見出し画像

何故文系の自分が超弦理論に興味を持つのか


童話中盤書き直しにかかっているので、今日は簡単に。殆ど自分用メモに近い

 
ブラックホールの底。文系のイマジネーションなら(どんな最少単位・最小次元であろうと)ものの厚みと絡まり——振動・膜や摩擦——をまず考えるが、理系の発想はあくまでミクロ位階の単体的発想(至純化単独化)の一途をたどり?、そうした地上的発想とは違ったのだろう。
でもともかく彼ら物理学者らは難関を突破した。



ところで、高校時代など数学も物理も赤点ばかりだった自分が、何故 場と波動理論(量子力学的な事象)には関心が行くのか。その ものの見方の、何が触れてくるのか。

引き寄せの法則、などのレイヤーで語ることもできようが、今はもう少し自分のすこしかかわった文系学問分野に引き寄せたままのレイヤーで同質性を綴っておこうとすると、ともかく、こうはいえるかもしれない。 


宇宙物理学のある地点を境に、ユークリッド幾何学的発想の優位から、場と波動理論優位に転換した。何故こうなってきたのかを考えると、ある必然性に突き当たる。
そこで転換したものは何か… ターゲットが、主に 現出(現象)つまり予め顕現せるもの・表に輝けるものから、むしろ見えないもの=「?」なもの・退隠(見えるものを見せている影)へと交替した。
この場合、その「?」なターゲットの[周辺のもの]の振舞い・素描と、気配としての運動の軌跡等々から推量するしかない。

テクストそのものより、抽出されるテクストからは漏れ落ちるもの、つまりコンテクストから”物語られるもの” の膨大さ(これじたいまるでブラックマターのよう?)から遡及する態度、というものが求められる。

これ自身、或意味現象学の興味の持ち方・現象学的態度以外の何物でもないといえる…。



ところで、 自発的対称性の破れ-至:超弦理論 的な考え方が案外当たり前のように理解できてしまうとき、逆にその手前までの思考とは何だった、ことになるのか…。

これは感覚的な表現だが「ものを食べてしまうと、この地上離れした均斉美が崩れてしまう!、妖精のような自分の身体が《重さ》を持ってしまうわ」と真剣に苦悩し、そのためにはむしろ死を望む拒食症の少女のようなneuroticなものだった、といえるかもしれない。。。し、

別のベクトルから見ると、

平然と原爆を投下し、平然とトイレのないマンションを生み出すことをためらわぬ意識と思考、否産み出さざるを得ない種類の意識と思考だった…

(と私には思える。。。)


noteに、サポートシステムがあることを嬉しく思います。サポート金額はクリエイター資金に致しますとともに、動物愛護基金に15%廻させていただきます♡ m(__)m