【ボツ】ぼくのかんがえたさいきょうの哲学・宗教・文学bot のテキストデータ


ウィトゲンシュタイン

もし私が「pという事態が成立しているのは、善いことだ」と語るなら、その場合、このことはまさにそれ自身において善くなければならない。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1914.9.21)

1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であって、ものの総体ではない。
1.11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって規定されている。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

6.32 因果法則は法則ではなく法則の形式である。
6.36 因果法則がもし存在するとすれば、「自然法則が存在する」ということにもなりえよう。だがもとより人はそれを語ることができない。それは自らを示すのである。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

6.371 近代のすべての世界観の根底に、いわゆる自然法則は自然現象の説明であるという幻想が横たわっている。
6.372 こうして、古代の人々が神と運命の前でそうしたように、人々は自然法則を何か侵すべからざるものとして、その地点で立ち止まる。
そしてむろん、両者とも正しく、また、両者ともまちがっている。しかし、現代の体系ではあたかもすべてが説明済であるかのように思われているのに対し、古代の人々はそこにはっきりとした限界を認めていた。その分、古代の人々の方がより明晰であった。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

哲学の正しい方法は本来こうだろう。述べられ得ること以外は、したがって、自然科学の諸文以外は何も述べないこと、そして、他人が何か形而上学的なことを言おうとしたら、彼がそうした文における或る種の記号に何の意義も与えてはいなかったことを明らかにしてみせること。
この方法はその者には満足がいかないことだろう──彼は我々が彼に哲学を教えているという感じをもたないことだろう──が、しかし、これが唯一厳正な方法だろう。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.53)

6.54 私を理解する人は、私の命題を通り抜け──その上に立ち──それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、ハシゴをのぼりきった者はハシゴを投げ棄てねばならない。) 私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。
仮説は、建物の前に組まれる足場である。建物ができあがれば、取り払われる。足場は労働者にとってはどうしても必要なものであるが、ただ、それを建物自体と考えてはならない。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

7 語り得ないことについては、人は沈黙しなければならない。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

僕は心の中で何度も、自分に向ってトルストイの言葉を繰り返し言い聞かせている。「人間は肉において無力だが、霊を通して自由だ」。どうか、僕の中に霊がありますように!
(ウィトゲンシュタイン 秘密の日記 1914.9.12)

いくばくかの勇気なしには一度たりとも人は自分自身に関するまともな考察を書くことはできない。私は時に思う、自分は一種の精神的な便秘を患っている。それともこれは腹の中に実はもう何もないのに吐き出したいと感じる時のような幻想に過ぎないのか?
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.4.26)

私は何度も、あたかも自分の中に何か塊のようなものがあり、それが柔らかくなりそうになると私を泣かせたり、あるいは私がそのときにふさわしい言葉(あるいはひょっとするとメロディーですら)を見出すのであるかのように感じる。
しかしこの何か(それは心なのか?)は私の中で革のような手触りがして、柔らかくはならないのだ。それともただ私が臆病で、体温を十分に上げられないだけなのか?
折れるにはあまりにも弱すぎるという人間が存在する。私もその一人だ。
私の中でおそらくいつか壊れそうで、そして時としてそれが壊れるのではないかと恐れる唯一のもの、それは私の理性である。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.4.26)

自分が成し遂げてみたい最高のことは、旋律の作曲だろうとしばしば思う。というか、旋律を作ろうとしても自分にはひとつたりとも浮かんでこないことが私には驚きなのだ。しかしそれに加えて私はこう言わなければならない、私に旋律が浮かぶなどというのは多分決して起こりえない、
なぜなら、まさにそれにとって本質的な何かが、あるいは本質的なるものが私には欠けているのだから、と。旋律を生み出すことがかくも高い理想として私に浮かんでくるのは、そのとき自分の生をいわば要約できるだろうからであり、結晶化できるだろうからである。
そしてたとえそれが小さなみすぼらしい結晶にすぎなかったとしても、それはやはり結晶なのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.4.28)

私には何かがはっきりするまで異常なほど長い間かかる──これはいろんな分野に当てはまる。たとえば他人との関係も、いつも長い時間たって初めてはっきりする。それはちょうど大きな霧の塊がゆっくりと消えて、対象そのものが見えるのに恐ろしく長い時間がかかるようなものだ。
しかしその間私は一度たりとも自分の不明瞭さを完全に意識するということはない。そして突然、事が本当はどうなっているのか、あるいは、いたのかが見える。それゆえ途中ですばやい決断をしなければならないような場合には、おそらく私はまったく役に立たない。
いわば私は、しばらくの間目がくらんでいて、それから初めて目から鱗が落ちるという人間なのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.1)

講義で聴衆の機嫌をとるために、私はしばしばちょっと面白い言い回しを使う。進んで私に耳を傾けてくれるように、聴衆を喜ばせようとするのだ。これは確かに悪いことだ。
自分がしていることの成功や価値がどれほど自分の素質に依存しているかを考えて、しばしば私は悩む。コンサートの歌手以上に悩む。いわば私の中には何も蓄積されておらず、ほとんどすべてが瞬時に生み出されなければならないのだ。思うに、これはきわめて異常な種類の活動あるいは人生である。
自分がきわめて弱いため、私は並外れて他人の意見に左右される。少なくとも行動に際してはそうだ。自分を持ち直すだけの十分な時間があるのでない限り。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.2)

虚栄心を捨て去りたい、と私が言うとき、またもやそれを単なる虚栄心から言おうとしているのでないとは言い切れない。私は虚栄心が強い。そして私の虚栄心が強い限り、より善くなりたいという私の願望も虚栄心に満ちている。そんなとき私は、
自分の気に入っている虚栄心のない過去の誰々のようになりたいと思うのだが、すでに心の中で虚栄心を「捨て去る」ことから得られそうな利益を計算しているのだ。舞台に立っている限り、何をしようとも人は役者にすぎないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.15)

私にできる最良のこととは、言ってみれば虚栄心を切り離し、孤立させ、虚栄心が常に見つめていてもそれを無視して正しいことを行うことだ。虚栄心を追い払うことは私にはできない。時にそれが不在となるだけだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.2)

ある点で私はとても現代的な人間に違いない。というのも映画が私に異常に快く作用するからである。私にはアメリカ映画ほど適切な精神的休息を想像することはできない。見るものと音楽が、多分幼児的な意味での、だからといって決して弱くはない幸福な感覚を与えるのだ。
私がしばしば考えたり、述べたりしているように、総じて映画とは夢に良く似たものであり、フロイトの思想を直接適用できる。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)

私の自己認識の仕方は次のようなものである。いくつかのベールが私を覆っている場合、まだ私ははっきりと見ることができる、つまりベールを。
しかしそのベールが取り除かれ、自分の視線をもっと自分に近づけられるようになると、自分の像が自分にとってぼやけ始めるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)

一つの発見は偉大でも卑小でもない。それが我々に何を意味するのかが問題なのだ。
我々はコペルニクスの発見に何か偉大なものを見る。それはその時代にとってその発見が大きな意味を持っていたことを我々が知っているからであり、おそらくはそれに加えてその意味の残響が我々にまで届いているからだ。
そして類推によって我々は今、アインシュタインの発見、等も少なくとも同じくらいに偉大なものだと推定する。しかしそれらは、大きな実践的価値を持ち多面的な興味を引くとしても(象徴的な)意味を持つ度合いに応じてのみ偉大なのである。それゆえ当然のことながら、事は──例えば──英雄的精神
についてと同じなのである。正当にも、古い時代の闘いは英雄的行為と賞賛される。しかしながら、それと同じくらい困難な、あるいはもっと困難な今日の闘いが、純粋なスポーツであって英雄的行為と呼ぶにはふさわしくない、ということが十分にありうる。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)

(新しいページを始められるのは、いつもうれしい。)
私は考える、いつかもう一度R.[マルガリート]を抱擁し、口づけできるだろうか? そして、それが起こらないという覚悟もし、それに甘んじられるのでなければならない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)

スタイルとは普遍的な人間の必然性の表現である。これは文章のスタイルにも建築のスタイルにも(そして他のすべてのスタイルに)当てはまる。
スタイルとは永遠の相の下で見られた普遍的必然性である。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)

私はR.[マルガリート・レスピンガー]に夢中だ。もちろんずいぶん前からそうなのだが、とりわけ今激しく夢中なのだ。けれども、十中八九絶望的だということはわかっている。つまり、いつ何時彼女が婚約し、結婚するかもしれない、という覚悟を私はしなければならないのだ。そしてそれが私にとって
きわめて大きな苦痛になろうことはわかっている。だから、いつか切れてしまうことがわかっているこの紐に自分の全体重をかけるべきでない、ということもわかっている。つまり私は両足で大地にしっかりと立ち続け、紐はただつかむだけにしておき、それにぶら下がるべきではない。でもこれが難しいのだ。
愛をつかみながら、そして愛にはつかまれないように無私に愛することは難しい。──うまく行かなくなったとき、それを負けゲームと見なす必要がなく、「心構えはできていた、それでも事は申し分ない」と言えるように愛することは難しい。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)

私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり言ってみれば私が自分特有のスタイルで埋めた箇所も含まれている。この本のどれだけがそうした箇所なのか私にはわからないし、今それを公正に見積もるのも困難である。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.16)

睡眠と精神的仕事は多くの点で互いに対応している。明らかにこれは、どちらにも注意を一定の物事からそらすということが含まれているからだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.11.16)

私の人生には、自分が他人よりずっと頭がいいという事実の上に自分の人生を築こうとする傾向がある。しかし自分がそれほどには他人より頭がよくないのではないかと見まわしてみてこの想定が壊れそうになる時、その時初めてこの想定が正しいにもかかわらず、あるいは正しいとしても、
これがどれほど誤った基礎なのかに気づく。ともかく他の人間が皆自分と同じくらい頭がよいという想像をしなくてはならない、と自分に言う時、それによって私はいわば生まれつきの長所、親譲りの財産を放棄しているのだ。──それでは善意のみでどこまで行くのか見ようじゃないか、自分にこう言うとき、
私は自分の卑小さを意識してしまうのだ。
それとも私は次のように言うべきか、自分の中にあって、ある性格の標識と見なしたがるものの中のどれだけ多くが、単なるみすぼらしい才能の結果に過ぎないことか! と。
これはほとんど次のようなことだ。ある男が自分の軍服の勇敢勲章を見て、「俺はまったく勇敢な男だ」と言うが、やがて多くの人間に同じ勲章を見つけて、これは勇敢さの報酬ではなく、ある特定の技能の認証なのだ、と自分に言わなければならなくなる。
自分が師匠だと感じたい場所で、繰り返し自分は生徒だと思ってしまう。
自分はものをたくさん知っていると思っていたが、他人と比べると何も知らないことに気づく生徒のように。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.1.16)

パンとゲーム、ただし数学や物理学でさえゲームであるという意味でもゲームも含めて。サッカー場におけるのと同様、芸術や実験室においても、人々の精神が現れるのは常にゲームにおいてである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.13)

人は乏しい食料に胃袋を慣れされることはできても、それに体を慣れさせることはできない。胃袋がもはや何の異議申し立てもせず、それどころかさらなる食料を拒否するまでに、すでに至っている場合でも、体は栄養不足に苦しんでいるのである。同じことが好意や感謝といった気持ちの動きを
表出することについてもいえる。以前はなんでもなかったことにも尻込みするようになるまで、これらの気持ちの表出を人為的にせき止めようと思えばできるだろう。しかしその場合も、魂の他の組織は栄養不足に苦しんでいるのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.14)

私は、大小のあらゆる可能な浅ましさを、自分自身それを経験したことがあるため知っている。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.19)

当たり前の道徳律に私は興味を持たない。少なくとも他のどんな自然法則に対するほどの興味も持っていない、そしてある人間が道徳律を破る理由のほうにより興味を持っている。道徳律が当たり前である場合、私はその侵犯を擁護したくなるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.22)

ハーマンやキルケゴールといった書き手とのつきあいは編集者を思い上がらせる。[アンゲルス・シレジウスの]『ケルビムのさすらい人』の編集者は決してそうした誘惑を感じないだろう、ましてやアウグスティヌスの『告白』やルターの著作の編集者ならなおさらである。
多分書き手のアイロニーが読者を思い上がらせがちになる、ということだろう。
そしておよそこういうことだ、彼らは自分が何も知らないことを知っていると言う、しかしこの知識について彼らは驚くほど思い上がっているのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.22)

悲劇に感動するとき(例えば映画で)私はいつも自分で、ちがう、僕ならそうはしない、とか、ちがう、こんな風になるべきじゃない、と言う。ヒーローとすべての者たちを慰めたくなるのだ。しかしこれは私が出来事を悲劇として理解していないということである。
それゆえ同様に私には(初歩的な意味での)ハッピーエンドしか分からない。ヒーローの転落というのは私には理解──心の底からは──できない。つまりもともと私はいつもメルヘンが聞きたいのだ。(映画が好きなのもこうした理由からである)そしてそこで私はいつも感動し、思考に動かされるのである。
すなわち、恐ろしく出来が悪くさえなければ、映画はいつも私に思考と感情の材料を提供してくれるのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)

「これは善い、神がそのように命じたのだから」、これは無根拠性の正しい表現である。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)

スピノザからのあの引用中の「知恵」という言葉について考える。私にはそれが、現実にあるがままの本当の彼[スピノザ]という人間がその背後に隠れる(自分から隠れる、と言いたいのだ)、ある究極的には空しいもののように思われた(そして今も思われる)。
お前が何なのかを暴き出せ。
例えば、私は了見の狭い嘘つきな小人だ、しかし偉大な事物について語ることができる。
そしてそれらについて語っている間は、自分が自分の了見の狭さから完全に切り離されているように思える。しかしまったく切り離されてなどいない。
自己認議と謙虚とは一つのことだ。(これらは安っぱい考察だ。)
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.12)

私は哲学をする際の自分の思考の動き方にいささかほれ込んでいる。(そして多分私はこの「いささか」という語を省くべきである。)
ついでに言えば、これは私が自分の文体にほれ込んいるということではない。私ははそのようなことはない。
ものは、 それが現実に真剣である程度においてのみ真剣なのである。
多くの人が自分の話すのを喜んで聞くように、私は自分が書くのを喜んで聞く、多分そういうことなのか?
何か考えがお前に浮かぶというのは天の贈り物である。しかし問題は、それを用いてお前が何をするかだ。
もちろんのことだが、正当にも、こうした素晴らしい教訓もまた、それに倣ってお前が行動する一つの行為なのだ。(前の命題で私はクラウスについて考えていた。)
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.13)

お前自身を認識せよ、そうすれば自分が繰り返しあらゆる仕方で哀れな罪びとであることが分かるだろう。しかし私は、決して自分が罪びとでありたくないと思い、あらゆる方法で逃れようとする(この判定から逃れるための扉としてすべてを用いる)。
私の正直さはいつもある特定の地点で行き詰まってしまう!
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.13)

自分の思考(哲学的思考)に対する喜びとは、私自身の奇妙な生に対する喜びである。これは生きる喜びなのか。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.24)

蚊(の群れ)と闘わなければならない(に抵抗しなければならない)者にとって、何匹かを追い払ったということは重要なことである。しかしそれは蚊と何のかかわりもない者にとって何の重要性もないことである。哲学的諸問題を解決するとき私は、あたかも自分が全人類にとってこの上なく重要なことを
成し遂げたかのような感覚を持つ。問題が自分にとってこのように並外れて重要であるように思われるのは(あるいは、自分にとってこのように重要であるのは、と言うべきか)、自分がそれらの問題に悩まされているからだとは考えない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.7)

他よりもむき出しのままで、無からこの世を経て地獄へと赴く魂は、衣服をまとった市民的な魂よりも大きな印象を世界に残す。
マルガリートが忠実であり続けられるのは彼女の隠れ家としての私に対してのみである。誰か別の男に惚れることがあるとしても、彼女はそうすることができるし、
そうすべきなのだ。その時、彼女の何に対して私が権利を持っているのかが明らかとなるだろう。私は、彼女の隠れ家としての私に忠実であるよう彼女を説得できる。それ以外のすべては、彼女の現在の窮地を食い物にすることだろう。
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)

良心は私に、自分自身が惨めな人間であるということ、弱いということ、つまり苦しもうとはしないこと、そして臆病であり、他人に、例えばホテルのポーターやボーイに悪い印象を与えることを恐れていること、そして淫らであることを示している。だが臆病さに対する非難が一番強く感じられる。
しかし臆病さの背後にあるのは思いやりのなさ(と他人を見下すこと)である。しかし私が今経験している恥辱も、自分の外的な敗北を真理の敗北以上に強く感じている限りは、なんら善きものではない。私の自尊心と虚栄心が傷ついているのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.27)

旅行中に、自分に非常に特徴的な次の現象を観察できる。私は人間を、彼らの外見や態度から特別な印象を受けない限り、自分自身より劣ったものと評価する。つまり私は彼らに対して「平凡な」とか「大衆の一人」といった言葉を使う傾向がある。多分私はそうは言わないだろう、
しかし彼らを最初に見るまなざしがそう語っているのである。このまなざしにすでに判断が含まれているのだ。まったく無根拠で不当な判断が。いうまでもなくこうした判断は、たとえもっと親しくなった結果として、ある人がきわめて平凡、つまり皮相だと判明したとしても不当なものである。
もちろん私は多くの点で普通ではなく、その意味で多くの人は私に比べると平凡だ。しかし私の非凡さは一体どこにあるというのか?
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.27)

自分の理性のバランスが極めて不安定であるように感じる。平衡を乱すちょっとした衝撃が加わるだけで、ぱちんと壊れてしまいそうな気がする。それはちょうど、泣き出しそうになるのを、今にもどっと泣き崩れそうになるのを、時折感じるのに似ている。
そんなときは緊張が解けるまで、静かに、規則正しく、そして深く呼吸すべきである。そして神が欲するなら、ことは収まるだろう。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.31)

《私に告白させてください。自分にとってつらい一日が終わった後、今日の夕食において私はひざまずき、祈りました、そして突然ひざまずいたままで上を見ながら、「ここには誰もいません」と言いました。その時、あたかも自分にとって大切なことがはっきりとしたかのように気分がよくなりました。
しかしこれが本当に何を意味するのか、私にはまだ分からない。自分がより軽くなったように感じる。しかしそれは、例えば、自分がそれまでは間違っていた、ということを意味するのではない。》というのも、もしそれが間違いだったのなら、それに舞い戻ることから何が私を守るというのか?!
それゆえここでは間違いも間違いの克服も問題とはならない。そしてこれを病気と呼ぶなら、克服はまたもや問題とならない。というのも病気はいつ何時私を再び打ち負かすかも知れないからである。
《というのも、この言葉も自分の欲するその時に私が述べたのではなく、言葉が来たのである。そしてこの言第が来たように、何か違った言葉が来るかもしれないのである。──「お前がよく死ねる、そのように生きよ!」》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.19)

ペーター・シュレミールの物語は、私にはこんな内容だと思える。彼はお金のために、魂を悪魔に譲り渡す。それからそのことを後悔すると、こんどは悪魔から、魂の身代金として影を要求される。
ペーター・シュレミールに残されたのは、二者択一だ。魂を悪魔にプレゼントしてしまうか。それとも影を渡すことによって、世間での普通の暮らしをあきらめるか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.8.11)

自分はペーター・シュレミールの一種だと、あるいは、であるべきだと繰り返し思う。そしてこの名前が「不運なやつ」と同義なのであれば、その意味するのは、彼は外的な不幸を通じて幸福になるべきだ、ということである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.10.7)

《自分がまったく卑劣になりませんように、そして気がおかしくなリませんように! 神が私を哀れみますように!》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.28)

人間が自分の人生の全行為においてまったく霊感に導かれるというのは可能だと私は信じる。そして今私は、これが最高の人生だと信じなければならない。仮にもし欲するなら、もしその勇気があるなら、自分にこうした人生が可能だろうということを私は知っている。
しかし私にその勇気はなく、そのことが自分を死ぬまで、すなわち、永遠に不幸にはしないことを願わなければならない。
私がこれらすべてを書いている間、 苦脳と惨めな感覚が何とか浄化しますように!
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.21)

今私は心が不確かな時、頻繁に、「ここには誰もいない」と自分に向かって言い、自分の周りを見渡している。だけどこれが私の中で卑劣なものになりませんように!
「お前の宗教にあって卑屈になるな!」と自分に言うべきだと信じる。あるいは、ならないよう努めよ、と。というのも卑屈であるとは迷信への道を歩むことだから。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.22)

かつて自分が誤った場所に書き記した哲学的考察を私は何度も書き写すことがある。それらは元の場所では仕事ができないのた! それらは自分の仕事が十分にできる場所に居なければならないのだ!
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.6)

ある時お前は言う、「神が世界を創造した」と。そしてある時お前は言う、「この人は――神だ」と。とはいえお前は、この人が世界を創造した、と言いたいのではない。それでもここにはある統一性があるのだ。
私たちは神について、二つの異なった表象を持っている。あるいは、私たちには二つの異なった表象があり、そのいずれにも神という言葉を用いるのだ。
もしお前が神の摂理というものを信じているのなら、つまり、起こることはすべて神の意思によってのみ起こる、と信じているのなら、
神である一人の人がこの世に来た、というこの最も偉大な出来事も、神の意思によって起こったと当然信じなければならないのだ。だとするなら、この事実はお前にとって「決定的な意味」を持たなければならないのではないか? 私が言いたいのは、その場合それはお前の人生に対してある帰結をもたらし、
お前に何らかの義務を負わすのではないか、ということである。私が言いたいのは、お前はその人と倫理的な関係に入らなければならないのではないかということなのである。というのも確かにお前は、自分には父と母がいて、彼らなくしては生まれてこなかった、
ということにより様々な義務を負っているからである。それゆえお前は、あの事実によってもまた、そしてあの事実に対して様々な義務を負っているのではないか?
だが私はそうした義務を感じているのか? 私の信仰は弱すぎる。
神の摂理に対する私の信仰が、「すべては神の意思により起こる」という私の感覚が弱すぎる、と私は言いたいのだ。そしてこれは見解ではない――確信でもない、それは事物と出来事に対するある態度なのだ。《私がうわついてしまいませんように!》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.15)

自分自身を認識するというのは恐ろしいことである、というのも人は同時に生きた要求を認識し、自分がそれに及ばないことを認識するからだ。だが自分自身を知ろうとするなら、完全な者を見ることほど良い方法はない。
それだからこそ、完全な者は完全にへりくだろうとはしない人間のうちに、憤慨の嵐を呼び起こさざるを得ないのである。「幸いだ、私を腹立たしく思わない者は」という言葉が意味するのは、完全な者を見ることに耐えられる者は幸いだ、ということである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.15)

哲学について書くときは、安っぽい熱情に警戒せよ! 考えがあまり浮かばないとき、私にはいつもこの危険がある。そして今がそうだ。今、私は変な行き詰まり状態にあって、どうすべきなのかよく分からない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.30)

「信じる」という言葉によって恐ろしいほどたくさんの災いが宗教に引き起こされたと私は信じる。歴史的事実の永遠の意味という「パラドックス」やそれに類することに関するあらゆる込み入ったは思考がそうだ。「キリストを信じよ」という代わりに「キリストを愛せ」というなら、
パラドックス、つまり悟性をいらだたせるものは消滅する。悟性をその様にくすぐることが宗教に何の関係があるのだ。(しかじかの人間にとってはそれがまた自分の宗教に属するかもしれないが)
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.4.19)

私の頭に帽子をかぶることができるのは私だけであるように、誰も私のかわりに考えることができない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929)

自然にだけ語らせよ。自然の上位にあるものとして認められるのは、ただひとつ。それは、人間が考えられるようなものではない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929)

世界の未来を考えるとき、いつもわれわれが考えるのは、世界がいま見えているまま運動をつづけるとしたら、世界はどこにあるのだろうか、ということだ。そして直線的な運動ではなく、曲線を描いて、たえず方向を変えるとは、考えないのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929.10.24)

この本〔『哲学的考察』(ラッシュ・リース編)〕は、この本を書いた精神に共感をしめす人たちのために、書かれている。私の考えではこの本の精神は、欧米の大文明の精神とは別の精神である。
欧米の文明の精神は、今日の工業、建築、音楽、ファシズム、社会主義にその姿を見せているが、この本の著者にとっては、見知らぬ精神であり、共感できない精神なのである。これは価値判断ではない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)

あるひとつの文化が消えることは、人間の価値が消えることではなく、人間の価値を表現する手段が消えるということにすぎない。それは痛いほどよくわかっているのだが、どうしても消えない事実がある。
つまり私は、ヨーロッパ文明になんらかの目標があるとしても、ヨーロッパ文明の流れを、共感をもってながめることができないのである。だから本来この本〔『哲学的考察』〕は、世界の隅にちらばっている友にこそ読んでもらいたい。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)

長い序は危険だ。本の精神は序のなかにあらわれてしまうが、本の精神を述べて説明することはできないからだ。もしも、ある本が少数の人のためにだけ書かれているのなら、そのことが明らかになるのは、まさに、少数の人しかその本を理解しないという事実によってである。
本というものは、それを理解する者と、理解しない者とを、自動的に区別してしまう。序もまた、まさに、その本を理解する人のために書かれるものである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)

なにかが善であるとすれば、それは神的である。奇妙な話だがこれが、私の倫理学の要点である。
超自然的なものだけが超自然を表現することができる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929.11.10)

人びとを善に導くことはできない。人びとは、どこかある場所へ導かれるだけである。善は、事実の空間の外側にある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929.11.15)

近視の人に道を教えるのはむずかしい。「ここから十マイル先に、ほら、教会の塔が見えるでしょう。その方向に行くんです」とは言えないのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929)

エンゲルマンが自分の書いた原稿を見て、すばらしいと思うとき (もっとも彼は、原稿をバラバラのかたちで出版したくはないのだが)、彼は自分の人生を、神の手になる芸術作品とみなしているのだ。もちろんどんな人生でも、どんなものでも、そういうものとみなすなら、観察にあたいするわけだが。
しかし、バラバラのものを芸術作品として描き出せるのは、ひとり芸術家だけである。だから、エンゲルマンの原稿をバラバラで観察するなら、つまり、偏見なしに、いいかえれば熱狂しないで冷静に観察するなら、原稿の価値が消えるのは当然の話なのだ。
芸術作品はわれわれに──いわば──適切なパースペクティブを強制する。しかし芸術がなければ、作品は、ほかのものと同様にひとかけらの自然にすぎない。われわれは熱狂してそれを価値あるものと考えてもいいが、だからといって、人目にさらす権利はないのである。
(いつも私は、例の味気ない風景写真のことを思い出してしまう。本人はその場所に行って、なにか経験をしたので、おもしろいと思って撮ったのだろうが、第三者からは当然、冷ややかにながめられる風景写真のことだ。もっとも、ものごとを冷ややかにながめることが、正当であるとしての話だが。)

ところで、芸術家の仕事のほかにも、世界を永遠ノ相ノモトニとらえる、もうひとつの仕事があるのではないだろうか。思想の方法がそれであると思うのだ。思想は、いわば世界の上空を飛び、世界には指一本ふれないまま、上空から高速で世界を観察する。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.8.22)

どんなふうに本を書きはじめたらいいのか、よくわからないのは、まだ明晰でないものが残っているからだ。なにしろ私としては、哲学関係の文章で、書かれ話された文章で、いわば、さまざまな書物でもって、はじめたいと思っているのだから。
するとここで、「万物流転」という困難に出会う。とすれば、この困難からこそはじめるべきかもしれない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.12.13)

私の本は小さなサークル──サークルと呼べればの話だが──のためにだけ書かれている。そう言ったからといって、私はそのサークルを人類のエリートだとは思っていない。だが彼らは、私が顔をむけている人たちなのだ。
それは彼らが、(ほかの人たちより優れていたり、劣っていたりするからではなく)、私の文化圏の住人だからである。ほかの人たちが私にとって異邦人であるのにたいして、彼らはいわば祖国の同胞なのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.1.18)

言語の限界があらわれるのは、命題に対応する(命題の翻訳である)事実を記述する場合、まさにその命題をくり返さざるをえないときだ。
(これは、哲学の問題のカント的解決と関係している。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.2.10)

ソクラテスの対話を読むと、こんな気持ちになる。なんと恐るべき時間の無駄! なにも証明せず、なにも明晰にしない、これらの議論は、なんの役に立つのか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.7.30)

「……哲学者たちは、プラトンが近づいた以上には『実在』の意味に近づいてはいない……」という英語を読む。なんと奇妙な事態だろう。それでは、プラトンがずいぶん遠くまで行けた、ということになってしまう。あるいは、私たちがプラトンより遠くに行けなかった、ということになってしまう。
どちらにしても、なんと奇妙な話だろう。プラトンがそんなに利口だったから、ということだろうか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.8.24)

思想家は、製図をする人によく似ている。彼は、ありとあらゆる連関(つながりぐあい)を模写しようとするのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

私の思想をたのしむことは、私自身の風変わりな生活をたのしむこと。これが、生きるよろこびなのだろうか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

哲学の問題の解決は、メールヘンに登場する贈り物に似ている。それは、魔法の城のなかでは魔法のようにすばらしいものに思えるのだが、白日のもとでながめてみると、ありふれた鉄の塊(のようなもの)にすぎない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

きれいな服を着ている人が、鏡をのぞきこみ自分の姿にうっとりしているとき、きれいな服は、虫や蛇に変身(いわば凝固)してしまう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

キリストの話を聞いたことがなければ、私たちはどんな気持ちなのだろうか。
闇のなかに見捨てられた気分になるのだろうか。
子どもは、自分が誰かといっしょに部屋にいることがわかっているときには、見捨てられたという気持ちにはならない。
私たちが見捨てられたという気持ちにならないのも、それとおなじことではないか。
宗教的な狂気は、無信仰から生まれた狂気である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

一本のリンゴの木をきわめて精密に描いたとする。その絵とリンゴの木との類似性は、ある意味で、ごく小さなヒナギクとリンゴの木との類似性の、足もとにも及ばない。その意味で、マーラーの交響曲などお話にならないくらいブルックナーの交響曲は、英雄時代の交響曲にじつによく似ている。
マーラーのを芸術作品というのなら、それはまったく種類のちがうものだ。(こういう見方そのものが、そもそもシュペングラー的である)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

(当否のほどは別として)こう言えるかもしれない。ユダヤの精神は、ごく小さな草花すら生み出すことができない。しかし、他の精神のなかで育った草花を模写して、その全体像を描くのは得意である。こう言ったからといって、難癖をつけているわけではない。その作業がじゅうぶんに明晰であるかぎり、
なにも問題はない。だが、ユダヤの流儀と非ユダヤの作品の流儀とが混同されたときに、そしてとくに──よくあるケースだが──ユダヤ人のつくり手がそういう混同をするときに、はじめて危険なことになる。(「彼は自分で乳を出したかのように誇らしげではありませんか」。)
他人の作品を、そのつくり手自身よりも、よく理解する。これが、ユダヤ精神の特徴である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

絵を額縁にうまい具合に納めたり、ピッタリの場所にかけたりすると、しばしば私は、その絵を自分で描いたような、誇らしい気持ちになることがある。だがそもそもこれは適切な言い方ではない。「自分で描いたような、誇らしい気持ち」ではなく、描くのを手伝ったような誇らしさ、いわば、
ごく一部を描いたような誇らしさ、なのである。ちょうどそれは、フラワー・アレンジメントの名人が花をアレンジし終わったときに、すくなくとも小さな草一本は自分が生み出したのだ、と思うことに似ている。名人の仕事がまったく別の領域にあることは、名人自身よくわかっているはずなのだが。
どんなにみすばらしく小さな草でさえ、その生成のプロセスは、フラワー・アレンジメントの名人にはまったく縁がなく未知である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)

才能とは、新しい水がくり返し湧き出る泉である。だが正しいやり方で使われなければ、価値のない泉となる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.6.30)

キリスト教では、神様が人間にむかって、いわばこう言っている。「悲劇を、つまり天国と地獄を、地上で演じるでないぞ。天国と地獄は、私の仕事なのだ」。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.8.19)

(ときどき)こんなふうに思えることがある。すでに私は、歯のない口で哲学をしているのではないか。そして、歯のない口でしゃべるほうが、本来の、価値あるものではないか、と。私はクラウスに、これに似たものを感じる。それを堕落とは考えないが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1932-34)

哲学にたいする私の態度は、「そもそも哲学は、詩のように作ることしかできない」という言葉に要約できるだろう。この言葉から、私の思考がどこまで現在の、未来の、あるいは過去のものであるかが、わかるような気がする。
この言葉によって私は、自分のやりたいことを完全にはできない者だと告白しているわけだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1933-34)

本を書こうなどと思わず、勝手にものを考えているとき、私はテーマのまわりを跳びはねている。私には自然で、唯一の思考スタイルだ。無理に一本の線にそって考えつづけることは、私には苦痛である。なのに、それをやってみろと言うのか??
思想を整理するなんて、まるで意味がないことかもしれないのに、そのために私は、言いようのない徒労を重ねている。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.9.15)

私の思考がどの程度まで飛行に成功しているのかはどうでもよいことだ(つまり、私にそんなことは分からないし、それについてあれこれ言いはしない)。とにかくそれは跳躍なのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)

福音書が小屋なら、パウロの手紙は教会である。福音書では、人間はみな平等で、神みずからが人だが、パウロの手紙ではすでに、位階とか官職といったヒエラルキーのようなものがある。──と言っているのは、いわば私の嗅覚である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.10.4)

宗教では、こういう具合になっているはずだろう。つまり、信仰の深さの段階におうじて、それぞれにふさわしい表現があるので、ある表現は、ワン・ステップ低い段階では無意味である。高い段階で意味をもつ教義は、いま低い段階にいる者にとって、ゼロに等しく意味がない。
その教義は、まちがってしか理解できない。だからその教義の言葉は、低い段階にいる者には当てはまらない。
たとえば、パウロの「恩恵の選び」の教義は、私の段階では、無信仰の、醜いナンセンスである。その教義は私には向いていない。
そこで差し出されているモデルを、私は、まちがって使うことしかできないのだから。それが敬虔ですぐれたモデルであるとしても、まったく別の段階のためのものである。私が使えるモデルとはまったく別なふうに、使われる必要がある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.11.20)

(人間はほんらい百歳まで生きる──ショーペンハウアー)
「もちろん、そうにちがいない」。まるで、創造主の意図がわかったかのようなセリフ。システムを理解したというわけだ。
「では人びとは実際、何歳まで生きるのか」は、問題にしない。皮相な質問のように思えてしまうからである。もっと深く理解したというわけだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937)

精神分析をうけるのは、どこか、知恵の木の実を食べることに似ている。そのときわれわれが手に入れた知恵は、(新しい)倫理的な問題をわれわれに突きつけるのだが、その解決にはまるで役に立たない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939.12.30)

真実が言えるのは、すでに真実のなかにいる者だけだ。まだウソのなかにいて、たった一度しか、ウソから抜け出して真実に手を伸ばさなかった者には、真実は言えない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939-1940)

新約聖書のたとえ話は、解釈に、好きなだけの深さを許容する。そのたとえ話は底なしだ。
新約聖書のたとえ話のスタイルのなさときたら、はじめて言葉を話す幼児よりもひどい。最高の芸術作品にさえ、「スタイル」と呼べるものが、いやそれどころか、「手法(マニエラ)」と呼べるものが見られるのだが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939-1940)

あらゆる偉大な芸術においては、野生の動物が飼い慣らされている。
たとえばメンデルスゾーンの場合は、そうではないが。あらゆる偉大な芸術には、人間の原始的な衝動が、根音バスとして響いている。それは (もしかするとワーグナーの場合のような) メロディーではなく、
メロディーに深さと力をあたえるものである。
その意味で、メンデルスゾーンを「複製的」芸術家と呼ぶことができる。──
おなじような意味で、私が建てたグレーテルの家は、断固たる耳ざとさの、行儀よさの結果であり、(ひとつの文化などにたいする) 偉大な理解の表現である。
だがそこには、存分に荒れ狂いたい根源的な生命が、野生の生命が──欠けている。したがってこうも言えるだろう。そこには、健康が欠けている (キルケゴール)。(温室植物)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1940.1.10)

ひとりの個人が感じる苦境より、もっと大きな苦境を感じることはできない。ある人間が絶望しているとき、それこそがこのうえない苦境なのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1944)

キリスト教の信仰とは、──私の考えでは──このうえないこの苦境のなかでの、避難所である。
この苦境のなかで、心をすぼめるかわりに、心をひらくことができるなら、治療薬が心のなかに取り入れられる。
心をひらいて神に懺悔する人は、ほかの人たちにも心をひらく。そうすることによってその人は、特別な人間としての尊厳を失なうことになり、したがって子どものようになる。つまり官職をなくし、尊厳をなくし、ほかの人たちとの距離をなくす。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1944)

因果論的な見方の危ない点は、「もちろん、こうならざるをえない」と言いたくなってしまうことだ。だがその一方で、「こうなる可能性もあったが、別なふうになる可能性もいっぱいあった」と考えるべきではないか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1940.7.2)

ウソをつくより、本当のことを言うほうが、しばしば、ほんのちょっと苦痛なだけである。甘いコーヒーを飲むより、苦いコーヒーを飲むほうが、ほんのちょっと苦痛なように。それなのに私は、どうしてもウソをついてしまう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1940.8.19)

ものごとは直接われわれの目の前にある。どんなべールもかかっていない。──この点において宗教と芸術がわかれる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.5)

なにも釈明するな。なにもぼやかすな。あるがままを見て、語れ。──だがおまえは、事実に新しい光を当てているものを見る必要がある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.6.1)

君は新しいことを言う必要がある。だがそれは古いことばかりだ。
もちろん君は古いことを言うだけでいい。──にもかかわらずそれは新しいのだ。
「とらえ方」が異なれば、使い方も異なってくるはずである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.6.11)

自分を正しく理解することはむずかしい。なにしろ、寛大さや親切からするかもしれない行為を、臆病さや無関心からすることがあるからだ。明らかに真の愛から生まれた行動が、陰謀や冷淡さから生まれることもある。かならずしもすべての思いやりが親切というわけでもないのだ。
もしもかりに私が宗教に沈潜できた場合にのみ、これらの疑いが静まるのではないだろうか。なにしろ宗教だけが、むなしい思いこみを壊し、ありとあらゆる割れ目に浸透することができるのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.8.14)

私の「業績」は、ある計算法を発明した数学者の業績によく似ている。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.9.8)

馬鹿がにやけた顔をしていると、連中は悩みなどとは縁がないのだ、と思ってしまうのだが、利ロとは悩む場所がちがうだけで、ちゃんと悩みがあるのだ。馬鹿には、いわば頭痛はないが、それ以外の苦しみは、人並みに味わっている。
すべての苦しみが、似たような表情をもたらすわけではない。高貴な人が悩むとき、私とはちがった表情になる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946)

一切の理論は灰いろで、緑なのは生活の黄金の木だ。
(ゲーテ『ファウスト』第1部)

「知恵は灰色」。だが生と宗教はカラフルだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.6.27)

知恵は冷たいものであり、そのぶんだけ馬鹿なものである。(信仰はその反対に、情熱である)。知恵は君に生を隠しているだけだ、とも言えるのではないか。(知恵は、灰色の冷たい灰に似ている。赤く燃える炭を隠しているのだ。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.3.3)

「そうじゃないんだ」と言って、──それと戦う。このような反応から生じるのは、同様に耐えがたい状態かもしれない。そしてそのときには、反抗しつづける力が使い果たされているかもしれない。「あいつがああいうことをしなかったら、こんなひどいことにならなかっただろう」と、われわれは言う。
だが、どんな権利があって? 社会の展開の法則を、誰が知っているというのか。どんなに利ロな人にもわからないはずだ。戦うのなら、戦うがいい。希望をいだくなら、いだけばいい。
われわれは戦い、希望をいだき、信じることもできる。科学の裏付けなしに。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13)

「科学」という言葉を「ナンセンスに陥らないで語ることのできるものの総体」という意味で使えば、もうそれだけで、科学は過大評価されているのである。そうすることによって実際に発言が、いいクラスと悪いクラスの、二つに分けられるわけで、すでにこの点に危険があるのだから。
ちょうどそれは、すべての動物、植物、岩石を、役に立つものと有害なものに分類するようなものだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)

科学──あるものを豊かにすれば、
別のものが貧しくなる。ひとつの方法が、他のすべての方法を脇に押しのける。他のすべての方法が貧しく見え、
せいぜい前段階だと思える。水源地に降りていって、こけにされた方法も、ひいきにされた方法も、すべてを横一列に並べてながめる必要がある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13)

「こういうふうに見るんだ」と哲学者が言う。だがそう言われたからといって、まず第一に、人びとがそういうふうに見るようになるわけではない。第二に、哲学者の忠告が遅きに失している可能性もある。そしてまた、その忠告がなんの役にも立たないことも考えられるし、
ものの見方が変化したのは、別の場所からやってきた力のせいとも考えられる。というわけで、ベーコンによって動かされたものがあるかどうかは、じつに疑わしいのである。もっとも、彼の読者の浅薄な心は別だが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)

私だけが学派をつくることができないのだろうか。それとも哲学者には学派などつくれないのだろうか。元々真似されるのが嫌だから、私には学派がつくれないのだ。哲学雑誌に論文を書くような手合いにだけは、どんなことがあっても真似されたくない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)

いちばん起こりそうにないことは、科学者とか数学者が、私の著作を読むことによって、仕事の方法を本気で考え直すということだ。 (その意味で私の警告は、イギリスの駅の切符売り場の掲示「あなたの旅行は本当に必要ですか」に似ている。
それを読んだ人が「考えてみれば、必要ないな」とつぶやくのを期待しているかのようだ)。ここでは、私が差し出せるのとはまるで別の大砲が必要なのだ。
私があたえることのできそうな影響はといえば、なによりもまず、私に刺激されて、じつにたくさんのガラクタが書かれ、
もしかしたらそのガラクタが刺激となって、いいものが生まれることかもしれない。いつも私に許されている希望は、このうえなく間接的な影響をあたえることだけなのだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)

国の経済が悪いと、家計も悪くなるのではないか。いつもストの用意をしている労働者は、子どもに秩序というものを教えないのだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.7.27)

知りすぎている人にとって、ウソをつかないことはむずかしい。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.12.17)

宗教的な信仰と迷信とは、まったく別物である。一方は恐れから生じて、疑似科学のようなものだが、他方は信頼そのものである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.6.4)

神の存在を確信をもって信じることができるなら、他人の心の存在も信じることができるのではないか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.7.3)

会話では、一方の人がボールを投げる。投げられた相手は、どうしたらいいかわからない。ボールを投げ返すべきか、別の人に投げるべきか、そのままボールを転がしておくべきか、拾ってポケットにつっこむべきか、など。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.8.23)

ほとんどいつも私は、自分自身との対話を書いている。私自身とふたりっきりで話していることを、書いているのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.12.26)

シェイクスピアを称讃する大部分の人にたいして、私は深い不信感をいだいている。不幸なことにシェイクスピアは、すくなくとも西洋文化においては孤独な存在であるので、彼の位置づけをしようとすると、かならずまちがった場所に置かれてしまうのではないか。
Sは人間のタイプをうまく描き、その意味では真実を書いているかのようだが、それはちがう。彼は自然に忠実ではない。しかし、じつにしなやかな手と、じつに独特な筆づかいのおかげで、彼の描く人物はすべて、重要で、一見に値するように思えるのだ。
「ベートーヴェンの偉大な心」──だが「シェイクスピアの偉大な心」とは言えないだろう。「言語の新しい自然な形をつくりだした、しなやかな手」と言うほうが、当たっているように思える。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.4.12)

われわれのなかにしっかり根を張っているイメージを、もちろん、迷信にたとえることはできる。しかし、われわれはいつも、なんらかの、しっかりした土台に降りていく必要がある、と言うこともできる。
そうすれば、その土台がイメージであっても、イメージでなくても、すべての思考の土台にあるイメージが、尊重されることとなり、迷信としては扱われなくなるのではないか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.5.20)

ある時代は他の時代を誤解する。ある小さな時代は、独特の醜いやり方で、他のすべての時代を誤解する。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)

「私は世界が存在していることに驚く」と言うのは無意味です。なぜなら、世界が存在していないことは想像できないからです。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)

科学において使われるような言葉は、単に乗り物にすぎません。それは、意味(meaning)と意義(sense)、自然的な意味と意義を載せて運ぶだけの乗り物です。一方、倫理学は、それが何物かであるとすれば、ですが、超自然的であり、私たちの言葉は事実を表現するだけなのです。
私がティーカップに1ガロンの水を注いだとしても、ティーカップはその容量までしか水を保持できません。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)

皆さんの一人が、全知の人間であり、それゆえこの世界の生物および無生物の動き、また今までに存在した全ての人間の心理状態を知っているとしましょう。そしてこの人物が彼の知っている全てを巨大な本に書き出したとします。当然、この本は世界についての完全な記述を含むでしょう。
私がここで言いたいことは、私たちが倫理的判断と呼ぶもの、あるいはこのような判断を論理的に含むと思われるものは、この本には一切含まれないということです。この本は、もちろん、全ての相対的な価値判断と全ての科学的命題、要するに、作られうる全ての真な命題を含むでしょう。
『世界の書』の中には、殺人の様子が物理的・心理的に精緻を極める詳細さで書かれているとしても、そうした単なる事実に関する記述には、私たちが倫理的命題と呼ぶ命題は一切含まれていません。殺人も、他の全ての事実、例えば落石と全く同じレベルにあるのです。確かに、殺人についての記述を読むと、
私たちは苦痛や怒りやその他の感情を持ちます。あるいは、他の人が殺人のことを聞いたとき、彼らの心のうちに起こった苦痛や怒りなどの感情について読んだりします。しかし、存在するのは倫理ではなく、ただ事実、事実、事実のみなのです。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)

私がテニスをできて、皆さんの一人が私のプレイするところ見て「うーん、君はかなりテニスが下手だね」と言ったとします。そして私が「分かってるさ。私は下手だよ。でもこれ以上うまくなりたいとも思わないね」と答えたとします。すると質問者が言えることはせいぜい「そうかい。まあそれでも
いいんだけどさ」という程度のことでしょう。
しかし私が皆さんの一人に途方もない大嘘をついて、その人が私のところへやってきて「君の行いは犬畜生も同然だ」と言ったとします。そして私が「分かってるさ。私の行いは悪いものだ。でもこれ以上よい行いをしたいとも思わないね」と言ったとします。
さて質問者は「そうかい。まあそれでもいいんだけどさ」と言うことができるでしょうか? 絶対にそんなことはありえないでしょう。「いや、君はもっとよい行為をしようと思うべきだ」と言うでしょう。つまり、前者の例が相対的な価値判断だったのに対し、これは絶対的な価値判断というわけです。
両者の違いは明白です。それは次のようなものです。全ての相対的な価値判断は、事実(facts)の単なる叙述に過ぎず、従ってそういう形に文を書き換えてしまえば、価値判断をしていたような見かけは一切なくなるのです。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)

絶対的な価値という言葉によって言おうとすることを、私が考えうるいかなる記述も記述できないし、仮に誰かが提案できるような有意義な記述があるとしても、私はまさにその有意義さの故に、最初からそうした記述を拒否するでしょう。つまり、今や私は、それらの無意味な表現が無意味である理由は、
私がまだ正しい表現を発見していないことではなく、無意味さこそがその本質であることにあると見てとれるからです。というのも、それらの表現によって私が成したいことは、世界を越えて行くこと、すなわち有意義な言語を超えて行くことだからです。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)

私は、つい最近まで、私の仕事を生きている間に公表するという企てを放棄していた。その企ては、もちろん折につけ私の心に湧き起こったし、そういう気持ちになる場合の多くは、私が講義や草稿や議論で人々に伝えた私の成果が伝達の過程で幾重にも誤解され、
程度に差はあれ薄められたりバラバラにされたりしたことを耳にせざるをえなかったときだ。私の虚栄心は傷つき、心を鎮めるのに苦労したものだ。
だが2年前、私の最初の本(『論理哲学論考』)を再び読み、その思想を説明する機会を持った。
そのとき突然、昔の思想と今度の思想を併せて公表すべきであるという考えが浮かんだ。古い考え方と対比し、それを背景に置くことによってのみ、新しい思想は正しく理解されうるであろう、と。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』序文)

ある人が誰かにチェスのキングの駒を見せて「これがチェスのキングだ」と言うとき、彼はそれによって──教わる側が、キングの駒の形についての規定以外に、ゲームの他の規則を既に知っているのでなければ──駒の使用を説明したことにはならない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』31)

我々が[概念の]境界を知らないのは、境界線など引かれていないからだ。すでに述べたように、我々は──特別な目的のために──境界線を引くことができる。だが、そうすることによって、はじめて概念が使用可能になるのか。断じてそうではない! その特別な目的のためになら、そうであるにしても。
それは、ちょうど〈一歩幅〉という長さの尺度を使えるようにした人が、一歩幅=七五センチという定義を下したわけではないのと同じである。だから、もし君が「しかし、それは前から正確な長さの尺度でなかったのだ」と言いたいのなら、
私は答えよう。よろしい、それならそれは不正確だ、と。──にもかかわらず、君は私に正確さの定義を負うているのである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』69)

哲学的問題の形式は「私は何一つ知らない」という形をとる。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』123)

根拠はいずれ尽きるであろう。そのとき私は、根拠なしに行為するであろう。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』211)

なぜ私は心的過程がそこにあることを否定せねばならないのか?!
「今私の中で…を思い出すという心的過程が起きた」ということは、ただ「今私は…を思い出した」という以外の何物でもない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』306)

哲学における君の目的は何か? ──蝿に蝿取り壺からの出口を示してやること。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』309)

もう彼らに腕を上げるな。切りがない。蠅たたきになることは、君の宿命ではない。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

「この樹木の視覚像が合成されているとすると、どれがその構成要素なのか?」という"哲学的な"問いに対する正しい答えは、「それは君が〈合成されている〉ということで何を了解しているかに依存する」ということだ。(これはもちろん答えでなく、問題の拒否なのだ)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』47)

人はいまや私に向って次のように抗議するかもしれない。「お前は安易なやり方をしている! すべての可能な言語ゲームについて語ってはいるが、言語ゲームにとって本質的なものは何か、言語の本質は何なのか、お前はどこにも言っていない。これらすべての出来事に共通なものは何なのか、それらを言語、
あるいは言語の一部にするものは何なのか。 お前は以前自分の頭をもっとも悩ました研究の部分、すなわち"命題の一般形式"と言語の一般形式に関する部分を断念している」と。
そして、これは真実である。──我々が言語と呼ぶものすべてに共通な何かを述べる代りに、私は、これらの現象のすべてに対して
同じことばを適用しているからといって、それらに共通なものなど何一つなく、──これらの現象は互いに多くの異なった仕方で"類似"している、と言っているのだ。そして、この類似性ないしこれらの類似性のために、我々はこれらの現象すべてを「言語」と呼ぶ。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』65)

「何かを想像したり、あるいは実際に何らかの対象を"見る"とき、私は確かに、隣の人が持たないものを"持っている"。」──君の言いたいことは分かる。君は周囲を見回して、「私だけが"これ"を持っている」と言う。──だが、この言葉は何のために使われるのか? 何の役にも立たない。
──従ってまたこのように言うことも可能ではないか?「この場合『見る』ということも──それゆえまた『持つ』ということも──主観や自我も、話題にはなっていない。」私はこう問うことができるのではないか、君が「自分だけが持っている」と言うもの、それを君はどのような意味で"持っている"のか?
君はそれを所有しているのか?君はそれを"見る"ことすらない。そう、それは誰も持っていないと言うべきものではないか?他人が何かを持っているということを君が論理的に排除するなら、君がそれを持っていると言うこともまた意義を失う。これは明らかなことだ。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』398)

ある風景画、幻想の風景画を考えよ。そこには一つの家が描かれている。──誰かがこう訊ねた。「この家は誰のものですか?」──あるいは「家の前のベンチに座っている農夫のものだ」と答えられるかもしれない。しかし農夫は、家に入ることができない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』398)

哲学においては、結論が引き出される、ということはない。「しかし、それはこうであらねばならない!」ということは、哲学の命題ではない。哲学は、説明をするのではなく、誰もが認めることを、ただ確認するだけなのである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』599)

他人の内的に語っていることが私には隠されているというのは、〈内的に語る〉という"概念"の特性である。ただ「隠されている」はここでは間違ったことばである。というのは、たとえ私には隠されているとしても、彼自身にとってはそれが明らかであるはずであり、
"彼は"それを"知って"いなくてはならないであろうからである。ところが、彼はそれを〈知って〉はいないのであって、ただ、私にとって存在する疑いが、彼にとっては存在しないにすぎない。
私は、他人の考えていることを知ることはできるが、
自分の考えていることを知ることはできない。
「私はあなたの考えていることを知っている」と言うのは正しいが、「私は自分の考えていることを知っている」と言うのは虚偽である。
(哲学の全霊魂が言語論への一滴へと凝縮する。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第2部 xi)

説得力のある根拠を示す用意のあるとき、我々は「私は知っている」と言う。……しかしもし人が信じていることが、それより確かな根拠を与えられないような種類のものであれば、人は自分の信じていることを知っているとは言えない。
(ウィトゲンシュタイン 確実性 243)

私が何かを理解しているということは、私自身の無理解に対して盲目であることを意味するだけではないのか。私は屡々そう思う。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 418)

全ての言語ゲームは語と対象がくり返し再認されることに基づいている。我々はこれが椅子であることを、2×2=4を学ぶのと同じ厳しさで学ぶ。
(ウィトゲンシュタイン 確実性 455)

私は、「論理は結局記述されえないものである」という主張に、ますます近づいているのではないか。言葉を語る営みを注視せよ、そこに論理が看取される。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 501)

私たちは思考や計算の過程が起こる場所には興味がない。私たちの目的のためには、計算は全て紙の上で行なわれると考えて差し支えない。私たちは内的/外的な違いには関心がない。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

「人は命令を理解した後でないとその命令に従えない」という事例を考えてほしい。
「黄色い点を想像せよ」という命令に従う場合を考えれば、「人は命令を理解した後でないとその命令に従えない」と言うのは間違いであることが分かる。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

「人は他人が痛みを持つかどうかを知ることはできない」という言明は、「人は大西洋を泳いで渡ることはできない」のような[人間の能力の限界による不可能性を述べる]言明と比較可能ではない。それなのに、いつも間違って比較されてしまう。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

言語の働きにはそれと固く結び付いたある独立した心的過程があり、その過程を通してでなければ言語は機能できないようにみえる。その過程とは、理解し意味するという[心的]過程である。我々の言語の諸記号はこれらの心的過程が伴わなければ死んでいるように思われる。更に、このような過程を
喚起することが記号の唯一の機能のようにさえ思われる。そしてこれらの過程こそ、実際に我々が関心を抱くべきものに思える。──我々は、言語の働きは二つの部分からなる、つまり、記号を操作する無機的な部分と、これらの記号を理解し意味[を付]し解釈し思考する有機的部分からなる、と考えがちだ。
ここにあげた各種の[心的]行為はみな心という奇妙な種類の媒体の中で起ることのように思える。それらが起る心的機構の性質については我々はよく了解しているとは思えないのだが、とにかくそれによってどんな物質的機構にもできないことが生じるように思われるのだ。例えば、
考え(これもその心的過程の一つである)は現実と一致したりしなかったりできる。私は今ここにいない人のことを考えられる、彼を想像することができる。
「決して起らないことを願望できるとは、願望の機構は全く不思議な機構であるに違いない」と言いたくもなろう。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

我々を取り囲む[外的]対象と我々の[内的な]個人的経験との関係を考える時、時に、これらの個人的経験が材料であってそれから現実が作られていると言いたくなる。
こうした考えでは、我々の周囲の対象に対する確固とした保持が失われ、代りに、
人それぞれのばらばらになった多くの個人的経験だけが残るように思われる。そしてこの個人的経験自体もまた定かならず、絶えざる流動のうちにあるようにみえる。我々の言語はそのような個人的経験を描写するように作られていないようにみえる。そこで、
この事態を哲学的に明らかにするには日常言語は余りに粗すぎ、それより微妙な言語が必要だ、と考えるようになる。何か一つの発見をしたように思われてくる。──我々が立っていた地盤、確固として信頼できるように見えた地盤、それが沼地のようで危険なものであることがわかる、そうも言えよう発見。
──[だが]こうしたものは、我々がただものごとを哲学するときに起こることなのだ。常識の立脚地に戻るや否やこの"包括的な"不確実性は消失する。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

哲学者は正気をなくした男ではない、誰もに見えることが見えない男ではない、また彼が常識と一致しないのは科学者が素人の粗雑な見解と一致しないのとは違う。というのは、哲学者が一致しないのはより精細な事実的知識に基づいてではない。だから彼の困惑の源を[ほかに]探し求めなければならない。
日常言語はあらゆる可能な表示法のうちにあって我々の全生活に参透している表示法であり、いわば我々の心を一箇所にしっかりとつなぎとめている。だが時に我々の心はその場所に拘束されていると感じ、他の場所にも同じくありたい欲求を抱く。こうした時に、或る差違を日常言語よりも強く
強調しあからさまにするような表示法、あるいは[逆に]或る特定の場面では日常言語よりもずっと相似性の強い表現を使うような表示法がほしくなる。これらの欲求を満たす表示法が示されれば、この心の拘束感は緩和される。だが欲求といっても実に様々な欲求がある。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)

君が何かを読みながら、読む時には何が起きるのかといわば至近距離から注視しているとき、君はいかにも読むという現象を拡大鏡の下において観察し、読むという過程を見ているように思うのだ。(しかし、この場合は色眼鏡を通して何かを観察することにもっと似ているのだが。)
そして、君は読むという過程、書かれた記号が話される記号に翻訳される特別な仕方に注目していたのだと思うのだ。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)

直観は、注視からはっきりと区別しなければならない。
(ゲーテ)

或る人が顔の表情に親切さをたたえて私に話すという場合、ほんの僅かな時間であろうとその間中、他のどんな場合に見てもまがうことなく親切な表情だと言うべき表情がその顔になければならなかったのだろうか。もしそうでないとしたら、
彼のその「親切さをたたえた表情」がいくつかの無表情の時期によって中断されたことになるのか。もちろん今述べた状況においてはそうは言わない。そしてその無表情な顔付をそれだけ取りだせば無表情と言うべきだとしても、この場合それが親切な表情をその時中断したとは感じない。
全くそれと同様に、「或る語を理解する」という言い方で我々が語るのは、必ずしも我々が話したり聞いたりしている間に起きることではなく、その語を言うという出来事を囲む全環境でもある。このことはまた、誰かが自動機械のようにあるいはオウムのように語る、と言う場合にもあてはまる。
言葉を理解して話すのが自動機械のように話すのと違うことは当然である。しかしこのことは、前者には後者にはない何かが絶えずずっと伴っている、ということを意味しはしない。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)

我々が「文を理解する」と言うものは、我々が考えるよりは遙かに音楽的主題を理解することに似ている。しかし、音楽的主題を理解するということが、文を理解するということについて人がえてして自分勝手にでっちあげがちな描像(ピクチャー)によく似ていると言うのではない。そういう描像は誤りである。
私の言いたいのは、文を理解するという時に起っていることが曲を理解するという時に実際に起っていることに一見するより遙かによく似ているということなのである。なぜなら、文を理解するとは[曲の場合と同様]その文の外にある現実に眼を向けることだからである。
それなのに人は、「文を理解するとはその内容を把握することであり、文の内容はその文の"中に"あるのだ」と言うときがあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)

次の例を考えよう。誰かが「ナポレオンは1804年に即位した」、と言う。私は彼に「君はあのアウステリッツの戦いに勝った男を意味したのか」、ときく。彼は「そう、彼を意味したのだ」、と言う。
──この場合、この人が「彼を意味した」とき、彼は何らかの形でナポレオンがアウステリッツの戦いに勝ったことを念頭にしていた、ということであろうか。
我々がそこに[現実には]行きつかない先にも心的行為は橋を渡ることができる、この奇妙な迷信とも呼びたいものに我々は何度も何度もぶつかる。
考える、希望する、期待する、信じる、知る、数学的問題を解こうとする、数学的帰納法、等々。我々がこれらの問題を考えてゆこうとするといつでもこの厄介な迷信が顔を出す。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)

「『チェスをしようと意図している』ことは、チェスをすることに先立って一般的に存在することが経験的に示されている心の状態である」 と言われるかもしれない。しかし、そのように言ってもまったく役に立たない。諸君はある独特の感覚をもち、「これはチェスをする前に感じる奇妙な感覚だ。
私はチェスをしようとしているのだろうか」 などと言うだろうか。──チェスをすることに先立つその奇妙な感覚を、人は決して 「チェスをしようと意図すること」 などと呼びはしないだろう。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第2講)

「理解する」という言葉の使用は以下の事実に基づいている。すなわち、我々は、特定のテストを当てはめてきたそれこそ大半のケースで、そのテストされている言葉を当該の人物が一定の仕方で使用すると予測できる、という事実である。
もしそうでなかったとしたら、我々が「理解する」という言葉を使用することには何のポイントもないだろう。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第2講)

私は「どれくらいの数の数字が"存在する"のか」とは問わなかった。このことは極めて重要である。私は人間について問うた。すなわち、「諸君はどのくらいの数の数字を書くことを学んだのか」と問うたのである。チューリングは「アレフ0〔=自然数全体からなる集合の属する基数〕」と答え、
私は同意した。同意することで私は、そのようにアレフ0が使用されることを意味していたのである。
これはチューリングが非常に大きな数を書くことを学んだということを意味してはいない。アレフ0は途方もなく大きな数ではない。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第2講)

諸君は、「もし彼が非常に賢かったら、彼は我々を理解しただろう」と言うかもしれない。しかし諸君は、互いにすでに内的関係が成立している二つのものを与える以外の仕方では、内的関係というものを与えることはできない。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第8講)

125÷5=25 というのは発見ではない。なぜなら、この結果はこれらの記号の使用法の一部に過ぎないからである。──このことは、「数学的発見」は発明と呼ぶ方がよいと私が言ったことに関わっている。
125÷5=25 を構成した人は、ひとつの技術を発明したのである。なぜその技術が興味を引き、役に立つのかは、数学外の考慮である。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第8講)

「我々人間にとって、我々が到達できる最上のもの、我々が得られる最も近似的なものは、我々が常にそれを得るということ、あるいは、多くの経験を有する人は常にそれを得るということである」。これはまるで、神のみが本当に知っているのだ、と言っているようなものである。
──チューリングはこのようなことを示唆した。そして、これがまさに彼と私の異なる点である。実際には、我々が自分たちの結果が正しいと見なすことを妨げるものは何もない。──だから、我々の子どもは皆将来、黒板に書かれているものを写さねばならないだろう。そしてそのとき、
黒板に書かれているものは正しいのである。そこには、我々より高度な知性が知っているようなものなど何も存在しない──未来の世代が知
っていることを除いては。我々は数学において、神が知っているのと同じだけのものを知るのである。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第11講)

以上の議論によって私がしたいのは、我々が数学や論理学を営むことのできる仕方には実に様々なものがあるということを示すことだけである。そして、我々が当該の命題を読み、毎度「それは真である」と言っても、何の違いももたらさない。
重要なのは、我々が読んだものを後でどのように使用するかということなのである。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第19講)

私が反対しているのは、「論理的な機械仕掛け(logical machinery)」という観念である。そのようなものは存在しないと言いたいのだ。
論理的な機械仕掛けという観念は、我々の記号の"背後に"何かが存在する、ということを想定しているのだろう。時計の針の動きを生み出すある種の歯車が、
時計の文字盤の背後に存在しているように。〔その歯車が存在するがゆえに〕私が長針を一回転させれば、短針は同じ方向に円周の十二分の一だけ動く。時計の前面には、ある特定の仕方で動く二本の針が存在するだけであり、その動き方は背後にある機械仕掛けによって説明されるのである。
同様に人は、記号の背後に機械仕掛けが存在する──「(x).fx〔すべてのxについて、xはfである〕」と「fa〔aはfである〕」の背後に、前者から後者が帰結せねばならない理由を説明する機械仕掛けが存在する──と考えるかもしれない。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第20講)

われわれは、われわれ固有の表現法に注目する。だがその表現法を理解するのではなく、誤解するのだ。われわれが哲学する場合、文明人の表現法を聞き、それを誤解し、そこから奇妙な結論をひき出す野蛮人、原始人のようなものである。
ある人がわれわれの過去形「かれはここにいた」を理解しないと想像せよ。──その人はいう、「〈かれは"いる"〉それは現在である。したがってこの命題は、過去がある意味で現在にあることを語っているのだ。」
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第1部125)

「諸部分が完全に剛体ならそれらはこのように動くであろう」これは仮説か。そうでないようにみえる。というのは「運動学は機械の諸部分が完全に剛体という前提のもとで、その機械の運動を記述する」というとき、我々は、一方では、この前提が現実には決して満足されないことを承認しており、他方では、
完全な剛体部分はそのように動くであろうことについては、いかなる疑問の余地もない、としているからである。しかしこの確実性は何に由来するのか。ここで問題になっているのはおそらく確実性ではなく、我々が決めた決定である。我々は、物体が(かくかくの規準に従って)剛体ならこのように動くであろう
ことを知っているのではなく、そのように動く諸部分を我々は(ある状況のもとで)〈剛体〉と呼ぶのだ──このような場合、幾何学(または運動学)が同じ長さとか一定の長さとかを語るとき、いつもいかなる測定方法をも指定していない、ということを思い出せ。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第1部120)

哲学ではいつでも、ある問への答を出す代りに、"問"を設定するのがよい。
なぜなら、哲学的問への答は不当なものになりやすいが、他の問によって、その問を片付けるのはそうでないから。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第2部5)

哲学者とは、健全な人間悟性の概念に到達する以前に、自分の悟性の多くの病気を直さなければならない人のことである。
われわれが生において死に取り囲まれているとすれば、われわれはまた悟性の健康にあって狂気に取り囲まれているのである。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第4部53)

我々が数学の本の中に見出すものは、"何かについての記述"ではなく、事柄そのものである。我々は数学を"作る"のだ。人は「歴史を記述する」と言い、「歴史を作る」と言うが、或る意味では人はただ数学を作ることが出来るのみだ。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.18)

私は以前には、通常我々みんなが使っている日常言語と、我々が現実に知っているもの、従って現象、を表現するところの基本的言語とが存在する、と思っていた。私はまた、第一の言語体系についても、第二の言語体系についても、語って来た。私はこれから、なぜ私はこの考えについてもはや固執しないのか
詳しく述べようと思う。
私が思うに、我々は本質的にただ一つの言語を持っているだけである。そしてそれは日常言語である。我々は先ず初めに、或る新しい言語を見出す、あるいは或る記号法を構成する、という必要はない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.22)

我々はただ、我々自身が行うところのものを要請することが出来る。
我々はただ、それによって我々が語ろうと思う規則のみを、要請することが出来る。我々は事態を要請することは出来ない。
或る測定で三角形の内角の和は190度という値を得たとしよう。そのとき我々は「誤りを犯した」と言うであろう。
三角形の内角の和は180度という命題はそれゆえ、角の測定における誤った方法と正しい方法を区別するという価値のみを持っている。この命題は事態について何ものをも語ることが出来ない。
この事は、 我々は幾何学において、空間における現実ではなく、空間における可能性にかかわりあっているのだ、
という事を示している。
空間に関する発見は、空間の中に存在するものに関する発見である。
数学においては、なおその上という事は存在しない。
数学においては、文法においてと同様に、何かを発見するという事があり得ない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.25)

私は、ハイデッカーが存在と不安について考えていることを、十分考えることが出来る。人間は、言語の限界に対して突進する衝動を有している。
例えば、或るものが存在する、という驚きについて考えてみよ。この驚きは、問の形では表現され得ない。そして、答は全く存在しないのである。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.30)

私の思うに、倫理に対する無駄口──倫理的認識は存在するか、価値は存在するか、善は定義されるであろうか、等々──のすべてを終らせるという事は、ほんとに重要なことである。倫理学においては、人は常に、事柄の本質が関係しないもの、そして決して関係できないもの、
を語ろうとする試みを行うものである。人が善の定義として何を与えようと、その表現が人が実際に思っているものにほんとに対応していると考えることは、常に誤解である (ムーア)。このことはアプリオリに確かである。しかし、この突進という傾向は或るものを暗示している。
それはすでに聖アウグスチヌスが、「なんだと、この不潔な奴め、お前は無意味なことは語ろうとしないというのか。お前みたいな奴は無意味なことだけを語れ。そうすれば害はないから!」と言ったとき、知っていたものであった。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.30)

事態はいつも同じである、即ち、我々のなすことは全て、我々は明確に言い表わす言葉を見出す、という事である。文法においては、人は何ものをも発見できない、というわけである。驚きは存在しない。もし我々が或る規則を形成すれば、我々は常に、ずっと以前からそれを知っていた、という感情を持つ。
我々はただ一つの事、即ち、我々が知らず知らずに用いていた規則を明確に言い表わすという事をすることが出来るのみである。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1930.1.2)

人は一体アメリカ人に何を与えるべきか。例えば、我々の半ば腐敗した文化をか。アメリカ人は未だ文化を持っていない。しかし彼らは、我々から学ぶべき何ものをも持たないのである。
ラッセルの「私は何を信ずるか」 (What I believe)。 これは決して「無害」ではない。〔ラッセルの主張はこうである。愛ゆえに道徳的規則をふみにじる事は出来ない。 しかし愛が本ものである場合には、愛が知性と一つになれば、あらゆる必要な道徳的規則を生み出すに、十分であろう。〕
ロシア。彼らの情熱には見込みがある。それに対し、我々のむだ話しには何をする力もない。
人はただ、公明正大であらんと企てることが出来るのであり、それ以外のことを企てることは出来ない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1931.1.1)

人は、たとえその問の答を手にすることはないとしても、それに従えば答を見出すであろうところの、方法を手にすることを考える。かくして私は例えば、要素命題を発見することは、論理分析の課題である、と信じていた。いずれそのうち人は要素命題を与えることが出来るであろう、と思っていた。
昨年やっと私は、この誤りから解放された。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1931.12.9)

「美の説明は因果説明ではない」と言うことができよう。
(ウィトゲンシュタイン 美学についての講義)

「レッドパスを摂氏二百度でゆでるとすれば、水蒸気がなくなったときあとに残るのは、いくらかの灰などである。これこそレッドパスの本当の正体なのだ。」このように言うことにはある種の魅力があるが、控えめに言っても誤解を招くであろう。
(ウィトゲンシュタイン 美学についての講義 3-21)

諸君が精神分析に導かれて、本当に自分はかくかくと考えていたとか、本当に自分の動機はかくかくであったとか言うとすれば、それは発見の問題ではなくて、説得の問題なのである。違ったやりかたをすれば諸君は何か違ったことに確信を抱くことがありえたであろう。
もちろん、精神分析が諸君のどもりを
癒すのであれば、それは癒すのであって、そのことは一つの成果である。人は精神分析のある成果を、精神分析医によって諸君の説得させられた事柄とは関係なく、フロイトの発見したことだと考えてしまう。
「"本当は"こうなのだ」という文章は特に説得の形式をとる。このことが意味しているのは、諸君が
無視するよう説得させられたある種の差異が存在するということだ。このことは私にかのすばらしいモットーを思い起させる、「あらゆるものはそれがある通りのものであって、別のものではない」と。その夢は猥雑なものではなく、何か別のものである。
(ウィトゲンシュタイン 美学についての講義 3-33,34)

特定の人種がオークの木を崇拝するのはなぜか、ということに関しては、これほど理由にならない理由はあり得ない、つまり、そもそもなんらの"理由"もあり得たわけではないのであって、それは単に、その人種とオークの木が生活共同体の中で結びつけられていたというだけのことであり、
したがって、それも選択からではなく、蚤と犬の場合のように、お互いにそうなったのである(蚤である儀式が展開したとすれば、それは犬と関係するようになるであろう)。
(オークの木と人間との)結合でなく、ある意味では両者の分離がこの儀式の誘因となった、ともいえよう。)

なぜならば、知性の目覚めは根源的"地盤"──生の根源的基底──からの分離とともに生ずるからである。("選択"の成立。)
(崇拝は目覚めた精神の形式である。)
(ウィトゲンシュタイン フレーザー「金枝篇」について)

ラッセルの論理学および『論理哲学論考』における私の論理学の根本的欠陥は、命題とは何かということが二三の陳腐な例によって示され、それ以後はすべての場合について理解されたものとして前提とされていることである。
(ウィトゲンシュタイン 心理学の哲学1 38)

「欲する」という言葉は現実にどのように用いられているのか。人は、その用法をたとえば「望む」という言葉の用法に合わせることによって、自分がこの言葉の全く新しい用法を発明したのだということに、哲学をしている際には気付かない。
人が、われわれに重要だと思われる言葉に対して、現にそれらがもっているよりもより一層拡張された用法を求めることによって、もっぱら哲学のみのための言葉の用法を作り上げることは興味深いことである。
(ウィトゲンシュタイン 心理学の哲学1 51)

ある人が昨日からあることを「とぎれなく」信じている、理解している、意図している、と我々は実際めったに言わない。信じていることの中断とは信じていない期間であり、たとえば眠る場合のように、自分が信じている対象から注意をそらすことではない。(〈知っている〉と〈意識している〉の相違)
ここで最も重要なのは次のことである。相違はある、我々はその相違の構造を述べることはできないとしても、その〈範疇上の〉相違に気付く。我々が普通、内省によって相違を知る、と言うのはその場合である。
これがおそらく、その形式だけは"他人"に伝達できるが、内容を伝達することはできない、
と言われる場合のポイントである。──したがって人は、自分自身に対しては"その内容について"語る。──しかしながら、私の諸々の言葉は私が知っている内容とどう〈関係する〉のか、また、それは何を目的とする関係なのか。
(ウィトゲンシュタイン 断片 85-87)

思考する場合に"生じてくる過程"がほとんど我々の関心を引かないということは、非常に注目すべきことである。それは注目すべきではあるが、奇妙なことではない。
(思考は、いわば単なるヒントのようなものである。)
それは計算の天才の場合と同じではないだろうか。
──正解をだす以上彼は正しく計算しているのである。彼は自分の内に何が生じたかをおそらく言うことができない。そして、もし我々がそれを聞くとすれば、それはおそらく、計算の奇妙な"戯画"に見えよう。
私は、ある文を注意深く読んでいる人の内的過程について、何を知っているだろうか。また、彼は後で、それを私に記述できるだろうか。また、彼が何とか記述してみせたとして、それは注意の過程そのものであろうか。
(ウィトゲンシュタイン 断片 88-90)

哲学においては、人は常に記号表現とか心的過程とかいう神話を創り出す危険がある。誰もが知っていることを、そして、誰もが認めねばならないことを単に言うかわりに、である。
(ウィトゲンシュタイン 断片 211)

私は実際こう言いたい。すなわち、思考上の様々のためらいは本能から始まる(本能に根ざしている)と。あるいはまた、言語ゲームの源泉は"熟慮"の内にはない、熟慮が言語ゲームの一部なのである、と。
それ故、言語ゲームの内に概念の本領がある。
(ウィトゲンシュタイン 断片 391)

人を教育するのに、まず、「それは赤く見える」という言葉を教えることからはじめるのはナンセンスである。というのは、「赤い」が何を意味するかを学んでから、つまりその語を使用する技術を習得してから、はじめて彼はその文を自発的に語るのだから。
(ウィトゲンシュタイン 断片 418)

あらゆる説明の基盤は訓練である。(教師はこのことを忘れてはならない。)
(ウィトゲンシュタイン 断片 419)

他人が痛みを感じているのは確実だとか、彼が痛みを感じているかを疑うとかいうことは、他の人間に対する、自然で、本能的な関係の諸事態に属するものであり、我々の言語は単にこの振舞いの補助手段であり、延長なのである。(我々の行う言語ゲームは振舞いなのだから)
(ウィトゲンシュタイン 断片 545)

運命は自然法則と対照を成す。我々は自然法則を究明し、適用しようとするが、運命をそうしようとはしない。
(ウィトゲンシュタイン 断片 680)

矛盾は、言語ゲームにおいてわたくしが行動するのを妨げる。
だが、一つの決定から反対の決定へと、たえず投げ返されるのがまさにその言語ゲームである、と仮定してみよ。
矛盾は破局としてではなく、われわれがもはやこれ以上は行けないということを示す壁として把握されるべきである。
わたくしは、「矛盾を回避するために何をすべきか」ということよりも、むしろ「もし矛盾に陥ったならば、何をすべきか」と尋ねたい。
なぜ矛盾は同語反復よりも恐れられるのだろうか。
われわれのモットーをこう言ってもいい、「魅惑されないようにしよう!」
(ウィトゲンシュタイン 断片 685-690)

私は次のように言いたい。子供はしかじかの仕方で反応することを学ぶ。そしてそのように反応している時、子供はまだ何も知らないのである。知るということは後の段階にならないと始まらないのである。
(ウィトゲンシュタイン 確実性 538)

真理に根拠があるならば、その根拠は"真"でも偽でもない。
誰かがわれわれに、「それは"真"か」と問うとする。われわれが彼に、「その通り」と答える。さらに彼が根処をたずねたら、
こう言ってもよい。「私は君にどんな根拠を示すこともできない。しかし君の勉強がもっと先に進んだら、君も私と同じように考えることだろう。」もしそうならなかったら彼は、例えば歴史を、ついに学ぶことができなかった、というだけのことである。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 204)

我々の信念に根拠がないことを洞察する、これが難しいのだ。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 166)

自分が典型的な西洋の科学者に理解されるか、評価されるか、といったことは、私にとってはどうでもよいことだ。なぜなら、そのような科学者は、私が書くときの精神を理解しないだろうから。我々の文明は「進歩」ということばによって特徴づけられている。進歩というのは、この文明の形式なのであって、
それが有する諸特性の一つではない。すなわち、それが進歩するということではない。我々の文明は典型的に建設的である。その活動は、ますます複雑な建造物を構成していくこと。そして、明晰ささえも、そうした目的に仕えるにすぎず、それ自体が目的にはならない。それに反して、私にとっては明晰さ、
透明さが自己目的となる。
私に関心のあるのは、建物を実際に建てることではなくて、可能な建物の基礎を眼前に透視してみること。
それゆえ、私の目的は科学者の目的とは別物であり、私の思考の動きもかれらのそれとは異なっている。
(ウィトゲンシュタイン『哲学的考察』序文の草稿)

レーニンの哲学に関する著作はもちろん不合理だが、少なくとも彼は何かを成し遂げたいと考えていた。モンゴル系の顔立ちが特徴的だ。物質主義を公言しているのに、ロシア人がレーニンの遺体を永久保存し、墓参りするためにこれほど苦労していることは注目に値するのではないか
(ウィトゲンシュタイン)

私が形而上学を軽蔑しているとは思わないでほしい。私は過去の偉大な哲学体系のいくつかを、人間の心が生み出した最も高貴な作品の一つとみなしている。ある人々にとっては、この種の文章を書くことを諦めるのは英雄的な努力を要することだろう。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1930年)

一体全体なぜ、それによって人類が存続しているその行為が畏怖と畏敬をもってみられてはいけないのか。すべての宗教がセックスに対してアウグスティヌスのような態度をもたをなければならないということはない。
私たちの文化でも、結婚は教会で祝われる。その晩に何が起こるか出席者全員が知っているが、だからといってそれが宗教的な儀式であることを妨げるものではない。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1943年)

君はキルケゴールを読むべきではないかもしれません。私はもう彼を読むことができませんでした。彼は長ったらしく同じことを何度も言い続けます。彼を読むと、私はいつもこう言いたくなります「わかった、わかった、わかったから先に進めてくれ」
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話 1948秋)

科学的な説明は、私達をある不可解なものから別のものへと無限に導く。建物はどんどん大きくなり、私達は本当の安住の地を見つけられない。
哲学的な解明は、私達の探求がある意味で間違っていることを示すことにより、私達の探求と落ち着かなさに完全に歯止めをかける。
(ドゥルーリー『言葉の危機』)

モリエールのある戯曲で、医者が「阿片はどうして人を眠らせることができるのか」と質問された。医者は、「阿片には『休眠作用』があるからだ」と奥ゆかしく答えた。この答えは相手を完全に納得させた。
私たちは皆、このように自分を欺く傾向があるのではないだろうか。
(ドゥルーリー『言葉の危機』)

ウィトゲンシュタインは、現在のブルジョア資本主義文化の台頭をカルヴァンのせいにしている本を読んで、このような論説がいかに魅力的に見えるかを理解した上で、自分としては「カルヴァンのような人物を批判する勇気はない」と言った。
(ドゥルーリー『言葉の危機』)

カトリックの教えで特に気に障ったのは、「自然理性によって神の存在を証明することができる」という点だったという。これは、神を自分と同じような、自分の外側にある、ただ無限に強力な存在として考えることだと、ウィトゲンシュタインは言った。
(ドゥルーリー『言葉の危機』)

私たち人類はなぜ哲学を必要とするのか(おそらくこの現代においては特に必要なのだろう)。そして、なぜ哲学は、世代から世代へと伝達されるべき完成された結果を決して手渡さないのか。
私の本論はこうである。科学を認識しない哲学は空虚になり、哲学的批判にさらされない自然科学は盲目になる。
私は、このテーゼを説明するために、現代の進化に関する突然変異選択説を選んだ。
進化論は、最近の知識の進歩の一つであり、実際よりもずっと重要であるかのように見えるものである。この分野では、私たちが本当に知っていることだけを述べるのは非常に難しい。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第4章)

事実とされた仮説は、それを生んだデータとは別の存在論的な地位を容易に獲得してしまう。それは、現象の背後にある隠れた現実となる。
このような混乱は、ある有名な古生物学者の最近の著書がよく物語っている。ド・シャルダンの『人間という現象』である。この本の序文でジュリアン・ハクスリーは、
ドゥ・シャルダンが「現代の科学的人間において、進化はついにそれ自身を意識するようになった」というフレーズに喜んだと語っている。この本の基本的な考え方は、私が正しく理解するならば、何世紀にもわたる長い進化の結果、ついに「意識」という現象が生まれ、
それが生じた過程を理解することができるようになったということだ。ハクスリーは、これを非常に深い概念であり、新しい人文主義的宗教の基礎になると考えている。進化は、自分自身を意識するようになったので、自分自身の将来を計画することができるというわけだ。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第4章)

第一原理に戻ろう。科学的な仮説は、すべてデータに基づいている。そして、そのデータを得るためにどんな道具を使おうとも、結局は人間の感覚に依存するのだ。科学には、最初に感覚によらなかったものはない。あらゆる自然科学のデータは、意識のためのデータである。
そうすると、意識を仮説の一項目として持ち込むことはできない。家の基礎に使う材料が、同時に屋根の笠木を形成することはできない。意識は、単に意識されるものの一つではない。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第4章)

私は、ウィトゲンシュタインの著作を理解する上で見出されるべき困難は、単なる知的困難ではなく、倫理的な要求であると信じている。それは、「いつでも、どこでも、自分が本当に知っていること以上のことは言わない」という単純な要求である。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話メモ)

「哲学者をふたつに分けることができる。私がエマニュエル(当時は私の大学だった)に案内しているとしたら、『あそこに尖塔が見えるだろう、エマニュエルはあれから西南西に350ヤード行ったところにある』と言うべきだろう。一流の哲学者は、そこに辿り着くだろう(非常に稀なことだが)。
二流はこう言うだろう、『あなたは100ヤードまっすぐ行って、半分左に曲がって40ヤード行って、……』という具合に。その人が最終的にそこに到達することは非常に珍しい。実際、私はそんな人には会ったことがない」
(FRリーヴィス「ウィトゲンシュタインの記憶」)

彼は、私に、自分は若いとき宗教をバカにしていたが、二十一歳ぐらいの時、あるできごとによってその態度が変わった、と語ったことがある。できごとというのは、ウィーンで、芝居を見たときのことで、芝居そのものはありきたりのものだったが、その中の登場人物の一人が、
この世に何が起ころうと、自分は困らない、という考えを述べるところがあった。つまり、この人物は運命や環境に対して毅然として自立している。ウィトゲンシュタインは、このストイックな考え方に打たれ、この時はじめて宗教の可能性ということをさとった。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)

ふつう哲学では、ある概念を、あるきまった見方で見るように強いられていると感じるものだ。私の教えることは、べつな見方がありうるということを教え、あるいは進んでそういった見方を創造することである。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)

ウィトゲンシュタインによれば、キリスト教は、或る人々の生活に現実に生じたこと──「罪の意識」・絶望・信仰による救済──の記述なのである。ウィトゲンシュタインにとっては、宗教的信仰において強調されるべきは、行うことの「生き方を改めること」・「生活を方向転換すること」──なのである。
教義には、たとえ神学的には如何に正しくとも、生き方を改め、生活を方向転換する力は存在しないのである。
(マルコム『ウィトゲンシュタインと宗教』)

ウィトゲンシュタインが言うには、自然法則は事象の生起を強制するのだ、と考えるのは馬鹿げた誤りなのである。もし重力の法則が成り立つならば、このことはただ、物体はその重力の法則に一致して運動するのだ、ということを意味するだけなのである。
(マルコム『ウィトゲンシュタインと宗教』)

きみはある部屋に引っ越してきて、そして──「ああ、ここはほんの一時しのぎだ」、と言って、自分のトランクを開けない者のようだ。それでいいのだ──一時のあいだは。
しかしその者がよりよい場所を見つけることができなければ、あるがいはまたたぶん他の町へ引っ越しの決心もできないでいるときには、なすべきことは、自分のトランクを開けて、そしてその部屋でいいのかどうかを決めることだ。
(ウィトゲンシュタイン ローランド・ハットへの忠告)

後ほど彼らはその村の合唱団のひとり、ハインリッヒ・ポスッルというその地方の炭坑夫からこれらの音楽のセッションに参加するように誘われた。ウィトゲンシュタインの良き友人で一種の子分ともなったポスッルは、後ほどウィトゲンシュタインの家族から門番および管理人に雇われた。
ウィトゲンシュタインは何冊かの彼の好きな本──トルストイの『福音書書簡』とヘーベルの『宝石小箱』──を彼に与えた。そして彼は自分の道徳的見解を彼に押しつけようとした。それゆえ、ポスッルがあるとき、自分は世界を改善したいと言ったとき、ウィトゲンシュタインは答えた。
「あなた自身を改善するのがいい。それが世界をよりよくするためにあなたができる唯一のことなのですよ。」
(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン1』)

戦争がほとんど終わり、ロシア軍がベルリンに迫っていた頃、私はイギリスでの休暇を終えてドイツに戻る途中、ロンドンでウィトゲンシュタインと数時間過ごした。
ウィトゲンシュタイン「ヒトラーのような男が今置かれている立場は、なんとひどいものだろう」
彼は思いやりをもってそう言った。
私たちがヒトラーの没落を喜んでいるときに、ウィトゲンシュタインは、ヒトラーのすべてを憎みながらも、同時にそのような恐ろしい状況にある人々の苦しみを見ることができるのだ、と私は思った。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1945年)

ドイツとの戦争が近づき〔英国の〕ニュース映画がますます愛国的となり感情的な愛国主義的になるにつれ、ウィトゲンシュタインの怒りは増大した。彼の書類の中に、それらの制作者に宛てた手紙の草稿があり「ゲッベルスの第一の弟子」であると彼らを非難した。
(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン2』)

ドゥルーリー「ロンドンで開催されているイタリア美術の展覧会に友人と行く予定です」
ウィトゲンシュタイン「そのような展覧会に行くのなら、方法は一つしかない。部屋に入って、惹かれる絵を1枚選び、好きなだけ見て、それから離れて、他のものは見ない。すべてを見ようとすると、何も見えなくなる」

彼は『兄弟』の話をするようになった。彼はそこに書かれている全ての文章を50回は読んだに違いない。アリョーシャは色あせたが、スメルジャコフは深かった。この人物をドストエフスキーは知っていた。彼は実在していた。それから彼はこの本にはもう興味がないと言った。しかし『罪と罰』には戻りたい。
そして、その本の細部、殺人のあった家、部屋、廊下、階段等について話をした。しかし、彼が最も素晴らしいと思ったのは、ラスコーリニコフがドアの鍵をかけ忘れたことだった。あれはすさまじい! あれだけ計画的だったのに。(今思いついたんだけど、パスカルの鼻についたハエのようにね)
(OKブースマ)

ウィトゲンシュタイン個人について意見を述べるひとびとは、かれを自分のレベルまで引き下げがちだと言われるのを聞いたことがある。
(ファニア・パスカル『ウィトゲンシュタイン──個人的回想』)

〔1930年から〕数年後、ウィトゲンシュタインは、「私が望むときに哲学をやめられると言ったのを知っているね。それは嘘だ。できないんだ」と言った。
(ラッシュ・リーズ編『RECOLLECTIONS OF WITTGENSTEIN』)

あるとき、1945年以降だったと思うが、新聞に、パリのある医師が20人の患者を殺害したという記事が載ったことがあった。いずれの場合も、患者が予約で到着したときだった。ウィトゲンシュタインは私に、この男がこんなことをするために知っていたに違いない絶望について話した。
彼は、自分自身の中にもそのような絶望があり、その医師がしたようなことをするのはよく想像できる、と言った。そして、「あの男のようにならなかったのは、運と境遇のおかげだ」という趣旨のことを言った。
(ラッシュ・リーズ)

そしてそのマルコム自身、ウィトゲンシュタインの癖をまねていた。これについてはおもしろい逸話がのこっている。一九四九年、ウィトゲンシュタインはコーネル大学にマルコムをおとずれ、セミナーに出席した。するとある学生が、うしろにいる「マルコム生きうつし」の老人はだれなのかとたずねた

ウィトゲンシュタイン「たとえ科学で可能なすべての問いが答えられたとしても、生の問題はまったく手つかずのまま残されるだろう」

太宰治「論理は、所謂、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。」

十年にわたる囚人生活のあいだ、一分一秒たりとも一人きりになれないというのは、どれほど恐ろしいことか!
(ドストエフスキー『死の家の記録』)

とても感じの良い、小さくもない部屋だ。四か月ぶりに、初めて一人で本当の部屋にいる!! 僕はこの贅沢を味わう。
(ウィトゲンシュタイン 1914.12.10)

ラッセル、ウィトゲンシュタイン、ポパーという三人の大思想家が一堂に会したのは、この晩が最初で最後である。だが、そこで起きたことについては今日まで意見がわかれる。はっきりしているのは、哲学の問題とはなにかについて、ウィトゲンシュタインとポパーの間に激しい応酬があったことだけである。
哲学には本当の「問題」があるとポパーは主張し、それは「謎かけ(パズル)」にすぎないとウィトゲンシュタインは応じた。二人の「対決」は伝説になっていった。
(デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』)

哲学の仕事は、ある特定の目的のために記憶を収集することである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』127)

考えようによれば、古往今来のあらゆる思想とは、各思想家がそれぞれ自己の性情に向って為したジャスティフィケイションに外ならぬではないか。
(中島敦『狼疾記』)

ニーチェ

友への嫉妬を飛び越えるために、友を愛するにすぎないことがよくある。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

ある者は真理をめざして、英雄のように出立していった。だがついに連れて帰ってきたのは、ひとつの小さな化粧した虚偽だった。彼はそれを結婚と呼んでいる。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部 子どもと結婚について)

みじかいあいだ、多くの愚かなことをする──これを君たちは恋愛と呼んでいる。そして君たちの結婚はこの、みじかいあいだの多くの愚かなことを終わらせる。かわって、それはただひとつの長きにわたる愚かさとなる。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部 子どもと結婚について))

学者たちをつかめば、小麦粉袋のように、仕方なく埃をたてる。だが、その埃が、あの夏の畑のよろこびである麦の粒だったことを誰が見抜けようか。
彼らが賢者のようにふるまうとき、そのみすぼらしい箴言や真理に寒気がする。彼らの知恵からは、沼から立ちのぼるような臭気がこもっていることが多い。
学者たちは熟練している。器用な指さばきだ。その複雑さにくらべたら、"わたしの"単純さに何ができるだろうか。糸の通し方、結び方、編み方、すべてその指が心得ている。そして精神で出来た靴下を編み上げる。
学者はうまく出来た時計仕掛けだ。しっかりとねじを巻いてやることだ。それさえすれば、正確に時を告げ、つつましい音もたてる。
学者ははたらく、製粉機のように、そして杵のように。ただ穀物の粒を投げ込んでやりさえすればいい。──穀物をこまかに砕き、白い粉にすることならお手のものだ。
学者は監視しあっている。おたがいをあまり信頼していない。小さな策略を仕掛けるのがうまくて、足萎えの知識の持ち主を待ち受けている──蜘蛛のように。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 学者について)

私が次のように説くのも祝福であって、冒涜ではない。「万物の上には偶然という空が、無垢なる空が、運命の気まぐれの空が、放埒の空がかかっている」。
「気まぐれ」──これは世界最古の貴族の称号だ。これを万物に取り戻してやった。私は万物を目的への隷属から救い出した。
この自由と快晴の空を、
紺碧の鐘をかぶせるように、万物の上にかけた。そして私は教えた、万物の上にあって万物をつらぬく、いかなる「永遠の意志」もないと。
放埒と愚行を、その意志のかわりに立てた。そして教えた。「どうしてもありえないこと──それは合理性だ」と。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 日の出前)

「神様はどこでもついてきてくださるって、本当なの?」と、幼い少女が母親にたずねた。「でも、それってお行儀悪いと思うわ」哲学者たちへのれっきとした目配せ(ウインク)だ。謎やら色とりどりの不確かさやらによって自然が身を隠すさいに見せる羞恥に、もっと敬意が払われるべきだった。
おそらく真理とは訳ありの女性なのであり、みだりにその訳を見せたりしない訳があるのではないか。
ギリシア人は表面的だった──深さゆえにだ。われわれもまさにそこへ帰ってゆくのではないか
(ニーチェ『愉しい学問』第二版への序文)

罪。──魔女裁判では、どんなに明敏な裁判官であろうと、魔法使いには罪があると確信していた。それどころか、魔女自身でさえそう信じていた。ところが、実際はそんな罪など存在しなかった。同じことが、あらゆる罪に関して当てはまる。
(ニーチェ『愉しい学問』250番)

自由が達成されたことを示すしるしとは何か。──もはや自分自身に恥じないこと。
(ニーチェ『愉しい学問』275番)

究極の懐疑。──結局のところ、人間の真理とはいったい何か。──それは、人間の反駁不可能な誤謬である。
(ニーチェ『愉しい学問』265番)

新しい哲学者たちが登場している。彼らをあえて、危険がなくもない名前で呼んでみよう。わたしが謎解きをするかぎりでは、そして彼らがわたしに謎解きをさせるかぎりでは──というのは、彼らはどこかに謎が残ることを望む種類の人々だからだが──、
これらの末来の哲学者は誘惑者と呼ばれる権利をもっているのかもしれない(そしてこれは不当な権利だろう)。この名前そのものが一つの試み(フェアズッフ)であり、さらにいえば誘惑(フェアズッフング)でもある。
(ニーチェ『善悪の彼岸』42)

わたしたちがある人を見損なったと感じざるをえないとき、わたしたちは自分が感じた不愉快な気持ちを、無情にもその人物のせいにするのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』128)

隣人を誘導して、ある好ましい意見を語らせる。そのあとで隣人のその意見をしっかりと信じ込む。女性ほど、こうした技に卓越した者がいるだろうか?──
(ニーチェ『善悪の彼岸』148)

ある時代において悪と信じられたものは、かつて善と信じられたものの時代遅れの名残りである。──古き理想が隔世遺伝したものなのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』149)

称賛することには、非難すること以上に押しつけがましさがある。
(ニーチェ『善悪の彼岸』170)

人は人間愛から、理由なしにある人を選んで抱擁する(すべての人を抱擁することはできないからだ)。しかし理由なしに選んだその人に、そのことを告げてはならないのだ……。
(ニーチェ『善悪の彼岸』172)

科学は最近では隆盛をきわめて、良心の疚しさなど、まったくないという顔をしている。一方では近代のすべての哲学が凋落してたどりついたこの現代哲学という〈残り滓〉は、嘲笑や同情を誘うことはないとしても、不信と不満を呼び起こすものとなっている。
哲学は「認識論」にまで切り詰められ、実際のところはおずおずとした判断の中止(エポケー)の理論であるか、禁欲の理論であるしかなくなったのである。こうした限界を踏み越えることがなく、自信をもってその一歩を踏みだす権利を自らに拒む哲学──こうした哲学は死に瀕した哲学であり、
終末を迎えた哲学であり、断末魔の苦しみのうちにある哲学であり、同情を誘うものにすぎない。このような哲学が、──支配することなど、どうしてできようか。
(ニーチェ『善悪の彼岸』204)

モラルにおける奴隷の一揆は、怨恨(ルサンチマン)そのものが創造的となり、もろもろの価値を生むことによって、始まる。ほんとうの反作用が、すなわち行為の反作用が拒絶されているような、そしてただ空想的な復讐のみによって、無害に身を保つだけのような人々の怨恨である。
すべての高貴なモラルは、凱歌を奏して自己自身を肯定することから生ずるものであるが、それに対して、奴隷のモラルは始めから、「外部」に対し、「他者」に対し、「非我」に対して否を言うのである。そしてこの否こそ、奴隷のモラルにとっては創造的な行為なのである。価値を定立する眼差のこの錯倒、
自己自身へ戻るかわりに外部へと向う、この必然的な方向は、まさしく怨恨というものなのである。奴隷のモラルは、成立するためには、常にまず対立する世界と外部世界とを必要とし、生理学的に言えば、およそ作用するためには、外的刺戟を必要とするのである。
(ニーチェ『道徳の系譜』第1章10)

すべての高貴な道徳は、勝ち誇るような肯定の言葉、然り(ヤー)で自己を肯定することから生まれるものである。ところが奴隷の道徳は最初から、「外にあるもの」を、「他なるもの」を、「自己ならざるもの」を、否定の言葉、否(ナイン)で否定する。"この"否定の言葉、否が彼らの創造的な行為なのだ。
価値を設定するまなざしをこのように向け変えることも──自己に向けるのではなく、外部に向けるというこの必然的な方向の転換──、かのルサンチマンの一部である。奴隷の道徳が生まれるためには、まず自分に対立した世界、外部の世界を必要とする。生理学的に表現すれば、行動するために外部から
刺激をうける必要がある。──彼らの行動は基本的に〈受動的な反応〉なのだ。高貴な価値評価はその逆で、まず自発的に行動し、成長する。それが反対物を必要とするとすれば、それはさらに感謝の念のもとで、さらに喜ばしく、自らに肯定の言葉、然りを語るためにほかならない。──「低い」「卑しい」
「悪い」という否定的な概念は、その肯定的な概念、すみずみまで生と情熱に満たされた根本的な概念、すなわち「われら高貴な者、われら良き者、われら美しき者、われら幸福なる者!」という概念と比較すると、後からつけ足された色あせた対照概念にすぎない。
(ニーチェ『道徳の系譜学』第1論文10)

人類を「改善」するなどという約束をする気はみじんもない。私はいかなる偶像も建てない。古い偶像どものほうは、粘土の脚の身のほどを悟るであろう。"偶像"(これが「理想」に対する私 の用語である)を転倒させること──これこそ以前からの私の仕事である。
人々はこれまで理想の世界を"虚構"し、その分だけ実在から、その価値、その意味、その真実性を奪ってきた……。いわゆる「真の世界」と「仮象の世界」というわけだが、──はっきり言えばその逆に、"虚構された"世界と実在なのだ……。
理想の嘘っぱちがこれまで実在に呪詛をかけてきた。人類そのものがこの嘘のためにその本能の奥底まで虚偽となり、まがいものとなり──ついに人類の成長と未来と未来への大きな"権利"を保証する価値とは逆である諸価値が崇拝されるにいたった。
(ニーチェ『この人を見よ』序言2)

私はけっして個人を攻撃しない。私は個人というものをたんに強度の拡大鏡のように利用するだけで、それによって、潜在的な、いかにも捉えにくい一般的な危機を明らかにするのに使う。こうして私はダーヴィト・シュトラウスを攻撃した。正確にいえば、一冊の老いぼれた書物が、ドイツの「教養」のもとで
収め成功を攻撃した。私はこの教養を現行犯でつかまえてみせたのだ…。こうして私はワーグナーを攻撃した。正確にいえば、すれっからしの人間と豊かな人間、末期の人間と偉大な人間を混同しているわが「文化」の虚偽、本能的悪質を攻撃した。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも賢明であるのか7)

もう一つ私の天性の最後の特質を挙げておこうか? そのために私は人と交際するのがすくなからず困難になっているのである。まったく不気味な鋭敏さをもった純潔本能が私にはそなわっているので、私はあらゆる魂の接近、あるいは──何と言ったらいいか──その深奥のもの、
魂の「臓腑」までも生理的に知覚し──"嗅ぎつける"のだ……私はこの鋭敏さを心理的触覚として、これによってどんな秘密でも探りあて、物にしてしまう。おそらく劣悪の血にもとづくものだが、教育による上塗りを受けて、多くの天性の底に"隠れている"汚物は、ほとんど最初の接触によって、
私にはそれとわかる。もし私の観察が誤っていなければ、そうした私の純潔さに何の益も与えない相手の天性の側でも、やはり私が抱いている嫌悪に感づく。感づいたからといって格別いい匂いを出すわけでもないが……。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも賢明であるのか8)

人間における偉大さをあらわす私の方式は、運命への愛である。何ごとも違ったふうに持とうとは欲しないこと、前に向っても、後に向っても欲しないことだ。
必然的なものを単に堪えるだけではなく、いわんや隠すのではなく、──あらゆる理想主義は、必然的なものに対する虚偽である──これを愛すること……
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも怜悧であるのか10)

結局誰にせよ、何事からも、従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできないのだ。体験上理解できないものに対しては、人は聞く耳ももたないのだ。ひとつの極端な場合を考えてみよう。
ある書物が、人がたびたび経験することができないばかりか、ほんの稀にも
経験できないような体験ばかりを語っているとする──つまり、その書物が、一連の新しい経験を言い現わす最初の言葉であるとする。この場合には、全く何も耳にきこえない。そして、何もきこえないところには何も存在しない、という聴覚上の錯覚が起こるのである。
(ニーチェ『この人を見よ』)

わたしが人間の「胸奥を探る」ときの第一の規準は、その人が距離の感覚をそなえているかどうか、つねに人間と人間とのあいだに位階、等級、順序を見ているかどうか、かれが差別をすることを知っているかどうかということにある。それを知っていたら、かれは〈貴族〉だ。
知らなかったら、救いようもなくかれは、あの偏見のない、ああ! いかにもお人好しの〈賤民〉という概念に属することになる。ところでドイツ人がその賤民なのだ──ああ! 彼らはいかにもお人好しだ……ドイツ人とつきあうとこっちまで低くなる。ドイツ人は平等化する……
(ニーチェ『この人を見よ』ワーグナーの場合4)

私を幾分か理解したと思った人は、彼自身の姿にあわせて、私を適当にこしらえあげたのであって、──それが私の正反対、たとえば「理想主義者」になってしまったこともまれではない。私というものが全然わからなかった人は、私がおよそ視野にはいるということを否定した。──「超人」という言葉が、
ほとんどいたるところで、しごく無邪気に、ツァラトゥストラの姿にあらわされているのとは正反対の価値の意味で解されている。つまり、高級な人間の「理想主義的」典型、なかば「聖者」なかば「天才」といったものになっている……。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくもよき書物を書くのか1)

よい文体とは、ひとつの内的状態の真の姿を伝えるものであり、記号、記号のテンポ、身ぶり──複雑な構造をもつ文章の法則はすべて身ぶりの技術だ──の行使をやりそこねない文体である。わたしの本能は、この点であやまちを犯すことがない。
(ニーチェ『この人を見よ』)

当時私の最初の猜疑、私の最も身近な用心は、ロマン主義的な音楽に対して向けられた。そして、私がおよそなお音楽について何らかの希望を持ったとすれば、それは、
ああいう音楽に対して不滅の仕方で"復讐をする"ことのできる、大胆で、繊細で、意地悪く、南方的で、あふれるばかりに健康な一人の音楽家が現われてほしいという期待であった──
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』序文)

たとえば、いかにして人はよき小説家になりうるか、の処方はたやすく与えうるが、その実行は、「自分には才能が充分でない」というとき看過されるのが常であるような、もろもろの特質を前提している。どれも二ページより長くはないが、それでもそこに含まれた一語一語が必然的であるといったぐあいに
明確な小説の草稿を、まあ百あまりも作るがよい、逸話のもっとも含蓄のあるもっとも効果のある形式を発見するようになるまで、毎日逸話を書きおろすがよい、人間の類型や性格を蒐集したり潤色したりするのに倦んではならない、とりわけ、他の同席者に対する効果に鋭い眼や耳をむけながら、
できるだけしばしば物語をしてきかせ、人の物語るのをきくがよい、風景画家や服装図案家のように旅行するがよい、うまく表現されると芸術的効果を与えるような一切を個々の学問から抜粋するがよい、最後に、人間行為の動機についてよく考え、この点での教示のどんな指針をも軽んぜず、
日夜こうした事柄の蒐集者であるがよい。このような多様な修業で二三十年を過ごすがよい、だがそれから、仕事場で創作されるものは、街頭の光の中へ出てもよいのである。しかるにたいていの者はどうやっているか? 彼らは部分からではなく、全体から始める。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』163)

"年齢と真理"。──若い人々は、真偽のほどなどどうでもよく、面白いものや変わったものを愛する。もっと成熟した精神は、真理の面白い変わったところを愛する。最後に円熟した頭脳は真理を、それが簡素単純にみえて凡人を退屈させるようなところでもまた愛する、
真理は、それがもっている精神の最高のところを、単純なそぶりで語るものだということに、彼らは気づいているからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』609)

現代にあっては、自分自身を信じている者はすべて人から信用されない。ところがかつては、自分自身を信ずることが人に自分を信用させるに十分なことだった。"今日"信用を見いだすために必要な処方はこうである、
「君自身を愛惜してはいけない! 君の意見が信用の光に包まれることを望むのなら、まず
君自身の小屋に火をつけよ!」
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部319)

私は、人がおのれ自身を"尊敬する"ことからはじめることを欲した。すべてその他のことはこのことから引きつづいて生ずるからである。もちろん、まさに"このことで"人は他人にとってのものであることをやめる。なぜなら、
このことをこそ他人は最も許しがたいとするからである。
「なんと? おのれ自身を尊敬する人間?」──
(ニーチェ『権力への意志』919)

"侮蔑の火の中で"。──心に抱いているだけでその者の恥辱とみなされるような、そんな見解をやっと思い切って口に出すとき、それは独立への新しい一歩である、
すると友人や知人たちでもおじけづくのが常である。この火の中をも天分のある者は通り抜けなくてはならない、彼はその後はさらにずっと多く自己自身に所属するようになる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』619)

われわれが最もつらい償いをしなければならないのは、われわれがわが身を"軽くした"ことに対してだ! そして、おくればせにもまたもとの健康にもどることを願うのならば、われわれには選択の余地は残されていない、
──われわれは、かつて背負ったどんな重荷よりも"いっそう重い荷"を自らに負わせねばならないのだ……。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』序文4)

「真理とは何ぞ」の問いを発したピラトは、今では好んでキリストの弁護人として紹介されるが、これは認識されたものおよび認識の可能なもののいっさいに対して仮象の嫌疑をかけ、〈一切不可知〉という戦慄すべき背景の前に十字架をうち立てるためである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部8)

書くということは、常に或る勝利を、しかも、他人のためにわかちあたえられるべき、"自己自身"の克服を告知するものであるべきだろう。しかし、まさしく、何か消化できないものにぶつかる時にのみ、それどころかこれがすでに歯にひっかかった時にのみ書くような、消化不良症の作家が存在する。彼らは、
無意識のうちに、彼らの念をもって読者をも怒らせ、かくて読者に或る権勢をふるおうと努める。つまり──彼らも勝利を得ようとする、しかし他人に対する勝利を、である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部152)

"扉に書かれた名前"。──作者の名前が書物にのることは、現在たしかに習慣であり、またほとんど義務である。しかし、それは、書物の効果がひどく減殺される主因である。つまり、それが良書であるならば、それは作者たる人格の精髄のあらわれとして、作者個人以上の価値を持つのに、
作者が扉に名を出すと、たちまちその精髄はまた読者の側から個人的なもの、むしろ最も個人的なものによって薄められ、かくしてその書物の目的は水泡に帰せしめられてしまうのである。もはや個人の姿をとって現われないということが、知性の野心である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部156)

詩に題をつけるのは近代人の習慣だよ。古代人の詩も、ずっとあとになってからはじめて、近代人の手で題がつけられたのだ。しかし、この習慣は、必要から生れたもので、文学が普及をみたため、作品の名をあげたり互いに区別したりしなければならないのだ。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1827.1.29)

"好意の乏しさと皆無"。──良書はすべて、或る特定の読者およびその同類の人のために書かれたものであり、まさにそれがために、大多数を占める他のすべての読者から好ましく見られない。したがって、良書の声価は狭い土台に支えられたものであり、それはゆっくりとしか高められない。
──凡庸な悪書がまさに凡庸な悪書たるゆえんは、まさしくそれが多くの人に気にいられようと努め、また事実気にいられるというところにある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部158)

彼は、あとになって自分の孤独をそれだけ一層情愛深く抱擁するための時折の社交でなければ、社交を必要としない。彼は死んだ人々で、生きている人々を補充する。そして友人すらも補充する。つまりこれまで生きていた最上の人々で補充する。
──人間の生活を金がかかるようにし、したがって苦しい、またしばしば忍びがたいものにするのは、これと反対の欲望や習慣ではないかどうか、考慮するがよい。
(ニーチェ『曙光』566)

諦念の心をもってことさらに孤独のうちに身を持するとき、彼はかえってそのおかげでひとびととの交際を、めったに味わえないだけにいっそう、美味に感ずることができる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部333)

完全な自伝を書くことは、もしそれが純粋な願望の結果であるならば、常に優れた人間の証となる。本当の忠実な記憶は、尊敬の念の源だからである。本当に偉大な人は、物質的な利益や精神的な健康と引き換えに自分の過去を手放そうという誘惑に負けないだろう。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

おそらく天才は、自身の人生経歴を完全且つ鮮やかに回想できるところにその基礎をもつ。
(ショーペンハウアー『遺稿集』)

"いかなる哲学を常に社会に要求するか"。──社会秩序の支柱がその基礎とする土台は、各人が自分のあるがままのもの、自分のなし、努めるがままのもの、
自分の健康あるいは病気、自分の貧困あるいは裕福、自分の名誉あるいはみすぼらしさを晴れ晴れと眺め、しかもそのときに「だが誰ともとりかえっこするものか」という気持ちを感じるような状態である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部396)

"忍苦のひとのための処方"。──君には人生の重荷がおもくなりすぎているというのか? ──それでは君は、君の人生の重荷をふやさなければならない。忍苦の者がついにはレーテ〔忘却〕の河にこがれ、それを探し求めるなら、──彼は、それを確実に見いだすためには、
"英雄"とならねばならない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部401)

"どうしたら義務は光彩を得るか"。──君のかたい青銅の義務が誰の目にも金に見えるように変える手段は、いつも君が約束した以上のことを守れ、ということだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部404)

"人間への祈り"。──「われらの徳をわれらに許し給え」──人間に向かってはこう祈るべきだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部405)

"新しい鎖を感じない"。──自分が何かに依存していることを感じない限り、我々は自分を独立的だと思っている。だがこれは、人間がどんなに高慢で支配欲にもえているかを示すひとつの誤った推論である。なぜなら人間は〈独立して生きているのが"普通のこと"であり、もしその独立性を失うことでもあれば
直ちに感情の或る矛盾を感ずるだろう〉という前提に立って、どんな場合にも隷属的な立場におかれればすぐにそれに気が付き、それをはっきり見わけることができるに違いないと推論しているのだからである。──しかし、その逆こそ真理だとしたら? 人間は"常に"様々な隷属のなかに生きているのだが、
長い習慣のために鎖の重みを"もはや感じない"場合に自分を"自由だ"と思っているのだとしたら? ただ新しい鎖にだけは人間はまだ隷従感をおぼえる。──とすれば、「意志の自由」とは本来、いかなる"新しい"鎖をも感じないこと以外のなにものでもない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部10)

レッシングは、おそらく今日なお生きている、──だが若い、またますます若くなるいっぽうの学者たちの間でだ! そしてシラーは、今や青年たちの手をはなれて少年たちの、ドイツの全少年たちの手におちている!
たしかに、書物がますます未成熟な年齢層の手へと降下してゆくことは、ひとの知るごとく一種のすたれ方なのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部125)

"鎖をつけて踊る"。──ギリシアのどの芸術家、詩人、そして著作家の場合でも、こう問う必要がある、彼が自らに課したところの、そして同時代人に対しては魅力的なものにした(だから彼は模倣者を得たのだ)ところの"新しい拘束"は、どれであるのか? と。
なぜなら、「発明」(たとえば韻律上の)と呼ばれるものは、いつもそうした、自分で自分に課した束縛だからである。「鎖をつけて踊ること」、自分には事をむずかしくしておいて、それからいかにも易しそうな幻惑をその上にひろげること、──これが彼らのわれわれに示そうとする芸当なのである。
すでにホメロスにおいて、伝承された定式や叙事詩における説話形式上の規範のおびただしい分量を認めることができる。ホメロスはそういう"枠の内部"で踊らなければならなかった。しかも彼自身またこれに加えて、後代の者のためにさまざまな新しい因襲をも創始したのである。これがギリシアの詩人たちの
養成学校の在り方であった。つまり、まず前代の詩人たちによってたくさんの拘束を課せられ、次にこれに加えて新しい拘束を発明し、それで自らに課し、また優雅に克服する、というわけで、こうして拘束と勝利がひとびとに認められ、讚嘆されるのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部140)

"ショパンの舟唄"。──ほとんどどんな境遇や暮らし方も、一つの"至福の"瞬間を持っている。すぐれた芸術家たちは"これを"探りあてることを心得ている。たとえば、水辺での生活、最も騒々しく、そして最も欲深な賤民たちの近くで展開される実に退屈で、不潔で、不健康な生活でさえも、
そういう一瞬を持っている、──そしてこの至福の一瞬をショパンは舟唄(バルカロール)のなかにすばらしい音楽として響かせた、神々でさえもそれをきくと、長い夏の夕べをぜひとも小舟に身を横たえたくなりかねないほどに。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部160)

自分のありのままの姿を見たいと思う者は、炬火を手にして自分自身を"不意打ちに驚かす"ことを心得なければならない。なぜなら、精神に関することがらは身体に関することがらと同じ事情にあるからである。自分を鏡のなかに見ることに慣れている者は、いつも自分の醜さを忘れている。
画家に描かれることによって初めて彼は再びこの醜さを印象づけられる。けれども彼はまたこの絵にも慣れて、再度自分の醜さを忘れる。──これは、人間は不変の醜さというものに"堪えられない"という一般原則のためである。ただし、それも一瞬間の話であって、
人間はいかなる場合にもそれを忘れるかあるいは否定するかするのだ。──モラリストたちは、彼らの諸真理を提示しうるためには、〔ひとが自分の醜さに堪えがたさを感ずる〕この「瞬間」をねらわなければならない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部316)

"思索家の障害"。──思索家をして彼の思想を中断せしめる(世に言う、妨げる)すべてのものに対し、思索家は平和な眼を向けなければならない。ちょうど、芸術家のところに申し出るために戸口を入ってきた新しいモデルを眺める芸術家のように。
中断ということは、孤独な者に食物を運んでくれる鴉だからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部342)

少なくとも毎日の三分の一を情熱も人間も書物もなしにすごさないのであれば、どうして思索家になれる者があろう?
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部324)

科学する人間には、地味で苦労の多いさすらいの途上において、「哲学の体系」と呼ばれている、あの輝かしい空中の幻像が現われる。それは、偽瞞の魔力をもって、あらゆる謎の解答を教え、手近にある真の生の泉の、最も新鮮な飲水を教える。心はそれを貪り飲み、疲れ果てたその人は、すべての学問上の
忍耐と困苦との目標に、ほとんどすでに唇で触れんばかりなので、彼は止み難いもののように前進してゆく。勿論或る種の人々は、美しい惑いに酔い痴れたようになって、立ちどまる。沙漠が彼らを呑み込んでしまい、学問に対しては、彼らは死んだも同然である。それとは別な人々は、そのような主観的慰めは
既に幾回となく経験したことがあるので、おそらく極度に不快となり、その塩味を呪う。それはあの幻像が口中に残すところのものであり、そのために烈しい渇きを起させる。──人はそれによって、ただの一歩たりとも、いずれかの泉に近づいたということはないのだが。
(ニーチェ『余りに人間的』第2部31)

この俗物はなるほど時々芸術のお品ぶった厚かましい濶歩と懐疑的歴史記述に身を委ねることが好きで、かかる気晴らしと娯楽の対象の有する魅力を過小評価してはいないが、しかし「人生の真面目」、これはすなわち職業、仕事、妻子のことであるが、これを慰みから厳密に分離しており、
そしてこの慰みの方に文化に関するほぼ一切のものが属している。だから、芸術そのものが真面目なことをなし始め、彼の営業、仕事、習慣、要するに彼の俗物としての真面目なことに触れるような要求をなすと、この芸術は禍いなるかな、ということになる──
彼はかかる芸術から何か猥褻なものを見たかのように眼をそらし、貞操の番人の顔附きをして、見るのはおよしなさい、と保護者を必要とするあらゆる徳性に警告する。
(ニーチェ『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』2)

悲劇の生命を奪ったもの、道徳のソクラテス主義、理論的人間の弁証法・自足・晴朗──どうであろう、このソクラテス主義こそ衰微・疲労・疾患また無秩序に解体してゆく本能といったものの兆候ではあり得ないだろうか? 後期ギリシア文化の「ギリシア的晴朗」とは単なる夕映えにすぎないのではないか?
厭世主義"に対する"エピクロス的意志も悩めるものの用心にすぎないのではないか? そして科学そのもの、我々の科学──さよう、いっさいの科学は、それを生の兆候としてみれば、およそ何を意味するのか? 何のため、いっそう悪いことには、"どこから"──いっさいの科学はあるのか?
どうであろう、もしかしたら、科学性は厭世主義に対する恐怖・逃避にすぎないのではないか? "真理"に対する巧妙な正当防衛ではないのか? そして道徳的にいえば卑怯や虚偽のようなもの、非道徳的にいえば狡猾さではないのか?
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 1)

わたしはつぎの事実を隠しおおそうとは思わない。この書物が現在のわたしにとっていかに不愉快に思われるか、十六年後のこんにち、わたしの前にいかによそよそしく立っているか、を。わたしの眼は以前よりも老い、百倍もぜいたくにはなったが、しかしけっしてそれだけ冷たくなったわけではない。
そしてまた、あの課題そのものに対しても、それだけよそよそしくなりはしなかった。あの大胆不敵な書物がはじめて肉薄した課題──科学を芸術家の光学で見、芸術を生の光学で見る、という課題に対して……
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 2)

どうであろう、ギリシア人が、まさに青春の力にみちあふれているときにおいて、悲劇的なもの"への"意志をもち、かつ厭世主義者であったとすれば? プラトンの言うごとく、ギリシアに"最大の"祝福をもたらしたものがまさにこの狂気であったとすれば? そして他面その反対に、
ギリシア人がまさにその解体と衰弱のときにおいて、ますます楽天的・皮相的になり、ますます芝居じみ、論理と世界の論理化とにますます燃え、したがって同時にいっそう「晴朗」に、いっそう「科学的」になったとすれば? どうであろう、いっさいの「近代理念」と民主主義的趣味の偏見とにも関わらず、
"楽天主義"の勝利優勢になった"合理性"・実践的ならびに理論的な"功利主義"といったものは、時代を同じくする民主主義そのものと同様──低下する力・迫り来る老齢・生理的疲労の一兆候であり得るのではなかろうか? そして厭世主義こそが──そうで"ない"のでは? エピクロスが楽天主義者であったのは
──"悩める者"であったがゆえではないのか? ごらんのとおり、これが本書に課せられた困難な問題の一束であるが──さらに、そのもっとも困難な問題をつけ加えよう。"生"の光学のもとにおいて──道徳は何を意味するか?……
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 4)

道徳そのものは──どうであろう、道徳は「生の否定への意志」であり、ひそかな破壊本能であり、堕落・卑小化・誹謗の原理であり、終末の端緒なのではなかろうか? したがって、危険中の危険ではなかろうか? かくして、問題をはらんだこの書物でもって、当時わたしの本能は、生を弁護する本能として道徳に反抗し、そして生の根本的な反対説・逆評価、純粋に芸術的な説、"反キリスト教的"な説を考え出したのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 5)

──キリスト教とは、人類がこれまで傾聴してきた道徳的テーマの、放埓きわまる図式化なのである。事実、本書において教えられるような、純粋に美的な世界解釈と世界是認とにとっては、キリスト教の教説以上に大なる相反はない。この教説は、"単に"道徳的であり、またそうあろうとし、
そしてその絶対的な規準、たとえば神の真実をもってして、芸術を、"どんな"芸術をも"虚構"の国へと追放する──すなわち、それを否定し、処断し、断罪する──ものだからである。ともかくも純正である限りは芸術に敵対的ならざるを得ないような考え方・評価の仕方の背後に、
わたしは以前から"生に敵対的"なもの、生そのものに対する痛憤やる方なき復讐に燃えた嫌悪をも感じていた。なぜならば、いっさいの生は、仮象・技巧・錯覚・光学および遠近法と誤謬との必然にもとづいているからである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 5)

キリスト教は、そもそもの初めから、本質的にまた完全に、生に対する生の嫌悪であり、飽満であった。そして、「他の」または「よりよき」生を信仰することによって仮装し、身を隠し、身を飾っていたにすぎない。「現世」を嫌い、情念を呪い、美と感性とを恐れ、
此岸をいっそう誹謗せんがために彼岸を発明し、結局は無を、終末を、憩いを、そして「安息日の中の安息日」を欲求すること──こうしたすべてのことは、道徳的な価値"のみ"を認めようとするキリスト教の絶対的な意志と同様、わたしには「没落への意志」のあらゆる可能な形式中、もっとも危険でもっとも
不気味な形式、すくなくとも生のもっとも深い疾患・疲労・不快・消耗貧困のしるしのように思われた。なぜならば、道徳(ことにキリスト教的、すなわち絶対的道徳)の前では、生は、絶えずまた不可避的に敗者の地位に立た"ざるを得ない"からである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 5)

しかもそれは、カントやショーペンハウアーの精神にも、趣味にも、根底から相反していた! ともあれ、ショーペンハウアーは悲劇についてどう考えていたか?
「いっさいの悲劇的なものに高揚への独特な飛躍力を与えるものは、現世・生は真の満足を与えることはできない、したがってわれわれの執着に"値しない"、という認識が目ざめることである。そこに悲劇的精神がある──。それゆえにそれは"諦観"へと導く。(『意志と表象としての世界』第二巻)」
おお、ディオニュソスがわたしに語ったところと、なんと異なっていることであろう! おお、当時のわたしには、まさにこの諦観主義全体がなんと縁遠いものであったろう!
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 6)

もし"貴君の"書物〔『悲劇の誕生』〕が浪漫主義でないとすれば、いったい浪漫主義とは何なのか? 「現代」「現実」および「近代理念」に対する深い憎悪が、貴君の芸術家形而上学における以上にかきたてられることがあろうか?
そこに唸りをあげているのは、一切の対位法的音声術と聴覚の詐術とに基づく
憤激と破壊欲という基低音ではないのか? 「今」あるいっさいのものに対する狂暴な決断ではないのか?
「"君たち"が正しいくらいなら、"君たち"の真理が通るくらいなら、むしろなにものも真実でないほうがいい」と言っているように思われる意志ではないのか? 厭世主義者で芸術賛美者である貴君よ、
それは1850年の厭世主義の仮面をつけた、1830年の正真正銘の浪漫主義者の告白ではないのか? その背後では、もうすでにお定まりの浪漫主義者の終曲が前奏をはじめている。──崩壊が、瓦解が、一つの古い信仰・"あの"古い神に対する復帰と拝跪とが。
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 7)

君たち若き浪漫主義者よ、それ〔形而上的慰藉の芸術・悲劇を渇望すること〕は余儀ないことであっては"ならない"のだ! だが、それがそんなふうに"終わる"ということ、"君たち"がそんなふうに"終わる"ということは、ありそうなことだ。つまり、そこに述べられているように、
自分自身を厳粛と恐怖とに立ちむかうべく教育するにもかかわらず「慰められ」、「形而上的に慰められ」て、要するに、浪漫主義者の終末のように、"キリスト教的"に終わるということが。……否。君たちはまず第一に"此岸"の慰藉の芸術を学ぶべきであろう。若き友よ、もし君たちが
ほんとうに徹底して厭世主義者たることを失うまいと思うならば、君たちは"笑う"ことを学ぶべきである。おそらく君たちは、その結果、笑う者として、いつかはいっさいの形而上的慰藉を悪魔にやってしまうであろう。──形而上学などはまっ先に!
(ニーチェ『悲劇の誕生』自己批判の試み(1886年) 7)

その人たちはこの著書を読んで、我々の扱っているドイツ的な問題がいかに真剣なものであるかを知って驚いてほしい。というのは、この問題を我々は渦巻として、転回点として、文字どおりドイツ的希望のまっただ中へとさし出すからである。けれども、おそらくこうした人々にとっては、美的問題が
かくも真剣にとりあげられているのを見ることは、およそ不愉快なことなのであろう。つまり、彼らは芸術の中に「生存の厳粛さ」に対する陽気なお添え物、おそらく無くてもすむお囃子以上のものを認識することができないからである。そうした「生存の厳粛さ」とこのように対比することが何を意味するか、
誰一人知っていないかのようである。こうした真面目な人たちが私の立場を知って、啓発されるところあらんことを。私自身は、芸術がこの人生の最高の課題であり、この人生の本来形而上的な活動であることを確信しているものである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』リヒャルト・ワーグナーに寄せる序文)

以上に述べたいくつかの見解の中に、すでにわれわれは深遠にして厭世主義的な世界観のいっさいの要素と、それと同時に"悲劇の秘教"を述べたわけである。すなわち、現前するいっさいのものは一つであるという基本的認識。
個体化は悪の根本原因であり、芸術とは個体化の呪縛を破り得るという喜ばしき希望であり、合一が復活されるという予感であるという見方。──
(ニーチェ『悲劇の誕生』10)

あらゆる生産的な人間においては、本能がまさに創造的・肯定的な力であり、意識は批判的かつ諫止的に振舞うのであるが、ソクラテスにおいては本能が批評家になり、意識が創造者になる──これこそまさに欠陥から生まれた怪物!
(ニーチェ『悲劇の誕生』13)

ここにおいて我々は、相拮抗して悲劇を滅ぼしたあの力は、悲劇および悲劇的世界観が芸術的に再度目ざめるのを妨げるだけの強さを、いかなる時代にももっているかどうか、という疑問に当面する。古代の悲劇が、知識と科学の楽天主義とに対する弁証法的衝動によって、その軌道から押し出されたとすれば、
この事実から、理論的世界観と悲劇的世界観との間の永遠の闘争を推論することができるであろう。そして、科学の精神がその限界まで導かれ、その普遍妥当性の要求がそれらの限界の指示によって破棄されたとき、そのときはじめて悲劇の再生を期待することができるであろう。
(ニーチェ『悲劇の誕生』17)

今や、ソクラテス〔を原像とする理論的人間の〕文化の胎内に何が隠されているかを、隠しておくべきではない! 自己を無制約的なものと妄想している楽天主義! もう驚いてはいけない! この楽天主義の果実が成熟するとしても。こうした類の文化によって最下部の層に至るまで十分醗酵させられた社会が、
しだいに放縦な興奮や渇望のために震えてくるとしても。あるいはまた、万人が現世で幸福を得られるという信仰、このような普遍的な知識文化があり得るという信仰が、しだいにそうしたアレクサンドリア的な現世の幸福に対する緊急の要求に変じ、
魔術によってエウリピデス的な機械仕掛の神(デウス・エクス・マキーナ)を誘い出すことに変ずるとしても!
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)

我々の近代世界全体はアレクサンドリア文化の網の中にとらえられており、その理想とする人間とは、最高の認識をそなえ、科学のために働く理論的人間である。
我々の教育手段は、すべて根源的にはこの理想を目標とする。
ここではながいあいだ、教養人士は学者という形でしか存在しなかった、
ということに我々はほとんど驚きを禁じ得ない。我々の文学すら、学究的模倣から発展しなければならなかった。
それ自体としてはわかりやすい近代人ファウスト、学問のあらゆる部門を満たされることなく荒れ狂い、知識欲から魔術と悪魔とに身を委ねたファウストは、
生粋のギリシア人にはいかに不可解に思われるにちがいないことか! 我々はこのファウストをソクラテスと並べて比較しさえすれば、近代人があのソクラテス的認識欲の限界を予感しはじめ、荒涼たる知識の大海原から一つの岸辺を望んでいる、ということが認識されよう。
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)

オペラは理論的人間つまり批判力ある素人の所産であって、芸術家の所産ではない。これは、あらゆる芸術の歴史におけるもっとも奇怪な事実の一つである。人はなによりまず言葉を理解しなければならぬ、などということはまったくもって非音楽的な聴衆のもつ要求であった。
そういうことになれば音楽の再生が期待され得るのは、ただなんらかの歌い方が発見されて、あたかも主人が召使いを支配するように歌詞が対位法を支配する場合のみであり、その理由は、言葉というものは、魂が肉体よりもはるかに高貴であると同じように、
それに伴奏している和音の体系よりもはるかに高貴だからだ、ということになる。オペラの初期においては、音楽と形象と言葉との結合は、こうした見解に見られるように、まるで素人くさく、乱暴に非音楽的に取り扱われたのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』19)

実際、フロレンスの上流素人社会で、そこに保護を受けている詩人や歌手たちによって最初の実験がなされるに至ったのも、この美学の意味においてであった。芸術無能者が一種の芸術をつくり出すのだ。しかも、彼が非芸術的人間そのものであるということによって。彼は、音楽のもつディオニュソス的深さを
予感しないゆえに、音楽の享受を、ラップレゼンタティーボ様式における悟性的な言語・音調の情熱修辞学に変え、歌の技巧の快感に変えてしまう。彼は、幻影を見る能力がないゆえに、道具方や舞台装置家をむりにも連れてくる。彼は、芸術家の真の本質を把握することを心得ていないゆえに、自分の趣味に
かなった「芸術的原始人」、つまり感情が激してくると歌ったり詩句をロずさんだりする人間を魔法で自分の前に呼び出す。彼は、情熱だけで歌や詩をつくり出せる時代へ入ってゆくような夢をみる。かつては情念さえあれば芸術的なものを創造できたかのようだ。オペラの前提をなすのは、芸術の過程に関する
誤った信仰、感受性ある人間は元来だれもが芸術家であるというあの牧歌的信仰である。この信仰の意味において、オペラは芸術における素人趣味の表現である。けだし、こうした素人趣味は、その法則を口述するにあたっては、理論的人間の明るい楽天主義をもってするからだ。
(ニーチェ『悲劇の誕生』19)

したがってオペラの面上には、決して永遠の楽園喪失というあの悲歌的な苦痛は現われていない。むしろ、永遠の再発見の明るさがあり、すくなくともいつでも現実的なものとして思い浮かべることのできる牧歌的な現実を、安閑として楽しんでいるふうがある。その際、こう予感するときがあるかもしれない。
この"現実"は、空想的なばかばかしいたわむれ以外のなにものでもなく、それを真の自然の恐るべき厳粛さによって測り、かつそれを人類の始まりの本来の原始的情景と比較することのできる者は、それに対して嫌悪をもって「妄想よ去れ!」と呼びかけざるを得ないであろう、と。それにもかかわらず、
オペラのような、たわむれに類するものを、幽霊のように怒鳴りつけて簡単に追い払うことのできるものと思うならば、それは期待はずれになることであろう。オペラを滅ぼそうとするものは、あのアレクサンドリア的晴朗さに対する闘いを覚悟しなければならない。
(ニーチェ『悲劇の誕生』19)

オペラというこの寄生的なしろものは、真の芸術の樹液から養分をとるのでないとすると、いかなる樹液をとって生きているのか? その牧歌的な誘惑の下では、またそのアレクサンドリア的阿諛芸術の下では、芸術の最高にしてかつ真に厳粛と呼ばれるべき課題──暗黒の恐怖へと注がれていた眼を解放し、
主体を意志の撹乱という痙攣から仮象という治療の香油によって救い出すという課題──は、空虚な気晴らし的な娯楽の傾向に堕してしまう。こう推測することはできないであろうか? わたしはラップレゼンタティーボ様式の本質に触れて様式混淆を述べたのであるが、こうした様式混淆にあっては、
ディオニュソス的なものとアポロ的なものとの永遠の真理はどうなるのであろうか? そこでは、音楽が召使いとして、歌詞が主人公としてみなされ、音楽が肉体と、歌詞が魂と比較される。そこでは、最高の目標が、せいぜい注釈的な音画に向けられている。
そこでは、ディオニュソス的な世界鏡たらんというその真の威厳が、完全に音楽から奪われ、その結果、それは現象の奴隷として現象の形式的特徴を模倣し、線と釣合いとをもてあそぶことによって外面的な面白さを喚起するより他にしようがないのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』19)

これまで、ドイツ精神がギリシア人から学ぼうとしてもっとも激しい努力をしたのは、いかなる時代、いかなる人々であったか。それは他日、廉直な審判者の眼によってはかられることであろう。この比類なき賛辞はゲーテ、シラー、ウィンケルマンのこの上なく高貴な教養の闘いにこそ呈されなければならぬ、
と確信をもって仮定するにしても、我々は同時にこう付言しなければならないであろう。あの時代およびあの闘いのもっとも直接的な影響がみられて以来、同じ道に立って教養とギリシア人とに向かおうとする努力が、不可解にもますます弱まっていった、と。我々がドイツ精神に完全に絶望しなくていいように
次のような結論をくだしてはならないであろうか? すなわち、なにかある主要な点においては、あの闘士たちをもってしても、ギリシア的本質の核心に入りこみ、そしてドイツ文化とギリシア文化との間の永続的な愛の紐帯をつくり出すことに成功しなかったのかもしれない──
(ニーチェ『悲劇の誕生』20)

悲劇は、生命と苦悩と快楽とのこの過剰のまっただ中に、崇高な恍惚にひたって坐し、はるかな哀愁の歌に耳を傾ける──歌は存在の母たちを語っている。その名は、迷妄・意志・悲嘆。そう、友たちよ、わたしとともにディオニュソス的生命を、そして悲劇の再生を信ぜよ!
ソクラテス的人間の時代は終った。常春藤をもって頭を飾り、酒神の杖を手にとれ! 虎や豹が、甘えるように君たちの足もとに来てうずくまっても、君たちは驚くな! 今はただ、敢然として悲劇的人間となれ! なぜならば、君たちは救済されるべきなのだから。
君たちはディオニュソス祭の伴をして、インドからギリシアに行くべきである! 激烈な闘いの支度をせよ! しかし、君たちの神の奇跡を信ぜよ!
(ニーチェ『悲劇の誕生』20)

一民族にとって、狂躁乱舞からぬけ出る道はただ一つ、インド仏教への道だけである。仏教は、一般にその無への憧憬とともに耐え得るものであるためには、あの類稀な没我状態を必要とし、これは空間と時間と個体とを超えて高められなければならない。そして今度はこの状態が、中間状態の名状すべからざる
不快さを一つの観念によって克服することを教える哲学を要求する。それと同様に、一民族は必然的に政治的衝動を無制約的に認めることによって、極端な世俗化の道に陥る。その大規模な、しかしまたもっとも恐るべき表現は、ローマ帝国である。
インドとローマの間におかれ、誘惑的な選択を迫られた
ギリシア人は、古典的な純粋さで第三の形式をさらに案出することに成功した。もちろん、それはながく自己の使用に供せんがためではなかった。しかしそれゆえに不滅性が与えられたのだ。なぜなら、神々の寵児が早逝するということは、いっさいの事物に妥当するからである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』21)

自分がいかに真の美的聴衆と血縁関係にあるか、あるいはソクラテス的批判を事とする人間の仲間に属しているか、こうしたことをみずから検討しようとするものは、舞台の上で演ぜられる"奇跡"を受けとるときの感情を、正直にみずからに問いさえすればいい。すなわち、
厳密な心理的因果性に向けられている彼の歴史的な感覚が、その際、傷つけられたと感ずるか否か、あるいは好意的に譲歩して、いわば奇跡を子供にはわかりやすく、自分には縁遠い現象として許容するのか、あるいはまた、その際、彼はなにか別のことを経験するのか、こうしたことを問いさえすればいい。
それによって彼は、自分がおよそいかなる程度に"神話"すなわち凝縮され世界像を理解する能力をもっているかを測ることができるであろう。けだし、神話は現象の縮図であって、かならず奇跡を伴っているからである。しかしながら、厳密に検討すれば、
ほとんどだれでもが、われわれの教養という批判的歴史的な精神によって自己の破壊されていることを感じ、ただ学問的な道においてのみ、媒介としての抽象をかりて、神話が過去において存在したことを信じさせようとしているというのが、ほんとうのところであるらしい。
(ニーチェ『悲劇の誕生』23)

偉大なものを創造しようと意志する人間が、一般に過去を必要とするとき、彼は記念碑的歴史によって過去をわがものにする。これに反して、古来尊敬せられているものに止まろうとする者は、骨董的歴史家として、過ぎ去ったものを愛護する。
そして、現代の困窮に胸をしめつけられ、重荷をはねのけようとする者だけが、批判的歴史、すなわち審判し判定する歴史への欲求を持つのである。考えもなく植物を移植すれば、いろいろ不都合なことが起ってくるように、
苦難を知らぬ批判家、敬虔の念なき好古家、偉大をなす能力のない偉大通は、のび放題の雑草、自然の土地からもぎ離され、したがって退化した伸び放題の雑草的植物なのである。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』2)

歴史によって本能が追い出された場合、それがいかに人間をほとんど純粋な抽象物と影につくりかえてしまうかが分るのだ。どいつもこいつももはや外貌にその人格を示すことはない。彼らは文化人でござい、学者、詩人や、政治家でございという仮面をつける。彼らが揃いもそろってみな生真面目な顔つきを
これみよがしにしているところから、これはどうも本気らしい、ただの茶番劇でもあるまいと思って、そういう仮面をひっ掴んでみると、たちまち手の中にはただの襤褸と色とりどりのつぎはぎしか残らない。だから外貌にだまされてはならない。「おまえらの道化服を脱げ、でなかったら、見かけどおりの
正体を示せ」と、彼らをどやしつけてやらねばならぬ。持って生まれた性分で本当に真面目な人を、もはやドン・キホーテにしてはならない。というのは、そういう人には、こういった鵺的な現実相手に立ち廻るよりか、もっとましな仕事があるのだから。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』5)

歴史的教養と世界中どこにでも通用する背広とが、時を同じくして幅をきかせている。「自由な人格」について今ほど口やかましく論ぜられた時はないのに、お目にかかるのはさっぱり人格者ではなく、まして自由な人格ではなく、ただ臆病げに正体をかくした「世界に通用する人間」だけである。
個人はといえば、それは内面に引きこもってしまって、外からはどうにもうかがい知ることができない。だから、いったい結果を伴わない原因というものがあるのかしらと、疑っても無理もないのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』5)

君達が偉大な人々の歴史に食い入って生きてみるなら、君達は一つの最高の掟を学ぶだろう。成熟すること、これだ。君達未熟の者を抑え搾取しようとて、君達を成熟せしめないことをもって利としている、あの現代の麻痺的教育の桎梏を逃れること、これだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)

歴史が芸術品に作りかえられ、すなわち純粋な芸術的形姿となることを忍ぶ場合にだけ、歴史もおそらく本能を保持し、あるいは本能を目覚ますことさえもできるのである。しかしそういう歴史記述は、われわれの時代の分析的非芸術的傾向と徹底的にそりが合わないであろうし、それどころかわれわれの時代からは、まがいものだと感ぜられることであろう。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』7)

歴史的公正は、本当に、そして純な気持で行使せられる場合においてさえ、怖ろしい徳と言わねばならぬ。それは歴史的公正なるものが、いつでも生命あるものを掘りくずし、亡ぼすからである。歴史的公正の裁きは常に一種の絶滅なのである。歴史的衝動のかげに建設の衝動が働いていない場合、
ぶちこわされ取り払われるのが、それによって生じた空地の上に、すでに希望に活気づいている未来がその家を建てるためでない場合、公正のみがひとりのさばる場合、そういう場合には創造する本能もその力を奪われ、その勇気をくじかれる。
たとえば、純粋な公正が支配して、ある宗教を歴史的知識に置きかえ、徹底的に科学的に認識しようということになれば、この道のきわまるところ、その宗教はとたんに破滅である。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』7)

かくて歴史的感覚は、これに仕える者を受身的に、回顧的にする。そしてこの歴史的熱病に病んだ者が能動的となるのは、ほかならぬあの感覚が中断した際の瞬間的な忘却のせいにすぎないのであり、行動が過ぎ去るやいなや、彼は自分の行為を解剖し、分析的観察によって、
活動のそれ以上に展開することを阻止し、結局その生皮を剥いで「歴史」にしてしまうのである。この意味でわれわれはなお中世紀に生きているのであり、歴史は依然として覆面した神学なのだ。それはあたかも非科学的素人が科学的階層を扱う畏敬の念が、僧侶階級から伝承された畏敬であるのと一般である。
以前教会に喜捨したものを、今日ひとは、なるほどけちけちとしてではあるが、学問に施している。しかし一般に施すということをなさしめたのは、教会のやりとげてしまっていたことであって、近代精神を俟ってはじめてなされたことではない。
むしろ近代精神は、ほかにいくらも良い特性はあるとしても、なにか吝嗇なところがあること周知のごとくであり、惜しみなく与えるという高貴な徳においては、むしろ一種の愚物なのである。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』8)

全宇宙にまたがる網の結び目に鎮座まします大女郎蜘蛛、近代的人間が、 あらゆる基底という基底を狂気のように無思慮にひき裂きひきちぎり、流れやむことを知らぬ生成、四分五裂する生成の流れに解体し、すべて出来上ったものを倦むこともなく解きほぐし歴史化してゆく現状は、
道徳家、芸術家、宗教家、あるいはまた政治家の頭痛の種であるかもしれないが、これらすべてがある哲学的擬文家の絢爛たる魔法の鏡に映っているのを見れば、われわれには一応の座興である。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』9)

そしてここにこそ私は悪蛇を屠る戦士らの最初の種族、かの"青年"の使命があると見る。この種族は来るべき未来の幸福についても、かつての美についても、一種の約束する予感以上のものはなに一つ持っていないが、より幸福なより美しい教養と人間性の先駆である。このような青年は病患に病むと同時に、
治療剤のためにも苦しむであろうが、それにもかかわらず、彼らの前種族である、現代の教養ある「壮年者ら」や「老人」よりも、一段と逞しい健康と、一般により自然な天性とを有していることを、誇ってもいいという自信だけは持っているのである。しかし彼らの使命は、
かの現代がいわゆる「健康」や「教養」ということについて抱いている概念を震撼し、かくも雑種的な概念の怪物に対して、嘲罵と憎悪を生み出すこと、これである。そして彼ら自身のいちだんと逞しい健康を保証する目印は、この青年たちが、その本質をあらわすのに、現代の通貨である言葉や概念のうち、
一つの概念も一つの合言葉をも使うことができず、ただ彼らのうちにおいて活動し戦い、区分し分割する威力と、すべて恵まれた瞬間におけるいよいよ高潮する生の感情によってのみ説伏せられるということ、まさにこのことでなければならない。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)

生が認識、科学を支配すべきものであるか、それとも、認識が生を支配すべきものであるか。この二つの力のうち、どちらが"より"高い決定的力であるか。生がより高い力、支配的な力であることは、誰も疑うまい。なぜなら、生を破滅せしめるような認識は、生と共倒れになるであろうから。
認識は生を前提としているのであって、それゆえ生の保持に関心することは、すべての生物がその自己保持に関心するのと同様である。かくて科学は、より高い監視監督を必要とする。"生の衛生学"が科学と肩をならべて立つのであって、この衛生学の一命題は次のようなものであろう。
「非歴史的なもの及び超歴史的なものが、生に対する歴史的なものの跳梁、歴史病に対する自然な治療剤である」と。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)

たった一つだけの軽率をおかすことは稀である。最初の軽率のときにはつねにやり過ぎている。だからこそふつうはさらに第二の軽率をおかす──そこでこんどはやり足らないということになる……
(ニーチェ『偶像の黄昏』箴言と矢 30)

第一命題。「この」世界として特徴づけている諸根拠は、むしろこの世界の実在性を基礎づける──"別の"種類の実在性は絶対に立証されることはない。
第二命題。事物の「真の存在」にあたえられてきた目印は、非存在の"無"の目印である──「真の世界」は現実的世界との矛盾から築きあげられてきたが、
それこそ、それが単に道徳的・光学的錯覚であるかぎり、一つの仮象の世界にほかならない。
第三命題。この世界とは「別の」世界について作り話をでっちあげることは、生を誹謗し、卑小化し、疑問視する本能が私たちのうちで強力でないなら、全然意味をもたない。それが強力である場合には、私たちは、
或る「別の」、或る「より善なる」生という幻覚でもって生に"復讐する"。
第四命題。キリスト教やカントのやり方において、世界を「真の」世界と「仮象の」世界とに分けることは、デカダンスの一暗示にすぎない──"下降する"生の一症候にすぎない……
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」6)

「キリスト教的信仰がなければ、君たち自身が、自然や歴史と同じく、怪物と混沌となる」とパスカルは言った。 この予言を私たちは"成就して"しまった、弱々しいオプティミズム的な一八世紀が人間を愛らしいものとし合理化してしまったそのあとで。
ショーペンハウアーとパスカル。──本質的な意味においてショーペンハウアーは、パスカルの運動をふたたび取りあげた最初の人である。怪物と混沌、したがって"否定さる"べき或るもの……歴史、自然、人間自身!
「真理を認識しえない私たちの無能力は、私たちの"頽廃"、
私たちの道徳的"頽落"の結果である」と、パスカルは言う。そして根本においてショーペンハウアーも同意見である。「理性の頽廃が深まれば深まるほど、救済の教えがますます必要となる」──ないしは、ショーペンハウアー的に言えば、否定が。
(ニーチェ『権力への意志』83)

極端な地位は、ほどよい地位によっては解消されず、これまた極端な、しかし"逆の"地位によってである。かくして、神に、また本質的に道徳的な秩序によせる信仰がもはや維持さるべくもないときには、自然の絶対的な無道徳性に、無目的性や無意味性によせる信仰こそ、心理学的・必然的な"欲情"である。
ニヒリズムは現今あらわれている、というのは、生存の不快が以前にもまして増大したからでは"なく"、禍悪のうちに、いや、生存のうちにある「意味」が、総じて信頼されえなくなったからである。
(ニーチェ『権力への意志』55)

私たちはこの思想をその最も怖るべき形式で考えてみよう。すなわち、意味や目標はないが、しかし無のうちへの終局をももたずに不可避的に回帰しつつあるところの、あるがままの生存、すなわち「"永遠回帰"」。
これがニヒリズムの極限的形式である、すなわち、無(「無意味なもの」)が永遠に!
仏教のヨーロッパ的形式。すなわち、知と力のエネルギーがそうした信仰を強制する。それは、すべての可能な仮説のうちの"最も科学的なもの"である。私たちは結末をつける目標を否認する。生存がそうしたものをもっているとすれば、それは達成されているはずであるから。
(ニーチェ『権力への意志』55)

人間の本来的に"野蛮な"欲求がその馴養や「文明」のうちでもやはりいかに深く根本的に満足をもとめているか、このことの証明をえたいとのぞむなら、哲学の全発展の「ライトモティーフ」を注目したらよい、──すなわち、現実に対する一種の復讐、
人間がそのなかで生きている価値評価を徹底的に没落せしめようとの陰険な志向、馴養の状態を拷問と感じとって、この状態と結合せしめるすべての紐帯を病的に解きほぐすことに快楽をおぼえる"満たされない"魂を。
哲学の歴史は、生の前提に対する、生の価値感情に対する、
生のために味方することに対する"隠密なる憤怒"である。哲学者たちは或る世界を肯定することにためらうことはけっしてなかったが、それは、その世界がこの現世とは矛盾し、この現世を悪しざまに言う手がかりをあたえるということを前提としている。それは、
これまで、"誹謗"を教える大きな"学校"であった。しかもそれがきわめて畏敬されてきたので、生の代弁者と自称する私たちの科学は、今日でもなお誹謗という根本的立場を"受けいれ"、この現世を"仮象"として、この現世の因果的連鎖をたんなる"現象"としてあつかっている。
(ニーチェ『権力への意志』461)

私たちは、私たちの心のうちで継起する思想と思想とはなんらかの因果的連鎖をなしていると信じている。とりわけて、現実のうちではけっしてあらわれない抽象的な諸事例について実際に論じている論理学者は、思想が思想の"原因である"との先入見にとらわれてきているのである──。
快と苦が反作用の原因であると、反作用への誘因をあたえることが快と苦の意味であると、私たちは信じている──また現今の哲学者たちですらやはりそう信じている。快および不快の回避が、まさしくいく千年かの長きにわたって、あらゆる行為にとっての"動機"として立てられてきた。
──ところがそれは、反作用を呼びおこす状態とはまったく別の目標をもった"随伴現象"であり、すでに、開始されている反作用過程内での結果なのである。
(ニーチェ『権力への意志』478)

脳のいかなる過程も連想や思考に対応しない、だから脳の過程から思考の過程を読みとるのは不可能である、という仮定ほど自然なものは私にはないように思われる。私の言う意味はこうなのだ。すなわち、
私が話したり書いたりする場合、私が語った、あるいは書いた思想に対応するインパルスの組織が脳から出て行く、と私は仮定する。しかしその"組織"が、なぜさらに中枢に向って続くべきなのであろうか。なぜこの秩序が、いわば、カオスから生じてはいけないのか。
(ウィトゲンシュタイン 断片 608)

"主観"、これは、最高の実在感情のさまざまの契機すべての間の"統一"によせる私たちの信仰をあらわす術語にほかならない。私たちはこの信仰を唯一の原因の"結果"として理解する、
──私たちは、この信仰のために総じて「真理」、「実在性」、「実体性」を空想するほどに、この私たちの信仰を強く信じている。──「主観」とは、あたかも私たちのもつ多くの"同等の"諸状態は唯一の基体の結果であるかのごとくみなす虚構である。
(ニーチェ『権力への意志』485)

「真理」、これは私の思考法内では必ずしも誤謬の反対を示すものではなく、最も原則的な場合には、さまざまの誤謬相互の位置関係を示すものにすぎない。たとえば、或る誤謬は、その他の誤謬よりも、いっそう古く、いっそう深く、おそらくはそのうえ、私たちのごとき有機体がそれなしでは
生きることができないかもしれないかぎり、根絶しがたいものであるということを示すものである。他方、その他の誤謬は、この誤謬のようには生の条件として私たちを圧制してはおらず、むしろ、そうした「圧制者」で測定されれば、除去され「論駁」されうるのである。
論駁されがたい一つの想定、
──なぜこの想定がこのゆえにすでに「"真"」であるべきなのか? こうした命題は、おそらくは、"おのれの"限界を"事物の"限界として措定する論理学者を激昂せしめるかもしれない。しかしこうした論理学のオブティミズムに私はすでに長いこと宣戦を布告してきた。
(ニーチェ『権力への意志』535)

「主体」は、なんら結果をひきおこすものではなく、一つの虚構にすぎないということがわかってしまえば、引き続いて様々のことがわかってくる。
私たちは、主体を範型として"事物性"を捏造し、それを雑然たる感覚のうちへと解釈し入れてきたにすぎない。私たちが"結果をひきおこす"主体を信じないなら
"結果をひきおこす"事物も、私たちが事物と名づけるあの諸現象の間の交互作用、原因と結果も、また信ぜられなくなってしまう。
このことでもちろん、"結果をひきおこすアトム"の世界もまたなくなってしまう。そうしたものを想定するのは、つねに、主体が必要であるという前提のもとにあるからである。
最後に、「"物自体"」もまたなくなってしまう。というのは、それは根本において「主体自体」を構想することにほかならないからである。
「物自体」と「現象」という対立は支持されえない。しかしこのことで、「"現象"」という概念もまた消えうせてしまう。
(ニーチェ『権力への意志』552)

それゆえ、いかなる意志も"ない"か──科学の仮説──、"自由"意志があるかのいずれかである。後者の仮定は、たとえ科学のあの仮説が"証明され"たとしても、私たちの手放すことのできない支配的な感情である。
原因と結果によせる通俗的信仰は、
自由意志が"あらゆる結果の原因である"という前提のうえにたてられている。ここからはじめて私たちは因果性の感情をいだくのである。それゆえこの前提のうちには、あらゆる原因は結果では"なく"、意志が原因であるとすれば──つねにただ原因であるという感情もふくまれている。
「私たちの意志作用は"必然的ではない"」──このことは「"意志"」という概念のうちに"ふくまれている"。必然的なのは原因の"あとからの"結果であると──そう私たちは感ずる。私たちの意欲もいかなる場合にも必然であるというのは、一つの"仮説"である。
(ニーチェ『権力への意志』667)

ヴァーグナーのもっていたのはこの気力であった。音楽に関する彼の立場は根本において絶望的であった。彼には、"すぐれた"音楽家たる資格をあたえる二つのもの、すなわち、自然と文化とが、音楽家たらざるをえない定命と音楽家となるための訓育や習練が欠如していた。彼は気力をもってはいた。
だから彼はこの欠如から一つの原理をつくりあげたのである、──彼はおのれのために音楽の新種を"考案した"。彼の考案にかかる「戯曲的音楽」は、"彼のでっちあげることのできた"音楽であり、──この音楽の概念がヴァーグナーの限界である。
自然が無慈悲にも天賦をめぐまず、他方習練が、
偶然にゆだねられ、その場かぎりで、素人芸を抜けきらない場合はいつでも、現今では芸術家は本能的に、何と言おうか、感激してヴァーグナーに救いをもとめる。するとヴァーグナーは、あの詩人[ゲーテ]も言っているように、「なかば引きあげ、なかばおのれは沈みゆく」。
(ニーチェ『権力への意志』841)

自由・平等の社会の"真実の"心理学によせて。──何が"減退する"のか?
"自己責任性"への意志であり、これは自律性の衰退の徴候である。また、最も精神的なことにおいてすらの"攻防の有能さ"、すなわち、命令する力であり、"畏敬"の、服従の、沈黙しうることの感覚であり、
"大いなる激情"、大いなる課題、悲劇、快活さである。
(ニーチェ『権力への意志』936)

「私の新しい『然り』への道」──私がこれまで理解し、かつ生きてきた哲学は、現存在の厭わしい、呪うべき側面をも、みずから進んで探求するということである。……私が身をもって生きているこのような"実験哲学"は、根本的なニヒリズムの可能性さえをも先取するものである。
ということは、それがただ否定、否(ナイン)、否への意志にとどまるという意味では決してない。それはむしろ、その反対のものにまで突き抜けようと欲する、──割引や例外や選択なしにあるがままの世界に対するディオニゾス的な肯定にまで。
それは永遠の円環運行を欲する、──同一の事物を、結び目をなしている同一の論理と非論理とを。一個の哲学者が到達しうる最高の状態。それは、現存在に対してディオニゾス的に立ち向うということである。それを表現する私の方式は、"運命愛"である。
(ニーチェ『力への意志』第2巻1041)

自己の生を或る世代、あるいは国家、あるいは学問の発展のなかにある一点としてしか理解せず、したがって完全に生成の出来事に、歴史に帰属させようとする者は、生存が彼に課する講義を理解していないし、いつかまたこれを学ぶこともないに違いない。
この永遠の生成は、その舞台で人間が自己自身を忘却する虚偽の人形芝居であり、個人を風の吹くままに四方へ散り散りにする本来の気紛れであり、時という大きな子供がわれわれの前で、われわれと共に演ずる際限のない愚直の遊戯である。
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』4)

ボスコヴィチ以来、通俗的に容易に考えるのでなければ、もはや物質は存在しないのだ。彼は最後には原子理論を考えていた。"重さ"は「質料の特性」なのではまったくない、それもたんに、質料は存在しないという理由からにすぎない。重力というのは、まさに惰性力と同様、たしかに力の一つの形相である、
それもたんに、力より他のなにものも存在しないからという理由からにすぎない。この形相の他の形相にたいする"論理的"関係、たとえば温度に対する関係は、まだ全然みとおしがついていない。だけど、マイアーとおなじように、質料とか実現された原子の存在を信ずる"とすると"、
「"ただ一つの"力だけしかない」などと決裁をつけたりすることはゆるされない。動力学理論は原子に、運動エネルギーの他に、少なくとも、なお凝集力と重力という二つの力を認め"ねばならない"。このことは、事実また"すべての"唯物論的な物理学者や化学者たちがしているのだ! マイアー自身のもっとも
すぐれた支持者たちが! 重力を放棄"したものなんかいなかったのだ"。──結局は、マイアーも、なお"第二の"力、起因力、神さまを背景にもっているのだ、──運動そのもののかたわらにね。彼は神さまも"ぜったいに"必要だとしているのだ。
(ニーチェ 書簡集 ペーター・ガストへ 1882.3.20)

こんな或る日、偶然ひとつの疑問が、生の主要概念、「未来」という概念が抹殺されてしまっていることを思い出させてくれたのです。私の行く手には、希望はないのです! 希望の一片の雲すらないのです! ただ真っ平らな平原だけが! 七十歳になってからの私の一日と、今日の私の一日とが、どうして
そっくりおなじというわけではないのでしょう? ──私はあまり長いこと死と隣合わせに生きてきまして、美しい可能性にはもう目を開くことをしなかったのではないでしょうか、──しかし今日の私が、今日から明日にかけて考えるだけにかぎって、明日に起こるべきことを確定し、それより先の日のことは
考えまいとしているのは確かです。これは合理的でも実際的でもありません。おそらく非キリスト教的でもありましょう。──しかしあの山上の垂訓者はまさに「明日の日」の心配をすることを戒めていますが、私にはこれが極度に哲学的と思われます。
(ニーチェ 書簡集 ゲオルク・ブランデスへ 1888.5.23)

シュペングラー

自分はつけ加えておいた。これは最初の試みであるから、どうしてもそれに伴うあらゆる欠点があり、不完全であって、内的矛盾のあるのはもちろんであると。この言葉は、考えていたほど真面目には受け取られなかった。
誰でも、生きた思想の前提を深く見極める時には、現存在の根本的な原理を矛盾なしに洞察することが、われわれにはできないということを知るだろう。
(シュペングラー『西洋の没落』序)

根本的なことは文法的に表現される。「人は同じ川に二度入ることはできない」という文についてはどうか。
(ウィトゲンシュタイン 断片 459)

さてすぐに、ギリシャ・ローマを見るやり方について論じよう。唯物論的方法と観念論的方法とである。前者によれば、天秤皿の片方が降りる原因は、他方の上昇にあると説明されている。このことは、例外なく証明されている。疑いもなく素晴らしい説明である。そこでここには、原因と結果とがある。
しかも当然なことであるが社会的および性的事実が、また必要とあれば純粋な政治的事実が原因とされ、宗教的、精神的、芸術的事実(唯物主義者がこれらを事実と呼ぶことを認容する限り)が結果とされる。その反対に、観念論者は、一方の天秤皿の上昇は他方の下降の結果であると証明する。
そうしてその証明は、まったく同じ正確さでなされる。彼らは宗儀、神秘、慣例に没頭し、詩句と詩行との秘密に没頭し、そうして平凡な日常生活を、世俗的な不完全さのくだらない結果として、それに一見を与える価値もないとする。
両方とも、因果系列を目の前において相手が事物の真の関係とはっきりと見ないし、また見ようとしないのだと論証する。その結果、彼らはお互いに盲目で、浅薄で、愚純で、不条理で、または軽薄で、奇妙な変人か、平凡な俗人だと非難し合うのが落ちである。
(シュペングラー『西洋の没落』緒論11)

原因結果の必然性──これは"空間の論理"といっていい──のほかに、生命にあっては、その上に"運命"という有機的必然性──"時間の論理"──があるということ、これは最も深い内的確信の事実である。この事実は、神秘的な、宗教的な、芸術的な思想のすべてに充ち満ちていて、
自然と対立するあらゆる歴史の本質と核心とを形成するものであるが、「純粋理性批判」の探究する認識形式の近づくことのできないものである。このことは、理論的な公式化の領城のなかにまだ入って来ないのである。
(シュペングラー『西洋の没落』緒論3)

物理学者と数学者とに比べると、歴史家は材料の収集と整理とから解釈に移るとともに、怠けものになるのである。
(シュペングラー『西洋の没落』緒論3注)

ギリシャ・ローマの知性にとっては、一と三との間には、ただ一つしか数がない。西洋の知性にとっては、無限の群がある。ギリシャ・ローマ的、通俗的な具象性は、虚数 (√-1=i) の導入、最後に複素数 (一般的な形でいえば、a+bi) の導入によって、あますところもなく砕かれた。
これらの数は、一次連続体を数体 (同質的要素の集合の全体) の最も超越的な心象に拡大する。この数体においては、各切断が一つの数平面──より低位な「濃度」の無限の集合 (例えばあらゆる実際の数の全体のような) ──を代表しているのである。
これら数平面はコーシーとガウスより以来の関数論において、重要な役を果たしていて、純粋な思想像である。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章10)

事実、あこがれもまた怖れの基礎をなしている。──あこがれが怖れに成るので、その逆ではない。前者は知的な力に支配されないが、後者はこれに仕えており、前者は体験するだけで、後者は認識するだけのみである。「神を怖れ、神を愛する」とは、この二つの世界感情のためのキリスト教的表現である。
未知の諸力はあらゆる広げられたもののなかに、空間のなかに、また空間を通して、峻厳にも現存している。この未知の諸力の要素を呪縛し、強制し、宥めよう──「認識」しよう──とする衝動は、すべての原始人類の魂から、したがってまた子供時代の初期の魂から、湧きあがってくる。根本的にいえば、
これら呪縛、強制、宥賺、「認識」は、すべて同じことである。神を認識するとは、あらゆる初期の神秘主義においては、神に祈願し、恵みを垂れさせ、内的に自分の物とすることである。このことはとくに言葉によって、すなわち「名前(numen(神霊)に名づけてこれを呼び出す「名前」)によって行われるか、
あるいは秘められた力の籠っている宗儀の執行によって行われる。因果的な体系的な認識、すなわち概念と数とによる限界設定は、この防衛の最も精妙な、しかもまた最も強力な形式である。この点において人間は、言葉によって初めて全的に人間となるのである。言葉の点で成熟した認識は、必然的に、
混沌とした根源的な印象を変えて、「自然」──それが従わなければならない法則のある──とし、「世界自体」を変えて「われわれのための世界」とする(*近代科学は事物に名前、すなわち専門語をつけて、それでこれを支配する。これによって観れば、未開人の「名前の魔術」からこの近代科学に至るまで
形式の上では少しも変わった点はない。)。この認識は、神秘的なものを馴らし、それを理解し得る実在に作りあげ、それに刻印された知的形態語の鉄則によって、これを縛り、それでもって世界の怖れを鎮めるのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章11)

数学に戻ろう。ギリシャ・ローマのあらゆる形式生成の出発点は、成ったものの秩序づけである。上に見たように、成ったものが現在的で、見渡され、計量し得られ、数え得られる限りにおいて、その秩序づけである。西洋のゴート的形式感情は、制約のない、意志の強い、遠くの方に放浪する魂の感情であり、
その選び出した標識は、純粋に抽象的な、限界のない空間である。こういう象徴は、われわれには、すぐに本質的に同一と思われ、普遍妥当的と思われやすい。その象徴の狭い制約について、思い違いをしてはいけない。無限空間の存在することは、われわれにとってはいう必要もないように思われるが、
ギリシャ・ローマにとっては存在していない。考えることさえできないのである。他方、ギリシャ的コスモスは(それはわれわれの考え方にとってまったく未知のものであるが、このことは早くから気づかれるべきであった)ギリシャ人にとっては自明なことである。
事実において、われわれの物理学の絶対空間は、非常に多くの、極度にまでごたごたした暗黙の前提のある一つの形式であって、この前提はわれわれの精神態だけが、自己の模写と表現として生み出したものであり、そうしてわれわれの目覚めた覚醒存在にとってだけ現実で、必然で、そして自然的なのである。
単純な概念は、いつも非常に難しいものである。それが単純であるというのは、言葉でいい表わし得ない非常に多くのことが、同時に、口に出す必要もないくらいだからである。それはこの仲間の人間には、感情的に確信されているのであるが、そのゆえにこそ、未知の人間には、完全に近づき難いからである。
このことは西洋的に独特な内容のある空間という語においてそうである。デカルト以来の数学は、すべて、この宗教的内容ですっかり満された大きな象徴を理論的に解釈することに務めている。ガリレオ以来の物理学の目ざすところも、それ以外ではなかった。
ギリシャ・ローマの数学と物理学とは、この語の内容を決して知っていないのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章12)

ギリシャ・ローマの数学者はその見、その把握するところのことだけしか知らない。限定された、また限定するところの可視性(これが彼の思想過程の主題なのだが)がなくなるとともに、彼の学問も終わっている。
西洋の数学者は、ギリシャ・ローマの偏見から脱して自立するや否や、n次元──もはや三次元ではない──から成る無限な数集合体という全然抽象的な領域に入って行く。この領域においては、彼のいわゆる幾何学は、具体的な補助手段はなくともよく、多くの場合その必要を認めない。
ギリシャ・ローマ人が、自己の形式感情を芸術的に表現する場合には、大理石と青銅とで、舞踊し、格闘している人体を作り、これに表面と輪郭とが最上の釣合と意味とを持っているような態度をあたえようとする。
しかし西洋の真の芸術家は、両眼を閉じて無形の音楽の領域に没入する。ここでは和声と複音楽とによって、あらゆる視覚的限定の可能性から遠く離れているところの最高度の「彼岸性」を形成する。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章12)

ある程度まで幾何学は代数学的に、代数学は幾何学的に取り扱うことができる。つまり目を除外するか、あるいは目に支配させるかである。前者はわれわれ〔西洋人〕のおこなったところのものであり、後者はギリシャ人のおこなったところのものである。アルキメデスは螺旋の優れた計算において、
ライプニッツの定積分の方法の根底となっているある一般的事実に触れているのだが、表面的に見ると、非常に近代的になっている自己の方法を、すぐさま立体幾何学的原理に従属させた。インド人ならばこの場合当然、三角法的な法式化を見出したことだろう。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章12)

無限級数の収束判別標準(コーシー)あるいは、楕円積分と一般の代数的積分の多重周期的関数への逆転(アベル、ガウス)のような──ギリシャ人における円の求積法に相当する──現代数学が、自己本来の問題として取り扱っている問題の大多数は、
単純な一定の大いさを結果として求めていた「ギリシャ・ローマ人」にとっては、たぶん機知のある、いくらか難解な遊戯だと思われたことだろう──これは広い範囲にわたる通俗的な見解にとっては、今日でもまたまったくそうだと思われることだろう。現代数学より非通俗的なものはない。
そうしてそこにこそ無限の遠さ、すなわち距離の象徴的意義が存しているのである。ダンテからパルシファルまでのあらゆる西洋の大作品は非通俗的であり、ホメロスからペルガモスの祭壇までのあらゆるギリシャ・ローマの作品は最高度において通俗的である。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章14)

作図は、すべて視覚的に与えられたものを改作し、演算はすべてそれを溶解することによって、前者は外貌を肯定し、後者はそれを否定する。こうしてこの二種の数学的な取り扱いのなかに、より広い対立が現われてくる。
すなわちギリシャ・ローマ的な小さなことの数学は、具体的な個々の場合を考察し、確定した問題を計算し、ただ一度だけの作図を行う。無限なものの数学は、形式的な可能性のすべての種類、関数の群、演算、方程式、曲線を取り扱い、そのうえ、一般に、何かの結果を考慮しないで、その経過を考慮する。
こうして、最近二世紀以来──これは現代の数学者のほとんど考えつかないことであるが──数学的な演算の一般形態学という理念が生じた。これは、近代数学全体の元来の意義とみなしていいのである。
この次にいよいよ明瞭にされるわけであるが、ここに西洋知性一般の包括的な傾向が現われている。この傾向こそファウスト的知能とその文化との排他的な所有であり、他のどんな文化にも、類似の考えさえないのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章14)

幾何学を視覚から解放し、代数学を大いさの概念から解放し、そうして作図と計算という初歩的制限を超えて、この両者を関数論という大きな体系のなかに結合させること、これは西洋的な数観念の大道であった。そこで、ギリシャ・ローマ的な不変の数は、可変数のなかに溶けこんだ。
解析的に"成った"幾何学は、あらゆる具体的な形を溶かした。そうして、自己の固結した像のところに幾何学的価値を持っている数学的な体躯のかわりに、抽象的空間関係を持ってくる。この関係は、最後には感覚的な、現在的な直観という事実にはもはやまったく適用されないのである。この幾何学は、
まずエウクレイデスの視覚的な図形のかわりに、原点を任意に選ぶことのできる座標系に関して幾何学的軌跡を持ってくる。それから幾何学の目的の対象としての現存在を制限して、演算中は、(この演算は、もはや測定にではなく、方程式に向けられている) 選ばれた座標系が変えられてはならないという要求
にしてしまう。ところが、この座標はすぐに純粋な数だと解され、そうして抽象的な空間要素としての点の位置を定めるというよりは、それを代表し、それに代えるのである。成ったものの限界としての数は、もう図形という形で表わされないで、方程式という形で象徴的に表わされる。
「幾何学」というものの意味は逆になる。すなわち図としての座標系は消失し、そうして点は、これからは完全に抽象的な数の群である。ルネサンス建築が、ミケランジェロとヴィニョーラとの革新のために、バロック建築に移って行ったのと同様である。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章16)

ピュタゴラス派の数が、自然における与えられた個物の本質のなかに現われていたのに反して、デカルトとそれ以後の数学者のいうところの数は、獲得され、強制的に取り上げられなければならなかった何ものかであったし、あらゆる感覚的な事実から独立し、そうしていつも自然に対して、
この独立を主張しようとする支配的な抽象的関係であった。権力意志──ニーチェの偉大な句を使っていうならば──とは、エッダ、大教会堂、それから十字軍などのごく初期のゴート時代以来、いや、征服的なヴァイキングとゴート人以来、北方の魂が自己の世界に対して持つ態度を明らかにしたものだが、
この権力意志もまた知覚を超えたこの西洋的な数の力のうちに潜んでいるのである。これは「動力学」である。アポルロン的数学においては、知能は肉眼に仕えている。ファウスト的数学においては、知能は肉眼を克服している。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第1章17)

"自然と歴史"、これはどんな人間にとっても、対立している二つの両極端の可能性であって、人間はこれによって、自己の周囲の現実を世界像として秩序づけるのである。
一個の現実は、あらゆる成ることを、成ったことに統合する限りにおいて自然であり、あらゆる成ったことを、成ることに統合する限りにおいて歴史である。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章2)

成ることは「数を持たない」。数えられ、計算され、分解され得るものは、ただ生命のないものだけ──そうして生命のあるものは、その生きている点を除外した時だけ──である。 純粋な成ること、すなわち生命はこの意味でいうと、限界がない。それは原因と結果、法則と計量との領域の外にある。
深い、真の歴史研究は、因果的な法則性を求めはしない。もしそうした場合には、歴史研究は自己の本質を理解しなかったわけである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章2)

たとえば、歴史書に書かれている因果関係のおしゃべりほど、馬鹿ばかしいものはない。これほど逆立ちした、考えの浅いものはない。しかし誰がそのことを指摘して、そのおしゃべりを止めさせることができるのだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)

運命理念のなかに現われているものは、一つの魂の世界のあこがれであり、光と上昇とに対する願望、自己の使命を完成し、実現しようとする願望である。この世界のあこがれはどんな人間にも、まったく未知なものではない。
ただ大都会の根のない後期の人間が、その事実感と機械化する思考の力とでもって本源的直観を圧倒する時に、そのあこがれをその視界から失う。だがしまいには、それはある深奥な時期に、世界の表面のあらゆる因果関係を粉砕する恐ろしい明瞭さで彼の前に現われてくる。
というのは、因果関係的な関連の体系としての世界は後期のものであり、稀れなものであり、そうしてただ高度文化の強い知性にとってだけ確実な、いわば人工的な所有だからである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章9)

「時間」は我々が思考することによって初めて作り出す"発見"である。時間は我々がこれを表象として、あるいは概念として生み出すものである。そうしてずっと後になって、我々が生きている限りは、我々自身が"時間である"と感ずる。高度文化の世界理解だけが、一つの「自然」の機械化的影響を受けて、
厳密に秩序づけられた空間的なもの、計量的なもの、概念的なものという意識から、時間の空間的な像を、"一つの時間という幻影"を描き出すのであって、この幻影こそすべてを理解し、計量し、因果的に順序づけようという要求を満足させるのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章10)

俗衆は自己の感じないところの、歴史の秘密な論理のかわりに、羃の背後にあって"まだ"証明されない因果的なものをもってくる。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章16)

人間は世界を知る限りにおいてのみ自己自身を知り、世界を自己の中でのみ、また自己を世界の中でのみ認識する。いかなる新しい対象も、深く観照されるならば、われわれの内部に新しい器官を開示するのである。
(ゲーテ『科学的方法論』適切な一語による著しい促進)

一つの宗教がどんなに明瞭な言葉で告げるにしても、それは言葉であって聴者が自己の意義をその言葉のなかに入れるのである。芸術家がその音、その色をもっていかに効果的に活動しても、観るものはそのなかにただ自己自身だけ見、また聞くのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第1章12)

自然の像──それは知能の創作であり、模写であり、拡げられたことの領域内のその第二の我である──を"認識する"とは、自己自身を認識することである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章19)

拡がりの世界は、因果関係という峻厳な、いつでも現存している制限を有し、絶えず終末で脅かす暗い万能力がある。原始人は死に対する深い驚きから、その知能の全力を挙げて、この拡がりの世界に侵入し、これを呪縛しようと企てた。
この本能的な防衛は無意識的な現存在のなかに深く潜んでいる。しかもこの防衛は魂と世界とを初めて正しく創造し、分離させ、対立させたので、個人としての生活行為の端緒を表示したのである。自我感情と世界感情とが活動し始める。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第3章2)

そのうえ深さの体験──以下述べることのすべてはこの見解によっている──は、完全に創造的な行為であるとともに、また完全に無意志的な、必然的な行為であって、「我」は、この行為を通じて、自己の世界を、いわば強制的に保持しているのである。
この行為は感覚の流れから形式のある統一を、すなわち動かされた像を作りだす。ところがこの像は、それ以後は理解の手のなかに落ちると同時に、法則に支配され因果律にしたがうが、その結果、個人的な知能の模写として"うつろい行くもの"となるのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第3章2)

偉大な伝統の魔力では、小芸術家でさえも完全なものを成就する。なぜならば、生きている芸術は彼も任務も、一所に導くからである。今日ではこれらの芸術家は、自己のもはやできないことを欲しなければならなくなっている。
そうして訓練された本能が消滅しているところでは、彼らの芸術知能でもって仕事をし、計算し、寄せ集めなければならない。このことは彼らすべてが経験したことである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第4章19)

ニーチェがヴァーグナーについて述べたことはマネーにも当てはまる。彼らの芸術は、表面上は意味ある画と絶対音楽とに反して基本的なものに還れといい、自然に還れといっているようであるが、その実、大都市の野蛮性への、すなわち始まりつつある崩壊への屈服である。
感覚的には獣性と洗練さとの混合として現われている崩地である。これは必然的に、最後の一歩とならなければならなかったところの一歩である。人工的な芸術は有機的な発達をすることができない。それは結末を意味するのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第4章19)

心理学的体系が世界のなかでどんなものにも、まして現実の生活経験と人間知識とに縁遠いかということは、誰も知っていることである。観念連合、統覚、情緒、動機、思考、感情、意志──これはみな死んだ機構であって、その局処記載学は精神科学の下らない内容をこしらえているだけのことである。
生命を見出そうと欲しているところ、見つけたものは概念の装飾であった。魂はもとのままであった。考えられることもできないし、表象されることもできないものであり、「秘密」であり、「永遠の成ること」であり、「純粋の体験」なのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第5章2)

ファウスト的な人間の目に映る世界においては、すべては一つの目標に向かう動きである。彼自身、この条件のもとに生きている。生きるとは彼にとっては戦うことであり、征服することであり、意志を貫くことである。現存在の理想的な形式としての生存競争は、すでにゴシック時代からのものであって、
明らかにその建築の基礎をなしている。十九世紀はこの生存競争にただ機械的な・功利的な形態だけを与えた。
アポルロン的な人間の世界には、目標のある「運動」はなく、──ヘラクレイトスの生成、すなわち志向もなく目的もない遊戯はここでは問題にもならない──「プロテスタン主義」はなく、
「シュトルム・ウント・ドラング」はなく、現存しているものと戦い、これを破壊しようとする倫理的な、知的な、芸術的な「革命」はない。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第5章10)

科学的な世界は表面的な世界であり、実際的な、魂のない、純然たる外延的な世界である。これらの世界は、仏教、ストア主義および社会主義の思想の基礎を作っている。生活をもはや、ほとんど意識しない、選択のない自明さでもって生活しないこと。生活を神の欲した運命として甘受しないで、問題として
見ること。これを知的な見解にもとづいて 「功利的に」、「理性的に」 登場させること。──これがこれら三つの場合の背景となっている。魂が退位したために、頭脳が支配する。文化の人間は無意識的に生活し、文明の人間は意識的に生活する。今や懐疑的に、実際的に、人為的に──ひとり文明を代表する
大都市、その大都市の面前に立つところの土に根を据えた農民は、もはや顧みられない。
農民は古い階級、すなわち貴族と僧侶との消滅した後には唯一の有機的人間であり、初期の文化の遺物である。ストア主義にも、社会主義思想にも、農民の入る余地はない。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第5章13)

信仰と「認識」とはたんに内的確信の二種に外ならない。しかし信仰はより古いものであって、どんなに正確な知識だといっても、その知識のあらゆる条件を支配するのである。それだからあらゆる自然認識の支柱となっているものは理論であって純粋な数ではない。ただ──もう一度いわせてもらうが──
文化人の知能のなかにだけ存在しているあらゆる純粋な科学の無意識的なあこがれは、自然の世界像を理解しようとし、これに滲透しようとし、これを包括しようとするのであって、計量的な活動それ自身には向けられていない。この計量的活動は常に無意味な頭脳の喜びであったに過ぎないのである。
数とは常に秘密を解く鍵に過ぎないだけのものである。有意義な人間は数それ自体のためには一たびも犠牲を払わなかったであろう。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章1)

カントでさえもある有名な箇所で「余は主張する。いずれの特殊の自然科学においても、そのなかに存在している数学の数だけの真の科学が存在しうるであろうと」と述べた。その意味は成ったものの領域における純粋な限界設定をいうのであるが、
その限界設定が法則、法式、数、体系として現われる限りにおいてである。しかし語のない法則、すなわち計測器具の示すところをたんに読みとったに過ぎない数の系列は、知的作業としても一度でも完全な純粋状態において仕あげ得られないのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章1)

歴史は永遠の成ることであり、したがって永遠の未来である。自然は成ったものであり、したがって永遠の過去である。その結果、ここに奇妙な倒錯が生じた。成ったものに対する成ることの優越が消滅したように見えるのである。"自己の"領域である成ったものから、回顧する知能は生命の相をひっくり返す。
目標と未来とを自己のなかに有する運命の理念は、過去に重点を有する機械的な"原因と結果との原理"となる。知能は時間的な生命と空間的な体験されたものとの位置を顛倒し、そうして時間を長さとして空間的な世界体系中に移し入れる。世界形成の体験としては、ひろがりが方向から・
空間的なものが生命から生ずるのに対し、人間の頭脳的理解は、生命を過程として自己の固結した"表象された空間"のなかに入れるのである。生命にとっては空間は機能として自己に属する何物かであり、知能にとっては生命は空間における何物かである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章5)

現存在は思考的となり、その現存在の原感情から外界における神性の表象が生じ、その表象はますます明確なものとなってくる。認識する者は、外部の自然における運動の印象を受け取る。彼は自己の周囲に未知の諸力を感じ、その筆舌に尽し難い"未知の生命"を感ずる。
彼はこれらの感銘の起原を numina (神霊) にありとなし、「他のもの」が同様に生命を有している限り、その「他のもの」にありとする。"未知の運動"に対する驚きから生ずるものが宗教と、"そうして"物理学とである。それらは自然(すなわち外界の像)の解釈であるが、
後者にあっては魂により、前者にあっては悟性による解釈である。「諸力」とは恐れあるいは愛する崇拝の最初の対象であるとともに、批判的研究の最初の対象でもある。宗教的経験があり、"そうして"また科学的経験がある。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章7)

われわれはそれ自身で矛盾のない、まとまった力学の可能性を決定的に棄てる瞬間に近づきつつある。すべての物理学は運動問題に面した時、破滅しなければならない。何となれば運動問題においては認識者という生きた人が、認識されたもの、という無機的形式界のなかに飛びこむからである。
しかしあらゆる最近の仮説はこの矛盾をかかえている。そうして三百年にあまる思考的仕事の結果として、これを極度に尖鋭化させているために、これに対してもはや思いちがいすることができないくらいである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章13)

エネルギー恒存の原理は、エネルギーが無限空間のなかに無限的にあると考えられるならば何の意味もない。この原理を認することは、無限的なエウクレイデス的空間にしても、あるいは(非エウクレイデス的幾何学中の)無限界ではあるが有限な体積のある球体的空間にしても、
とにかく宇宙空間の三次元的構造とはどうしても一致しないのである。そこでこの原理は「外部に対して閉された体躯の体系」に有効なのであるが、それは現実には存在しないし、また、存在することのできない人為的限界である。この基礎的表象──機械的にまた外延的に、
意味を変えた世界の魂の不滅性──を生み出したファウスト的人間、その世界感情の表現しようと欲したものはまさに象徴的無限なのである。それは"感情であった"。しかし認識はこの感情からなんら純粋な体系を形成することができなかった。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章13)

こうして動力学のなかに活動している想像力は、さらに再びファウスト的人間の歴史的情熱の大きな象徴を呼び起こしてくる。すなわち永遠の配慮であり、過去と未来との最も遠い距離に向かう傾向であり、過去を回望する歴史研究であり、前途を遠望する国家であり、告白と自己観察とであり、
すべての国民の上にはるかに鳴り響き、 生命を測る鐘の音である。われわれだけが感ずるような、また彫像彫塑を満すのではなく、器楽を満たしているような、時間という語のエトスは一つの"目標"に向けられている。この目標は、西洋のあらゆる生活影像において、
第三帝国として、新しい時代として、人類の任務として、一つの発展の終末として、具体化されていたのである。そうしてこれは、ファウスト的な自然としての世界の存在全体と運命とに取ってはエントロピーを意味するものである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章14)

われわれは数を、すべての文化の最も本源的な象徴の一つだと解した。したがって純粋な数への道とは覚醒存在が自己の秘密に復帰することであり、自己の特有の形態的必然の啓示である。目標が一たび到達された時には自然科学全体を包んでいてますます非感性的となり、ますます透明となった巨大な繊物が
ついにその仮面を剥がれるのである。それは言葉と結びついた理解の内的構造にほかならない。この理解は外形を征服し、その外形によって「真理」を解いたと信じたのである。しかしそのなかに現れているものは、最も初期のものと最も深いものであり、神話であり、直接の成ることであり、生命自体である。
自然研究が自ら人間形態を取ることが少ないと信ずれば信ずる程、それはますます人間形態を取るようになる。自然研究は漸次に自然像における個々の人間的特徴を片づけるのであるが、最後にそのなかに残るものは、いわゆる純粋自然と称せられる純粋な、また完全な人間性自体である。
無宗教的自然認識の「第二の我」なる都市的知能は、宗教的世界像の影を失わさせつつゴートの魂から生まれてくる。しかるに今日科学的紀元の夕映のなかに、懐疑主義の勝利の段階において雲が破れ、そうして朝の風景は再び極めて明瞭に現れてくるのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第6章15)

「仏教」がインドから中国へ渡ったのではなく、インド仏教徒の観念界の一部が特殊な感情方向のある中国人に取り入れられて、もっぱら中国仏教徒にとってのみなんらか意味ある宗教的表現の新しい方法にさせられたのである。
形態の本源的意義は問題でなく、観察者の活動的な知覚と理解とをしてその特有な創造をなし得る可能性を発見させる形態自体が問題なのである。意味というものは譲り得ないものである。種を異にする二個の人間の存在の間に存する深い魂的な孤独は決して和らげられない。
それゆえにその当時インド人と中国人が自己を等しく仏教徒だと感じていたとしても、かれらは内的にはすくなからず離れていたのである、同じ言葉、同じ礼式、 同じ記号がある。しかし二個の異なる魂が自己特有の道を進むのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第1章12)

トルストイは過去のロシアであり、ドストエフスキイは未来のロシアである。トルストイは、その内心のすべてをあげて、西欧に結びついている。かれはたとえ自ら否認しようとも、ピヨトル主義の偉大な代弁者である。その否定はつねに西欧的なものである。ギロチンさえもヴェルサイユの正当な娘であった。
かれのはげしい憎悪は自己自身脱することのできないヨーロッパへ向けられている。かれは自己のなかにあるヨーロッパを憎み、自己を憎む。したがってかれはボルシェヴィズムの父となっている。この知性の無力および「それの」一九一七年の革命の無力は遺作「光は闇に輝く」に現われている。
この憎悪はドストエフスキイの知らないところである。ドストエフスキイはあらゆる西欧的なものを同じ情熱的な愛で抱擁する。「わたくしは二個の祖国を有する。ロシアとヨーロッパである」。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第3章2)

アリストクラシーの危険は手段において保守的であることであり、デモクラシーの危険は法式を形態と混同することである。現代の手段は、なお数年間は議会主義的、すなわち選挙と出版とである。このことを尊敬するなり、軽蔑するなりすきなように考えていい。しかしこのことに"精通し"なければならない。
バッハとモーツァルトとは自己の時代の音楽的手段に"精通して"いた。これはいかなる種類にもせよ、巧妙さの特徴である。政治の技術においても変わりはない。一般に見え得る外形はもちろん大切な形式ではなく、ただその扮装にすぎない。ゆえにそれは出来事の本質に何の変化も加えないで変えられ、
現実には手も触れないで概念化され、憲法の正文に書きあげられる。そうしてあらゆる革命家と空論家との野心は歴史の表面上で、この権利、原理、自由の遊びに手を出してすりへらされるのである。選挙権の拡張はアテナイまたはローマの、ジャコバンの、アメリカの、ドイツの、"選挙する"技術に比すれば
まったく無意味だということを政治家は知っている。イギリス憲法が何と謳おうとも、その適用が貴族家族の少数層の扱うところだという事実に比すれば、どうでもいいことである。そこでエドワード七世は自己の内閣の一閣員であった。
そうして近代出版に関していうと、それが立憲的に「自由」であれば、心酔者は満足するかも知れない。識者のたずねることはただそれが誰の手中にあるかということだけである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第4章16)

ここに存するものは全然形而上学的な死への転帰である。世界都市の終末人間は個人としては生きようとするが、型として、群れとしてはもやは生きようとは欲しない。この"全体の存在"においては死の恐怖が消えるからである。
純粋の農民を、深い、説明することのできない不安で襲うこと、すなわち家族と名前との滅亡という考えはその意義を失った。見えうべき世界のなかに親族の血を永続させることは、もはやこの血の義務と感ぜられなくなり、最後の人間だという偶然はもはや宿命と感ぜられない。
子供が生まれないというのは、たんに子供が不可能になったからばかりでなく、とくに極度にまで強化された知性がもはや子供の存在理由を見いださないからである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第2章5)

一つの物の価値が労働量の大いさで測られるということは、貨幣と鋳貨との混同とまったく一致している。ここでは「労働」はもはや作用の世界内の活動でなく、内的尊厳、強度、意義において無限に異なっていて、ますます広い範囲にわたって活動しつづけ、そうして電気の力の場のように測定されるが、
限定されえない"働くこと"ではなく、全然物質的に表象された"その結果"であり、"働かれたもの"であり、その広さ以外には何も注目にあたいするもののない、つかみうべき何物かである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第5章4)

しかし、まさしくそれゆえに、ファウスト的人間は「自己の創造の奴隷」となったのだ。その数、そして生活規準の設計は機械によって一つの軌道に追いやられる。その軌道の上では静止もなければ退歩もない。農夫、職人、商人さえも、三つの姿に直面して、突然、無意味なものとなる。
「その姿とは、機械がその発達の途上で育て上げたもので、すなわち企業家、技術者、工場労働者の三つである」。手工業の全く小さな枝、すなわち工業経済から、「ほかの文化ではなく、この一つの文化において」、強力な樹が成長してくるのであり、他のあらゆる職業の上にその影を落とすのだ。
それは「機械工業の経済界で」ある。それは企業家も工場労働者をも強制して自己に服従させる。「両者」とも機械の奴隷であって、主人ではない。この機械は今こそ、その悪魔的な秘密の力をはっきするのだ。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第5章7)

トルストイは過去のロシアであり、ドストエフスキーは末来のロシアである。トルストイはその内心のすべてをあげて西欧に結びついている。彼はたとえ自分で否認しようと、ピョートル主義の偉大な代弁者だ。その否定は常に西欧的なものだ。彼の激しい憎悪は自らが脱け出せぬヨーロッパに向けられている。
彼は自己の中にあるヨーロッパを憎み、自己を憎む。従って彼はボルシェヴィズムの父となっている。この憎悪をドストエフスキーは知らない。ドストエフスキーはあらゆる西欧的なものを同じ情熱的な愛で抱擁する。トルストイは徹頭徹尾偉大な理解であり、啓蒙されたもの、社会的に思考されたものである。
トルストイの所有に対する憎悪は経済的なものであり、社会に対する憎悪は社会倫理的のものであり、国家に対する憎悪は政治的理論である。西洋に対して彼が大きな影響を及ぼしたのはこの理由による。彼は何らかの点でマルクス、イプセン、ゾラの一味徒党だ。彼の著作は福音書でなく、後期の知的文学だ。
ドストエフスキーは原始キリスト教の使徒の仲間だということは別として、なんの仲間にも属していない。かかる魂はあらゆる社会的なものをこえて遠くを見る。この魂から見れば、この世界の事物は全くくだらないものであり、これを改革してもなんの価値もない。魂の苦悩は共産主義となんの関係があるか。
社会問題の範囲に踏みこんだ宗教は宗教ではなくなったのである。しかしドストエフスキーはすでに直接に眼前に存する宗教的創造という現実のうちに生きている。彼のアリョーシャはあらゆる文学的批評の理解しえないものであり、ロシアの批評さえも理解しえないものである。
始めと終りとはここで相触れている。ドストエフスキーは聖者であり、トルストイはたんに革命家であるにすぎない。
トルストイの口にしたキリストとはマルクスの意味であった。ドストエフスキーのキリスト教には次の一千年が属している。
(シュペングラー『西洋の没落』)

「すべての人はすべてのことにおいて罪がある」。
──これはドストエフスキーのすべての創作の形而上的な根本感情である。その故にイワン・カラマーゾフは、ほかの人間が殺人を犯したのに、自分を殺人犯と名づけなければならなかった。犯罪人は不幸な者なのである。
──これはファウスト的な個人的な責任を、徹底的に否定することである。かのゴシック、レンブラント、ベートーヴェンの上方への揚ろうという熱情は犬を襲う歓喜にまで増大する。ところがロシアの神秘主義はその熱情について、何も有していない。
神秘的なロシアの愛は平原の愛であって、いつも土地に沿い、──あくまで土地に沿っていて、同じ圧迫の下にいる兄弟への愛、植物への愛であって、決して鳥、雲、星への愛ではない。
(シュペングラー『西洋の没落』)

そして、これらの結果は巨大である。生まれながらの指導者、企業家、発明家の小部隊が自然を強要して数百万、数十億馬力で計られる仕事を無理矢理やらせるのであり、そしてこれに比べれば人間の体力などはものの数ではなくなってしまう。人々は、自然の秘密をこれまでと同じく少しも理解していないが、
しかし人間の命令、すなわち押しボタンや〈梃子〉のほんの一押しで自然を〈服従〉させる助けとなる、〈真〉でなく、合目的なだけの作業仮説なら知っているのである。発明のテンポは幻想的なまでに高まるが、それにもかかわらず人間の仕事は〈何ひとつ〉軽減され〈ない〉ということが、再三再四、
言われなければならない。必要不可欠な手の数が機械の数とともに〈膨張していく〉が、それは技術的なぜいたくがそれぞれ別種のぜいたくをふやすからであり、また人工的な生活がますます人工的になっていくからである。
(シュペングラー『人間と技術』11)

技術は、膨張していく都市とともに〈市民的に〉なった。あのゴチック時代の修道士たちの後継者は、世俗的な教養のある発明家であり、〈機械の事情に通じた司祭〉であった。結局、合理主義とともに、「技術信仰」がほとんど唯物主義的な宗教にまでなったのである。
すなわち、技術は、父なる神と同じように永遠不変であり、その子と同じように人類を救済し、聖霊とおなじようにわれわれを照らすというのである。そして、技術崇拝者というのは、ラ・メトリーからレーニンにいたるまで、近代の進歩的俗物なのである。
(シュペングラー『人間と技術』11)

すべての有機的なものが、広がりゆく組織化に屈服する。人工的世界がまかり通り、自然の世界を毒殺する。文明それ自身が、一切のことを機械的に行ない、あるいは機械的に行なおうとする一個の機械と化してしまった。さらに、人びとは馬力でしかものを考えない。人びとは、
もはや頭の中で電力に置き換えることなしには、滝を見ることがない。放牧された家畜でいっぱいの田園を見ては、その肉の生産高の評価を考えないではおられず、素朴な住民の昔ながらの美しい手仕事を見ては、近代的な技術的方策に代えたいと願わずにはおれないのである。それに意味があろうがあるまいが
技術的思考は現実化を〈欲する〉のである。〈機械のぜいたく〉は、思考脅迫の結果である。結局のところ、機械とは、その神秘的な理想である永久機関のように一つの〈象徴〉であり、魂や精神の必然性ではあるが、生命的必然性ではないのである。
(シュペングラー『人間と技術』12)

技術は、己れ自身が利用している高等数学と同じように、そしてまたみずからの分解思考で、現象の抽象化から人間の認識作用の純粋な根本形式にまで突き進みながらも、そのことに全く気づいていない物理学理論と同じように秘教的になってしまった。
(シュペングラー『人間と技術』12)

ドストエフスキー

さらに、彼がすでにある程度までわが国の現代青年であったことも、付け加えてみるがいい。つまり、本性から誠実で、真理を求め、探求し、信ずる人間であり、いったん信ずるや即刻それに参加することを求め、早急に偉業を要求し、そのためなら生命をも犠牲にしようという気持をいだいている青年である。
とはいえ、不幸なことに、これらの青年たちは、生命を犠牲にすることが、おそらく、数限りないこうした場合におけるあらゆる犠牲のうちでもっとも安易なものであることを理解していないし、また、たとえば、青春に沸きたつ人生の五年なり六年なりを、つらい困難な勉学や研究のために犠牲にすることが、
たとえ自分が選び、達成しようと心に誓った同じその真理や同じ偉業に奉仕する力を十倍に強めるためにすぎぬとはいえ、そういう犠牲は彼らの大部分にとって例外なしに、まったくと言ってよいくらい堪えきれぬものであることを理解していないのだ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

「でもそれは」長老が言った。「昔の『ラケルはわが子らを思って泣き、もはや子らがいないため、慰めを得られない』と同じことで、お前さん方、母親には、この地上にそうした限界が設けられているのだよ。だから慰めを求めてはいけない。慰めを求める必要はない、慰めを求めずに、泣くことだ。
ただ、泣くときにはそのたびに、息子が今では天使の一人で、あの世からお前さんを見つめ、眺めておって、お前さんの涙を見て喜び、神さまにそれを指さして教えておることを、必ず思いだすのですよ。
母親のそうした深い嘆きは、この先も永いこと消えないだろうが、しまいにはそれが静かな喜びに変ってゆき、お前さんの苦い涙が、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙となってくれることだろう。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

「疑いもなく、〔来世を信じられないということは〕死ぬほどつらいことです。だが、この場合何一つ証明はできませんが、確信はできますよ」
「どうやって? 何によってですか?」
「実行的な愛をつむことによってです。自分の身近な人たちを、あくことなく、行動によって愛するよう努めてごらんなさい。愛をかちうるにつれて、神の存在にも、霊魂の不滅にも確信がもてるようになることでしょう。
やがて隣人愛における完全な自己犠牲の境地にまで到達されたら、そのときこそ疑う余地なく信ずるようになり、もはやいかなる懐疑もあなたの心に忍び入ることができなくなるのです。これは経験をへた確かなことです」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

嘆かわしいことに、一部で言われるとおり、民衆の間にも罪がある。また、堕落の炎は目に見えて刻々と燃えさかり、上から下へひろがってゆく。民衆の間にも孤独化が生じ、富農や搾取者が現われはじめた。すでに商人はますます尊敬を求めるようになり、教養などまったく持たぬくせに、
教養ある人間に見せようと努め、そのために破廉恥にも昔からの慣習をないがしろにし、父祖の信仰さえ恥じる始末だ。得々として公爵家などに出入りしてはいるが、しょせんは根性の腐った百姓にすぎない。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

嘲笑する人々には、こうききたいものだ。もしわれわれの考えが夢だと言うなら、あなた方はキリストに頼らず自分の知力だけで、いつ自分らの建物を建て、公平な秩序を作るのか、と。
かりに彼らが、反対に自分たちこそ統一をめざしているのだと主張するなら、本当にそんなことを信ずるのは彼らの中でももっとも単純な連中だけであるから、その単純さに呆れるばかりだ。実際、彼らはわれわれよりずっと浮世ばなれした幻想をいだいている。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

「キリストの言葉はあらゆるもののためにあるのだ。神の創ったすべてのもの、あらゆる生き物、木の葉の一枚一枚が、神の言葉を志向し、神をほめたたえ、キリストのために泣いている。自分では気づかぬけれど、けがれない生活の秘密によってそれを行なっているのだ。
森の中にはこわい熊がうろついておるだろう。熊は獰猛な恐ろしい獣だが、べつにそれは熊の罪ではないのだよ」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

「そうだ、僕のまわりには小鳥だの、木々だの、草原だの、大空だのと、こんなにも神の栄光があふれていたのに、僕だけが恥辱の中で暮し、一人であらゆるものを汚し、美にも栄光にもまったく気づかずにいたのだ」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

医者が来ると (エイゼンシュミットというドイツ人の老医が往診に通ってきていた)、兄は「どうですか、先生、あと一日くらいは生きていられそうですか?」などと、よく冗談を言った。「一日と言わず、何日も生きられますとも。この先何カ月も、何年も生きられますよ」と医者が答える。
「どうして何年だの、何カ月だのが必要なんです!」と兄が叫ぶ。「いまさら日数なんぞ数えて何になりますか。人間が幸福を知りつくすには、一日あれば十分ですよ。ねえ、どうして僕らは喧嘩したり、自慢し合ったり、お互いに恨みをいだき合ったりしているんでしょう。
このまますぐに庭に出て、散歩したり、はしゃいだり、愛し合ったり、ほめ合ったり、キスしたりして、われわれの人生を祝福しようじゃありませんか」「坊ちゃんはもうこの世に暮していないも同じですよ」母が表階段まで送りに出ると、医者はこう言った。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

毎日、毎時、毎分、おのれを省みて、自分の姿が美しくあるよう注意するがよい。たとえば幼い子供のわきを通るとき、腹立ちまぎれにこわい顔をして、汚ない言葉を吐きすてながら通りすぎたとしよう。お前は子供に気づかなかったかもしれぬが、
子供はお前を見たし、お前の罰当りな醜い姿が無防御な幼い心に焼きついたかもしれない。お前は知らなかったかもしれぬが、もはやそのことによって子供の心にわるい種子を投じたのであり、おそらくその種子は育ってゆくことだろう。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

わたしはさる《思想のための闘士》を知っているが、その闘士がみずから話してくれたところによると、刑務所で煙草が吸えなくなったとき、あまりの苦しさに、わずかばかりの煙草をもらいたい一心から、もう少しで自分の《思想》を裏切りそうになったという。
こんな人物が「人類のために戦うぞ」などと言っているのだ。こんな人物がどこへおもむき、何をやれるというのだろう? おざなりの行為ならともかく、永く堪えぬくことはできまい。だから、彼らが自由の代りに隷属におちこみ、兄弟愛と人類の団結に対する奉仕の代りに、むしろ反対に、わたしの
青年時代の師である神秘的な客が言ったように、離反と孤独におちこんだのも、ふしぎではない。だからこそ、俗世では人類への奉仕とか、兄弟愛とか、人類の統一とかいう思想がますます消え薄れ、実際にこの思想がもはや嘲笑とともに迎えられてさえいるのだ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

「たとえ次の子が生まれるとしても、かわいがることができるかどうか、どうしてかわいがったらいいかわかりません。私はソーニャがほしい。あの子はもういない、自分は二度とあの子にめぐり会うことができない。このことが納得できないのです」
(アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』)

神はヨブをふたたび立ち直らせ、あらためて富を授けるのだ。ふたたび多くの歳月が流れ、彼にはすでに新しい、別の子供たちがいて、彼はその子供たちを愛している。だが、「前の子供たちがいないというのに、前の子供たちを奪われたというのに、どうして新しい子供たちを愛したりできるだろう?
どんなに新しい子供たちがかわいいにせよ、その子たちと一緒にいて以前のように完全に幸福になれるものだろうか?」という気がしたものだ。だが、それができるのだ、できるのである。古い悲しみは人の世の偉大な神秘によって静かな感動の喜びに変ってゆく。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

彼と非常に親しくしているアリョーシャを悩ませたのは、この親友ラキーチンが不正直なくせに自分ではまるきりそれを意識しておらず、むしろ逆に、自分はテープルの上の金を盗むような人間ではないと自覚しているため、きわめて正直な人間とすっかり自分できめてかかっている点だった。
こうなるともう、アリョーシャのみならず、だれであろうと、手の施しようがないにちがいない。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

実は、僕はときおりこの人が好きになるんですよ。この人はとても卑劣ではあるけれど、その卑劣さがごく自然でしょう? ほかの人なら、何か理由があって、利益を得るために卑劣な行為をするものですが、この人はただなんとなく、天性からそうするんですものね
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

さる大臣が僕に打ち明けたんだが、いちばんすばらしいアイデアがうかぶのは、眠っているときだそうだ。現に今だってそうじゃないか。僕は君の幻覚でこそあるけれど、ちょうど悪夢の中のように、君がこれまで頭に思いうかべたこともないような、独創的なことを話しているだろう。
だから、こうなるともう僕は君の考えを蒸し返しているわけじゃない。にもかかわらず、僕は君の悪夢でしかないし、それ以上の何物でもないんだからね
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

正直で感じやすい人間は、何げなしに打明け話をするが、事件屋はそれを聞いて食い物にする。そして、最後には骨までしゃぶってしまうのさ。
(ドストエフスキー『罪と罰』)

わたしの意見はこうです。ドイツ女を鞭でなぐった旦那には、あんまり同情しませんな、だってどう見てもそれは……同情に値しませんよ! とはいうものの、この際どうしても言っておきたいのは、どんな進歩的な人々でも、おそらく、完全に自制できるとはいいきれないような、
そうした生意気な《ドイツ女》がままいるものだ、ということですよ。この観点からこの事件を見た者は、当時一人もいませんでした、しかしこの観点こそ、ほんとうの人間味のある立場ですよ、そうですとも!
(ドストエフスキー『罪と罰』)

いや、おれは堪えられぬ、堪えられぬ!たとえこのすべての計算には一点の疑いさえないにしても、この一月の間に決められたことがみな、白日のように明らかで、算術のように正しいとしても、だめだ。おれはやっぱり思いきれぬ!だっておれは堪えられぬ、堪えられぬのだ!
(ドストエフスキー『罪と罰』)

「話はゆっくりしましょうよ!」
そう言うと、彼は急にどぎまぎして、真っ蒼になった。またしてもさっきの恐ろしい触感が死のような冷たさで彼の心を通りぬけたのだ。またしても彼は恐ろしいほどはっきりと悟ったのだ、いま彼がおそろしい嘘を言ったことを、そしてもういまとなってはゆっくり話をする
機会などは永久に来ないばかりか、もうこれ以上どんなことも、誰とも絶対に語り合うことができないことを。この苦しい想念の衝撃があまりに強烈だったので、彼は、一瞬、ほとんど意識を失いかけて、ふらふらと立ちあがると、誰にも目を向けずに部屋を出て行こうとした。
(ドストエフスキー『罪と罰』)

ぼくの深く確信するところによれば、たんに意識の過剰ばかりでなく、およそいっさいの意識は病気なのである。ぼくはこう主張したい。
(ドストエフスキー『地下室の手記』)

〈は、は、は! そこまで行けば、きみは歯痛にも快楽を見出せるわけだ!〉諸君は腹をかかえて笑いながら、絶叫されることだろう。
おあいにくさま、歯痛にだって快楽はあるさ、とぼくは答える。まるひと月、歯痛を病んだ経験から、ぼくはちゃんと知っているのだ。
(ドストエフスキー『地下室の手記』)

絶望のなかにも焼けつくような強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退きわまったみじめな境遇を痛切に意識するときなどはなおさらである。
(ドストエフスキー『地下室の手記』)

人はその衝動ゆえについ盲目な高潔心にかられてあらゆる点で自分に値しない相手を、こちらの気持をとっくりと理解しないばかりか、折あらばこちらを苦しめようと待ちかまえている相手を選んでしまうのです。そうしてその相手を、思いがけなくもとつぜんなんらかの理想に、自分の夢に仕立てあげて、
その相手に自分のあらゆる希望を結びつけ、その相手の前にひざまずき、何が何やらわからないまま一生その相手を愛してしまうのです。 ──いいえ、ことによると、それはその相手が逆にそれだけの値打ちのない人だからかもしれません。
(ドストエフスキー『悪霊』)

「近ごろの連中はこれですからな」少佐は拳でテーブルをこつんとたたいて、真向かいに坐っているスタヴローギンに話しかけた。「いや、失礼ですが、わしは自由主義も現代主義も好きです。知的な話を聞くのも大好きです。しかし断わっておきますが、──男同士の話にかぎります。
女から、それもこうした現代のはねっ返り娘から話を聞くのは──まっぴらご免、苦痛ですて。おい、おまえはばたばたするんじゃない!」と彼は椅子から飛びあがりそうになった女学生に向かってどなりつけた。
(ドストエフスキー『悪霊』)

「すばらしいのです。子供の仇討ちに頭を打ち割るのも、すばらしい。頭を打ち割らないのも、すばらしい。すべてがすばらしいのです、すべてが。すべてがすばらしいことを知っている人は、そのことすべてによってすばらしいのです。もし人間が自分たちにとってすべてがすばらしいことを知っていたなら、
人間にとってはすべてがすばらしいのです。しかし自分たちにとってすべてがすばらしいことを知らないあいだは、彼らにとってはすべてがすばらしくないでしょう。これが全部の思想です、全部の。ほかにはいかなる思想もないのです」
(ドストエフスキー『悪霊』)

人から邪魔されずにいられるためなら、僕は今すぐ全世界を一カペーカで売りとばしたっていいと思ってる。世界が破滅するのと、この僕が茶を飲めなくなるのと、どっちを取るかって? 聞かしてやろうか、世界が破滅したって、僕がいつも茶を飲めればそれでいいのさ。
(ドストエフスキー『地下室の手記』)

愛は人間を平等にすると申しますけれど、どうぞご心配くださいませんように。わたしはふかく秘めた心の奥底でさえも、あなたさまを自分と平等なものなどとは考えたこともございませんから。
(ドストエフスキー『白痴』)

あの男はひどく潔白ということをありがたがっている、──それはぼくも承認できる。それはぼくの目にも見える。しかし、それもただ理想だけの話らしい。そりゃ、あの男は悔恨という心的傾向をもっている。生涯のべつわれとわが身を呪って、後悔ばかりしているくせに、決してそれでよくなることはない。
ただし、こいつもやはりぼくと同じかもしれないて。偏見と間違った思想は、数知れぬほど持っていながら、本物の思想は、からっきし持ち合わせがないのだ! 偉大な功業を求めながら、けちくさい悪事ばかりしている。リーザ、堪忍しておくれ、どうもぼくはばかだよ。
(ドストエフスキー『未成年』)

ある一人の賢い婦人が、わたしに一度こういったことがある、──あなたは『自分で苦しむことができない性分だから』、他人を批判する権利がない、他人の審判者となるためには、苦痛によって批判の権利をえなければならぬ、とこうなのだ。
(ドストエフスキー『未成年』)

他人をあわれむ資格があるのは、とても不幸な人間だけだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1945)

ディケンズは決して自分の目でピクウィックを見たのではなく、ただ自分が観察した現実の種々相の中にそれを認め、ひとりの人物を創造して自分の観察の結果としてそれを提示しただけのことである。
このようなわけで、ディケンズは単に現実の理想を取り上げただけであっても、その人物は現実に存在する人物とまったく同じように、現実的なのである。
(ドストエフスキー『作家の日記』1873年)

完全なるリアリズムにおいては、人間の内なる人間を見出すことが目標となる……私は心理学者と呼ばれるが、それは誤りだ。私はただ最高度の意味でのリアリストに過ぎない。つまり私は人間の心の深層の全貌を描こうとしているのだ。
(ドストエフスキー 1881年)

ドストエフスキーの思考には、発生論や因果律のカテゴリーがない。かれはたえず論争しており、どんなかたちであらわれようと(たとえば環境でもって正当化する弁護士的やり方)、環境論にたいして、生来の敵意のようなものを抱いて論争している。
かれは歴史そのものに訴えることもほとんどなく、あらゆる社会的、政治問題を同時代の次元で解釈している。
(バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』)

かれらが過去のなかでおぼえているのは、贖われていない罪、犯罪、許されていない侮辱などのように、かれらにとって現在でありつづけていて現在として体験されているものだけである。主人公たちのこのような伝記的事実のみを、ドストエフスキーは自分の小説の枠内に導入している。というのも、それらは
同時性の原理と一致しているからである。ドストエフスキーの小説のなかには因果関係は見られないし、起源もなく、過去や環境の影響、教育その他からの説明もない。主人公のどの行為も全体が現在のなかにあり、その点ではあらかじめ決められてはいない。
(バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』)

ドストエフスキーの小説は壮大に展開された対話である。そしてそこにおいて個々の「声」がきわめて独立した性格を持っていることが、いわば格別の持ち味となっている。おそらくドストエフスキーの内には、生の諸問題を、情熱に身を震わせ、ファナティシズムの炎に燃え盛るこの独特な「声たち」の議論の
場に提示してみせようという意欲があったのだと考えざるを得ない。しかも作者自身はあたかもこの熱狂的な論争にただ立ち会って、議論の顛末と事態の進展を興味を持って見守っているだけであるかのようである。
(A.V.ルナチャルスキー「ドストエフスキーの『多声性』について」)

ドストエフスキーの世界には、そもそも物的なものはなにひとつなく、対象や客体はない。あるのは主体だけである。したがって、判断する言葉、客体についての言葉、対象不在の言葉もない。
(バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』)

ゲーテ

すべての美徳は個人的であり、すべての悪徳は社会的である。社会的美徳とされるもの、たとえば愛、無私、公正、犠牲の精神などは、「驚くべく」弱められた社会的悪徳にすぎない。
(カフカ)

真理は人間のものであり、あやまちは時代のものである。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

ある種の書物は、人に学ばせるためにではなく、著者が何かを知っていたということを人に知らせるために書かれているもののように思われる。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

私はこの本によって他人に考える手間を省かせようとは思っていない。そうではなく──もしそんなことが可能であればだが──読む人に自ら考えるよう仕向けたいと思っている。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』序文)

詩的才能は農夫にも騎士にもひとしく与えられている。大切なことは、各自が自分の置かれた状態を取り上げて、これをおのれにふさわしい品位をもって取り扱うということだ。
(ゲーテ『箴言と省察』文学と言語)

いかなる言葉も静止することはない。使われているうちにそれが最初に置かれた場所から絶えず移動してゆく。上昇よりは下降、向上よりは堕落、拡大よりは収縮、そして語義の変化を見れば概念の移り変りも理解できる。
(ゲーテ『箴言と省察』文学と言語)

近代はみずからのつかんでいる大量の素材ゆえに、あまりにもみずからを高く評価し過ぎるきらいがある。しかし人間の有する主要な長所は、どの程度まで素材を処理しこなしきる術を心得ているかにのみ基づいているのだ。
あまりに多くを要求する人、こみ入ったものを喜ぶ人は、迷う危険に晒されている。
学問上の論争にさいしては、問題の数をふやさないように注意する必要がある。
世界はすでに、けっこう謎だらけである。このうえ、単純きわまる現象までも謎にしてしまう必要がどこにあろう。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

崇高なものは、知識によってしだいしだいにばらばらにされて、わたしたちの精神の前でふたたびまとまることが容易ではなくなってしまっている。こうしてわたしたちは段階的に、わたしたちに恵まれていた最高のものを奪われ、無限のものを共感することができるように
十分わたしたちを高めてくれる統一体を奪われて、知識は増しながらも、わたしたち自身はますます卑小になってゆく。以前にはわたしたちは全体とともに巨人のようにそびえ立っていたのだが、今は部分部分と向い合って、自分がこびとのような思いにとらわれている。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

近代の自然学の果てしない多様性、細分化、錯綜性を脱してふたたび単純なものへとのがれるためには、つねに次のような問いをみずからに対して発しなければならない。
根本的に統一体であるにもかかわらず、今わたしたちの目には多様性を増しているように見えるこの自然に対して、プラトンだったらどういう態度をとったであろうか、と。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

人間は自分の健康な感覚を用いる限り、それ自身、存在し得るもっとも偉大でもっとも精密な物理学的器械である。そして、人が実験をいわば人間から切り離して、人工の器具に示されるもののなかにのみ自然を認識し、
いや、そればかりか自然のなし得ることをこれによって制限したり証明したりしようとすることこそ、近代物理学の最大の不幸にほかならない。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

どのような理念も、見知らぬ客として現象のなかへはいって行く。そして現実化し始めるや否や、空想や妄想とほとんど見分けがつかなくなる。
考える人間には妙な性質がある。解けない問題の横たわっているところに好んで空想像を作りあげ、その問題が解けて真実が明らかになっても、
それを振り払うことができないのだ。
神話も伝説も、これを科学で扱うことは許容できない。こういうものは詩人たちに任せるべきである。詩人はそれを扱って世を益し、楽しませる天職を与えられているのだから。科学にたずさわる人間は、手近の、きわめて明瞭な現在に自己を限定すべきである。
しかし彼がときとして修辞家の態度をとろうとするならば、神話や伝説を扱うことを禁ずることもなかろう。
自然研究の歴史を見ると、観察者が現象から理論へとあまりに急ぎすぎて、そのために不十分に、つまり仮説的になることがはっきりと認められる。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

アリストテレスの出した諸問題を見ると、目配りの才能と、ギリシア人たちがどんなことでも見てとる目をもっていたこととに驚嘆する。ただ彼らは、現象から直接に解釈へと進んでしまって、急ぎ過ぎのあやまちを犯す。それによって、まったく不十分な理論的言辞が出てきてしまうのだ。
しかしこれは、今日もなお犯される一般的なあやまちである。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

数学者とは奇妙な人たちである。彼らは自分たちのなしとげた偉大な業績にいい気になって世界的なギルドを作りあげ、自分たちのサークルに適合するもの、自分たちの器官が扱い得るもののほかは何物をも承認しようとしない。
一流の数学者の一人は、ある物理学の論文を読むように強くすすめられた機会に言ったものである。「だがいったい、計算に還元できるものは何一つないのか」と。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

絵画はすべての芸術のうちでもっとも大目に見てもらえる、もっとも気楽な芸術である。大目に見てもらえるというのは、ただの職人仕事か、もしくはほとんど芸術とは言えないような代物でも、材料や対象のせいで多くを許してもらえ、楽しんでもらえるからである。
また、精神がこもっていなくても技術さえすぐれていれば、教養のない人をも教養のある人をもひとしく感心させるというせいもあって、多少なりとも芸術にまでみずからを高めさえすれば、かなりの程度よろこんで受け入れてもらえる。色彩や表面や、
目に見える物体相互間の位置関係などに見られる真実性からしてすでにこころよいものであり、それに、目はもともとあらゆるものを見ることに慣れているから、自然界のできそこないを見ても、したがってまたできそこないの絵を見ても、調子はずれの音が耳に不快にひびくほどには、不快には感じない。
最低の絵でも通用してしまうのは、目が実際にもっとひどいものを見ることに慣れているからである。こういうわけで、画家はある程度芸術家でありさえすればよい。そうすればもう、同じ程度の音楽家よりも多くの愛好者が見つかる。
少なくとも、どんなにつまらぬ画家でも自分一人で仕事をすることができるのだが、たいしたことのない音楽家の場合は、いっしょに仕事をして多少とも効果をあげるために、他の人びとと組んで仕事をしなければならない。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)

多くのスケッチから最後に全体を仕上げることには、もっともすぐれた人たちでさえいつでも成功するとは限らない。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)

もっともよい意味での音楽は、文学(ポエジー)よりも新奇さを必要としない。いやむしろ、古ければ古いほど、耳馴れていればいるほど、それだけ多くの効果を現わす。
芸術の品位はひょっとして、音楽においてもっともすぐれた現われ方をしているのではなかろうか。抜き去らなければならないような素材が音楽にはないからである。音楽はまったく形式と内容だけであって、表現するものすべてを高め、高貴にする。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)

ある種の人たちには、その性癖を認めてやらなければならない。
人にはそれぞれ固有の性癖があって、これをのがれることができない。しかも世のなかには自分の性癖──しばしばおよそ罪のない性癖──のために破滅する人間もある。
個性は個性を呼びさます。
生来身にそなわっているものは、たとい投げ捨てようとも、これをのがれることはできない。
人はだれでもその本性のなかに、もしもそれをおおやけに口にすれば他人の顰蹙を買うにちがいないものをもっている。
わたしたちが陶冶せねばならぬのは、わたしたちの性質であって、わたしたちの性癖ではない。
人間とは生得のものだけではなく、努力して手に入れたものである。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

だれかをほめるということは、自分をその人と対等の立場に置くということだ。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

自分自身に対しても他人に対してもあくまで真実を通すことのできる人は、最大の才能の最善の性質をもっている。自分の考えを他人に伝えるのは生れながらの素質の問題であり、他人から伝えられたことを伝えられたとおりに受けとるのは教養の問題である。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

世紀は進む。しかし個々人はそれでもやはりはじめからやりなおすしかない。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

自分がそれを経験したというだけで、理解もしたと思いこむ人間がたくさんいる。
ほんとうに経験することもできずに、どうして自分が何かを経験するなどと言えようか。
私たちは毎日のように、経験を解明し、精神を浄化する必要を感じる。
よき人は常に初心者である。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

真の弟子は既知のものから未知のものを展開する術を学び、かくて師に近づく。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)

神は、わたしたちが高きに立てばすべてであり、低きに立てば、わたしたちのみじめさの一つの補足である。
(ゲーテ『箴言と省察』宗教とキリスト教)

愛国的芸術とか愛国的学問とかいうものは存在しない。すべて高尚な善いものはそうであるが、芸術や学問は世界全体のものである。一切の同時代の人々の一般的な自由な相互作用により、過去から我々に伝えられているものを絶えず顧みることによって初めて、両者は促進され得る。
(ゲーテ『格言と反省』)

それから、話題は弁証法の本質に移った。「それは、つまり」とヘーゲルはいった、「だれの心にも宿っている矛盾の精神を法則化し、方法論に完成したもの以外の何ものでもありません。こうした能力は、真と偽を区別するさいに偉大さを証明するものです。」
「ただ」とゲーテは口を挟んだ、「そうした精神の技術や有能性がみだりに悪用されて、偽を真とし真を偽とするために往々にして利用されたりしなければいいのだがね!」
「そういうことは、よくあるものですが」とヘーゲルは答えた、「しかし、それは精神の病める人たちだけがやることです。」
「それなら」とゲーテはいった、「自然研究の方がよっぽどましだな。そんな病気にかかりっこないからです。なぜなら、自然研究では永久不変の真理が目的であり、対象を観察し処理する場合、徹頭徹尾、純粋に誠実に行なわない者は、たちまち不合格であるとして否認されるからね。
また、私は、多くの弁証法患者は、自然を研究すれば効果的に治療できるだろうと確信していますよ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1827.10.18)

ヘーゲルと同じように彼もキリスト教を哲学の領域へ引きずりこもうとしているが、そんなことをやってみたところで毒にも薬にもならないよ。キリスト教はそれ自体強力なものであり、むしろ時には落ちぶれたり、悩んだりする人類は、いつも、キリスト教によってみずからを立ち直らせてきた。キリスト教に
こうした働きのあることを認める以上、それはあらゆる哲学を超越したものであり、哲学の力を借りる必要など毛頭ないわけだ。同様に、哲学者の方も、ある種の説、たとえば霊魂不滅説のようなものを証明するために、宗教の名声に頼る必要などないのだ。人間は、不死を信じていいのであり、人間は、
そうする権利を持っているし、それが人間の本性にかなっているのであり、宗教の約束するものを期待していいのだよ。だが、哲学者がわれわれの霊魂の不滅を、伝説を用いて証明しようとしたら、それはじつに説得力がとぼしく、たいして意味のないことになる。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1829.2.4)

「現在には現在の権利がある。その日その日に詩人の内部の思想や感情につきあげてくるものは、みな表現されることを求めているし、表現されるべきものだ。しかし、もっと大きな作品のことが頭にあると、それと並んでは他のなにも浮んでこなくなり、すべての思想はしりぞけられ、
生活そのもののゆとりまでその間はなくなってしまう。ただ一つの大きな全体をまとめあげ、完成するのに、なんとまあたいへんな努力と精神力の消耗が必要なのだろう。さらにそれを淀みなく流れる一本の川のように適切に表現するには、
なんというエネルギーと邪魔の入らぬ静かな生活状態とが必要なことか! 一たん全体としてつかみそこねてしまえば、一切の労苦はむだになる。しかも、そういう包括的な対象になると、個々の部分でその素材を完全に自分のものにしていないと、全体があちこちで穴だらけのものになるだろう。
そこですぐと非難されるのだ。詩人にとっては、何をやってみても、そのたいへんな労苦と犠牲にたいして、酬いられる喜びがやってくるかわり、いつも残るのは不快なエネルギーの衰えばかりさ。
それにひきかえ、詩人が毎日現在を相手にし、目の前に提供されるものをいつも同じ新鮮な気持で扱っていると、必ず何かよいものができるし、ときにはうまくいかないことがあっても、それですべてが御破算ということにはならないのだ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1823.9.18)

「特に私がいましめたいのは、"自分勝手に"大きなものをでっちあげることだね。そういう場合、人は物事について自分の説をもちだそうとする。ところが、若いうちはなかなか考えが熟さないものだからね。それに、そもそもその詩人のさまざまな側面であるはずの
登場人物とかいろいろな見解とかが詩人からとかく離れていってしまって、今後の制作のために必要な充実が彼から失われてしまう。あげくのはては、こしらえものと内面の整理、結合のために、たいへんな時を"くわれて"、しかも誰ひとりそれを多としてくれる人はいないのだ。
むろん、われわれがいかなる場合にでも自分の仕事を仕上げることを前提としての話だがね。」
「それに反して、与えられた素材を取り扱う場合には、話は別だ。万事もっと楽になる。その場合は、事実と人物が提供され、詩人はその全体に生命を吹きこみさえすればよい。
自分自身の充実も、自分の側からの供出がほんの僅かだけでよいのだから、損なわれることはない。時間とエネルギーのロスも、仕上げの苦労だけですむから、はるかに少ないだろう。
いや、それどころか、私は既成の作品を対象とすることをお勧めしたい。イフィゲーニエは何度書かれたかしれないが、みな別物だ。誰だってものの見方、あらわし方は違うのだし、それぞれ自己流でやるのだから。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1823.9.18)

現実には詩的な興味が欠けている、などといってはいけない。というのは、まさに詩人たるものは、平凡な対象からも興味ふかい側面をつかみだすくらいに豊富な精神の活動力を発揮してこそ詩人たるの価値があるのだから。
現実は、そのためのモティーフを、表現すべきポイントを、本来の核心を、あたえるのでなくてはならないが、さてそれから一つの美しい生きた全体をつくりだすのは詩人の仕事だ。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1823.9.18)

話題は一転して、『ヴェルテル』に移った。「あれもやはり」とゲーテはいった、「私がペリカンのように、私自身の心臓の血であれを育てた。あの中には、私自身の胸の内からほとばしり出たものがたくさんつまっているし、感情や思想がいっぱい入っている。
だからたぶん、それだけでもあんな小さな小説の十冊分ほどの長篇小説にすることもできるだろうな。それはともかく、すでにたびたびいったように、あの本は出版以来たった一回しか読み返していないよ。そしてもう二度と読んだりしないよう用心している。
あれは、まったく業火そのものだ! 近づくのが気味悪いね。私は、あれを産み出した病的な状態を追体験するのが恐ろしいのさ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1824.1.2)

もし私が世界を予覚によって自己の中に摂取していなかったら、見る目を持ちながら、何も見えず、すべての探究も経験も、全く生命のない無益な努力に過ぎなかっただろう。
光があり、色がわれわれを取りまいている。しかし、もしわれわれの目の中に光と色を具えていないとしたら、外界の光や色を知覚することはできないだろう。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1824.2.26)

後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。が、逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。現代はどう見ても後退の時代だ。というのも、現代は主観的だからさ。このことは、文学だけでなく、絵画や他の分野においても見られるのだ。
それに対して、有意義な努力というものは、すべて偉大な時期ならどの時期にも見られるように、内面から出発して世界へ向かう。そういう時代は、現実に努力と前進をつづけて、すべて客観的な性格を備えていたのだよ。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1826.1.29)

私は数学は適切な場合に利用されるかぎりにおいては、もっとも高級な、もっとも有益な学問として、尊敬している。しかし、およそ当該領域でもないことで、この高尚な学問を、たちまち無意味さが露呈してしまうようなことにまで誤用しようとするのは、感心できないよ。おまけに数学的に証明されなければ
一切のものも存在しないみたいな調子だからな。 娘が愛を数学的に証明できないからといって、その娘の愛を信じようとしない人がいたら、それは大へんな愚か者だよ! 持参金なら、数学的に証明できるかもしれないが、愛情はできやしないよ。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1826.12.20)

われわれはインド哲学のことに移った。「この哲学は」とゲーテはいった、「イギリス人の報告が真実だとすると、別段変ったところがあるわけではないね。その中にはむしろわれわれ自身がみんな一度は通る時代がくり返されているにすぎないのだ。われわれは、子供のころは、感覚論者だ。恋をして、恋人に
現実には存在しない性質を見るようになると、理想主義者になる。この恋もぐらつきだして、誠実さというものを疑うようになると、いつのまにやら懐疑主義者になる。そうなると、あとの人生はどうでもよくなる。われわれは、なるがままに任せるようになり、
ついにはインドの哲学者たちみたいに、静寂主義になるというわけさ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1829.2.17)

ところで、私の言う想像力とは、実在しないものを空想するようなあやふやなものではない。私の考える想像力とは、現実の基盤から遊離したものではなく、現実的な周知のものに照らして、物事を予想し、推測しようとすることなのだよ。そのばあい、想像力は、この予想したものが可能であるかどうか、
他の既知の法則と矛盾しないかどうかを吟味するだろう。しかし、このような想像力が幅広い冷静な頭脳を前提とすることはもちろんさ。生きた世界とその諸法則を、意のままに洞察できる人であることが必要なのだ。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1830.1.27)

「私は」とゲーテはいった、「この最高の存在である神が悟性や理性をもっているかどうかは問題にしない。それよりも私は、神が悟性であり、また理性そのものなのだと感じる。すべての生物は神によってつらぬかれ、人間は最高者たる神の部分を感じるほど多分に神的なものをもっているのだ。」
食事中に、有機的な世界を探求するためまず鉱物学からはじめようとしている、ある自然科学者の努力が問題になった。「それはたいへんな間違いだよ」とゲーテはいった、「鉱物学の世界では、最も単純なものが最もすぐれているのだが、有機体の世界では、最も複雑なものが最もすぐれているのだからね。
つまり、二つの世界がまったく違った傾向をもっていることと、また、一方から一方への段階的な発展は決して見出されないことがわかっているのさ。」
私は以上の話をたいへん重要なものとして書きとめておいた。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1831.2.23)

「ところが、ある劇詩人の体質が、それほど丈夫でも抜群でもなく、どちらかといえば病気がちで、体力の衰えることがよくあるような場合だと、毎日場面を仕上げるのに必要な生産力が、たびたび渋滞し、時によると生産力が数日間も完全に失われてしまうことだってあるだろう。
ところが詩人がアルコールの類を飲んで、欠乏した生産力を無理にひっぱり出そうとしたり、それによって不十分な生産力を高めようとしたりすると、むろんそれはやってできないこともあるまいが、そんな方法でいわば無理に書きあげた場面には、すべてそれが看取されて、大きな欠陥となるものだよ。」
「だから、私がすすめたいのは、"けっして無理をしないことだ"。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ。そんなときにものを書いたって、後で、いやな思いをするだけだからね。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1828.3.11)

われわれは結局何を目ざすべきか。
世の中を知り、これを軽蔑しないことだ。
(ゲーテ『温順なクセーニエン』第1集)

なあ、本気出したらどうだ?とにかく今この瞬間を逃すな。できる事から始めろ。或はこうしたいと思ってる事から始めろ。大胆に行くのが肝心さ。天賦の才能とパワーと魔法は大胆を追っかけてくる。ひたすら取り組めば、そのうちどんどん心は熱くなり、話も熱くなってゆく。さあやれ、すぐに完成するぞ!
ああ、一目でいいから地球の奥深くを見てみたい! 暗い奥底を。出生前の胎児はいつその種子が蒔かれるのか。自然のひそやかな営為を見てみたい。そうすれば今まで繰り返した虚しい言葉──そう、それはただの言葉なのだ──を探し求める悪あがきを終わらせることができるのに。
(ゲーテ『ファウスト』)

かりに俺が六頭の馬の代金を支払ったとしよう。
すると奴らの力は俺のものではないか?
俺はどんどん疾走していく。
俺は、まるで足が二十四本もあるような、堂々たる男だ。
(ゲーテ『ファウスト』第1部)

しっかり立って、身のまわりを見よ。
有能なものに対して、この世界はだまってはいない。
なんで永遠の中にさまよい出る必要があろう!
自分の認識することは、手につかむことができる。
(ゲーテ『ファウスト』第2部)

真剣さなくしては、この世で何事もしとげることができない。教養のある人と呼ばれる人たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。
(ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』第6巻)

小説では特に心情と事件とが現されねばならない。戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐々に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引きとめるのでなければならない。
戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚しく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。
小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。これに反し、人間の関与をまたず独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。
これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合〔ハムレットのような場合〕には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。
(ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』第5巻第7章)

われわれはもっぱら他の人々を礼儀正しく誤解するだけだ、彼らにお返しとして誤解してもらうために。
(ゲーテ『タッソー』第5幕第5場)

私が悩んだ以上に悩んだけだかい人間が今ここに現われてきてはくれまいか。その人とわが身を引き比べて、本心を取りもどしたいと思うのだが。いやだめだ。すべては失われたのだ──だが一つだけ残ったものがある。自然はわれわれに涙を与えてくれた。男が最後にこらえきれなくなったときの
苦痛の叫びが涙なのだ。──そして私には格別な賜り物がある──苦しみのさ中にあってその深い苦しみの思いのたけを嘆くべき言葉と旋律をさずかったのだ。人間が苦悩のうちに沈黙するとき、神は私に自分の悩みを言いあらわす力を与えられたのだ。
(ゲーテ『トルクヴァート・タッソー』第5幕第5場)

カント

さまざまな学問に、たがいの境界を越えさせようと試みることは、学問を拡張するものではなく、歪めるものにすぎない。
(カント『純粋理性批判』V02)

こうした[ロックのような経験による系譜に基づく]方法で試みられた[純粋でアプリオリな概念の]導出は、根拠づけと呼べるようなものではなく、いわば〈生理学的な導出〉とでも呼ぶべきものである。これは事実問題にかかわるものであるから[根拠づけではなく]、むしろ〈説明〉と呼ぶことにしたい。
これは純粋な認識がどのようにして所有されるようになったかを説明するのである。これにたいして純粋な概念については超越論的な根拠づけしかありえず、経験的な根拠づけを示すことができないことは明らかである。純粋でアプリオリな概念を経験的に根拠づけようとするのは空しい試みである。
このような試みに携わることができるのは、こうした認識のまったく特異な性質を把握できない人だけである。
(カント『純粋理性批判』132)

外的な感覚能力については、わたしたちが外的に触発されなければ客体を認識できない。それと同じように、内的な感覚能力についても、わたしたち自身によって内的に触発されなければ、みずからを直観できないことを認めねばならない。
すなわち内的な感覚能力については、わたしたちはみずからの主観をそれ自体として〈あるがままに〉認識するのではなく、たんに〈現象として〉認識することを認めざるをえないのである。
(カント『純粋理性批判』166)

自然に観察されるさまざまな現象において確認される諸法則は、人間の知性とそのアプリオリな形式に、すなわち多様なもの一般を結合する知性の能力に応じたものでなければならない。しかしこれはさまざまな現象そのものが、人間の感性的な直観のアプリオリな形式[である空間と時間]に応じたもので
なければならないのと同じことを意味しているのであり、そこに不思議なことは何もないのである。
[現象において確認される]諸法則は、こうした現象そのもののうちに存在しているわけではなく、たんに知性をそなえて[観察して]いる主体にたいして存在しているのであり、
これらの現象はこの主体のうちに宿っているだけなのである。これを言い換えると、[感覚能力によって観察される]諸現象は、それ自体として存在しているわけではなく、たんに感覚能力をもった[そして観察している]その同じ主体にたいして存在しているのである。
(カント『純粋理性批判』174)

ところで思考する理性は、感覚を超越した領域では一歩も前進することができないのであり、わたしたちに残されたのは、理性の実践的な認識のうちに、この条件づけられないものという超越的な理性概念を規定すべく与えられたものが存在しているのではないかと検討してみることであり、
さらにこのような方法で、形而上学の希望を満たすために、アプリオリな認識によって、ただし実践的な意味のみにおいてアプリオリな認識によって、可能な経験のあらゆる限界を超えてゆくことができるようなものが与えられていないかを検討してみることだけである。
(カント『純粋理性批判』V12)

あるものが実在するかどうかについて、経験の助けを借りずに具体的に思考することができないのは明らかである。あるものが実在するかどうかは、[思考の]関係の形式にかかわる事柄ではなく、経験の質料である感覚にかかわる問題だからである。
思考の関係の形式だけを手掛かりとしていると、虚構のうちで戯れることになりかねないのである。
(カント『純粋理性批判』308)

私たちがすでに証明したのは、外的な事物についての経験こそが本来の意味で直接的であり、この外的な事物の経験を媒介にしなければ、内的な経験は不可能であるということだ。もちろんこの経験で私たち自身の存在の意識は証明できないとしても、私たちの存在が時間的に規定されていることは証明される。
私は存在するという観念は、全ての思考に伴うことのできる意識を表現するものであり、主観が存在することを直接それ自身の内に含む。だがこの観念は主観についての認識を含むものでなく、そのため経験的な認識を含まない。この観念は経験でない。経験とは、何か存在するものについての思考だけでなく、
同時にこの存在についての直観、この場合は内的な直観を必要とする。そしてこの内的な直観に基づいて、すなわち時間に基づいて主観が規定される必要がある。そのためには外的な対象が絶対に必要だ。内的な経験は、外的な経験によって、すなわち間接的にしか可能ではない。
(カント『純粋理性批判』315)

知性は、感性と自己統合の意識の主観的な条件と形式的な条件にしたがって、経験一般にアプリオリに規則を与えるだけであり、経験を可能にするのは、それらの条件だけである。これとは異なる直観の形式が(空間と時間のほかに)存在しうるのか、これとは異なる知性の形式が存在しうるのかについては、
わたしたちはまったく考えてみることも、理解することもできない。もしもわたしたちの知っているのとは異なる[直観や知性の]形式が存在するとしても、それはわたしたちに対象を与えてくれる唯一の認識である〈経験〉に属するものではないだろう。
わたしたちに可能な経験の全体に属するものとは異なる知覚がありうるかどうか、まったく異なる物質の場というものが存在しうるかどうかは、知性が決定しうることではない。知性は、与えられたものを総合することだけにかかわるのである。
(カント『純粋理性批判』319)

知性がアプリオリに遂行することができるのは、可能的な経験一般の形式を先取りすることだけである。そして現象でないものは経験の対象となることができないために、知性は感性に定められた限界を乗り越えることができない。この感性に定められた限界の内部においてしか私たちには対象が与えられない。
知性の原則は、現象を解明するための原理にすぎない。[伝統的な哲学の]体系的な理論では、存在論は物一般の総合的でアプリオリな認識を示すことができると自称しているが(たとえば原因の原則など)、存在論は、純粋な知性の分析論というもっと謙虚な名で呼ばれるべきだ。
(カント『純粋理性批判』333)

感性は客体とどのような関係にあるのか、この二つがどのようにして一致することができるのか、その超越論的な根拠はあまりに深いところに隠された秘密であることは間違いのないところである。だから私たちは自分自身についても、内的な感覚能力によって、単なる現象として知ることしかできない。
常に現象としてしか与えられないもの以外の〈何ものか〉を見出すために私たちが利用できるのは、かくも不細工な道具でしかない。それでも私たちは、こうした〈何ものか〉について、感覚を超えた原因を探し求めたがるのである。
(カント『純粋理性批判』362)

これまで単なる反省によってえられた結論に批判を加えてきたが、こうした批判にはきわめて大きな効用がある。知性のうちだけで様々な対象を比較して結論を下そうとしても、それはまったく無益なものであることが明らかになるし、私たちがこれまで証明しようと試みてきたことの正しさを確証してくれる。
すなわち現象は、物自体として純粋な知性の客体となるものではないこと、それにも関わらず私たちの認識が客観的な実在性を獲得するのはこの現象だけにおいてであること、概念が直観と一致することができるのは、この現象だけにおいてであることが確認されるのである。
(カント『純粋理性批判』363)

すでに示したように反省の諸概念は、ある誤解のために、知性の利用に非常に大きな影響を与えた。すべての哲学者のうちでも極めて明敏な哲学者[ライプニッツ]を惑わせて、いわゆる知性的な認識の体系を構築させたほどだった。この体系は、感覚を参加させずに対象を規定することを試みるものであった。
そう考えると、間違った原則にそそのかされて、反省概念の両義性を発生させた誤謬の原因を解明する作業には、知性の領域を確定し、この領域を守らせるという、大きな利益が存在するのである。
(カント『純粋理性批判』365)

プラトンはときに行き過ぎた表現をすることがあるが、それを別とすると、世界秩序における自然なものを[イデアの]模写とみなす考察から始めて、目的[すなわちイデア]に基づいて世界の秩序が建築術的に結合されたものとみなす思想へと上昇していくこの哲学者の精神の高揚は、わたしたちが注目し、
手本とするに値する営みである。道徳性、立法、宗教の原理については、経験において理念(イデー)が完全に表現されることはできないとしても、理念こそが経験そのもの(善の経験そのもの)を可能にするのである。だからこの分野においても理念は独自の貢献をはたすのであり、
これを経験的な規則だけにしたがって判断しようとするならば、理念のこの貢献を認識することはできなくなってしまう。ところが理念[が示す手本]によって、[人間がしたがうべき]原理としては、経験的な規則の妥当性は無効なものとなったのである。
(カント『純粋理性批判』410)

すべての判断において、〈わたし〉はつねに判断を構成する関係を規定する主体である。しかしこの〈わたしは考える〉の〈わたし〉は、思考においてはつねに主語とみなさなければならないものであり、述語のように、たんに思考に付属するようなものとみなすことはできない。このことは必然的なことであり、それ自体として同一的な命題である。しかしこの命題は、わたしが客体として、みずから自存する存在者であるとか、実体であるとかを意味するものではない。このようなことを想定するのは行き過ぎであり、思考のうちにはまったく存在しないものを、〈与えられたもの〉として求めることになる。
(カント『純粋理性批判』447)

超越論的な観念論の理論によれば、思考する存在者である私たちが現実に存在することから、物質も現実に存在すると想定し、そのことを私たちの単なる自己意識を証拠として証明しようとしているのではないかと疑われるおそれはなくなる。というのは、私は意識のうちで私の像を思い描いているのであり、
こうした像も、こうした像を思い描いている私も、実際に存在することは確かだからである。ところが外的な対象は(すなわち様々な物体は)単なる現象であって、私が思い描く像の一種類にすぎないものである。
現象の対象は、私の思い描く像によって初めて〈何もの〉かになるのであり、この像から分離されると、〈何ものでもない〉のである。だから私自身が現実に存在するのと同じように、外的な事物が確かに現実に存在する。
(カント『純粋理性批判』L39)

もしも外的な対象を物自体と考えるならば、わたしたちには自分の外部にある物自体の現実性をどのようにして認識できるのかをどうしても理解できなくなる。わたしたちには自分の内部にある〈像・観念〉しか、依拠するものがないからである。
実際にわたしたちが感じ取ることができるのは、わたしたちの外部にあるものではなく、自己の内部にあるものだけである。だからわたしたちの自己意識のすべてが与えてくれるものは、たんなる自己の規定にすぎないのである。
だから懐疑的な観念論者の批判に直面すると、わたしたちにはただ一つの逃げ道し残されていないのであり、それはすべての現象の観念性を主張することである。
(カント『純粋理性批判』L47)

現象が物自体と同じものであれば、もはや自由を救うことはできない。その場合には自然は、すべての出来事を完全かつ十分に規定する原因であることになり、出来事の条件はつねに現象の系列のうちだけに含まれていることになる。この現象の系列は、その結果とともに、必然的に自然法則に従うものとなる。
これに反して現象が実際の〈ありのまま〉だとすると、すなわち現象は物自体ではなく、たんに経験的な法則によって結びつけられたものとして、心に思い描かれたものにすぎないとすると、現象が起こるためには現象とは別の根拠が必要になる。[こうした根拠は叡智的な性格でなければならないのであり、]
このような叡智的な性格の原因は、その原因性が現象によって規定されないものであるはずだ。ただしこの叡智的な性格の原因から生まれる結果そのものは現象として現れるのであり、他の現象によって規定されることになる。こうしてこの叡智的な原因もその原因性も、[現象の]系列の外にあることになる。
しかし結果[として発生した出来事]は、経験的な条件の系列にある。だからその結果は、叡智的な原因という観点から眺めたときには自由なものとみなされるが、現象という観点から眺めるときには、自然の必然性に従ったさまざまな現象の帰結とみなされるのである。
(カント『純粋理性批判』626)

ここでは自由はたんなる超越論的な理念として考察されているのであって、理性はこの自由という理念を使うことで、現象における条件のある系列を、感性的な条件にしたがわないものによって始めようとする。そのときに理性はみずからの法則と、すなわち理性が知性の経験的な使用のために定めた法則と、
二律背反的な状況に陥る。しかしこの二律背反はたんなる仮象にすぎず、自然は自由による原因性と少なくとも矛盾しないこと、それがわたしたちがここで示すことのできたことであり、示そうと考えてきた唯一のことなのである。
(カント『純粋理性批判』648)

ある理念をまったく恣意的に作りだしておいて、その理念に対応する対象の現実存在をいわば〈引っ張りだそう〉とするのは、きわめて不自然なことであり、哲学者たちの才気をひけらかす議論を蒸し返すだけのことにすぎない。
(カント『純粋理性批判』708)

独断論的な思索を営む哲学者にとっては、懐疑論者は知性と理性に健全な批判を加えることを教える〈調教者〉のような役割をはたす。そして独断論者が批判を学べば、その後はもはや他者からの攻撃を恐れる必要はなくなる。
彼は自分が所有している土地と、その周囲にある[他人の]土地を区別できるようになり、他人の土地を自分のものだと主張することもなくなるので、係争にまきこまれるのを避けられる。
このように懐疑論的な方法は、理性のさまざまな問題を満足させるものではないが、理性に慎重さを学ばせ、みずから合法的に所有しているものを確保するための根本的な手段を教えることができるという意味では、予行演習の役割をはたすのである。
(カント『純粋理性批判』893)

すべての生は本来の意味では叡智的なものであって、時間の変動にはまったく影響されないのであり、出生によって始まるものでも、死によって終わるものでもないと主張できる。この世での生というものは単なる現象にすぎず、純粋に精神的な生を感性的に思い浮かべただけのものにすぎない。
感性界のすべては、私たちの現在の認識方法に現れた〈像〉にすぎず、この〈像〉は夢と同じように、それ自体としてはいかなる客観的な実在性をそなえたものでもない。そして私たちが事物と自分自身をそれがあるがままに直観することができるのであれば、
私たちは自分を精神的な本性をもつ者たちの世界に住む者とみなし、このような世界との間で、私たちは唯一で真実の相互的な関係を結ぶ。この関係は出生によって始まったものではないし、単なる現象としての肉体の死によって終わるものでもない、と主張することができる。
(カント『純粋理性批判』905)

実践的な法則は、それが行動の主観的な根拠であるかぎり、すなわち主観的な原則であるかぎり、〈主観的な原理〉[=格律] と呼ばれる。道徳性を、その純粋さと帰結について判定するのは、理念の役割であり、道徳的な法則に従うのは、主観的な原理による。
私たちは、すべての生活態度において、道徳についての〈主観的な原理〉に服する必要がある。しかしそのためには、私たちが単なる理念にすぎない道徳的な法則に従って行動したときに、
この世においてであるか、あの世においてであるかを問わず、私たちの最高の目的と正確に一致する結果が生まれるように規定する作用因を、道徳的な法則と結びつけて、理性が私たちに示すことが必要である。
(カント『純粋理性批判』946)

これまでに学的な方法を遵守した人々は、その際に独断論的に行うか、懐疑的に行うかを選択する必要があった。しかしどちらにしても、体系的に行うことが義務づけられていた。独断論的な方法を採用した哲学者としてはヴォルフ、懐疑的な方法を採用した哲学者としてはデイヴィッド・ヒュームをあげれば、
ほかの哲学者の名前を列挙する必要はないだろう。そして残された唯一の道は批判的な方法である。読者はわたしとともに、この道を歩む行為と忍耐とを示されたのであるから、この小道を大きな道に踏み固めるために貢献するだけの気持ちがあれば、これまでの数世紀をかけて達成できなかったことが、
あるいは今世紀のうちにも実現できるのではないかと考えていただきたい。そして人間の理性が、これまでつねに知識欲にかられて考察しながらも、現在にいたるまで解決できなかった問題を、ついに完全に満足できる形で解決できるのではないか。
(カント『純粋理性批判』1007)

感性はわたしたちに(直観の)形式を与えてくれるが、知性はわたしたちに規則を与えてくれる。知性はいつでも、現象を子細に点検して、現象のうちに何らかの規則をみいだそうとしている。規則が客観的なものであるときには、すなわち対象の認識に必然的に結びついているときには、法則と名づけられる。
ところで、わたしたちは経験によって多くの法則を学ぶのであるが、これらの法則はさらに高次の法則の特殊な規定にすぎないのであり、他のすべての法則の上位にある最高の法則は、アプリオリに知性そのものから生まれるものである。
こうした最高の法則は経験から借りてきたのもではなく、むしろ現象を法則にしたがわせるもの、それによって経験を可能にするものなのである。
(カント『純粋理性批判』D46)

厳格ではあるが、公平な〈批判の営み〉の醒めたまなざしだけが、独断的な幻影から人々を介抱し、私たちの思索に基づく要求を、可能な経験の領域の内部だけに制限することができる。多くの人々は独断論的な理論のために幸福という偽りの幻影の力で、様々な理論と体系のうちに引きとめられてきた。
しかしこの〈批判の営み〉とても、これまであまりに頻繁に失敗に終ってきた試みを空しく嘲笑したり、人間の理性に課せられた制約をもったいぶって嘆いたりすることによってではなく、確実な原則に従って境界を規定することによってしか、これをなしとげることはできない。
(カント『純粋理性批判』L65)

思索にふける人間の理性にとっては、自分の建造物をできるだけ早く建設してしまって、その後になってからやっと、建造物の土台が適切に構築されているかどうかを調べるという[転倒した]やりかたが、いわばごくふつうの〈宿命〉となっているのである。
しかしそのときになると人間というものは、さまざまな言い訳を考えだして、建物の土台は強固なものだと言い聞かせてみずからを慰めたり、後になってから点検を実行することは危険であると、拒んだりするものなのである。
(カント『純粋理性批判』P05)

わたしはここでは自由を道徳的な法則の条件と呼んだが、本書の後の部分では、道徳的な法則こそが、わたしたちが自由を初めて"意識する"ことができるための条件であると主張することになる。そこで読者が議論に"整合性が欠ける" と考えることがないように、次の点に注意を促しておきたい。
自由はたしかに道徳的な法則の"存在根拠"であるが、道徳的な法則は自由の"認識根拠"なのである。というのも、もしもわたしたちの理性において道徳的な法則が"前もって"明確な形で考えられていなかったならば、わたしたちには(たとえそれが自己矛盾を含まないとしても)

自由のようなものが存在することを"想定する"権限があるとは考えなかっただろう。しかし自由が存在しなければ、わたしたちのうちに道徳的な法則を"みいだす"ことはできなかっただろう。
(カント『実践理性批判』004n)

経験的な命題から必然性を無理やり取りだそうとすることは、まるで軽石から水を絞りだそうとするようなものであり、この必然性によって判断に真の普遍性を与えようとするのは、まさに矛盾したことである。
この普遍性が存在しなければ、いかなる理性推論も成立しないし、類推(アナロジー)による推論も成立しない。類推は少なくとも普遍性と客観的な必然性をあらかじめ仮定しているのであり、これらをつねに前提とするのである。
(カント『実践理性批判』014)

ここで[純粋実践理性の]規則が告げるのは、わたしたちが端的にある特定の仕方で行動すべきであるということである。だから[純粋実践理性の]実践的な規則は無条件的なものであり、定言的に該当する実践的でアプリオリな命題として考えられているのである。この命題によって意志は端的にかつ直接的に
実践的な規則そのものによって(この規則がここでは法則にほかならない)、客観的に規定されるのである。ここでは純粋で、それ自体において実践的な理性が、直接に法則を定めるのである。だから意志は経験的な条件からは独立しており、純粋な意志として、
法則のたんなる形式によって規定されていると考えられている。そして[意志を]規定するこの根拠が、すべての行動原理の最高の条件とみなされている。これはきわめて異例な事態であり、その他のどのような実践的な認識の領域でも、このような事態は存在しない。
(カント『実践理性批判』041)

このため道徳的な法則は有限な存在者にとっては定言的に命じる命法となるが、それはこの法則が無条件的なものだからである。このような意志はこの法則にたいして依存性という関係を結び、これは責務と呼ばれる。責務とは、純粋な理性とその客観的な法則をつうじてではあるが、
ある行動をとることを強制されることを意味する。そのためこの行動は義務とも呼ばれる。というのは[有限な存在者のもつ選択意志のように]感受的に触発される選択意志は、この触発によって規定されることはなく、つねに自由ではあるが、主観的な原因から生まれた願望をもつことがあり、
純粋に客観的な[意識の]規定根拠に逆らうことがありうるために、道徳的な強制として、実践理性が[こうした願望に]抵抗することが必要だからである(この抵抗は、内的なものではあるが知的な強制と呼ぶことができる)。
(カント『実践理性批判』043)

意志の自律は、すべての道徳法則の唯一の原理であり、道徳法則に適合した義務の唯一の原理でもある。これにたいして選択意志のすべての他律は、いかなる責務の根拠となることもなく、むしろ責務の原理と意志の道徳性に反するものである。
すなわち道徳性の唯一の原理は、法則のすべての実質から、
つまり欲求の対象である客体から独立していること、そして同時に、選択意志を、たんなる普遍的な法則を定めるものとしての形式によって規定することである。行動原理はこのような普遍的な法則を定めるものとしての形式をそなえることができなければならない。
この法則の独立性が、消極的な意味での自由であり、純粋な、そのものとして実践的な理性がみずから法則を定めることが、積極的な意味での自由である。だから道徳法則が表現しているのは、純粋実践理性の自律であり、すなわち自由にほかならない。
(カント『実践理性批判』044)

たとえば他人の幸福が、理性的な存在者の意志の客体となることはありうることである。しかしこの他人の幸福が行動原理を規定する根拠となった場合には、わたしたちは他人が快適に暮らすことに自然な満足をみいだすだけでなく、人間の同情心につねに伴うような[他人に同情することを求める]欲求を
[理性的な存在者のうちに]みいだすことを前提とするようになるだろう。しかしこのような欲求は、すべての理性的な存在者のうちに前提できるものではなく、神のうちにはまったく想定できないものである。だから行動原理には実質が残るものの、この実質が行動原理を条件づけてはならない。
それでないと行動原理は法則としては役に立たないだろう。だから法則のたんなる形式が、その実質を制約するのであって、この形式が同時に、実質を意志につけ加える根拠でなければならず、実質を前提にしてはならないのである。
(カント『実践理性批判』045)

自愛の行動原理(抜け目のなさ)は、たんに勧告するだけである。これにたいして道徳性の法則は命令する。そして人がわたしたちに勧告する事柄と、わたしたちが責務を負う事柄には、きわめて大きな違いがある。
(カント『実践理性批判』049)

ところでわたしは、人間の意志は自由であり、道徳法則によって直接に規定されうること、そしてこの[道徳法則の]規定根拠にしたがって頻繁に行動することで、主観的にみずからのうちに満足した感情がもたらされることを否定するつもりはない。むしろこうした感情を確立し、育てることは義務なのであり、
こうした感情こそが、そもそも道徳感情と呼ばれるに値するものだ。しかし義務の概念を道徳感情から導きだすことはできない。それでないと私たちは、法則そのものの感情のようなものが存在すると想定しなければならなくなるし、理性だけが思考できるものを、感覚の対象としなければならなくなるだろう。
これは明白な矛盾であり、これが矛盾とされないようであれば、義務のすべての概念は廃棄されることになる。これに代わって登場するのは、洗練された心の傾きが、ときに粗雑な心の傾きと競いあうたんなる機械的な戯れのようなものだろう。
(カント『実践理性批判』054)

理性的な存在者の意志は、みずから感性界に属するものとして、他の作用因とおなじように必然的に原因性の法則にしたがうものであることを認識しているが、[この自由な意識をもつことで、]理性的な存在者の意志は、実践的な営みにおいては、すなわち同時に他方で存在者そのものとしては、
事物の叡智的な秩序において規定されうる現実存在であることも意識するようになるのである。しかも自己についての特殊な[知的]直観によるものではなく、感性界におけるみずからの原因性を規定することのできるある種の力学的な法則によって、そのことを意識するようになるのである。
別の著作[『道徳形而上学の基礎づけ』]で十分に証明したように、わたしたちに自由が与えられるときには、わたしたちはその自由によって事物の叡智的な秩序に属する者となるからである。
(カント『実践理性批判』058)

実践的な法則は意志の自由を考慮にいれた場合に初めて可能となり、しかも自由を前提とすることで必然的なものとなる。逆に表現すると、自由が必然的なものとなるのは、実践的な法則が実践的な要請として、必然的であるからである。ところがこの道徳法則の意識がどのようにして可能になるのか、
あるいは同じことではあるが、自由の意識がどのようにして可能となるのかは、これ以上は説明できない。ただ自由が許容できるものであることは、理論的な批判 [『純粋理性批判』] において十分に弁護されているのである。
(カント『実践理性批判』068)

私の考察によって次の諸点が明らかになった。[第一に]私たちが経験のうちで出会う対象は、決して物自体そのものではなく、たんなる現象である。[第二に]物自体そのものについては、あるものAが措定されたときに、Aと全く異なるものBを措定しないと矛盾が発生すること、すなわち原因としてのAに、
結果としてのBが結びつくのは必然であることは看取できず、洞察することは全く不可能である。ただし現象としては、これら[AとB、原因と結果]が一つの経験において、ある方法で (たとえば時間的な関係において)、必然的に結びついていなければならず、分離することができないことは、
十分に考えられることである。もしこれを分離するならば、そのことは[こうしたAとBの]結びつきに矛盾することになるが、この結びつきによってこそ、私たちの経験が可能になるのであり、そしてその経験のうちでこれらが対象として、私たちだけに認識できるようになる。
(カント『実践理性批判』078)

一見すると、善と悪の概念は道徳的な法則の基礎となるものでなければならないと思われるかもしれないが、しかし道徳法則に先だって善と悪を規定するのではなく、まず道徳法則が定められてから、道徳法則にだけしたがって、初めて善と悪が規定されねばならないのである。
(カント『実践理性批判』094)

哲学者たちは[善い]意志の対象を探しだして、それを法則の実質に、そして根拠にしようとしてきた。そしてその後でこの法則が、直接的ではなく、快と不快の感情にもたらされたその対象を通じて、意志を規定する根拠であるべきだと考えたのだった。
しかし彼らがなすべきだったのは、意志をアプリオリに、かつ直接的に規定する法則を、そしてこの意志にふさわしい形で初めて対象を規定する法則を、まず最初に探すことだったのである。そして彼らはこの快の対象によって善の最高の概念が獲得されると考えて、
この対象を幸福のうちに、あるいは完全性のうちに、そして道徳感情のうちに、さらに神の意志のうちにみいだそうとしたのだった。このために彼らの原則はつねに他律となり、道徳的な法則のための経験的な条件にどうしても行きあたらざるをえなかったのである。
(カント『実践理性批判』095)

私が一人の人間を愛したり、恐れたり、その人に感嘆の思いを抱いたり、ときには驚愕したりすることはあるだろうが、だからといって私はその人を尊敬しているわけではない。その人の諧謔好きな気分、勇気と強さ、他の人々によって認められている地位による支配力などは、
私にそうした感覚を注ぎ込むだろうが、だからといって私が心のうちでその人に尊敬の念を抱くわけではない。フォントネルは「私は貴人の前では頭を下げるが、私の精神は頭を垂れない」と語った。これにこうつけ加えることができるだろう。
「社会的に地位の低い、平凡な市民がいるとして、その人の性格が、私が自分のうちに感じることができないような高潔なものであるならば、私が欲するかどうかにかかわらず、そして私の優位を彼にみせつけるために頭を高く掲げていたとしても、私の精神は頭を垂れる」と。
(カント『実践理性批判』114)

だから義務の概念は、行為においては客観的に法則に一致することを要求し、行為の行動原理については、主観的に法則にたいする尊敬の念を抱くことを、そしてこの尊敬によって、法則だけが意志を規定するものであることを要求する。
ここに、義務に適合して行為したという意識と、義務に基づいて、すなわち法則への尊敬の念によって行為したという意識との違いが生まれる。義務に適合して行為したという意識は、適法性と呼ばれるものであって、意志を規定しているものが心の傾きだけであっても、こうした意識をもつことができる。
しかし義務に基づいて行為したという意識は道徳性であって、道徳的な価値は、行為がもっぱら義務に基づいて、法則のためだけに遂行されることによって生まれなければならないのである。
(カント『実践理性批判』119)

いかなる道徳的な判断においても、すべての行動原理に含まれた主観的な原理に、できるだけ厳密に注目することがきわめて重要である。これに注目することで、つねに義務に基づいた、すなわち法則にたいする尊敬に基づいた行為の必然性だけが行為に道徳性を与えることができるのであって、
行為が生みだすはずの結果への愛や愛着に基づいた行為の必然性が、行為に道徳性を与えるものではないことが示されるのである。
(カント『実践理性批判』120)

狂信とは、もっとも一般的な意味で考えると、原則に基づいて人間の理性の限界を乗り越えることだと定義できよう。すると道徳的な狂信とは、実践的な純粋理性が人間性に定めた限界を乗り越えることである。実践的な純粋理性は、こうした限界を定めることで、
義務に適った行為の主観的な規定根拠を法則そのもの以外のものに求めること、すなわち行為の道徳的な動機を法則以外のものに求めることを禁じるのであり、このようにして行動原理のうちに持ち込まれた心構えを、法則にたいする尊敬以外のものに求めることを禁じるのである。
また実践的な純粋理性は、あらゆる傲慢さと、虚栄心の強いみずからへの好意を打ち砕く義務の思想を、人間におけるすべての道徳性の最高の生命原理とするように命じるのである。
(カント『実践理性批判』125)

このように考えると、感激をさせることはないが賢明な道徳の規律の代わりに、道徳的な狂信をもち込んだのは、小説家や感傷的な教育者だけではないのである(もっとも彼らとても、感傷主義には熱心に反対しているのだが)。哲学者たち、もっとも厳格なストア派の哲学者たちも、
ときにはこうした道徳的な狂信を持ち込んだのだった。ただしストア派の狂信はむしろ英雄的なものであり、小説家や教育者の狂信は、浅薄で甘美な性質のものであるという違いはある。だからわたしたちは信心を装ってではなくごく誠実に、福音書の道徳論を次のように表現することができるだろう。
福音書の道徳論はまず、道徳的な原理の純粋さによって、同時にその原理を有限な存在者の制限にふさわしいものとすることによって、人間のすべての善行を、その目の前に提示された義務の規律に服従させた。この義務の規律のために人間は、
自分に道徳的な完全さがそなわっているという夢想に耽溺することができなくなった。そして有限な存在者としての限界を見失わせがちな自負や自愛には、謙遜という自己認識の制限を加えたのである。
(カント『実践理性批判』126)

わたしには、時間と空間を、物自体の現実存在に属する規定とみなすことに固執する人々が、人間の行為の宿命性をどのようにして回避しようとするのか、どうしても理解することができないのである。
もしも時間と空間の観念性を認めようとしないならば、残るのはスピノザ哲学の考え方だけである。この哲学においては時間と空間を、根源的な存在者[神]そのものの本質的な規定とみなす。そしてこの根源的な存在者に依存した事物は、わたしたち人間を含めて、実体ではなく根源的な存在者に
内属した偶有性にすぎない。というのも、これらの依存する事物が、神の働きかけの結果として、時間のうちに現存するのであれば(時間は、こうした事物の現存の条件である)、こうした存在者の行為もまた、神がいつかどこかでなした行為でなければならないのである。
(カント『実践理性批判』145)

これらの[エピクロス派とストア派の] 二つの学派は、徳と幸福という二つの実践的な原理が同一のものであることを示そうと、頭を悩ませた。ただしこれらの二つの概念の同一性を無理やりに示そうとして、その方法においてたがいに対立し、かえって無限に隔たる結果となったのである。
一方のエピクロス派はその原理を感性的な側面に、他方のストア派はその原理を論理的な側面に見定めたのだった。そして一方[エピクロス派]はその原理を感性的な必要の意識に置き、他方[ストア派]は実践理性がすべての感性的な規定根拠から独立していることに置いたのである。
エピクロス派によると徳の概念は、みずからの幸福を促進せよという行動原理のうちにすでに含まれているし、ストア派によると幸福の感情は、みずからの徳の高さの意識のうちに含まれているのである。しかし他方の概念に含まれているものは、それを含むものの一部ではあってもその全体ではないし、
この二つの概念の全体は、同じ素材から成り立っているとしても、種類として異なるものであるかもしれない。というのは、それぞれの概念の部分が、まったく異なる方法で結びつけられて一つの全体を構成しているかもしれないからである。ストア派は、「徳こそが最高善の全体である。幸福は、徳を所有しているという意識であり、これは主観の状態にかかわる」と主張した。
エピクロス派は、「幸福こそが最高善の全体である。徳はこの最高善を獲得するための、すなわち幸福を実現するための手段の理性的な使用における行動原理の形式にすぎない」と主張した。
(カント『実践理性批判』161)

人々は、エピクロスが行動のためではなく、説明のために用いた理論的な諸原理から[快楽を優先するものと]推論し、さらにエピクロスが心の満足という語ではなく快楽という表現を使用したために、多くの人々はこの原理を誤解して解釈したのだった。
ただしエピクロスはそのさまざまな実践的な準則において、[身体的な快楽を至上のものとするような]低劣な考えを抱いていたわけではない。それどころかエピクロスは、きわめて無私な善行を、心からの喜びの享受とみなしていた。
さらにたえざる喜びの心情とみなしていた心の満足を実現するための彼の企図のうちには、きわめて厳格な道徳哲学が要請するような節度や心の傾きの抑制が含まれていた。エピクロスとストア派の違いは、エピクロスはこの心の満足を行為の動因としたが、ストア派は当然ながらこれを拒んだことにある。
というのも一方では、有徳なエピクロスは、道徳的には善良ではあっても自分たちの道徳的な原理についてあまり思いを致さない現代の多くの人々と同じ誤りに陥っていたのである。というのも、人々のうちに有徳であろうとする動機が存在することを示そうとしながら、
すでにこうした人々のうちに有徳な心構えが存在しているものと前提していたのである。実際に高潔な人は、自分が高潔であることを意識した後でないと、自分が幸福であると感じないものである。高潔な心構えをもつ人々にあっては、[その高潔であろうとする規則に]違反するたびに、
その心構えのために自分に非難や道徳的な譴責を向けざるをえないのであり、こうした非難がなければ快適であっただろうに、[こうした非難のために]快適さを享受することがまったくできなくなるのである。
(カント『実践理性批判』167)

これにたいしてストア派が最高善の条件として、最上の実践的な原理である徳を選択したことは、まったく正当なことだった。しかし彼らは、徳が純粋法則となるために求められるような高い徳が、この世の生において完全に実現できると考えたために、賢者の名のもとで、人間の道徳能力をその本性のあらゆる
制約を超えたところまで[高めるように求めて]強い緊張をもたらした。これはすべての人間の知に矛盾するものを想定することである。それだけでなく、とりわけ最高善に属する第二の要素である幸福を、人間の欲求能力の特別な対象としようとはせず、彼らのいう賢者とは、あたかも神ででもあるかのように
みずからの人格の優越性だけを意識して、自然にまったく依存せずに満足することのできる存在とみなしたのである。彼らは賢者を生の災いに直面させておいて、それに服従させず、しかも悪からも自由な存在とした。このように、最高善の第二の要素であるみずからの幸福は、みずからの行為と
人格的な価値への満足に、すなわち道徳的な心構えの意識のうちにあるとみなしたのであり、これによって幸福という要素をあっさりと捨て去ったのである。もっともこの意識のうちで、彼ら自身の[人間としての]本性の声が、これに手厳しく反撃したかもしれないのだが。
(カント『実践理性批判』182)

多くの人々は、自由を人間のほかのさまざまな自然的な能力と同じように、経験的な原理に基づいて説明できると考えているし、自由を"心理学的な"性質とみなしているのである。そしてこうした人々は、人間の心の本性と意志の動機をさらに詳細に探求すれば、自由について解明できると信じているのである。
ところが自由は、感性界に属する存在者の原因性について"超越論的に"語る述語なのであって、そのことだけが実際には重要なのである。
(カント『実践理性批判』138)

これまでの考察から明らかになったことがある。それは純粋実践理性のこの[自由という]能力の意識は、徳の高い行為をつうじて、みずからの心の傾きを支配するような意識を生みだすことができるということ、そしてこの意識は心の傾きからも、心の傾きにつねに伴う不満足感からも独立したものであり、
自分の状態にたいする消極的な快適さとして、ある種の心の満足感を生みだすことができるということである。この満足感はその根源においては、自己の人格にたいする満足感なのである。
(カント『実践理性批判』170)

道徳法則は聖なるもの、容赦のないものであって、道徳の神聖性を要求する。これにたいして人間が到達することのできる道徳的な完全性というものはすべて、徳にすぎない。徳とは法則にたいする尊敬に基づいて、法則に適合しようとする心構えなのである。
このためこの心構えは、[法則への] 違反や少なくとも不純さへの絶えざる性向の意識、つまり法則は遵守するとしても、道徳的な動機からではなく、さまざまな正しくない動機を混入しようとする絶えざる性向への意識を伴うものであり、謙虚さと結びついた自己評価なのである。
だからキリスト教の掟が要求する神聖性については、被造物には無限の進歩だけが残されているのであり、そのために被造物はこの進歩がいつまでもつづくことを望む権利があるのである。
(カント『実践理性批判』183)

ストア派の体系では、心の強さの意識を軸としており、他のすべての道徳的な心構えはこの軸を中心に構築されている。ストア派を支持する人々は義務について語っているし、これを十分に規定しているのもたしかである。しかし彼らは意志の動機とほんらいの規定根拠を、道徳についての考え方を高揚させて、
心の弱さのために支配的なものとなる低俗な感覚的な動機を超越することに定めたのである。だからストア派においては徳とは、人間の動物的な本性を超越する賢者が示すある種のヒロイズムである。賢者はみずからにおいて充足しており、他人には義務を課すが、みずからは義務を超越しているのであり、
道徳法則に違反しようとするいかなる誘惑にも隷属していないのである。しかしストア派を支持する人々が、道徳法則をキリスト教の福音書の定めのように純粋かつ厳格なものとして考えたならば、これらのすべてを実行することはできなかっただろう。
(カント『実践理性批判』183n)

理性の純粋な実践的な能力にとってこれらの理念[自由、不死、神]は内在的で構成的なものだが、それはこれらの理念が、純粋実践理性の必然的な客体である最高善を実現する可能性の根拠となっているからだ。それでなければこれらのすべての理念は超越的で、思弁的な理性の単に統制的な原理にすぎない。
この統制的な原理は理性に経験を超えて新たな客体を想定することを求めることはなく、ただ経験のうちで理性使用をさらに完全なものに近づけることを課するだけだ。
(カント『実践理性批判』193)

"学識"というものはほんらいは、"歴史的な"知識の総体にすぎない。だから啓示神学の教師だけが"神学者"と呼ばれることができる [のであり、自然神学者は矛盾した言葉である]。これにたいして理性による知識、すなわち哲学と数学を所有している者もまた学者 [学識をもつ者 ]と呼ぼうとするならば、
それは学識をもつ者という語の語義に反することである。[歴史的な知識の総体が学識であるから] この語はどうしても"教えられる"必要のあるもの、したがって理性によっておのずから発見することができないものだけを学識とみなすからである。
(カント『実践理性批判』196n)

第一の無数の [天体の] 世界の群れを眺めるとき、被造物である動物としてのわたしの重要性は失われる。被造物は、どのようにしてか分からないが、ある短い時間だけ生命力を与えられた後に、[死んで灰となって]自分が生まれてきた元の物質を、宇宙の中の一つの点にすぎない惑星に返さなければならない。
これにたいして第二のもの [道徳法則] を眺めるとき、わたしの人格性によって、叡智的な主体としてのわたしの価値は無限に高められる。この人格性において道徳法則は、わたしが動物性から独立し、さらにはすべての感性界から独立した生命をそなえていることをあらわにするのである。
少なくとも、この道徳法則によって、わたしが目的に適った存在であるかのように規定されることから、そのように推定されるのであり、この目的に適った規定は、この世の生の条件や限界に制約されることはなく、無限に進むのである。
(カント『実践理性批判』220)

経験が可能であるということは、わたしたちのすべての認識に、アプリオリで客観的な実在性が与えられるということである。ところで経験は現象が結合されて、統一されることによって、すなわち現象一般の対象という概念にしたがって総合が行われることによって可能となる。この総合が行われなければ、
経験は決して認識となることがなく、知覚のラプソディー[狂想曲]で終わることだろう。このような知覚は、全体として結合された(可能な)意識の規則に従った文脈のうちでも、自己統合の意識の超越論的で必然的な統一のうちでも、まとまって[認識に]適合したものとして意識されることはないだろう。
だから経験というものは、その形式のアプリオリな原理を、現象の総合における統一のための一般的な規則を、土台としているのである。そしてこの規則が客観的な実在性をそなえたものであることは、[経験が成立するための]必然的な条件である。
(カント『純粋理性批判』222)

現象は物自体ではない。また経験的な直観は、(空間と時間という)純粋な直観によって可能である。だから空間と時間という純粋な直観について幾何学が語ることは、そのままで経験的な直観にも妥当する。感覚能力の対象は、空間における恒星の規則に従う必要はないという言い逃れが行われることがあるが、
これは避けるべきである(こうした構成の規則としてはたとえば、直線や角度は無限に分割できるという規則がある)。このような言い逃れを認めていると、空間にも、すべての数学にも客観的な妥当性を与えることを拒むことになってしまうのであり、
数学がそもそも現象に適用できるのかどうか、適用できるとすればどこまで適用できるのかを知りえなくなってしまうのである。
(カント『純粋理性批判』237)

自然概念による立法は悟性によっておこなわれ、理論的である。自由概念による立法は理性によっておこなわれ、たんに実践的である。実践的なものにおいてのみ理性は立法的であることができる。
理論的認識(自然の)に関しては理性は(悟性を介して法則に通じているものとして)与えられた諸法則から推論をつうじて諸帰結を引きだしうるにすぎないが、それらの諸帰結はなんと言っても自然のもとにとどまっている。
(カント『判断力批判』序論Ⅱ)

私たちの全認識能力にとっては、一つの無際限な、しかしまた到達できない分野が、すなわち、超感性的なものの分野があるのであって、私たちはこの分野のうちでは私たちにとってのいかなる地域をも見いださず、
それゆえこの分野のうえでは悟性概念にとっても理性概念にとっても理論的認識のための領域をもつことはできない。それは、なるほど私たちが、理性の理論的使用のためにも実践的使用のためにも、理念でもってそこを占領せざるをえない分野ではあるが、
しかし私たちはそうした理念に、自由概念にもとづく諸法則との連関において、実践的実在性以外のいかなる実在性をもあたえることはできず、したがってこのことによって私たちの理論的認識は超感性的なものへといささかも拡張されることがないのである。
(カント『判断力批判』序論Ⅱ)

諸認識能力がア・プリオリになしとげうるものに関するそれらの諸認識能力の批判は、もともと客観に関してはいかなる領域をももってはいない。というのは、そうした批判はなんらの理説でもなく、私たちの諸能力の事情いかんによって、はたして、またいかにして理説というものがその批判によって
可能となるかだけを研究すべきものにすぎないからである。この批判の分野は、私たちの諸能力をその適法性の限界内に閉じこめるために、それらのすべての越権に及んでいる。
(カント『判断力批判』序論Ⅲ)

美的な判断力は、美しいものを判定する際には、知性の持つ"諸概念"一般を規定することなく、こうした諸概念と調和するために、自由な戯れの状態にある構想力を"知性"と結びつける。ところが美的な判断力がある事物を崇高なるものと判定する際には、構想力を"理性"と結びつけ、理性の持つ様々な理念と
構想力を主観的に合致させながら、そうした理念がどのようなものであるかは無規定にしたままにおく。その際にある心の調和的な気分が生み出されるが、それは規定された様々な理念の実践的な影響が感情に引き起こすような調和的な気分と適合し、それに調和したものとなる。
(カント『判断力批判』178)

"尊敬"とは、わたしたちの能力が、わたしたちにとって法則を意味する理念の達成に不適合であるという感情である。
わたしたちの構想力は、ある与えられた対象を直観の全体のうちに総括するように求められており、そのために理性の前述の理念を描き出すために最大の努力を払っているのであるが、
それでもそのような課題を実現する能力が制限されており、その課題に不適合であることをみずから証明している。しかしそれと同時に構想力は、一つの法則としての理性のこうした理念に適合するという使命をそなえていることも証明する。
それゆえ自然における崇高なものの感情は、わたしたちに課せられた使命にたいする尊敬の感情である。ところがわたしたちはある種の取り違えによって、自然のある客体にたいしてこうした尊敬の念を示すのである。それが〈取り違え〉であるというのは、
わたしたちの主観における人間性の理念への尊敬の念を、客体にたいする尊敬の念と取り違えているためである。このことはわたしたちの認識能力にたいして理性が定めた使命が、感性の最大の能力をさらに上回るものであることを、いわば直観的に分かりやすく示している。
(カント『判断力批判』181)

わたしたちは心の変化の経験的な法則を探求したのでは、決してこうした〔趣味判断の根底にある〕アプリオリな原理に到達することはできない。というのもこうした経験的な法則が明らかにするのは、判断がどのように行われているかだけであって、どのように判断すべきかを命じることはないからであり、
しかもその命令が"無条件的なもの"であることを求めることはないからである。ところが趣味判断は、判断における適意をある表象に"直接的に"結びつけようとするのであるから、こうした命令を前提とするのである。
(カント『判断力批判』225)

ところでこのことから推測できるのは、美しさがこの花そのものの固有な性格であるとみなさなければならないということ、この固有な性格が、さまざまな人の違いや感覚の違いにしたがうのではなく、この花について判断しようとするときには、さまざまな人の感覚のほうが、
この花に固有な性格にしたがわなければならないということではないだろうか。しかしそのようなことはない。というのも趣味判断の本質は、ある事物についてわたしたちがそれを美しいと感じるような特性がそなわっているときに、それを美しいと呼ぶことにあるからである。
(カント『判断力批判』236)

満足というものは、たとえその原因が理念のうちにあったとしても、その本質は人間の全体的な生の促進の感情にあるものであり、したがって身体的な快感と健康の感情にあるように思われる。
だからエピクロスがすべての満足は根本的に身体的な感覚にあると語ったのは間違っていたわけではない。エピクロスが間違っていたのは、満足のうちに知性的な適意を含めただけではなく、実践的な適意まで含めたことである。
(カント『判断力批判』342)

自然における美しさについての判定においては、自然とは何であるのかが問題となることはないし、自然がわたしたちにとってどのような目的を持っているのかが問題となることもない。ただわたしたちが自然をどのように受け取るかが問題とされるのである。
(カント『判断力批判』389)

ところで自然目的である事物に要求される"第一"のことは、そのさまざまな部分の現実存在と形式について、部分が全体との関係だけによって可能となるということである。というのもこの事物自身が一つの目的であり、したがって、このものは、そのうちに含まれるべきすべてのものを
アプリオリに規定しなければならない概念あるいは理念のもとに包摂されているからである。
ところである事物がこのような形でしか可能でないと考えるならば、そのものはたんに技術作品である。このものはその部分である物質から区別された理性的な原因の産物なのであって、
その物質のさまざまな部分を調達し、結合する際の理性的な原因の原因性は、この原因性によって可能となる全体についての理性的な原因の理念によって規定されているのであり、この事物の外にある自然によって規定されているのではないのである。
(カント『判断力批判』426)

自然の美しさは、さまざまな対象にたいする"外的な"直観についての反省との関係においてのみ、したがってそれらの表面の形式についてのみ、これらの対象に認められるものであるから、これを技術の類比物と名づけるのは適切なことである。
ただし"自然目的"としてのみ可能であり、それゆえ有機的な存在者と呼ばれる事物がそなえている"内的な自然の完全性"というものは、わたしたちが知っているどのような物理的な能力との類比によっても、すなわちどのような自然の能力との類比によっても、考えることも説明することもできない。
わたしたち人間はもっとも広い意味での自然に属するのであるから、こうしたものは人間的な技術に正確に適合した類比によってなどで考えることも説明することもできないのである。
(カント『判断力批判』431)

自然の内的な目的としての有機的な組織は、技術によってこれと類似したものを描き出すわたしたちのあらゆる能力を無限に超えている。さらに風や雨など、目的に適ったものとみなされる外的な自然のさまざまな体制について言えば、
物理学はたしかにこれらの仕組みのメカニズムを考察するものの、これらの体制と目的との関係については、その関係が必然的に原因に属する条件であるべきなのであれば、物理学はこの関係を明示することはまったくできない。
というのもこうした結びつきにそなわる必然性は、わたしたちの概念の結合にのみかかわるものであり、さまざまな事物の性質にかかわるものではないからである。
(カント『判断力批判』451)

このようにほんらい物理的で機械的な説明のやり方を定める第一の格律と、目的論的で技巧的な説明のやり方を定める第二の格律のあいだには二律背反が存在しているようにみえるが、このような外見が生じるのは、次のような理由からである。
すなわち反省的な判断力の原則が、規定的な判断力の原則と取り違えられたために、そして反省的な判断力の"自律"が(この自律は、特定の経験的な法則についてのわたしたちの理性使用にたいしては、たんに主観的に妥当するものにすぎない)、
知性によって与えられた普遍的な法則あるいは特定の法則にしたがわなければならない規定的な判断力の"他律"と取り違えられたためである。
(カント『判断力批判』463)

さらに私たちは道徳的な法則によって、ある普遍的な最高の目的を実現するよう努力することを促されているが、私たち人間にとっても、すべての自然にとっても、この最高目的を達成するのは不可能であると感じている。しかし私たちにとってはこの最高目的に向かって努力する場合にかぎって、
ある知性的な世界原因(そのようなものが存在するとしてのことだが)の究極目的にふさわしいものとなりうると判断することが許されているのである。そのため実践理性の道徳的な根拠によって、このような原因が想定されている(そのことにはいかなる矛盾もない)。
それ以上の根拠はないとしても、私たちにとってはこれによって、すでに述べた努力の効果をまったく虚しいものとみなしたり、あるいはそのように虚しいものとみなすことによって努力を弱めたりするような危険に陥ることはないのである。
(カント『判断力批判』569)

究極目的のこの[道徳的な法則の遵守にかんする]要件は、実践理性が世界の存在者に命令として与えるものであって、有限的な存在者としての彼らの本性のうちに定められた抵抗できない目的となるものである。理性が望むのは、この目的が不可優な"条件"としての道徳法則だけに従属するようになるか、
あるいは道徳法則にしたがって普遍的な目的とされることである。このようにして理性は幸福の促進を倫理性と一致させて、それを究極目的とするのである。
ところでこの目的を幸福にかんしてわたしたちの能力のおよぶかぎり促進することは、道徳法則によってわたしたちに命じられたものであり、
それはこの努力によってどのような結果が生じるかにはかかわりのないことである。義務を履行することは厳格な意志の形式において成り立つのであり、努力を成功させるために必要な中間的な原因において成り立つわけではないのである。
(カント『判断力批判』578)

この「プロレゴメナ」を自分で考えながら読む人なら、彼がこれまで信奉してきた形而上学について疑いをもつばかりでなく、本書が提起しているいくつかの要求が充たされれない限り、形而上学という学はまったく存在し得ない、ということを確信するにいたるであろう、
形而上学の可能は、実にこれらの要求〔の充足〕にかかっているのである、ところがこのことはいまだに実現されていないのであるから、およそ形而上学なるものはまだ存在していないのである、と。
(カント『プロレゴメナ』序言)

およそ形而上学者にして「ア・プリオリな綜合認識はどうして可能か」という問題に、じゅうぶん納得のいく答えを与えない限り、彼等は法の定めるところに従って正式に休職を申し渡されたも同然である。彼等が、純粋理性の名において我々に何ごとかを申し出る場合に呈示せねばならない信用状は、
取りも直さずこの解答にほかならないからである。しかしこの信用状を彼等が持合わせていないというのなら、道理を重んずる人達が、今後の審理を中止して、彼等の申出でを即座に棄却しても、彼等はそれを自業自得と心得るよりほかはないであろう。
(カント『プロレゴメナ』第5節)

聖書以外に教会信仰の規範は存在しないし、純粋な“理性宗教”と“聖書の学識”(聖書の歴史的部分にかかわるところの)より以外には他のいかなる教会信仰の解釈者も存在しないのであって、このうちではひとり理性宗教のみが“確証的”で万人に妥当し、聖書の学識はただ“教理的”であって、
教会信仰をある時代のあるひとびとのために一定のたえず維持される体系に転化させるのである。だがこの後者に関しては、歴史的信仰が結局はたんに聖書学者とその洞察とに対する信仰になりはしないかということは、動かしようもない。
(カント『たんなる理性の限界内における宗教』)

およそ宗教とは、我々が神を一切の我々の義務にとって普遍的に尊崇さるべき立法者として認めることにある。
ところで、立法する神的意志は、それ自体たんに制規的な法則を通じて命令するか、それとも純粋に道徳的な法則を通じて命令するかのいずれかである。
後者に関しては、ひとは誰でも自分自身から自分自身の理性によって自分の宗教の根底にある神の意志を認識することができる。
だがもし我々が神の意志の制規的法則を受け入れ、我々がそれを遵守するのが宗教であるとするならば、それらの法則の知識は我々自身のたんなる理性によってではなく、
ただ啓示によってのみ可能であって、その啓示が個々の人間に秘かに与えられようと、あるいは伝承や書物によって人間の間に拡まるようにと公に与えられようと、それはとにかく歴史的信仰であって、純粋な理性信仰ではないであろう。
(カント『たんなる理性の限界内における宗教』)

学者はその解釈を万人の吟味にさらし、しかも同時に自分自身をよりよい洞察へとつねに開いておき、それを受け入れる用意をしているという、ただそのことによってのみ、その学説は自らの決定に対する公共体の信頼を期待することができる
(カント『たんなる理性の限界内における宗教』)

カフカ

お父さん。これが兄さんのグレゴールだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたしたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレゴールだというの。もしこれがグレゴールだったら、
人間がこんなけだものと一緒には住んではいられないということくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出て行ってしまったわ、きっと。そうすれば兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、兄さんの思い出は大切に心にしまっておいたでしょうに。
(カフカ『変身』)

「今さらいったい何を知りたいというのだ。」
門番が訊く。
「欲張りめ。」
「だが、万人が道理を求めようとするではないか。」
男は言った。
「どういうわけで、長年にわたって、わたし以外に誰も、入ってよいかと聞きに来ないままだったのだ?」
門番は気づいた。男はもう、今わのきわにいる。
かすかな聴覚でも聞こえるよう、門番は男に大声でどなった。
「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。おれはもう行く、だからこれを閉めるぞ。」
(カフカ『掟の門』)

彼は大問題とはかかわらなかった。不経済に思えたからである。ほんのちょっとしたささやかなものでも、それを確実に認識すれば、すべてを認識したにひとしい。だから、ひたすら回るこまを追っかけていた。
(カフカ『こま』)

ずっと前のことだが、何ごとも冷静に、正確に観察しようと心に決めたことがある。そうすれば脇や背後や頭上から、やみくもに不意打ちをくらうこともないのだ。永らく忘れていた決心だが、今ふと思い出した。しかし針の穴から短い糸をつと引き抜いた具合で、すぐさま忘れた。
(カフカ『判決』)

鳥籠が、鳥を探しに出かけていった。
(カフカ 自撰アフォリズム 16)

豹どもが神殿に押し入って、供物の入った甕を飲み干してしまう、これが何度となく繰り返される、おしまいにはその予測がつくようになって、これが儀式の一部となる。
(カフカ 自撰アフォリズム 20)

語り出ずる新しき声のもはや絶えしとき、
汝ら古き言葉もて
掟を作りぬ。
生の"萎え硬ばりたる"ところ、そこに 掟 そびゆるなり。
(ニーチェ 詩集 ディオニュソス讃歌のための断片77)

こんなことが考えられるかもしれない──アレクサンダー大王は、若いころの数々の戦果にもかかわらず、築き上げた立派な軍隊にもかかわらず、内部に感じていた、世界変革に向けてのさまざまな力にもかかわらず、ヘレスポント海峡で立ち往生し、ついにそれを越えることはなかったのだが、
しかもそれは恐怖心のためではなく、不決断のためでもなく、意志薄弱のためでもなくて、精神の飛翔を妨げる〈この世の重力〉のためであったと。
(カフカ 自撰アフォリズム 39a)

ことばというものは、感覚の世界以外のすべてに対しては、ひたすら暗示的にしか使うことはできない、ほんのおおよそのところで比喩的に使うことも、決してできないのである。それはことばが、感覚の世界に対応して、所有と所有の諸関係だけを扱うからだ。
(カフカ 自撰アフォリズム 57)

存在するのは、ひとつの精神的世界以外のなにものでもない。われわれが感覚的世界と呼ぶものは精神的世界における悪であり、われわれが悪の世界と呼ぶものは、われわれの永遠の進展を刻む一瞬の、ひとつの必然性にすぎない。
(カフカ 自撰アフォリズム 54)

すべてが幻である。家族、事務所、友人、街々、すべたが、大なり小なり、幻である。女も幻だ。手取り早くいえば、窓も出口もない独房の壁に、お前がじっと頭を押しつけている、ということだけが真実なのだ。
(カフカ 日記 1921.10.21)

道は無限だ、ここでは少しでも引いたり、少しでも足したりはできない、だのにめいめい各自の無邪気な物差をあててみたりする。「きっと君は、どうしてもこの物差の分だけの道のりをまだ歩かねばならぬのだろう、このことを君のために忘れないでおこう。」
(カフカ 自撰アフォリズム 39a)

すこしは静かになった。どんなにかそれが必要だったことだろう、すこし静かになったかと思うと、もうそれがほとんど静かすぎる。不幸に堪えられぬような気分のときにしか、ぼくという人間は自分をまともに感じることができないとでもいうようだ。それも本当なのだろう。
(カフカ 日記 1922.1.20)

二月七日。KとHに庇護され、消耗させられる。
二月八日。二人のために滅茶苦茶に消耗、だが──ぼくはこんな風に生きることはできないだろうし、それに、これは生きることなどではない。これは一種の綱引きだ。
相手は片時となくこの綱引きにいそしんでおり、勝ちもするのだが、それでいて決してぼくをたぐりよせることはない。ちょうどあの当時のWと同じで、平和な無感覚なのである。
二月九日。二日の損失。だが、同じ二日間は市民権獲得のためにも使われたのだ。
(カフカ 日記 1922年)

眠ることも、覚めていることもできないこと、生に、厳密には生の相次ぐ継起に耐えられないこと。二つの時計は一致せず、内部の時計は、悪魔に憑かれたような、もしくは魔神のような、いずれにしても人間離れのした風情で盲滅法突き進み、外部の時計は躓きつまずき平生通りの歩みを続ける。
二つの相容れない世界が離ればなれになることのほかに、何が起りうるだろうか。離ればなれになるか、そうでなければ、凄まじい仕方でズタズタになるのだ。内部の進行の狂暴さには、いろいろな原因があるだろう。
とりわけ目立っているのは自己観察だが、それは観念という観念をじっとさせておかせず、煽りたて、こうして更にそれ自身新しい自己観察という観念としてますます狩り立てられる結果になるのである。
(カフカ 日記 1922.1.16)

ぼくの知るかぎり、どんな人の課題も、これほど困難ではない。ひとは言うかもしれない、それは課題などではない、解決不能な課題であるどころか、不可能そのものでさえない、それは何物でもなく、石女(うまずめ)の希望である子供ほどのものですらない──と。
たとえそうだとしても、やはりそれは、呼吸をしなければならないかぎり、ぼくがその中で呼吸している空気ではあるのだ。
(カフカ 日記 1922.1.21)

ぼくの生涯がこれまでひとつ所の足踏みだったこと、せいぜい中味の虚ろな蝕歯を悪化させるような意味での発展でしかなかったということからする不安。ぼくは自分の方から決然として人生の流れをみちびいたためしは一度もない。
たとえていえば、ぼくにも、他のすべての人びとのように円の中点が与えられていて、かれらと同じように確固とした半径を延ばして、見事な円を描くべきだったとでもいうかのようである。
しかし、ぼくはそうするかわりに、いつも半径を引く準備運動をしては、くり返しすぐに中断しなければならなかった (例を挙げれば、ピアノ、ヴァイオリン、語学、ゲルマン学、反シオニズム、シオニズム、ヘブライ語、庭いじり、大工仕事、文学、結婚の試み、家からの独立)。
想像上の円の中点には、延びかけた半径がぎゅう詰めにつまり、もはや新しい試みの余地はなく、余地がないというのは、寄る年波や神経の弱さのことを言うのでもないのだ。なにを試みても、それは終末を意味しない。
かつて、たとえば法律研究や結婚のときに、ぼくがいつもより少しばかり先へ半径を伸ばしたことがあったとしたら、すべては、この少しばかりの余分のために、好転するどころか、一層悪くなったのだ。
(カフカ 日記 1922.1.23)

人々とお喋りすることの幸福について、それが真実であることを完全に知らずに(正当化された悲しい高慢というものもある)、Mが言ったこと。僕以外の人々がいかにお喋りを楽しんでいることだろう! おそらく遅すぎたのだ、僕は奇妙な回り道をして、人々に向かって回帰するのだ。
(カフカ 日記 1922.2.4)

ぼくの頽落の原因をなしたのは、まるでぼく自身から復讐者たちを送りだしたかのように、単なる利己心ではなくて、自身についての気苦労であり、いや、より高い自我についての気苦労ですらなくて、卑俗な安逸の心配だったのではないか(特殊な例が、右手は左手のやっていることを知らないというやつだ)。
ぼくの最高裁判所では、いまだに、ぼく自身は終末にあるにもかかわらず、わたしの人生は明日はじめて始まると算定されている。
(カフカ 日記 1922.2.14)

ぼくが自殺するということになっても、それはまったく誰の罪でもない。 たとえば、明らかにその一番身近なきっかけがFの態度だということであっても。すでにぼくはあるとき半ば仮睡の状態のなかでその場面を空想したことがある。
最後を予想して、別れの手紙を懐中に、彼女の家へはいっていくときの場面を。求婚者ははねつけられ、手紙を卓上において、バルコンへいく。急いでそこへかけつける人々の抱きとめる手をふりきって、バルコンの柵を一散にとびこえる。
だが、手紙にはこう書いてある、ぼくはなるほどFのために投身するわけだが、しかしぼくの求婚が受入れられたところで、ぼくにとってなんら本質的な変化はなかったろう、と。ぼくはとびおりることが必要なのだ。 他に和解の道はみつからない。
Fはたまたまぼくにぼくの運命を教えてくれる機縁となった存在にすぎない。彼女なしで生きることはぼくにはできぬ。そしてぼくはとびおりねばならぬ、しかし、ぼくは──そしてFもこのことを予感しているのだが──彼女と共に生きることもできないだろう。
なぜ今夜をそのことに使わないのか、今夜、両親の夕べに、人生とその諸条件のでっちあげについて語る雄弁家たちが、もうすでにぼくの前に姿をあらわした──しかし、ぼくはさまざまな空想にたよりながら、完全にこの人生の中にまきこまれて生きており、そんな真似はしないだろう、
ぼくは全ぜん冷静だ、そして、シャツが首のまわりでぼくをおしつけていることを悲しんでいる。畜生、罰当たりめ、ぼくは霧のなかで舌打ちする。
(カフカ 日記 1914.2.14)

考えて見ると、ぼくは八月からこちら全然時間を満足に使っていない。深更まで仕事を続けられるように午後たっぷり睡眠をとるために費した不断の努力は空しかった。実際、ものの十五日も経たぬうちに、もう、一時過ぎに就寝することはぼくの神経が許さないことを思い知った。
そうするともうまるで寝つくことができず、翌日は耐え難く、ぼくは支離滅裂になってしまうからだ。こんな風にぼくは午後必要以上に長時間横になり、しかも夜は一時過ぎまで仕事をすることは滅多になく、それでいていつも早くて一時頃始めていたことになる。これは間違いだった。
ぼくは八時か九時に始めなければならない。夜はたしかに最上の時(恩賜の休暇)なのに、それがぼくには思うに任せない。
(カフカ 日記 1915.1.17)

土曜日にぼくはFに会うだろう。たとえ彼女がぼくを愛していようとも、ぼくはそれに値しない。今日ぼくは万事において、従ってまた当然文学の仕事においても、ぼくの限界がどんなに狭いかがよくわかったように思う。己れの限界ぎりぎりに認知したとき、ひとは木葉微塵にならなければならないのだ。
こんなことを考えさせるのも、おそらくオットラの手紙のせいだ。ぼくは近頃非常に自己満足していて、ずい分Fに楯をついて弁明したり我を張ったりした。残念ながらそれを一々書いている暇がない。いずれにしても今日は駄目だ。
(カフカ 日記 1915.1.17)

もう五年間、オフィス生活に耐えてきました。最初の年は、民間の保険会社で、特別にひどいものでした。朝八時から、夜七時、七時半、八時、八時半……まったく! ぼくの事務室に通じる細い廊下で、ぼくは毎朝、絶望に襲われました。ぼくより強い、徹底した人間なら、喜んで自殺していたでしょう。
今は、はるかによくなって、みんなぼくにやさしくしてくれます。しかしそれでも充分にひどい状態で、我慢するために使わなければならない力を考えると、とても割に合いません。
(カフカ フェリーツェへの手紙)

幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。
(カフカ 罪・苦痛・希望・及び真実の道についての考察)

友人との関わりについて、いま自分なりに整理してみると、それはむなしい助走であった。人が長い人生の間にくりかえし試みる、たいていは希望のない助走のひとつ。助走だから、次には跳躍がくる。
しかし、はたして前向きに人生の中に飛び込んでいけるのか、それとも人生から飛び出してしまうのか、当人には見当もつかない。
(カフカ 断片)

キルケゴール

ソクラテスの無知が一種の神の畏れであり神に仕えることであったこと、ソクラテスの無知が、神を畏るるは知恵の初めなり、というユダヤ的なものをギリシア風に言い表わしたものであったこと、
このことをかつて知ったことのある者、もしくは考えてみたことのある者が、いったいどれだけあるか知らないが、わたしたちはそれをけっして忘れないようにしたいものである。
(キルケゴール『死に至る病』)

マクベスの語る次のことばは、さすがに人間心理に通じた巨匠のことばである 「いまから先は(彼が国王を殺してから──そして自分の罪について絶望している今からは)真剣なことはこの人生にもう何もなくなった、すべてががらくたであり、名誉も恩寵も死んでしまった」。
(キルケゴール『死に至る病』)

このような犠牲者たちは、まったく独得な性質のものであった。それは、世間からつまはじきされて、あるいは、つまはじきされたものと自分で思いこんで、健全にそして激しく悩み悲しみはするが、いったん思いが心にあふれるほどつもりつもると、憎しみか赦しかのいずれかに心ゆくまで胸の思いを晴らす
ことができるというような、不幸な少女たちでもなかった。彼女たちには、それと目につくような変化はすこしもあらわれなかった。彼女たちはこれまでと同じように見なされ、いつもと同じ境遇で生活していた。それでいて、彼女たちは、彼女たち自身にもほとんど説明がつかず、他人にも理解できないような
変り方をしている。彼女たちの人生は、かの少女たちのそれのように、へし折られたり、うち砕かれたりしてはいない、自分自身のなかへねじこめられてしまっている。彼女たちは、他人の目には無いも同然で、いたずらに自分自身を見いだそうとしていた。
(キルケゴール『誘惑者の日記』)

わたくしがあなたを追いかけるつもりでいるとか、手に匕首をふりかざしてあなたの嘲弄をかうつもりでいるとかとお思いになっておよろこびになってはいけません。どこへなりとおすきなところへお逃げなさい、それでもわたくしはあなたのものです。世界のはてまでお逃げなさい、それでもわたくしは
あなたのものです。ほかの女を百人もお愛しになるのもいい、それでもわたくしはあなたのものです、いいえ、死の瞬間にもわたくしはあなたのものです。わたくしがあなたにむかって使っておりますこうした言葉そのものが、わたくしがあなたのものであることの証拠なのです。あなたは、あなたがわたくしに
とってすべてとなるまでに、ですから、わたくしがあなたの奴隷となることにすべてのよろこびを見いだすようになるまでに、ひとりの人間を欺くことをあえてされたのです。わたくしはあなたのものです、 あなたのものです、あなたのものです、あなたの呪いです。
(キルケゴール『誘惑者の日記』)

信仰とは内面性の無限の情熱と客観的不確かさとの矛盾をそのまま受け止めることにほかならない。いな、その矛盾そのものなのだ。もし私が神を客観的に把握できるなら、私は信じてなどいない。だがそれができないからこそ、私は信ずるところへと追いこまれるのだ。
(キルケゴール『非学問的あとがき』)

私は、これ以外に一語たりとも口にする必要性を感じない──アーメン。というのも、摂理が私のために取り計らってくれたことに対する感謝の念に、私は圧倒されているからである。
(キェルケゴール 日記 1848年)

新約聖書は、最後まで続く苦悩である──そうであってまた、永遠性の意識なのである。このことは、私が別の場合には本質的に捉え損ねてしまったであろうことだ。
というのも、その人の生がこの世界とのまったき同質性であるようなあらゆる人間に、彼が永遠性の意識を持っているということを想像させるなどということは、正気の沙汰とは思えないだろう。
(キェルケゴール 日記 1852)

美的、倫理的、宗教的な三つの実存領域がある。これらに二つの境界領域が対応する。イロニーは美的なものと倫理的なものの境界領域であり、フモール〔ユーモア〕は倫理的なものと宗教的なものの境界領域だ。
諸領域は以下のような関係にある。
直接性/有限な分別/イロニー/お忍びの姿としてのイロニーをともなう倫理/フモール/お忍びの姿としてのフモールをともなう宗教性──そして最後にキリスト教が来る。その目印は、実存を逆説的に強調すること、逆説、そして不条理なものだ。
(キルケゴール『哲学的断片への結びとしての非学問的後書』第2巻)

真なるあり方の弁証法は、信仰と祈りの絶対的対象がどこに存するか、絶対的なものはどこに存するのかを明らかにし、それをわれわれが発見するのを助けてくれる友好的奉仕の力である。
しかし、弁証法自体は絶対的なものを見ない、個人を絶対的なもののところまでいわば導いていって、告げるのだ──ここにあるはずだ、私が請け合う、ここで君が祈るなら、君は神に祈るのだ、と。しかし、この祈り自体は弁証法ではない。
(キルケゴール『哲学的断片への結びとしての非学問的後書』第2巻)

実存する、とは、まず第一に、人間が置かれる事実を記述する言葉であり、第二に、その事実とは、あきらめをもって受け入れられるしかないような──否定的な──事実である。「実存」は事実記述の言葉であり、規範的概念ではない。
「主義」というのは、何らかの規範的要請を基礎において初めて成立する何ものかであるとすれば、規範的な概念ではない「実存」の語によって何らかの「主義」を構築することなどありえないはずだ。
(藤野寛『キルケゴール──美と倫理のはざまに立つ哲学』)

精神喪失〔無精神〕の状況においては、いかなる不安も存しまい。が、それでいて、ひとが不安を覚えるのには、それがあまりにも幸せすぎて、満ち足りていて、これまたあまりに無精神的であるがゆえである。
(キルケゴール『不安の概念』第3章)

真の「独り学ぶ者」とは、それと同じ程度に「神に仕えて学ぶ者」なのである。あるいは理知的な面を連想させる表現を避けるなら、「知恵の愛〔哲学〕にひたすら奉仕する職人」であり、またそれと同じ程度に「神事に仕える者」である。
(キルケゴール『不安の概念』第5章)

「心気症(ヒポコンドリー)」の患者は、日常のつまらないことに対しても不安を覚えるが、重大なことが実際に起こると、かえって当人はほっと安心する。それはなぜか。
どれほど重大な現実性といえども、彼自身が生み出した可能性、しかもそれを生み出すために自分の力を用いたその可能性ほどには恐ろしくはないからである。が、そのかわりに今度は現実性を対象にして自分の全力をそれに注ぎこむことができるのである。
(キルケゴール『不安の概念』第5章)

この時代に対する私の判断を一言で言いきるなら、それは宗教的教育を欠いている、というものだ。キリスト教徒になることは、一つの些事になってしまった。美的なものが完全に優位を占めている。
キリスト教徒であることより──誰もがそれであるのだから──もっと先に進むことによって、人々は、キリスト教的なものが加味され洗練された美的で知的な異教へと逆戻りし、その中に収まりかえっている。
(キルケゴール『わが著作活動の視点』)

私が証明すべきだとされ、実際に証明してもいる見解とは、あまりに特異なものであって、キリスト教一八〇〇年を探しても私が頼れる相手、同志など文字どおり一人もいない。この点で過去一八〇〇年と向かい合って私は文字どおり一人ぼっちだ。私のためにいてくれる唯一の相手が、ソクラテスだ。
私の課題とは、ソクラテス的課題だ。つまり、キリスト教徒であるという規定を吟味にかけることだ。私自身は自分をキリスト教徒とは呼ばない(そのようにして、理想に場所を空けておく)。しかし私は、他の人々がもっとキリスト教徒でないということを明らかにすることができる。
(キルケゴール『瞬間』)

昔は、君主や傑出者や卓越者は、それぞれ意見をもっていたが、その他の人々は、自分たちは意見など持とうとも思わないし、持つ力がないのだという、断固とした覚悟を持っていた。ところが今日では、誰もが意見を持つことができるのだが、しかし意見を持つためには、彼らは数をそろえなければならない。
どんなばかげきったことにでも署名が二十五も集まれば、結構それでひとつの意見なのだ。ところが、このうえなくすぐれた頭脳が徹底的に考え抜いたうえで考え出した意見は、通念に反する奇論なのである。
(キルケゴール『現代の批判』)

美的、倫理的、宗教的な三つの実存領域がある。形而上学的なものは抽象である。 形而上学的に実存する人間などいない。
倫理的領域は単なる通過領域である。したがって、その最高の表現は否定的な行為としての悔悟である。
美的領域は直接性の領域であり、倫理的領域は要請の領域である(しかも、この要請たるや、まったくはてしのないものであり、各人は常に破綻することになる)。宗教的領域は充実の領域である。
しかし、よく注意する必要があるが、箪笥や鞄を金で充たす、というような充実ではない。というのも、悔悟はまさに無限の空間を開くのだから。宗教的な矛盾とは、七万尋の水の上に浮かびつつしかし同時に朗らかである、ということだ。
(キルケゴール『人生行路の諸段階』)

彼〔イロニカー=ロマン主義者〕は、むしろ、あまりにも抽象的、あまりにも形而上学的、あまりにも美的に生きているために、人間の具体性、人倫的の具体性に到達することができないのである。彼にとって人生とは一つのドラマであり、このドラマの波瀾に富む錯綜によって彼の心は虜になる。
しかし彼自身は観客である。彼自身が登場人物である場合ですら、そうなのだ。こうして彼はみずからの自我を無限化する。形而上学的・美的に気化・蒸発させてしまうのである。
(キルケゴール『イロニーの概念について』)

ショーペンハウアー

既に第一版への序文のなかで、わたしの哲学がカントの哲学から出発し、したがってそれに関する徹底的な知識を前提することを説明したが、ここでもそれを繰り返す。なぜならカントの学説は、それを理解したいかなる頭脳のなかにも、精神的な再生とみなされるほど大きい根本的な変化をひき起こすからだ。
つまりカントの学説のみが、各人の頭脳に生まれつきの、知性の根源的な規定に起因する実在論を実際に除去することができる。バークリにもマルブランシュにもこれはまだできないことであると思う。彼らはあまりにも一般的なものに固執するからである。いっぽうカントは特殊なもののなかに入っていくが、
その仕方たるやまえにもあとにも似姿のないものであり、精神に対して直接的ともいえるまったく特有の影響を及ぼし、その結果、人間精神は徹底的に迷いをさまされ、以後はすべての事物を異なった光のなかに見てとるのである。
(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第2版 序文)

すべてが困窮と欠乏に仕え、その奴隷とならざるをえないことこそ、困窮と欠乏に満ちたこの世の呪いである。したがってまさしくこの世の状態は、光と真理に向かう努力のように高貴で崇高な努力がなにものからも妨げられずに栄え、それ自身のための生存を許されるといったものではない。そうではなく、
そうした努力がひとたび勢力を得るようになり、その結果この努力がつかみとられて世の人に紹介されたあかつきでさえ、たちどころにそれを横取りするのは物質的な利害であり個人的な目的であって、それを自分の道具なり仮面なりにしてしまう。
したがってカントにより哲学があらためて威信を回復したあとでも、哲学はただちに、上は国家の、下は個人の目的の道具とならざるをえなかった。──もっともこれは厳密に考えれば哲学ではないが、哲学として通用する代役ではあった。
(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第2版 序文)

ドイツの国内でも国外でも、今日の文学は悲惨をきわめるが、その元凶は本を書くことでお金をかせげるようになったことだ。お金が要る者は、猫も杓子も、机に向かって本を書き、読者はおめでたくもそれを買う。その付随現象として、言葉が堕落する。
へぼ作家の大部分は、その日に印刷されたもの以外読もうとしないおめでたい読者のおかげで生計を立てている。すなわちジャーナリストだ。じつに適切なネーミングだ。ジャーナル[日々]の糧をかせぐ人、わかりやすく言えば「日給取り」だろうか。
(ショーペンハウアー『著述と文体について』1)

それは異質な素材を寄せ集めて作られた自動人形のようなものだ。
これに対して自分で考える人は、生きた人間を産み出しているにひとしい。すなわち思索する精神が外界からの刺激で受胎し、それが月満ちてこの世に生まれ出たようなものだ。

芸術は、外面的生活についてはできるだけ少量の消費をもってして、内面的生活をできるだけ強力に展開する所に意義がある。なぜなら内面的生活こそ我々の知性の本来の対象だからである。小説家の課題は大きな出来事を物語ることでなく、小さな出来事を興味深くさせることである。
(ショーペンハウアー)

自分を直接的な客体と取り違え、自分を時間的存在者と認め、生成されたもの・死滅すべきものと信じている人間は、──あたかも、岸に立ちながら波を眺めている或る人が、──実際は波だけが揺れているのに、──自分自身が揺れているように思うのと同様である。
(ショーペンハウアー『自殺について』)

誇りは全般的に非難され、悪しざまにいわれるが、それは大体において、誇れるようなものを何ひとつもたない人たちによってなされるものだと私は推測している。
(ショーペンハウアー『幸福について』)

認識する存在にあっては、個人が認識する主観の担い手であり、この認識する主観こそが世界の担い手となる。すなわち、個人にとって彼の外にあるすべての自然は、他の個人をすべてひっくるめて、ただその個人の表象のなかに存在する。
(ショーペンハウアー)

ヴァイニンガー

思想において夫に不誠実であったことのない妻はいないが、そのことで自分を責める女はいない。というのは、女は自分のすることを十分に意識することなく、軽々しく信仰を誓い、誓ったのと同じように軽々しく、軽率にそれを破ってしまうからである。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

ごく普通の、下品な性格の人間が死の恐怖を感じないことは、しばしば驚きをもって受け止められる。しかし、それは極めて説明しやすいことである。不死の願望を生み出すのは死の恐怖ではなく、死の恐怖を引き起こすのは不死の願望なのである。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

地球の子の最高の幸運は、常に自分自身の個性の中にある。
人がどのように生きるかは、ほとんど問題ではない。
自分自身に忠実でありさえすれば、人が何を失うかは問題ではない。
もし、彼が本当の自分であるならば。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

カントが人間を知的な宇宙の一部として紹介する『実践理性批判』の有名な一節を考えるとき、カントは道徳律が人格に内在しているとどのように確信したのかと問われるかもしれない。カントの答えは、道徳律には他のどんな高貴な起源も見いだすことはできない、というものであった。
彼は、定言命法はヌーメノン(叡智的存在)の法則であり、それに属し、最初からそれに内在している、と言うにとどまる。しかし、それは倫理の本質である。倫理は、知性的自我が経験主義の束縛から自由に行動することを可能にし、
そうして、論理がその可能性の存在を保証する倫理を通じて、その純粋さのすべてにおいて現実となることができるのである。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

しかし、隣人に対する道徳的義務とその果たし方についての考え方ほど、誤った考え方に満ちた思想領域はないだろう。人間社会の維持に基礎を置き、行為の瞬間の具体的な感情や動機は、道徳の一般的な体系に及ぼす影響よりも重要視しない道徳の理論体系は、ひとまず考慮から外して、人間の道徳性をその
「善性」、すなわち慈悲深い気質の発達の程度によって規定する俗説にすぐに行き着くことができるのである。哲学的な観点からは、ハッチソン、ヒューム、スミスは、同情こそがすべての倫理的行為の本質であり源であると考え、この考えはショーペンハウアーの同情的道徳から非常に強い支持を受けている。
ショーペンハウアーの『道徳の基礎について』は、その標語「道徳を説くのはたやすいが、その基礎を見つけるのは難しい」に、倫理学が単に行為の説明と記述ではなく、行為への指針の探求であることを常に認識しない共感的倫理学の根本的誤りを示している。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

悪いことをして、それを自覚している人間だけが愛することができる。だから子供は決して愛することができない。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

『女性について』におけるショーペンハウアーの女性蔑視は、彼と一緒にいたヴェネチアの美少女がバイロンで偶然出会ったイケメンに惚れ込んだという事情にしばしば起因する。まるで、彼の女運が最悪でなく最高だったら、女性に対する低評価は生じなかったかのように。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

偉人とは、高みに立つ者、時間に左右されない自我が支配する者であり、知的・道徳的良心によって、その知性的自我の前で自らの価値を維持しようとするものである。彼の誇りは自分自身に対するものであり、彼の中には、自分の思考、行動、創造物によって自分自身を印象づけたいという欲求がある。
この誇りは、天才に特有の誇りであり、独自の価値基準を持ち、それ自体に高い法廷を有しているため、他人の判断から独立している。
(ヴァイニンガー『性と性格』)

バークリー

要するに、これまで哲学者たちを惑わし、知識への道を塞いできた困難の(すべてではないにしても)大部分は、まったくわれわれ自身のせいなのである。われわれはまず埃を立てておいて、それから「見えない」と文句を言う。
(バークリー『人知原理論』序論3)

どれほど多くの偉大で非凡な人たちが同じ志をもって私よりも前に歩んでいたかを考えると、この試みにとてつもなく困難で絶望的に思えてくる。しかしながら、私に望みがないわけではない。なぜなら、もっとも広い視野をもつ人がいつももっとも明瞭に見るとはかぎらず、
むしろ近眼の人は対象をもっと近くに引き寄せざるをえないのだから、近くから綿密に調べることによって、もっと視力のいい人が見逃してしまったものをひょっとしたら見分けることができる、と考えるからである。
(バークリー『人知原理論』序論 5)

誰でも承認するように、思考内容も、情念も、想像力によって形成される観念も、精神のそとには存在しない。そしてこれに劣らず明白なことに、さまざまな感覚つまり感官に刻印されるさまざまな観念は、どれほど混合され結合されようとも(つまり、いかなる対象をつくろうとも)、
これらの観念を知覚する精神のなか以外には存在できない。「存在する」という言葉が感覚可能な事物に適用されるとき、それが何を意味するのかに注意する人なら誰でも、このことを直観的に知ることができるだろう。
(バークリー『人知原理論』3)

この知覚する能動的な存在者は、私が精神、心、魂あるいは私自身〔私の自我〕と呼ぶものである。これらの言葉によって私が指示しているのは、私の観念のうちのどれかではなく、これらの観念から全面的に区別される事物である。
つまり、もろもろの観念はこの事物のうちに存在する、あるいは同じことだが、この事物によって知覚される。それというのも、ある観念が存在するということは、知覚されるということにその本領があるからである。
(バークリー『人知原理論』2)

私に言わせれば、あまねく認められているように(そして、夢、錯乱等々で生じることが議論の余地なく示しているように)、われわれがいまもっている観念に似ている物体が外部にまったく存在しないにもかかわらず、われわれはそうした観念のすべてをもつことが可能である。したがって、
外的物体の想定は明らかに、われわれの観念を生みだすために必要ではない。なぜなら、外的物体が同時に作用しなくても、現在われわれが見ているのと同じ秩序で観念がときに生みだされ、ひょっとしたらつねに生みだされうるということが承認されているからである。
(バークリー『人知原理論』18)

物体が精神の外に存在することが可能だとしても、実際に存在すると主張することは、極めて当てにならない意見でしかない。そのように主張するということは、神は全く不要なものを、つまり何の役にも立たないものを無数に創造したと何の根拠もなしに想定することである。
(バークリー『人知原理論』19)

「しかし」とあなたがたは言う、「たとえば、ある公園のなかの木を想像する、あるいは私室のなかに本があるのを想像する、そして、そばにはそれらを知覚する人が誰もいないのを想像する──これ以上に簡単なことはないはずだ」。
これにたいして私はこう答える。あなたがたはそう想像できるし、そこには何の困難もない。
しかし、そう想像している間じゅうずっと、あなたがた自身がそれらの木や本を知覚している、あるいは考えているのではないか。だから、この反論は何の役にも立たない。
(バークリー『人知原理論』23)

“心”つまり能動的に作用するものは、その本性からして、それ自体では知覚されえず、ただそれが生みだす結果によってのみ知覚される。
(バークリー『人知原理論』27)

いつの時代にも無神論者たちにとって物質的実体がどれほどの盟友であったかは、語るに及ばないであろう。彼らの奇怪な体系はことごとくこの実体に明白かつ必然的に依存しているので、この礎石がいったんはずされてしまえば、建造物の全体は瓦解するしかない。
(バークリー『人知原理論』92)

事物の本性について無知であると宣言させる大きな誘因のひとつは、いま流行りの意見である。これによると、すべての事物はおのれのうちにその特性の原因を含んでいる、すなわち、どの対象のなかにも何らかの内的本質が存在していて、この本質が源になってそこから対象の識別可能な性質が流れ出ており、
これらの性質はこの本質に依存する。われわれに現われてくる現象を隠れた性質によって説明すると言い張る人たちもいたが、しかし昨今では、この隠れた性質はおおかた機械的原因に、つまり、感覚不可能な粒子の形、運動、重さそしてこれらに類した性質に姿を変えている。
(バークリー『人知原理論』102)

運動を考えるためには、その相互の距離ないし位置が変化する少なくとも二つの物体が考えられねばならない。だから、たった一つの物体しか存在しないのであれば、それが運動することはおよそありえない。
(バークリー『人知原理論』112)

算術における理論は、もし数詞や数字から切り離され、さらにすべての使用や実生活から切り離され、はたまた数え上げられる個別的な事物からも切り離されるなら、いかなるものをも対象にしていないと想定していい。
ここから見てとれるように、数に関する学問はことごとく実生活に従属しているのであり、たんなる思弁の問題とみなされるときには、まことに虚しく不毛なものになってしまう。
(バークリー『人知原理論』120)

算術は数の抽象的観念をその対象にしていると考えられてきた。数の特性や相互関係を理解することは、思弁的学問の卑しからざる部分だと想定されている。思考を異常なまで繊細に高めようとしたと思われる哲学者たちによれば、抽象的な数は知性によって把握される純粋な本性をもっている。この意見ゆえに
数は尊敬の的であったし、数に関する極めてつまらない思弁ですら、実生活では何の役にも立たずむしろ混乱を助長するだけであるにも関わらず、高く評価されてきた。そこで、この意見によってその精神がはなはだ汚染された幾人かの人々は、数には強力な神秘が含まれていると夢みて、
数によって自然物を解明しようと試みてきた。しかし、我々自身の頭のなかを覗き込み、これまでに語られてきたことを考察するなら、我々はこのように高く舞い上がった抽象に低い評価を下して、数に関するすべての探究は難解な些事でしかないと考えることだろう。
(バークリー『人知原理論』119)

私たちは、他者の媒介によってのみ知覚される事物を、それ自体が直接の視覚の対象であるかのように、あるいは、少なくとも、それらと共存することが経験される以前に、それらによって示唆されるような適合性を、それ自身の本性において持っているかのように、想像する傾向が非常に強い。
このような偏見から自分を解放することは、理性による最も明確な確信以外にはおそらく誰にとっても容易ではないだろう。またもし世界に唯一不変の普遍的な言語が存在し、人が生まれながらにしてその言語を話す能力を持っていたとしたら、他の人の心の観念は耳によって正しく知覚されるか、少なくとも、
それらに付加された音と必要かつ不可分の結びつきがあるという意見もある。しかしこのようなことはすべて、我々の理解力の中にある観念を識別し、それらを互いに切り離して考えるという、我々の識別能力の適切な活用が欠けていることから生じているように思われる。
(バークリー『視覚新論』66)

Wジェイムズ

ストア派の哲学者のごとく、必然的運命に対する諦念というくすみあせた色の態度で宇宙を受け容れるか、それとも、キリスト教の聖者のごとく、情熱あふれる幸福感をもって受け容れるかによって、人間の感情の上にも実践の上にもいちじるしい差異が生まれる。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

道徳はたいへん重くるしい冷ややかな心をもってその法則に服従しており、その法則をたえず軛のごとく感じているようである。ところが、宗教の場合には、その表現が強烈で十分に発展したものである時には、神への奉仕、ということはけっして恥とは感じられない。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

「自己放棄」と「新しい決意」とは、一見いかにも別々の体験であるかのように見えるが、「実は同一物なのである。自己放棄のほうはこの変化を古い自己の見地から見ているのであり、決意のほうは同じ変化を新しい自己の見地から見ているのである。」
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

人間の知性というものは、おのずと、それが感ずる神的なものを、いつでもその時その時の知的偏好と調和するような仕方で定義するものである。哲学は比較することによって、そのようにして作られるさまざまな定義から局部的なものや偶然的なものを除去することができる。
教義からも、礼拝からも、哲学は歴史的な外殻を取り除くことができる。自然発生的な宗教的構成物を自然科学の成果と対決させることによって、哲学はまた、今では科学的に背理であり科学に調和しないと知られているような教義を除去することもできるのである。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

哲学は、仮説の表現のうちにある無邪気な余剰信仰であり象徴であるものと、文字通りとるべきものを区別することによって、この仮説の定義を洗練することができる。その結果、哲学は様々な信者の間の調停の労をとって、意見の一致を作り出す力になることができる。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

神の属性をあらわす形容辞は私たちの信仰心に一種の雰囲気とさまざまな倍音を与える。それらは讃美歌や栄光詣のようなものであり、言葉の意味がわからなければわからないほど崇高に聞こえるであろう。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

もし哲学が形而上学と演繹とを棄てて、批判と帰納につき、そして進んで神学から宗教の科学に変身するならば、哲学は非常に役だつことができる。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

私たちは、個人が、呪詛や冗談によってではなく、厳粛で荘重な態度で、応答せずにはいられないような根源的な実在という意味においてのみ神を用いることにしたい。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

そこでこんどは、能動の態度ではなくて受動の態度が、緊張ではなくて弛緩が、規則とされなければならない。責任感を捨てよ、諸君の握っているものを棄てよ、諸君の運命の配慮をより高い力に委ねよ、ことのなりゆきにまったく無関心であれ、
そうすれば、諸君は完全な内心の救いを得るばかりでなく、それに加えて、すっかり諦めたつもりでいた特別の財宝をも、しばしば手に入れることに気づくであろう。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

宗教が伝えるものは、つねに経験の事実だということである。すなわち、宗教は言う、神的なものは現実的に現前している、そしてその神的なものと私たちとの間では、与えそして受け取る《ギヴ・アンド・テイク》という関係が現実に行なわれるのである、と。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

真に遺憾にたえないが、直接の宗教的経験の述べることの真理性を純粋に知的な手続きで論証しようとする試みは絶対に望みがないと結論せざるをえない、と私は正直に考えるものである。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

人間は自分の宗教的経験を知らず識らず知性化するものである。礼拝において同行を必要とするように、人間は信条を必要とする。したがって、神の属性に関するスコラ哲学の有名な目録が実用的に無益である、と私が侮蔑的に語ったのは、傲慢に過ぎたようである。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

私たちは宗教をこういう意味に解したい。すなわち、宗教とは、個々の人間が孤独の状態にあって、いかなるものであれ神的な存在と考えられるものと自分が関係していることを悟る場合にだけ生ずる感情、行為、経験である、と。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

このアルスの教区僧はきわめて寒さに敏感であったが、それでも寒さを防ぐ手段を講じようとはけっしてしなかった。ある極寒の冬のこと、彼の代行司祭の一人が彼の告解場の床に補助床を張ることを考案し、床下に熱湯を入れた金属製の箱を置いた。このたくらみは効を奏し、聖者を欺くことができた。
『神様は非常におなさけぶかい、』と彼は感動をこめていった、『今年は寒い冬中、足がいつも温かかった。』
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

本質的に言って、宗教は、私的なもの、個人主義的なものである。宗教はつねに、それを明確に説述しようとする私たちの力を越えている。宗教の内容を哲学という鋳型の中へ流し込むうとする試みは、人間が人間であるかぎり、おそらくつねに行なわれ続けることではあろうが、
しかしそのような試みは、いつでも第二次的な措置であって、人間自身の刺激の源であり人間自身に確信をもつことの喜びを貸し与える貸し主でもあるあの感情の権威を、けっして高めるものでもなければ、またその感情の真実性の保証を強めるものでもない。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

「私が自分に課した問題は困難な問題です。第一には、『哲学』に反対して『経験』を弁護し、それが世界の宗教的生活の真の背骨であることを論ずること、第二には、聴衆あるいは読者に、私自身が信じざるをえないことを、すなわち、たとえすべての宗教の特殊なあらわれ(つまりその教条や理論)は
不条理なものであったにしても、しかし全体としての宗教の生活は、人類のもっとも重要ないとなみであることを、信じさせることです。ほとんど不可能に近い課題で、私には果たせないかもしれません、けれども、やってみるのが私の宗教的な行為なのです。」
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』解説)

フロイト

神経症には心的外傷を引き起こした体験状態への固着がある。神経症患者は心的外傷を体験した状況の中にそのまま置かれていて、その状況を解決しないために、時間の流れが止まり、その状態がいつまでも心的現実性を持って、現在、そこに存続し続けるかのような状態に陥る。
(フロイト)

その本の中には、『三日間で天才的な作家になる方法』というエッセイがあり、次のようなアドバイスが書かれていた。
『数枚の紙を手に取って、三日間続けて、あなたの頭に浮かんだことを、つくり事や偽善を交えずすべて書き留めなさい。あなた自身について、あなたの奥さんについて、
トルコ戦争について、ゲーテについて、あなたの目上の人たちについて書き記しなさい。すると、三日たったとき、あなたは、これまでに聞いたこともないような新しい考えに驚き、我を忘れてしまうでしょう。これが、三日間で天才的な作家になる方法なのです』
(小此木啓吾『フロイト思想のキーワード』)

パスカル

順序。
自然は、あらゆる真理を、おのおのそれ自身のなかに置いた。それらすべてを、われわれの技巧が、一方を他方のうちへと閉じこめる。しかしそれは不自然である。おのおのの真理は自分の場所を占めている。
(パスカル『パンセ』21)

警句をよく吐く人、悪い性格。
(パスカル『パンセ』46)

高慢。
好奇心は、虚栄にすぎない。たいていの場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。さもなければ、人は航海などしないだろう。それについて決して何も話さず、ただ見る楽しみだけのためで、それを人に伝える希望がないのだったら。
(パスカル『パンセ』152)

どんな対話や議論の場合でも、それで憤慨する人たちに向かって、「何が気に入らないのですか」と言えるようでなければいけない。
(パスカル『パンセ』188)

デカルト

「われ思う、故にわれあり」ということばの中には、それ自体を越えるような形で真実性を確信させてくれるようなものはなにもない。単に、考えるためには存在しなくてはならない、というのがはっきりわかるだけだ。
(デカルト『方法序説』)

神がいまの世界を維持するためのふるまいというのは、神がそれをもともと作ったときのふるまいと同じだというのは確実であり、これは神学者たちも一般に求めている見解だ。
(デカルト『方法序説』)

私はただ本気で私と共に思索し、精神をもろもろの感覚から、また同時にすべての先入見から引離すことができまた引き離すことを欲する人々だけに読まれるように、これを書いたのであって、かような人がまったくわずかしか見出されないことを私は十分に知っている。
しかるに私の根拠の連結と聯関とを理解することに意を用いないで、多くの人々にとって慣わしであるように、ただ個々の語句に拘泥して、お喋りをすることに熱心な人々についていえば、彼等はこの書物を読むことから大きな利益を収めないであろう。
(デカルト『省察』読者への序言)

私の推論の連鎖と結合とを理解することに意を用いずに、多くの人がふつうそうであるように、ただ個々の語句についておしゃべりすることに熱心な人たちに関しては、かれらはこの書を読んでも大きな果実を得ることはないであろう。
(デカルト『省察』読者への序言)

普通、無神論者たちが神の存在を攻撃しようとして言いふらしていることのすべては、常に次のことに依存している。すなわち、想像によって人間的な感情を神に帰していること、
あるいは、われわれの精神には、神が何をなすことができ何をなすべきかを決定し理解しようと努めるほどの、大きな力と知恵があると自負することに依存している。
(デカルト『省察』読者への序言)

すでに述べたように、この自然の光も、なんらこれに反するものが神自身によって啓示されない間だけ、信頼さるべきものであることを記憶しておかなければならない……しかし、何よりも、最高の規則として私たちの記憶に刻みつけておかねばならぬことは、神によって私たちに啓示されたものは、
あらゆるもののうちでもっとも確実なものと信じねばならないということだ。たとえ理性の光が、何かそれとは違ったことを、どれほど明晰かつ明証的に私たちに暗示するかに見えようとも、私たちはあくまでも私たち自身の判断よりもむしろ神の権威に信をよせねばならない。
(デカルト『哲学の原理』第1部)

ルソー

わたしは他人の考えを書いているのではない。自分の考えを書いている。わたしはほかの人と同じようなものの見方をしない。すでに久しいまえからわたしはそれを非難されている。しかし、ほかの人の目を自分にあたえたり、ほかの人の考えを借りたりすることがわたしにできるだろうか。それはできない。
うぬぼれないようにすること、自分ひとりが世間のだれよりも賢明な人間だとは考えないこと、それはわたしにもできる。自分の考えを変えることではなく、それに疑いをもつことはできる。それだけがわたしにできることだし、わたしがしていることでもある。
たとえときにわたしが断定的な調子で語るとしても、それは読者に押しつけるためではない。自分で考えたとおりに語るためだ。自分がすこしも疑っていないことを、どうして疑問の形で述べることができよう。わたしは頭のなかで考えたことをそのまま正確に語るのだ。
(ルソー『エミール』序)

自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。
両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。わたしの手を離れるとき、かれは、たしかに、役人でも軍人でも僧侶でもないだろう。かれはなによりもまず人間だろう。
人間がそうなければならぬあらゆるものに、かれは必要に応じて、ほかのすべての人と同じようになることができるだろう。いくら運命の神がかれの場所を変えても、やっぱりかれは自分の地位にとどまっているだろう。
(ルソー『エミール』第1編)

医学は今日たいへんはやっている。それも当然だ。それは暇で仕事のない人間のなぐさみごとなのだ。そういう人間はどうして時間を潰していいかわからないので、自分の体を守るため時間を費やしている。不幸にして死なない者として生まれていたら、彼らはあらゆる生物の中で一番みじめな者になるだろう。
決して失う心配のない生命は、彼らにとってはなんの値うちもない。こういう人たちには医者が必要なのだ。医者は彼らをおどかして、なぐさめてくれる。そして、彼らが感じることのできるただ一つの喜び、まだ死なないという喜びを毎日あたえてくれる。
(ルソー『エミール』第1編)

医学は有効なものでないとするなら、それは時間と人間と事物をまったくむだにすることになるから、有害なものだ。生命をまもるために時間をついやしていては、それだけ生命を楽しむ時間がむだになるから、そういう時間はへらすようにしなければならない。
ところが、さらに、その時間を自分の身を苦しめるためにもちいることになると、それはなんにもならないというよりもっと悪い。それはマイナスだ。そして正確に計算するなら、わたしたちに残されている時間からそれだけ差し引かなければならない。
医者にかからずに十年生きた人は、医者に悩まされながら三十年生きた人にくらべて、自分にとっても他人にとっても、よけい生きたことになる。どちらのばあいの経験もしたことがあるわたしには、だれよりもこういう結論をひきだす権利があると思っている。
(ルソー『エミール』第1編)

自分の本性を見そこなった反逆の天使は、自分の本性にしたがって平和に暮らしている幸福な人間よりも弱い存在だった。あるがままで満足している人はきわめて強い人間だ。人間以上のものになろうとする人はきわめて弱い人間になる。
だから能力を大きくすることによって、実力を大きくすることができるなどと考えてはならない。能力以上に高慢心が大きくなれば、それは逆に力を弱めることになる。
わたしたちの世界の広さを測って、そのまんなかにとどまることにしよう。クモが巣のまんなかにいるように。そうすればわたしたちはいつも満ち足りて、自分の弱さを嘆くこともなかろう。わたしたちは弱さを感じるようなことはないだろうから。
(ルソー『エミール』第2編)

まだ自由だが、燃えたち、落ち着きがなく、知りもしない幸福に飢えている心が、好奇心にみちた不安な気持ちでその幸福をもとめ、官能にだまされて、やがてむなしい幸福の幻影にとらえられ、ありもしないところに幸福をみいだしたと考えている、そういう時期が人生にはある。
わたしにとってはそういう幻想があまりにも長いあいだつづいた。悲しいことに、それに気がついたときにはもう遅すぎた。そしてわたしは、完全にその幻想をなくしてしまうことができなかった。その原因であるこの死すべき肉体があるかぎり、それはいつまでもつづくことだろう。
少なくとも、いくらそれがわたしを誘惑してもむだで、わたしはそれにだまされはしない。わたしはその正体を知っている。幻想を追いながらも、わたしはそれを軽蔑している。そこに幸福の対象を見るようなことはせず、幸福のさまたげとなるものを見ている。
(ルソー『エミール』第4編)

だから人間はかれが住んでいる地上の王者だというのは正しい。
地上にあるなにかほかの動物で、火をもちいるすべを知っているもの、感嘆して太陽をながめることを知っているものがあったら、教えてもらいたい。ああ、わたしはいろいろな存在とそれらの関連を観察し認識することができるのだ。秩序、
美、徳とはどういうものか感じることができるのだ。宇宙を観照し、それを支配している者にまで自分を高めることができるのだ。善を好み、善を行なうことができるのだ。それでも自分を獣にくらべてよいものだろうか。いやしむべき魂よ、きみを獣と同じようなものにしているのは、きみの暗い哲学なのだ。
いや、いくらきみが自分をいやしめてもだめなのだ。きみの天性はきみの原理を否定している。きみの情けぶかい心はきみの学説を裏切っている。そして、きみの能力を悪用していることそれ自体が、きみがなんと言おうと、きみのすぐれた能力を証明しているのだ。
(ルソー『エミール』第4編)

一般的にいって、わずかなことしか知らない人は多くのことを語り、多くのことを知っている人はわずかなことしか語らない。無知な人間は自分が知ってることをなんでも重要なことだと思い、だれにでもそれを話す、これはわかりきったことだ。
ところが、教養のある人は容易にかれの持ち物を公開しない。かれには語るべきことがありすぎるし、自分に言えることのほかにもまだ多くのことが言えることがわかっている。だからかれは口をつぐんでいる。
(ルソー『エミール』第4編)

哲学者たちが真理を発見しうる状態にあるとしても、彼らのうち誰が真理に興味を持つのか。哲学者は皆、自分の体系が他の者の体系より根拠のあるものではないことをよく知っている。ただ彼らは自分の体系だからそれを支持しているのだ。真実のもの、偽りのものを知ったとしても、他人が見出した真理より
自分が見出した虚偽をとらない哲学者は一人もいない。自分の名声のためにあえて人類を欺かない哲学者がどこにいるのか。他人より抜きん出た者になりたいということとは別のことを心の奥底で考える哲学者がどこにいるのか。一般の人々よりも高いところに身をおくことができさえすればいいのではないか。
競争者の名声を失わせることができさえすればいいのではないか。哲学者はそれ以上の何を求めているのか。肝心なことは他の者とは違ったふうに考えることだ。彼らは、神を信じる人々の間では無神論者になり、無神論者の間では神を信じる者になるのだ。
(ルソー『エミール』第4編)

一般的にいって、統治の相対的なよさを判定するには、単純でわかりやすい二つの規則がある。その一つは人口だ。人口が減少しつつある国ではどこでも、国家は没落にむかっている。ほかのどの国より人口が増加しつつある国は、ほかのどの国より貧しい国であっても、必ず一番よく統治されている国だ。
しかし、そういうことになるには、その人口増加が統治と習俗の自然の結果でなければならない。それが植民やそのほかの偶発的、一時的な方法によってもたらされたとすれば、このばあいには、そういう方法は薬の必要ということで病気の存在を証明していることになる。
アウグストゥスが独身を禁止する法律を発布したとき、その法律はすでにローマ帝国の衰退を明らかにしていたのだ。よい統治が市民を結婚できるようにしてやらなければならないので、法律が市民に結婚を強制するようであってはならない。強制によってもたらされることをしらべる必要はない。
基本的な法則に反する法律は守られないで空文になってしまうのだ。そういうことではなく、習俗の影響と統治の自然の傾向によってもたらされることをしらべなければならない。習俗と統治、それだけが恒久的な効果をもつ手段なのだ。
(ルソー『エミール』第5編)

ヘーゲル

が、実のところ、信仰者は、そうした証言や偶然の事情に自分の確信を結びつける気はなく、内部の確信にもとづいて絶対の対象と素朴にむきあい、それを純粋に知的に受けいれる。絶対神の意識のうちに、文字や紙や筆写者が入りこむことはなく、そのようなものを通じて神とかかわることはないのだ。
信仰者の意識は、内部の媒介運動を知の根拠とするものであって、個の意識の内面においても、万人共通の信仰のありようとしても、精神がみずから証人となるような運動が展開される。啓蒙思想がいうように、歴史的なできごとにもとづいて、信仰の根拠づけや内容の確認をおこなおうとする信仰者がいて、
それにまじめにとりくみ、そこに重きを置くようなふるまいに出るようなことがあるとしたら、そういう信仰者はすでに啓蒙思想に毒されているというべきなのだ。そのようにして信仰を根拠づけ、固めようとする努力そのものが、啓蒙思想に染まっていることをあかしている。
(ヘーゲル『精神現象学』Ⅵ)

レーニン

フォイエルバッハ

スピノザ

ヒューム

いかなる重要な問題も、その解決が人間学のうちに含まれないものはなく、人間学に精通する前に、多少なりとも確たる解決を与え得る問題は何一つない。
人間本性の諸原理を明らかにしようとするとき、我々は実質的に諸学の完全な体系を目論んでいる。それは、ほとんど全く新しい基盤、諸学が安全に成り立つ唯一の基盤(明らかにされた人間本性の諸原理)の上に築かれる。
(ヒューム『人間本性論』序論)

ヤコービ

フッサール

ドゥルーズ

デリダ

文字言語(エクリチュール)。感覚的物質にして人為的外面性、つまり一つの 「衣裳」。人々は、音声言語(パロール)が思惟にとっての衣裳であるということにたいしてはしばしば異議を唱えてきた。フッサール、ソシュール、ラヴェルもその例外ではなかった。
だが、文字言語(エクリチュール)が音声言語(パロール)の衣裳であるということがかつて疑われたことがあるだろうか。
(デリダ『根源の彼方に──グラマトロジーについて』上、足立和浩訳、現代思潮社、1972年、76頁)

マルクス・アウレリウス

おお、宇宙よ、汝に調和せる物は悉く私にも調和している。汝にとって時を得たものなら、私にとって早すぎるものも遅すぎるものもない。おお、自然よ、汝の四季のもたらすものは悉く私にとって果実である。汝より万物は生じ、汝のうちに万物はあり、汝へと万物は還ってゆく。
(マルクス・アウレリウス)

アウグスティヌス

何ということだ、この豚ども、お前は無意味なことを語ろうとしないのか。さあ、無意味なことを語れ。かまわないのだ!
(アウグスティヌス『告白』第1巻4章)

わたしの傲慢は聖書の謙遜を受け入れず、わたしの鋭敏もその内奥を見抜くことはできなかった。聖書こそ小さい子とともに成長するものであったが、わたしは小さいものであることをさげすみ、傲慢に思い上って自分をえらいもののように考えていた。
(アウグスティヌス『告白』第3巻5章)

また何人であれ、人間でしかない人間とは何であろうか。強くて力あるものは、わたしたちを嘲るがよい。しかし弱くて貧しいわたしたちは、あなたに告白しよう。
(アウグスティヌス『告白』第4巻 第1章)

あなたから乞い求めなければならない。あなたのうちに尋ねなければならない。あなたにむかって叩かなければならない。そうしてこそ、そうしてこそ与えられるであろう。そうしてこそ見出されるであろう。そうしてこそ開かれるであろう。
(アウグスティヌス『告白』第13巻38章)

パルメニデス

現前してはいないけれども知性には現前しているものを しっかりと見よ。
"ある"ものが"ある"ものにつながっているのを切りはなすことはできぬであろう──
それが秩序をなしてあらゆるところにあらゆる仕方でちらばっているにせよ、集まっているにせよ。
(パルメニデス 断片 4)

さらにまた"ある"ものは 分かつことができない。すべてが一様であるから。またそれは ここにより多くあったり より少なくあったりすることによって、互いに繋がり合うのをさまたげられることなく、全体が"ある"もので充ちみちている。このゆえに全体が連続的である。"ある"ものが"ある"ものに
密接しているのであるから。
しかしそれは大いなる縛めに限られて 動くことなく 始めがなく 終ることもない。なぜならば生成と消滅がはるかかなたへ追いやられ、まことの証しがこれを拒けたから。それは同じものとして同じところにとどまりつつ ただ自分だけでよこたわり、そしてそのようにして
その場に確固ととどまる。なぜならば力つよき必然の女神が限界の縛めの中にそれを保持し、その限界がまわりからこれを閉じこめているから。
このゆえに "ある"ものが不完結であることは許されない。それは何も必要としないから。もし不完結ならすべてを必要としたことであろう。
(パルメニデス 断片 8)

すなわち彼ら死すべき者は "二つの形態"に名を与えようと心にきめた。その一つだけでも名をあたえるべきではなく、ここに彼らの誤っている点がある。そして彼らはこれらのものを 反対の姿のものとして区別し、互いに別々のしるしを与えた。
すなわちその一つには 天空の焔の"火"──それはおだやかで きわめて軽く、あらゆる方向において自分自身と同じであるが、他のものとは同じでない。そしてかのもう一つのものも それ自体として ちょうどこれと反対のもの、暗い"夜"であり、その姿は濃密で重い。
その世界のもっともらしい構造のすべてを私は汝に語りきかせよう、死すべき者どもの考えが けっして汝を追い越すことのないように──。
(パルメニデス 断片 8)

ゼノン

"ある"ものが大きさを持たないなら、それは"ある"ことができない。
もし(多)が"ある"なら、それぞれのものはある大きさと厚みを持ち、それの一つの部分は他の部分より(前に)突出していなければならない。同じ論法が、その隔たり突出している部分についても成り立つ。なぜなら、
それもまた大きさを持つことになるだろうし、それの一つの部分が突出することになるだろうからだ。じっさい、このことを一度述べることも、このことを(くり返し)永久に言いつづけることも、同じことなのだ。なぜなら、それのいかなる部分も、これが最後というものはないであろうし、
一つの部分が他の部分と関係なしにあるということもないであろうから。かくして、もし、多があるなら、それら(多)は小であるとともに、大でもあらねばならない。すなわち、大きさを持たぬほど小さい、とともに、無限であるほどに大きくなければならないのだ。
(ゼノン 断片 1)

もし多があるなら、それらはそれらがあるだけ、ちょうどそれだけであるはずであって、それより多くあっても、少なくあってもならないのだ。だが、それらがあるだけ、ちょうどそれだけあるのなら、それらは(数的に)有限なものであろう。
もし多があるなら、"ある"ものどもは無限である。なぜなら、"ある"ものどもの中間には、つねに他のものどもがあり、さらに、この他のものどもの中間には、またべつのものどもがあるのだ。かくて、"ある"ものどもは無限である。
(ゼノン 断片 3)

メリッソス

それは永遠であり、無限であり、一であり、まったく一様である。
またそれは消滅することもなく、大きくなることもなく、配列をかえることもなく、苦しむこともなく、悲しむこともない。なぜなら、何かその種のことがらによって影響を蒙るのであれば、それはもはや一ではありえないのだから。つまり、
もしそれが違ったものになるなら、あるものは一様ではないことにならなければならず、以前"あった"ものが消滅し"あらぬ"ものが生じてこなければならない。もしそれが一万年の間に髪の毛一すじほどでも違ったものになるなら、それは全時間のうちにはすべて滅びさってしまうだろう。
(メリッソス 断片 7)

ヘラクレイトス

デモクリトス

自分自身より以上に、他の人びとを恐れてはいけない、また、誰ひとり見るはずがなかろうと、万人が見ることになろうと、(自分自身より以上に、他の人びとを)傷つけるようなことをしてはならない。むしろ、何よりも自分自身を恐れなければならない、
そしてこのことを、魂のうちに掟として据えおかなければならない。そうすれば、ふさわしからぬことは何ひとつ仕出かさなくなるのだ。
(デモクリトス 断片 264)

プラトン

さて、これら少数の人たちの一員となって、自分の所有するものがいかに快く祝福されたものであるかを味わい、他方、多数者の狂気というものを余すところなく見てきた者たち、──彼らは、次のような現実を思い知らされるわけだ。すなわち、国の政治に関しては、およそ誰一人として、何一つ健全なことを
していないと言っても過言ではないし、正義を守るため共に戦って身を全うすることのできるような、味方にすべき同志もいない。野獣のただなかに入りこんだ一人の人間同様に、不正に与する気もなければ、単身で万人の狂暴に抵抗するだけの力もないからには、国や友のために何か役立つことをするより前に
身を滅ぼすことになり、かくて自己自身に対しても他人に対しても、無益な人間として終るほかないだろう……
すべてこうしたことを考えてみたうえで、彼は、静かに自分の仕事だけをして行くという途を選ぶ。あたかも嵐のさなか、砂塵や強雨が風に吹きつけられてくるのを壁のかげに避けて立つ人のように
彼は、他の人々の目に余る不法を見ながらも、もし何とかして自分自身が、不正と不敬行為に汚されないままこの世の生を送ることができれば、そしてこの世を去るにあたっては、美しい希望をいだいて晴れ晴れと心安らかに去って行けるならば、それで満足するのだ」
(プラトン『国家』第6巻 496C-E)

アリストテレス

旧約聖書

民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
(出エジプト記 20:18-19)

モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
(出エジプト記 34:8-9)

だれかが罪を犯すなら、すなわち、見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる者は、罰を負う。汚れた野獣、家畜、爬虫類の死骸など汚れたものに気づかずに触れるならば、その人は汚れ、責めを負う。いかなる種類の汚れであれ、人体から生じる汚れに
気づかずに触れるならば、それを知るようになったとき、責めを負う。悪いことについてであれ、善いことについてであれ、どのような事柄についてであっても、軽はずみな誓いが立てられるようなことに関して、軽はずみな誓いを立てたならば、それを知るようになったとき、責めを負う。
(レビ記 5:1-4)

「わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測りがたい事を述べました。それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」
(ヨブ記 四十二章 三、六)

「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。私と私の侍女たちも同様に断食しましょう。そして私は法律にそむくことですが王のもとへ行きます。私がもし死なねばならないのなら、死にます」
(エステル記 4:15-16)

主はこう言われる、「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。
誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶ」。
(エレミヤ書 9:23-24)

主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めによるのである。
(イザヤ書 29:13)

彼らは言う、『われわれが断食したのに、なぜ、ごらんにならないのか。われわれがおのれを苦しめたのに、なぜ、ごぞんじないのか』と。見よ、あなたがたの断食の日には、おのが楽しみを求め、その働き人をことごとくしえたげる。
見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ。きょう、あなたがたのなす断食は、その声を上に聞えさせるものではない。
このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。
(イザヤ書 58:3-5)

あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
(申命記 8:17-18)

王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。
しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。
(列王記上 3:25-27)

あなたの民の人々は『主の道は公平でない』と言う。しかし彼らの道こそ公平でないのである。義人がその義を離れて、罪を犯すならば、彼はこれがために死ぬ。悪人がその悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼はこれによって生きる。
それであるのに、あなたがたは『主の道は公平でない』と言う。イスラエルの家よ、わたしは各自のおこないにしたがって、あなたがたをさばく」。
(エゼキエル書 33:17-20)

新約聖書

すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
(マタイ福音書 4:3-4)

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
(マタイ福音書 5:13-14)

イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。
イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
(マタイ福音書 8:18-20)

感じることがなければ惨めではない。こわれた家は惨めではない。惨めなのは人間だけである。
(パスカル『パンセ』399)

そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。そこでイエスは彼らに言われた、
「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、
律法で読んだことがないのか。あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。人の子は安息日の主である」。
(マタイ福音書 12:1-8)

イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。
イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうち、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」
(マタイ福音書 12:9-12)

偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
(マタイ福音書 15:7-9)

それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
(マタイ福音書 17:19-20)

そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
(マタイ福音書 18:21-22)

さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
(マタイ福音書 22:34-40)

『主よ、いつ、あなたが空腹であり、渇いておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』
『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者の一人にしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』
(マタイ福音書 25:44-45)

彼〔ペテロ〕は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
(マタイ福音書 26:74-75)

イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、
周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
(マルコ福音書 3:31-35)

「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
(マルコ福音書 4:3-8)

外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。
(マルコ福音書 7:15)

塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。
(マルコ福音書 9:50)

イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
(マルコ福音書 10:17-18)

イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」
イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。
(ヨハネ福音書 18:36-38)

あなたがたは哲学と空しい欺瞞のために欺かれないように気をつけよ。それはキリストにもとづかず、人のいいつたえと、世のあさはかな知恵にもとづくにすぎない。神のみちあふれる徳はすべて、形をとってキリストに宿っているからである。
(コロサイ人への手紙 2:8-9)

ヨハネ福音書においてはイエスという存在自体が重要である。イエスは神的存在であり、この世にとっては、神は離れているので、イエスは事実上神そのもののような存在である。そしてこのイエスが主張しているのは、
つまるところこの世でのこの特殊な「イエス」の意味である。つまりイエスのみが重要である、ということである。この「イエス」の意味の重要さは、実はこの世が神から離れているということを前提にしている。
(加藤隆『新約聖書』の「たとえ」を解く)

十字架のことしか語らないパウロの立場と、生前のイエスのことをふんだんに語っている福音書の立場は、相容れないものである。福音書は、パウロの神学の補完物ではない。それどころか、福音書の立場と、パウロの立場は、鋭く対立しているのである。
(加藤隆『福音書=四つの物語』)

トルストイ

末来の芸術家は、なんらかの勤労によっておのれの生計をたてつつ、普通人の生活を営んでいくに相違ない。そして、彼は自分のうちに流れる最高の精神力の結実をできるだけ多くの人々に分け与えようとするだろう。なぜなら、自分のなかに湧いた感情をなるたけ大勢の人々に伝えるということこそ──
彼の喜びであり、報酬であるからだ。末来の芸術家は、自己の作品の最大の普及をその喜びとすべきはずの芸術家が、どうして自己の作品をわずかな料金で手ばなすのかさえも理解しえないであろう。
(トルストイ『芸術とはなにか』)

子供の軽業師が足を首のうしろへ蹴あげたりするのは見ていても恐ろしく、かわいそうだと言うが、十ぐらいの子供が演奏会を開いているのを見るのもそれに劣らずかわいそうである、ましてや、十ぐらいの子がラテン文法の例外などを暗誦しているところなどは余計痛々しい
(トルストイ『芸術とはなにか』)

なじみの有名な音楽家が、これは自分の新作だとか、新しい作曲家の作品だとか称して諸君の前で弾いてみせる。諸君は耳馴れぬ大きな響きに聞き入り、体操のような指先の運動に驚嘆し、作曲者が諸君に何かを訴えようとしていることを見てとる。──だが諸君には退屈以外のなんの感情も伝わって来ない。
リスト、ヴァーグナー、ベルリオーズ、ブラームス、最近ではリヒアルト・シュトラウス、その他オペラ、シンフォニー、小曲などを続々と休みなく作って行く無数の人々の作品を演奏する音楽会はみんなこんなふうである。
(トルストイ『芸術とはなにか』)

芸術を作り出すということは、たとえどんなに低級なものでも、好き勝手にできるものではなく、芸術家のうちに芸術そのものが生まれなければならない。だから、芸術家たちは、上流階級の人々の要求を満たすためには、芸術まがいのものを生み出さなければならなかった。
(トルストイ『芸術とはなにか』)

真に生産的なものは、だれしもこれを支配することができない。人びとはみな手をつかねて、そのなすままになるほかはない。
天才に要求される最初にして最後のものは、真理愛である。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)

芸術は人が自分の経験した感情を他人に伝える目的でふたたびそれを自分のなかに呼び起こし、一定の外面的な符号でそれをあらわす時にはじまるのである。
では一番簡単な例を引こう──かりに、狼に出会って恐怖を経験した少年があって、その出会った様子の話をするとする。
そして、他人にも自分の経験した感じを起こさせようとして、まず自分のことから、その出会いに先だつ自分の状態、周囲の様子、森のこと、自分のうかつさ、続いて狼の姿、挙動、自分と狼との距離などを描き出す。
これらのすべては、もし少年が話しているうちに自分が前に経験した感じをまたあらたに経験し、それを聴き手に感染させ、彼らにも話し手が経験したことをすべて経験させるとすれば、──それは芸術である。またその少年が狼を見たことはないが、しじゅうそれをこわがっていたとして、
自分の感じていた恐怖感を他人にも呼びおこしてみたいと思い、狼と出会ったことに話をつくりあげて、自分が狼を思い浮かべながら経験した感じをその話によって聴き手たちに呼びおこすように話したとすれば、──これもまた芸術である。
(トルストイ『芸術とはなにか』)

私の身体、この草、この昆虫には物理的、化学的および生理学的法則に従って物質の変化が起きる、と私はかつてよくいったものである。そして、その線に沿って最大の思索の努力をしたにもかかわらず、人生の意味、私の衝動の意味および私の熱望の意味が私に示されなかったことに驚いた。
(トルストイ)

私がキリスト教へ導かれたのは、神学的研究でも歴史的研究でもなく、五十歳の時、われとは何ぞ、わが生の意義は那辺にありやと言うことについて自ら訊ね、また周囲のあらゆる賢人達に訊ねて、汝は原子の偶然な結合であるという答えを得たことによってである。
(トルストイ『要約福音書』)

今、わたしはさとった──人間が生きているのは、自分のことに心をくばっているからだというのは、ただ人間がそう思いこんでいるだけにすぎない。
(トルストイ『人はなにで生きるか』)

そこで、「わたしのように暮らしなさい」の意味を彼なりに考え、その意味が、父のように息子に与えられる富を作り出すことだ、と解釈した。そして、父からもらった物と同じ富をあらたに作ろうと、決めた。しかし、父の手を借りずに、ひとりで富を作りだす方法がわからない。父にその方法をたずねたが、
父はまったく教えてくれない。父は秘訣を教えたくないのだ、と思った彼は、父からもらった物を分解して、ひとつひとつ調べ、それによって全体を理解しようとしたが、かえって、傷つけたり、壊したり、全体をダメにしてしまった。自分で作った新しい物は、ひとつも役に立たなかった。しかし、彼は、
自分がすべてをダメにしてしまったことを認めたくない。悩み、苦しみ続けた。周りの人々には、父からは何ももらっていない、すべて自分で作った、と言い張った。
「我々はすべて自分でできる。すべてをよりよきものに変えていける。やがて、幸せの極致に到達できるのだ」
(トルストイ『三人の息子』)

チェーホフ

かりにあなたが完全無欠な紳士であり三等官であるとしても、もしあなたに娘があれば、交際がどうの、縁談がどうの、結婚式がどうのといったさわぎがしばしばあなたの家庭や気分の中へ持ち込んでくる俗物根性を、予防するてだては絶対にない。
たとえば私は、グネッケルが家へ来るたびに妻の顔にあらわれるあの乙にすました表情を、どうしてもがまんすることができない。またわれわれの生活がいかに豪奢をきわめているかということを、グネッケルにまのあたり見てもらおうというので、
彼が来たときだけラフィト酒や、ポートワインや、シェリーのびんをずらりと食卓にならべることも気になってしかたがない。それからリーザが音楽学校でおぼえてきたとぎれとぎれの笑い方や、男の客が来ているときに妙に眼を細くするくせも不愉快でたまらない。
(チェーホフ『たいくつな話』)

ところが、今は私はもう王さまじゃない。奴隷にしかふさわしくないことが私の内部におこっている。昼も夜も頭にうかんでくるのは意地の悪い考えばかりだし、心の中には今まで経験したこともない感情ばかりが巣くっている。私はしょっちゅう憎んだり、軽蔑したり、悲憤慷慨したり、恐れたりしている。
私は極端にやかましい、気難かしい、怒りっぽい、無愛想な、疑い深い男になってしまった。昔なら、駄洒落のひとつも言って大笑いすれば気が済んだようなことにさえ、いちいちこだわってやりきれない気分になる。それから理屈の立て方も変った。昔はお金だけを軽蔑していたものだが、今はお金でなしに、
金持連中がむやみににくい。ところが悪いのは何もその人たちではないのだ。それから以前は暴力や横暴なふるまいが憎かったが、今では暴力を用いる連中が憎らしい。ところがこれもよく考えてみると、お互にいい感化を及ぼすことができずにいる我々も悪いのだ。
(チェーホフ『たいくつな話』)

そのうえ彼はなかなかの役者だ、巧みな偽善者だ、何もかもよくわきまえたものさ。たとえばやつの舌先の手品を見てみたまえ。文明にたいする彼の態度でもいい。文明のブの字も嗅いだことがないくせに、『ああ、僕たちはどこまで文明に毒されているのだ! ああ僕はじつに野蛮人がうらやましい。
文明の何かを知らぬ自然児がうらやましい』などと言う。してみるとやつはかつての昔、全身全霊を挙げて文明に捧げたことがあると見える。文明に仕え、文明の奥の奥まで理解したにもかかわらず、文明は彼を倦ませ、幻滅させ、裏切り去ったものと見える。すなわち彼はファウストだ、第二のトルストイだ。
……ショペンハウエルやスペンサーに至ってはまるで小僧っ児扱いで、親爺然と肩でもぽんと叩いて、『おいどうだい、スペンサー』といった調子だ。もちろんスペンサーなんか一行だって読んじゃいないんだが、自分の女の話をして、『とにかくスペンサーを読んだ女だからね』などと
なにげない軽い皮肉を言う時にゃ、まったく可愛くなるよ。ところがみんなおとなしく聴いている。あの山師にはスペンサーのことをそんなふうに言う資格はおろか、その靴の裏に接吻する資格だってないことを、だれ一人わかろうとはしないんだ。
(チェーホフ『決闘』)

ところが百姓連中ときたら、じつに単調で、無知蒙昧で、不潔きわまる暮しをしているし、インテリ連中はどうかというと、これまた、どうも反りが合わない。頭が痛くなるんですよ。つきあい仲間のインテリ連中は、だれもかれも、料簡は狭いし、感じ方は浅いし、目さきのことしか何も見えない──つまり、
どだいもう馬麗なんです。一方、少しは利口で骨のある手合いは、ヒステリーで、分析きちがいで、反省反省で骨身をけずられています。……そうした手合いは、愚痴をこぼす、人間嫌いを標榜する、病的なほど人の悪口をいう、人に近づくにも横合いから寄っていって、
じろりと横目で睨んで「ああ、こいつは気ちがいだよ」とか、「こいつは法螺吹きだよ」とか決めてしまう。相手の額に、どんなレッテルを貼っていいかわからなくなると、「こいつは妙なやつだ」と言う。
(チェーホフ『ワーニャ伯父さん』)

あなたは立派で教養も教育もおありで、とても潔白で真直ぐで、ちゃんとした主義をお持ちですけれど、それがみんな、どこでもあなたのいらっしゃるところへは、所きらわず一種むっとする空気や圧迫の感じや、なにかしらとても人の気を悪くするような、見下げるような気分を持ち込む結果になるのですわ。
あなたはご自分の立派な考え方がおありなので、世の中の何もかもがお嫌いなのですわ。信仰は未開と無知の現われだというので信者もお嫌い、かと思うと信仰も理想もないからといって不信心者もお嫌いですし、旧弊で保守主義だといって老人もお嫌い、自由思想だといって若い人もお嫌いです。
あなたは国民とロシヤの利益を尊重していらっしゃるもので、だれを見ても泥棒や追剥に見えて、国民がお嫌いですのね。あなたはだれもかれもお嫌いなのですわ。あなたは真直ぐなかたでいつも法律一点張りだもんで、しょっちゅうお百姓や近所の人を相手に裁判を起していらっしゃる。
(チェーホフ『妻』)

「神あり」と「神なし」との間には非常に広大な原野が横たわっている。真の智者は、大きな困難に堪えてそれを踏破するのだ。ロシヤ人は、この両極端のうちどっちか一つを知っているが、その中間には興味を持たない。ロシヤ人はふつう、まるっきり無知か、ないしは非常に無知なのだ。
(チェーホフ 手帖)

だれもかもが、私の芝居を観て即座に何か教わろう、何かしら利益を汲みとろうと思って、劇場へ押しかけます。しかしお断わりしておきますがね、私にはそんなやくざ者のお相手をしている暇はないのです。
(チェーホフ 手帖)

ラ・ロシュフコー

われわれは、自分がじっさいに持っている欠点とは正反対の欠点を自慢したがる。それゆえ、気弱な人間は頑固であることを自慢する。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

自己愛がときにこのうえなく厳格な禁欲に加担し、大胆にも自分を滅ぼすべく、それと一致協力することがあっても驚くには当たらない。というのも、自己愛は、あるところでは自分を滅ぼすとしても、それと同時に、別のところではちゃっかりと自分を復活させているのだ。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

自分がこれからすることに責任を持つなら、自分の運にも責任を持たねばならないだろう。
我々は、自分が、たった今、何を望んでいるのか、それすら正確には分からない。だとすれば一体どうしたら、将来において自分が望むであろうことに責任が持てると言えるだろうか。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

世に広く受け入れられている意見にさえ、頑固に反対し続ける人がいるが、それは彼が無知だからというよりも、むしろプライドが高いからである。正論派の上席はすでにふさがっているから、もはや先頭に立てないのが悔しいうえに、しんがりになるのは絶対にいやなのだ。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

恋の喜びは愛することにある。それゆえ、恋において、人が幸福であるのは、自分が抱く情熱によってであって、自分が相手に抱かせる情熱によってではない。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

私が取り上げたいのは、来世への希望もなしに、ただ自分の力によって、死を平然と迎えられるとうそぶく異教徒たちの自己欺瞞についてである。ひたすら死の恐怖に耐えるということと、死を侮ることとは、まったく違う。前者はごく普通のことであるが、後者はけっして本心ではないと私は思う。ところが、
死ぬのは何でもないということを強く主張するあらゆる文章が書かれ、英雄はもとより、もっとも弱い人々までが、この意見を正当化すべく、無数の実例を提供してきたことはよく知られている。しかし私は、良識のある人なら誰もそんなことは決して信じないだろうと思う。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)

リヒテンベルク

ゴットフリート・ケラー

フランクル

そしていつか、解放された人びとが強制収容所のすべての体験を振り返り、奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。収容所の日々が要請したあれらすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、われながらさっぱりわからないのだ。
そして、人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日(もちろん自由な一日だ)があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるのだろう。
ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。
(フランクル『夜と霧』)

「生きる屍」になったという実感は、さらなるほかの要因によっていっそう強まった。この拘束は無期限らしいとの感触が徐々に強まると、空間的な制限、すなわち拘禁ということもまたひしひしと感じられてくる。鉄条網の外にあるものは、とたんに近づきえないもの、手の届かないものとなり、
ついにはどこか非現実なものとなる。収容所の外の出来事も人間もふつうの生活も、収容所にいる者には、なにもかもがどこか幽霊じみた、非現実なものに思えてくる。ちらとでも外を垣間見ることができたときには、外の生活は被収容者の目に、
まるで死者が「彼岸」から此岸をながめおろしているかのように映る。それで、被収容者は目の前に広がるふつうの世界にたいして、時がたつにつれ、まるでこの「世界はもうない」かのような感覚をもたざるをえないのだ。
(フランクル『夜と霧』)

現実をまるごと無価値なものに貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえ、ついには節操を失い、堕落することにつながった。なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。
収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受けとめず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていた方が得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。
(フランクル『夜と霧』)

だがすべての状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象するのであり、そのたびに問いにたいするたったひとつの、ふたつとない正しい「答え」だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、
たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。
だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。
わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。
(フランクル『夜と霧』)

アンネ・フランク

わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
(アンネの日記 1944.4.5)

オルテガ

今日私たちが立ち会っているのは、超デモクラシーの勝利という事態である。そこでは、大衆が法に対する情熱のないまま直接行動に訴え、物理的圧力をもって自分たちの望みや好みをごり押ししている。これらの新しい状況を、あたかも大衆が政治にうんざりして、専門家にその実践をまかせ切ってしまった
と考えるのは間違いである。
確かに、昔は専門家に任せ、自由主義的デモクラシーはそのようなものとしてあったかも知れない。大衆はつまるところ、政治家という少数者が、たとえ欠点や傷はあろうとも、自分たちよりいくぶんかは政治問題を理解していると考えていた。ところが、いまや大衆は、
自分たちがカフェで話題にしたことを他に押しつけ、それに法としての力を付与する権利があると信じているのだ。私には多勢の者が直接支配するようになった今のような時代が、歴史の上で他にもあったとは思えない。だからこそ私は、超デモクラシーだと言っているのだ。
(オルテガ『大衆の反逆』第1部1)

マッハ

私としては、進化論はどういうかたちのものであれ、修正可能な、いっそう厳密にされるべき自然科学上の作業仮説とみなしており、この作業仮説が価値をもつのは、それが、経験に与えられたものの暫定的な理解を容易ならしめるかぎりにおいてのみであると考えていること、
このことをはっきり付言しておきたい。生物学的研究のみならず、あらゆる研究がダーウィンの進化論によって、力強い飛躍をとげたのを共体験してきた私にとっては、この作業仮説の価値はたしかに非常に大なるものである。
(マッハ『感覚の分析』)

コペルニクスやダーウィンの本当の功績とは、真の理論を発見したことではなく、実り豊かな新しい見方を発見したことである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.11.22)

私が自然科学方法論および認識心理学上の関心から取り組んできた仕事は、以下の点にその眼目がある。私は何よりも、自然科学の中に何らかの新しい哲学を持ち込むのではなく、古ぼけて役に立たなくなった哲学を自然科学から取り除こうと努めてきた。それにしても、この努力はかなりの自然科学者たちから
全く悪意に解されている。時代の流れの中に登場したあまたの哲学説の中には、いうならば、哲学者自身が誤謬と認めるものや、あるいはあまりに見えすいた説明なので偏見のない人であれば誰でも容易に誤謬と認めるような哲学説が少なからず存在している。これらの哲学説は自然科学の中で、細心な批判にも
ほとんど晒されることなく長い間生き続けてきており、それはあたかも、無防備な動物種が孤島に隔離されて敵から保護されているようなものだ。自然科学において役に立たぬばかりか、有害無益な似而非問題を生み出すこのような哲学説は、当然ながら廃棄されるに如くはない。
(マッハ『時間と空間』序文)

私は父の書斎で非常に早い時期に(十五歳くらいのとき)、カントの『プロレゴーメナ』を手にしたのであったが、これを想うとき、私はいつも、すこぶる運がよかったという感懐にうたれる。私はこの本を読んで、強烈な、消しがたい感銘をうけた。その後哲学書を読んでこれほどの感銘をうけたことはない。
それから二、三年たって、私は〈物自体〉が果たしているなくもがなの役割にふと気づいた。ある晴れた夏の日に──そのとき戸外にいたのだが──突如として、私の自我をもふくめた世界は連関しあった感覚の一集団である、ただ、自我においてはいっそう強く連関しあっているだけだ、と思えた。
われわれは物理学説における価値あるものと一緒に、必ず誤った形而上学説のなにがしかを受け容れてしまっている。この形而上学的夾雑物は、当の物理学説が膾炙しているばあいには、堅持さるべきものからの剥離がことに困難である。
あまつさえ、旧来の本能的なものの見方が、時折、抑えがたい力でもちあがってきてさまたげになった。
(マッハ『感覚の分析』)

ユゴー

いま人が直面しようとするのは、刑罰の変更にである。キリストの穏和な掟は、ついに法典にもはいりこみ、法典を貫いて光り輝くだろう。罪悪は一つの病気と見られるだろう。そしてその病気には、医者があって裁判官のかわりとなり、病院があって徒刑場のかわりとなるだろう。
自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火とが当てられたところに香料と油とが塗られるだろう。憤怒をもって処置されたその病苦は慈愛をもって処置されるだろう。それは単純な崇高なことだろう。磔刑台のかわりに据えられた十字架。それだけのことである。
(ユゴー『死刑囚最後の日』)

決して盗賊や殺人者を恐れてはいけない。それらは外部の危険で小さなものだ。我々は我々自身を恐れなければならない。偏見は盗賊であり、悪徳は殺人者である。大きな危険は我々の内部にある。我々の頭や財布を脅かすものは何でもない。我々の霊を脅かすものを考えよ。
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

人の瞑想には際限がない。それは自ら危難を冒しておのれの眩惑を分析し推究する。一種の荘厳な反動によって自然を眩惑するともほとんど言い得るであろう。吾人を囲む神秘な世界はその受けしところのものを返して、おそらく観者は被観者となるであろう。
それはともかくとして、地上にはある種の人──それは果して人であるか?──がいる。彼らは夢想の地平の奥の絶対境の高地を明らかに認め、無限の山の恐ろしい幻を見る。しかしビヤンヴニュ閣下はそういう人々の一人ではなかった。彼は天才ではなかった。彼はその高遠なる境地を恐れた。ある者は、
そしてスウェデンボルグやパスカルのごとき偉大な人さえ、その境地から転落して正気を失ったのであった。確かにそれらの力強い夢想は精神的効果を有する、そしてその険しい道によって人は理想的完全の域に近づく。しかし司教は簡略な道を選んだ、すなわち福音の道を。
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

世の人々が声高く叫びたやすく怒るのを見る時、彼はほほえみながら言うのであった。「おおおお、世人が皆犯しているこのことは大いなる罪のように見える。それ、脅かされた偽善が、抗弁することを急ぎ、おのれを隠すことを急いでいる。」
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

彼はあの「既になされた決心」なるものについて自ら問いただした。頭のうちで自ら処置したところのものは奇怪なことであり、「なるがままに任せるがいい、善良なる神の御手に任しておくがいい」ということはただただ恐ろしいことであると、彼は自ら認めた。運命と人間の誤謬をそのまま遂げしむること、
それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣なる偽善の最後の段階ではないか。それは賤しい卑怯な陰険な唾棄すべきまた嫌悪すべき罪悪ではないか!
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

体系的思想の皆無と行為の豊富。深遠な推論は眩迷をきたすものだ。司教が神秘な考察のうちに頭をつき込んだ徴は何もない。使徒たる者は大胆なるもいい、しかし司教たるものは小心でなければならない。言わば恐るべき偉大な精神のために取り置かれているある種の問題にあまり深入りして探究することを、
彼はおそらく差し控えたであろう。謎の戸口の下には犯すべからざる恐怖がある。そのほの暗い入り口はそこにうち開いているが、人生の旅人なる汝らには、入るべからずと何物かがささやく。そこに足をふみ入れる者は禍なるかな! 抽象と純粋思索との異常な深淵のうちにおいて、
言わばあらゆる信条の上高く座を占めて、天才らはおのれの観念を神に訴える。彼らの祈祷は大胆にも議論の提出であり、彼らの礼拝は質疑である。その峻嶮を試みんとする人にとっては、それは多大の憂苦と責任とのこもった直接的宗教である。
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

世には黄金を採掘するために働いている人々がいる。司教は憐憫を引き出すために働いていた。全世界の悲惨は彼の鉱区であった。いたる所に苦しみがあることは、常に親切を施すの機縁となるばかりであった。汝ら互いに愛せよ。彼はその言を完全なるものとして、それ以上を何も希わなかった。
そこに彼の教理のすべてがあった。ある日、前に述べたあの自ら「哲学者」と思っている上院議員は司教に言った。「だがまず世界の光景を見らるるがいい。あらゆるものは皆互いに戦っている。最も強い者が最も知力を持っている。君の汝ら互いに愛せよは愚なことだ。」
ビヤンヴニュ閣下はあえて論争せずにただ答えた。「なるほど、たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければいけないです。」かくて彼はそこにとじこもり、その中に生き、それに絶対に満足していた。そして他のすべてを傍にうち捨てた。
人をひきつけまた恐れさする不可思議な問題、抽象の不可測な深淵、形而上学の絶壁、使徒にとりては神が中心たり無神論者にとりては虚無が中心たるそれらのあらゆる深奥の理、すなわち、運命、善と悪、存在者相互の戦い、人の良心、動物の専心的な夢遊歩行、死による変形、墳墓の内における生存の反覆、
永続する自我に対する不可解な継承的愛情、本質、実体、無と有、魂、自然、自由、必然など、人類の偉大なる精神がのぞき込むあの陰惨な難問題、ルクレチウスやマヌーや聖パウロやダンテらが無限を凝視して星を生ぜしめるほどの燃え立った目で観想した恐るべき深淵、それらを彼は皆傍にうち捨てた。
ビヤンヴニュ閣下は単に一個の人であった。神秘な問題はこれを外部から観るのみで、それを推究することなく、それを攪拌することなく、それをもっておのれの精神をわずらわすことなく、しかも神秘の闇に対する深き尊敬を魂の中に有している、一個の人にすぎなかった。
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

「なるほど、」と司教は言った、「あなたは悲しみの場所から出てこられた。がお聞きなさい。百人の正しい人々の白衣に対してよりも、悔い改めた一人の罪人の涙にぬれた顔に対して、天にはより多くの喜びがあるでしょう。
もしあなたがその痛ましい場所から、人間に対する憎悪と憤怒との思想を持って出てこられるならば、あなたはあわれむべき人で、もしそこから好意と穏和と平和との思想を持って出てこられるならば、あなたはわれわれのだれよりもまさった人です。」
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第1部)

人々の飢渇に思想を差し出し、すべての者に強壮剤として神の観念を与え、彼らのうちに本心と学問とを親和せしめ、その神秘なる面接によって彼らを正しき人たらしむること、それが真の哲学の使命である。
静観することはやがて行動することになる。絶対的なるものは実際的なるものでなければならない。理想なるものは、人の精神にとっては呼吸し飲み食し得るものでなければならない。「取れよ、これこそわが肉、これこそわが血なり、」というの権利を有するものは、実に理想である。
知恵は一つの神聖なる聖体拝受である。かかる条件においてこそ、知恵は単に無益なる好学心たることを止めて、人類組合の唯一にして最高なる方法とはなるのである。そしてかかる条件においてこそ、知恵は哲学より宗教へまで上りゆくのである。
(ユゴー『レ・ミゼラブル』第2部)

ラディゲ

「地震が起きたのを誰かのせいにすることができるでしょうか? 起きるべきことはいずれ起きるのです。私見によりますと、フランスの方たちはご自分たちの革命を基準にしてロシア革命を見る傾向があまりに強すぎるようです。ロシアのように広大な国では、物事がまったく違った形で進行するのです。
これは私の持論ですが、ロシアで起きていることを革命という言葉で呼ぶのは適当ではないように思います。あれは一つの天災地変です。もちろん、お好きな名前でお呼びになればよいのですが、私自身は、私をあれだけ苦しめた哀れな者たちを責めようとは思いません」
(ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』)

ドルジェル夫人のように明敏な女性が、こんなに太い糸のもつれも解けずにいるのに、読者は驚かれるかもしれない。だが、これまで彼女が自分の心の錯覚を甘やかしつづけてきたため、いまではその錯覚が奴隷として彼女にかしずくようになっていた。奴隷たちは彼女に気に入ってもらおうとせっせと働いた。
一般的に言って、真実は心の奥底から表面に昇ってくる途中で往々にして嘘に変わり、その嘘が実際に効力を発揮してしまうものらしいが、彼女の場合がまさにそれだった。
(ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』)

ブレイク

愚鈍は不埒な行為を包む外套である。
羞恥は高慢の外套である。
監獄は法律の石で造られ、売春宿は宗教の煉瓦で建てられている。
孔雀の高慢は神の栄光である。
山羊の情欲は神の贈り物である。
獅子の怒りは神の知恵である。
女性の裸体は神の作品である。
(ブレイク『地獄の格言』)

狐は罠をとがめても自分はとがめない。
喜びは孕む。悲しみは産む。
男には獅子の毛皮を、女には羊の毛衣を着せよ。
鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情を。
利己的で微笑をたたえた愚者と不機嫌でしかめ面の愚者とは、鞭の道具とされるために両者とも賢者と思われている。
(ブレイク『地獄の格言』)

私は愛を日中の暑熱の中に見つけようと考えた、
しかし甘美な愛は夜の慰め手なのだ。
愛を他人の悲哀の憐れみのなかに捜せ、
別の人の心労の穏やかな安堵のなかに、
夜の闇と冬の雪のなかに、
裸で見捨てられた者のなかに、愛をそこに捜せ。
(ブレイク『ウィリアム・ボンド』)

オスカー・ワイルド

フローベール

ぼくにとって美しいと思われるもの、ぼくが書いてみたいもの、それは何についてでもない書物、外部との繋がりをもたず、地球が支えもなく宙に浮かんでいるように、文体の内的な力でみずからを支えている書物、できれば主題がほとんどないか、少なくとも主題がほとんど見えないような書物です。
最も美しい作品とは、最も素材の少ない作品です。表現が思考に近づけば近づくほど、語は思考に密着して消えてゆき、いっそう美しくなる。
(フローベール 書簡)

誰だって、自分の欲望、思想、苦痛を正確に示すことはできない。そして、人間の言葉は破れ鍋のようなもので、これをたたいて、み空の星を感動させようと思っても、たかが熊を踊らすくらいの曲しか打ち鳴らすことはできないのである。
(フローベール『ボヴァリー夫人』)

モーパッサン

バルザック

世間は天才の力には屈服するが、しかし天才を憎み、それを誹謗するものだ。なにしろ天才は、分け前を分配もしないで自分で一人占めにしちまうからな。
しかし天才がもしもあくまで頑張るなら世間は屈服する、つまりひと言でいえば、世間は、天才を泥の下に埋めさることができない場合には、ひざまずいて崇拝するのさ。
(バルザック『ゴリオ爺さん』)

どの女でもいい。きみのお気に召した一人目の女とつきあってみたまえ。たとえ金があって若くて美人だろうと、きみはとんだ罠に落ちこむことになるよ。嘘だと思うんなら、わしの首と、そこのサラダの根っことを引きかえに、賭けてもいい。世間の女というものはどいつもこいつもみんなたくみに法の掟を
くぐり、なにかにつけて夫と争っているのさ。女が、情人のため、衣装のため、子供のため、家庭のため、あるいは虚栄のため(ただし美徳のためなんてことはまずないね。こいつは確かだ)、どんな手練手管を弄しているか、きみにいちいち説明するとなったらきりがないよ。
(バルザック『ゴリオ爺さん』)

だから、もしきみが、たちまちのうちに出世したいと思うんなら、すでに金があるか、さもなけりゃ金のあるふりをすることだ。金持になるためには、一か八かの大芝居を打たなきゃだめだ。さもなければけちけち暮らすしかないね。ご苦労さまだ!
(バルザック『ゴリオ爺さん』)

シェイクスピア

モリエール

タゴール

ヘルマン・ヘッセ

クラウス

思想は見出されたもの、再び見出されたものである。それを探している者は正直な拾い主であり、たとえ彼より先にもう誰かがその思想を見つけていたとしても、それは彼のものである。
(カール・クラウス『言葉についてのアフォリズム』)

精神分析は自分がそれの治療法だと思い込んでいる精神病である。
(カール・クラウス『言葉についてのアフォリズム』)

詩人の言葉、女の愛──それはいつでも初めて生じるものである。
(カール・クラウス『言葉についてのアフォリズム』)

思想をもたない者の思想によると、ひとつの思想は人がそれを所有し、言葉に表わすときにだけ所有される。彼には次のことがわかっていない。実際には言葉をもち、思想が成長してそれになじむようになる者だけが、思想を所有しているのである。
(カール・クラウス『言葉についてのアフォリズム』)

アンデルセン

「かわいそうに。マッチであたたまろうとしたんだね。」
人びとはささやきました。
だれもこの女の子が、死ぬまえに、どんなに美しいものを見たか、そして光とよろこびに包まれて、大好きなおばあさんと一緒に、神さまのみもとに行ったことを、知りませんでした。
(アンデルセン『マッチ売りの少女』)

マルキ・ド・サド

道楽者も、堕落した人間も、極悪人も、すべてあたしたちぐらいになると、この世の人間や愚かな法律を免れるために、地中の奥底ふかく入りこみたいという望みをいつもいだくようになるのよ
(マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』)

「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「おまえたちの一家の殺戮者でも?」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。」
(マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』)

スタンダール

「収入になる」 この言葉が、諸君の眼にはあんなに美しく映じたこの小都会において、万事を決定する規準となるのだ。町をめぐるさわやかな深い谷々の美に心をひかれてくる他国のびとは、最初この町の住民は「美」に対する感受性に富んでいると思う。事実彼らは自分たちの国の美しさを
しょっちゅう口にしているのだし、彼等がその美しさを大いに尊重していることは否定できない。だが、それはこの風景美が、他国の人々を引きつけて、その落す金で宿屋がもうけ、またそれが入市税というからくりで町に収益をもたらすからに他ならない。
(スタンダール『赤と黒』)

蜉蝣は真夏の朝九時に生まれ、その夕方の五時に死ぬ。どうして夜という言葉を理解できようか?
(スタンダール『赤と黒』)

モ-ム

フィリップは、えび足のために人の嘲笑の的となり、否応なしに無邪気な子供時代を脱して、自我に目覚めざるをえなかった。自分の置かれていた状況は特殊なものなので、一般の場合にあてはまる人生の規則は役立たない。どうしても自分の頭で考えて行動してゆかなくてはならない。
(モーム『人間の絆』)

サン=テグジュペリ

シラー

ヴォルテール

やめろ、そうした不動の必然性なる法則を
いま動揺している私の心におしつけるな
体と心と世界は一本の鎖で縛られていると言うのか
それは学者の夢想、とんでもない妄想である
鎖を手にするのは神であり、神は鎖に縛られない
(ヴォルテール「リスボン大震災に寄せる詩」)

ロマン・ロラン

ベートーヴェン

善くかつ高貴に行動する人間はただその事実だけに拠っても不幸を耐え得るものだということを私は証拠だてたいと願う。
(ベートーヴェン ヴィーン市庁宛の書簡 1819.2.1)

しかし 考えてもみてほしい、6年もの間に 私がどれほどまで絶望的な状況下にいるかを。無能な医者たちにかかったばかりに 容態は悪化してしまった。いつかは快復するだろうという希望のうちに年を重ねているうち、病気の慢性であることを認めざるを得なくなった。
快復がまったく不可能ではないとしても 快癒にはほど遠いだろう。
このため、元は社交的で明るく活溌な性質だった私も、早くから孤立するようになり 独りぼっちの生活を送らなければならなくなった。
折りに触れて 障がいを乗り越え、外に出ようと試みたこともあった。
だが 私は自分の耳が聴こえないことで 二重の悲しみにとらわれ、苛酷にも突き戻されたのだ。私が人々に向かって「もっと大きな声で話してください、叫んでください。私は耳が遠いのですから ! 」などと、どうして言えるだろう。
(ベートーヴェン ハイリゲンシュタットの遺書)

バッハ

それでも罪に逆らいなさい、さもないとその毒があなたをとらえる。サタンに目を奪われてはならない。神を汚す者は死の呪いを受ける。
邪悪な罪は、外面は美しい。しかし人は、その次には悲しみや不愉快とともに多くの不幸を経験する。外から見れば黄金だが、さらに進めば、空虚な影と白く塗った墓が現われる。罪はソドムの林檎に似て、それと交わる者は神の国に入ることはできない。それは鋭い剣のように我々の体と魂とを刺し貫く。
罪を犯す者は悪魔に属している。なぜなら悪魔が彼らを育てたから。しかし、もし人が悪の集団に抵抗したならば、正しい献身をもって抵抗したならば、彼らはすぐに消え去る。
(バッハ カンタータ第54番「いざ罪に抗すべし」)

グールド

そうしますと、これまで通念となってきたような、もっぱら線的な思考に励んだ巨匠というバッハ像が有効でないことがわかるでしょう。彼が史上最大の対位法の名手であったことは疑いようのない事実です。しかし、彼の対位法、彼の線的な処理の巧みさは、作品の構造的輪郭を形作る和声上の戦略に適合し、
それと共存するからこそ意味を成すのです。そうした和声のユニットは、ユニット自体が対位法の広汎な知識と実践の成果であり、信じられないほど複雑な半音階的対斜を用いるかもしれませんし[……]ほかの作曲家がまず試みたことのなかった複雑な対照法に訴えるのです。
ところがバッハの場合、こうした不均衡、こうした対照法、こうした音楽語法の能力の莫大な使用は、進化論的意味合いでは把握できません。
まあ、歴史的に言えば、《フーガの技法》は過去を、《プランデンブルク協奏曲》は未来を見ているのであって、ここで私たちは、
さらにはっきりと理解できるかもしれません。つまり、音楽史に対するバッハの影響を、綜合者としての役割を、そして、世代を超越し、歴史を気にせずに歴史を作ったことを。すなわち、バッハが、言葉本来の意味で、普遍的なものとなったことを。
(『グレン・グールド発言集』バッハの普遍性(1961年))

早い世代の「ロマンティック」な作曲家たち(ショパン、シューマン、シューベルト等々)の中で、実に悲惨なほどに過小評価されている人物がいます。フェリックス・メンデルスゾーンです。ご存じのようにメンデルスゾーンの音楽は、ある程度周期的に、はやりすたりを繰り返しています(例えば
英国ヴィクトリア朝の人々には相当人気がありましたが、逆に現代人にはさっぱりで、多くの人にかなり「やぼったい」と思われています。いや慎重すぎる、と見られているかもしれません)が、私の持論としましては、作曲、特に管弦楽曲において発揮した技法の精妙さという点で、
メンデルスゾーンに匹敵する水準の作曲家は十九世紀にはほとんどいませんし、それどころかあの技法のおかげで、きわめて感動的な、新しい形の敬虔主義が実現されており、私はこの敬虔主義に大いに惹かれているのです。
(『グレン・グールド書簡集』リー・ブラウンへの手紙 1971.4.5)

あくまで個人的見解ですが、対位法は動機を変形させていく無味乾燥な純理論的演習ではなく、むしろ、うまくいけばの話ですが、独立した個々の声部がそれぞれの生を営む作曲技法なのです。当然そこでは、どれほど複雑な対位法的テクスチュアを築くにせよ、個々の音楽的要素には、
ある程度の譲り合いがどうしても必要となります。全体の和声やリズムのペースに順応してもらわなくてはならないからです。しかし本当は、音楽で言えば、お手紙でご指摘の全体主義的な理念がより緻密に表われるのは、ホモフォニックな音楽の方ではありませんか。
ホモフォニックな音楽ではひとつの主題(たいていはソプラノの声部)が注目を集めることが許されており、残りの声部は伴奏役を担うべく統率されているのですから。
(『グレン・グールド書簡集』ロイ・ヴォートへの手紙 1971.8.3)

ナポレオン

ニールス・ボーア

真理には二種類ある。うわっつらの真理では、真理の反対物はもちろんまちがっているけれど、深い真理もあって、そこでは真理の反対物は真理と同じように正しい。
(ニールス・ボーア)

フォン・ノイマン

ジェシー・リバモア

人は何と情報をありがたがることだろう。また、自ら求めるだけでなく、他人にも与えたがる。欲と虚栄を満たすためだ。本当に知的な人までもがそうした情報を求めてさまよう様を見るのは、時に滑稽ですらある。通常、情報の質は問われない。情報でさえあれば構わないのだ。
(ジェシー・リバモア)

ラース・フォン・トリアー

仕事に打ち込めば打ち込むほど、作品に投影される自分の色は薄くなっていくように感じている。登場人物やそれを演じる俳優たちと一緒に作品を掘り下げていくと、映画ではなくドキュメンタリーを撮っているかのように思えてくるのだ。
何かを作るのではなく、既にそこにあるものを探っていくと言ったらいいだろうか。映画作りとは私個人を描くことでも、私の小さな脳みそで考えた出来事を描くことでもない。おそらくもっと深いことなのだ。
(ラース・フォン・トリアー 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を語る)

オーエン・コルファー

孫子

そこで、将軍にとっては五つの危険なことがある。決死の覚悟で〔かけ引きを知らないで〕いるのは殺され、生きることばかりを考えて〔勇気に欠けて〕いるのは捕虜にされ、気みじかで怒りっぽいのは侮られて計略におちいり、利欲がなくて清廉なのは恥ずかしめられて計略におちいり、
兵士を愛するのは兵士の世話で苦労をさせられる。およそこれらの五つのことは、将軍としての過失であり、戦争をするうえで害になることである。軍隊を滅亡させて将軍を戦死させるのは、必ずこの五つの危険のどれかであるから、十分に注意しなければならない。
(孫子 九変篇7)

孫子はいう。昔の戦いに巧みであった人は、まず〔身方を固めて〕だれにもうち勝つことのできない態勢を整えたうえで、敵が〔弱点をあらわして〕だれでもがうち勝てるような態勢になるのを待った。
だれにもうち勝つことのできない態勢〔を作るの〕は身方のことであるが、だれもが勝てる態勢は敵側のことである。だから、戦いに巧みな人でも、〔身方を固めて〕だれにもうち勝つことのできないようにすることはできても、敵が〔弱点をあらわして〕だれでもが勝てるような態勢にさせることはできない。
そこで「勝利は知れていても、それを必ずなしとげるわけにはいかない。」といわれるのである。
だれにもうち勝てない態勢とは守備にかかわることである。だれでもがうち勝てる態勢とは攻撃にかかわることである。守備をするのは〔戦力が〕足りないからで、攻撃をするのは十分の余裕があるからである。
守備の上手な人は大地の底の底にひそみ隠れ、攻撃の上手な人は天界の上の上で行動する。〔どちらにしてもその態勢をあらわさない。〕だから身方を安全にしてしかも完全な勝利をとげることができるのである。
(孫子 形篇1)

論語

子曰く、学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆うし。
(『論語』為政2:15)

老先生の教え。人間は〔君子・小人を問わず誰にでも過ちがあるが〕、その犯した過ちを処理するとき、それぞれその人の人格的段階(党)に応じた形となる。過ちの始末を見れば、当然にその人間性(仁)が分かる。
(『論語』里仁4:7)

老先生の教え。孟之反は自慢をしない人であった。敗走したとき、殿軍の長の役割を果たした。〔そして、安全な陣地にたどり着き、その〕軍門に入ろうとするとき、馬に鞭をあてて急がせ、こう言ったという。「自分から殿をしたわけではござらぬ。馬が進みませんでな」と。
(『論語』雍也6:15)

老先生の教え。中身(内容・本音)が外見(形式・建てまえ)を越えると、〔俺が俺がと〕むき出しで野卑。外見が中身以上であると、〔無難なだけで〕定型的で無味乾燥。内容と形式とがほどよくともに備わって、そうしてはじめて教養人である。
(『論語』雍也6:18)

〔弟子の〕樊遅が、知者(賢人)とは何ですかと質問した。老先生はこうお答えになった。「民としてあるべき規範を身につけるように努力し、神霊を尊び俗化しない。そうであれば知者と言える」と。
すると続いて、仁者(人格者)とは何ですかと質問した。老先生はおっしゃった。「仁者は、過程(困難への取り組み)を第一とし、結果は第二とする。〔そうであるのを〕仁者と言うことができる」と。
(『論語』雍也6:23)

太宰治

自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。
(太宰治『人間失格』)

めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。
人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
(太宰治『人間失格』)

「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、
にわかにそのように見えて来ました。
シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に虻を叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。
(太宰治『人間失格』)

いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。貴族に生れたのは、僕たちの罪でしょうか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠に、たとえばユダの身内の者みたいに、恐縮し、謝罪し、はにかんで生きていなければならない。
(太宰治『斜陽』)

論理は、所謂、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。
歴史、哲学、教育、宗教、法律、政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。
学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。
(太宰治『斜陽』)

結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
(太宰治『斜陽』)

僕の自殺を非難し、あくまでも生き伸びるべきであった、と僕になんの助力も与えず口先だけで、したり顔に批判するひとは、陛下に菓物屋をおひらきなさるよう平気でおすすめ出来るほどの大偉人にちがいございませぬ。
(太宰治『斜陽』)

人間の本性には限界というものがある。喜びにしろ、悲しみにしろ、苦しみにしろ、ある限度までは我慢があるが、そいつを越えると人間はたちまち破滅してしまう。だからこの場合は強いか弱いかが問題じゃなくて、自分の苦しみの限度を持ちこたえることができるかどうかが問題なのだ。
──精神的にせよ、肉体的にせよだ。だからぼくは自殺する人を卑怯だというのは、悪性の熱病で死ぬ人を卑怯だというのと同じように少々おかしかろうっていうんだ
(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』)

ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。
生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。
(太宰治『斜陽』)

太宰治「生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」

カフカ「彼の疲労困憊は、死闘を終えた古代ローマの闘技士のそれである。彼の仕事は、お役所の執務室の片隅を、白い漆喰で塗ることだった。」

「四十になっても五十になっても、くるしさに増減は無いね。」とひとりごとのように呟いた言葉が、どきんと胸にこたえた。
(太宰治『正義と微笑』)

僕は説教は、いやだ。兄さんの説教でも、いやだ。僕は今まで、説教されて、改心した事が、まだいちどもない。お説教している人を、偉いなあと思った事も、まだ一度もない。お説教なんて、自己陶酔だ。わがままな気取りだ。
(太宰治『正義と微笑』)

「善く且つ高貴に行動する人間は唯だその事実だけに拠っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う。」これは、ベートーヴェンの言葉だが、壮烈な覚悟だ。昔の天才たちは、みんな、このような意気込みで戦ったのだ。折れずに、進もう。
(太宰治『正義と微笑』)

無の生活を、どんなに反省しても、整頓しても、やっぱり無である。それを、くどくど書いているのは、実に滑稽である。お前の日記は、もう意味ないぞ。
「吾人が小過失を懺悔するは、他に大過失なき事を世人に信ぜしめんが為のみ。」──ラ・ロシフコオ。
ざまあ見やがれ!
(太宰治『正義と微笑』)

私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります。自分でもそれを下品な嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。
(太宰治『駈込み訴え』)

君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。
(太宰治『パンドラの匣』)

日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたって、それはもう自由思想ではない。それこそ真空管の中の鳩である。真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ。
(太宰治『パンドラの匣』)

おいしさ。舌があれていると、味がわからなくて、ただ量、或いは、歯ごたえ、それだけが問題になるのだ。
(太宰治『如是我聞』)

私は、君たちの所謂「勉強」の精華の翻訳を読ませてもらうことによって、実に非常なたのしみを得た。そのことに就いては、いつも私は君たちにアリガトウの気持を抱き続けて来たつもりである。しかし、君たちのこの頃のエッセイほど、みじめな貧しいものはないとも思っている。
君たちは、(覚えておくがよい)ただの語学の教師なのだ。家庭円満、妻子と共に、おしるこ万才を叫んで、ボオドレエルの紹介文をしたためる滅茶もさることながら、また、原文で読まなければ味がわからぬと言って自身の名訳を誇って売るという矛盾も、さることながら、どだい、君たちには「詩」が、まるで
わかっていないようだ。
イエスから逃げ、詩から逃げ、ただの語学の教師と言われるのも口惜しく、ジャアナリズムの注文に応じて、何やら「ラビ」を装っている様子だが、君たちが、世の中に多少でも信頼を得ている最後の一つのものは何か。知りつつ、それを我が身の「地位」の保全のために、それとなく
利用しているのならば、みっともないぞ。
教養? それにも自信がないだろう。どだい、どれがおいしくて、どれがまずいのか、香気も、臭気も、区別が出来やしないんだから。ひとがいいと言う外国の「文豪」或いは「天才」を、百年もたってから、ただ、いいというだけなんだから。
(太宰治『如是我聞』)

彼らは言ふのみにて行はぬなり。また重き荷を括りて人の肩にのせ、己は指にて之を動かさんともせず。凡てその所作は人に見られん為にするなり、即ちその経札を幅広くし、衣の総を大きくし、饗宴の上席、会堂の上座、市場にての敬礼、また人にラビと呼ばるることを好む。されど汝らはラビの称を受くな。
禍害なるかな、偽善なる学者、なんぢらは人の前に天国を閉して、自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。盲目なる手引よ、汝らは蚋を漉し出して駱駝を呑むなり。禍害なるかな、偽善なる学者、外は人に正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、
汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与くみせざりしものを」と。かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら証す。汝ら己が先祖の桝目を充たせ。蛇よ、蝮の裔よ、汝ら争でゲヘナの刑罰を避け得んや。
(太宰治『如是我聞』)

主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。複雑という事は、かえって無思想の人の表情なのです。それこそ、本当の無学です。
(太宰治『風の便り』)

自分の作品のよしあしは自分が最もよく知っている。千に一つでもおのれによしと許した作品があったならば、さいわいこれに過ぎたるはないのである。おのおの、よくその胸に聞きたまえ。
(太宰治『もの思う葦』)

人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。
(太宰治『もの思う葦』)

知っていながらその告白を強いる。なんといういんけんな刑罰であろう。
(太宰治『葉』)

歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。
少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
(太宰治『走れメロス』)

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」
(太宰治『走れメロス』)

兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だといふ事がわかつた。この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。さうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。
(太宰治『お伽草紙』カチカチ山)

人に教えたり、人に号令したりする資格は、私には全然ありません。いや、能力が無いのです。私はいつでも自分の触覚した感動だけを書いているのです。私は単純な、感激居士なのかも知れません。
私には何も、わかりません。世の中の見透しなども出来ません。私は貧しい庶民です。けれども自分ひとりの感動の有無だけは、いつでも正直に表現していたいと思っています。
(太宰治『風の便り』)

せめて誠実な人間でだけありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。
(太宰治『風の便り』)

明日の事を思うな、とあの人も言って居られます。朝めざめて、きょう一日を、充分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました。虚栄や打算で無い勉強が、少しずつ出来るようになりました。明日をたのんで、
その場をごまかして置くような事も今は、なくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。決して虚無では、ありません。いまの私にとって、一日一日の努力が、全生涯の努力であります。
戦地の人々も、おそらく同じ気持ちだと思います。叔母さんも、これからは買い溜などは、およしなさい。
疑って失敗する事ほど醜い生きかたは、ありません。私たちは、信じているのです。一寸の虫にも、五分の赤心がありました。苦笑なさっては、いけません。無邪気に信じている者だけが、のんきであります。私は文学をやめません。私は信じて成功するのです。御安心下さい。
(太宰治『私信』)

信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。
信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。
むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜!
だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。
不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。
「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。
甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。
(太宰治『かすかな声』)

私の家の庭にも、ときたま、蟹が這って来る。君は、芥子つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、凝然とした。
(太宰治『もの思う葦』)

ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、ロココが好きだ。
(太宰治『女生徒』)

どうも、みんな、佳い言葉を使い過ぎます。美辞を姦するおもむきがあります。鴎外がうまい事を言っています。
「酒を傾けて酵母を啜るに至るべからず。」
故に曰く、私には好きな言葉は無い。
(太宰治『わが愛好する言葉』)

私は野暮な田舍者なので、詩人のベレエ帽や、ビロオドのズボンなど見ると、どうにも落ちつかず、またその作品といふものを拜見しても、散文をただやたらに行をかへて書いて讀みにくくして、意味ありげに見せかけてゐるとしか思はれず、もとから詩人と自稱する人たちを、いけ好かなく思つてゐた。
黒眼鏡をかけたスパイは、スパイとして使ひものにならないのと同樣に、所謂「詩人らしい」虚榮のヒステリズムは、文學の不潔な虱だとさへ思つてゐた。「詩人らしい」といふ言葉にさへぞつとした。けれども、津村信夫の仲間の詩人たちは、そんな氣障なものではなかつた。
(太宰治『郷愁』)

孤高。それは、昔から下手なお世辞の言葉として使い古され、そのお世辞を奉られている人にお目にかかってみると、ただいやな人間で、誰でもその人につき合うのはご免、そのような質の人が多いようである。そうして、その所謂「孤高」の人は、やたらと口をゆがめて「群」をののしる。
なぜ、どうしてののしるのかわけがわからぬ。ただ「群」をののしり、己れの所謂「孤高」を誇るのが、外国にも、日本にも昔はみな偉い人たちが「孤高」であったという伝説に便乗して、以て吾が身の侘びしさをごまかしている様子のようにも思われる。
「孤高」と自らを号しているものには
注意をしなければならぬ。第一、それは、キザである。ほとんど例外なく、「見破られかけたタルチュフ」である。どだい、この世の中に、「孤高」ということは、無いのである。孤独ということは、あり得るかもしれない。いや、むしろ、「孤低」の人こそ多いように思われる。
(太宰治『徒党について』)

私はいまジャーナリズムのヒステリックな叫びの全部に反対であります。戦争中に、あんなにグロテスクな嘘をさかんに書き並べて、こんどはくるりと裏がえしの同様の嘘をまた書き並べています。講談社がキングという雑誌を復活させたという新聞広告を見て、私は列国の教養人に対し、冷汗をかきました。
恥ずかしくてならないのです。
どうして、こんなに厚顔無恥なのでしょう。カルチベートされた人間は、てれる事を知っています。レニンは、とても、てれやだったそうではありませんか。
(太宰治『返事』)

はにかみを忘れた国は、文明国で無い。いまのソ聯は、どうでしょうか。いまの日本の共産党は、どうでしょうか。
私たちの魯迅先生が、いま生きていたら、何と言われるでしょう。また、プウシキンの読者だったあのレニンが、いま生きていたら、何と言うでしょう。
またまた、イデオロギイ小説が、はやるのでしょうか。あれは対戦中の右翼小説ほどひどくは無いが、しかし小うるさい点に於いては、どっちもどっちというところです。私は無頼派(リベルタン)です。束縛に反抗します。時を得顔のものを嘲笑します。だから、いつまで経っても、出世できない様子です。
私はいまは保守党に加盟しようと思っています。こんな事を思いつくのは私の宿命です。私はいささかでも便乗みたいな事は、てれくさくて、とても、ダメなのです。
(太宰治『返事』)

チャーチル「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない。」

太宰治「十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。」

それから、寒い六畳間のまんなかに、ひとり坐って物案じいたしましたが、べつだん何のいい工夫も思い浮びませんでしたので、立って羽織を脱いで、坊やの寝ている蒲団にもぐり、坊やの頭を撫でながら、いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました。
(太宰治『ヴィヨンの妻』)

人間の一生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。
(太宰治『ヴィヨンの妻』)

ソクラテス「生きるために食べよ、食べるために生きるな」

イエス「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」

太宰治「めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした」

三島由紀夫

「おい、あの伝単はほんとうだよ」
──彼は庭から入ってきて縁側に腰を下ろすとすぐこう言った。そして確かな筋からきいたという原文の英文の写しを私に示した。
私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、
ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

幼年時代は時間と空間の紛糾した舞台である。たとえば火山の爆発とか叛乱軍の鋒起とか大人から告げられた諸国のニュースと、目前で起っている祖母の発作や家のなかのこまごました諍いごとと、今しがたそこへ没入していたお伽噺の世界の空想的な事件と、これら三つのものが、いつも私には等価値の、
同系列のものに思われた。私にはこの世界が積木の構築以上に複雑なものとは思えず、やがて私がそこへ行かねばならぬいわゆる「社会」が、お伽噺の「世間」以上に陸離たるものとは思えなかった。一つの限定が無意識裡にはじまっていた。
そしてあらゆる空想は、はじめから、この限定へ立向う抵抗の下に、ふしぎに完全な・それ自体一つの熱烈な願いにも似た絶望を、滲ませていた。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

人生は舞台のようなものであるとは誰しもいう。しかし私のように、少年期のおわりごろから、人生というものは舞台だという意識にとらわれつづけた人間が数多くいるとは思われない。それはすでに一つの確たる意識であったが、いかにも素朴な・経験の浅さとそれがまざり合っていたので、
私は心のどこかで私のようにして人は人生へ出発するものではないという疑惑を抱きながらも、心の七割方では、誰しもこのように人生をはじめるものだと思い込んでいることができた。私は楽天的に、とにかく演技をやり了せれば幕が閉まるものだと信じていた。私の早死の仮説がこれに与った。
しかし後になって、この楽天主義は、というよりは夢想は、手きびしい報復をこうむるにいたった。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

私が欲望に負ける瞬間はいつもこうだった。私がそこへ行き、そこに立つだろうことが、私には避けがたい行動というよりも予定の行動のように思われるのだった。後年、だから私は自分のことを、「意志的な人間」だと見まちがえたりした。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

生命力、ただ生命力の無益な夥しさが少年たちを圧服したのだった。生命のなかにある過度な感じ、暴力的な、全く生命それ自身のためとしか説明のつかない無目的な感じ、この一種不快なよそよそしい充溢がかれらを圧倒した。
一つの生命が、彼自身のしらぬ間に近江の肉体へしのび入り、彼を占領し、彼を突き破り、彼から溢れ出で、間がな隙がな彼を凌駕しようとたくらんでいた。生命というものはこの点で病気に似ていた。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

──こうした近江への故しれぬ敬慕の心に、私は意識の批判をも、ましてや道徳の批判をも加えるではなかった。意識的な集中が企てられだすと、もうそこには私はいなかった。持続と進行をもたない恋というものがもしあるならば、私の場合こそそれなのであった。
私が近江を見る目はいつも「最初の一瞥」であり、言いうべくんば「劫初の一瞥」だった。無意識の操作がこれに与り、私の十五歳の純潔を、たえず侵蝕作用から守ろうとしていた。
(三島由紀夫『仮面の告白』)

比喩を用ひる。──私は鏡の中に住んでゐる人種だ。諸君の右は私の左だ。私は無益で精巧な一個の逆説だ。
逆手の一つ。──私は自伝の方法として、遠近法の逆を使ふ。諸君はこの前から入つてゆくことはできない。奥から出てくることを強ひられる。遠景は無限に精密に、近景は無限に粗雑にゑがかれる。
絵の無限の奥から前方へ向つて歩んで来て下さい。
逆手の一つ。──将来私の書くであらうあらゆる作品の、内分泌的種明しをここで私はお目にかける。手品のはじめに種明しをするのは、一見世にも愚かな遺口だ。
しかしそれが愚かな遺口であると思はれるのは、諸君が「詩」といふものの古い定義に従つてゐるからだ。 種明しからはじめることが詩の真の機能である所以を、私はこの本で証明したいと思ふ。少くとも私の信奉する詩の正確さは、さういふ点にあるのだから。
(三島由紀夫『序文(「仮面の告白」用)』)

この作品を書くことは私といふ存在の明らかな死であるにもかかはらず、書きながら私は徐々に自分の生を恢復しつゝあるやうな思ひがしてゐる。これは何ごとなのか? この作品を書く前に私が送つてゐた生活は死骸の生活だつた。この告白を書くことによつて私の死が完成するその瞬間に生が恢復しだした。
少くともこれを書き出してから、私にはメランコリーの発作が絶えてゐる。──さういふことは、読者にとつては意味のないことである。読者はここに描かれる性の深淵に目をみはつて下さればよい。この深淵上の綱渡り師の告白が、いささかでも読者の『生』の意味の確認に、裏側から役立てばよいと思ふ。
およそ極度の頽廃は、秩序の模型としてしか、人間の心の中に、住みえないものだからである。とすれば、この書物を書かせたものは私の自尊心であつた。
(三島由紀夫『作者の言葉(仮面の告白)』)

吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。
しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。
(三島由紀夫『金閣寺』)

金閣は私の手のうちに収まる小さな精巧な細工物のように思われる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思われる時があった。美とは小さくも大きくもなく、適度なものだという考えが、少年の私にはなかった。
(三島由紀夫『金閣寺』)

私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。
それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。
(三島由紀夫『金閣寺』)

言葉がおそらくこの場を救う只一つのものだろうと、いつものように私は考えていた。私特有の誤解である。行動が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。それというのも、私の口から言葉が出にくいので、それに気をとられて、行動を忘れてしまうのだ。
(三島由紀夫『金閣寺』)

「だって僕、そんなことはちっとも気にならない性質なんだよ」
私は愕いた。田舎の荒っぽい環境で育った私は、この種のやさしさを知らなかった。私という存在から吃りを差し引いて、なお私でありうるという発見を、鶴川のやさしさが私に教えた。私はすっぱりと裸かにされた快さを隈なく味わった。
鶴川の長い睫にふちどられた目は、私から吃りだけを漉し取って、私を受け容れていた。それまでの私はといえば、吃りであることを無視されることは、それがそのまま、私という存在を抹殺されることだ、と奇妙に信じ込んでいたのだから。
(三島由紀夫『金閣寺』)

醜い女というその言葉が、収の心にいろんなイメージを呼び起した。それは収が或る類型に入れて考えているものの総称であった。この世から見捨てられて、醜さだけを金科玉条にして、醜さ以外のどんな不幸をも軽蔑して、はては醜さを自分の神にしてしまった修道女たち……。
(三島由紀夫『鏡子の家』)

精神分析学というインチキ学問が出て来てから、インテリはみんなこれに染まって、古代民族が表現した率直で自然な人間性を、ヤクザな分析用語で説明した気になっています。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』)

何でもかういふ話のマユツバ的なところは、「正直」といふ美徳を宣伝するために、ごく例外的な美談をもつて来て、納得させようとかかるところである。ところが世間では大てい、正直者が損をするやうになつてゐるのである。
私も、何となく「ウソ」といふドス黒いやうな言葉より、
「正直」といふクリーニング屋からかへつて来たてのワイシャツみたいな白く光つた言葉が好きだし、ウヌボレと虚栄心から、自分を相当な正直者だと思つてゐる。しかし私といへども、損をしたくない、といふ点では、世間並です。
正直すぎると死ぬことさへある。終戦後の食糧難時代に、
ヤミ食糧を絶対に喰べないといふ主義を押しとほして、たうとう栄養失調で死んだ裁判官がありましたが、あんまり人の同情を呼ばなかつたのは「正直」といふ考へと「死」とが直結するやうな例を見せられて、みんな気分が悪くなつたからです。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』大いにウソをつくべし)

お節介は人生の衛生術の一つです。われわれは時々、人の思惑などかまはず、これを行使する必要がある。会社の上役は下僚にいろいろと忠告を与へ、与へられた方は学校の後輩にいろいろと忠告を与へます。子供でさへ、よく犬や猫に念入りに忠告してゐます。全然むだごとで、何の足しにもならないが、
お節介焼きには、一つの長所があつて、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗つかつて、それを安全に行使することができるのです。人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないといふ人の人生は永遠にバラ色です。なぜならお節介や忠告は、もつとも
不道徳な快楽の一つだからです。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』うんとお節介を焼くべし)

かういふ人たちの人生はバラ色です。何故ならいつまでたつても自分の顔は見えず、人の顔ばかり見えてゐるので、これこそ人生を幸福に暮す秘訣なのです。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』うんとお節介を焼くべし)

人生には濃いうすい、多い少ない、といふことはありません。誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多く恋愛について知つてゐるとはいへないのが、人生の面白味ですが、同時に、小説家のはうが読者より人生をよく知つてゐて、人に道標を
与へることができる、などといふのも完全な迷信です。小説家自身が人生にアップアップしてゐるのであつて、それから木片につかまつて、一息ついてゐる姿が、すなはち彼の小説を書いてゐる姿です。小説家が人に与へることのできる人生相談の正直な解答は、ただ一つ、『あなたも小説をお書きなさい』
といふことだけです。ところで小説には才能が必要で、誰でも小説を書けるといふものぢやありません。ですから、こんな解答は全然無価値です。
もつともらしい人生案内の解答を与へてゐる先生を見たら、眉にツバをつけなければいけませんよ」
(三島由紀夫『不道徳教育講座』小説家を尊敬するなかれ)

キリスト教があんなに力を持つたのは、あきらかに殉教者のおかげであり、それはつまり「殺される」道徳の力でした。共産主義も、「殺す」道徳、つまり革命といふ道徳が、その力の根源でした。
すると今では、大江健三郎氏のいふやうに、自殺道徳が唯一のものなのでせうか? なるほど現代の犯罪は、
みんな自殺に似てゐる。現代の殺意は、追ひつめてゆくと、みんな、「自分に対する殺意」に帰着します。もちろんギリシアの昔から、自殺の哲学といふものはありました。
しかし私は、臆病なせゐか、こんな説には賛成することができません。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』をはり悪ければすべて悪し)

私は今までどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった。
(三島由紀夫『美と共同体と東大闘争』)

そもそも作品以外のどこに作者の本音があるだらう。附け加へた言葉は整形手術のやうなものである。鼻のひくいおかめ面の作品を書いておいて、「作者の言葉」で整形手術的言辞を弄する。神の与へた容貌の一部の変改は、自然の調和をやぶつて、もつとをかしなものにしてしまふにきまつてゐる。
いきほひ舞台を見てみても、むりに高くした鼻ばかり目について、顔全体が見えなくなる。せつかく粋な目もとの持主が、不自然に盛り上げた鼻のおかげで、相殺されてしまふ。かさねがさねも整形手術は施すまじきことである。
(三島由紀夫『作者の言葉(「灯台」初演について)』)

日本の新劇から教壇臭、教訓臭、優等生臭、インテリ的胆つ玉の小ささ、さういふものが完全に払拭されないと芝居が面白くならない。そのためにはもつと歌舞伎を見習ふがよいのである。演劇とはスキャンダルだ。南北の「独道中五十三駅」の序幕の幕開きは、坊主願哲が仲間を絞殺してゐるところである。
世話狂言の序幕の約束を破つた突飛な幕開きで、おそらく序幕の筆者は南北自身ではあるまいが、構想は南北が考へたものであらう。こんな時代には、序幕の幕があくと牧師が巡査を絞め殺してゐるやうな新劇が出てもよいではないか。
後進国の例にもれず、芸術性と啓蒙性がいたるところで混同されてゐる例は、戦争中の御用文学にあらはれ、今日また平和運動と文学とのあいまいな関聯を皆がつきとめないで甲論乙駁してゐる情景に見られるのである。
(三島由紀夫『戯曲を書きたがる小説書きのノート』)

たとへば禅が不立文字をとなへるのは、禅といふものが、「自己自身になりきること」を直接の道標とするからであらう。自己自身になりきることが一生の道標である点では、文学もかはりがない。ただそれが直接の道標ではないだけである。直接の道標であれば作品は要らない。
しかし文学にも「自己自身になりきること」をまつたく目睹しない文学がある。それを啓蒙文学といひ、他者のための文学といひ、あるひはイデオロギー文学といふ。作品にイデオロギーの出てゐる事が悪いのではない。最後の道標を見失ひがちなのが悪いのである。
(三島由紀夫『極く短かい小説の効用』)

古い社会では、男の虚栄心が公的に是認され、公的な意味をつけられてゐた。封建時代の武士の体面や名前といふものがそれである。男性の虚栄心に公的な意味をつけておくことは、社会の秩序の維持のために、大へん有利でもあるし、安全でもある。金縛りよりもずつと上乗な手段である。
女の虚栄心は、右のやうな社会的利用度が低かつたために、日常茶飯の俗事に際してあらはれることが多く、それだけ人目につきやすく、それだけ尻尾を出しやすい。だからといつて虚栄心を女の専売特許のやうに云はれては気の毒である。
旦那は昼間の仕事で外向的に「男性虚栄エネルギー」を発散して帰つて来るから、家へかへると概して虚栄心には恬淡なやうな顔をして、猿股一枚で動物園の動物のやうに歩きまはつたり寝ころがつたりしてゐる。奥さんは「女性虚栄エネルギー」の発散の場に苦しみ、あるひは良人に、あるひは財産に、
あるひは家に、あるひは着物に、あるひは子供に仮託して、男が「みにくい虚栄心」と批評するところの、単純直截、あたり憚らぬお人好しの自慢話を、相手かまはずしないではゐられない。出身女学校のクラス会の如き、目をおほひたい惨状を呈するのも当然である。
大事な息子を失くしたある夫人が、お通夜のあひだ泣き明かして、皆が慰めるのに閉口したあげく、たまたま一人のとんちきな客が、夫人の北軽井沢の別荘のことを話しだすと、夫人は涙を払つてきつとこの客の顔を見上げ、宅は旧軽井沢ですわと訂正を申入れたといふことだ。
(三島由紀夫『虚栄について』)

徹頭徹尾独創的でないところの作品を書きうるほどに文学は新しくなりえない。文学のみならず芸術万般の限界がそこにある。なぜなら文学は不幸にしてまだ終らないから。反之(これにはんし)、歴史はいつも終つてゐる。芸術上の新しさは歴史の新しさの敵ではない。
(三島由紀夫『反時代的な芸術家』)

私は釣の経験をもたないが、釣の面白味がこの瞬間だけに在ることは想像がついてゐた。獲得の一歩手前、九分どほりの確実な希望、逃がすかもしれないといふ一分の危惧、手ごたへで測る魚の大きさ、あるひは目ざす魚でなくて下らない獲物かもしれないといふ危惧、
……かういふ快楽は、人間の発明した大抵の快楽の法則を網羅してゐる。思ふに快楽といふものは、欲望をできるだけ純粋に昂揚させ、その欲望の質を純化して、対象との関はりを最小限に止めしめるものでなければならない。
純化されない欲望は対象にこだはるから、どんな対象もその欲望を満足させず、従つて欲望は真摯になつて快楽から遠ざかる。快楽の対象は、それが得られる前には欲望を昂揚するために十分であり、しかも得られたあとは、欲するものが得られてしまつたといふ絶望を惹起しないために、
出来るだけ以前の欲望を思ひ出させないやうな、皆な客観的価値をもつてゐなければならぬ。その価値はしかし主観的には伸縮自在でなければならぬ。
(三島由紀夫『アポロの杯』フロリダ 1952.1.21-24)

或る種の瞬間の脆い純粋な美の印象は、凡庸な形容にしか身を委さないものである。美は自分の秘密をさとられないために、力めて凡庸さと親しくする。その結果、われわれは本当の美を凡庸だと眺めたり、たゞの凡庸さを美しいと思つたりするのである。
(三島由紀夫『アポロの杯』南米紀行──ブラジル)

──乾いた指尖でモノクルをはめなほしながらラディゲは言つた。「人がシネマの筋を話すやうにあの小説の梗概を話すのをきくのはたまらない。梗概を話す時、人は必ず、小説家にその小説のタネを提供した人間の顔つきになつて話すものだ」
(三島由紀夫『ドルヂェル伯の舞踏会』)

第四講 あつあつのとき
でありますが、こんなことを他人に教はりにゆく馬鹿はありますまい。注意事項だけ列挙します。
(1)他の女のことをむやみとほめないこと。といふのは、その結果、あなたの彼女がその女の悪口をあさましく並べ立てるのをきいて、あなたが興ざめせぬためであります。
もし興ざめしたい場合だつたら、この手を逆用なさい。
(2)好きかどうかをあまり厳密につきつめる会話を避けること。
(3)自分の話を適度にすること。これは一般社会生活の場合と多少ととなります。どこかでモテて、簡単に拒絶した話などは、誇張せず淡々と、品よくお話しなさい。
(4)会ふたびに一つだけ何かほめること。女の髪の形がちがつてゐたら、それを批評すること。但し、三度に一度はその変化に気づかぬふりをして、あんまり細かくないといふ印象を与へること。
(三島由紀夫『若い二人の会話──といふよりも・口説について』)

(5)会話は主に、あまり抽象的でない話をえらぶこと。なるたけガサツで、しかも時々案外と思はせるやうな、子供つぽい無邪気な話をすること。たとへば、きのふたべたアップル・パイが、とてもおいしかつた、など。
(6)自分の家の自慢はせぬこと。男が、自分以外のことに自信をもつてゐるほど、
頼りない感じを与へるものはありません。家がひろくたつて、せまくたつてどのみちそれはあなたのオヤヂさんの家であつて、あなたの家ではありますまい。たとへ財産をゆづられた家であつても。
(7)他の男の悪口を云はぬこと。男の悪口は女の悪口よりももつとききづらい。
もしイヤな奴のことを彼女がほめたら、
「あいつにもいいとこあるね」
ぐらゐにしておくこと。また一方、男の友達の弁護が過度にわたると、彼女はつむじを曲げます。
(三島由紀夫『若い二人の会話──といふよりも・口説について』)

サナトリウムに、今までゐたどの患者よりも重症の患者が入院してくる。すると今までゐたあらゆる患者の自尊心は、五体の健全な人間がさわがしくそこへ入つて来るのを見ることによつてよりも、はるかに甚だしく傷つけられる。かくしてかれらは一人一人のもつてゐた病気の虚栄心を、一転、
健康の虚栄心に切りかへる。俺はお前より毎日二分づつ熱が高いよと自慢してゐた男が、その日から、俺はお前より毎日二分づつ熱が低いよと言ひ出した男に負けるのである。かういふ価値の転換は、あの重症者を無視するための非常手段としてたしかに意味のあることである。彼等は安心して死を嘲けるやうに
なる。しかし万が一、第一の重症者が医者の誤診であつて、一週間もするとぴんぴんして退院してしまつたら、あとはどうなることだらう。
精神の世界では、こんなありえないやうな事件が屡々起るのである。そして寓話的な説明を台無しにしてしまふのがおちである。
(三島由紀夫『重症者の兇器』)

すでに十五歳の私は次のような詩句を書いていた。
「それでも光りは照つてくる
ひとびとは日を讃美する
わたしは暗い坑(あな)のなか
陽をさけ魂(たま)を投げ出(い)だす。」
何と私は仄暗い室内を、本を積み重ねた机のまわりを、私の「坑」を愛していたことだろう。何と私は内省をたのしみ、思索を装い、自分の神経叢の中のかよわい虫のすだきに聴き惚れていたことだろう。
(三島由紀夫『太陽と鉄』)

もし英雄が肉体的概念であるとすれば、独創性の禁止と、古典的範例への忠実が英雄の条件であるべきであり、英雄の言葉は天才の言葉とはちがって、既成概念のなかから選ばれたもっとも壮大高貴な言葉であるべきであり、同時にこれこそ輝ける肉体の言葉と呼ぶべきだったろう。
(三島由紀夫『太陽と鉄』)

以上述べたところでわかるやうに、「葉隠」はさういふ太平の世相に対して、死といふ劇薬の調合を試みたものであつた。この薬は、かつて戦国時代には、日常茶飯のうちに乱用されてゐたものであるが、太平の時代になると、それは劇薬としておそれられ、はばかられてゐた。山本常朝の着目は、
その劇薬の中に人間の精神を病ひからいやすところの、有効な薬効を見いだしたことである。
おそるべき人生知にあふれたこの著者は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。
そして人間が自由を与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。
青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんではじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。
(三島由紀夫『葉隠入門』1)

わたしが考へるのに、「葉隠」はこれを哲学書と見れば三大特色を持つてゐる。一つは行動哲学であり、一つは恋愛哲学であり、一つは生きた哲学である。
第一に行動哲学といふ点では、「葉隠」はいつも主体を重んじて、主体の作用として行動を置き、行動の帰結として死を置いてゐる。
あくまでおのれから発して、おのれ以上のものに没入するためのもつとも有効なる行動の基準を述べたものが「葉隠」の哲学である。したがつて、そこには第三者の立場で、Aなる要素とBなる要素をつき合はせたり、Aなる勢力とBなる勢力をあやつつたりする、マキャベリズムの哲学は出てこない。
これはあくまで主観哲学であつて、客観哲学ではないのである。行動哲学であつて政治哲学ではないのである。
戦時中、政治的に利用された点から、「葉隠」を政治的に解釈する人がまだゐるけれども、「葉隠」には政治的なものはいつさいない。
(三島由紀夫『葉隠入門』2)

われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを主張してゐるのである。
もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
(三島由紀夫『葉隠入門』3 「葉隠」の読み方)

私がもつとも気に喰はないのは、官僚などに巣喰つてゐる文明開化的思考であつて、オリンピックのとき、外人に恥かしいから、トルコ風呂を閉鎖しよう、とか、東京を清潔な都会に見せかけるために、夜十二時すぎの風俗営業を禁止しよう、とかいふ愚かな考へ方である。
かういふ考へ方がのこつてゐる間は、いつまでたつても日本人は、「自然な日本人」になれない。
(三島由紀夫『お茶漬ナショナリズム』)

「彼等」に愛される言葉で語ることを避けようとする誘惑は、私の中でますます強くなつた。フニャフニャした青年たちは、いかにフニャフニャした文学表現を愛するか、そして文学の中に自分の無力と弱さの自己弁護の種子をしか探さないか、といふことが、私には経験上よくわかつてゐたので、
ことさらその種の表現から遠ざかり、もし感傷が必要であれば、その感傷の中にこそ致死量の毒を仕込まうと心がけた。(又私の筆が辷つた。前にも云つたやうに、文学には致死量の毒などはない)
(三島由紀夫『「われら」からの遁走──私の文学』)

女が自分のことを語るときの拙劣さには定評があり、どんなにえらい女でも、彼女が自分の正確な像をつかんでゐると感じられることはめつたにない。どんなに苦労し、どんなに世間智を積んでも、女は自分のこととなると概して盲目で、不可避の愚かしさが、背中の糸屑みたいに必ずついてゐる。そして
知的な女ほど、己惚れもひがみも病的にひどくなつてゐる場合が多い。彼女の理性にはえてして混濁したものがつきまとひ、論理は決して泉の水のやうに明らかに澄み渡ることがない。どうしてであらうか? 私が女と議論することが死ぬほどきらひなのはそのためなのだ。
(三島由紀夫『ナルシシズム論』2)

世にはさまざまな鏡がある。純粋客観としての鏡は、自意識の鏡であり、男の鏡である。純粋主観としての鏡は、自意識の欠如した鏡であり、女の鏡である。前者はナルシシズムの鏡であり、後者は、化粧のための、変容のための鏡である。
(三島由紀夫『ナルシシズム論』3)

──右のやうな抒述から当然察せられるやうに、私は本質的に青年ぎらひだつた。私が文士になつてから、ほぼ二十年間、私の生活は、文学青年を避けつづけてきた。大学の文学部の先生などで、青年の青臭い質問に二六時中親切に受け答へなどをしてゐる男は、
一体どんな神経になつてゐるのかと疑つてみた。そのくせ私は自分の小説の中で、多く青年の理想的な主人公を扱ひ、林房雄氏の小説「青年」の登場人物たちに、人間の一番美しい姿を発見してゐたのである。それでもなほ、私は生身の青年はきらひだつた。
(三島由紀夫『青年について』)

しかし私は、外国人が日本文学の評価を誤る度合は、日本人が日本文学の評価を誤る度合と、ほぼ大差がないと考へる者であり、日本人は自分が犯されてゐる種々の文学的偏見についてかなり無自覚であり、そのために目前の作品が放つてゐる芳香を逸してしまふことがないではない。
又、徒然草以来の半端物愛好の趣味があつて、(実のところ同じ半端物趣味から川端氏の或る種の作品が過大評価されたこともなきにしもあらずだが)、形式的完成美を見のがしやすいのである。
(三島由紀夫 解説(川端康成著「眠れる美女」))

中島敦

「畢竟、俺は俺の愚かさに殉ずる外に途は無いじゃないか。凡てが言われ、考えられた後に結局、人は己が性情の指さす所に従うのだ。その論議・思考と無関係に、である。そして爾後の努力は、凡て、その性情の為した選択へのジャスティフィケイションにのみ注がれるであろう。
考えようによれば、古往今来のあらゆる思想とは、各思想家がそれぞれ自己の性情に向って為したジャスティフィケイションに外ならぬではないか。……」
(中島敦『狼疾記』)

不合理な直接的な確信こそ私たちの内部深くにひそむものであり、合理的な論証はうわべだけの見せものにすぎない。本能が導き、知性はただそれに従うだけである。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)

本性を戸口から追いだせば、窓からとびこんでくる。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

ワイニンゲルによれば、女は、一生の間に自分に向って言われた讃辞をことごとく覚えているものだそうだが、どうやらこれは女ばかりに限らないようだ。そういえば、俺はここ何年何箇月かの間、自分に向って発せられた一つの讃辞をも聞かなかった。
自分の飢えていたのは、こんな詰まらないものに対してだったのか。それでは、それほどちっぽけな虚栄心を充たしたがっているお前が、何故、こんな世間とかけ離れた生活を選んだのだ。
(中島敦『狼疾記』)

なに、己は別に人間生来の本能を軽蔑しようというんじゃない。助平、大いに結構。しかし助平なら助平で、何故堂々と助平らしくしないんだ。気取ったポーズや、手の込んだジャスティフィケイションのかげに助平根性を隠そうとするのが、みっともないと言ってるんだ。この事ばかりではない。他の場合でも
何故もっと率直にすなおに振舞えないんだ。悲しい時には泣き、口惜しい時には地団太を踏み、どんな下品なおかしさでもいいから、おかしいと思ったら大きな口をあいて笑うんだ。世間なんぞ問題にしていないようなことを言って置きながら、結局、自分の仕草の効果をお前は一番気にしているんじゃないか。
もっとも、お前自身が心配するだけで、世間ではお前のことなんか一向気をつけていないんだから、つまりは、お前は、自分に見せるために自分で色々の所作を神経質に演じている訳だ。全く、どうにも手の込んだ大馬鹿野郎・度しがたい大根役者だよ。お前という男は。…………
(中島敦『狼疾記』)

夏目漱石

芥川龍之介

我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化してゐない。
(芥川龍之介『河童』)

人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。
自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。
(芥川龍之介『或旧友へ送る手記』)

宮沢賢治

どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。
(宮沢賢治 最後の手紙 1933.9.11)

谷崎潤一郎

森鴎外

坂口安吾

いったい俺は何者だろう。なんのために生きているのだろう、そういう自問は、もう問いの言葉ではない。自問自体が私の本性で、私の骨で、それが、私という人間だった。
(坂口安吾『私は誰?』)

フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書ける筈がない。
(坂口安吾『不良少年とキリスト』)

文学者、もっと、ひどいのは、哲学者、笑わせるな。哲学。なにが、哲学だい。なんでもありゃしないじゃないか。思索ときやがる。
ヘーゲル、西田幾多郎、なんだい、バカバカしい。六十になっても、人間なんて、不良少年、それだけのことじゃないか。大人ぶるない。冥想ときやがる。
何を冥想していたか。不良少年の冥想と、哲学者の冥想と、どこに違いがあるのか。持って廻っているだけ、大人の方が、バカなテマがかゝっているだけじゃないか。
(坂口安吾『不良少年とキリスト』)

島崎藤村

斯うして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛を忘れる為に飲んだのさ。今では左様ぢや無い、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。
(島崎藤村『破戒』)

思へば今迄の生涯は虚偽の生涯であつた。自分で自分を欺いて居た。あゝ──何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
(島崎藤村『破戒』)

親鸞

念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また 地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。
たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という後悔も候わめ。
いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
(歎異抄 第二章)

キリストがまちがった、このことは証明されたのだ! と言うかもしれない。しかし、身を焦がすようなこの感情は言う、わたしはあなた方といるよりも過ちといっしょに、キリストといっしょにとどまる、と。……
(ドストエフスキー)

たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候。
(歎異抄 第二章)

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背けり。そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。
(歎異抄 第三章)

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
(歎異抄 後序)

如来の強い他力の誓いには、われわれが何べん生きて来ても容易に会えるものではありません。まことの他力の信念は、どれだけ永い歳月をかけても獲がたいことであります。ですから、たまたまその行、信を獲たものは、遠くそれを獲さしてくれた宿縁をよろこばなければなりません。
(親鸞『教行信証』序)

帰命には礼拝がふくまれているけれども、礼拝必ずしも帰命とはいえない。帰命は礼拝であるが、いまいったことから推すと、帰命の方が礼拝よりも重要である。
(親鸞『教行信証』行巻)

大無量寿経に述べられている、──声聞 (自ら阿羅漢になろうとする低劣な修行者) や修行中の菩薩は、(まだ迷いの中にあるから) 仏陀の心を知りつくすことができない。たとえば、生れながらの盲人が、他人のところへ行って、導こうとするようなものである。
如来の知恵海は、深く広く底なしである。声聞乗や縁覚乗などでは測ることができない。ただ、仏のみが、はっきりとおさとりになった。以上。
(親鸞『教行信証』行巻)

曇鸞大師の論註をひもどいてみると、そこに次のように言われている、──天親菩薩が如来に帰依するありさまは、ちょうど、孝子が父母に従い、忠臣が君主に順うように、立居振舞も自分のためではなく、外に出ても、内にいても、みな、父母君主のためであるのに似ている。恩を知って徳に報ずる場合には、
理に従い、自分勝手なことをしないで、まず申し上げてお指図を受くべきだ。また、浄土論を書かせてもらうという願いは決して軽くはない。如来が不思議な力を与えて下さらなかったら、何によってこの願いを遂げることができようか。不可思議なお力をお与え下さるよう乞い奉る。
(親鸞『教行信証』行巻)

無量寿仏の国は、往き易く達し易いのに、人は修行してそこに往生することができず、逆に、九十五種の邪教に従う。私はこの人を評して、眼の無い人、耳の無い人と呼ぼう。経典や仏の教えにはちゃんと以上のことが書いてある。だのになぜ、難行道を捨てて易行道に依らないのか」
(親鸞『教行信証』行巻)

前世に名号を聞くに十分なだけの功徳を積んだ人でないと、この経の名を聞くことはできない。前世に滑らかに戒を守った者が、今生に生まれて来て、いま正法如来の教を聞くのだ。悪心ある者、聞きようの悪い者、教に従うことを怠る者は、この法を聞くことが難しい。前世に諸仏に会ったことのある人々は、
進んで如来の教を聞くだろう。人の世に生まれることはまれだが、その人の世には、仏はおられるけれども、会うのは難しい。仏に会っても、仏を信ずる知恵を得て、仏に近づくことができない。もしも耳に仏法を聞き、目にそれを見ることができたならば、精進して法を求めるがいい。この法を聞いて忘れず、
この法を見て、それを敬い、大いに喜ぶなら、その人は私のよき親友だ。それゆえに菩提心を起しなさい。たとい世界に火がみちていようとも、その中をぬけて行って法を聞くことができる人があったら、その人は未来は仏となって、一切衆生の生老死を救うことになるだろう。以上。
(親鸞『教行信証』行巻)

父王はさらに釈迦に言った、「念仏の功徳はどのようなものかね」釈迦は父王に言われた、「伊蘭(紅の美しい花が咲くが、これを食べると狂死するという悪臭の強い木)の林が四十由旬(一由旬は約六十四キロ)平方あり、その中に一本の牛頭栴檀(ジャ香に似た香気を発する木で、赤檀ともいう)があるとします。
この栴檀は根や芽があっても、また土から出ていない場合には、伊蘭樹林はただくさいだけで香気はありません。もしその花や実をなめたりしたら気違いになって死にます。
後になって、ようやく栴檀の根や芽が生長して、やっとのことで木になろうとするころになりますと、香気を盛んに発して、そのため、この林が改変されて、すっかり香気につつまれてしまいます。それを見る人たちは、みな奇異の感を起します」
(親鸞『教行信証』行巻)

──大経に「往き易いのに、行く人がない。浄土はさまたげるものなく、自然に引かれてゆく所だ」とある。往生の因たる念仏修行をすれば、直ちに往生できる。その修行をしなければ、往生することは少い。信じて名号をとなえる者は、さまたげられないで、らくらくと往生できる。
(親鸞『教行信証』行巻)

ひろく道場の同行の人々にすすめる。
どうぞ自力をすてて行こうではないか。
われわれの家郷はどこにあるか。
極楽の池の中の、七宝の蓮のうてなである。
阿弥陀仏は修行中に誓願をたてられた。
わが名を聞いて、念ずれば、すべてを迎え、極楽につれ帰ろう。
貧富の差別はつけない。
智の劣ったものとすぐれたものとを区別しない。
学問の広いものと戒律をよく守って来たものを特別待遇しない。
破戒者と罪業の深いものを差別待遇しない。
ただ自力から転じて多く念仏したならば、
瓦礫を変じて金とするような取扱いをしよう。
(親鸞『教行信証』行巻)

仏の意にかなうような論文を作ろうという願は、容易にはかなえなれない。もし如来がお力ぞえをして下さらなかったら、何ごとを達することができようか。仏の御力を乞うて、お力ぞえをしていただくのだ。我一心といわれたのは、天親菩薩が自らをはげまし正すための言葉なのだ。
(親鸞『教行信証』行巻)

その文に云う、「二に深心とは、これ真実の信心のこと、即ちわが身は煩悩具足の凡夫、善をなすこと薄く迷界に流転して苦を免れ得ずと信知し、今や阿弥陀如来の願いは、弥陀の名を称えること十声、否聞くだけでも、必ず往生せしめ給うと信知して、露ほども疑う心がないから深き心、深心という。
かの阿弥陀仏のみ名を聞いてよろこび、揺ぎなき心に至る人は、総て必ずかの国に生れうるであろう」と。
(親鸞『教行信証』信巻)

源信の往生要集に云う、「華厳経の入法界品に、譬えば、不可壊薬を得た人は、どんな怨敵にも侵されないように、 求道心の不可壊の法薬を得た仏道者は、どんな煩悩にも、悪魔にも、怨敵にも破られることはない。また住水宝珠で身の飾りとすれば、水に入っても溺れないように、
求道心の住水宝珠を身につけると、生死の海に入っても沈むことはない。金剛石は、無限の永い間水中に沈んでいても、くずれもしないし変質もしない。そのように、 求道の心もまた、無量の永い年月、生死の惑業中に沈んでいても、なくなることもなく、減ることもない」と。
(親鸞『教行信証』信巻)

また云う、「念仏の法門は、愚と智、豪と賤とを区別しないし、修行の久しいものと浅いもの、善者と悪者とを問わない。ただ本願を信じさえすれば、臨終に苦しみ乱れても、念仏一つで往生が出来るのである。
この法門は、煩悩に縛ばられた愚かな凡夫でも、身分の低い下賤の類でも、一様に利那に悟れる成仏の法である。願力でなければ出来ないことだから、世間甚難の信と云うのである」と。
(親鸞『教行信証』信巻)

さて経に、一には至誠心といっているが、至誠心の至とは真の意、誠とは実の義である。総ての人々の身、口、意の行いは、必ず真実心を以てなし給える如来の身、口、意の行いをもちゆべきことを示さんために誠心と云ったのである。外面に賢善精進の聖相を粧うことがあってはならぬ、
内心に虚仮を懐いているからである。貪や瞋や邪や偽や奸や詐が競い起り、悪を思いとどまることも出来ず、恰も蛇蝎のようなのが人間の内心である。それ故、外面的に諸々の善を行うても、総て雑毒の善、虚仮の行、かりそめにも真実の業でありうるものはない。若しこのような見定めがつけば、
たとい身心を励まし、終日終夜、頭髪の火を払うが如く真剣に努力したとしても、人間の行いは、総てこれ雑毒の善と云わねばならないであろう。この雑毒の善行に因ってかの阿弥陀仏の浄土に生れようとするのは、いくら何でも、出来る筈がないではないか。それは、彼の浄土は阿弥陀仏が菩薩であったとき、
いつ如何なる場合でも、真実の心を持ち続けることにより、何一つとして、真実の行いを行うことによって、造り上げられないものはないからである。総て施し恵み給う如来の真実に因ってのみ、趣くことを求めうるので、一切真実に因るのである。真実にまた二種ある。一には自力の真実、
二には他力の真実である。(中略)人間の不善を、必ず真善の中に捨てしめ給う如来の真実心を仰げよ。また若し善をなすならば、真実の心を以てなし給える如来の善をもちいよ。内と外とをえらばず、明と闇とをえらばず、みな如来の真実をもちいるゆえに、至誠心と名づける。
(親鸞『教行信証』信巻)

さて菩提心について解釈しようと思うが、それには二つの種類がある。一つには竪の菩提心、二つには横の菩提心、竪についてまた二つの種類がある。一つには竪で超えるもの、二つには竪で出るものである。
竪で超えるものと、竪で出るものとは、聖道門で、方便の教、真実の教、顕教、密教、大乗、小乗などと云っている諸々の教のことで、それらの教の菩提心というのは、永い年月を重ね、迂回して悟りを開く菩提心で、自力の金剛心、菩薩の大いなる心と云ってもよい。
横についてまた二つの種類がある。一つには横で超えるもの、二つには、横で出るものである。横で出る菩提心というのは、正行、雑行、定の善、散の善など、浄土の行いを励む自力の菩提心のことである。横で超える菩提心というのは、如来の願いの恵みとどけられた信楽のことである。
この信楽、これを仏に作(な)らんと願う心、即ち願作仏心と云う。願作仏心は横の大菩提心で、これを横超の金剛心と云うのである。横と竪との菩提心は、菩提心と云う言葉は一つでも、その意味は異っているが、共に真実に入ることを肝要とし、真実の心を基本とし、邪雑を錯りとし、疑情を過失としている。
浄土を忻い求めようとする道俗の人々よ、先に述べた、身につかぬ信を、信と思い違いをしている信不具足のいましめを深く体し、耳だけで聞いたものを、心から聞こえるのだと考え違いをしている聞不具足の思い誤りを、永く離れ去るべきである。
(親鸞『教行信証』信巻)

又云う、「私も亦如来の光明の中に摂め取られている。煩悩に眼がくらまされて見ることは出来ないが、如来の大悲は倦むことなく、常に我が身を照し給うている」と。
以上、諸々の経や釈の引文によって明らかな通り、我が称うる念仏にもあれ、我が信ずる信心にもあれ、一として阿弥陀如来の清き願いのめぐみ現われならぬものとてはない。如来の願いではなくて、他に因って起るなど、決してありうべきでないと知るべきである。
(親鸞『教行信証』信巻)

深く信ずるというのは、仰ぎ願わくば、一切の人々が、一心にただ仏の言葉を信じて身命を顧みず、仏のみこころのままに、仏の捨てしめ拾うものは捨て、仏の行わしめ拾うものは行い、仏の行かしめ給うところは行くことである。これを仏教に従い、仏の意に契うと云うのであり、
これを仏の願いに随順するという。これを真の仏弟子と名付ける。また一切の人々よ、この経によって深く信じ行うものは、必ず他の人々を誤たしめない。仏は大悲に満ちた人であるから、真実を語るからである。未だ仏となり得ていない人は、智慧も行いも完全でなく、障りものぞき尽してないから、
仏と同じ力はない。凡夫はもとより、たとい聖者が推し測っても、仏の意は了解できない、了解しても、必ず仏の証明を請うて、可否を決定すべきである。若し仏意にかなえば、仏これを認可して、その通りその通りと述べ給う。意にかなわねば然からずと言い拾う。
認可なきものなら、利なく益なき平凡な言葉、認可を得たものなら、仏の正しい教に順ずるものである。仏の総ての言葉は、これ正しき教、正しき義、正しき行、正しき解、正しき業、正しき智である。ことの多少を問わず、仏に達しない人々の是非を定めるのは、一に認可の有無による。仏の説は完全なもの、
他は如何なるものも未完と知らねばならぬ。それ故に、今の一切の有縁の人々にすすめる、ただ深く仏語を信じて専注して奉行し奉れ、菩薩等、未だ仏に達しない人々の未完の教を信用し、仏語を疑惑して迷路にさ迷い、浄土往生の大望を廃失してはならないのである。
(親鸞『教行信証』信巻)

お前達は何故に、自身に因縁のない、必要のない行に口を差しはさんで私を障惑するのか、私の愛しているのは、私に因縁のある行であってお前の求めておるものではない。お前が愛すべきものは、お前に因縁のあるべき行で、私の求める所ではない。それ故に、各々欲する所に随って修行すれば、
疾く悟りをうることが出来るではないか。人々よ、若し学解を得んと思うなら、凡夫より聖人に至り、更に仏の世界までも、すべて自在にみな学ぶべきである。然し行を修めようと欲う者は、必ず有縁の法によろうではないか。労が少くて功が多いからであると答えるとよい。
(親鸞『教行信証』信巻)

楽邦文類の後序に曰う、「浄土に生れるために行をする者は多いが、その旨を得て、生れることの出来るものは幾(いくば)くもない、浄土に生れる法を論ずる者は多いが、その要を得て示すことの出来るものは少い。自ら障られ、自ら蔽われていて、説くことの出来るものがあるということは聞いたことがない。
自ら障られるものでは、愛着より大いなるものはないし、自ら蔽われるものでは、疑情より甚だしいものはない。但し疑と愛との二つの心からの障碍を除き去るものは、この浄土の一門である。広くして大いなる弥陀の本願は、始めよりへだてなく我らを摂め保ち給うている。
(親鸞『教行信証』信巻)

一切の凡夫小人は、一切の時、貪愛の心で常に善心を汚し、瞋憎の心で常に法財を焼いている。たとい頭髪の火を払うように、急ぎはやって善行を励んだとしても、すべてこれ雑毒雑修の善、虚仮諂偽の行と名づくべきもの、真実の業ではない。
この虚仮雑毒の善に因って、阿弥陀如来の無量光明の浄土へ生れようと欲うても、生れるはずはないのである。そのわけは、彼の浄土は、阿弥陀如来が菩薩であったときに行われた。身、口、意の行いに一瞬一刹那の間の疑いの心も雑えずに建立されたからである。
この信楽の心は、如来の大悲心より他のものではないのであるから、この心に因ってこそ、浄土の往生は正しく定まるのである。如来は海の如く充満せる苦悩の人々を悲憐し、無碍広大の浄信を廻らしてそれらの人々に施し給う、それを利他真実の信心というのである。
(親鸞『教行信証』信巻)

また浄土を願う一切の人々のために、一つの譬えを説いて信心を護り、外邪異見のさまたげを防ごう。ここに一人の旅人がいる。西に向って百千里の遠きに行かんとしている。ところが中途に二つの河があった。一は火の河で南にあり、他は水の河で北にある。二河ともにその幅、広さ百歩、
然し深さは底なき深さで、南北に辺際なく延びている。水火二河の中間に一の白く光った道が見え、道の広さはほぼ四五寸、東岸より西岸に通じ、その長さは河幅に等しく百歩である。百歩の道に、北よりは、水河の波浪がこもこもよせて道を洗い、南よりは、火河の火炎が魔の舌の如く来って道を舐めている。
水火が交錯して休む間のなき情況である。こうした情景の中を歩みつづけた旅人は、今や人影のない空曠の沼沢へ辿り着いた。ふと気がつくと、多くの群賊悪獣がこの人の独りであるのを見、この人を殺さんとして競い迫ってくる。死の恐怖におののいたこの人は、西に走りつづけたが、突如として、
前にこの河が横たわっているのを見たのである。そこでその人が念うのに、この河は南北にはてなく続き、中間には極めて狭少な一の白道があるのみである。両岸の隔りは遠くはないが、わたる手だてを見出し得ない。これでは今日必ず死なねばならないであろう。回(かえ)らうとすれば群賊悪獣が逼って来る。
南北に避けようとすると悪獣毒虫が襲いかかる。まさに西して道を進まうとすれば、水火の二河に堕ち込むに違いない。惶怖が極って言葉も出ないのである。この時更に念うに、回るも死、とどまるも死、行くも亦死、一として死を免れ得ないなら、寧ろ道を尋ねて進もう、既にこの道がある、
必ずわたり得るであろうと。この念いが浮んだその時、東の岸に忽ち人の勧める声がしたのである。汝、ただ決定(けつじょう)してこの道を尋ね行け、決して死ぬようなことはない、若しとどまるなら、それこそ死であると。また西の岸の上空よりも人の喚ぶ声がしたのである。
汝、水火に堕ることを畏れず心に仏を念じて直ちにきたれよ、必ず汝を護り続けるであろうと。この人、このすすめと、かのまねきを聞き、即時に、身にも心にも、道を尋ね進もうと決定し、疑いひるむことなく直進したのである。行くこと一二歩ばかりのとき、東岸の群賊からの声がした。回り来れ、
その道は嶮悪で通り過ぐることは不可能であろう、死が待っている。我らは悪心を持つ者ではないと。この人は彼らの声を耳にはしたが、かえりみることなく、一心に、ただ一筋に直進すると、忽ちに西の岸に達して永く諸々の危難を離れ、善友と出あい共に安泰を喜んだのである。
(親鸞『教行信証』信巻)

戒度の聞持記によると、念仏の法門は、愚と智とをわかたない(性に利と鈍とあり)、豪と賤とを択ばない(体質に強弱あり)、修行の久しいのと浅いのとを問題にしない(積んだ功に浅と深とがある)、善と悪とを区別しない(行為に好と醜とがある)、ただ本願を信ずれば、
臨終に苦しみ乱れる者でも(観経の下中品に、臨終の時に、地獄の猛火が一時に来て苦しむ等の姿)、煩悩に縛ばられた愚かな凡夫でも、身分の低い下賤の類でも、すべて、刹那に悟ることの出来る成仏の法である。それが、一切の世間の人々には、かえって信じ難いものとなっている。
(親鸞『教行信証』信巻)

往生礼讃にいう、「仏の世には値い難く、信心の智慧は得難い、希なる法を聞くこと、これを最も難事とする。自ら信じ、また人を信ぜしめる、難きが中、更に難い事である。大悲を弘く普く伝えるは、まことに仏恩に謝することになる」と。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

光明寺の和尚(善導の般舟讃に)云う、「念仏の人々に告げる。凡夫の迷いの世界におぼれてしまって、厭うことを忘れてしまってはならない。弥陀の浄土を軽んじて、忻うことを忘れてしまってもいけない。厭えば娑婆と離れることが出来、忻えば浄土に住む身となる。
離れることが出来れば迷いの世界の因が亡び、輪廻の果は自ら消える。因果が共に亡んでしまえば、迷いの形も名も、その場で絶え尽きることになる」と。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

律宗の元照師は(楽邦文類に)云う、「ああ! 教理と修行に明らかなこと、天台の智者大師に及ぶものがあろうか、それでも、臨終には観経を手にし、浄土を讃えて長逝した。
法の世界に達したもので、誰か華厳の杜順禅師に勝るものがあろうか、それでも、人々を勧めて念仏せしめ、瑞相を現わして西方の往生を遂げた。禅に参じて見性の悟りを開いたもの、たれか高王の智覚に並ぶものがあろうか、それでも、人々を集めて念仏し、浄土の往生願うて上品の位に登ったのである。
鴻儒、有才、誰か劉遺民、雷次宗、柳子厚、白楽天のような人があろうか、それでも皆、筆を取って誠を表わし、弥陀の宝国を願ったのである」と。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

耆婆が答えて言った。それでよいと思います、大王よ、あなたは既に罪を作られたけれども、今やあなたは、深く前非を悔い、大いに慙愧して居られます。大王よ、諸々の仏たちは常に説法して居られます。二つの清白の法があって人々を救うことが出来るというのです。一つは慙で、他の一つは愧であります。
慙は自ら罪を作らないことです。愧は人をして作らしめないことです。慙は内に自ら愧じることです、愧は人に自分の罪を告白することです。慙は人に羞じることで、愧は天に羞じることです。慙愧のない者は人でなくて畜生だと申されています。
慙愧があるから父母や師長を敬い、慙愧があるから父母、兄弟、姉妹の道が立つと云われています。大王よ、ですからあなたはそれでよいのです、大王よ、大王には今慙愧の心が起っているのです。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

如来の本願は海のように広く、平等に一切の人々を潤すから、本願のうるおいで起された人々の発心は、随って等しいものである。発心が等しいから修める道も等しく、道が等しいから、道によって起る大慈悲も等しい。 大慈悲はまさしく悟りへの正しい因となる。そうであるから、
曇鸞の論註には、「阿弥陀如来の安楽浄土に生れようと願う者は、必ず無上の菩提心を起せ」と曰われたのであり、また観経に是心作仏、是心是仏とあるのを解釈して、「是心作仏というのは、心がよく仏と作(な)る意味、是心是仏というのは、心の外に仏はましまさぬという意味、譬えば、
火は木より生じながら然も火は木を離れることが出来ない。木を離れないから能く木を焼き、木は火に焼かれて木が火になるようなものだ」と云われたのである。
光明寺の善導は(定善義で)、「是心作仏、是心是仏というのは、この心より外に、別に仏となるものはないということだ」と云われている。
それだから、一心、これがあるので、如来のみ心に契った真実の行となるのである。これが正しい教であり、正しい義であり、正しき行いであり、正しい理解であり、正しいはたらきであり、正しい智慧である。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

答う、汝は五逆十悪の業の方を重いものとし、罪の深い人間の十遍の念仏を軽いものと考え、重い罪の業にひかれて、先ず地獄に落ち、迷いの世界に縛りつけられるべきだと思っているようであるから、今、道理によって両者の軽重を比較することにしよう。
両者の軽重は、心と縁と決定ということによって計らるべきで、時期の長短や、多少によるべきでない。心によるというのは、かの罪は造る人の虚偽、顛倒の妄見によって起ったもの、この十念は、善き友が善意を以て悩みを慰め、真実の真理をしめることによって生じたものである。
一は真実であり、一は虚偽であって比較にならぬ価値がある。恰も、千年の闇室でも、一たび光が来たなら、忽ち明らかになるようなもので、闇の室に在ることは千年でも、一遍の光のためには去らねばならぬのが道理である。それを心によるというのである。
縁によるということは、人間の造る罪は、
人間の安心により、また、煩悩の力で造られたもので、虚妄の存在である我れによって出来たものである。ところがこの十念は、如来より恵まれた無上の信心によりまた、阿弥陀如来がわれわれを救うために成就した、真実にして清浄、無量の功徳のある如来の名号によって生じたものである。
恰も毒矢にあたった人が、筋を切られ骨が破られていても、滅除薬を塗った鼓の音を聞くと、忽ち矢が抜け、毒が除かれる譬えがあるようなものである。彼の矢は深く、毒は激しくて、鼓の音を聴いても、矢は抜けず毒を去ることは出来ないと、誰が言い得ようか。これが縁によるということの意味である。
決定によるというのは、人間の造る罪は、後の有る心、中間に他の心が入込むことの有る不決定の心によって造られるが、この十念は臨終の時の心であるから、後の無い心であり、他の心が中間に雑り起りようのない、変ることのない、人間の最後の強い心によって生ずるのである。
これを決定によるというのである。この三つの道理を比較すると、十念の方が重いことがわかり、重きものがまずひく道理によって、十念で迷いの世界を出ることが出来る道理がわかるであろうし、また大観の両経は同一の義理であることがわかるであろう。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

世尊よ、世間を見わたしますに、伊蘭の種子より伊蘭の樹を生じますが、伊蘭より栴檀の樹を生ずるのを見たことがありません。ところが、今始めて伊蘭の種子から栴檀の樹を生ずるのを見ました。伊蘭の種子というのは私の身体のことで、栴檀の樹というのは、
私の心に生じさすような立派な根がないのに生じた信心のことです。根が無いというわけは、私は初め、如来を敬うことを知りませんでした、法と僧とを信ずることもありませんでした。それを無根、根が無いというのです。世尊よ、若し私が、如来世尊に遇い奉ることが出来なかったならば、無量の永い間、
大地獄で、無量の苦を受けていたでありましょう。所が今や仏に遇い奉ることを得ました。仏を見奉った功徳が、人々の煩悩の悪心をも除いてくれたのだと思います、と。
仏は言われました。大王よ、あなたの言う通りです。私は、あなたが必ず、人々の悪心を除かれることを知って居ります、と。
世尊よ、若し私が審かに人々の諸々の悪心を除くことが出来ますならば、私は無間地獄で、無量の永い間、諸々の人々のために、代って苦悩を受けさせられても、私は決していといません、と。
この時、摩伽陀国の無数の人々が、一人残らず、無上の悟りを救めようとする心を起した。
このような無数の多くの人々が、このような大心を起したので、阿闍世王の持っていた重い罪が、一時に徴かになり薄くなってしまい、王及正夫人、後宮の女官たちも、一人残らず、無上の悟りを求める心を起したのである。
その時、阿闍世王が耆婆に語って言うに、自分は死なないのみか、已に天の身を得ることが出来た。短命を捨てて長命を得、無常の身を捨てて常住の身を得、多くの人々をして無上の悟りを求めんとする心を起さすことが出来たのである、と。
(親鸞『教行信証』信巻 末)

「涅槃経」の梵行品にはこういっている。
善男子よ。さとりを得る「道」に二種ある。その一つは常住不易の道、もう一つは無常不定の道である。同時にその二道によって至りえた菩提のすがたにも二種あって、一つは常住不易、他の一つは無常不定である。そして涅槃にも又その二つがある。
仏教以外の異教の道は、無常であり、これに対して仏教は常住である。処がその仏教の中においては、声聞縁覚の徒のうる処の道は無常であり、菩薩諸仏のうる処の菩提は常住である。外道にいう解脱は無常、内道に説く処の解説は常住である。
善男子よ。道と菩提と涅槃と、この三つはわれわれの場合においてはすべてこれ常住である。処が一切の衆生は、常に無量の煩悩にくらくなって、智慧の眼がないために、常住をさとり得ない。そして一切の衆生は、常住のすがたを見ようとして、戒定慧の三学を修めるのである。
(親鸞『教行信証』真仏土巻)

須菩提はそこで仏に向っていうには、世尊よ。煩悩の法がまぼろしであるのはわかりますが、それらの煩悩を断ち切るところの、須陀亘・斯陀含・阿部含・阿羅漢らの声聞や辟支仏など緑覚の果をうる智慧は、すなわち煩悩を断ち切る智慧でありますが、これも変化の法であってまぼろしだと言われるのですか。
仏、須菩提にいわれるには、その通り。たとえ何であろうと、生滅のすがたをもったものは、皆これ変化の法である。
須菩提がさらに追及して、それならば世尊よ。いかなる法が変化でないのですか。
仏。生ずることもなく、減することもない法。それが変化の法でない。
須菩提。一体いかなる法が不生不滅、非変化の法ですか。
仏。ただ一つ、いつわりのすがたを離れた涅槃の法のみ、変化の法でないだけだ。
(親鸞『教行信証』真仏土巻)

釈迦如来が世にあらわれられたわけは
ただ阿弥陀如来の海のような本願を説くためであった。
五濁に汚れた悪時代の衆生たちは、
如来の真実の言説を信ずべきである。
よく一念して歓喜の心を起せば、
煩悩を断たないままで涅槃が得られる。
凡人も聖者も、五逆の罪人も、法をそしる大罪人も、一様に本願に帰入すれば、
万川が海に注いで一味となるようなものだ。
衆生摂取の弥陀の御心の光は常に照らして護り、
すでに無明の闇を破っているけれども、
貪欲、愛着、怒り、憎悪の雲霧が、
常に真実の信心の空をおおっている。
たとえば、日光が雲霧におおわれても
雲霧の下は明るくて闇がないのに似ている。
信心を得て、敬い、大いに喜ぶ人は、
直ちに横さまに五悪趣(天上、人間、 地獄、餓鬼畜生の五道)を跳び超える。
一切の善悪さまざまの凡夫は
如来の弘誓願を聞いて信ずれば、
仏は、これを、勝れた知恵者と呼ばれ、
この人を白蓮華と呼ばれる。
弥陀仏の本願による念仏は
邪見をいだき驕り高ぶる悪い人々には、
これを信じ受け取ることが、甚だ難かしい。
難しい中でも難しいこと、これにすぎるものはない。
(親鸞『教行信証』正信念仏偈)

今は末法の時代であり、 名ばかりの比丘しかいないが、この名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とし、そしてこれを福田とする。もし末法の時代に戒律をたもつものがいるなら、それこそおかしなことであって、町中に虎がいるようなものだ。 だれがこれを信じるだろう。
(親鸞『教行信証』化身土巻)

阿弥陀仏の御はからいによって往生するのだと、人々に申された由、少しも間違ってはいません。年来、(私が)おのおの方に申していたことは、今も変わってはいません。けっして、学者めいた議論をされることなく、往生をお遂げになってくださるように。
故法然聖人が「浄土宗の人は愚者になって往生するのだ」と仰っておられたこと、たしかに承っておりました。その上、世間のものごとも十分にわきまえない、どうかと思われる人々が訪れたのをご覧になって、「浄土に生まれるのはまちがいがない」といって、微笑まれたのをこの目で見ました。
学問をした、いかにも賢そうな人がやってきたときは、「往生はどうであろうか」と仰せになったのを、たしかに承りました。今にいたるまで、思い合わせられるのです。人々に言いくるめられず、御信心を動揺させられることなく、おのおの、御往生をお遂げになって下さい。
(阿満利麿『親鸞からの手紙』)

他力ということは、「義なきを義とす」ということです。義ということは、念仏の行者が(阿弥陀仏の誓願をたのまずに)それぞれ自らの考えに従うことをいうのです。阿弥陀仏の誓願は(凡夫には)不可思議ですから、それは、仏になったときにはじめて分かることなのです。凡夫の考えの及ばないことなのです。
弥勒菩薩をはじめとして、仏の智慧の不思議をはからうことができる人はいません。ですから、阿弥陀仏の誓願を信じるには、「義のないこと」、つまり、人間のはからいを加えないこと、それが「義」、つまり、正しい意味なのです。
(阿満利麿『親鸞からの手紙』)

親鸞はある時、旅の途中で、疫病の発生や飢饉に見舞われ窮状にあえぐ農民たちを救おうと『三部経』を千回繰り返して読誦し、彼らを救おうと努めたことがあるという。しかし結局、何を思ったか、四日目の晩に読経をあきらめて理由も語らぬまま引き揚げたと彼の妻は書き残している
(『恵信尼消息』より)

良寛

あわ雪のなかに顕ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中に沫雪ぞ降る
(良寛)

実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいい。
実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。こうして現在は、新たな不安を抱くこともなく、へんに期待することも動揺することもなくなっている。
(ルソー『孤独な散歩者の夢想』)

しかし災難に逢時節には災難に逢がよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ
(良寛)

形見とて 何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉
(良寛)

内村鑑三

われらはわれらの徳行をもって身を潔めんと欲する者にあらず、われらはわれらの全身をその汚れたるままに神に捧げて、かれの洗浄にあずからんと欲する者なり。修養鍛錬と称えて、自修自覚を救うるものは人の教えなり、信仰献身を説いて罪科の消滅を伝うるものは神の教えなり。
キリスト教が世の聖人君子の擯斥するところたるはそのことさらに罪人の宗教たるがゆえなり。
(『内村鑑三所感集』1900.12)

神は生まれながらの義人よりも悔い改めたる罪人を愛す、神は聖浄潔白の心よりも罪を悲しむの心を愛す。義人また神を識るの能力を有す、しかれどもかれの眼に映ずる神は罪人がその心に感ずるがごとき完全なる神にあらず。罪を癒しうるの神は義を悦び給うの神よりも大なり。
(『内村鑑三所感集』1900.12)

「平穏にして依り頼まば力を得べし」(イザヤ書三十章十五節)。平穏にして、すなわち沈黙を守りて、依り頼まば、すなわち自ら努めずして、神の行動を待たば、なんじ力を得べし、すなわち強くなるべし、すなわちなんじの敵に勝つをうべし、すなわち救わるべし。
嫉妬の毒矢に身を曝すとき、国人挙げてわれを迫害するとき、われ一人羊が狼の群中にあるがごとき地位に立つとき、われはただ静寂を守り、すべての救済を神より望み、かれをしてわが城砦たり、守衛たり、武器たらしむべきなり。
われは弱けれどもかれは強し、われかれとともにありて、われ一人は全世界よりも強し、救いはエホバにあり、願わくは恩恵なんじの民の上にあらんことを アーメン。
(『内村鑑三所感集』1901.1)

わが愛する者よ、わが美わしき者よ、わが希望よ、わが救い主よ、起てよ、起ちてなんじの墓より出で来れ、見よ、恥辱の冬はすでに過ぎ栄光の春は来りぬ、雨もやみてはや去りぬ、憤怒、猜疑、嫉妬の寒風のはやなんじの身に及ぶなし、
鳥の囀る時はすでに至れり、やまばとと雲雀と草雀との声われらの野に聞こゆ、いちじくの樹はその芽を赤らめ、桜花の爛たるもまさに近きにあらんとす、ぶどうの樹は花咲きてその馨わしき香気を放ち、春林至るところに錦綉を装わんとす、
わが愛するものよ、わが美しき者よ、わが希望よ、わが救い主よ、起てよ、起ちてなんじの墓より出で来れよ、愛をもってなんじの敵に勝ち、恩恵をもって忿怒を癒し、野に春色の臨みしと同時に世に温情の春を来らしめよ(雅歌二章十節より十三節まで)。
(『内村鑑三所感集』1901.3)

小林秀雄

ヘーゲル工場でできる部分品は、ヘーゲルといふ自動車を組み立てることができるだけだ。しかもこれを本当に走らせたのはヘーゲルといふ人間だけだ。さうはつきりした次第ならばよいが、この架空の車は、マルクスが乗れば、逆様でも走るのだ。
(小林秀雄)

大森荘蔵

野矢茂樹

πの小数展開は人間が遂行する以前に定まっていて、人間はただそれを見出していくだけだと考えれば、ちょうど『この山のどこかに宝が埋まっている』という予言を確かめるときのように、『πのどこかに7の十個つながりが埋まっているか埋まっていないかどちらかだ』と考えてしまうでしょう。
しかし、これはまさに実無限的考え方です。
可能無限的な観点からすれば、πというのはその小数展開を順番に作り出していく規則であり、展開されていく小数は、その規則に従って構成されて初めて産声をあげる存在者なのです。
(野矢茂樹『無限論の教室』)

中島義道

先生〔大森荘蔵〕はとりわけその語り方に心血を注がれた。先生によると、哲学者は作曲家ではなく演奏家なのだ。「自我」とか「時間」という難解な曲をいかに演奏するかが鍵である。だから、何を語るかではなく「いかに」語るかが鍵である。
(中島義道『生きにくい…… 私は哲学病。』)

町田康

「どうせ俺はひとり殺しとんね、ここで死んでも構うことあるかい。かかってこんかい、口ぼさのあほんだら」
叫んで熊太郎は内心で、あっ、と思った。熊太郎はいまの瞬間、自分の思想と言語が合一したことを知ったのである。思ったことがそのままダイレクトに言葉になった幸福感に熊太郎は酔った。
俺の思想と言語が合一するとき俺は死ぬる。滅亡する。そもそもは横溢する暴力の気配を厭悪する感情に端を発した騒動であった。それが結果的に暴力を生む。豆を煮るのに豆殻を焚く。暴力の気配から逃れるために暴力を行使、その暴力がさらなる暴力を生む。因果なことだ。
(町田康『告白』)

稲垣足穂

宇佐見りん

インターネットは思うより冷やこくないんです。匿名による悪意の表出、根拠のない誹謗中傷、などというものは実際使い方の問題であってほんとうは鍵かけて内にこもっていればネットはぬくい、現実よりもほんの少しだけ、ぬくいんです。表情が見えなくたって相手の文章のほのかなニュアンスを察して
かかわるもんだし、人間関係も複雑だし、めんどうなところもそんなに変わらん。ほんの少しだけぬくいと言ったのは、コンプレックスをかくして、言わなくていいことは言わずにすむかんです。第一印象がいきなし見た目で決まってしまう現実社会とはべつにほんの少しだけかっこつけた自撮りを上げることも
できるし、「学校どこ?」なんて聞いてくる人もいないし、教室でひとりでお弁当を食べてる事実を誰も知らないわけです。みんな少しずつ背伸びができて、人に言えん悩みは誰かに直接じゃなくて「誰かのいる」とこで吐き出すことができるんです。
(宇佐見りん『かか』)

筒井康隆

ヴィトゲンシュタインって人がいて、この人の名前はずっとあと、ポスト構造主義のところでまた出てくるけど、リーヴィスと同じケンブリッジで哲学教えてたの。友人だったらしいんだけど、ある日学内でリーヴィスを見かけて、
近づいていくなりいきなり『君ね、君のやってるあの文学批評ね、あれ、やめなさい。すぐ、やめなさい』って、相当無遠慮な調子でやったらしいんだよね。リーヴィスはびっくりしただろうけど、どう返事したのかはわかりません。
ヴィトゲンシュタインってひとは哲学でさえ、すべてのものを正確にあるがままのかたちで抛ったらかしにしておくものだと言ってるから、文学批評に対してもそう要求したんだろうね。このひともちょい本居宣長だね。
(筒井康隆『文学部唯野教授』第2講)

東田直樹

みんなは気づいていません。僕たちが、どんなに辛い気持ちでいるのか。
僕たちの面倒をみるのは「とても大変なのよ」と、周りにいる人は言うかも知れません。
けれども、僕たちのようにいつもいつも人に迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、
みんなは想像もできないと思います。〔…〕僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。
自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。
(東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』)

堀川恵子

「ああ、山本さん、確かあなた、王子駅の近くで捕まったんじゃったな。あの店で念願の酒にありついたというわけか……」
逃亡の末に逮捕された日の苦い記憶も、間もなくこの世を去ろうとする男にとっては愛すべき風景のひとつになっている。
「待ちに待った酒だったんですがね、
実はあんまり咽喉を通らなくて……」
「山本さん、どのくらい飲んだんですか」
「先生、一合ですよ」
たった一合──。
「ああ、そうかあ、一合だったのか。たった一合のために死刑かよ! ああ、わっし、どうにもやれん。なあ山本さん、いっそ一升くらい飲んだらよかったなあ!」
(堀川恵子『教誨師』)

本来なら裁判で事件を犯すに至った経緯を詳しく調べ、曲がりなりにも彼らの言い分を聞き、止むを得ない気持ちも酌んでやった上で判決を下せば、たとえそれが死刑判決でも彼らなりに納得して刑に服すことも出来るかもしれないのに、と渡邉はいつも思ったものだ。
なぜなら、彼らは独房で幾度となく判決文を読み直すからだ。いわば判決文は、彼らの人生最後の通知簿だ。しかし、そこで情状酌量の余地など認めれば、ひとりの人間をこの世から抹殺する死刑判決など下せるはずもない。
だから多くの死刑判決は、そこら中に落ちている日常のちょっとした出来事まで殺人の背景を形づくる材料としてかき集め、一方的に断罪することに腐心しているように渡邉には思えた。殺人者の話に耳を傾けようとする者などいない。
(堀川惠子『教誨師』)

元少年A

最愛の祖母の死をきっかけに、「死とは何か」という問いに取り憑かれ、死の正体を解明しようとナメクジやカエルを解剖し始める。やがて解剖の対象を猫に切り換えた時にたまたま性の萌芽が重なり、猫を殺す際に精通を経験する。
それを契機に猫の嗜虐的殺害が性的興奮と結び付き、殺害の対象を猫から人間にエスカレートさせ、事件に至る。
実に明快だと思う。ひとかけらの疑問も差し挟む余地がない。しかしどうだろう?
もしもあなたが、多少なりとも人間の精神のメカニズムに興味を持ち、物事を注意深く観察する人であるならば、このあまりにもすんなり「なるほどそういうことか」と納得してしまう、“絵に描いたような異常快楽殺人者のプロフィール”に違和感を覚えたりはしないだろうか?
(元少年A『絶歌』)

「父さん、僕ら五人はほんまに普通の家族やったよな。ほかのみんなと同じように、家族で一緒に出かけたり、誕生日を祝ったりして、幸せやったよな。僕さえおらんかったらよかったのに。なんで僕みたいな人間が父さんと母さんの子供に生まれてきたんやろな。ほんまにごめん。 僕が父さんの息子で」
次の瞬間、父親は僕から眼を逸らし、親指と人差し指で目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように、俯き、肩を震わせ、声を殺して泣き始めた。父親が泣くところを見たのは生まれて初めてだった。謝っているのは僕のほうなのに、まるで父親が怒られて泣いているようだった。
──長男さえ生まれてこなければ──
そう思ったこともあったはずだ。でもそれを誰にも言えなかったのだろう。父親はそういうことを決して口にできない人だった。父親が胸の内に秘めた僕への負の感情を代弁することが、この時の僕にできる、父親への精いっぱいの償いだった。
(元少年A『絶歌』)

二階堂奥歯

何不自由なく満ち足りたこの世界で私はなぜだか戦場にいるような気がします。
ほんの小さな失敗でもしたら私はここにいることを許されなくなってしまうような気がします。
挨拶はきっと複雑な合図で、それを間違えれば即座に虐殺されるような気がします。
私をかこむ隣人達の中に入っていくとき、砲弾の飛び交う中を進んでいく気がします。
時限爆弾を解体するかのように息をつめて仕事をします。
世間話をしながらも銃弾が耳を掠める音が聞こえます。
私の微笑みは自然に見えますか? 口の中には恐怖の味がします。
(二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002.9.25)

高田侑

知ってるか。顔の傷や痣ってのはな、障害者じゃねえんだ。見たろう。あれだけのひどい顔になって、それでも扱いは健常者だ。障害者手帳がねえから保障もなく、保険もおりねえ。あれでも後遺症じゃねえんだと。完治なんだとよ。就職なんて夢のまた夢さ。……そういう世の中なんだ
(高田侑『うなぎ鬼』)

荒木飛呂彦

わたしは常に「心の平穏」を願って生きてる人間ということを説明しているのだよ…… 「勝ち負け」にこだわったり 頭をかかえるような「トラブル」とか 夜もねむれないといった「敵」をつくらない…… というのが わたしの社会に対する姿勢であり それが自分の幸福だということを知っている……
もっとも闘ったとしても わたしは誰にも負けんがね
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第4部)

オレは「殺人鬼」と呼ばれている
少なくとも新聞はそういっていたし オレ自身も かなりそう思う
両親が困った時 命を懸けれるか? と聞かれた時
「いいや」と答えた
今でも そう答えるかもしれない 彼らのためにはオレの心は動かなかった
だが 死んでいたオレを生き返らせてくれたもののためには命を懸けれる
ウェザーもそうだったんだ
ウェザーは刑務所を脱獄して生き返ったんだ
オレにはわかる
だから 彼に対してあれこれ考えるな 彼はこの数日 幸福だった
ウェザーはすでに救われていたんだ
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第6部)

ジョルノ……オレは…生き返ったんだ 故郷…ネアポリスでおまえと出会った時…組織を裏切った時…にな…ゆっくりと死んでいくだけだった…オレの心は 生き返ったんだ……おまえのおかげでな………幸福というのはこういうことだ…………これでいい 気にするな
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第5部)

「不幸を努力して乗り越えよう」のような、お行儀のいい建前は絶対言わない、それよりも「死ぬ時は死ぬんだからさ」みたいにポンと肩を叩いてくれることで、かえって気が楽になるという、そういう効果を発揮してくれるのがホラー映画です。
(荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』)

福本伸行

漆原友紀

一度 瞼を閉じても目はまだその瞼の裏を見ていて本当には閉じていないの
だから本当のまっ暗闇が欲しい時 そのチカチカを見ている目玉をもう一度閉じるの……
そうしたら 上の方から 本当の闇が降りてくる……
(漆原友紀『蟲師』)

……何だか……不安でたまらないの
……生き神だった頃は 陽が暮れて衰え始めて眠りにつく時
──いつも とても満たされた気持ちで 目を閉じられたのに
今は……恐ろしいの
目が覚めてもただ 昨日までの現実の続きが待っている
目の前に広がる あてどない 膨大な時間に足がすくむ
(漆原友紀『蟲師』)

何もかも視えちゃいるのに何も動かせない事と 闇の中でも自由に生きられる事…… どっちが恵まれてると思う……? 私は 闇の中で光を思い出しながら生きてくのも悪くはないと思うんだ……
(漆原友紀『蟲師』)

芥見下々

井上雄彦

わしの お前の 生きる道は これまでもこれから先も 天によって完璧に決まっていて それが故に 完全に自由だ
(井上雄彦『バガボンド』29巻)

(あきらめたらそこで試合終了ですよ……か この試合…絶対オレがなんとかしてやる…!)
不思議と迷いはなかった やることが1つに絞られたから
それに こんな風に誰かに必要とされ 期待されるのは初めてだったから…
「ヤマオーはオレが倒す!! by天才・桜木!!」
(井上雄彦『スラムダンク』)

岡崎京子

「惨劇はとつぜん 起きるわけではない そんなことがある訳がない それは実は ゆっくりと徐々に 用意されている 進行している アホな日常 たいくつな毎日の さなかに それは── そしてそれは風船が ぱちんとはじけるように起こる ぱちんと弾けるように 起こるのだ」
(岡崎京子『リバーズ・エッジ』)

浦沢直樹

人間は……… 人間は、食事をうまいと思わなければならない…… 休日のピクニックを楽しみにしなければいけない…… 仕事が終わったあとのビールがうまいと思わなきゃいけない…… 人間は…… 人間は……… 子供が死んだ時、心の底から悲しいと思わなければいけない……
(浦沢直樹『MONSTER』18巻)

李學仁/王欣太

橋玄「天? とな 人は助命を乞うために何でもいうものだ! しかし 人は天のことを知ることはできぬ!」
曹操「天を知らずして法に従うとは笑止ではないか! あなたは法の正しさを疑わぬが では 法はなにゆえ正しいか 法は 天意に則った時にのみ正しい」
(李學仁/王欣太『蒼天航路』)

カフカ「ぼくはちゃんと物語ることができません。それどころか、ほとんどものを言うこともできません。物語るときはたいてい、初めて立ち上がって歩こうとする幼児のような気持ちになります。」

太宰治「自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。」

ウィトゲンシュタイン「私たちは前へ進みたい。そのためには摩擦が必要だ。ざらざらした大地へ戻れ!」(哲学探究§107)

乾貞治「俺はたった今からデータを捨てる!」(テニスの王子様25巻19P)

ニーチェ「やったか?」

ソクラテス「知らんけど。」

DIO「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

カフカ「恐怖が不幸のもとなのだ。それゆえ、幸福とは勇気ではなくて、恐怖をもたないことなのだ」

クラピカ「死は全く怖くない 一番恐れるのはこの怒りがやがて風化してしまわないか ということだ」

ヴァイニンガー「ここで、記憶というものが、極めて道徳的な現象であることが明らかになる」

カント「女は自分の秘密を裏切らない」

ニーチェ「女からは女について何も学べない」

中島みゆき「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」

松任谷由実 「ああ時の河を渡る船にオールはない 流されてく 横たわった髪に胸に降りつもるわ 星の破片」

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