【エッセイ】タバコミュニケーション

 俗に「タバコミュニケーション」と呼ばれるものは、喫煙所で普段はしないような話をしたり、もしくは、大勢のいる場では聞けないような貴重な話、面白い話を聞けたりするもので、喫煙者がタバコを吸う言い訳になっているような節もあるのだが、これは少なからず俺の身の回りには存在している。そしてこのタバコミュニケーションに、俺は救われた。

 初めに断っておく必要があるが、タバコミュニケーションが「喫煙者がタバコを吸う言い訳になっている」というのは厳密には間違いで、というのも喫煙者はあらゆる言い訳を用意しているからだ。「ストレスが溜まっているから」「食後の一服は欠かせないから」「元カレを忘れられないから」……挙げたらキリがないだろう。タバコミュニケーションなんてその内のひとつに過ぎない。正しくは「喫煙者はあらゆる言い訳を駆使してタバコを吸う」となるだろう。ではどうしてそこまでしてタバコを吸うのか、それは喫煙者が「弱い人間」だからなのだと、俺は思う。

 もちろん肉体的に、と言うわけではなくて、精神的にだ。何かに寄りかかっていないと強く在れない人間たちが喫煙者なのだろう。というか人間は必ず何かに自らの身を預けるものだ。それは酒であったり恋人であったり…。喫煙者にとって、たまたま頼りとするところがタバコだっただけだ。(という言い訳も準備してある)

 少し話が逸れてしまった。俺が「タバコミュニケーションに救われた」という話についてだが、あれは大学3年生の冬休み、実家に帰省していた頃の話だ。大学生の冬休みというのは、春休みや夏休みと比べて非常に短いもので、帰省するにもどうも時間的な余裕が無いなと感じていたのだが、来年からは自身の就活が本格的にスタートすることと、地元の友人は就職してなかなか会えなくなる(俺は1年浪人している)ということもあって、少しでもいいから帰るか、という運びになった。

 俺は4人兄弟の長男で、年子の弟、小学生の弟、幼稚園生の弟と続く。この話を初めてすると、「親が違うのか」と思われることもままあるが、全員同じ両親の元から産まれた子だ。たまに喧嘩やトラブルがありつつも、家族仲は良好な方だと感じている。ただ一点を除いて。

 それは俺と年子の弟との関係だ。簡潔に言えば、かれこれ6〜7年は言葉を交わしていない。もちろん他の家族とはお互い会話をするが、俺と次男の間での会話は、少なくとも高校生の頃から全くなくなってしまった。もしかしたら中学生の頃からそうだったかもしれない。いつから話していないかも覚えていないほど、俺たちから会話は消え去りきっていた。

 理由は特に無い。どちらかが一方を極端に嫌っているわけではなく、どちらかのコミュニケーション能力に何らかの支障があるわけでもない。実際、小学生の頃までは朝から晩まで2人で遊んでいて、何をするにも一緒だった。まあおそらく、思春期に差し掛かったことでお互いに何となく会話をしなくなり、そうするとどうやって元に戻れば良いかがわからなくなって今に至るといった感じだろう。俺自身は、このままというのは違うと思っているので、何とか会話をしようと考えるものの、勇気が湧いてこない。変に緊張してしまって、言葉が出なくなる。(弟と話すのに緊張するなんて聞いたことない)

 長々と背景を話したが、大体結末は見えてくる。そう、タバコミュニケーションだ。俺は弟と、タバコミュニケーションによって言葉を交わすことができた。彼がタバコを吸っているということは知らなかったのだが、家族でカラオケに行った際に、喫煙所でたまたま2人きりになったのだ。酒が入っていたことも追い風となり、俺は話しかけることに成功した。その時の会話を今でも鮮明に覚えている。

「何吸ってんの」

「ラキスト」

「渋いねぇ」

 以上。鮮明に覚えているも何も、忘れる方が難しいほど短い会話だ。しかし俺は本当に嬉しかった。弟との関係を再構築する光明が差した瞬間だと思った。これまで何度もタバコミュニケーションに感謝した瞬間はあった(志望企業のお偉いさんと話すだとか、交友の輪が広がるだとか)が、この時ほど感謝したことはなかっただろう。そして本当にタバコを吸っていて良かったと感じた。

 もちろんタバコは身体に害でしかなく、俺たち喫煙者は言い訳を大量に準備してタバコを吸う。いつかはその言い訳も通用しなくなって、「禁煙」なんて言って、吸うのをやめるものなのかもしれない。ただもう少しだけ、俺はタバコに寄りかかっていたい。タバコがないと碌に弟と会話もできないような、俺はそんな弱い人間だ。


(了)

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