【禍話リライト】Ⅳ階の娘

「Aくんと君って同期だったよね?」

ある日、上司からそう話しかけられたのが事の発端だった。Aとは入社してからの同期ではあり仲は良かったものの、大企業で働いていれば配置替えで部署異動はザラだ。そうなれば忙しさの違いや残業などで疎遠になってしまうことも珍しくなく、会って話す機会も減っていった。風の噂でなにやら今の部署で頑張っていると聞いていたから、ひょっとしてけっこう出世でもしたのだろうか。そろそろ内示も決まる時期でもあるし冗談半分で「あいつ次の人事異動で良いところに行くんですか?あ、もしかして悪いところとか?」と笑いながら尋ねると、表情を曇らせた上司は歯切れ悪く言葉を濁す。
ひょっとして本当にリストラとか、気まずい案件だったのだろうか。そうだったとしたら言いづらいことを余計に言いづらくしてしまったのかもしれない。すいませんと頭を下げて謝ると慌てて上司は「ああ、違う違う。そうじゃないんだ」と首を横に振り、一拍置いてから話始めた。
A自体は優秀でどんどん出世ルートに入っている期待の星ではあるのだが、最近どこか怯えているようにビクビクしていて挙動不審なのだという。そうなれば人間というものは悪い方向に考えてしまうもので横領や大きなミスを隠しているのではと調べてみるもの、まったくそういうこともない。
仕事は難なく出来ているのに四六時中なにかに怯えている。どうしてそんなにいつもビクビクしているんだと一度本人に聞いてみたものの、家族がどうだとか自分の問題なのでと言ってそれ以上話してくれない。
そしてある昼休みにAの携帯が鳴っているのにも関わらず驚いたように固まって応答しようとしなかった。気を利かせた部下が鳴ってますよと声を掛けてあげるも、どうしてか出てくれと言い出す始末だった。仕方なく出ると着信はAの娘からで、高校に提出するPTAの書類がどうのこうのという軽い用件だった。
通話が終わって切るとAはせわしなく「どうだった?何か言ってた?」と聞いてくる。「なにもないですよ、PTAの書類に印鑑だか署名がいるって話でしたよ」と言ってもAは「本当に?なにかそれ以外にも言っていなかった?なにかおかしくなかった?」と異常なまでに怯えて話にならない。現在も変わらずずっとそんな感じなのだという。
仕事に支障は出てないんだけどさ、悪いんだけどちょっと君からも様子を見てくれないかな。そう上司から言われ、まあ仲が良かった同期のことだしなあと二つ返事で承諾する。そうしているとちょうど昼食を食べるタイミングで食堂の遠いところにAを見つけて。よし行ってみようと近づいてみることにした。
「よう、A!久しぶり」
「お、おう。久しぶりだな」
やはり話に聞いていた通りどこか顔色が悪く体調も良くなさそうに見える。あれ、とは思ったものの隣に座って何気ない振りで会話を続ける。
「お互い違う部署で全然会ってなかったし年賀状くらいしか出してなかったから悪いと思ってさ。最近どうよ?」
「こっちこそあんまり顔見れなくて悪かったな。なかなかまあ、いろいろあってさ」
話していると少しばかり調子が戻ってきたように見えるものの、歯に挟まったような言い方とどこか所在なさげな様子は否めない。いろいろというのはよっぽど言いづらいことなのだろうか。
「大丈夫かお前?なんかあったのなら仕事以外でもさ、話くらいだったら俺でよかったら聞くぜ。あ、お金は貸さないけど!」
そう冗談混じりに肩を叩くと、少しばかり迷う素振りをしていたAが神妙な表情で家族の件で相談したいと切り出してきた。家に来てほしいというAの誘いに断る理由もなく、次の休みに都合をつけてAの家へ行くことになった。

A宅へ向かうとなかなか立派な新築で、噂に違わぬ仕事っぷりの成果なのだろうことが伺える。見ると、庭で奥さんらしき女性と娘なのだろう高校生ほどの女の子が仲良さげに草むしりをしている。家の手伝いをする良い娘さんだなあと感心していると、こんにちはと朗らかに挨拶してお父さんなら家の中で待ってますよと声を掛けてきてくれて。益々ちゃんとした偉い子だなあと思いつつチャイムを押すとなぜか焦った様子のAが出てきて「お、おう。来てくれてありがとう」と入るのを促してくる。
なんだってこいつは家の中でこんなにも焦っているのだろう。まあいいけどと上がろうとするも、今おかしいと思わないかと言われて面食らってしまった。なんといっても現在地は玄関だ。話を聞いてすらいない。
「今?は?なにに対して?」
「……そこに娘の靴があるんだけどさ、変な匂いしない?」
「変な匂い?」
Aいわく、娘の靴からおばあちゃんの家にある箪笥のような、言ってしまえば線香の匂いがするという。しかしどうやってもそんな匂いなんてしない。そう素直に伝えると、用事があってたまに玄関を通りがかると、ふとそんな匂いが鼻を掠めるのだという。
「庭で娘に会ったでしょ」
「ああ、会った会った。ちゃんと挨拶ができる良い娘さんじゃん。誰かさんの教育がいいのかなあ」
「……でもさ、結構距離があったかもしれないけど、わかんない?」
「は?なに、娘さんからも線香みたいな匂いすんの?」
「なんかさ大人の女性がつけるような、ちょっと昔の香水の匂いがするんだよ」
「しないよ。てか娘がそんな匂いするもんつけてたらお前の奥さんがなんか言うだろ」
そう返すも、あいつはわからないって言うんだよなあとぼやいている。来たはいいが早々に大丈夫だろうか。Aは仕事でも重要なポジションにいくつかついているらしいし、プレッシャーで神経がやられている可能性も捨てきれない。香水の匂いだって、あの年頃の女の子であればつけたりすることもあるだろう。
本気で心配していると、上がってくれと2階の奥にあるAの自室へと案内されてこう切り出された。少し前に、娘が肝試しに行ってきたのだと。
19時、20時くらいの話だったという。どこへ行くのかと尋ねると、この団地の隣くらいの距離に公団住宅があって、異常な数の猥雑な落書きがあるような場所がある。性犯罪が多発していたり小動物が殺されていたりして、周囲はある身内を薄々犯人として絞り込めるまではいったものの、圧力かなにかがあって訴えるまではいかなかったらしい。
それゆえにどんどんそこに住んでいた人間は気持ち悪がって引っ越していったのを端緒に使われなくなったその団地に、どうやら幽霊が出るのだという。まあまだ遅い時間でもないし危ないことをしちゃ駄目だよ、とだけ言ってその時は何の気なしに送り出した。
「……そして帰ってきたらさ、娘が違うんだ」
「え?違うってなに?」
「ああやって普通に俺の娘に見えるんだけど、なんかどうも違う気がするんだよ」
「彼氏でもできたんじゃないの?ああいう歳の子はそういうもんだよ」
多感な時期であれば彼氏もいるだろうし悩みのひとつもあるだろう。考えすぎなのではないかと訝るももAは違うと言い張る。
ある日寝ていると、隣にある娘の部屋から気が狂ったような笑い声が聞こえた。なんだなんだとノックして部屋へ入っていくと、肝心の娘は布団の中で身を起こしているだけで笑ってなどいなかった。こっちを不思議そうに見ているだけで、お前いま笑っていただろうと尋ねてもそんな記憶はないと。
あるいは妻と娘が寝静まった頃に帰ってきて作ってくれていた夕食をぼんやりしながら電子レンジで温めていると、庭から「良い気なものだ、本当に良い気なものだ」と声がする。怖いながらも不審者かと急いで見に行けば、娘が隣家との境の壁に向かってぼそぼそ話しかけている。良い気なものだな、なにもわからないって本当に良い気なものだな、と延々と喋っているのだ。また同じようにどうしたんだと尋ねても先ほどまでの様子がまるで嘘だったかのようになんでもないと言ってさっさと自室へ戻っていく。そんなことが事あるごとに起きてしまえば、疑念が恐怖へと変わるのは早かった。
「それというのもあの公団に行ってからなんだ。娘の友だちがカメラだか携帯だかで短い映像を撮ってたみたいなんだけど、それ見たらすげえ怖いんだよ。悪いんだけど今から一緒に見てくれるか?」
「見たくないよそんな怖いって言われたもんを……」
「頼むよ。まだ昼だからいいだろ?な?」
なんだその理屈は。なに言ってんだこいつは。まあどうせ見せられるのだろうと諦め半分でちなみにどんな映像なのかと訊くと、3階から4階へと階段を上るのだという。明るめの懐中電灯で照らしながら怖いねえ怖いねえと喋っている。ただ、映像を見ていると階数の文字盤が3階は数字表記なのに、4階はいきなりアルファベットのⅣとなっているのだ。完全に見えていて普通なら突っ込むべきところなのに、どうしてか撮影者も娘もスルーしていく。
そのままⅣ階に差し掛かると、それまでずっと喋っていた娘の声が露骨に低くなる。ともすれば男のようなのに、一緒に話している撮影者の声は変わらない。カメラの音声がおかしくなっているなら娘の声以外も変化しなくてはならないのに。
踊り場を越えてふとカメラが娘を映すと、なぜか少し背が高くなっている。見間違えたかと何度も確認してもどう見ても身長が伸びている。そんな映像なのだという。
「嫌だよ怖いよ!ていうか俺じゃなくて寺とか霊能者とかそういう方が良いんじゃねえの?」
「妻にも見せてはみたんだけど変なところはないって言うんだ。だから俺がおかしいんじゃないかって思う部分もあってさ。だからお前にも見てもらって判断したい」
渋りに渋ったが勝ちは見込めそうにもない。嫌々ながらもパソコンに動画を取り込んでいるのだというそれを再生とした時、ドアがコンコンとノックされた。あまりにもタイミングの良すぎるそれに2人で驚いていると開いたドアの先には娘が立っていて、おやつがあるのでリビングで食べませんかと誘ってくる。
そうしてふとパソコンに映し出されている映像に視線を向けて「お父さんまたあの映像見てるの?好きだねえ」といたって普通に言ってきたのがなぜだか恐ろしく感じて。断ることも出来ずリビングでお菓子を頂いていると、奥さんと娘が口を揃えてあんな映像見てばっかりで関係ない久しぶりに会った人にも見せるのはどうかと思うと言ってくる。まあそれもそうだろう。もしAの方がおかしかったとして、ずっと同じ映像を見ていたり他人にも見せようとしているのはもはや異常にも近い。
Aもさすがに女性陣にしこたま言われて気まずくなったのか、食べ終わって戻るとUSBに映像を入れるから自宅で見てほしいと言ってきた。
「えっ1人で!?今日俺、家に1人なんだけど!」
「俺もまあ散々いろんな人に見せたんだけどさ、皆もちょっとわからないっていうのが多くてさ。お前もわからなかったらそこはわからないって言ってくれたらいいから」
「…そこは素直に言うからな。それでAが言ってたみたいにならなかったら、会社の心理カウンセラーに相談しようぜ」
そのままUSBをもらって自宅へ帰ってくるも、やはり怖い。正直言えば見たくはない。せめて家に誰かしらいてほしいという気持ちはある。妻が買い物から帰ってくるのが夕方だと言っていたからそれまで待つべきか。そういえば子どもがサークルで同じくらいの時間に帰ってくるとも言っていたし、と考えていると踏ん切りがつかない。
どうしようかと悩んでいるとAからメールがきて、確認すれば映像を見たかという催促の文言が書かれてあった。あいつ、見るまで延々と送ってくるつもりじゃないだろうな。仕方ないと決心してパソコンを立ち上げ、USBから問題の映像を見てみると。

確かに階数表記は言っていた通り、数字表記からアルファベット表記になっていた。そこは間違っていなかった。しかし、この映像を撮影しているのは他でもないA自身で。Aが「××~、××~」と自分の娘の名前をずっと呼びながら、階段を上っているだけなのだ。
は?なんだこれは。話と違うではないか。予想もしていなかった事態に思わず動画を一時停止する。いやいやこれはないだろう。まさかUSBに移行するときに別にものを入れてしまったのかとAへと電話を掛ける。
「見たか?見てくれたか!?」
「いや、なんか言ってたのと違う動画が入ってたというか、お前実際あの公団に行って検証とかしたか?」
「―――なにわけわからないこと言ってんだお前!!!ちゃんと見てるのか!!?」
いきなり電話越しに怒りはじめたAの勢いの凄まじさに思わず気圧される。なぜこいつがこんなにも怒り狂っているのかがわからない。自分はそんなに変なことを言っただろうか。
「だから始まって3分45秒くらいのところ!ちゃんと見ててッ!!!」
怒鳴られるまま電話を一方的に切られてしまって。つくづく見たくはないが、しょうがない。早送りもなんとなく嫌でシークバーを適当に動かすとAが言っていた分数の付近だった。
見てみると、AはⅣ階にいて先ほどと同じように「××~、××~」と娘を呼んでいる。そこの踊り場を越えると娘の身長が伸びていたという話だったが、今のところ声は低くなったりしていない。
なんだよこれ。42秒、43秒。ああ、もうすぐあいつが言っていたところだ。44秒。そうしているうちに踊り場を上りきる。45秒。カメラがそのまま次の上階の方を向くと。先ほどまでいなかったはずの男の子が、先を走っている。

「え、」

思わず映像を止めてしまった。あの男の子は誰だ?公団にはもう誰も住んでいないはずだ。もし仕込みだったとしても出てくるタイミングがおかしい。それにあんなにも怒っていたはずのAがそんなことをするだろうか。
ぐるぐると考えていると背後から声がして。驚いて慌てて見てみると買い物から帰ってきた妻だった。あまりにも挙動不審な自分にどうしたのと問うてくる妻にこれまでの経緯を説明すれば、至極当然なリアクションが返ってくる。
「もうなにちょっと!そんなの怖いんだけど!」
「俺も怖くて怖くていま一時停止してるんだよね……」
「えー、もうなんでさあ、……あれ、これ上りきったところに誰か見えるよね?」
そんなところに気づかないでほしかった。明るさ変えれるよねと言われ嫌々ながらも調整してみると、上ったところにある部屋のドアが開いていて。そこから半分ほど身体を覗かせて誰かがこちらを見ている。髪の長い、女性だった。
どうやら流れからすると先ほど走っていた男の子はその部屋に向かっているようだった。続きを見たくないが一応、と一時停止を解除するとやはり男の子がその女性へと走っていくと同時にドアがバタンと閉まって。そしてAが閉まったドアに向かってずっと「××~、××だろ~?××~」と呼び掛け続けている。そこまででもう無理だった。
「ねえ、Aさんって大丈夫なの…?××って娘さんはこういう髪の長い子なの…?」
「全ッ然違います…。この男の子も違うし女性も違うし、この2人はまったく知らない……」
電話した方がいいんじゃないのという妻の言葉に従って電話するも、出ない。ただいまこの電話は~と留守電になってしまう。さっきはあんなに催促していたくせに、と仕方なく知っていた固定電話の方へ電話すると、すぐに出たものの「もしもし!いま立て込んでますッ!」とすぐに切られてしまった。まったく知らない人の声で。
立て込んでいる、とはいったいどういうことだろう。意味がわからない。もはやA宅まで直接行った方がいいだろうと急いで向かうと、どうしてか人だかりができている。救急車も来ているようで慌てて近寄るもAの奥さんと娘さんが血だらけで運ばれていって。
「あの、さっきここの家に電話した者なんですけれど……」
「ああ!電話出たの私です。Aさんの隣に住んでるんですけどいきなり『お父さんどうしたの!』と悲鳴が聞こえてしましてね、どうかしたのかと見に来たらAさんが2人をゴルフクラブでめった打ちにしてるんですよ。どうにかAさんを突き飛ばしたんですけど逃げちゃって、2人を救助する方が先だったのもありますし……」
絶句だった。いったいどうしてそんなことになったのか。2人は命に別状はないということだったが複数回殴打されて病院で治療ということになり、Aは行方をくらませて警察が周辺を捜索しているということだった。
警察からもAに直接会った部外者は自分だけだったということで尋問された。ここ一連の状況を話してAに精神錯乱の兆候があったのかもしれないと説明するも、警察からしてみれば到底飲み込みきれないものだっただろう。しかしそれ以外に妻と娘に加害する要因がないということで、とりあえず公団について調査してみるとのことだった。

それから1週間。Aが家族に怪我をさせた上に行方不明だということで会社は騒然となった。優秀な人材だったはずのAがいきなり凶行に及んだのだからそれもそうだろう。
日数が経って奥さんと娘もようやく喋れるようになったらしく、2人のお見舞いに向かうことにした。話を聞いてみると、やはり電話が終わってやけに激昂しているなと思ったらしい。今まではなにも映ってないと言われても「そうか、なにも映ってなかったか」という程度のリアクションで返していたのに、その日はずっとブツブツと文句を言って2階の自室へ戻っていった。
そしてしばらくしてまた電話が鳴り、Aが出たらしく「は!?それは何年も前に終わったことでしょう!!!」という声が聞こえたかと思うと、血相を変えゴルフクラブを持ち出して犯行に及んだという。妻を打ち据え、娘を滅多打ちにして「お前はそうやってあれか!いろいろネットで調べてそんなことをするのか!?」と怒鳴りながら。
そうしていると警察も病院を訪れて、「いろいろ調べてみたんですけどね、」と前置きして調査した結果を話し始めた。どうやらAはその公団出身なのだという。もうすぐ公団も取り壊されるので何度か業者も出入りしていたらしいが、最近不審者が出没する事案が発生したので監視カメラを設置していた。誰かが映ったはいいがなかなか解析できず、別の部署で相談されていたものが共有されて、それがAだと判明したとのことだった。
「どうやら公団の解体が決まった時からずっと、夜に出入りしていたみたいなんですよ」
その公団で以前あった性犯罪や動物殺しと関連性があるのかは、もはや調べることも出来ないのだという。

予定通りに公団は取り壊され、Aはいまだに見つかっていない。




※本記事はフィアー飯によるツイキャス『禍話』シリーズの「THE禍話 第11夜」より一部抜粋し、文字化のため再構成したものです。(31:55ごろから)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/570305277

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