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15年、あるいはKAT-TUNという概念

15年という月日、長いだろうか、短いだろうか。

昨日3月22日、私が長年追いかけているKAT-TUNがデビュー15周年を迎えた。結成20年、デビュー15周年、この日をグループとして迎えらえたという事実はハイフンにとって、とても重い。

15年前の2006年、私は高校1年生だった。2005年の1月に放送された「ごくせん」の第一話を見て、ひと目で仁亀の魅力の虜になり、どうやらKAT-TUNというデビュー前のグループに所属しているらしいと、少年倶楽部を見始めた。ちょうど番宣でMステに学ラン姿で登場したときの衝撃たるや、今のようにYoutubeを開けば動画が溢れているわけではない、録画したMステから音声ファイルを作成し毎日GOLDを聴いているうちに、苦手な英語の歌詞をまるっと覚えてしまった。「好き」のパワーはすごい、今でもそう思う。
当時地方に住んでいたので、ライブに行くこともできず貯金していたお小遣いでライブDVDを購入し、まだかまだかと待ち構えたあの高揚感。ついこの間のように思い出せる。

anego、野ブタを経てデビュー前にも関わらず、テレビでKAT-TUNを見かけない日はない、思い出補正を抜いたとしてもそれくらい当時の盛り上がりは凄かったように思う。
満を辞してのデビュー。その速報を受け取った時、ああ、同じ時代に生きててよかった神様ありがとうと思ったっけな。


15年間、ずっとグループを追いかけていたかというと、正直そうでもない。ライブには毎年欠かさず足を運んでいたが、大学に進学した忙しさもあり音楽番組やラジオはノーチェック、新曲が出たらとりあえず購入しておくというくらいの関わり方になった時もある。
ただ、どんなに熱が覚めても、ファンは辞められなかった。
メンバーが辞めるたびに、残された人の気持ちを想像したし、再出発する度に今度こそ何事もなく歩めると良いなと祈った。
順風満帆ではないからこそ思い入れも強くなったし、より自分の人生ともシンクして、記憶に残りやすくなったように思う。
もちろん、何事もなくうまく進む方が良い、人数が減らない方が良い。
けれど昨日のライブは、そんな出来事もKAT-TUNたらしめている と思わせてくれるほど良いライブだった。

グループには色んな終わらせ方があると思う。
6人でないとV6でない という判断のもと解散を選んだり、TOKIOのように子会社化することでグループを守ったり。
どれも正解なんてない、ファンにとってはメンバーがしっかり考えて出す答えであればどんな結論でも受け入れられる、と思う。

1人減り、2人減り、まずグループとしての地盤を固めよう、これなら大丈夫だという中でのさらなる脱退。KAT-TUNだって、いつ解散してもおかしくなかったはず。実際亀梨くんは、昨日の最後の挨拶で「辛い状況から逃げたいと思った時もある」と語っていた。

それでも彼らはKAT-TUNであり続けることを選んだ。
ハイフンのために、周囲の支えてくれる人のためにKAT-TUNであり続けることを選んでくれた。

15年見続けて思うのは、KAT-TUNはどんな時もKAT-TUNだった。
6、5、4、3人。ライブに行けば、必ずKAT-TUNだった。これを実現するのが、どれだけ難しいことか、側から見ている私には想像できない。きっとその時その時のメンバー達が考え導いてくれた結果なんだと思う。

たかだか、アイドル。されどアイドル。
格好良いから応援する、そんな次元は超えている。彼らの辛さや苦しみに共感し、生き様に勇気づけられている。
グループの軌跡と自分の歩んできた15年を重ね合わせて唯一の思い出になる。楽しいこと、苦しいこといつも側にKAT-TUNがいた気がする。

辞めて行ったメンバーのファン、残されたメンバーのファン
それぞれが色んな思いを抱えて応援してきた15年。
全ての思いを包み、飲み込み、昇華してくれた。

ありがとう、KAT-TUN
おめでとう、KAT-TUN

15周年は始まったばかり。昨日3人が言っていたように、ハイフンとしてこの1年を一緒に楽しみながら応援していきたい、そう思う。

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