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地上の好きな天使 主旨とあらすじ


1995~7年頃創作したもの。現在、おもに第三章魔界の部分(以降)を書き直している。

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聖寵というもの。また聖寵(超越)と地上の存在(身体的存在/主体)との関係を述べる哲学ファンタジー。基本的には匿名性を帯びたものが主題なため、――一応便宜上パドと命名はしたものの――特定の主人公はない。
ここで言う天使は聖霊、聖性を帯びた息、というところと思えるが、この場合天使という表徴で代替。天使は地上(人間の身体・世界)から離れて天上に隔離されたままでいるもの、それ自身で完結したもの(眼に見えるもの・対象的存在)ではなく、あくまでも地上・人間の身体・生命の自発性との関係においてある(=見えるものを見えるようにするところの)もの、ということをメッセージとした。
逆に言うなら身体的存在も、地上的な場のみで自己完結できない、閉ざされない=閉じ「られない」存在であり、聖性・天の息(共生と自発性の両立をねがう力)へと開かれている。
人間とは天の息(身体的存在のもつ真に自由で自律的な自発性および共生感覚へと働きかけるもの)と無意識(場合によっては魔性・闇の部分も含みうるが同時にそこから脱しようとする働きも含まれるとする)との、現働的および潜在的働きあい、内即外という原理によって成り立っている、という考えを、童話的に――もしくは童話風に――イメージ化した。くだいた口調になるように自分なりに工夫した。

第一章
聖寵における主体(地)と超越(天)――聖性(純粋贈与への自発性)の働きをイメージ化した章。
天使のがわは、地上になにか働きかけたいと思い受肉(生成または呼びかけ=応答の成立可能性)のきっかけを欲している。また地上では、生成=表現(人間;画家で描写)、または生成=純粋贈与への自発性(子ねこや少女、鳥たちで描写)として聖性との交感可能性を欲している。これはひとつのことがら。ここにおいて、同章に登場する地上の生きものたちが描く天使像――天使(聖霊)の姿を見ること(=可視化願望)や、出会い、贈りものをとどけ-受けとってもらう、(=対象化願望)――などは、すべて挫折する。これをもって、聖性とは、可視的なもの・対象的なものでなく、生成/表現(ある種の構築作業、be=become ※正確にはまったきイコールではない)を通じて地上のひとりひとりに受肉するもの(見えているものを「見える」ようにするところのものと、その働き)であることを示唆。地上が大好きで、地上の色々なものになり変わりたいと思っている天使の空でのようすと、何かうつくしいものをお空に感じそそられている地上――画家のおうち、画家の娘さんと猫たち。または周囲の鳥たちや生きもの――のようすが描かれる。

第1話…画家のおうちとその周辺には、地上に降りたくさせられるなにかを、いつも感じる天使の、お空でのようす。原っぱのまわりには、地上に降りて形をとれそうな何かがある。

第2話…周囲の鳥たちが、ある日のお空のあまりのたえなるうつくしさになにかを感じとり、虹色の雲がおひさまに到着するタイミングを見はからって原っぱで音楽会をひらく。この時、天使は地上に降りてみんなの心に宿るが、みなはそれに気づかない。自分たちの奏でる音楽が天使にとどいたかなぁ、天使に会えないかなぁと思ってしまう。

第3話…ある日クモと出会った子ねこの姉妹は、この辺りの様子をうかがう天使についてのうわさを耳にする。天使の垂らすその光のつり糸は、じつは自分たちのつむぐ糸だとクモは言い、この辺りにすむものはみな天使に会いたがっているのだ、と子ねこたちに告げる。そのうち、クモの糸とみんなの白い羽根で織った天使の羽根を、天使にプレゼントしようという計画がもちあがったと、クモは子ねこたちに報告する。

第4話…天の川のすばらしい夜に、画家の家の周辺の生きものたちみんなでつくった天使の羽根を、天使にプレゼントする。みんなはいっせいに飛び立ち、天使はみんなの心に降り宿るが、みんなは会えたという実感がわかないし、受けとってもらえ喜んでもらえたかどうかも、はっきりとはわからずに、降りてきてしまう。

第二章
孤独と彷徨の魂(男の子)が救済=他者・共生・(一時的な)居場所をもとめるようす。また、超越がある主体への受肉のきっかけを求めてその入口としての地上の一点をアトリエに見出し、ここに降天するようす(この際、降天は画家自身の表現行為・生成と不可分に描出、「形をとる;be=become」)との章。天使が画家カデシさんのアトリエに降り立ち、地上のある彷徨に疲れた男の子として(あらためて)画家のアトリエをたずね、ここに仮の居場所を見出す、という出来事をつくることを欲し、画家がこれにこたえ、互いにきっかけをつくり合う。孤独にさまよう男の子が救いをもとめ、たんぽぽの精にみちびかれて、あるアトリエをたずねるきっかけを得る。また、同じころ、天使のパドが画家カデシさんのアトリエにこっそり降り立って、あんまり居心地がいいのですこし長居をしたくなる。そこで、地上のある男の子になってこのアトリエをたずね、ここで家のみなと友達になり、しばらく一緒に過ごす、という出来事のきっかけを、天使パドと絵かきのカデシさんとでつくりあげる。


第1話…孤児でさすらい人のオトノムが、たんぽぽの精と出会う。たんぽぽの精は、このあたりのようすをうかがう天使のうわさを話し、また心のどこかで居場所をもとめているオトノムに、カデシさんのアトリエに遊びに行くよう誘う。

第2話…天使のパドはある時、画家のアトリエにこっそり降り立ち、絵を描いているカデシさんと背中越しに話をするうち、地上のある男の子として画家のアトリエをたずねてカデシさんとその家族に出会う、という出来事をおこすきっかけをつくる。パドはカデシさんのある絵の中にクモの姿を借り、しのびこむことを決心する。

第三章
魔界(虚像と虚妄にすがりつづける体制と犠牲の排出)の描写と、そうした魔界に居つつも息苦しくそこから聖性へむけて離脱しようとする力-存在の擬人化(疲弊した社会から疎外され抑圧された、智察的良心をもつ小さい悪魔として表象化)。および、天使と悪魔の(閉じられない)シャボン玉における合体というイメージによる、主体と超越の関係の描出と、生成=受肉(「今・此処」の成就。と同時に、超越の退隠)の章。アトリエにおける天使と悪魔の合体(決定的瞬間は描かれない)=男の子としての受肉=男の子のアトリエ来訪へとむすびつく。天使のパドが画家のある絵の中から、魔界の、そこかしこに浮かぶ繭玉のバルーンと、そこに生きる人々のおかしな振る舞い、煙(不思議な煙・爆発・事故)を見、またここから脱出したいとねがう悪魔の子の声をききとり、その子の地上(画家カデシさんのアトリエ)への脱出を助ける。カデシさんの娘カブリオルの分身の妖精とクモを、使者として絵のなかへおくる。めでたく魔界を脱出した小さな悪魔は、天使のパドといっしょに閉じられない(=永遠に息を吹きかけ続けられる)シャボン玉にのってアトリエで遊ぶ。画家の描く少年の絵が出来上がる瞬間、ひとりの男の子となってあらわれる(男の子のアトリエへの訪れ)。

第1話…天使パドは、画家のアトリエの中のある絵――魔界=悪魔のくにのなかで、あるひとりの小悪魔、ニムリムをみつける。悪魔のくには虚妄に覆われたままその中に生きつづけ、真実の姿を見ない国で、疑問と鬱屈を感じる小悪魔ニムリムはみんなから割の合わぬ役目ばかり押しつけられる役目に立たされ気持ちが疲弊している。なんとかこの国から脱出できないかと思っている。

第2話…小悪魔ニムリムは、「裸の王様」中の正直者の子供役のように、真実を口にしては魔王や魔女から罵詈やおしおきをうけているが、糸繰工&サーカス団の娘、妖精エシャッペに手伝ってもらい、悪魔のくにを脱出する。

   (挿入エピソード1・小悪魔ニムリムは、魔界脱出のとちゅう、天使パドとシャボン玉のなかで合体することを、どこからともなくきこえる声により教えられる)

   (挿入エピソード2・路上詩人オトノムが道ばたで眠りこけているのを、カデシさんの娘カブリオルによって見つけ出される。偶然幼なじみだった二人は久しぶりに出会う)


第3話…閉じられないふしぎなシャボン玉のなかで、アトリエ遊覧しながら、天使パドと小悪魔ニムリムは秘密のおしゃべりをかわす。

第4話…カデシさんの描く少年の肖像ができあがるちょうどその時、少年オトノムがカデシさんの娘カブリオルといっしょにアトリエに登場する。アトリエでのみんなのだんらんのようす。オトノムとカブリオルは、丘の上の教会で、生き物がつむぐ繰糸を使ったいろいろな作品を半ば奉仕で孤児院などに寄付しこの活動を応援したいと思ってくれる人から資金を募る仕事に従事することにし、社会奉仕を受けつつなんとか自立した生活を始めることになる。パドはいつのまにやらお空へかえっている。


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上記、まとめ文を変更する可能性があります

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