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映画・アニメ好きへ贈る!バンドアニメの到達点「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」を語る④祥子が込めた皮肉と願い

Ave Mujicaに込められた皮肉

恐れとは〇〇である

「モーティス」「我、死を恐れるなかれ」
「ティモリス」「我、恐れることを恐れるなかれ」
「アモーリス」「我、愛を恐れるなかれ」
「オブリビオニス」「我、忘却を恐れるなかれ」
「ドロリス」「我、悲しみを恐れるなかれ」

13話、名乗り

最終話にて突如現れた凄腕バンド「Ave Mujica」
イントロから伝わる凄まじいパフォーマンスには圧倒されてしまいました。

このバンドが演劇パートで口にした名乗り口上「〇〇を恐れるなかれ」という言葉。これは何を意味しているのか、少し考察してみました。
メッセージを読み解くにあたって、この言葉が参考になりました。

恐怖は常に無知から生じる

ラルフ・ワルド・エマーソン

これはアメリカの哲学者エマーソンの言葉です。恐怖の源泉は無知にある。裏を返せば、恐れを抱いているということは対象について無知であると述べているのです。
そして「恐れるなかれ」という言葉。そもそも、恐れなどないのであれば「恐れるな」という言葉は必要ありません。であれば、恐れを抱いている、もしくはその芽を持っている、ということになります。

上記を踏まえると、この図式が成り立ちます。

恐れること=無知であること
恐れるなかれ=無知であるなかれ

つまり、「恐れるなかれ」とは無知の摘示と無知の否定であり、「知るべきこと」や「求めるべきこと」と読み解くことができます。
これをメンバーに当てはめてみます。

モーティス

■若葉 睦「死を恐れるなかれ」
死を知らない。死を求めよ。
なぜ死を知らないのか——それは”生きていない”から。主体性がない(ように見える)睦について「”死んでいる”ようだ」と評しているようです。
「生きるとは死ぬこと」なのかもしれません。

ティモリス

■八幡 海鈴「恐れることを恐れるなかれ」
恐れを知らない。恐れを求めよ。
これは「恐れ知らず」となりますが、そのニュアンスは勇敢さよりも無謀さや頓着のなさを指しているのではないでしょうか。30ものバンドを掛け持ちするほどの自己への頓着のなさ。そんな海鈴の主体性の低さや危うさを評しているように見えます。

アモーリス

■祐天寺 にゃむ「愛を恐れるなかれ」
愛を知らない。愛を求めよ。
常に数字を気にし、打算と計算づくのにゃむ。ファンから彼女へ注がれるものも、そして彼女が求めているものも”数字”であり、数字に振り回されている。にゃむは”愛”を知らない。そのような評価かもしれません。

オブリビオニス

■豊川 祥子「忘却を恐れるなかれ」
忘却を知らない。忘却を求めよ。
忘れることができない自分自身に対しての皮肉か、忘れることへの覚悟か。あるいは、逃れることのできない自らの宿命についてかもしれません。

ドロリス

■三角 初華「悲しみを恐れるなかれ」
悲しみを知らない。悲しみを求めよ。
誰に対しても好い顔をしてしまう初華。それは誰かの期待に沿って生きているということであり、自分がなく、他人事で、能天気。他人事なので、悲しみも知らない。そんなある意味恵まれた彼女への思いが見えてくるようです。

祥子の心の叫び

Ave Mujicaのプロデューサーは祥子であり、にゃむが名前の由来を祥子にたずねたことからも、メンバーの名前も祥子がつけたものに間違いはないでしょう。つまり、これらの名前は祥子からメンバーへの印象を一言で表した皮肉、もしくは抱えた弱点を表したものであると言えます。

気になったのは、そのどれもが主体性にまつわるものだということです。運命に翻弄される彼女が、それでも手放さずにいる主体性。メンバーの名前や彼女のこれまでのセリフからは、そんな彼女の心の叫びが聞こえてくるようです。
もう一つ気になったのは、親しい間柄である睦と初華にすらこのように評する祥子の心中です。
祥子は12話でにゃむと交渉した際に睦と初華の名前を出しましたが、睦が加入を伝えたのは13話でした。ということは、祥子は睦の意思を無視して名前を利用したということになります(そうなると初華の事務所に話を通してある、という話の真偽にも疑問符がつくのですが、こちらは類推としては粗が残るのでここまでにしておきます……)。

ぼくには、現在の祥子は、迷いを捨て去ろうと進んで心に茨を纏っているように見えます。親しい人との関係を切り裂き、過去と決別し、未来すらも闇に捧げようとしている。それは強い覚悟の為せることかもしれませんが、一方で、そうでもしなければ前に進むことができない弱さにも見えるのです。
「弱いわたくしは死にました」「お幸せに」そう口にした祥子は、後戻りできない船出を前に、重荷となる弱さを置いていこうとしたのではないでしょうか。なぜなら、”忘れることができない”から——

6人目の迷子

振り返ると、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」は過去から動けない迷子たちがMyGO!!!!!になるまでの物語でしたが、一方で豊川祥子に始まり豊川祥子に終わった、豊川祥子という迷子の物語でもあったと思います。
MyGO!!!!!の5人は、最終的に過去から前に進むことがみんなの救いとなりました。しかし、祥子は前に進んでいながらも、後戻りできない方へと自ら向かっているように見えます。
それは誘い文句の対比にも表れているのかもしれません。

「一生バンド、やろう」
「残りの人生、わたくしにくださいませんか?」

主体性を取り戻す物語

「前に進む」ということ

作中で繰り返し語られる「前に進む」という言葉。この言葉を聞いて何をイメージするかは人それぞれだと思います。それは、この言葉が主体を外に置くか内に置くかで大きく意味が変わる言葉だからです。

前に進むことを「成功すること」だとすると、行き止まりは前に進めていないことになります。失敗は時にはマイナスかもしれません。これは他者評価を基準とすることで主体が外に置かれる「客観」の世界です。
一方、前に進むことを「動くこと」だとすると、行き止まりも失敗も前に進んだ結果の一つに過ぎないことになります。これは自己評価を基準とすることで主体を内に置く「主観」の世界です。
失敗や困難を立ち止まる理由にするかどうかは本人次第であり、本人が諦めない限り前に進んでいるのです。

ここでメンバーの行動に当てはめてみると、立希は燈に、そよはCRYCHICに主体を置いたがために過去に囚われてしまったことがわかります。依存と言い換えてもいいかもしれません。
燈も、5話と9話で愛音やそよの顔色を伺って主体性が揺らいだことで、それを感じ取った楽奈に「つまんねー女の子」とそっぽを向かれてしまいました。

燈の成長

「一生バンドしてくれる?」

1話、カラオケにて

「ねえお願い どうかこのまま離さないでいて」

春日影

「傷つかずに一生は無理。それでも、みんなと一生バンドやりたい。何回転んでも、迷っても」

11話、愛音の家にて

「一生、バンドしてくれる?」
この言葉は未来を相手に委ねる主体性に欠けた言葉でした。ですが、傷つくこと受け入れて、それでも前に進み続けることを決意したことで、口にする言葉も主体的な言葉に変化しています。
最終話で愛音に手を差し出した燈には、「一生、バンドしてくれる?」そう力なくたずねたあの頃の面影はもうありません。

祥子の決意

ここで改めて祥子の"運命"との繋がりが浮かび上がります。
作中でのセリフを振り返ってみます。

「人のせいにしないで」

1話、冒頭スタジオにて

「睦、伝書鳩になってはいけませんわ」

2話、羽沢珈琲店にて

「どのくらいの覚悟で言っているんですの。ただの学生でしかないあなたに他人の人生を抱えきれますの?なんでもするとは、それほど重い言葉ですのよ」

8話、公園にて

「弱いわたくしは死にました」

13話、睦家にて

どの言葉も、どこか自分に言い聞かせているようです。
人のせいにはできない、逃れることのできない運命。そして、そんな自らの運命を呪いながらも、決して他人に背負わせることはしない責任感。どんな嵐の中にあっても決して舵は手放すまいとする彼女の、孤独な戦いが見て取れるようです。

「甘ったれたことを言わないでちょうだい。燈は特に練習しないといけないのに、何をやっていたんですの」

1話、スタジオにて

これは、祥子が抜けたのは自分に責任があると燈に思わせてしまったセリフです。
ですが、祥子は他人の技術にとやかく言うような人間ではありません。当然燈にもそのようなことは言うはずもないでしょう。それどころか、燈の才能を真っ先に見抜いたのも、歌えない燈を最後まで燈を信じていたのも彼女です。であれば、この言葉は「技術の不足」ではなく「才能を磨くこと」に係っていると捉えることができます。燈には自分がいなくなっても歌を続けるようにと発破をかけているのです。
誰よりも燈の才能を信じているからこそ、自分がバンドを辞めたとしても歌は続けてほしかった。自分の運命には巻き込みたくはなかった。そんな彼女なりの優しさが込められた、厳しくも温かい言葉だと感じました。

運命共同体

「これからわたくしたちはバンド、共に音楽を奏でる運命共同体になるのです」

3話、羽沢珈琲店にて

そう語った彼女が自らバンドを辞めたのは——運命を共にすること・・・・・・・・・を拒んだのは、自らの身に降りかかった"運命"にみんなを巻き込まないためかもしれません。

愛音のバンド結成を応援していたことからも、CRYCHICを抜けてからも、音楽と、音楽を愛する人を応援する心は持ち続けていたことが見てとれます。
そして7話。自分がいなくなってもステージに立つ燈の姿に安堵したところに、過去へと引き戻す「春日影」。大切な人。大切な時間。鍵を掛けて忘れようとした、自らの手で断ち切るにはあまりに大きすぎる未練。
だからこそ、"忘れさせて"ほしかった。

作中に散りばめられたメッセージ

まとめると、本作は主体性を取り戻す物語でもあり、換言すれば、"あなた"の人生を生きるための物語だと捉えることができます。
迷ってばかりの人生も、その瞬間の感情も、あなたが舵を手放さない限りあなたの手の中にあり、誰のものにもなりません。あなたが舵を握る人生では、失敗も挑戦した証であり、新たなスタート地点です。それこそが「前に進む」ということであり、その一瞬の積み重ねが一生となるのでしょう。
「迷子でもいい。迷子でも進め」
全話観たあとだと、このキャッチコピーがより強く胸に響きます。

#一瞬一瞬で一生

ところで、このメッセージは11話での立希と凛々子の何気ない会話の中にありました。

立希 「気楽に言いますよね」
凛々子「気楽に出ればいいんだって」
立希 「恥をかくのはこっちですよ?」
凛々子「そんなの自分次第だよ」

11話。RiNG受付にて

起きたことをどう捉えるか、そしてどうするかは自分次第だというメッセージがそこにはあります。
ぼくは成人しているので、彼女たちの不安や葛藤をある程度は俯瞰して見ることができているとは思いますが(できてたらいいな……)、まだ現役の学生さんや苦境の只中にある人にとっては、今がまさに迷子なのかもしれません。そんな人たちにこそ、この物語に触れてほしいと強く思います。

そして、これは個人的な話で恐縮なのですが、最近ぼくは人生における大きな転機があり、その時に一歩踏み出す力をくれたのがこの物語でした。
もし進んだ先が行き止まりで、大きな傷を負ったとしても、その時はまた道を探せばいい。それが進むということだから。そう思えたことで、一歩前進できたのです。
この選択が未来にどんな影響をもたらすかはまだわかりません。しかし、たとえ目に見える成果はなかったとしても、確かに前に進めたのです。そして、決断して行動した自分は前よりも強い自分です。
ぼくは「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」という物語に、そして魅力的な登場人物たちに会えてよかったと心から思います。願わくば、ぼくと同じように踏み出す勇気を貰える人が一人でも増えますように——

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