漆原友紀『蟲師』

およそ遠しとされしもの
下等で奇怪 見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達
それら異形の一群をヒトは古くから畏れを含み いつしか総じて「蟲」と呼んだ

緑の座

一人になると時々そういうのがどこからか出てくるんだ いつも一体何なのだろうと思ってた 僕はそれらを見るのが楽しくて写生してはばあちゃんに見せてた けど
(おまえは なぜこんな幻(ゆめ)ばかり見ているのか…… きっとあんなおそろしい力があるせいだ こんな幻は忘れておしまい 哀れな子)
そう言うばかりで 僕の見ているもののことを…… 亡くなるまで信じてはくれなかった
だから僕自身ですら本当は自分はどこかおかしいのかと時々思ったりした ばあちゃんと僕はそこだけはわかりあえなかった

…………
それはこれらが 皆「蟲」だからだ

蟲?

ああ 昆蟲や爬蟲類とは一線を引く「蟲」だ
大雑把に言うとこうだ
この手のこっちの四本が動物で親指が植物を示すとするぜ?
するとヒトはここ――心臓からいちばん遠い中指の先端にいるってことになるだろ
手の内側にいく程 下等な生物になっていく
辿っていくと手首あたりで血管がひとつになってるだろ

……うん

ここらにいるのが菌類や微生物だ
この辺りまで遡ると植物と動物との区別をつけるのは難しくなってくる
――けどまだまだその先にいるモノ達がある
腕を遡り肩も通りすぎる
そしておそらく……ここらへんにいるモノ達を 「蟲」……あるいは「みどりもの」と呼ぶ
生命の原生体(そのもの)に近いもの達だ
そのものに近いだけあってそれらは形が存在があいまいで それらが見える性質とそうでない者に分かれてくる

うん 透けてるのもいる 幽霊みたいに 障子やふすまも通りぬける

いわゆる幽霊ってやつの中にも正体は蟲だというものもある ヒトに擬態できるモノもいるからな
―――
……お前のばあさんにはそれらが見えなかったんだろう……
そういう五感で感知しにくいものを感じる時 補っているものを「妖質」という
それは多少の差こそあれ誰もが持つ
無い者はいない ただ
普段 必ずしも必要な能力ではないため眠らせていることが多いし――
何かのちょっとしたきっかけでその感覚を操れるようになったり逆に忘れたりする
感覚を分かちあうのは難しい――
相手の触れたことのない手ざわりを 相手にそのまま伝えることはできないように 見たことのない者とその世界を分かちあうのは難しいさ
(でもばあちゃん 僕は そのおかしなもの達が この世界にいるってことが 嬉しくてたまらないんだよ)
さあ……飲みなされ
五百蔵廉子どの……
これはそなたの為の宴なのだ

――なんて馨しい
ひと口飲むほどに ものを考える力を失わせる――

お気に召されたかの
それは光酒(こうき)という生き物
普段は真の闇の底で巨大な光脈をつくり泳ぎまわっておるものだが それを抽出することのできるその盃を特別にそなたの為に作ったのだ
それは この世界に生命が生まれた時から流れ出て――
それが近づいた土地は草青み 命芽吹き 遠ざかれば涸渇する
つまり命の水
この世にこれより美味いものはない
盃を交わし最高のもてなしをしたのには そなたに頼みたいことがあるからだ
これより三十一年後に誕生するそなたの孫には 生物世界を変える程の特異な性質を持って生まれてくる
そなたには生涯その目付けをしてほしいのだ
それがその子供とこの世界にとって 幸福なことなのだ

(……私の孫)

それを望まれるなら そなたに力を与えよう
さあ 残りの酒をすべて飲みほされよ
しんらの涙は止まらなかった
廉子の感情――感覚がつぶさに流れ込んできたのだという
ただ ただ 盃が割れてしまったことが悲しくて仕方がなかったのだという……
そしてそれに感応するように 光酒も盃から湧き続けた
とめどなく 流れ続けた

柔らかい角

母さん
音が消えたの
今度は
ぴん と
何も
聞こえなくなった
怖いの
あんなに恐ろしかった音が
なつかしい……
真火
……聞こえる?
これが母さんの音だよ
むかし 母さん見たんだよ
父さんとねぇ……
火を噴く山……
この音は あの溶岩の音にそっくり……
だから 母さん……消えそうなくらい不安な時……この音を聞くの
何でも溶かす……溶岩みたいに
不安も辛さも みんな……溶かし込んでしまえる気がするの……
ほら お前も……やってごらん
お前の中にも溶岩が

真っ赤な溶岩が 流れてるよ……
世界は静かだろう 真火
慣れるまでは落ちつかないだろうし――
断たれた世界を恋しく思う事もあるだろう
だが それも春になって賑やかになれば忘れる

…………
おれ……忘れない
ずっと聞いてたんだ 母さんと同じ音……
……ぞっとするくらい きれいな音――

枕小路

――――寝言と会話してはいけない
其れは彼岸の国の言語―――
そして 俺一人が 町に残された……

…………

……ギンコと言ったな
その夢が真になった時 俺は気がついた
あの時 お前が俺を騙したって事にな……!
俺の中にいるのは予知夢を見せる蟲なんかじゃない
俺の見た夢を現世に持ち出し伝染させる蟲なんだよ
あの青い病……俺の近くにいる者から感染していった
……妻 隣家 向かいの筋……
そして 眼前に夢と同じ光景が作られた……
俺がこれまで「予言」してきた事はすべて
俺の夢が「創り出した」事だったんだ
……そうだろう
なのに何故 あんな嘘をついた‼

…………
この蟲は完全に断つ事ができないからだ
寄生されたが最後……
生涯均衡を保ち共生してゆくしかないんだ
だが 蟲本来の性質を告げれば
宿主は 自分の創り出すものの大きさに耐えられなくなる

そうそして死ねばよかったんだよ!
……こんな災いの元は
何故生かしておいた 何故……

…………悪かった
こうなっちまった以上……蟲を断つ術を何としても見つけてみせる
……生きてくれ
お前に罪などないさ
蟲にも罪などない
互いに ただ その生を遂行していただけだ
誰にも罪などないんだ
死ぬんじゃない お前は何も誤っちゃいない
……こうなるのが わかってたのか?
枕を切っただけなのに……

知ってるか
「枕」の語源は「魂の蔵」だって説がある
生きている内 三割近くも頭を預けている場所だ
そこに魂が宿ると考えられていたんだろう
そしてそこは夢野間(いめののあわい)の巣であり
夢と現をつなぐ通路となっていた
……切れば何かを失うのはお前だろうと思った……
その後 男はその村で再び研ぎ師を始めたという
腕は確かで評判を呼んだ しかし
何故か次第に心を病んでいったという
時に往来で刀を振り回し
最期は自らに刃を突き立てた――
人々は言った
「あの男は眠るのを とても恐れていた…… ……眠ると魂が すとんと どこかへ滑り落ちてゆくのだそうだ」
男は 枕を断ったあの日から一度も夢を見なかったという

瞼の光

瞼の裏にはね もうひとつ瞼があるの
そこは絶対に外の光が届かない所で蟲はそこにいるのよ

ふたつめの瞼……?

そうよ
ビキは閉じ方知らないの? じゃあ教えたげる 目を閉じて

……うん

何か見える?

ううん何も……
あ でも
何かチカチカしたものが目の中 動いてる

でしょ 一度 瞼を閉じても目はまだその瞼の裏を見ていて本当には閉じていないの
だから本当のまっ暗闇が欲しい時
そのチカチカを見ている目玉を もう一度閉じるの……
そうしたら
上の方から
本当の闇が降りてくる……

………………
………………
……できないよ

そう? ビキって不器用ね
僕たちは 深い闇の中で遊ぶ
蔵の中へ入ってすぐは本当に何も見えないけど
しばらくすると 闇の向こうから物たちがおのずと輪郭を現してくる

……どうして見えるんだろ
まっ暗なはずなのに

地面の下に光の河が流れてるからよ

え?

ふたつめの瞼を閉じると見えるよ
ずーーっと本当の闇を見ているとね
遠くの方から光の粒が見えてきて
それがどんどん洪水になるの
その光はよく見ると 全部 小さな蟲でね
でも もっと近くで見ようとして近づくと

だめだ
それ以上その河には近付くな

……会った事ない知らない人よ
片目の男の人がいつも河の向こう岸にいてそう言うの
だから いつも少し遠くで眺めているの……

僕は 時々 ふと不安になる ふさがれた目でスイが見てる物だちは一体
一体 何なのだろう
ふたつめの瞼を閉じてごらん
すると闇への通路が開く
人間は光を手に入れた頃からふたつめの瞼の閉じ方を忘れたのだという
が それは生きるものとしては良かったのかもしれない
かつて人間は「そのもの」を見すぎたばかりに目玉を失う者も多かったというから
ふたつめの瞼 本当の闇 異質な光
我々の足の下を泳ぐ無数の生命原生体の群れのこと

ちょっと昔の咄2。

 私は妖怪や霊は完全には(今のところ)信じていないのだけど、とても「いてほしい」と思っています。(なので身近な人の、信用できる怪異談はとても嬉しい)
 「蟲」ってのは、その辺のジレンマから生じた、「妖怪」の形でも あります。
 それにしても ちょっと前までは「妖怪」がすぐ側にいたんだなぁ。ちょっと羨ましい。

旅をする沼

…………
沼が……旅をしてるなんて 信じてもらえないかと思った

ああ 仕事がら たいがいの現象は受け入れるさ

仕事……?

蟲師という
蟲の起こす現象ってのがどれも奇妙でな
例えば”水͡蠱”ってやつで 液状の蟲なんてのもいるんだが
無色透明の液体だが生きている
古い水脈の水に好んで棲み――
池や井戸に留まる事もある 水と誤り水蠱を飲み続けると
常に水に触れていないと呼吸ができなくなり 体が透け始める
それを放っておくと 液状化し 流れ出してしまう――
そそて当の蟲はある時 突然消滅している
……そういうのがいるくらいだから
まぁ 沼が自分で動くのもありかな と思えてくるのさ
そう言うあんたこそ気味悪いとは思わなかったのか

……私は……
恐ろしいと思った事はないわ……
初めて見た姿が……
あまりに力強くて神々しかったから……

力強い……? どんな姿だ

…………泳いでいたの 増水して荒れ狂う河の底
私は流れに飲み込まれ 浮き上がる事も出来ずにいた
そこへ 緑色の巨大なものが
激流の底を悠然と 遡って来た――
気が付くと 山あいの沼の淵だった
私は気付いた
この沼は 今 沼のふりをしているが
あの時の緑のものだ と
……その時には 髪は もうこの色に染まっていたの
多分……もう私は一度死んでいるのよ
でもこの沼が 生きていていい……と言ってくれた
だから私にとって この沼は 唯一の居場所なの
せめて これを着ておゆき
水神様の 嫁になるのだと思っておくれ…………

母親の事は皆で助けてゆくで心配するでない
お前の名はかたられるだろう
水禍から村を救った 誉高き娘として――
……いや 何故そうまでして助けたい?
無論 お前に自責の念もあるんだろうが
娘が何としても生きたいと言っていたのならわかる――
だが娘はもう沼の一部になる事を望んでいたんだろう……?
その方が本人にとって幸せ……って事情もこの世にはある
酷な話だがな

……
例の 緑の盃だが
あれは元々 件の少年の祖母の物でな
蟲でも人でもなくなっていた彼女が 少年の目に映るためには
蟲から授かったという あの盃を復元するしかなかった
そうすれば決して人には戻れなくなるが
……俺は 彼女の希望のもとに ……蟲にしたんだ
……だが 本当にそうして良かったのかはわからない
蟲の側に行くという事は――
普通に死ぬ事とは違う
蟲とは 生と死の間に在る「モノ」だ
「者」のようで「物」でもある
死にながら生きているような「モノ」
それは一度きりの”瞬間の死”より 想像を絶する修羅だとは思わんか
少しずつ人の心は摩滅される そんな所へ行こうというのに
あいつは最後に見た時――
大事そうに晴れ着を着ていた
それ以上の酷な事情ってのは……そうあるもんじゃないだろう……
…………
う……っ
海へ出たら ……沼が……死んでゆくのが……わかった
自分が……沼に溶けてゆくの
…………すごく すごく怖かった……けど
沼が死んでゆくのが……悲しかった……

…………
……あれは数万年は生きている
お前はその最期の旅に同行したわけだ
会えてよかったな

……うん…………
おお――今日も大漁だな

ええ 遠方の魚も集まって来てるんです
沼の死骸を食べて こんなに大きく……

髪 すっかり黒くなったな

ええ
だから もう 水の中で息はできないんだけど……
もうそれでいいの
沼の死んだこの海で 自分の力で生きてゆきたい
沼は生まれ
やがて淀み
その懐に築き続けた宇宙の終焉には
自らの足を持ち動き始める

あとがき。

 蟲という存在は難儀だけど いとしい。物語を通じて、外界に そういう微小なモノ達を感じてもらえたら、とても嬉しいと思う。
 時代設定について。<四(瞼の光)>の時は近代のつもりで描いたが他の話については時代は特定していない。「鎖国し続けている日本」とか「江戸と明治の間にもうひと時代ある感じ」というイメージだろうか。

筆の海

私が聞いてきた話は 皆――
所詮 殺生の話だったのか
足の痛みは 心の痛みも伴うものになっていった

微笑で下等なる生命への傲り 異形のモノ達への理由なき恐れが招く殺生
そういうものが 少なからず感じ取れるのだ
あの――もし
狩房家の娘さん?

……ああ

やっぱね この辺  他に 家ないしね あ じゃあこれが噂の墨色のあざ

…………お前も蟲師か
蟲の話 集めてんだろ?

協力すれば「狩房文庫」閲覧できると聞いたんだが

……悪いが帰ってくれ
蟲を殺す話はもうたくさんだ

じゃ殺さねぇ話な あ――そっちの方が随分多いな

いやそれでは役に――

え――まずは黒子(ほくろ)を食う蟲の話

……黒子?

ん 何か 今 言いかけたろ

……いや いい 話してくれ 蟲の話……
お前さ 足 治ったらどうすんだ

お前と旅がしたいな
話に聞いた蟲を見たい
なんてな ははは よくてもその頃 私は老婆だがな

…………

…………冗談だよ

いいぜ
……それまで 無事 俺が生き延びられてたら……だがな

……生きてるんだよ

いや明日にでも食われてっかもしんねーーし

それでも 生きてるんだよ

むちゃ言ってんな

はは 何とかなるさ

露を吸う群

今日も陽が昇り また沈む
朝咲く花が 首から落ちる
今日も陽が沈み また昇る
辺り一面 花が咲く
けれど昨日とは別の花
どうした 調子が戻らんか

…………
……何だか……不安でたまらないの
……生き神だった頃は 陽が暮れて衰え始めて眠りにつく時
――いつも とても満たされた気持ちで 目を閉じられたのに
今は……恐ろしいの
目が覚めてもただ 昨日までの現実の続きが待っている
目の前に広がる あてどない 膨大な時間に足がすくむ……

……脈の速さ 一日ずつくり返す生死
……お前さん 寄生されてた蟲の時間で生きてたんじゃないかな
あの蟲は 寄生した動物の体内時間を同調させるものだったんだ

……体内時間?

ああ
生き物の寿命は種によってそれぞれ違うが
その生涯で脈打つ回数はほぼ同じと言われてる
体内に流れる時間の密度は皆 違うって事だ
あの蟲の生涯はおよそ一日
それをお前さんは毎日味わっていた――

そう それでかな……
一日一日 一刻一刻が
息をのむほど新しくて
何かを考えようとしても追いつかないくらい
いつも 心の中がいっぱいだったの……
ほっとけ――どのみち
奴らは長くはない
蟲を安易に利用し続ければヒトは少しずつ正気を奪われていく
利用した者もそれに巻き込まれた者も――
いずれあんたらは破滅する
蟲を扱うには不相応だったんだよ
……

(挑発してるけど…何か考えあるのかな)

さてとナギ

うん

逃げるぞっ

(言い逃げ‼)
今日も陽が昇り また沈む
朝咲く花が 首から落ちる
今日も陽が沈み また昇る
辺り一面 花が咲く
けれど昨日とは別の花
されど 今日も きれいな花
あの日 大潮を逃してしまったギンコさんはひと月の間 島に残った
その間 岬の人達をすべて治療する事ができた
けれど 大潮が来てあの洞が開くたび 誰かが――”生き神”に戻っている
彼の言った通り――――

おそらく何人かは治療をありがたく思っちゃいない
いずれ また花を吸うだろう
……あこやが言ってたんだよ

恐ろしいの 目の前に広がる あてどない 膨大な時間に足がすくむ

…………
俺達も似たようなものだよ
これから何を糧に生きていけばいいか……わからない

……
普通に生きりゃいいんだよ
魚が獲れりゃ少しは楽になるだろう
いつでも舟を出せるよう あの洞を皆で削ればいい
……容易な事じゃあないだろう……
だが お前の目の前には
果てしなく膨大な時間が 広がっているんだからな

雨がくる虹がたつ

なぁ ……ギンコと言ったな



あんただって何か目的があって旅してたんじゃないのか
何故こんな……通りすがりの者に手を貸す

だから 俺も それ 見たいだけだよ
……特別 目的があって旅してるわけじゃなくてな……
でもまぁ……ずっと 虹蛇 探してるわけにも
とりあえず俺は……そうだな 立秋までに見つからなきゃ手を引くよ
そういう契約ならいいだろ?
……まあ 予想はしていたが
探すとなると見つからんものだな
……あんたは旅を始めてどれくらいになるんだ?

……
五年になるな

――五年
……なぁ あの話 病床の親父に見せるためってのは半ば嘘だろ



病人抱えた家族を放って 五年も旅をしているなんてな

……親父に見せたいってのは嘘じゃない
でも それが行動の端じゃなかったな
……俺の名を言ったっけか

ん? いや

虹郎という
……虹を探しては徘徊をくり返す親父を 常に背負う名だ……
この名のために村では ずっと笑い者にされてきたよ
……西の国に有名な暴れ川がある
俺の家は そこに代々 橋を架けてきた橋大工だ
何度架けても大水のたび橋は流された
……皆 親父には期待していたんだがな……
それでも親父の跡を継いだ兄は優秀だった
壊れるたびに丈夫な構造の橋を考え出していた
――俺にはそんな才能がからきしなくてな……
腱を切るケガをして左手の自由がきかねえ
大工としても二流以下だ
いつしかあの村には俺の居場所は 親父のそばしかなくなっていた
――それに耐えられなくなって
逃げ出して来ちまったんだよ……

……
ほォん
じゃあ結局何だ……?
虹を探してる理由ってのは

虹を見るたび 追わずにはいられなかったんだよ
親父の言葉を確かめたかったのもあるし
親父や俺を笑ってきた村の連中に原因はこれだと言ってやりたかった
――けど何より 村を出ても俺は結局 負け犬だからな
何か生きるための目的を作らにゃ ”ただ生きてく”事すらできねえ

……
目的 ね

お前は目的もなく旅をしてると言ったな
まぁ……何か理由はあるんだろうが
旅をしていくのも楽じゃあない
目的がなくて旅を続ける気になるものか?

そりゃたまに休みたくもなる
そういう時こうやって目的を作る
そうすればこうやって余暇も生まれるだろ
”ただ生きる”ために生きてるぶんには余暇ってもんがないからな

…………
こっちは真剣にやってるってのに 息抜きのつもりかよ

俺だって真剣にはやってるだろうが

心構えの問題だ

何だそりゃ
休むのだって生きるためにゃ切実な問題だ
それになァ
お前よりはまっとうな動機だと思うがな
お前は後ろめたさを紛らすために 虹を追う事で自虐を続けてるだけだろう
不毛だね
どこへなりと根を下ろして過去なんて捨て去りゃよかったのによ

……わかってる
それができんからここにいるんだ
だが それも潮時かもしれん
俺も立秋までって事にするかな
雨の場所が目で見ずともわかった
渇ききってた体のせいか
……親父もこうだったのか……

虹郎――
……お前もそろそろ……
俺や……俺のつけた名がうらめしくなる頃だろうな
俺は……俺の見たこの世で一番美しいものの名をお前にやりたかったのだが……
悪かったなぁ……おかげで友達にも笑われるのだろ
どら……これを
別の……いい名を考えておいた
明日からはそう名乗れ

……
いいよ
そんな事……言うなよ
俺……負けねえから……
親父より立派な 橋大工になってみせるから……!
…………
すげ……

(俺の見た この世で一番美しいものの名を)

美しい……

! よせ これ以上近付くな!

こいつを持って帰らにゃ……!
(親父が 言っていたことは本当だった)


バカやろが……どうともないか?

……あ
ああ……

近くで見るまで確証はなかったが
皮膚にビリビリくる こいつはナガレモノの一種だ

……ナガレモノ……?

命を持つモノでありながら 自然現象そのものに近しいモノ――
”命がある”事 以外は 光と雨の作る”現象”である虹と同じ――
おそらく虹蛇を作り出したものは
光と……光酒を含む雨だ

コウキ……?

蟲の生命の元となるモノだ
ナガレモノとは 洪水や颱風と似たようなモノ
発生する理由はあれど 目的はない
ただ流れるためだけに生じ――
何からも干渉を受けず
影響だけを及ぼし――
去ってゆく
――そういう蟲は 触れれば”憑く”――

…………

(一瞬 あれの中に入った気がした…… 親父は……あの上昇する滝のようなものに呑まれたんだろうか……)
…………
……俺の 自由になる相手じゃなかったか
――――体に穴の空いたようだ
いっそ 清々しいくらいだ――

……これからどーすんだよ

さぁ……しばし考えるさ
…………お前は?
……あーー こいつと同じか
また流れるだけだよな

その後 男がどこへ行ったかは 知る由もない
ただ 西の国の有名な暴れ川に 壊れぬ橋ができたと聞いた
増水してくれば渡し板の片方を外し――
水の流れるままに泳がせ 水が退いたら元に戻す――
ナガレ橋という名の橋が
一人の男の考えで その川に架けられているという

綿帽子

残念ながら……我々 蟲師にも この子を”救う”手はありません
これが寿命……なのです
綿吐という蟲がいます
緑色の綿のような姿で空中を漂い
身重のヒトの胎内に入り卵に寄生します
生まれてくる時はへどろ状だが――
素早い動きで床下や天井裏に逃げ込み
一年が経った頃
赤子の姿の”人茸”をヒトの親元へ送り込む……
それからの増え方といい 記録と寸分違わない
……ま しかし 念のため 床下を見てきてもいいか
人茸の体はこの蟲の本体と糸のようなもので つながっている
あれらは 本体に養分を送るための 蟲の一部にすぎないんだよ

…………
……そんな ばかな……

あの子はじきに役目を終え 壊死します
そして その死に際に 大量の「たね」を吐きます
その前に 殺さなければなりません

……な 何言ってるの
……何のためにあなたを呼んだと思ってるのよ
あの子を……その蟲とやらから救ってやってちょうだいよ

救える「子供」などもういません
あの「子」らは
あなたたちの子供の皮をかぶった 「蟲」なんです
そしてあれこそが
生まれてくるはずだった あなた方の子供を殺したモノなんです
どうか ご理解下さい
……よく 嫁さん 説得してくれたな

…………
まだ 口もきいてくれんけどな
……三年以上も育ててきたんだ
……無理もない
――ただ どうしても他の子らは手元に……と
俺からも…… どうか見逃してやってくれ
あの子ら……発症するまでは何の害もないんだ
その代わり……次男も
次に生まれてくる子供も
ちゃんと俺が たねを吐く前に……殺してみせるから――……

…………
綿吐の寿命は十年から三十年と個体差がある
あと何年この状態が続くのかも――
一体あんたが何人の「子」を殺さねばならんのかも わからん ……それでもか

――ああ
約束する……!

……あんたは あれを恐ろしいと言っていたな
それでも育てていきたいと言うのか?

……俺は かみさんを悲しませたくないだけだ……
……あきは 残った四人もワタヒコと呼んでかわいがっている
あの子らをすべて失えば どうなってしまうかわからん……
…………あれは昔 一度……山むこうの町の大店の家に嫁いでいるんだ
そこで……嘱望されてた跡取りを産んだが
一歳を数える前に 些細な事で死なせてしまったらしい……
離縁もそれが原因だ
――どうして どうしてこんな むごい……

これまでは 「綿吐の子」とわかれば ただちに全員を殺してきたらしい
そうする事で根まで枯らしてきたんだよ
いずれは危険となる二つ目以降を 生かしておいた記録はない
それらがこの先 何らかの変化を しないとは言いきれん

し しかし

とはいえ しないかもしれん

……‼

わからんものも皆殺し――ってのは 大雑把で好きじゃない
わけあってここでずっと監視はできんが
三月の内にはまた様子を見に来る
何かあったらそこへ文をくれ

……‼ ああ……
……恩にきる……‼
…………
何やら色々と 事情が変わったようだな

……ああ すぐ……話すつもりでいたんだが……
あの子らな……
ただ……成長が早まっただけじゃないんだ――
ある時 次男にしか教えた事のない栗の皮むきを 四男がやっていた
次男はやっとの事で覚えたのに
見よう見まねで覚えたのか
少しずつ知恵がついているようだった

……う う

あら 雨に濡れたのね
すぐ着がえ出すからね

おとう はらへった

……あき こいつ……しゃべったぞ……!
そうかそうか 今すぐやるからな――

――そんな中
次男が……あの症状を現し始めた……

……まだ早いわよ……
上の子がこうなったのは つい この間じゃない……

……やらねば
こいつは……俺達の務めだ

おとう しぬの こわい
ころさないで たすけて まだいきたい

…………!

……あれは もう
人のようなものになってしまった……
たとえ我が子の敵だろうと……
俺達には もう――

何て事だ……
思考力を持ちやがった
――いや これまでも
機能はあったのだ
……それが長男の死で 危機を察したからか……?
それも―― 一人が得た情報が 全員に伝播している
一人一人は 根元でつながった 全体の一部
五人分の情報を 皆がいちどきに得る
歩みは早い
――だが ”人のようなもの”……?
――否
彼の中に棲むは ただ思考するばかりのくさびら
……しっぱいした……
ころされる ころされる
……たねをまもらなきゃ
なにかほうほうが あった きがする
わすれてしまった
わすれてしまった
ことばをおぼえて わすれてしまった
たねを まもるほうほう
たすけて ころさないで
しにたくない

無駄だ

どうしてころすの

お前らがヒトの子を食うからだ

ぼくらはわるくない

俺らも悪かない
だが俺達の方が強い
だから お前は たねを残せずに死ぬんだ

…………
そうか それじゃ
しかたがない
綿吐は 災害などの危機に陥ると
人茸を根から切り離し
たねだけでも よそへ逃がそうとする……
人茸は 姿を変えて 長い眠りに入る

――――こ…れが……?

再生がいつになるかはわからない
あんた達の死んだ後かもしれない
いずれにせよ 時が来るまで あんたらに預けとく

……わかった
肌身離さず 持っているよ――


……なにをわたしたんだ

鉱物だよ
生活の糧の一部だったのに……
丸損だ……

……なぜそんなことを
……ふかかいないきものだ

お前が言うか
お前 眠りに入るんじゃねえのかよ……
これまでの記録じゃそうなってんぞ

しらん ねむくはない
おまえこそ なぜ わたしをいまのうちに ころさない

まだ寿命があるからだ

……ふかかいないきものだ

いいから お前 もう寝ろよ……

錆の鳴く聲

寒空に 聞き慣れぬ物哀しい音が響いたような気がした
それは
小柄な体に似つかわしくない 太く かすれた
けれど 甘く 渋味のある残響を持つ
不可思議な響きの 声だった
――ギンコさん!
なぜしげをかばう?
しげを出せ 詫びさせろ

しげを追放しても病は治りませんし
しげのせいじゃない
しげはただ 普通の子と同じように
話し 笑い 唄っていただけ
その”声”に病の原因となるモノを寄せる要素があっただけです

そんなのは俺らに関係ない
病にさせられた者に どう詫びるんだって話だ

……詫びなら十年間――
しげは ずっとしてきたはずだ
禁を破って 二言三言 言い逃れをすれば
皆の疑念をあおる事もなかったろう
罪ならちゃんと背負ってきた

だからって許せるもんじゃないよ……!
うちの子はあの子と同い年なのに歩けないんだよ
うちもそうだ

無論 償いは……してもらいます
病を呼んだのがしげの声なら
払えるのもそうなんです――――
それで何とか帳尻合わせにゃなりませんか
この病にかかわった者は皆 同じに苦しんだんです
その後 娘が町を去ってから 病は徐々に消えていったという
けれど今も町の者は
潰れ果てたが奇妙に美しい
聞き覚えのある唄声が山々に谺しているのを
微かに聞く事があるのだという

海境より

この辺りの浜には
何かと物珍しいものが流れ着く
南方の木の実や貝の殻
巨大な深海魚 稀に人
もしくは 人を乗せぬ空舟
――そのまま舟は覆り――――
俺は この浜へ流れ着いたが
嫁さんの乗った舟の痕跡が
見つかる事はなかった
……この浜へは潮の流れのせいか
沖のものが一同に流れ着く
嫁さんの舟も転覆したのなら
積み荷のひとつでもここへ流れ着くはずなんだがな……
沖へ漂い出たとして……生きてはおらんだろう
だが……どうにも証がないゆえ 動けんのだ……

…………
蛇……

……?

……いや
しかし それで二年半もこうして?
そりゃ あんためでたいよ
証があろうがなかろうが もう”生きてはおらん”のだろ?
万一 助けられたとして 別の人生 歩んでるさ
あんたも もう
自分の事 考えた方がいいんじゃねえか
――って余計な口出ししたな
ま 達者でやってくれ
……
あん……た……?

……みちひ?
……無事で……?

(……どういう事だ――――?)

……もう あきらめかけてた……
……でも 遅いわよ
何日もほったらかしにして……
もう……三日は経ったでしょう?

……⁉
…三日……?

……!

…………
一体……どうなって…………?
……すまなかった……
……俺 お前にひどい事を……

……そうね ひどい事 言われた
でも いいわ
こうして助けに来てくれたし……
私も文句が過ぎた
でも……本気じゃなかったのよ
あんたの故郷 早く見たい

ああ……行こう
さあ……早くこっちへ来い……

待て
――お前 今
陸は見えてるか?

……大丈夫だ
ちゃんと見えてるよ
そら むこうに

……潮時だ
お前の戻るべき陸は こっちだ
それは もう ヒトではない
…………蟲が変態し始めている……
ここにいちゃまずい
早く それから離れろ
俺達が 浜へ流れ着いた時 村人らはとうに生存をあきらめていた
ほんの 二、三時間 沖に出ていたつもりだったが
陸では一月余りが経っていた

……あのもやの中は 蟲の時間が流れてたんだろう
せめてもの救いだな
彼女は”三日” さみしい思いをしただけですんだ

……そうだな……

翌日 男の妻の舟が浜へあがった

重い実

客人とは珍しいな
一体どちらさんで

蟲師の ギンコと申します

“ナラズの実”というのを 探しておるんですが

…………
さてねェ
サネ お前 まだ畑仕事の途中だろ
終わってから また来な
今年は豊作だ
しっかり準備しねえとおっつかねえぞ

……ん

何だ まだ おっかさんの事 心配か
大丈夫 大丈夫だよ
心配すんな どら これ食わしてやりな

…………

……蟲師って輩は 先代の頃にも ここへ来たと聞いてる
だが無駄足だ ここにはそんな実はありはせん

では この実りは先祖の力によるものだと?

ご先祖の力か 無論それもある
皆の信仰があるからこそ
この土地を見限る事なく労働できる
だがそれだけじゃない
長年 土を肥やす術を見聞きして歩き
皆で研究し続けてきた
その成果が……時にこういう実りを生むのだ
毎年の収穫も少しずつだが増えている

では ”瑞歯”については

……成人後 葉が生えるなど まれにある事
実りとは無関係だ
さあ もう帰ってくれ

……もうひとつだけ 聞いていいか

……何だ

ナラズの実の事はご存知のようで

ああ先代から聞いた
――ある一人の蟲師が”光脈”だかを封じ込めたもの……だったか

そう ……あんたも”光脈”は感覚的にわかるだろう
蟲の見える質のようだから

…………

蟲ってのは そういう微弱なモノになるほど光を帯びてくる
蟲の根源たる光酒というモノに近いからだ
光脈とは光酒の流れる筋
それらは いわば”生命”そのもの
操作できれば 不死や蘇生……いかようにも使い道はある
――無論
それは蟲師 最大の禁じ手ではある
……が 例外も幾度となく存在してきた
この実もそのひとつ
土に埋めれば周囲に一年限りの豊穣をもたらし
代償として恵みを受けた生命体のひとつを奪ってゆく
……それが我々に伝わっている記録

――それで?
あんたとしちゃ その実を見つけ出してどうするつもりなんだ
抹消するのか 活用するのか

……俺が聞きたいのもそこでね
――あんたならどうする?
ひとつの命で 多くの命を救える実が 手の内にあったなら――

使うだろうな
そんな実がすでに存在してしまってるのなら
犠牲を見すごす事の方が罪だ

だが 確実に一人 死ぬ事を承知で実を埋めたなら
それは人を殺める事と同等だ
たとえそれで助かる命がいくつあろうと死ぬ者は――
意と関係なく贄にされる

…………その程度の罪ならば……
誰もが手を染めるだろう
一人 失っても
二人 守れるならば……

……確かに 一年きりという短い目で見りゃ使わん手はないだろう
だが 一度使えば何度も使う事になる
そして あの実は生きている
使う毎に影響力は増してゆく
やがては すべての均衡を崩すモノともなりかねん

…………じゃあ お前は使わんというのか
使わずにいられるのか

わからんね
里で生きた覚えがないし
そうなる前に 土地を捨てる

……ここには この土には 先祖の血肉が眠ってんだよ
この土地を開き ようやくここまでにしてきた
それが 俺らによっては唯一の誇りなんだよ

その土に異形のモノを埋めるのは
土を穢す事にはならんのか?

――ふ
はは 何を言ってる
…………もしもの話だ
そんな事はわかっている
そんな実が――もしも本当にあったなら……
――もっと 慎重に考える――
そう 
そんな実は
一人のヒトの
手に余る
実りすぎた稲穂が重い頭を垂れるように
必ず手から零れ落ち 土へと横たわるのだ
その後の ヒトの苦しみを 知るべくもなく
あ…… 話は終わったの

……まァ 大体な

……それで
あなたは 皆を……助けてくれるの
……ああ だが それにゃ 村全体の承諾がいる
”別れ作”のしかけを すべて話した上でな
どこかに皆を集めてくれるか

……う うん
でも……一体どういう――――

――田を焼くというのか

…………

誰かに瑞歯の生える前に 実を消してしまう他ないと

ああそうだ
ようやく認めなすったか

お前の思い違いだ
そんな事をしても誰も助からん
皆を餓死させるつもりか

――一年ここを離れればすむ事だ
一旦ちりぢりになりゃ
他の土地でそれぞれが何とかして一年――
生き延びる事はできるだろう
春には燃やした灰が 土を肥やしてくれてるはずだ

――ここを離れて
一体 何人が戻るというのか…………
皆……知らぬから耐えていられるのだ
本当の……豊穣というものを……
――いいのだ これで……
皆に……妙な事を吹き込むなど
許さんぞ――
一体 どういうつもりでこんな毒 飲んでたんだか知らんが
このまま死んじまうのは無責任なんじゃないか

……
蟲師さんよ
田を焼こうなんざ……
あんた あの実を利用する気で来たんじゃあなさそうだな
頼む――――
……俺は あの実の最後の犠牲者は
俺にすると決めてたんだ
すべて……話す
どうか 見過ごしてくれ――――
あの実を……どこかから持ち帰ったのは
先々代の祭主だったという……
それ以後 天災のたび幾度となく実は用いられたが
混乱を防ぐためその実は代々 祭主のみ知るところとされてきた
俺の代となり
実の使用を問われる天災が訪れたのは…… 今から二十年前の事だ
俺は村全体の事ばかり考え
妻が 変調を隠しているのに気づかずにいた
秋に 瑞歯を生やしたのは ――妻だった

……ねえ お願いよ
お米……食べて
あんたまで死んでしまう

……! 何してんだ

……辛くとも食べて
私の命をあんたが食べてくれるなら
何だか死ぬのも 怖くない

そんな米ですら 体は貪欲に 吸収していった
やがて 妻から抜け落ちた実を俺は捨てにゆくつもりだった
だが…… いずれまた来るであろう天災の事を思った
……そして あと一度だけは 誰の犠牲も見ずに実を使える事に気づいた
そして今年 時は来た

――俺から抜け落ちた実は サネに処分してもらうつもりだ
あの実は…… あんらたの言う”光脈筋”に埋めれば 取り込まれ姿をなくすという
ただ あれがどういう実かは……言わずにおくつもりだ

――――いいのか それで
あんたは誰より ここで生きてこの土地のゆく末を見たいはずだろう

…………見えるさ このまま…… あきらめなければ
この土地は少しずつ豊かになってゆく……
……いつか必ず何不自由なく暮らせる日が来るはずだ……
それが 何代先の事になるかはわからんが
どのみちこの目では見れんのだしな

…………
……わかった
あんたの望むとおりにすればいい
ただ もうひとつ 答えてほしい問いがある
もうひとつ 答えてほしい問いがある
……光酒は 生命そのものだと言ったが
そのまま生物に流し込んでも蘇生まではできない
だが それを可能にしたのが 例の実……という事になる
――これは賭けだが
あの実を食えば 動物も蘇生する事ができるはずだ――
ただ 植物との相違ゆえ
おそらく光脈は あんたの中に宿り続けるだろう
そうなると それは…… 不死の 生命を超えたモノとなる
あんたは それを 受け入れられるか……?

……
……それは あんたらの最大の禁じ手だったんじゃないのか
そんな事をして…… 許されるのか

あんたが黙ってりゃバレやしねえよ
成功するかはわからんし……
したところであんたにとって幸福なのかもわからん
だが 賭けてみるなら
あんたの傷 暴きたてて 実の存在を確かめるようなマネをした詫びだ
これくらい手を汚してもいい
しっかり 考えてくれ

……考えたところで……
答えなど 決まっている
やはり見届けたい この土地が この先どうなってゆくのかを
俺がしてきた事が……
正しかったのかどうかを――――

その里において
その年の豊作は後々まで語り草になったという
――ともに
奇妙な伝説も生まれた
長く続いた”別れ作”の途絶えたその年
できた米は死んだ男を蘇らせた
その男は不老不死となり 諸国を歩き
時折 戻っては
その地を潤す新たな農法を伝えてゆくのだという

眇の魚

…………何て魚だろ……
真っ白で…… 目が緑……
……どれも 片目がない……

池に棲む蟲のせいだ
夜や明け方は近づくんじゃないよ

…………
あの……
あれらは…… 幻じゃないん……だよね

……我々と同じように存在してるとも
幻だとも言えない
ただ 影響は及ぼしてくる

…………俺らとはまったく違うものなの?

在り方は違うが 断絶された存在ではない
我々の”命”の 別の形だ

そうか……
そうなんだ…………
(……杖なしで歩けるようになった……)

…………
……ヨキ
お前そろそろ足はいいんじゃないのか
――――帰る家もあるんだろう

帰る……とこ ないよ
ずっと……母さんと物売りして歩いてたんだ……
……それに……足……
まだ 歩くと痛い

……
そうか

それよりさ
ずっと気になってたんだけど
池の蟲ってどんなヤツなの 教えてよ

……ん ああ……
……姿は
”闇”としか言えない

……
闇……?

そう ……闇にはふたつある
ひとつは目を閉じたり 蔵の中や月のない夜
――陽や明かりを遮った時にできる闇
もうひとつが ”常の闇”
昼間はああした暗い所でじっとしているが
夜になると池を出て小さき蟲を食う

……池の魚やぬいさんが そんな髪や目になったのは……?

――明け方 時に池が銀色に光っている事がある
おそらく…… 食った蟲を光に分解してるのだろう
あれを繰り返し浴びるとこうなるようだ

…………それじゃあ
ここにいたらもうひとつの目もなくなるんじゃないの……?

池の魚を見たろう
不思議と両目のない魚はいない
そういうふうにできてるんだろうさ
……
さ 陽が暮れる 中へ入るよ

その蟲 何ていう名前なの

闇のような姿のものはトコヤミという――
光を放つのはトコヤミに棲む別の蟲のようだが……
そいつに名があるかは知らない
私は”銀蟲(ギンコ)”と呼んでいる
ぬい
明かりつけようよ

ああ すまない
私の目は夜目が利くのでな つい……

…………”銀蟲”のせい……?

たぶんな
――なに 便利なもんだ
……なあ ヨキ
夜 山を 一人で歩いているとな
さっきまで道を照らしていた月が急に見えなくなったり
星が消えたりして方向がわからなくなる時がある
……それは普通にもある事だが
さらに自分の名前や過去の事も思い出せなくなってるようなら
それはトコヤミが側に来ているためだ
どうにか思い出せれば抜けられるという

……どうしても思い出せない時は?

何でもいい――すぐ思いつく名をつければいいそうだ

そんなんでいいの?

その代わり
前の名だった頃の事は
思い出せなくなるそうだがね……
……ねえ



どうして…… ぬいがここにいるのか 聞いていい?

ああ 構わないよ
……この山の先にはね
もう 人の住む里はひとつっきりだ……
私の故郷――――
閉ざされているが……美しい里だ
私には生来 蟲を寄せる性質があり
ひとつ所に留まれず
蟲を払いながら里を巡る”蟲師”をして旅をしていた
それでも足しげく私は里へ戻った
親や友人
そして何より 夫と子供に会うために
…………だが
ある時 里へ戻ると
夫と子 そして二人を捜しに行った 父や友人を含む多くの里の者が
山へ入ったきり戻らない と聞かされた
あまりの不明者の数に山へ入る事は禁じられていたが
私は山中を捜し回ったあげく
この池にいるのが トコヤミだと気づいた
トコヤミにとらわれたら どうなるのか――――
どうすればいいのかは 他の蟲師より伝え聞いていた
……それで 彼らはきっと まださまよっているのだと
あきらめきれずに…… ここにいるのさ

……どれくらいになるの

…………六年……になるかね

ずっと 一人で
…………
……その人達さ
ぬいと同じ姿になってるのかな…………

そうだな…… きっと

おれも捜すの手伝うよ
……いいだろ? だからここに

…………だめだ‼

………… どうして?
何が いけないの

……これは 私だけでやりたい ……それだけだ
ここにいるための 口実にするんじゃないよ
……それ以上 言ったら すぐにでも追ん出すよ
何してんだい
光を浴びるのはよくないと――

ぬい
片目の魚しかいないのは
両目がなくなったら消えちゃうからなんだ
ねぇ 知ってたの……?

消えるのではない
銀蟲の放つ光が 生き物をトコヤミに変えるのだ

そんなの一緒だよ
どうして知っててそのままにしておいたの
蟲師だったんだろ?
こんな恐ろしい蟲 どうして生かしておくんだよ

…………畏れや 怒りに 目を眩まされるな
皆 ただ それぞれがあるようにあるだけ
逃れられるモノからは
知恵ある我々が逃げればいい
蟲師とは ずっと はるか古来からその術を探してきた者達だ
私も 銀蟲の記録を取り続けたよ
そして 魚の行く末に気づいた時には――
私も もう 光を浴びすぎていた
片目の魚を池から離し
光を浴びぬよう繰り返し試しもした
だが 一度 白化の始まった魚達は 多少の遅れは見られても
いずれは両目を失い トコヤミとなった

…………
そんな
それじゃ ぬい

……それでも
夫や子らがトコヤミになってしまったと認めたくはなかった
光を浴びぬようにして生き長らえ……捜し歩いた
けど ……さすがに いつからか……
すべては ここにあると悟ってしまった……
もう 全部 手遅れなんだ……ヨキ
……わかったら お前は もう出てお行き

いやだ
きっと何とかなるよ
ぬいもここを出よう

馬鹿言うんじゃないよ
……もう どうにもならないし
ずっと どうにもならなくていいと思ってきたのに
……お前がいると 辛いばかりだ…………
頼むから もう行ってくれ
お前なら…… 旅の暮らしもできるだろう
愛する故郷のない事は きっとお前には幸運だ

……いやだ
俺の故郷ならここだ
いちばん長くいた土地だ

……違う
ここは 私とトコヤミ達の場所
お前のいていい 場所じゃない
私は もう ……
……もうじき 銀蟲が目を覚ます
できる限り遠くへ行くんだ
……さ 早くおし

……ぬいの手 温度がない……
冷たくも 温かくもない……

…………お前の手は まだ温かいよ
手だけじゃあない……
私に もう目玉はないが
お前の目玉がこちらを見ると
まるで陽のあたるように温かだ
あの仄暗い池の傍らで
それがどんなに懐かしかったか…………
……さあ ヨキ……
この先は片目を閉じてお行き
ひとつは 銀蟲にくれてやれ トコヤミから抜け出すために
だが もうひとうは固く閉じろ また陽の光を見るために
………… ああ いけない
銀蟲が 目を覚ます

……
ぬ……
あれが 銀蟲
……常闇の 底の目のない魚

畏れや 怒りに 目を眩まされるな
みな ただそれぞれが あるようにあるだけ

(どれくらい歩いたか 知れない)
……土の 匂いがする
……木だ
(外界らしき所に出たが 夜はいっこうに明けなかった)
……また月……
さっき沈んだばかりなのに
……これで 何回目だっけ…………
……
わからなくなった……
……俺の
名前…………
…… こういう時
どうすればいいんだったっけ …………
(その翌日 右目は 陽の光を見ていた)


……何だ おめぇ 見ねぇガキだな

お おいっ⁉

おう 戻ったぞ
起きてて平気か 無理すんな



で どうだ 名前以外に何か思い出せたか

……
いいや……

まぁいいさ 何ならずっといてもいいぞ
ともかく明日 村長のこと顔出しとこう

(……ただ 左目の穴は 陽の下においても 闇をすくい取ったかのように昏く
それは 奇妙なものを寄せつけた
このままここに寄せ続けたら
きっとあれらは災いを呼ぶ ……そんな気がする)

おーーい ギンコ
メシにするぞ……
……あれ
ギンコーー?
おぉい …………どこ行っちまったんだ……

春と嘯く

……
あの時 見た蛹みたいなのが"空吹(うそぶき)"だったとはな……
で お前は
"空吹"の羽化を"春まがい"の発生の合図にしてたわけか

……うん
ギンコが蝶を逃がさなかったら
春にはちゃんと花になって起こしてくれたはずなんだよ

……そういう事は先に言っとけっての

……
おれ あいつらが一等好きだから
秘密にしときたかった
冬に山菜を生やして助けてくれるし
雪ん中で飛んでるのも ……きれいだし
でも あいつらはそうやって
えさを集めて……
生きてるだけなんだよな

……ふーん
何だ わかってきてるじゃないか
そう ヤツらは決して友人じゃない
ただの奇妙な隣人だ
気を許すもんじゃない
……でも
好きでいるのは自由だがな

……うん

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