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「愛してる」って、なあに?-私たちの結論

元恋人が良く言っていた。
「僕はさくらに愛されている。」って。

どういう時にそう思うの?
と聞いてみたら、こう答えてた。
「僕がいくら不当に腹を立てて、うっかり縁を切ろうとしても、必ず僕のところに戻ってきてくれるから。」

うーん?
それ、私は愛情でやってた訳じゃないよ?笑

それは好きとか嫌いとかじゃなくて。
「ちゃんと向き合うこと」をしたかった。
それだけだよ。
逃げて終わらせるなんて。
逃げられて終わるなんて。
そんなことは、したくなかった。

「終わりにする」ってふたりで話し合って決めて、それで終わりにすることが「ちゃんと付き合う」ってことだと思ってたから。
だから、私のその行動は「愛してるから」じゃないんだよ。
ちゃんと向き合ってたから、だよ。

私があなたを「愛してる」から、してきたことは。

不安が強いから出かけるときに何度も鍵を確認するあなたや。
酔っぱらって眉をひそめるような行動をするあなたや。
変に気が小さくて突然、挙動不審になるあなたや。
自分をかっこよく見せようと虚勢を張っても、なんだか間抜けになっちゃうあなたや。
そういう、すべてのあなたの姿を。
「かわいい」って笑顔で見守ったり、一緒に面白がったり、たまに苦言を呈したり。
それでも、全てを。
あなたの全ての姿を受け入れること。

それが。
私があなたを愛してるから、してきたこと。

私が話し終わると。
彼は、なるほど。と、うなずいていた。


持論だけれども。
私にとって「愛する」ことは「受け入れる」こと。

愛する人のことは存在ごと受け入れる。
だから大切に思うし、大切に出来る。

だけど。
受け入れるにも限度がある。
私の心の器にだって限界がある。

受け入れられることと。
受け入れられないことがある。

元恋人が不倫をしていたことは。
過去の事だし受け入れた。

男女の間には他人が関与できないことがある。
もちろん私にも経験がある。
当人にしか理解できないこと。
本人たちにしか、わからないこと。
それは他人が踏み込む部分ではない。

だけど。
私は。
幼子を妻に預けて内緒で他の女とセックスするオトコのことは受け入れられない。
幼子を置いて自分勝手に遊びに行くオトコのことは受け入れられない。

なぜなら私は、それをされた側だから。
その時、私は本当に辛かったし苦しかった。

それをするオトコを許せないと思った。
そんなオトコたちを憎しみながら生きた。
その反動で、頑張れたことも、たくさんある。

理不尽な状態を受け入れたくない。
それぐらいなら、ひとりで生きる。
その気持ちが、私をここまで成長させた。

だから。
その事を反省もしてないで、楽しそうに話すオトコを、受け入れられないと思った。

そもそも。
我が子に対して恥ずかしくないのか?
幼い自分をお母さんに押し付けて他の女とセックスするようなお父さんて、自分が子どもだったら、どう思うんだろう??
って元恋人に対して思った。

思ってしまった。

それで。
もう彼のことは大切に思えない。
もう彼のことは大切にできないだろう。

だから、別れたほうがいい。

そう思うに至った。


私の希望通り。
ちゃんとふたりで話をした。

「過去のこととはいえ、僕がしたことだし、それをさくらに話したのも僕。
さくらの辛い気持ちは納得できる。
だから別れは受け入れる。
受け入れるのが愛するってことだって、さくらが前に言ってたもんね。
それに。
僕の近くにいると思い出しちゃうでしょう?
昔の辛い気持ちを。
僕の隣にいることで、さくらが苦しくなるのは、僕も辛いから。」

彼は別れを受け入れた。

それから。

友だちになってみよう。
バイクも一緒に乗りに行こう。
たまには飲みにも行こう。
ランチにも誘うかもしれない。

そう話をした。

少し離れて、少し遠い存在になれば。
愛も少し薄まって。
今は許せないと思うことも、受け入れられるかもしれない。

でも、とりあえず今は。
離れておこう。

私が彼を不用意に傷つけないために。
私の恨み辛みが少しでも和らぐように。

「友だちでいる間に、さくらがまた、僕のこと好きになってくれるかもしれないしね。」

という彼のかわいらしい言葉を聞いて。

「じゃあ、またね」
と言って。

私たちは、友だちになった。