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私の生い立ちVer.2 第13夜

2018年3月22日      こんばんは!

一日半、HPが凍結してしまい悪戦苦闘してた…

どこに問い合わせても、担当が違うだの、英語で書いて有ってお手上げだったり…

結局違う作業をしていたら直った?

雨が降りづづいているので、バイクの元彼は荷物を持ってこない…

従って、また私の生い立ちver.2にお付き合い願う。

私の生い立ち 思春期編

中学は淡い初恋に頭の中はいっぱいで、家の事などどうでもよくなっていた。

中学3年の時、泳げないくせに水泳大会に初恋の君と一緒の種目に出たくて、水泳の授業は真面目に出ていた(種目が背泳だったから、何とかなったのだが)

ある日の授業の時、飛び込みの練習があって「頭から飛び込むように」という指導をクソ真面目に受け取った私は、垂直に飛び込みすぎて入院する羽目になった…(‘ω’)ノ

藪医者で、脳波の検査も何もせず、経過見だけで1ヵ月も入院させられた。結局退院して総合病院に行ったが何ともなかったらしい。

それから今でいう保健室登校が始まった。不登校したかったが、家にいるより、学校にいた方が落ち着くからである。でも完全に授業にはでなかった(特に英語、理数系)

成績はみるみる落ちていくが、総合順位ではまだ偏差値の高い学校も無理ではなかったのである。

しかし、私は家から一番遠い私立一本にした。親にも先生にも叱られた。それでも公立は受けなかったのである。家から遠ければ寮生活もあり得ると思ったからだが、うちに経済的余裕はなく、結局朝7時の電車に乗って通ったのである。

憧れの高校デビュー!

小中と根暗で友達もいなかった私は、同級生がいないという遠い高校で青春を迎えた。男女共学を謳いながら、実は校舎もクラスもクラブも別々、異性と会えるのは食堂だけ…という悪環境にもめげず、男女共同のボランティアクラブに入部した。そこから私の人生は一変したのである!

明るくて、気さくで、人懐っこい子…それが高校生の私だった。先輩や後輩にも好かれた。なんせ偏差値の低い学校だったので、私でも学年TOP10に入る成績で、クラスでは1番、3年間同じメンバーの特別クラスで委員長を務める人気者だった。

当然扱いが変われば人も変わる…前はいじめられる側だったのに、今度は気に入らない子をいじめる側にまわった…女王様だった。

当時も、家では私に食べさせてもらえるものはなく、一度お菓子入れの中から1個だけ食べたら「泥棒」呼ばわりされて、しこたま殴られた。

高校になってお弁当がいるのにご飯が無い…炊くと怒られる。1回沢山ご飯が余っていたのでそれに卵を1個焼いて持って行った。それだけで又殴られたのである。

夏休みは、貰い物で誰も食べない乾麺を1ヵ月湯がいて食べた。朝から火も使うと怒られるので、一度冷めたご飯に冷めたカレーをかけて食べた…それから私はカレーが嫌いである。

それで当時人気者??だった私は4人の女子に各週1回お弁当を作ってきてくれと…これで4日はなんとかなる。後は景気のいい仲いい子がいていつも帰りに「あれ食べに行こうよ」といつも奢って貰っていた。

それでも、年頃の女の子には数千円のおこずかいでは足りない…食事代込だから尚更だ。夕食は7時過ぎになるので何も残っていなかった。

そこで私は今でいう〇交を始めた…今の相場でいうとカラオケに食事で…ってくらいの1回の金額だったが、その当時の私には大金だったのである。月一位で貰っていた。それでやっと普通の高校生活と食生活を送れたのである。

処女は1年の時に捨てていた…2回目は本当に好きな人だった。初めての人と結婚するなどという少女じみた考えはその時無くした。後はどうでもよかったのである。

3年生の夏休み付き合っていたおじ様に安いダイヤの指輪を貰った。その保証書が家に届いて、母親に問い詰められたのである。次の日店に問い合わせに行くと言われて、とっさにその夜家出した。行く先は東京!家出の範囲も進歩したものであるw

暫く卒業した先輩達にお世話になって、それでも戻れない私は北海道まで行くことにした。牧場で住み込みで働けばいいや…くらいに軽く考えていたのである。

上野から夜行列車に乗って、青函連絡船に乗った。そこから札幌までの切符でほとんどのお金を使い果たしていた…

そこに大学生の男性2人連れが話しかけてきた。バイトで貯めたお金で念願の北海道に来たらしい。修学旅行で1度来たことがあるというと、是非一緒にまわって案内して欲しいと言う。費用は全額持つからと…私には助け船だった。

1週間ほどレンタカーで道内を回った。彼らは紳士だった。部屋も私だけ別に取ってくれた。本当に楽しい旅行だった…

しかし、ある日煙草を吸っているのを咎められて気まずくなった。こちらも、そろそろほとぼりが冷めたころだと、家に戻ることにした。

2学期がとっくに始まっていて、あと1日帰るのが遅かったら退学手続きをとるとこだったらしい…久しぶりに学校に行った日は実力考査の日だった。学年9位だった。

〇交を止めてから、真面目にバイトした。年齢を偽って深夜の泊まり仕事もやった。早く卒業して自立したかったからである。

毎年恒例のある家出の時、父が言った。「お前の母親と高校まではちゃんといかせてやると約束した。だから卒業までは我慢してほしい」と…だから就職は銀行が目標だったが、あまりの手取りの悪さに、給料の高さで会社を決めてしまった。(ちょっとヤバめの会社だったが)

おかげで念願の一人暮らしが始まったわけだが、社会は家の中の小さな事よりもっと大きな出来事が待っていたのだった…

また、長くなって申し訳ない…

懲りずに半世紀分まで付き合ってほしいw

ルームシェアを始めて2年経ちました。結構愚痴を言いながら続くものですねwこれからも暖かい目で見守っていただけたら幸いです。