【禍話リライト】頑張れ頑張れ

そこは一見すると2階建ての普通の家だ。しかし周辺の住民は全員引っ越してしまい、誰1人いない。住みたいと思う人間もいない。
それというのも、ある事件が起こったのが発端だった。


昭和の折、その家には子どもが1人いた。息子なのか娘なのかは誰も知れない。というのも、今でこそ然るべき施設に入院しているような有様だったがゆえにほとんど外にも出されていなかったという。町内会の催し物があれば両親はきちんと出てくるが、「うちの子どもは……」と申し訳なさそうにしていたので、子どもがいることだけはわかっていた。そしてそれは最期まで判明しなかった。某日、その子が自分の部屋である2階から飛び降りたからである。
飛び降りたと言っても2階という低階層だ。頭から落ちて身体が庭石に当たったものの、勢いと衝撃で手足が無惨に折れ曲がっただけで死ぬには至らなかった。何か所にも亘って骨は砕け、肉が落下の衝撃で弾け、どくどくと血がしとどに流れるたびに貫く激痛。それでも死ねない。故に、その子はどうしたか。
もはや腕は指先まで使い物にならず玄関を開けることは出来なかったが、居間に通じるドアをどうにか身体で押し開けて家の中に入ることは出来た。両親が仕事でいない昼間、這うようにして家の中に戻り、骨の覗く脚を動かして階段を上り、その子はもう一度自室から身を投げた。そうしてようやく死ぬことが出来たという。

都市伝説でも2回飛び降りた人の話というものは良くある。しかしこれにはなんとも後味の悪い挿話があった。
どこの世界にも昼間から酒を飲む駄目な中年男性というものはいるもので、おそらく飛び降りた後に中年男性はその家の近くを通りがかり電柱で立小便をしていた。人通りのほとんどない静かな路地で気持ちよく用を済ませていると、その家の敷地から女か男かもわからない潰れた声で「頑張れ…頑張れ……」と聞こえたという。
普通ならばそれだけで異常であるが、酩酊というものはいつだって著しく正常な判断を削ぐ。無理やり引き戸を開ける音も聞こえたが、酔っぱらった中年男性はなんだろうと思ったまま通り過ぎ、後に騒ぎになって慌てて警察へ証言したとのことだった。己を鼓舞してまで死に逝こうとした末路に、誰もかれも憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

子どもがそんな悲惨と言っても過言ではない死を遂げ、遺された家族はほどなくしてその家から引っ越していった。子どもが死んでしまった場所にいたくないという気持ちもさることながら、世間体もあったのだろう。
そんな事件もあってかその家はリフォームしても次の住人が来なかったが、いつしか夜になるとその子のだろう「頑張れ…頑張れ……」という声がするようになった。そして引き戸を開けるカラカラという音も。管理会社によってしっかりと施錠されているにも関わらず音が聞こえる。隣接する家の人間は誰もがそれを聞いてしまい、辟易した全員がそこから引っ越していった。



そこへ行ってみましょう、という話になったときには絶対に嫌だと思った。近畿地方にあるという噂だったが、なるほど調べてみるとそこは土地が悪くないわりに誰も住んでいない。今でこそ付近に大型ショッピングモールがあるというのに軒並み不動産屋の入居案内が掛かっている。そして、その中心地に問題の家がある。
噂話にも尾ひれがついているだろうしどこまで本当はわからなかったが、兎にも角にも行ってみることになった。用心のために男連中3人で”なにかあったらすぐに逃げる”と決めて。
団地の中にあるということだったので迷惑にならないよう静かにしながら車で向かうと、どこもかしこも真っ暗でやはり誰もいない。行ったのは23時頃で少し手前までは人家の明かりがあったのに、そこだけがひっそりと夜闇に紛れて存在していた。
ところどころ街頭はあるが治安の良い団地なのだろう、それほど明るくもないそれはたいしたものにもならない。それに比例して生まれる暗がりに怖さは増していくもので。さっさと車から降りて該当の家だろうそこへ近寄れば、確かに特徴には一致する。庭を覗いてみれば石が様々転がっていて、一際大きいものがある。見上げた2階から鑑みておそらくあれに落ちたのだろうと思うほどに、やけに尖った石だった。
雰囲気からしてもう怖い。けれど今のところ声も聞こえてないどころか何も起こってすらいない。嫌だなあと思いつつ、家の中は怖いのでとりあえず庭の状況を見てみようということになった。しかしやはり当時の痕跡はひとつもない。どこにも血痕もなければ幽霊もいない。そうなれば人というものは愚かにも余裕が出て慣れてくるもので、家の中に入れるんじゃないかという流れになった。
さすがにそこは管理会社がきちんとしているのではと誰もが思ったが、周りを調べてみると驚いたことに噂通りの場所から侵入できた。それというのもそこはどうも鍵がおかしくなっていて、鍵を掛けてもちゃんと閉まりきっていないのだ。
「えぇ~~……行く……?」
「いやいや行かねえだろ」
「ま、まぁ、ちょっとだけ開けて中だけ見てみようか……?」
怖々覗いてみると、真っ暗な中フローリングのある部分だけが綺麗なのが見て取れた。考えずともその意図はわかる。あれは駄目だ絶対駄目だと騒ぎながら、臆病さに負けてもう帰ろうとしていると1人が変なテンションになったらしく「なあ中へ入ってみようぜ」と言い始めた。なんだこいつ、いきなりどうしたんだ。嫌に決まってるだろと強く拒否するも当の本人はなんと2階まで行きたいと意気込んでいる。
「2階は絶対嫌だよ、おばけ出るって!」
「じゃあせめて、せめて1階部分だけでも!ちょっとだけでも!」
なぜかどうもこうにも渋るので、ならお前先に入ってなにもなかったら呼べ行ってあげるからと約束して、躊躇なく家の中へ入っていく背中を見送る。あんなキャラでもないのになあ、その場の勢いでおかしくなったのかなあと少しげんなりした気持ちでいると、そいつはドアを開けて廊下から通じる2階へと上がっていく。
「どうだー?なにもないかー?」
大声で呼び掛けてみるも、どうしてか返事がない。普通ならあるとかないとかなにかしら返答があってもいいはずだ。状況が状況だけに、疑問はすぐに不安と焦りになる。もしかしてなにかあったのではないかと。
おいおいどうしたんだ、返事せえや。そう呼び掛けながら慌てて家の中へ入り込んでドアをガチャリと開けると、そいつがなぜかすぐそこで立ち竦んでいてそのまま背中へぶつかってしまった。
「いってぇ!なんだおまえ、」
「……いやいやいや、駄目だろ……!」
反射的に文句を言いかけるも、こちらに目もくれず小声でぶつぶつとずっと独り言のように呟いている。どうやらぶつかったのもわかっていないようだった。
「え、なに、」
「あの噂は嘘だった!」
情報に嘘があったに違いないと興奮した様子で矢継ぎ早に喋るそいつにどういうことだと詰め寄ろうとした瞬間、視えてしまった。少しでも歩けば軋むであろう階段を音もなく、真っ暗で良く確認は出来ないが血であろう液体をボトボトと落としながら階段をゆっくりと上っている人間の後ろ姿が。
本当に、いた。あまりにも非現実な光景に今すぐ走って逃げ出してしまいたかった。しかし階段を上っていくそれの、どう考えても1人では上れないだろう血だらけのそれの両脇で肩を支えている”何か”が一番怖くて。


小学生くらいの背丈をした、白いパジャマを着たちいさな子ども。似たような女か男かわからないような年齢の子どもたちがひとりでは歩けないそれを「がんばれっ!がんばれっ!」と健気にも上に誘導しているのだ。


もう駄目だった。ぶつぶつと喋り続けるそいつを引っ張り、恐怖に縺れそうになる足をどうにかこうにか動かして必死に敷地外へ逃げて。そして今しがた見てしまったものに後悔する。この家で人が死んだのは確かに事実だ。後ろ姿で性別もわからなかったが、きっとあれがそうなのだろう。けれどあれは――あれは、自殺などではないのだろう。
そもそも高校生ほどの大きさの人間を、それより小さな背丈の子どもが抱えられるわけがない。それに間違いなくそこの家には3人しか住んでいなかったはずなのだ。ならば、あの2人の白い子どもたちは。
車で逃げ帰ってしばらくして。最初に入ってその現場を見ていたそいつが、我に返ったように話始めた。飛び降りた後、頑張れ頑張れって言ってまた自分で2階へ上がっていったのは嘘だと。
「だってさ、首を横に振ってたんだよ。いやだいやだって。それなのにあの子どもに無理やり頑張れ頑張れって窓に連れて行かれて落とされたとしか思えない。最初に飛び降りたのは自分の意志だったかもしれないけどさ。……それ以降は違うんじゃないかな」




※本記事はフィアー飯によるツイキャス『禍話』シリーズの「禍話 ハロウィンスペシャル」より一部抜粋し、文字化のため再構成したものです。(1:04:22ごろから)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/414558561

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