも都会とは異質だが,「素晴らしい場所」だと伝えたかったのである.
故に『僕ら』をジブリ映画の世界の中に連れて行った.

彼の国の親たちは,例えどんなに異質な姿に見えたとしても,言葉すら通じなくても,"中には"いい人も居て,心を通じ合えたのなら,素晴らしい事が起こるよと,伝えたかったのである.
故に『子供』を地球外生命体と出会わせに行った.

親たちは.日本には「アニメ」という強烈な国際競争力を持ち,世代すら構築可能な文化があると,子供に教え,伝えたいのだ.
親たちは,日本には「マンガ」という,たった一人の絵と字から巨大なムーブメントに到達可能な表現手段があると,子供に教え,伝えたいのだ.
親たちは,米国には「映画」という,人々の認識を世界レベルで塗り替える事が可能な,偉大な産業があると,子供に教え,伝えたいのだ.

そして親たちは,「同じ作品を観る共通体験(と,そこからネタとして使える共通言語)」が,いかに人生を,豊かに,楽しく過ごすのに有効なのかを,子供に教え,伝えたいのだ.

『自分』が「見たい」ものと,『子供』に「見せたい」ものは,時に一致しない.
私ならば,TENETは一人で集中して観たいし,男親ならば,ヴァイオレット・エヴァー・ガーデンで流す自分の涙を,子供に見せたくない人も居るだろう.女親ならば,単純にイケメン空間に浸って瞳を輝かす自分の姿を,子供に見せたくない人も居るかもしれない.

『子供』に見せたいアニメで有るということ.それは重要なことだ.
今の世の中では『煉獄杏寿郎』のような,熱血思考で,後輩の為に身体を張るような価値観はあまり見られない.同様に,首が飛び,血しぶきが舞うような残酷な惨劇も(社会的には良い事だが)減ってしまっている.
しかし,それらの表現,描写でしか,教えたり,伝えられないことが有る.
成長できる会社を選んで,転職までの間に成果だけを残すような事が持て囃される世である.しかし,自らの肉体と将来を犠牲にする程に後輩を庇い,育てる様な価値観だって重要なのだ.
トラックに引かれたら,もっと良い人生をリニューアルスタート出来るようなファンタジアが横行する世である.しかし,実際は,首が飛べば,人は死ぬ.
いくら(読者)人気があっても,(キャラではない)人の子は,生き返れない.故に命は貴重なのだ.
そういう事を,親は,残念ながら,自分の子に,直接は伝えられない.
だから,「コンテンツ」を使って,間接的に伝えるしか無い.

もちろん,「鬼滅の刃」は,物語,ストーリー,キャラとして優れている.しかし,それだけが「ヒットの理由」では無い.
今,この時代で,『子供』に伝えたい「価値観」,それが有るか,無いか.
「大ヒット」はそういう事も関係する.単純な「面白さ」だけでは無い.
教えたい,伝えたい「価値観」その有無が.もっと論じられても良い筈だ.

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