なぜ宝探しは流行らないのか

2019年の3月末までタカラッシュ!という会社で宝探しや謎解きのコンテンツをつくっていました。謎解きの制作会社というだけで世間的には珍しい存在ですが、中でもタカラッシュ!は、その名前から想像できるように「宝探しイベント」の制作が事業の源流であり、「謎解きイベント」の制作はそこから派生した支流であるというさらにレアな会社です。

しかし、「リアル脱出ゲーム」に代表される「謎解き」がもはや国民的エンターテイメントになった感がある一方で、「宝探し」はまだまだ知らない方も多いのではないでしょうか。

そんな宝探しについて、かねてより思っていたことをつらつらと書きます。

(※このタイトルは在籍当時に思っていたことをそのまま書いているのであり、外部からディスっているわけではありません)

(※記載している内容はすべて1年以上前の感覚、知識、記憶で書いていますので、「今はそうじゃないよ」といったこともあろうかと思いますが、そこは大目に見てください)


宝探しイベントとは?

タカラッシュ!では宝探しイベントを「リアル宝探し」というブランドで展開しています。その内容は「宝の地図」に記された不思議な地図や暗号を解読し、現実の町の中などを捜索して宝箱を見つけるというエンターテイメントです。(「高度なスタンプラリー」というとイメージが付きやすいかもしれません)

商業施設の中で行われる小規模なものから、県全域に宝が隠されている大規模なものまで様々実施されており、「宝探し」という響きと多くが無料である参加のしやすさから、主としてファミリー層に人気があります。

(※僕が辞める前後に「リアル宝探し」から、「リアルたからさがしキッズ」という別ブランドが立ち上がり、ファミリー向けコンテンツはそちらに移行しているようですが、こちらではそれ以前の認識として書いています)


謎解きイベントとは?

一方、「謎解きイベント」というと、リアル脱出ゲームに代表されるように、基本的には閉じた空間の中でとにかく暗号やパズルなどを解きまくり、最後の答えにたどり着くエンターテイメントです。
「脱出する」などの最終目標は掲げられていますが、「なぜ謎を解かなくてはならないか」という点に関しては特に設定されていないことも多いです。

そして謎解きイベントの最大の特徴は、その難易度です。

すそ野が広がってきた最近はファミリー向けや初心者向けに難易度が低いコンテンツもそれなりにありますが、それはあくまで「ライト版」であって、謎解きのほとんどは「大人が本気になってもなかなかクリアできない」という難しさに設定されており、それがゆえに
「クリアできなかった悔しい」
「次こそは!」
と、多くの人々を沼に落とし込んでいます。

難易度が高い、ほとんどが有料といった点から、謎解きは宝探しとは対照的に、ファンのほとんどが大人です。


宝探しと謎解きの違い

さて、上記の説明を受けて、これらの界隈をあまり知らない方は「結局同じようなものじゃないの?」と思われるのではないでしょうか。
たしかに、「謎を解いてアクションする」という点では同じであるため、ある程度謎解きに精通している方でも、改まって宝探しと謎解きを分けて考えたりはしないのが普通だと思います。

しかし、界隈にどっぷり浸かっていると、宝探しと謎解きは結構別物、という印象になります。

その要因は、SCRAPタカラッシュ!という2つの企業が生み出したと考えています。

SCRAPは「リアル脱出ゲーム」を生み出した会社で、謎解き界の巨人です。
現在の謎解きのほとんどの型(形式やセオリーなど)はSCRAPが生み出したといっても過言ではないと思います。

一方、タカラッシュ!は「日本唯一の宝探しの専門会社」を謳い、約20年にわたって宝探しをつくり続けてきました。
歴史としてはSCRAPよりも長く、SCRAPが東京進出したときにタカラッシュ!の事務所にあいさつに来たという逸話を聞いたことがあります。
そして、SCRAPが謎解きの型を作り出したのと同様、タカラッシュ!も宝探しの型を作り出しました。

その2つの企業が生み出した型の違いが、すなわち謎解きと宝探しの違いといえます。それは具体的には下記のような感じです。

もちろん宝探しにも謎解きにもいろんな種類のコンテンツがありますので、上記が当てはまらないことも多々ありますが、漠然としたイメージとしてはこのような感じです。


宝探しの現状

さて、上記のように宝探しと謎解きはある程度住みわけができているとするならば、それぞれが独自に繁栄してもよさそうなものですが、破竹の勢いで広がっていった謎解きと比べて、宝探しはなかなか広がっていきませんでした。

先にも述べたように歴史としては宝探しの方が長いので、「リアル脱出ゲーム」が頭角を表してから、一気にスターダムに駆け上がっていくのを横目で呆然と見ている感覚でした。

そんなわけで、在籍中は宝探しがいまいち広がらない要因をずっと考えていました。

色々と要因と思しき事柄はあったのですが、僕が考える一番重要な点は、宝探しが大人に受け入れられていない、ということでした。

宝探しも謎解きも、ジャンルとしては「体験型イベント」に属します。それは言葉の通り、受動的でなく能動的な体験を伴うイベントです。社会がデジタル化する反動なのか、人々はリアルでアナログな体験に価値を置くようになっており、とにかく「何を体験できるか」が肝になります。

その点において、リアル脱出ゲームが与えた「大人が本気になってもなかなかクリアできない」という体験は恐ろしいほど鮮烈で、しびれるような衝撃を人々に与えました。
謎解きは基本的に制限時間内でミッションをクリアしなくてはならないので、イベント会場ではいい年した大人たちが慌てふためいたり、走っちゃいけないのに思わず走ってしまったり、無邪気に大喜びしたりという様子があちこちで見られます。

大人になるにつれて「本気になる」ことがどんどん少なくなる中で、「本気になる楽しさ」を提供したことが、リアル脱出ゲーム、ひいては謎解きが大きく広がった要因だと思います。

一方、宝探しは、謎は易しめに設定されており、ほとんどは制限時間もないため、とっつきやすさ、参加のしやすさはあるものの、提供している体験が謎解きに比して弱いのではないかという思いがずっとありました。

ただし、宝探しは参加者アンケートをとると大人も子どもも満足度は非常に高いです。参加している様子を遠巻きに見ていても、宝箱を見つけた瞬間の子どもたちの興奮はこちらまで嬉しくなるほどです。
また、クライアントとなる地方自治体や商業施設などからすると、人々の回遊性を高めたり、見てほしいスポットに誘導したり、知ってほしいことを訴求したりすることもイベントを通じて実現できるので、コンテンツとしては非常に優れていると思っていました。

しかし、それはあくまで、「子どもは非日常体験への感度が高いから比較的簡単に楽しめる」のであり、また、「子どもが楽しんだから大人も楽しかった」のであって、なかなか大人を本気にはさせられていないと感じていました。

ファミリーを楽しませられる、クライアントを満足させられる、という点で、そういった宝探しにも大いに価値はあるのですが、コンテンツメーカーとして宝探しを大きく広げようと考えると、以下のような理由から、どうしてももっと大人に受け入れてもらう必要がありました。

・体験型イベントは、参加するために移動を伴うなどのハードルがあるため、フットワークが軽くないファミリー層に年に何回もリピートしてもらうことが難しい。

・ファミリー層はコスト意識が高く、有料化などコンテンツの多様な展開策を講じにくい(主催イベントを打ちにくい)。

・SNSなどでの拡散力が高い20~30代に参加してもらいたい。

よって、宝探しを流行らせるにはもっと大人に浸透させなければならず、そのためには、「大人が本気で楽しめる宝探し」をつくらなければならないと考えていました。


宝探しをどうするべきか?

大人が本気で楽しめる宝探しを考えるにあたっては、大きく2つのアプローチがあります。

①宝探しを謎解き化する

②宝探し独自の進化を遂げる

まず、まっさきに考え付くのは、「難易度の高い宝探しをつくればいいのでは?」ということです。すなわち、宝探しの謎解き化です。

実は、宝探しと謎解きの間のようなコンテンツは既に存在しています。それは「周遊型謎解き」と呼ばれるものです。

基本的に謎解きイベントはどこかのイベントスペースや施設の中で行われ、移動距離は長くないのが一般的ですが、最近は街中などを歩きながら謎を解くスタイルのものも多くなっており、それが「周遊型謎解き」です。

ちなみにですが、実は、タカラッシュ!も謎解きをつくっていて、それはリアル宝探しとはブランドを分けて「タカラッシュ ブラックレーベル」として展開しています。

ブラックレーベルの謎解きは謎解きファンの間でも評判が良く、特に周遊型謎解きに関しては業界内でもかなり評価が高いのですが、それは宝探しで周遊をやりつくしてきたタカラッシュ!のDNAが活きている面もあろうかと思います。

さて、宝探しを謎解き化していくということは、すなわち宝探しを周遊型謎解きにするということになりますが、確かに、そうすることによって謎解きファンをある程度宝探しに誘導することができるかもしれません。
事実、ブラックレーベルでは多くの大人を集客できています。

しかしながら、個人的には、それは真の解決策ではないと感じていました。
①のアプローチでは、宝探しの重要な要素が決定的に失われてしまうため、何とかして②のアプローチをとらなくてはいけないと考えていたのです。


宝探しを謎解きにしてはダメな理由

謎解き業界において、宝探しは謎解きの1ジャンルと考えられていると思います。僕自身も当初はそう思っていました。「宝探しと謎解きの違い」で示した図のように、結局二者の違いは「難易度」や「場所」、「ターゲット」のみであり、根幹にあるものは同じだと。

しかし、タカラッシュ!の社長はずっとそれに異を唱えていました。むしろ謎解きは宝探しの一要素に過ぎないと豪語していたのです。

正直その主張はなかなか理解できなかったのですが、いつからか自分なりの解釈ができました。
そして解釈すると、宝探しには謎解きとは異なる特性があり、それがゆえに謎解き化すべきでないと考えるようになりました。

それを語るために、まず説明しなくてはならないのが「発見の感動」という概念です。

タカラッシュ!(というか社長)は、常々宝探しの最大の魅力は「発見の感動」にあると言っていました。
これは宝探しをしたことがない人でもイメージしやすいのではないでしょうか。苦労の果てに宝物を発見した瞬間の打ち震えるような感動。それを与えることができれば、きっと宝探しは素晴らしいコンテンツになるでしょう。

では、「発見の感動」を与えるためにはどうすればいいのでしょうか。

これまでに謎解きは難易度を高めに設定すると説明しましたが、その難易度はやみくもに高めればいいのではなく、解説を聞いた後に参加者が「なぜ気づけなかったんだろう」と自分を責めたくなるような絶妙な高さに設定する必要があります。

「こんなもんわかるかい!」となってしまうと、それまでの体験の価値が半減してしまうのです。

ここが謎をつくるうえで最も難しいポイントであり、ほとんどの人は気づかないけど、言われた時に思わず「なるほど!」と手を打つような絶妙な難易度を体現した謎を、人は「美しい」といいます。

その美しさこそが謎解きの醍醐味であり、よって、謎解きにおける絶頂は「深い思考の果てに確信を持てる答えに美しく辿り着いた瞬間」になります。
(解説時にその思惑を超える真の解が示された時の「うわ〜」というのも同じくらい絶頂かもしれませんが)

そして、謎解きはこの「美しさ」という概念が支配しています。
「美しくない謎」に存在価値はないのです。
美しくあるためには、与えられたすべての情報が過不足なく活かされ、ロジックを組み立てることでゴールへと一歩ずつ近づき、そして最後に見ている世界を一変させるような”ひらめき”とともにただ一つの答えに収れんする必要があります。

この謎解きのセオリーに則って宝探しの謎をつくるとどうなるでしょうか。

全ての情報を駆使してひらめきを働かせた結果、
「山田神社の鳥居の近くのベンチの下」
といったような、完全に明確な唯一の答えが出ます。

しかし、それで山田神社の鳥居の近くのベンチの下で宝物を見つけたとして、嬉しいでしょうか?
それなりに嬉しいでしょう。ただ、それは打ち震える感動ではないはずです。

なぜなら、全ての情報やアイテムを使い切って解答が美しく導かれた瞬間、既に絶頂を迎えてしまっているからです。

人の感情を折れ線グラフにするならば、解答(=宝の在りか)がわかった時が絶頂で、そこから先はどうしたってテンションが下がってしまいます。

謎解きは、先に述べたように、様々な情報を余すところなく使い切る美しさを求めるが故、慣れてくると
「情報やアイテムを全て使い切っているから正解の可能性が高い」
「回収していない伏線があるからまだ先があるっぽい」
などの予想がある程度可能になります。

ゆえに、示された宝の在りかに向かいながら、内心
「ほぼほぼ間違いなく宝はあるだろう」
などと予想がついてしまいます。

すなわち、謎が解けた瞬間に絶頂を迎えてしまうと、そこから先の移動や宝の捜索はただの残作業になってしまうのです。
もし宝の在りかが遠かったとしたら、移動している間に興奮は冷め、疲れが勝り、想像通りの場所にあったら「お、あったあった」で終わってしまうのではないでしょうか。
それではダメなのです。「お」などと言わせてはダメなのです。

宝探しの絶頂は謎が解けたときではなく、「宝を見つけた瞬間」でなくてはなりません。


理想の宝探しとは?

では、どうすべきか。

端的にいうならば、
宝にたどり着くその瞬間まで、本当にあるかどうか半信半疑
という状態を作り出す必要があります。

これは、必ずしも謎を難しくすれば実現できるとは限りません。
先ほども述べたように、結局謎解きのセオリーに従うと、キレイに解けていたら正解の可能性が高く、キレイに解けていなければ不正解の可能性が高いので、それで期待値をコントロールすることは難しいのです。
(余談ですが、「美しくなければならない」という謎解きの不文律が、ある意味では上記のようなネタバレ要素=美しさに反する要素につながっているのは面白いなと思います)

ここで、先ほど例に挙げた
「山田神社の鳥居の近くのベンチの下」
を、例えば
山の鳥を探せ
という表現にするとどうでしょうか?

この指示には様々な可能性があり得ます。
「どこかの山に鳥の置物があるんじゃないか」
「山村動物園の鳥エリアを指しているのでは」
「『喫茶マウンテンバード』のことに違いない」

そう、一つの答えに絞り込めません。

一つの答えに絞れないなら、捜索者は独自の仮説を立て、考えうる場所の中でまだ確率が高いと思われるところを、言うなれば「野性の勘」に頼ってとにかく探すしかありません。

その結果、探し回った場所がいずれも空振りに終わり、精も根も尽きかけた時間切れ間際、ふと山田神社の鳥居の可能性に気づき、一か八かで行ってみて宝を見つけたとしたならば、そこには思わず叫んでしまうほどの感動があるのではないでしょうか。
それこそが、「発見の感動」だと思うのです。

つまり、「発見の感動」を与えるために必要なものを一言で言うと、「確信のない不安感」であり、そして、それを生み出すための重要なキーワードは「荒っぽさ」です。

謎解きに「美しさ」が求められるように、宝探しには「荒っぽさ」が求められるのです。

謎解きにおいて先述のような「本来意図したものと違う答え」は「別解」と呼ばれ、別解が発見されることは「謎の破綻」すなわち「死」を意味します。
しかし、宝探しにおいては、それは受け入れられます。

極端な話、宝探しの謎は破綻していてもいい
いや、ある程度破綻していた方がいいとさえ言える。

「この表現はAともBともとれるけど、これまでの文脈を考えるとAが有力ではなかろうか。はたまたCか・・・」

終わりのない自問自答の無限ループ。
雲をつかむように想像を巡らせる「作成者の意図」。
大海で小魚を探すような果てしない調査、検索、探索。
このまま進むか、戻るかの葛藤。
仮説と検証を繰り返し、三歩進んで二歩下がる進捗。

そういった過程こそが宝探しに必要不可欠なスパイスであり、真なる「発見の感動」は、その苦行の果てにしか存在しないのです。
このように、「謎を解いても即宝には辿り着けない」状態こそが、「謎解きは宝探しの一要素に過ぎない」といった社長のイメージなのではないかと僕は勝手に解釈しました。

(また余談ですが、過去のタカラッシュ!はそんな荒っぽさに溢れていて、社内に残る昔の宝の地図を見ると「これは成り立っているのか・・・?」と不安になるものも多かったです。
それゆえ昔はアンチも多かったですが、その一方で、その時期に何度も何度も現場に通い詰めて怨念に近い執念で宝物を見つけ出す生粋の「ハンター」が生まれたことも事実です。
往年のファンの方に話を聞くと、そんな昔を回顧されることもしばしばあり、その当時には美しさはなかったとしてもロマンはあったのだなと感じていました。)

この考え方に従うと、宝探しの制作は謎解きの制作とは似て非なるものとなります。むしろ、謎解きの制作に慣れてしまった人は宝探しは作れないでしょう。「破綻する」ことを本能が恐れるからです。

「良い宝探しが作れる人」というのは、とにかくロマンだけを追い求め、整合性や美しさなどは犬に食わせ、自身の頭の中をストレートにアウトプットできる人なのではないかと思うのです。謎をあえて荒くしてるのではなく、天然で荒っぽくなっている。

謎解きにおいて「制作者の意図を探る」行為は「メタ解き」と呼ばれ、禁じ手の一種になりますが、宝探しにおいてそれは正当な手段だと考えます。
なぜなら、謎解きにおける「謎を作った人」は基本的に裏方の存在(ストーリー上登場しない)であることが多いですが、宝探しにおける「宝の地図を書いた人」はストーリー上むしろキーパーソンであり、その人がどんな人であったかは重要な情報のひとつとなります。

よって、謎解きはデバッグ(実際に解いてみて問題点を洗い出す作業)を繰り返して制作者の思い込みや勘違い、すなわち人間性を排除していきますが、宝探しにおいては個人の思想が強烈に残っていた方がいいとも言えます。

(またまた余談ですが、タカラッシュ!においては、謎解きであっても「謎をつくった人」をストーリーにきちんと存在させることが多いです。それはやはり宝探しのDNAかもしれません。)

そういう意味で、タカラッシュ!の社長は日本一の宝探し制作者ではないかと思っています。
謎解きの理想を掲げて近づくと痛い目にあいますが、クセになって抜け出せない人が少なからずいます。


理想の宝探しの問題点

さて、ここまで掲げてきた理想の宝探しですが、このコンテンツには大きな問題点があります。

それは、このようなコンテンツを受け入れて楽しんでくれる人は、世間的にかなりのマイノリティであろうということです。

謎解きは高度な頭脳戦であり、ひらめきがあれば誰しもがクリアできる可能性があるのに対して、宝探しはとにかく試行錯誤を繰り返し、泥水を飲みながらほふく前進していかないとクリアできません。熱量と行動力(およびそれに伴う経済力や時間的余裕)と粘り強さが求められるため、謎解き以上に「人を選ぶコンテンツ」になってしまうのです。

よって、この道を突き進んでいっても恐らく流行にはならず、さらに言うと、金にならない。
理想はわかったけれども理想と実利のバランスをとった策を思いつくことができませんでした。

そんな中で、社長がトップクラスの愛好家だけを集めて超絶難易度の宝探しをする秘密クラブ的なものを作ろうと言った時には、とても面白いと思いました。
先ほどのような宝探しは、広く一般の方に向けて実施するよりも、コアな方に高単価で提供するほうが勝算があると感じたからです。

やがてその企画は実現しました。
その名も「TAKARUSH EXTREME CLUB」(通称「TEC」)。

日本全国を舞台に、会員限定で超難易度(宝探し的な意味で)の宝探しを行い、発見者の中から何名かに抽選で10万円が進呈されるという大人の快楽の境地のような企画です。

現時点でTECに何名の会員がいて、どのような内容になっているのかはわかりませんが、TECを立ち上げると発表された後に社長と二人でブレストする機会をもらった時、本当にワクワクしました。

その時に、改めて宝探しには謎解きとは違う進化を遂げさせたいと思ったのです。


まとめ

タイトルに掲げた「なぜ宝探しは流行らないのか」について、僕自身の結論は、
体験型イベントの流行を担う大人に受け入れられるためには謎解きのように体験を濃くすべきだが、”発見の感動”を前提とした濃い宝探しは恐らく多くの支持を得られない
というものになります。
この課題を打ち破るコンテンツを生み出すことなく、僕は会社を去ってしまいました。

・宝探し、謎解きのいい部分をそれぞれ取り入れて、単なる「周遊型謎解き」ではない、新たなる「宝探し」の形を作り出す。
・「TEC」を突き詰めて、「別に流行させる必要がない」と割り切る。
など、アプローチは様々あると思います。

これからタカラッシュ!がどういう方向性に行くのかはわかりませんが、ただ、今後日本において宝探しがブームになるときがあるならば、その時その中心にはタカラッシュ!がいなくてはならない、と、在籍時には思っていました。
無責任なOBとして、現役の皆さんの活躍と宝探しの発展を願っております。

最後に、2020年5月30日(土)に、タカラッシュ!の最大規模のイベント

タカラッシュ!GPオンライン」が開催されます!

このイベントは、これまで何度か開催されてきた100万円争奪のロマンあふれる巨大宝探しイベント「タカラッシュ!GP」をオンラインで実施するイベントで、社長自らが制作の陣頭指揮をとっているようです。
(今回100万円の賞金はなし)

謎解きとは違った魅力の宝探しに興味が湧いた方は、是非参加してみてはいかがでしょうか?

長文、失礼しました。

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