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作品は助け舟

 友人に話したら「うちの会社もこんな人ばっかりだよ」と言われるような人が4月から上司になった。上司と部下という立場をはっきりさせ、お金と肩書きを大事に、自身の友人を紹介するプロフィールには漏れなく年収がついてくるほど露骨だった。業績も大事なのはよくわかるが、極端に中身のない業務に精神衛生は保たれず、汚染は身体も蝕んだ。

 1時間弱の面談で、上司に言われた言葉は針の雨のように鋭く全身に突き刺さり、フルマラソンを走ったような、ノンストップで富士山に登頂したような壮絶な疲労感とともに、真っ暗な空間へ突き落とされたようだった。なんとか這いつくばって、オフィスを出たが、あまり覚えていない。

 回復のために手に取ったのは漫画やアニメで、今の自分にとっては、大童澄瞳の「映像研には手を出すな!」とヤマシタトモコ「違国日記」であった。
 前者は、針を抜き、その穴をパテ埋めするように、ガサガサの手の甲にハンドクリームを塗るように、繰り返し見た。後者は、作中の登場人物が自分の代わりに考え、行動し、発言してくれることで、位置情報を失い混乱した脳を落ち着かせてくれた。

 より多くの作品(=人が生み出す品=音楽、アート、映画、料理、小説、等々)に出会うことで、予測できない波に対し、ありとあらゆる舟をスタンバイしておける。「たくさん本を読みなさい」と言った国語の先生の言葉がじんわり響く。作品は自分を救う。その作品は多いに越したことはない。良し悪しには、専門的評価もつきものだが、自分における評価が年齢やタイミングに左右されるのはこういうことかと腑に落ちた。落ちないと知ることができない浮上の仕方。

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