心理学ガール #15

あなたの中の別のあなた

 僕は心理学部の大学4年生。ここは学生会館2階のいつもの席。今日も僕はハルちゃんと催眠について話をしている。

ハル「先輩、先輩。わたし、催眠について少しわかってきた気もするんですけど、それでもやっぱり、催眠で味が変わったり、体が動かせなくなったり、痛みがなくなったりすることが不思議に感じるんです」

僕「ハルちゃん、いきなりだね。ハルちゃんのいうとおり、催眠で起きる現象を不思議に思うのはわかるよ。じゃあ、その仕組みについて少し考えてみようか。前回少し話した『確眠心理面接法』の中から、新解離説について話していこう」

ハル「よろしくおねがいします」

僕「催眠という現象が起きるのに、催眠状態という特別なものが原因として必要なのかという話で、必要とする“状態論派”と不要とする“非状態論派”があって、現状、催眠状態というのは確認されていないから、非状態論を正しいとするのが学問的態度です。その上で、状態論として一番有名なのが、前にも出てきたヒルガードという心理学者が唱える“新解離理論”というものがあります。ざっくりいうと、痛みを感じないという催眠を体感している被催眠者が、その体感と同時に感じてないはずの痛みを催眠の自動書記で報告できるという現象が発見されたんだ。このことから、ヒルガードは、被催眠者の中には痛みを感じない部分と、痛みを感じている部分とに分かれているのではないかと考えた。一人の人の内部が分かれる状態を解離状態といい、その他の病的な解離とは別に、正常の解離として新解離理論を考えたんだ」

ハル「解離って多重人格とかですよね」

僕「うん。間違ってはいないけど、おおさっぱすぎるかな……。病的な解離の一つに多重人格と呼ばれるようなものがあるともいわれていて、僕も医療に係る話はつっこんでできないけど、多重人格が何なのかは慎重に考えないといけないと思う。とりあえず、催眠の不思議な現象は“解離”というものでだいたい説明できると思う。新解離理論をもう少し詳しく説明すると、人の行動の中に、行動を直接自律的に制御する複数のシステムと、そのシステムを制御する実行機能と、そのシステムをモニタリングする機能とがあると仮定している。そして、例えば、体を動かす自律システムを実行するための機能が抑制されれば、動かそうとしても動かないという現象が起きる。体を動かす自律システムに直接暗示をすれば、動かそうとしていないのに動いてしまうという現象が起きる。それぞれのシステムや機能を想定して、相互の機能が抑制するなどされることで、催眠現象が説明できるというものだと思う」

ハル「すごいじゃないですか。実行機能と、制御機能と、モニタリング機能が相互に機能して我々の行動が起きている。そして、その機能を分断したりする方法が催眠ということで、その状態が解離状態……合っている気がします! 催眠状態あるんじゃないですか?」

僕「おっと、そこは冷静になろう。解離状態は催眠という現象を説明するはできていても催眠の原因として催眠状態ではないと思うんだよね。むしろ催眠現象が起きている結果としての状態といえるんじゃないかと思う。そもそも、解離状態であることは測定できるかという問題があるし、仮に解離状態が測定できたとして、解離状態であればどんな催眠現象も起きるのかという問題もある。解離状態という心理状態がイコール催眠状態であるというのは違うと思うね」

ハル「そうなんですかね……」

僕「うん。それに、新解離理論には批判もあって、さっき話した、痛みを感じていない現象中に痛みを報告させるという実験で、正確に報告できると教示した群と低く感じると教示した群では、それぞれ教示のとおりに報告したという研究がある。つまり、痛みを報告している行動も単なる暗示の結果だったかもしれない可能性があるってことなんだ」

ハル「そっか。自動書記だとしても客観的な指標でない限り、それは暗示によって起きている可能性が排除できないってことですね。催眠を研究するってむずかしくないですか?」

僕「むずかしいね。結局催眠で起きていることは、催眠者から求められる行動を被催眠者がなんとか実現しようとしているということに尽きるんじゃないかと思ってしまう。そして、その求め方が催眠的で、その実現も催眠的であるから不思議に見えるんだと思うだけど、分解して考えてみれば、その求め方も特別ではないし、その実現も特別ではない。そういう意味では、催眠を通常の人間の行動から分析している非状態論や社会認知理論がやっぱり正しい気がするね。そして、結局、相手を特別な状態に誘導すれば暗示のとおり行動させることができるという単純というか、夢のような催眠は存在しないんだよね」

ハル「それは理解できたような気がします」

僕「それはハルちゃんがすごい。催眠愛好家の多くは、催眠を間違って理解しているからね。夢の催眠は夢を与えてくれるし、夢ってのは金儲けができるからね」

ハル「なんかちょっとブラックですね」

僕「もちろん催眠に関わるすべての人がブラックではないけどね。ということで今日はここまで。お付き合いありがとうございました」

ハル「こちらこそ、いつもありがとうございます」

 ハルちゃんは出口に駆けていった。