【エッセイ】記憶にない、いじめの話

「なんだかんだ上手くいく」「なんとかなる」っていうのは、俺の人生のモットーというかなんというか、座右の銘とは違うんだけど、とにかくそういうのを自覚している。

先日の鍵の件も、心の中で「なんとかなるだろう。」と思っていたからあんまり焦ってなかった。(周りの人からはめっちゃ怒られたけど。)

他に、買い物してスーパーに財布を忘れた時も保管してもらえてたし、浪人にしても実力は届いてなかったけど総合型選抜(旧AO入試)で志望校に入ることができた。(共通テストの点数がボーダーに届いてなかったのにダメ元で面接受けたら合格した。昔から人前で話す経験を積んでいたことが幸いした気がする。)なんだかんだ上手くいく。

今日の朝はバイトが9時30分からで、急いで準備して駅に向かったら電車を逃した。先日ギリギリに出勤することがあって、社員から怒られたばかりだったから「うわ終わった〜。」と思いながら電話して遅刻する旨を伝えた。そしたら「今日は9時30分の出勤ないよ。」と言われた。どうやら俺が出勤日を1日勘違いしていたみたい。いや〜焦ったけど、なんとかなったよね。帰りに朝マック買った。

そんな俺が人生で1番なんとかなったと思ったのは、小学校2年生の頃のこと。熊本から転校してきた俺は、その小学校のことよく知らなくて、どうやら6年生に問題児がいたらしい。全校生徒が関わらないようにとしている中で、何も知らない俺はその子に話しかけたそう。そしたらその子が俺を羽交い締めにしてきて、俺が泣きながら「ごめんなさい。」って言っても止めてくれなかったみたい。その後も俺は目をつけられて、幾度かそういうことがあったようだ。

その日からおねしょが止まらなくなったらしく、親も「あれ?」って思ってたそうで、そしたら俺が学校の図書館で『どうしていじめはあるの?』みたいな本を借りてきたものだから、焦って俺に何かあったのか聞いた親は、先程の出来事を聞いて激怒。両親揃って学校に話をしに行って、俺はその子から謝ってもらうことになった。

謝ってもらった後、親に「なんだか気持ちが楽になった。」と言った俺を見て、親は安心して泣いたらしい。その日からピタッとおねしょは止まった。

「〜らしい。」「〜みたい。」って言ってることからわかるように、俺はその出来事を全く覚えていない。親から教えてもらったのだが、もし覚えていて、心に傷を負ってたら、今みたいな性格にはなってなかったかもしれない。いや〜なんとかなったね。(少し趣旨が違う気もする。)

脳は嫌な思い出ばかり覚えると聞くが、俺はその逆なのかもしれない。


唯一寂しいのは、親が自分のために行動してくれたことを覚えていないことだ。早く親孝行してあげたいなと思った。

何かが原因で苦しかったり、悲しかったり、考え込んでしまう人もいるだろうけど、心の隅の方に「なんだかんだ上手くいく」「なんとかなる」って気持ちを持つだけで、少しは楽になるかもしれない。もちろん強要はしない。

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