心理学ガール #16

あの人と会う

登場人物紹介
「僕」
  心理学部の大学四年生。語り手。
  社会心理学が好き。
ハルちゃん
  心理学部の大学二年生。好奇心旺盛。
  将来の夢は心理カウンセラー。
サキナさん
  心理学研究科の博士前期課程一年生。

 僕は心理学部の大学4年生。ここは大学本部棟の心理学研究室。今日は卒論のことで教授に相談に来たが会えず、そこにサキナさんが居た。サキナさんは高校の同級生。今は同じ大学で心理学を研究している修士一年目。僕は彼女以上に優秀な人を知らない。

僕「サキナさん。お久しぶりですね。そういえば、最近、催眠についていろいろと勉強しているんです。サキナさんは、催眠についてどう思います?」

サキナ「催眠はいくつかの心理現象を催眠と名付けているだけ。催眠に限った特別な方法や現象はない。だから、催眠というものにこだわると催眠はわからなくなる。催眠を知りたいなら、催眠で起きる現象を催眠以外の視点で考える必要がある」

僕「厳しい評価ですね。確かに催眠じゃなければ起きない現象ってないかもしれません。それでも、催眠はそれらの現象を起こせる方法論を持っているじゃないですか」

サキナ「催眠誘導のことかな。しかし、巷で使われている催眠誘導は、催眠状態を前提とされているものだったり、検証がなされていないものばかりだから、実際は現象を起こすために無意味な方法や、現象が起きるのを阻害している方法も含まれていると思う。催眠術師は、現にこの方法で催眠が成功しているから正しいと思っているかもしれないけど、催眠の現象を予測・制御するには現時点で不十分だろう」

僕「サキナさんは、どの催眠誘導が無意味だと思ってるんですか」

サキナ「催眠は心理的な現象だから、物理的に催眠を引き起こすとしている方法は違うと思っている。具体的にいえば、頸動脈を圧迫したり、頭を回したり、体をさすったりは、物理的な意味はないと思う。他にも無意味なものは多い印象を持ってる。ただし、物理的には無意味でも心理的には意味が生じることがある。それが催眠の本質といえるかもしれない」

僕「それぞれ迷走神経反射により脈拍が下がり脳への血流が変化するとか、脳に動きを加えるとか、ホメオスタシスが働くタイミングで暗示を入れるとか、副交感神経優位の状態にするとか説明されていますけど」

サキナ「科学的なワードを使っているからといって正しいという訳ではない。それっぽい言葉を使っているのは疑似科学の特徴だ。脳の血流と催眠について、ホメオスタシスと暗示効果について、副交感神経優位と催眠について、いずれもメカニズムが曖昧な上にエビデンスがない。そもそも、それらの言葉の定義すら曖味で、それらしい説明ではあるが、実のところ全く説明になっていない場合がほとんどだろう」

僕「うーん。副交感神経についていえば、最近はポリヴェーガル理論も提唱されて、単なる交感神経と副交感神経ではない可能性も示唆されてますしね。サキナさんのいうとおり、科学的なワードで煙に巻くのは疑似科学の特徴ですよね」

サキナ「素人考えの理論が信じられている。最近は神経科学の言葉が使われたりもする。脳を騙すとか、脳を弛緩させるとか、比喩でいっているんだろうと思いたいが、比喩と思っていないところもあって、言葉に厳密さがない。私が思う最強の催眠術理論が繰り返し披露されている」

僕「そこまで人に求めなくても•・・・・」

サキナ「ある意味フィクションとして催眠を扱っているならいいだろう。だけど、根拠もないそれらしい言説をしている催眠術師は、その方法論を高額で講習したりしている。学問的には根拠のないものを高く売りつけるのは倫理的にどうかと思う。それに、まっとうな心理学の教育を受けてない催眠術師が、催眠療法と称して心理療法みたいなことをしている。心の問題を簡単に考えてはいけない。場合によっては生死に関わる。決して軽んじてはいけない問題だと思う」

僕「僕も、催眠療法は怖いなと思ってます」

サキナ「催眠に限らずだが、小規模なコミュニティにおいて、情報がアップデートされずに内輪で争うみたいなのはよくあるような気もする。ここら辺は社会学とか範疇かと思うので私は詳しくないが。君も催眠なんかに関わらない方がいい」

僕「僕は、学問的な催眠とは何なのかに興味がありますから、そこは探求したいと思います。それを、わかりやすい形でまとめられたらなと思ってます」

サキナ「忠告はしといた。あとは好きにしたらいい」

僕「ありがとうございます。また、催眠も含めて相談させてください」

サキナ「これは相談ではない。面白い対話だった。ありがとう」

 僕はサキナさんと別れて学生会館へ向かった。