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出張ビジホ料理録

埼玉県在住で東京都内勤務の会社員、福田空(ふくだそら)。
仕事の都合で月に一度程度の地方出張があり、遠方で出会う地方色豊かな食材を、自ら調理して食べることを人生最大の楽しみにしている。ただし、おいしいものを食べている様子を誰かに見られることを苦手としているため(興奮すると感じたことを全部口に出してしまうから)、必ず一人で遂行している。

ビジネスホテルのキッチンのない一室で、持ち込んだ愛用の道具を活用し、一切の痕跡を残さず、誰にも迷惑を掛けず、こっそり調理して食べるのが、誰も知らない福田空の流儀。

※「福田空」の性別、年齢、外見といった細かい設定は、すべて読む側の印象にお任せします。

第1話 : 魚屋が教えるホヤを好きになるフルコース/宮城県女川町

復興した女川で豪華なウニ丼を作るのだ

六月某日、上司である城止(しろどめ)課長の業務命令によって、宮城県牡鹿郡女川町への出張が決定した。

「ごめん、ちょっといいかな。宮城県の女川っていうところに軽くサポートで行ってくれる? 日帰りでも余裕で行けると思うけど、特別に一泊していいから。せっかくだからおいしいものでも食べてきなよ。もちろん自腹でだけど。現場の人は会社のお金で旅行ができて羨ましいな~」

出張の当日は、梅雨の合間のよく晴れた日だった。仕事じゃなければ最高なのに。
福田の自宅は埼玉県東部なので、東京駅ではなく大宮駅から六時五十七分発の新幹線はやぶさに乗り込む。仙台駅着はあっという間の八時三分。持参したコンビニのおにぎりを食べたら、気づけばもう仙台だ。
仙台駅から仙石東北ライン快速に乗り換えて石巻駅まで行き、さらに石巻線へと乗り換えて、その終着駅がようやく女川駅。「線路は続くよどこまでも」という歌があるけれど、石巻線は女川が終着駅。順調にいけば九時五十九分に到着。
県をいくつも跨ぐ大宮駅から仙台駅への大移動よりも、宮城県内の小移動である仙台駅から女川駅までの方が、ずっと時間が掛かるという鉄道相対性理論。

多少の反抗心を見せないと、いいようにコキ使おうとする上司には、「仕事なので仕方なく」という態度をとるものの、実は仕事の息抜きとなる出張が大好きだ。
片道三時間は望むところ。移動疲れをする程でもなく、ちょっとした旅気分も味わえる、ちょうどよい塩梅の遠さと言えるだろう。新幹線から在来線を乗り継ぐというルートも好ましい。もしこれが仙台や石巻への仕事だったら、部下に対する経費削減が趣味である城止課長からは、確実に日帰り出張を命じられていたはずだ。
せっかく三陸まで行くのだから、一泊してなにか心を揺さぶられる海産物を食べたいじゃないか。

石巻線に揺られながら、見知らぬ土地の車内広告をぼんやりと眺めながら思い出す。
私がこれから向かう女川という地名を初めて知ったのは、二〇一一年の東日本大震災の報道だった。牡鹿半島の付け根にある女川町を、最大十四・八メートルともいわれる大津波が襲ったのだ。
不幸中の幸いというには不幸が大きすぎる話なのだが、どうにか女川原発から放射能が漏れる最悪の事態にはならなかったものの、それでもニュース映像で見た女川の状態は衝撃的だった。埼玉の自宅からは、それがリアルタイムで起きている現実の出来事であるということがうまく理解できないほどに。

もはや女川に関するニュースが関東で流れることも少なくなったが、あ
の状態からどこまで女川町は復興しているのだろうか。
現実を直視することが怖いという気持ちも少しあるが、せっかくの機会だから生まれ変わった(であろう)女川で、いろいろあった女川の海が育てた新鮮なウニをたっぷりと買い込んで、下のごはんが見えないようなウニ丼を作ってやろうじゃないか。
もちろんホテルの部屋で一人こっそりと。それが福田の流儀である。

仕事の件はともかくとして、とにかく前向きに楽しんでやるぞという気持ちで到着した女川駅。
とりあえず海を目指して歩いてみると、駅から港まではそのエリア全体が、テーマパークというか住宅展示場というか映画のセットというか、そんな感じの古いものが一切ない不思議な街だった。
何も知らないでこの地を訪れたら、埋立地にできたニュータウンだと思うかもしれない。もちろんここは埋立地などではい。私が今見ているのは、あの大津波が街並みごとすべてを流した後に、十数年を掛けて築き直した新しい景色なのだ。

女川港から見た海は、波なんて一切立っていない、まるで湖のような穏やかさだった。港前にあえて残された、横倒しの旧女川交番遺構が、逆にどこかから運ばれてきたように思えてくる。今の感情は簡単に言葉にできるようなものではないが、とにかく来てよかった。そしてとにかくウニが食べたい。

まさかのウニ売り切れ

城止課長の口癖である「ASAP(as soon as possible)」で、雑に訳せば「なるはや」で、初日分の作業を終わらせて、午後二時過ぎに女川駅前にある観光市場へと向かう。
全国有数の水揚げを誇ったサンマの昆布巻きもうまそうだが、今日の私は以前から憧れていた箱に盛られたウニを買うと決めているのだ。女川だったら牛乳瓶に入った生ウニだってあるかもしれないぞ。いやあれは岩手県の名物だったかな。もし殻付きの生きたウニが売っていたら、ラッコ気分で割ってみるのも楽しそうだ。いやそれはホテルだと迷惑か。とにかく気持ちはウニ、ウニ、ウニでウキウキなのである。

ウニを求めて早歩きで市場の一番奥まで進むと、海鮮丼が名物の食堂が併設された、品揃えのよさそうな魚屋に辿りついた。ここなら絶対に地元で採れた良質のウニが売られているはずだと鼓動を高鳴らせながら店内を見渡すが、不思議なことにどこにもウニが存在しない。
私のウニはどこにいった?

「すみません、ウニはどこですか?」
「あー、ごめんなさい。なんだか今日はウニが人気みたいで、さっき売り切れちゃったんです。でも食堂の分はまだあるから、せっかくだからウニ丼でも食べていって!」
「売り切れ……ウニが売り切れ……ウニ切れ……」

あまりの非情な展開に呆然としてしまったが、ウニのようなナマモノは早い時間に売り切れることだってあるだろう。お店としてはその方がありがたいのだ。これも一つの復興の証だと思って受け入れるしかない。
受け入れるしかないのだが、それにしてもウニがないのか。私はここ女川まで何をしに来たのだろう。いや仕事なのはわかっているが。
食堂にはまだウニがあるのだからウニ丼を食べればいいだけの話だが、そうはいかないのが福田という人間の面倒臭さ。
買ったウニをホテルに持ち込んで、まずはウニそのままの味を日本酒と一緒にじっくり楽しみ、その間に白米を炊いて、締めにウニ丼を作るというシミュレーションをずっとしていたのに。そんな私が人前で念願のウニ丼を食べたら、感動が口から漏れすぎてどんな恐ろしいことになるやら。想
像しただけで新鮮なウニの如きブツブツの鳥肌が立ってしまう。

「お客さん、観光? 東京の方? 食べていく時間はない感じ?」
 
観光ではなく一応仕事であって、勤務地は東京だけど自宅は埼玉で、泊まりだから時間はあるけど自分で料理して一人で食べたいんですという気持ちを込めて、「ええ、まあ」と曖昧に答える。それにしても夕飯どうしよう。今から別の魚屋を探してみるか。でもここになければ、もうどこにもないような気がしてきた。

「じゃあホヤって食べたことある? 女川はウニももちろんうまいけど、この時期はホヤもうまいんだよ。目の前の海で養殖しているから鮮度は抜群。今日水揚げされたばかりのホヤなんて、東京だとなかなか食べられないでしょ。この特大サイズが一個たったの一五〇円!」
「ホヤ……ですか」

店員さんが指し示したのは、氷の上に積まれた握りこぶしサイズの、赤くて丸い不思議な物体だった。上には二つの突起があり、下には根っこみたいなものがある。そしてパンクスが好む鋲付きの革ジャンのような突起が全体を覆っている。
ホヤという食べ物の存在を聞いたことはあるけれど、実物をしっかり見るのは生まれて初めてかもしれない。これがホヤか。北の海で育つ生物なのに、なんだか南国のフルーツみたいな形だ。
 
ウニが買えないのでホヤを試してみたい気持ちもあるが、そういえば前に城止課長が「ホヤほど生臭いものは食べたことがない!」と、口元を下品に曲げつつ眉間に深い皺を寄せて力説していたのを思い出した。でも鮮度さえ良ければうまいのだろうか。

「お客さんはウニが好きなんでしょ? だったら新鮮なホヤも絶対に好きなはずだよ。どうしても苦手っていう人も正直いるから、いつもはあまり強く勧めないんだけど、お客さんはホヤを好きそうな顔をしているんだよね」
「それは初めて言われました。私はホヤ好きの顔だったんだ」
「もしよかったらだけど、ホヤを好きになるためのとっておきの食べ方を教えてあげるから、今日帰ったら試してみなよ。それでもしダメだったら、この店は『ホヤを売った』んじゃなくて『ホラを吹いた』ってことだね!」
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、そこまで言うなら一つ買ってみます」

ホヤの料理マニュアルがすごかった

絶対にウニを買うと決めていた私だったのに、なぜかホヤを一つと、土産物屋で買ったカップ酒をぶら下げて、トレーラーハウスをホテルにしたかっこいい宿にチェックイン。出張で泊まるにしてはオシャレ過ぎるホテルだが、女川駅から徒歩圏内のホテルは、今のところここ以外に選択肢がないのである。

ホヤは鮮度が命らしいので、さっそくテーブルに持参したビニール製のレジャーシートを広げて、果物ナイフ、まな板、ボウル、皿、キッチンペーパーなどを用意する。また周囲の床には念のため新聞紙を敷き、さらに窓を開けて匂いが残らないようにしっかり換気をしつつ、我が人生初となるホヤ料理をスタートさせる。
あの魚屋のおじさんも、まさか私がすぐ近くのホテルで買ったホヤを捌いているとは思うまい。

魚屋のおじさんからいただいた、「ホヤが好きになる秘密の食べ方」とタイトルの書かれた紙の内容はこうだ。

① ホヤ一つに対して、米一合を研いで三十分吸水させておく。
② 突起のプラス側に少し包丁を入れて、出てきたホヤ水を取っておく。
③ ホヤの下から四分の一のところを切り離し、中のヘソを取り出す。
④ 突起のマイナス側を下まで切り開き、ホヤの中身を抜く。
⑤ 中身にある十円玉くらいの黒い肝を外して取っておく。
⑥ 深緑色のウンコはきれいに掃除して、②のホヤ水で身を洗ってから刺身にする。
⑦ ホヤ水に水を足して、⑥のホヤ半分と①でホヤ飯を炊く。
⑧ 食べる順番は、③のヘソ、⑥の刺身、⑤の肝、⑦のホヤ飯。
※ホヤ水を使えるのは新鮮なホヤ限定!

これは単なるホヤの捌き方ではなく、一つのホヤを部位ごとに味わうための完全マニュアルじゃないか。おそらく食べる順番にも何らかの意図があるのだろう。ただ問題は、突起のプラスにマイナス、ホヤ水にヘソと、何が何だか意味がわからない単語だらけで不安がすごいことである。
なにからなにまで謎の食べ物といった印象のホヤだが、こうして力いっぱい首を捻ることができることこそ、私にとっては地方へ行く一番の喜びだ。筋を痛めない程度に首を捻ろうではないか。

人生初のホヤ料理に挑む

改めてホヤを手に持ってみると、表面の皮は意外と硬く、中身はパンパンに詰まっている。おそらくこの張りの良さが鮮度抜群の証明なのだろう。
まずはウニ飯を作ろうと持参してきた米一合をボウルで軽く洗い、愛機であるトラベルクッカー「カシムラTI-190」で吸水させて、①のミッションをクリア。

②では突起のプラスとやらが登場する。ホヤの頭に二つある突起を見比べると、確かに片方は「+」で、もう一方は「-」のマークがある。そんなバッテリーみたいなことってあるのか。
このプラスのところにドライバーではなくナイフを当てて、ボウルの中で慎重に刃先を差し込むと、ピューっと透明な水がたっぷり溢れてきて、女川の磯を感じさせる香りがふんわりと漂った。磯といっても決して不快な生臭さではない。
ほうほう、これがホヤ水か。おそらくホヤが体内に取り込んでいた海水なのだろう。

次は③。水が抜けたホヤをまな板に移動させて、根っこ側を四分の一ほど切り落す。中の「ヘソ」というのは、切り落とした側に入っているオレンジ色の部分だろうか。
人差し指を優しくクイっと押し込むと、半円形をしたビワみたいな身がプルンと外れた。
明らかに本来の意味のヘソではないけれど、ヘソと呼びたくなる気持ちがわかる形状だ。

続けて④、今度はマイナスの突起からホヤにナイフを差し込み、そのまま縦に切り開いたら、裂け目から優しく指を滑り込ませて、ヌラヌラと濡れる身を固い皮から優しく外していく。
この何とも言えない独特の触感、抵抗、弾力は、人によっては官能的と捉えるかもしれない。
取り出した身を切り口から開いてみると、海藻をすりつぶしたような深緑色の物質がマイナス側の切り口付近に溜まっている。高級天然素材グッズを扱う店で売られている高い歯磨き粉みたいだが、これがホヤのウンコなのだろう。子どもの頃にカタツムリを飼っていたことを思い出す。
体内に未消化のウンコが形を保って残っているのは、きっと水揚げされてから時間があまり経っていない証拠。先にプラス側を切ってホヤ水を取り出すのは、マイナス側に詰まっているウンコが混ざらないようにという気づかいか。
黒に近い褐色をした梅干しほどの部位が⑤の肝のようなので、おいしくはなさそうだが取っておく。マニュアルにそう書かれているからね。

そしたら⑥だ。肝を外したホヤの身からナイフの刃先やティッシュなどを使って緑色のウンコを取り出して、ボウルに貯めておいたホヤ水でチャプチャプと残ったウンコを落とし、一口大の刺身にカットする。
ホヤ水で洗うという意味がまったくわからなかったが、真水で洗ったら味が抜けてしまうので、ホヤ水をウンコのすすぎに使うということか。なんという人類の英知。
おそらくホヤの鮮度とホヤ水の品質は比例するため、新鮮なホヤでなければこの「秘伝ホヤ水洗いの技法」は使えないだろう。古くなったホヤの身をそのホヤ水で洗ってしまったら最悪だ。
もしかしたら私のように、初めて食べるホヤが採れたての超新鮮というのは、ものすごく幸運なことなのかもしれない。

ホヤの刺身を食べる前に⑦の炊飯をすませなければならない。トラベルクッカーで浸水させていた米の水を一旦捨てて、ボウルのホヤ水を底に溜まったウンコのカスだけ残してすべて入れ、通常の炊飯よりも気持ち少なめに水を加えて、ホヤの刺身を半分並べたら炊飯開始。
ちょっとだけ水を減らしたのはホヤから水が出るのではという予測からである。
さてこのホヤ飯が、意外と食べやすい万人向けの話題作となるか、どこまでも磯臭い食べる人を選ぶ問題作になるか、まったくもって想像ができない。
まさしくホヤが好きになるフルコース!

ホヤ飯が炊ける時間を逆算しつつ、テーブルの上をきれいに片付けてから、冷蔵庫で冷やしておいた「ホヤのヘソ・身・肝の三点盛り」と、先ほど買った「シーパルちゃんカップ」という日本酒を並べる。
食べる順番もしっかりと指定があるので、まずはヘソと呼ばれるホヤの下半身(?)からだ。調味料の指示まではなかったので、ホヤ本来の味と対峙すべく、ここはシンプルに塩だけでいってみよう。

果たしてホヤを売られたのか、ホラを吹かれたのか。
持参した塩をパラリと振りかけて、予想のつかない味にドキドキしながらポイと口に入れると、すぐに福田空の食べ語りスイッチはオンへと切り替わった。

「磯の~~~、磯の~~~~~~~って、サザエさんの中島君がカツオを呼んでいるみたいになっちゃいますが、鮮烈な磯の風味が口の中を全力で駆け巡るんですよ。しっかりと磯臭いのに磯の臭みはまるっきり皆無という大いなる矛盾。もしやこれは磯臭いのではなく『磯旨い』という新境地なのか。女川の新鮮な海水一トン分の旨味をギュッと濃縮して作りましたみたいな尊い味。そしてクニュっとした食感はライチやランプータンの如し。何も知らされずに食べたら南国のフルーツと思うかも。でも磯臭い、いや磯旨いという正体不明の謎食材。唯一の欠点は、小さすぎて物足りないという一点のみ! ここでカップ酒を開封してゴクリですよ。口の中にホヤの風味が残っているうちに流し込む日本酒によって幸福のボルテージは天井知らずで爆上がり。シーパルちゃんカップという一見するとお土産用のかわいいカップ酒ながら、その正体は『究極の食中酒』とも呼ばれる伯楽星を擁する新澤醸造店の『愛宕の松 特別純米』というギャップに萌えざるを得ない! 最高! 完璧! 文句なし!」

福田空は食べ物や飲み物に心を動かされると、思ったことを全部口に出してしまうという困った癖があり、そのため人前ではなるべく食事をしないようにしている。仕方なく誰かの視線がある場所で食事をする場合は、しっかりと味が想像できるものを選ばないと、このように「怪奇食レポ人間」のスイッチが入ってしまう残念な性分なのだ。

どうにか落ち着きを取り戻したところで、次はホヤ水で洗ったホヤの刺身に、ちょこんと醤油をつけて食べてみる。臭みのないヘソのおかげでホヤに対する不信感は払拭され、期待感しかない状態での二口目だ。

「はいはいはいはい、そういうことですか。磯旨さがパワーアップ! ヘソを食べて十分に磯旨いと思ったけど、身はヘソよりもずっと磯の成分が濃い。濃すぎるために、えぐみとも感じられる要素が若干あるけど、それが良い意味でのえぐみでびっくり。好ましいえぐみを持つ食材とは人生初の出会いかもしれない。ヘソに比べて食感も強く、ブニュンブニュンの噛み応えががもう最高。そしてなんだかものすごく口の中が甘くなってきたのは何故かしら? ホヤの身が甘いのではなく、ホヤを食べている口が甘いってわかります? なんだろう、唾液までも甘く感じる新感覚。試しに水道水を飲んでみると……甘ーい! ただの水なのに完熟して酸味の抜けたパイナップルの果汁のように甘く感じる驚き。そういえばホヤのことを海のパイナップルと呼ぶと聞いたことがあるけれど、それって見た目じゃなくて味の話? 水もいいけど日本酒を飲んでみると……もちろんうまーい! うますぎてベッドにダーイブ!」

ホヤの刺身と地酒の絶妙なマリアージュにうっかりベッドダイブを決めてしまったが、恐ろしいことに二〇二二年ホヤの旅はまだ中盤戦。まだ明らかに一番癖が強そうな黒々とした肝が控えているのだ。
内臓なんてと地元民でも食べずに捨てる人がいるだろう部位を、今日がホヤ初体験の福田空が、醤油を一滴垂らして食べる。

「ホヤは魚じゃないのは重々承知していますが、ウオ~~~~~~~!って叫ばざるを得ない濃厚さ。チョコレートでいえばですよ、ヘソはカカオマス三〇%のミルクチョコ、刺身は五〇%のビターチョコ、そして肝は八〇%以上のハイカカオチョコなのであります。ただ捌いて生で食べるだけで、ここ
まで珍味度の高い食材は他に存在しないのではという孤高の存在。これぞ珍味の中の超珍味、珍味 イン ザ スーパー珍味! 肝を食べずにホヤを語ることなかれ!」


食べる順番は本当に大事で、ヘソよりも先に刺身を食べたら磯の風味が強すぎてびっくりしただろうし、何の因果か肝を一番に食べてしまったら、ホヤを一瞬で嫌いになっていたかもしれない。魚屋のおじさん、わざわざ食べる順番まで指定してくれてありがとう。全然ホラじゃなかったよ。いやいや、お礼を言うのはまだ早い。そろそろ締めのホヤ飯が炊けた頃だ。トラベルクッカーの蓋を開ければムオッっと香る、生とは違う熱気を帯びた磯臭さ。真夏の磯を思い出させる強烈な湯気。持参のレンゲで全体をかき混ぜて、しばし蒸らしてからいただいてみよう。

「これがホヤ飯……降りてきたのはザ・ブルーハーツ。『女川の~真っ赤なホ~ヤで~米を~炊きま~しょう、お米をホヤで~炊きましょう、ホヤから出てきたホヤ水で~』なんて一節歌ってしまうほど情熱のホヤ(※『情熱の薔薇』の替え歌です)。ホヤ水に含まれる女川湾の塩味と旨味だけでこれまで食べたことのない複雑な味の炊き込みごはんが仕上がっているじゃないですか。これだけでなにも足す必要なし。といいつつ醤油を一滴垂らすとまたうまいのよ。この深い味ならホヤ飯をおかずに白米が食べられるし、ホヤ飯をつまみに酒だって飲める。グビグビ。一緒に炊いてしまうのがちょっともったいないかなと思った刺身も、加熱によって生とは違う食感と濃厚な味が引き出され、ホヤビギナーの私が知らなかった違う一面を教えてくれるという粋な計らい。そういえば蒸しホヤっていう商品があの魚屋に売っていたから、そっちも挑戦してみようかなと思わせてしまう作戦がすごい! というところで眠くなったのでベッドにダーイブ……グーグー」

眠くなったらすぐに寝られるのも、ホテル飲みの良いところ。福田はお酒が好きだけど、全然強くはないのである。

すっかりホヤと女川が好きになった

こうしてホヤのフルコースをホテルの一室で堪能した福田は、日が沈むよりも早くベッドに倒れ込み、翌朝八時に再び例の魚屋を訪れて、あんなにも食べたがっていたウニが並べられているにも関わらず、また来たことに驚いているご主人にお礼を伝えつつホヤを二つ購入。
そして部屋に戻ってダブルホヤブレックファーストを決めたのだった。ホヤの二個食いである。

誰かに理解を求めるのが難しいちょっとした奇行は、その痕跡を一切残さないのがマナーである。丁寧に部屋中を掃除してからチェックアウトして、二日目の仕事を真面目に片付けて、埼玉の家へと帰る前にまたまた魚屋を訪れて、三度目の来店にびっくりしているご主人から、気になっていた蒸しホヤを購入。そして駅の売店で「ほや酔明」というキャラメルのような箱に張った珍味を買い求めて帰路へと就いた。ホヤ尽くしのお土産だ。

二〇一五年にようやく全線で運転再開をした石巻線の窓から、ぼんやりと景色を眺めていると、田んぼの畦道に立つ二人の子どもがこっちに向かって大きく手を振ってくれた。こちらも小さく、でも強く振り返す。また来るよと心で呟きながら。
震災のその後に向き合うことがちょっと怖いという気持ちもあったけど、やっぱり女川に来てよかった。ホヤも女川も最高だ。まったく観光らしいことはできなかったけど。
残念ながらホヤと不幸な出会いをしてしまったため、生臭いと思い込んでしまっている不幸な城止課長に、今度会ったら教えてあげなければ。
「ホヤは採れたてホヤホヤに限ります」ってね。

第2話 スーパーで麺とタレを買って作る伊勢うどん/三重県伊勢市

お参りをする暇もない伊勢出張

七月某日。今度の出張先は、あの有名な伊勢神宮のある三重県伊勢市。
まったく信心深くない性格の福田なので「お伊勢参り」という数百年の歴史がある観光にまるで興味はなかったが、機会があって伊勢まで行くとなれば話は別である。

これも仕事の一環だと、業務時間中に会社のパソコンでお伊勢参りについて調べてみると、伊勢神宮には外宮と内宮があり、日本一の神様である天照大御神をお祀りしているのが内宮で、外宮には天照大御神のお食事を司る豊受大神宮があるらしい。この内宮と外宮の関係は、漫画「進撃の巨人」で描かれていた壁に囲まれた世界みたいに、外宮の中心に内宮があるのかと思いきや、外宮からバスで南東に二十分ほど移動した場所に内宮は存在するそうだ。
言うなれば天照様はキッチンと寝室がそれだけ離れた巨大な敷地に住んでいるということか。さすが日本一の神様、お住まいのスケールが大きすぎる。
しかも社殿は式年遷宮という行事に合わせて二十年ごとに立て直し、その中にあるお宝もすべて新しく作りなおすのだとか。うちの築四十年の実家なんて、雨漏りするようになってもまだ建て替える予定が立たないのに。世の中にはすごい人がいるものだ。いや人ではなく神か。

お伊勢参り、知れば知るほど興味深い。せっかく日本に生まれたのだから、一生に一度くらいはお伊勢参りに行くべきだなと伊勢出張のスケジュールを確認すると、またもや日程は一泊二日の強行軍だった。さらに出張の前日も翌日も東京での仕事が入っているので、残念ながら天照様にご挨拶する時間はまったくない。行けないとわかると、より行きたくなってしまう。悲しい。

せめて伊勢でなにか珍しい食材でも買って、いつものようにビジホで料理して食べてやろうと思ったが、そういえば伊勢って何が名物なのだろう。夕飯が赤福という訳にもいかないし。
やっぱり地名が付いたエビ、伊勢海老だろうか。伊勢ならきっと気軽に安く売っているはずだ。ホテルで部屋を汚さないようこっそりと活け造りに挑戦して、おいしい日本酒で一杯やりつつ、最後に殻を使った味噌汁で締めるフルコースはどうだ。よし、少し気分が盛り上がってきたぞ。

「次の出張、伊勢だよね。知ってる? 伊勢には『伊勢うどん』っていって、すごく太くて、ぶよぶよで、真っ黒いつゆを掛けて食べるうどんがあるんだって。そんなのがおいしいと思う? ちょっと気になるから食べてきてよ」

話しかけてきたのは、福田の中で存在の面倒臭さに定評がある上司の城止課長である。せっかくの伊勢出張を予定キツキツの一泊二日に設定した張本人。悪い人ではないのだが憎い。

「なんで私がその伊勢うどんとやらを食べなきゃいけないんですか。そんなに気になるなら、自分が行ったときに試してみればいいじゃないですか」
「無理無理無理、絶対無理。知ってるでしょ、俺は生粋の蕎麦っ食いだって」
「知りません」
「そんなぶよぶよの真っ黒うどんなんて、死んでも食べたくないから。でも味は気になるじゃん。どうせ醤油の味しかしない伸びたうどんなんだろうけど。だから信頼する部下である福田さんが代わりに食べてきてよ。せっかく伊勢に行くんだからさ。あとお土産に赤福よろしく!」
「自分が食べたくないものを人に勧めないでください。麺ハラスメント、麺ハラです。私は伊勢うどんではなく、新鮮な伊勢海老を食べてきます!」

伊勢といえば伊勢海老よりも伊勢うどん?

出張先の最寄り駅は、伊勢神宮の外宮のある伊勢市駅。
現地での仕事は午後からなので、東京駅から八時三十九分発の新幹線のぞみに乗って、味を完全に覚えている安心の崎陽軒のシウマイ弁当を食べながら名古屋駅に十時十六分着。そこから十時三十七分発のJR快速みえ鳥羽行きに乗り換えれば十二時十二分に伊勢市駅着。
江戸時代は片道十五日も掛かったらしいが、現代なら約三時間半の旅路である。出発時間によっては名古屋駅から近鉄名古屋線特急という楽しそうなルートもあるが、こちらは特急だけに指定席の料金が掛かるから、おそらく経費削減マニアである上司の計らいで、特急を使わずとも伊勢市駅に行ける時間が設定されたのだろう。

伊勢市駅前で担当者である中村さんと合流して現場へと向かい、我ながらテキパキと仕事を片付けて、予定通り十八時に本日分の作業終了。
初対面の人しかいないところへ一人で出張し、現地の方と業務連絡と社交辞令だけで会話を成り立たせながら、設定された共通の目標を達成させるという空間の居心地の良さ。この適度な緊張感が人生に張りを与えてくれる。
今日一緒に仕事をしている中村さんも同じタイプの人間なのだろう。その本心が全く見えてこない。

「どうもお疲れさまでした。いやー福田さんに来てもらってよかったです。やっぱり東京の人は仕事の速さが違いますね」
「いやいやいや、中村さんの準備が完璧だったからこそです」
「とんでもありません、福田さんが来なかったら次の式年遷宮まで掛かっていますよ。ではまた明日、朝の十時スタートでお願いします」
「はい、よろしくお願いします。ところで中村さん、この辺で伊勢海老が買えるところはありますか?」
「え、食えるところじゃなくて、買えるところですか?」
「はい。伊勢といえば伊勢海老ですよね」
「赤福じゃなくて?」
「伊勢海老。伊勢ならスーパーでも気軽に生きた伊勢海老が買えるのかなって」
「確かに伊勢といえば伊勢海老かもしれませんが、スーパーではあまり見たことないですね。大きな魚屋さんとか市場に行けば買えると思いますけど、もうこの時間はやっていないと思いますよ。あれならどこか伊勢海老がありそうな店に飲みにいきますか。そうですよね、せっかく伊勢まで来ていただいたのだから。すみません、気が付かなくて」
「いや、そういうのは大丈夫です。一緒に飲みに行きたくないという訳ではないんですけど、今日の夜はホテルでやることがありまして。そうですか、伊勢海老は売っていませんか」
「すみません、事前に言っておいてもらえれば用意もできたんですけど。伊勢の人がよく食べるのは、伊勢海老よりも伊勢うどんなもので」
「でた、伊勢うどん」
「ご存知ですか? すごく太くて柔らかいうどんに、タレを掛けて食べるんですよ」
「つゆじゃなくてタレっていうんですね」
「つゆっていう人もいますけど、私はタレっていっちゃいますね。これがやわやわでおいしいんです。麺を一時間くらい茹でて作りますからね」
「一時間! 失礼な聞き方ですけど、それって本当においしいんですか。すごく太くて、柔らかくて、真っ黒いタレなんですよね。うどんの命ともいうべきコシがないし、醤油の味しかしないですよね」
「おやおや、福田さんともあろう方がコシ至上主義ですか。食べてもいない伊勢うどんのタレを出汁が効いてないと言いますか。聞きかじった噂だけで物事の良し悪し判断をする浅い人でしたか。ふーん、そうでしたか」
「あ、すみません。大変失礼しました」

知られざる伊勢のうどん事情

うっかり伊勢うどんをディスってしまったことで、冷静沈着だった中村さんの「伊勢愛スイッチ」が入ったようだ。全部城止課長のせいである。中村さんは私とはちょっと違うタイプの、興奮すると思ったことを全部口にしてしまう人らしい。

「そりゃ東京から来た人はびっくりするかもしれませんが、伊勢でうどんといえば昔からこのうどんです。伊勢神宮の正式名称って知っています? 伊勢神宮じゃなくて、正式には『神宮』。他所の人にもわかるように伊勢神宮って言いますけどね。うどんだって同じです。伊勢の人にとっては伊勢うどんこそがうどんの王道、うどんなんです」
「は、はい。広島の人がわざわざ『広島風お好み焼き』とは呼ばないのと同じ話ですね」
「最近はチェーン店とかの、伊勢うどんじゃないうどん屋も多少ありますけどね。まあ私は行かないですけど。とにかく一度、伊勢のうどんを食べてみてください。伊勢でうどんを頼めば、カレーうどんでも冷やしうどんでも肉うどんでも、だいたい太くて柔らかいうどんが出てきます。これがまたどれもうまいんです」
「なるほど」
「もちろん基本は黒いタレなので、普通の伊勢うどんから食べるのがいいと思います。よく真っ黒いから塩辛いものだと誤解されている方がいますけど、普通の濃口醤油じゃなくて『たまり醤油』をベースに作った、ちょっと甘い出汁の効いたタレなんです。このタレを卵かけご飯にしたり、唐揚げの下味にしてもうまいですよ」
「甘いんですか」
「といっても、その味は店によって違います。食べたことがない人にはちょっとイメージできないかもしれませんが、伊勢うどんには意外と幅があって、麺とタレに店ごとのこだわりがあるから、伊勢の人ならみんなお気に入りの店があるものです。私だったらまずこの近くにある……おっとすみません、すっかり熱くなってしまいました」
「いえいえ、こちらこそ。じゃあ中村さんは、週に何度かはその店まで伊勢うどんを食べに行っているんですね」
「うーん、店で食べるのは週一回くらいですか。実は私が一番うどんを食べるのは家なんです。スーパーで買ってきた伊勢うどんを茹でて、伊勢うどん用のタレを掛けて、刻んだネギとかおかかを乗せて食べる。伊勢の人の日常食です」
「伊勢うどんがスーパーで売っているんですか」
「麺が柔らかいから風邪を引いたときにもよく食べます。もちろん健康なときにも食べますけど。子どもの頃は土曜日の昼が必ずうどんで、テレビで吉本新喜劇を見ながら食べていました。それこそ伊勢には『離乳食から介護食まで伊勢うどん』っていう言葉があるくらい、全世代がやわやわのうどんを食べています。この辺なら『ぎゅーとら』っていうスーパーが近くにありますから、そこでお土産に買ったらどうですか」
「ぎゅーとら……ですか」

ぎゅーとらで麺とタレとネギを買う

「ぎゅーとら」とは一体どういう漢字を書くのだろうか。普通に考えれば「牛」と「虎」。
となればキャラクターは黄色い縞模様の牛なのか、立派な角が生えた虎なのか。そんなことを考えているうちに、目的地のぎゅーとらへと到着。
福田の目に入ってきたのは、真っ赤な看板にアメリカンコミックっぽさのある虎の味わい深いイラストと、極太の丸っこい平仮名で「ぎゅーとら」の文字。なるほど、そうきましたかと膝を打つ。

イラストに牛の要素がまったくないが、赤い無地の部分こそに懐かしの近鉄バッファローズを感じてしまうのは、この街が近鉄沿線だからだろうか。創業者は阪神ファンなのか近鉄ファンなのか。愛知県と隣接している三重県なのに、あえて中日ドラゴンズの「竜」を入れないのはこだわりか。こういった人情の機微は、関東人の私が下手に口を出したら、またいらぬ火傷をするやつかもしれない。
これがぎゅーとらなのかと感動しながら店内に入り、冷蔵保存のチルド麺コーナーへ足を運ぶと、確かに伊勢うどんが当然のように売られていた。
さすがに食文化の平均化が進んだ令和の時代なので、棚に並んだ全部のうどんが伊勢うどんという訳ではない。関東でも見かける太さのゆでうどんや、シマダヤの流水麺なども置かれているが、それでも一番多く並べられているうどんは堂々の伊勢うどん。わざわざ一時間も茹でるのは大変だなと思ったが、すでに柔らかく茹でてあるようだ。

横綱の絵が描かれた伊勢うどんを二玉と、伊勢うどん専用のタレ、刻まれた青ネギ、そして伊勢の地ビールである伊勢角屋麦酒を買って、これらを本日の夕食とする。
購入した伊勢うどんの麺は、伊勢市内にある株式会社みなみ製麺のもの。「横綱」は商品名というよりもトレードマークなのだろう。「みなみ製麺は伊勢うどんの中の横綱である」というよりも、「伊勢うどんこそがうどんの中の横綱なのだ」という強い主張を感じる。

伊勢うどんの説明をじっくりと読んでから茹でる

ぎゅーとらからすぐ近くのビジネスホテルにチェックインをして、さっそくカバンから愛用のトラベルクッカー「カシムラTI-190」を取り出し、水を注いで電源を入れる。そしてお湯が沸くのを待つ間に、伊勢うどんのパッケージに書かれた説明書きを隅々まで確認する。
福田にとってはこういう情報こそが宝の山。一文字たりとも読み逃がす訳にはいかない重要文化財だ。
原材料はオーストラリアと国産の小麦粉、でんぷん、食塩といったところで、普通のうどんと同じである。ただ明らかに違うのは、ビニール袋の中に詰まっている麺の太さだ。隣に売られていた私がよく知っているゆでうどんと比べたら、二倍、いや三倍はありそうな噂通りの極太麺。果たして味は染みるのか。
気になる「お召し上がり方」を読んでみると、お湯で二分半から三分間お好みの固さに茹でて、湯切りをして、タレを掛けて、お好みで青ネギや鰹節を加えて食べてくださいとある。
料理の難易度としては、茹でた麺を水洗いしない分、そうめんやざるそばよりも簡単だ。

この麺はすでに柔らかく茹でてあるにもかかわらず、それを「お好みの固さ」に茹でろと書いてあるところに食文化の奥行きを感じる。
そうこうしているうちにお湯が沸いたので、ビニール袋から取り出そうとしたのだが、この麺の状態がすごかった。さすがはスーパーハードボイルドな澱粉質。昔使っていたチューブに入ったヤマト糊をニョロっと出して乾かして麺にしたようなペトペトの質感。
これから「食事を取る」というよりは「障子を張る」のに相応しい存在である。
思い出されるのは舌切り雀の物語。ごめんなさい、伊勢の皆様。これは人間が食べて本当にうまいのでしょうか。

この麺を茹でたところでおいしくなるとは思えないのだが、とにかく説明書き通りに茹でてみるしかない。スマホのタイマーは伊勢うどんらしさを極めるべく、固めの二分半ではなく柔らかめの三分にセット。この僅か三十秒の差がどこまで味に影響するのかは不明だが。
伊勢うどんについて、あれだけ熱く語ってくれた中村さんの目を、私は明日ちゃんと見ることができるだろうか。今のところは完全に不安しかない。
麺を茹でている間にタレのチェック。ぎゅーとらには何種類かタレが売られていたが、赤いフタのポリ容器に入ったマルキ商会というメーカーをセレクトしてみた。もちろん伊勢市の会社である。

タレの材料は、国内製造のたまり醤油をメインに、かつお節、さば節、あじ節と三つの節を利かせて、砂糖と味醂で甘さとコクを加えているようだ。そもそもたまり醤油というものが、食べ慣れた濃口醤油とどう違うのかを理解していないのだが、こいつが極太のやわやわなうどんと組み合わさることでどうなるか。
こればかりは実際に食べてみないと絶対にわからないやつである。うっかり店で食べていたら、とめどなく言葉があふれ出てきてしまい、いらぬ注目を浴びていただろう。あるいは口に合わな過ぎて、無言になってしまっていたのかも。

これが伊勢うどんという食べ物なのか

茹で始めてから二分が経過したところで、自然とほぐれてきた麺を箸でそっとかき混ぜる。
するとペトペトでブヨブヨのやる気を感じさせなかった麺が、熱湯によって温めなおされたことで、すっかり失っていた張りと艶を復活させたことに気が付いた。これはもしかして、本当にうまいのかも。
そして三分にセットしたタイマーが鳴る頃には、茹でたてと見間違う透明感すら感じさせる美しさ。もちろん茹でたての伊勢うどんなんて見たことないけれど。もち肌をも超える伊勢うどん肌の美しさ。さっきまで抱いていた伊勢うどんに対する不安が天照様の息吹で吹き飛んだかのように、今すぐ食べたいモードに突入。これは絶対にうまいやつだ。

トラベルクッカーの電源コードをそっと抜いて、洗面台まで慎重に移動したら、持参したザルを使ってお湯を切る。このときに麺が持ち手部分に引っかかって焦ったが、ここで慌てて柔らかい麺を切ってしまったら台無しだ。
どうにか麺の湯切りに成功したら、お椀に移してボトルに入ったタレを掛ける。その瞬間、しっかりと出汁を感じさせる甘い香りが漂ってきた。これが伊勢うどん専用のタレなのか。

仕上げに上から刻まれた青ネギをバサっと乗せれば、家庭料理版伊勢うどんの完成だ。
麺とタレをぐるぐると絡ませて、ドキドキしながら箸で口へと運ぶ。
ズボボ、スブブブブ。
福田空の食べ語りスイッチがパチーン。

「なにこれ、なにこれなにこれなにこれ、なにこSOS!なにこSOS!……全然理解できない……まったくわからない……けど……好き。というか大好き。こんなに太くてやわやわで真っ黒いタレにまみれたうどんなのに、まさか私の舌をジャストミートするなんて。これぞ伊勢のぎゅーとらが誇る猛牛猛虎打線の底力なのか。まったく肉が入ってないのにジャスト『ミート』とはこれ如何に。ズボボボボ。ちょっと詳しく分析しようじゃないですか。まずはこの黒いタレですよ。真っ黒いけど口に入った時のファーストアタックは、どちらかといえば甘さが勝ち、かといって甘すぎることはなく、一瞬遅れてまろやかな塩味と、三つの節から与えられた力強いうま味成分がジェットストリームアタックのように畳みかけてくるスタイルか。誰ですか、真っ黒いタレじゃ醤油の味しかしないなんていったのは。ズブブブブ。これだけ濃いタレなのに尖りのないマイルドな仕上がりなのは、主原料であるたまり醤油の功績に違いない。このタレで卵かけご飯なんて絶対うまいに決まっている。あまりにベタすぎて言葉にするのを我慢していましたが、これは言わない訳にはいきません。たまりの味がたまりません!」

福田空はおいしいものを食べて興奮すると、思ったことを早口で全部喋るだけではなく、普段は恥ずかしくて言わないようなダジャレも、まったくストッパーが効かなくなってしまうのだ。

「ズボッズブッ。そして肝心の麺ですよ。茹でなおすことで美しい麺肌が復活したふわっふわの極太麺を噛みしめれば、干したての羽毛布団に体を預けるような気持ちよさでで私の歯が沈み込む。これぞ驚異の低反発うどん。
さぬきうどんや武蔵野うどんよりも圧倒的に太いのに、その太さをあえて歯ごたえではなく圧倒的な柔軟性に生かすという伊勢人の心意気。これは伊勢参りに来た人への歓迎の証なのでしょうか。本当に強い人間こそが誰にで
も優しくできるように、どこよりも太くて強いうどんだからこそ、一時間ともいわれる茹で時間に耐え抜き、ここまでのソフトタッチを実現できるのでしょう。ズボボッ。伊勢うどんの目指すところが、私の知っているうどんとは違い過ぎる。こんなにも理解されにくい麺の道を究めようとするなんて、『伊勢の麺道は面倒です』って話ですか。伊勢うどんの目指すベクトルは、柔らかさこそが正義の『餅』と同じ向きかもしれない。あるいは『ゲゲゲの鬼太郎』でねずみ男が食べていた人魂の中心部分。もちろん食べたことはないですけど。ズビビ。この麺を生かせるのはこの濃厚なタレだけ。このタレで食べてうまいのはこの極太のやわやわ麺だけ。麺が先かタレが先かは知らないけれど、お互いが切磋琢磨した結果がこの最強タッグなのである。でもこの麺で食べる出汁の効いたカレーうどんも絶対うまいに決まっている。
冷やしで食べたらどんな食感になるのだろう。ズズズっと完食。伊勢うどん、うまーい! すみませーん、おかわりくださーい。なんて呼んでも返事なし。いや返事が返ってきたらびっくりですよね。ということで、自分でもう一杯茹でちゃいましょうか。買ってよかった二袋。そして麺を茹でている間に冷蔵庫で冷やしておいた伊勢角屋麦酒のペールエール缶をプシュっと開けて、グビグビっと己にエールを送っちゃう。うーん、アロマホップのフルーティーな香りとモルトの優しい苦みとコクが、伊勢うどんの余韻にベストマッチ。伊勢参りはできませんが、伊勢うどんに参りました~」


こうして二杯の伊勢うどんをぺろりと平らげ、その余韻で自分まで伊勢うどんのようにふにょふにょのふにゃふにゃになって、そのままベッドへと倒れ込む。地方のローカルスーパーを訪れて、その土地で長く愛されている食材を買い求め、誰もいない場所で存分に食べて、その感想を口からプロレス中継の実況の如く放てる喜び。きっと誰もわかってくれないだろうから、誰にもいわない福田空だけの大切な時間がここにある。これこそが理想の旅飯なのだ。
ちなみに感情こそ強く籠っているが、隣の部屋には絶対聞こえないようなボリュームに絞った声である。誰にも迷惑を掛けないことが、すべてにおいての大前提。
正直なところ、食べる前は麺を二袋も買ってきてしまったことを後悔していたが、今は三袋買っておけば明日の朝にも食べられたのにという後悔に切り替わっている。
伊勢に滞在中、この味をもう一度楽しみたい。ぎゅーとらの営業時間をスマホで確認し、今から出れば朝食用の買い出しが間に合うことをチェックした福田は、足早にビジネスホテルを飛び出した。

それにしても、である。ここまで個性的なうどんが過去に生まれ、地元民が現在も愛し続けているという奇跡の素晴らしさ。これは神宮を有する伊勢の地に伝統文化を重んじる風土があるからこそ、外来のうどんに飲み込まれることなく伝え続けられてきた食文化なのだろう。
この伊勢うどんをなんの予備知識もなく東京で食べたとしても、ここまでの感動はなかったに違いない。これまでに食べてきたうどんと比べてしまい、作り手の意図をまったく読み取れず、その魅力の十分の一も理解できなかったはず。中村さんの熱い演説を聞くことができたからこそ、しっかり理解できた味なのだ。
だから伊勢うどん否定派の城止課長にお土産として持ち帰っても無駄なので、買っていかない。味の感想も教えない。説明するのが面倒臭い。伊勢では新鮮な伊勢海老を食べまくったことにしよう。そして心の中で呟いてやるのだ。「伊勢界隈のうどんは異世界のうどんですよ」ってね。

第3話 ビジホで開催された日本一小さな芋煮会/山形県山形市

出張しないと体験できないもの、それは方言

九月某日。今度の出張は山形県山形市。いつもと同じく一泊二日。
一九九二年に開通した山形新幹線のおかげで、東京駅から山形駅までは乗り換えなし。東京発十時ちょうどの新幹線つばさに乗れば、十二時四十四分には山形駅だ。移動中に食べ慣れたコンビニのおにぎりで朝食兼昼食をすまし、今日の資料を再確認しようとしたのだが、郡山駅を過ぎたくらいでついウトウト。気が付けばもう到着の時間である。危うく新庄駅まで寝過ごすところだった。

山形駅まで迎えに来てくれた今回のパートナーである石井さんとは、これまでメールでのやりとりのみ。その内容はこちらが感心する程に丁寧なビジネス文章ばかりだったが、実際に会って話をしてみると、見事なまでに山形弁バリバリだった。
文字情報だけでは伝わってこなかった地域色の濃さに、こういう驚きもリアルに移動する出張の醍醐味だよなと胸を熱くする福田だった。

「いやいや、どうもはずめますて。ないだて東京からわざわざきてけで、ありがとさまです。疲れっだべげど、さっそく向がいましょう。なんにもなげれば、明日の午前中までに終わっど思います」
「は、はい。こちらは大丈夫です」
「福田さんが来てけで、ほんてん心強いです。ほんで明日の午後は、なにが予定決まってだんだべが?」
「いえ特には。そういえば上司から、山形には『おしどりミルクケーキ』っていうおいしそうな名前のお菓子があるらしいから、お土産に買ってきてって五〇〇円渡されたんですよ。きっと俺が好きなフワフワ系スウィーツに違いないって。それを探すくらいですかね」
「ミルクケーキがぁ。あだな土産屋さでもスーパさでも、どざでもあっけども。でもフワフワはすねなぁ」
「すねっすか」
「予定なげれば、明日の午後がらうぢの会社で芋煮会すんだげんと、こねがっす? 馬見ヶ崎の河原ですんだげんとよぉ」
「芋煮会ですか。ええと、芋を煮る会?」
「芋煮会ったら芋煮会だべした。東京の人はあんまりすねんだべがね。山形は秋さなっど、河原で芋煮作てみなして食うんです。会社でも友達同士でも町内会でも子供会でも芋煮会ばするんですよ。んだがら秋は毎週みだいして芋煮会ばりしてるんです。飲み屋とかでも食べるし、うぢでも作っけど、やっぱりでっかい鍋ば使て、薪ば燃やして作っどうまいんだぁ」
「へー、おもしろそうですね。芋煮っていう料理名なんだ」
「でっかい鍋っていうど、馬見ヶ崎さは、三代目鍋太郎って言う大鍋があって、毎年山形市ばあげで日本一の芋煮会ってのばするんですよ」
「それ前にニュースで見たことがあります。ショベルカーで豪快にかき混ぜるやつですよね。あれって山形だったんだ」
「んだ。重機ば使うがら、汚ねぇんねがって思われっかもすんねげど、ちゃんも綺麗にして食用油ば使たりしてっからなんにも問題ねぇんですよ。確か三万食分ば一気に作んのんねっけがな」
「すごいですねー。じゃあ明日はその鍋で芋煮会を?」
「んだっす。うぢの会社も芋煮会用のショベルカーば持ってっから。あて、んだなわげないべした! あれは大きすぎんもの。山形だど、スーパーさ芋煮会セットてあって、芋煮の材料がら、鍋がらカマドがら、じぇーんぶ一式貸してけるんですよ。河原も芋煮会ばでぎるように整備さっでで、水道もトイレもあるんです。どうだべ? 芋煮会。んっまい山形牛も、掘ったばりの里芋も、すこだま準備してっから」
「いやー、楽しそうではあるんですけど。人前でそういうのを食べるとあれがあれなんだよな……。すみません、明日はなるべく早く帰ってやらないといけない仕事があるのを思い出しました」
「ないだて残念だなぁ。いっつもお世話さなってだ福田さんさ、私がこしゃった芋煮ば、かしぇっだいっけのになぁ。私がこしゃった芋煮はみんなさも評判いいんですよ。仕事はまぁそれなりだげんと……」
「ははは。さっき家でも芋煮を作るって話でしたけど、よかったら作り方を教えてもらえませんか」
「もちろん教ぇっだなぁ。まずは芋煮の食文化から説明させでけろ。このあだりは村山地方って言うんだげんと……」

現場で真面目に作業をしながらも、石井さんのマシンガン芋煮トークが止まることは一切なかった。まさか芋煮だけで五時間も語ることがあったとは。
山形県内でも地域によって入れる肉や味付けがまったく違う話、別の芋煮文化圏から引っ越してきた同僚が芋煮会があると必ず自分の愛する芋煮を作って布教する話、真夏に芋煮会をして熱中症になりかけた話、食べると口が痛くなるコンニャクイモがなぜかサトイモに混ざっていて阿鼻叫喚の地獄絵図となった話、実家にマツタケ山のある友人が大量のマツタケを持参してきた話、急に雨が降ってきたので十人以上が六畳一間のアパートに集まって芋煮
会をした話、味付けに使う醤油のセレクトで芋煮奉行同士が大喧嘩をした話、バラ肉をバラバラの肉だと思っていた人の話、サトイモの皮むき競争が盛り上がりすぎて指を切って妻から怒られた話、コンビニの店頭でも芋煮会に必須の薪が売られている話、山形県民にとって芋煮作りは義務教育の一環なので学校行事で芋煮会をする話、芋煮における締め料理の進化論、さらにはツツガムシ病の恐ろしさなど。

このように芋煮会の奥深さは底知れぬものがあるものの、教えてもらった芋煮の作り方自体はとても簡単だった。これなら山形の地元スーパーで買い出しをして、ビジネスホテルで挑戦できそうだ。

地元スーパーで芋煮の食材を購入する

仕事と芋煮談義を終えてやってきたのは、ヤマザワという山形県のローカルスーパーだ。石井さんの話にあった通り、店頭には弓矢を受けられそうな木製のフタがついた大鍋や、巨人のヘルメットみたいなカマドがレンタル用に並べられ、雪深い地方の山小屋のように薪が山積みされていた。バーベキューコンロやゴザの貸し出しもあり、至れり尽くせりである。

店頭に貼られたチラシをチェックすると、十人前の材料がすべてセットになったコースが各種用意されていて、牛肉の違いで値段が異なっている。なるべく予算を抑えるべきか、素材のクオリティにこだわるべきか、これは幹事を大いに悩ませるやつだ。もし私が山形に引っ越しすることになって、いきなり芋煮会の幹事を任せられてしまったという設定で、しばしエア買い物を楽しんでから、本来の買い物をスタートさせた。

まずは肝心の肉だが、石井さん曰く「なんでも迷ったら高い方」とのことだったので、お買い得な輸入牛肉ではなく、ちょっとリッチに山形牛をセレクト。ただし部位は一番安いこま切れを選んでしまうところに己の器を感じてしまう。仕事の見積もりにはシビアな石井さんだが、芋煮には予算をケチらないんだなと、ついつまらないことを考えてしまう。
サトイモは皮をむかれたものがたくさん並べられているが、どうせなら手間暇を掛けたいので山形県産の皮つきをカゴに入れる。あとは白いコンニャク、長ネギ、締めに入れるゆでうどん。キノコ類に関しては、入れる派と入れない派で分かれるらしいが、今回はプリミティブな芋煮とするため入れないものとする。入れた方が出汁もでるし、うまくはなるだろうけれど、うまさを追求するのが正解とは限らない。

芋煮を食べたことがなく、正しい味がわからない私にとって一番の難関となる味付けだが、日本一の芋煮会の協賛企業でもある丸十大屋、通称マルジュウの「芋煮のたれ」を使えば、とりあえず平均点以上の味になるという話だったので、一番小さい三〇〇ミリのボトルを購入。
ちなみに石井さんの作る芋煮は、カツオ節エキスなどが入っていないシンプルな醤油とたっぷりの砂糖を使い、牛肉の旨味をストレートに味わうスタイルらしい。
飲み物はビールにしようかとも思ったが、出羽桜の特別純米缶を一合購入。福田はお酒が好きではあるが弱いので、一日一杯が適量なのだ。

お会計をしようとレジに並んでいたら、そういえば城止課長から頼まれていたおしどりミルクケーキを発見。ミルクケーキというくらいだから、フワフワしたスポンジ状のスウィーツだと私も思っていたが、どうやら板ガムのような形をした硬い菓子のようだ。原材料は乳製品と酸化防止剤のみ。
山形県民にとってはこれがケーキなのかと不安になりつつ、九本入りを二袋ほど購入したが、一体どんな味なのだろう。もしあのときに石井さんがたまたま持っていて、どうぞここで食べてくださいと渡されたら、私の悪癖でベラベラと感想を食べ語りだして驚かせてしまうところだった。人生は落とし穴の連続である。

日本一小さな芋煮会

さあホテルの部屋に鍵を掛けたら、一人だけの芋煮会がスタートだ。名付けて「日本一小さな芋煮会」。
大人数でワイワイ作るのも楽しいだろうが、こうして一人で黙々と挑むからこその喜びだってある。この気持ちを誰かにわかってもらおうとかは思わないけど、一人だからこそ追求できる極上の楽しさも存在するのだ。

まずはサトイモの皮むきから。石井さん曰く、コツは皮をなるべく薄くむくこと。包丁の刃ではなく背みねで削るのがいいそうだ。持参した小さな果物ナイフの背でも石井流皮むきができるか不安だったが、意外とどうにかなってくれる。
皮をむいたら一口大に切って、愛用のトラベルクッカー「カシムラTI-190」で、芋煮のたれで下味程度に味付けした水で煮る。
石井さんは最初に生のサトイモを醤油で炒めることで香ばしさをまとわせる上級テクニックを試してほしいといっていたが、残念ながらトラベルクッカーでは炒めるという調理ができないのだ。

アクを取りながら芋を煮ている間に、並行して他の具の下準備を進める。
白いコンニャクは味が染みやすいように、包丁ではなく指でちぎるように切り、水に浸けて臭みを抜いておく。黒いコンニャクだと味の染み具合が見た目でわからないので、白いコンニャクを使うのがセオリーだとか。あとは長ネギを一センチ幅で斜めに切ったら準備完了。
他の鍋に比べると具の種類が少ないので、あっという間に終わってしまった。

芋に箸を刺してみて、しっかり煮えていることを確認したら、こま切れの山形牛、コンニャク、追加分の芋煮のたれを投入。さすがに具が多すぎて容量オーバー気味だが、私のトラベルクッカーは細かいことを気にしない懐の深さがあるので大丈夫のはず。
ここで早くも出羽桜の特別純米缶を開封したら、乾杯の代わりに芋煮の鍋へ一垂らし。私が飲むのはまだ先だ。

追加した具が煮えたところで、モバイルおたまとして調理道具に入れてあるプラスチック製のレンゲで汁をすくって、フーフーしてから味を確認すると、早くも福田の食べ語りスイッチがオンになった。

「うおおおお。これが山形県村山地方の誇る、牛肉を贅沢に使った醤油味の芋煮なのか。牛肉から溢れ出てきた旨味と『芋煮のたれ』が表現するのは、山形の城下町で古くから民衆に愛され続けてきた、わかりやすく甘じょっぱい東北らしさ。シンプル・イズ・ベスト、ヤマガタ・イズ・イモニ。いや牛肉という時点でそこまで歴史は古くないのかもしれないけれど、うまいは正義なのである。ちょっと味見といいつつも、二杯、三杯と汁を飲んでしまう私をお許しください!」

芋煮の汁、すごくうまい。味見の段階でよだれと感情が口から溢れ出るほどに。だが大量の具から水分が出てしまったためか、そもそも入れたタレの量が少なかったか、もしかしたら芋煮にしては味が薄いような気もちょっとする。オリジナルの味を知らないので正解がわからないのだが。
我が師匠である石井さんが「味に迷ったら濃い目!」といっていたことを思い出し、タレをドボドボと強気で追加して、仕上げに長ネギを加えて一煮立ちしさせたら完成だ。
お椀にたっぷりと芋煮を盛って、タレを足した汁の味から再確認する。

「アマアマアマアマアマジョッパーイ! はいはいはい、こういうことだったんですか。すみません、芋煮の神様、すっかり誤解をしていました。さっき味見した芋煮のスープでうまいうまいと感動していましたが、そんなのは所詮、埼玉県民が豚汁やけんちん汁でも作るときの濃さ。芋煮は汁物でありながら煮物。汁物としてちょうどバッチリと思う濃度から、さらに思い切ってタレを足すことで、汁物の向こう側にある芋煮の甘じょっぱさが味わえるのですね。いやもちろん好みの問題ではありますが、私がこの会の幹事である以上は、この濃い味を正解とさせていただきます! 続いて具をパクパク。う~ん、この汁をまとったネットリしたサトイモのおいしさよ。ジャガイモに比べると食べる機会の少ないサトイモも、こうしてそのポテンシャルを最大限に引き出してあげることで、実に素晴らしい食材であることを再確認させられる。芋煮はやはりサトイモだ。そして奮発して買った山形牛がさすがの大活躍。安い肉だと煮込んでも固かったり、味が抜けたりするものだが、お買い得なこま切れとはいえ山形牛。柔らかい上に存在感のある旨みがたっぷり。とろける脂身にもうメロメロ。山形牛にして大正解だったことを祝しまして、ここでようやく出羽桜の特別純米缶をグビリ。あー、芋煮はやっぱり日本酒だ。さあここで残りのメンバーを紹介します。コンニャクをパク、長ネギをパク。どちらも一見地味だけど、最高の肉汁を染みこませた上で、自身が持つ風味と食感で勝負ができる選ばれし名脇役。私が目指すべき存在は、芋煮の具なら圧倒的に長ネギですよ。最後の最後にヒョイと加わり、すでにできあがっているうまい汁をたっぷり吸いつつ全体の臭みを消して、『やっぱりこれがないと芋煮じゃないよね』と言ってもらえる人に私はなりたい。とにもかくにも芋煮うま~い!」

誰にも邪魔されず、誰にも迷惑を掛けず、ただただ己の好きなように、一から十まで自分でできる「日本一小さな芋煮会」を、心から堪能している福田空だった。

芋煮会の締めは芋煮うどん

腹八分目となったところで、鍋に残っている具を朝食(芋ー煮ング)用に一旦取り出し、旨みが煮詰まった汁にゆでうどん一玉と、残しておいた長ネギを入れて、さらにタレを加えて味の濃さを死守し、再び加熱してフィナーレへと突き進む。
一般的な鍋の締めといえば、米を入れるか麺を入れるかで迷うところだが、芋煮においてはうどんこそが主流であり、分かれるのは「芋煮うどん」として食べるか、さらにカレールーを追加した「カレー芋煮うどん」にするかどうかだとか。

最近はカレー芋煮うどんが主流らしいが、S&Bの赤缶カレー粉でサラッと仕上げるか、とろみのつくカレールーを使ってドロドロにしてうどんと絡ませまくるかという問題があり、ここもまた幹事のこだわりが出るポイントなのだと、石井さんはカマドの上で煮えたぎる芋煮のように熱く語っていた。
ちなみに家で芋煮を作る場合は、翌日に作る「芋煮カレーライス」も定番とのこと。それも絶対うまいやつだ。

私も買い出しの時点で、幹事としてどう芋煮を締めるべきか相当迷ったが、今回が人生初の芋煮であることを考慮して、まずは王道であろう芋煮うどんを選択した。カレー粉やルーを買うと絶対余ってしまうという現実的な理由もある。
しっかりとうどんに味が染み、追加で入れた長ネギがクタクタになったところで、鍋から直接ズルズルとすする。

「うんめ~な~。おっと、芋煮の食べ過ぎでうっかり出てしまったエセ山形弁。肉のダシがこれでもかと濃い汁に溶けたサトイモのとろみが加わることで、お汁がゆでうどんに絡みまくり。ズルズルズル。この汁とうどんの奏でるハーモニーは花笠音頭か。これは私がこれまで食べてきた肉うどん系の中でも最高傑作かもしれませんぞ。これにインドからきたスパイス軍団という最強の助っ人を加えて作るカレー芋煮うどんはうますぎ注意報発令。ズルズルズルズル。今からでもカレー粉なりカレールーを買いに行こうかなと思っているうちに鍋は空っぽ。石井師匠、ごちそうさまでした!」

芋煮は私にとって食べたことのない料理なので、この味が本当に正しかったのかは今もわからない。ただはっきりといえるのは、自分が幹事となって作った芋煮がおいしく、そして一人きりの芋煮会が楽しかったということだ。

しかし、やっぱり気になるのは石井さんが作る芋煮の味であり、馬見ヶ崎川の河川敷でカマドを囲んで芋を煮る雰囲気である。想像以上においしいものを食べると、脳から言葉が溢れて止まらなくなる食べ語りスイッチも、石井さんだったら優しく見守ってくれるだろう。思い切って石井さんの芋煮会に参加させてもらおうか。お言葉に甘えちゃうかと心が揺らいできたその時、石井さんから明日の仕事に関する業務連絡と、天気予報が雨に変わったため芋煮会が延期になったという連絡が、味気のない標準語でスマホに届いた。

残念。やっぱり私は大人数で食べる芋煮会とは縁がないのだろうか。悔しいからコンビニでレトルトのカレーとごはんを買ってきて、明日の朝食に芋煮カレーライスを作ってやる。
それにしても、石井さんはおもしろかったな。明日もまた会うんだけど。来年も私を山形に呼んでもらえたら、そのときこそ芋煮会に参加させてもらおう。素人の自分が適当に作って食べただけでは、まだまだわからないことだらけ。「芋煮会というくらいだから芋二回」食べないとね。

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