20年早く星になる親

大分に帰省していた時に、地元の友人とカラオケに行った。そのうちの1人と喫煙所に行った際、お互い酔っていたこともあり、熱い話をした。(そして酔っていたこともあり内容はほぼ覚えていない。)
煙草を吸い終える頃にそいつが、「お前らには早くに死んで欲しくないなぁ。自殺とかするなよ。」と言っていたことは覚えていて、俺も「それはこっちのセリフよ〜。」とか言った。友人とお互いの死について話すなんて、まだ20だが、刻々と死に向かっているような気がした。

ついこの前は彼女と、最近起きている無差別殺人や、自殺、そして親の死について話した。「自分は恋人より早く死にたいか、後に死にたいか」という問いでは、2人とも後に死にたいという結果になったので、お互い先に死ねない。不老不死を目指すしかない。

天寿を全うするならまだしも、事件に巻き込まれたり、不慮の事故にみまわれたりして命を落とすこともある。それが運命だと言ってしまえばそれまでだが、割り切るのは難しい。

こんな話をしていて、ふと思ったことがある。俺は親が20代の頃に産まれた子で、かれこれ20年間お世話になっているわけだが、俺には今、小3になる弟と3歳になる弟がいる。彼らは俺が親と過ごした20年を知らない。親が3~40代の頃に産まれた彼らと、俺が親と過ごす時間には、どうしても埋めることができない差がうまれる。

それは即ち、俺がいつか経験する親の死を、2人の弟は20年ほど早く迎えることになる。20年早く、親が死ぬ。これになんとも言えない虚しさを感じた。申し訳ないような気がした。自分だけ優遇されているような―。

人が死ぬことを「星になる」というが、ふと空を見上げると、あまた星々が輝いている。空から見下ろした地上は輝けているのだろうか。
「善く生きねば。」と感じた数日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?