心理学ガール #23

シチュエーション

 僕は心理学部の大学4年生。ここは学生会館2階のいつもの席。今日も僕はハルちゃんと催眠について話をしている。

ハル「先輩。前回話した社会的認知理論による催眠について、もう少し知りたいです」

僕「いいよ。じゃあ、本を1冊紹介しよう。清水貴裕先生の『催眠反応性の規定因に関する臨床社会心理学的研究』という本です。最近の日本の催眠研究の中で最も重要な本だと思います。清水先生の博士論文を書籍化したものなんだけど、いわゆる社会的認知理論をベースとした研究だと思います。もちろん、研究の中身もおもしろいし、催眠を実践する上で示唆に富むものなんだけど、研究に至る検討部分は、最近の催眠研究の現状を知るのに一番詳しいと思います。催眠のプロなら必読です」

ハル「そんな本があるんですね」

僕「前に紹介した斎藤先生の『変性意識(ASC)に関する研究』も博士論文の書籍なんだけど、この手の本は増刷しないから、催眠に興味がある人は早めに入手しておいたほうがいいよ」

ハル「はーい」

僕「読んでもらえればいいから、僕が解説する意味はあまりないかもしれないけど、僕が興味深いなと思ったところを少しだけ紹介するね」

ハル「お願いします」

僕「初めに催眠の定義だよね。この本でも、すべての研究者が合意する催眠の定義はないとしている。そして、催眠状態の研究について書いてある。その中で、催眠の指標としての特定の催眠状態は確認されていないってことと、催眠現象が社会的影響と個人の能力から生じることを示す研究が多数あると書いてある。僕らもずっと催眠状態はないことを話してきたけど、決着が着いていないとはいえ、現状は催眠現象に催眠状態は必要なという結論が妥当だということが書かれている。そして、清水先生は催眠を次のように定義している。

催眠者と被催眠者が「催眠」を行っていると互いに認識する状況において、被催眠者が催眠者からの一連の誘導手続きを受け、行動や主体的体感の変化・変容を意図する暗示に対して反応することを求められ、被催眠者がそれに応じた反応や体験を示すこと

催眠者は催眠を掛ける側の人だね。催眠愛好家の中では最近、掛け手と呼ばれている。被催眠者は催眠を掛けられる側の人だね。同じく掛かり手と呼ばれている。この定義はいいよね。互いに催眠だと認識している状況がなければ、催眠ではないということだけど、例えば、前に話した催眠愛好家が、“プラセボは催眠だ”とか“我々は知らないうちに常識という催眠に掛かっている”みたいに、なんでも催眠に結び付けることは否定される定義なんだ」

ハル「ひとついいですか? 催眠療法家のエリクソンは、催眠といわずに相手を催眠状態にしたという話をきいたことがありますけど、その場合は催眠ではなかったということですか?」

僕「いい質問だね。エリクソンが心理療法でやっていた内容のすべてが催眠だったかと聞かれれば、そうではないと答えるね。その上で、催眠といわずに催眠をしたということだけど、そもそも、エリクソンは催眠療法で有名だった。その人と会話しているという時点で、これは催眠ですという明示がなくても、催眠かもしれないとは思っている可能性が高い。そういう意味では、互いに催眠と認識する状況は発生していたともいえそうだよね」

ハル「なるほど。確かにそうですよね」

僕「うん。だから、“催眠術師です”と自己紹介したり、他者から紹介された場合、被催眠者は催眠を行うかもという認識する可能性があるよね。それでいうと、動画サイトなどで道行く人にいきなり催眠を掛ける動画があるけど、あれは日本よりショー催眠が一般的なアメリカとかでは、催眠だという認識を一解で起こしやすいから、ストリートでの瞬間催眠というものも実現可能かもしれないなって思ったりする。まあ、あの動画が本当かどうかはわからないけど。逆に日本だと、短時間で催眠という認識を起こすのが難しいから、何もないところからの瞬間催眠は難しいだろうね」

ハル「そんな動画があるんですか。今度見てみます」

僕「動画サイトの動画はヤラセもあるから、疑って観てみてね。お互いが催眠だと認識する状況ってのは、個人的には、明示的な状況以外も含まれるとは思っている。それでも、催眠の成立には、必ず催眠だと認識する状況が必要という定義は妥当だよなと考えている。これがスタンダードになってほしいね」

ハル「確かに催眠に必要なことを網羅している定義ですね」

「うん。もう一つは紹介するのは、人が状況を催眠と認識していることが、催眠現象にわずかながら影響しているということが書かれている。催眠現象は、催眠以外でも起こせるのは前にもいったとおりだけど、催眠だと認識した方が、より起きやすいということらしい。奥味深いよね」

ハル「そうですけど、結局、催眠は、催眠だと思うことで起きる現象ってことなんですかね。謎が深まります」

僕「いろんな解釈ができるかもしれないね。こういうことを知って考えることがおもしろいよね」

ハル「それは、そう思います。いつも楽しんでます。ちょっと用事があるので、今日はここまでで。ありがとうございました」

 ハルちゃんは出口に駆けていった。