『フロイト精神分析入門』小此木啓吾・馬場謙一 編

第1節 自己形成の道

●フロイトの幼少年時代
 フロイトは、一八五六年五月六日、当時オーストリア・ハンガリア王国に属していたモラヴィアの小さな町、フライベルク(現在チェコ領)に生れた。父のヤコブ・フロイトは、ユダヤ人の商人で、羊毛の販売に従事していた。彼は、最初の妻との間に二人の息子があったが、四〇歳の時一九歳のアマリー・ナターンゾーンと再婚した。翌年フロイトが生れたが、この頃には二人の異母兄たちはすでに成人しており、とくに長兄は結婚して小さな息子まであった。つまりフロイトは、年長の甥をもっていたことになる。この一歳年上の甥ヨハンは、フロイトの幼児期の競争相手として、あるいはまた、相手より弱いのに逆に自分の方が叔父と呼ばれる矛盾や家族関係の複雑さを体現した存在として、幼いフロイトの心の中で大きな役割を演じていた。この後フロイトには、さらに五人の妹と二人の弟たちが生れた。フロイトは生れた時、羊膜をかぶっていたが、それは将来の幸福と名声を約束する出来事と一般に信じられていた。若い母親もまたこの言い伝えを信じ、はじめての子を誇りにして深い愛情をそそいだ。この母によって与えられたゆるがぬ愛と信頼は、幼いフロイトの心に強い印象を与え、一生にわたって彼の自信の強力な支柱になった。後になって彼は書いている。「確実に母親のお気に入りになっていた人間は、一生征服者の感情と、自分は成功するのだという確信を持ち続け、それはしばしば本当の成功を引き起す原因となる」と。
 後年になってからの自己分析の中で、フロイトは、二、三歳の頃、好奇心から両親の寝室に入りこんで父親の怒りを買ったこと、寝小便を叱るのは甘い母ではなく父親だったこと、などを思い出しているが、この体験は、息子に現実の規則を教え、処罰や拒否を象徴するのは父親であるという、フロイトの考えの基礎になった。また、一歳半の時、八ヵ月になる弟が死亡したが、この弟との体験を通して、彼は独占していた母の愛と乳房を弟に奪われる嫉妬と敵意、弟の死によって敵対的な願望のかなった自責感、などを抱くにいたった。また同じ頃、母の裸体をみて、強くひきつけられるのを覚えたともいう。これらの自己体験の分析は、やがて家族内の対人関係についての深い洞察であるエディプス・コンプレックスや同胞葛藤や幼児期の性の概念などに結実していくことになる。
第2節 抵抗と抑圧

●抵抗について
 自由連想法の技術上の基本原則は、患者を静かな自己観察の状態におき、その際に心に浮んだ感情、考え、記憶などについてそれらが浮んだ順序にありのまま報告させることにある。この場合、こんな内容はあまりにも不愉快で話したくないとか、ぶしつけで先生に失礼だとか、つまらないことで病気には関係なさそうだとか、馬鹿げていて何の役にも立ちそうにないなどの取捨選択をしないで、すべてを報告するように厳命する。それが治療の効果や成否を左右することを、患者に明確に伝え了解させる。患者も、意識的には病気が治りたいと切実に思い、治療者と約束して分析治療を受けることになる。
 ところが、治療を開始すると、患者はこの基本原則からのがれようとありとあらゆろ抵抗現象を作り出す。そして、この現象はさまざまな形で全治療期間にわたって認められる。
 患者は、症状にあれほど悩み苦しみ、しかも周囲の者たちまでも巻き込んで悩ませていたのにである。そして、治るために時間やお金、苦労、努力を重ね、多くの犠牲を払ってきた患者が、逆に治りたがらずに治療者や治療そのものに対して抵抗するのである。これは不合理で不思議なことなのだけれども、似たようなものとして、耐えがたい歯の痛みで歯科医のところへ行き、いざ医者が痛む歯を治療しようとして鉗子を近づけようとすると、誰でもその腕にしがみついたり、顔をそむけたりする現象を思い出せば理解されるのではないだろうか。

●抵抗の具体的な現象
 では、どのような形で抵抗現象は現れるのであろうか。フロイトは、とくに三種類の現象について説明している。それは、①「何も思いつかない」とか「話すことはなくなりました」とか「つまらないことばかりが浮んで来ます」などと言って沈黙が続く場合である。そして「こんなに思いつかないのは恥しい」と言訳したり、「関係ないことばっかり浮んで来るので報告しなかった」と主張したり、「自分の私的なことなので先生に報告する必要はないと思った」と理由は次から次へと際限がないのであるが、いずれにせよこのすべてを語るという原則は精神分析を受ける患者が、たとえどんな立場、どんな状況にいる者であっても例外は認められず、全員が従わなければならない神聖な原則である。
 フロイトは、かつて一度だけその例外を認めたことがある。それは、客観的にみても能力が高く、人々から認められ尊敬されているある男性を分析した際、その男性は、職務上特定な事柄については口外してはならないと宣誓していたために、その事柄について話さなくても良いことにした。本人は治療は大変に効果的であったと満足したが、フロイトは、こういう条件のもとではもう二度と分析を繰り返すまいと決心したのである。では、どのようにすれば、すべてを語れるようになるかといえば、「要するに断固たる決意と忍耐をもってすれば抵抗を解決して、技術上の基本規則にある程度服従させることができる」のである。
 そして、このように話せるようになっても抵抗は他の領域に移っていく。それは、②知的抵抗の形をとって現れる場合がある。この知的抵抗というのは、患者が精神分析についていろいろと質問をしたり、治療者の論証に反論を試みることをいう。この場合、ごく一般的常識的な既成の考え方から発想し、その点に関しては妥当性があり正当なのだけれども、全然、分析的な見解を理解せずに、分析上の諸学説にみられるむずかしい点や本当らしからぬ点を捉えて疑問や批判を向ける。この時の患者の意図は、治療者にこの質問や反論に対する回答を求めているのだが、このような患者の知識欲も、抵抗と認めこれを拒絶しなければならない。あるいは、患者は治療者に言われたとおりにスラスラとよどみなく連想を喋り、治療者の解釈も素直に受け容れ、どんどん分析が進み、病気の謎もしだいに明らかになっていくが、実際上は、症候に何ら変化も改善も生じてこない場合がある。この現象は、患者は知的には病気や症候についてのメカニズムの理解や知識はもてるようになったが、むしろ感情の中では、信じられない、こんなことは真実ではない、自分の病気とは何らかかわりがないなどの不信感や否定感が強い。
 しばしば、このような現象は、強迫神経症の患者を治療している際に経験されることが多く、これは、強迫神経症患者の特徴である過度の良心と疑惑の強さに関連したものとして考えられる。
 ③三番目に考えられる抵抗の形として、感情転移が抵抗にもなる場合がある。これは、患者が過去に重要な意味をもつある対象に向けた感情や態度を治療者に対して反復する。たとえば、男性患者の場合、治療状況の中で治療者を父親と見たてて、実際の父親と自分との関係で惹き起された競争心や対抗感情、自立心などを治療者に向ける。その結果、あたかも治療を失敗させたり、治療者の無力さを痛感させようとの意図があるかのような印象を患者はさまざまなところで与える。女性患者の場合は、治療者に優しいエロティックな感情を向け、これを抵抗の目的に利用することがある。この感情が、ある高さに達すると、現在の治療状況に対するあらゆる関心も、分析治療を受ける際に約束したあらゆる治療契約上の義務も遂行しなくなる。そこで治療者が、患者の申出をことわり、基本原則に従うようにうながすと、患者はそれに腹を立てて、そのために治療者との個人的な信頼感や治療同盟がだめになってしまい、分析の推進力が損われてしまう。
第8節 分析的地用の実際

〔…〕

●治癒のメカニズム
 最後に、治癒のメカニズムについて述べてきたことを、リビドー理論の公式にあてはめて整理してみる。神経症患者は、生活を楽しむこともできず、仕事の能力も低くなりがちである。生活を楽しむことができないのは、そのリピドーがどんな現実の対象にも向けられていないからであり、仕事の能力がないのは、リビドーを抑圧された状態に維持し、リビドーの突出を防ぐために、その他のエネルギーをおびただしく消費しなければならないからである。神経症患者は、その自我とリビドーとの間の葛藤が終りを告げ、自我がリビドーを再び意のままに支配できるようになった時に、健康を回復したといえる。つまり、精神分析における治療の課題は、自我の手の届かない現在の束縛からリビドーを解き放し、リビドーを再び自我につかえるものとする点にある。さて、神経症患者のリビドーはどこに潜んでいるだろうか。それは、目下ただ一つ可能な代理満足をリビドーに与えている症状に結びついている。そのため、医師は症状を制御し解消させる必要があるわけで、それはまた患者が医師に要求するものにほかならないことである。症状を解消させるためには、症状の発生にまでさかのぼり、症状を生じさせた葛藤を復活させ、その当時は自由にならなかった推進力の助けを借りて、その葛藤を別の結末に導くことが必要になる。このような抑圧過程の修正は、抑圧に導いた諸過程の記憶痕跡について、ただ部分的に行なわれるにすぎない。作業の決定的な部分は、医師に対する関係の中で、つまり転移の中でなしとげられる。すべてのリビドーは、医師に対する一つの関係の上に集中されるにつれ、症状からリピドーは撤退する。すなわち、患者の本来の病気のかわりに、転移という人為的に作られた病気(転移神経症)が現れ、種々の非現実的なリビドー対象の代りに、医師というこれまた空想的な対象が現れる。しかし、この対象をめぐる新しい戦いは、医師によって与えられる解釈の助けをかりて、正常の心的葛養として経過することになる。医師の十分な解釈により、新しい抑圧を形成せずに、自我とリビドーの間の疎隔関係は終止符を打ち、人格の心的統一は再び回復されることになる。
 以上述べてきたことをまとめると、精神分析の治療作業は二つの段階に分けられる。第一の段階では、すべてのリビドーが症状から転移の中に押しこめられ、そこに集中され、第二の段階では、この新しい対象をめぐる戦いが遂行されて、リビドーはその対象から解き放たれる。リピドーが医師という仮の対象から分離されると、リビドーは以前の対象にもどっていくことはできず、自我によって自由に支配されることになる。
 すなわち、分析療法によって医師との関係の中で正常となり、抑圧された衝動興奮(リビドー)の作用から自由になった人間は、医師から離れていった暁にも、その個人生活はそのまま正常かつ自由であり続けるのである。
第9節 フロイトの基本的治療態度と人間観

 フロイトは一八九〇年代に精神分析療法を創始してから、二、三の例外を除いて終生おとなの神経症者の治療を行なってきた。その体験の中で、治療者としてのあるべき姿、とるべき態度を見出してきた。そして、このフロイトの述べた基本的治療態度の中にこそ、人間の「こころ」という未知の領域の探求に苦闘した科学者フロイトの人間観をうかがい知ることができる。

●医師としての分別
 小此木啓吾はフロイトの述べている治療態度の核心は「医師としての分別」というフロイト自身の言葉によってまとめることができるという。とかく精神療法というと、人間的な愛情ややさしさを惜しみなく与えることが大切であると考えられがちである。ところがフロイトは、このような人間観、治療観とはっきり対立して、精神療法における治療関係を、徹底した合理主義、個人主義にうらうちされた職業的な役割関係と考えた。そもそも「分別」という原語には「秘密を守ること」「慎重」「思慮」などの意味が含まれている。フロイトはこの事柄に関して、次のように述べている。「救いを求めてわれわれの手にゆだねられる患者を、われわれの私有物にしてしまい、彼の運命を彼にかわって作り出し、われわれの理想をおしつけ、造物主の高慢さを持って自身の気にいるようにわれわれの似姿に彼らを仕立てあげるというようなことを、断固として拒否する。……ここにこそ『医師としての分別』を用いるべき場所があり、これを越えては医師としての関係以外の関係にはいってゆくことにならざるを得ない」と。そして「患者は、われわれ分析医との類似模倣を目標とするのではなく、彼自身の本質の解放と完成へ向って教育されればなりません」と述べ、職業的役割関係とともに徹底的に患者の「個」としての価値を重視した。さて、この事柄に関連してフロイトの治療態度の特徴であると同時に、精神療法全般への貢献と考えられるものに、患者との対話的協力があげられる。

●対話的協力
 先に述べたようにフロイトは、患者の「個」としての価値を重視した。つまり患者を治療者が患者の精神について得た知見の伝達に対して、肯定または否定という主体的な反応を行なう可能性をもつものと考えたのである。そして、個としての治療者、個としての患者という二人の相互主体的な営みが、精神療法過程であると考えた。この点がフロイト以前にも存在していた権威的な暗示、説得や魔術的な催眠と根本的に区別される点である。
 さて、それではフロイトはこのような治療観を、実際の治療関係の中で具現化していくために、どのような点に留意したのであろうか。

●禁欲規則
 通常、治療が開始されると思者は治療者を長年の自分の苦悩をすぐにでもとり除いてくれる万能者のように思いがちである。それに対して治療者も、ともすれば自分に向けられたそのようなイメージに呼応して、自分があたかも万能者であるかのようにふるまいたくなってしまうことがある。フロイトは「分析療法は、それが可能である限り節制、禁欲のうちに行なわれなければならない」と述べている。これが精神分析療法における「禁欲規則」と呼ばれるものである。ここでいう禁欲とは、いかなる満足をも味わわないという意味ではない。それは罹病や治癒の力動に密接に関連しているものである。すなわち「欲求満足の挫折」こそが神経症発症の原因と考えたフロイトは、その挫折した満足を患者が治療中に治療者を介して得ることを厳しくいましめたのである。フロイトは「われわれは、患者の病苦を治療への原動力としての効果を保つために、ある程度迄あまり早く解決し過ぎてしまわないように配慮しなければなりません」と述べている。ところで、この禁欲規則は患者側にだけ課せられるものではなく、治療者自身にも課せられるものである。

●分析医の中立性
 「分析医の中立性」とは、価値観をめぐる中立性でもある。治療者はみずからの宗教的・倫理的・社会的価値観を患者におしつけたり、あるいは患者を感化する教育的・暗示的働きかけはいっさい慎むべきである。もし、そのような誘惑を感じたとしても「絶対にそれは、精神分析的な治療関係における自分の責務ではないこと、いや、むしろこのような傾向によって分析医が引きずられるようなことがあれば、それは、分析医としての自分の責務に対して不忠実であるとのそしりを免れることができないことを銘記すべきである」。分析医が「中立性」という社会的・職業的役割の限界を越えて、患者の価値決定に関与するということは、分析医そっくりのマネキン人形を造りあげることになるし、患者が過去にみたされなかった両親への依存性(甘え)を新たに治療者によって満足させられ、その中に安住してしまい、患者自身の本質の解放という治療目標をそこなうことになってしまう。フロイトは、具体的には治療者自身の理念、先入観で治療を進めたり、治療的な野心をもったり、患者の連想内容の特定の部分にとくに関心を示したりすることをいましめている。このようにフロイトは、治療者、患者双方に厳しく「禁欲規則」を課し、治療中に言語によらないで行動で欲求を表現すること(これを「行動化」と呼ぶ)を抑制し、それらをすべて言語によって表現し、洞察させていく態度を厳守した。

●フロイトの人間観
 以上、フロイトの精神分析療法における基本的治療態度を述べた。実は、このような治療態度は、彼自身の「科学的世界観」にその基礎を見出すことができるし、ひいてはその根底には、フロイトの人間観をかいまみることができる。
 フロイトが精神分析を開始した一九世紀末の西欧社会は、自然科学的認識論が優勢な時代であった。すなわち、「真なる認識は機械的数量的認識あるのみ」という考えであり、生体のはたらきを物理学や化学における力やエネルギーの変化から理解しようとする考えであった。このような認識論のうえに、学者としての経歴を生理学の研究から出発したフロイトも、当然なことながら、その強い影響を受けていた。それ故にフロイトは、本来、きわめて精神的、主観的である「こころ」のはたらきに対しても、このような自然科学的認識論で理論構成していったのである。フロイトにとっては「知ることを恐れるな」がモットーであったし、真理に対する強烈な情熱、理性に対する決して妥協をゆるさない誠実で厳密な態度こそが、最も重要なことであった。そして、フロイトにとっては理性だけが人間を人間としてあらしめるものであり、無意識的な幻想に頼らず、本能的、衝動的な力の拘束から自由になるための唯一の手段であり武器であった。いかなる価値観からも自由であり、個としての強力な自我と理性を保つ、真に主体的な自立の精神こそがフロイトが理想とした人間像であり、彼自身の人間観であった。最後にフロイトの次の記述をあげておこう。「現在知り得ることを越え出ない分別、その限界を越え出て思考の全能を夢みる越権への戒め、いかなる既成の価値観に対しても確固たる自己を保つ目ざめた批判精神……。このような消極的な批判的態度にたえられない人々は自由に幻想を持ち、その為に身をかけるがよい。……イデオロギーや世界観に対する人間の要求は感情的なものであり、幻想つまり(本能的)願望興奮とみなしてさしつかえない」。フロイトの精神分析が求めるものは終始このような意志と知性による超克である。そしてフロイト自身の人間観もまたここに明確に示されているのである。

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