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魔法少女まどか☆マギカ

さやか「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。私達魔法少女って、そういう仕組みだったんだね。あたしって、ほんとバカ。」

まず、さやかがダメになっていく過程の描写が秀逸。
困っている人を救いたかっただけの、何の罪もない女の子だったはずなのに、やることなすこと全部裏目に出て、どんどん不幸になって、最終的に心が折れて世界を呪いながら人を殺す魔女になってしまうまでの描き方が素晴らしいと思った。でも、人間でいることの苦しみから逃れられるなら、むしろそういう魔物に変身したい、と思う人も結構いるんじゃないかって気もした(例えばカフカとか)。

魔法少女に限らずとも、良い人間だから良いことをするとか、悪い人間だから悪いことをするとか、バカだからバカなことをするとか、そういうことじゃなくて、どんな人間でも、そういう状況におかれたらそうなっちゃうよね。親鸞だって、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」って言ってるし。

タイトルから、まどかが魔法少女になるのは明らかなのに、最後の方になるまでまどかが全然魔法少女にならない、ってのが、いつなるの、いつなるの、という期待感があって良かった気がする。
まどかを守るために頑張ってきたほむらが、もういよいよ限界になり心が折れて魔女化しそうになって初めて、やっとまどかが魔法少女になって、ほむらを含めて全ての魔法少女を救う、って展開にグッときた。

あと、ラストが壮大。まどかが、阿弥陀仏ならぬ、まどか仏みたいになってた。
まどかの願いは、過去・現在・未来、全宇宙に存在する全ての魔女を、生まれる前に自分の手で消し去ること。
阿弥陀仏の願いは、すべての人を浄土に往生させ、仏にすること。
……似てる気がしないこともなくない?
ほむらが宗教家になったとしたら、「南無まどか仏」と唱えるだけで救われるって言い出すと思う。

宇宙のエントロピーの増大を、人間の感情によるパワーで食い止める、みたいな設定だったけど、これ、僕も中学生くらいの頃考えたことある!と思った。
「自分のなかの感情を全てエネルギーに変換して爆弾を作ったら簡単に世界は滅ぶだろう」みたいなイタいことを毎日のように考えてた記憶があるけど、そういうこと考えてたのが自分だけじゃないような気がしてなんか安心した。

ところで、実際のところ、エントロピーは絶対に増大しかしないってわけじゃなくて、例えば、プリゴジンの散逸構造論によると、エネルギーが出入りする開放系では、エントロピー増大に逆行して秩序を形成することもあるらしい。知らんけど

それから、キュゥべえが、「どうして人間はそんなに魂のありかにこだわるんだい?」って言ってたけど、確かに、それはそうだな、と思った。人間の身体のどこを探しても魂は見つからない、というかそんなものは存在しないと僕は思うので、だから別に、魔法少女の持ってる石ころに魂が移動したとしても、そんなに悲観することはないんじゃないかという気もしたけどそんなふうに心身二元論を疑いだしたら物語全体が破綻するから仕方ないよね。まぁキュゥべえに対してツッコミを入れ出したらキリないけど、もし、キュゥべえに、本当に全く感情がなかったとしたら、感情があるかないかを判定することも無理になってしまう気もした(盲目の医者が視力検査をするのは無理だよね)。

僕だったら願い事が決まり次第即刻キュゥべえと契約すると思う。魔力を切らさない限りは不老不死っぽいし。

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