遺産相続関連とかそもそも家族間のお話とかテキトーに語らせて。

そんなわけで題名通り。

最近繋がった人とは全然縁のない話だけど、昔からいる方にとっては私はあんだけうるさい奴が二ヶ月など消えてた案件だ。なおかつ本人があまり触れたくなさそうにしていたから心配なんだけど触れてもいいかな?みたいなまぁ物好きな方もいたかもしれない。何故か俺はよく心配されるのだ。おかしな話だ。

そんなわけで画像は画像だけでしかどうもうまくできなかったのでひとまずそっちでぶん投げた。俺が嘘をついていなかったと言う証拠が欲しい方はどうぞ。まぁ無論名前とかは出してないからこれでも嘘つきだと言われる可能性はあるのだが。

……疲れたな。とんでもなく。今でも信じられてない面はある。確かに父親は早死にするような家系だったし生き方だった。(そもそもの俺が家を出られた理由は父親がちょうど検査入院して家にいなかったは大きな理由だったし)俺が家に帰ってきていて二人で父親のお気に入りのドラマなんか見てて二人で話し込んでて2時か3時くらいに朝5時くらいに出勤するとかもよくあった。俺は俺でまぁ寝つきが悪いしあまり睡眠時間も人よりは確保しきれてないと言うかあまり長く眠れないタイプだからこればかりは遺伝だろうし早死しそう。(とか言いつつタバコスパスパ吸った上でのこれだからタバコを教員時代の時に一瞬吸って即やめた俺はそんなに関係ないのか。まぁどっちでもいいわけだが

今でもたまに迷う日はある。あれは味方だったのか、敵だったのか。俺の中ではどうしても敵だと思ったら感情がうまく変化できない面もあるので今でも敵だと思っている。と言うかそうじゃなきゃ遺産相続破棄だってしない。ついでに遺産相続破棄の関連書類は集めようと思えば郵送で取り集めることも可能だし、そこまで大変ではない……が、今回は代理の司法書士の人に任せた。何故かといえば父親が最後に亡くなった住所の本籍地を見て気持ち悪さにトイレ駆け込んだレベルだったから。精神衛生に非常に良くなかった。それなら数万で精神衛生の安定を買ったわけだ。

実際話だけして依頼料のお話、紙での詳しい説明。あまりにも簡単だった。俺にとってはこの人が救世主だなと改めて思った。心より助かったと思う。

俺が出て行った年の9月に亡くなりやがったようだ。と言うのを、今年入って初めて知った。訳がわからない。俺が出て行ったのは4月17日。通称Xディとなんとなく呼ばれていて毎年なんとなく病んでたけど5年も経てばまぁええか。くらいの感覚にはなっていた。調子悪いとその周辺割と心荒みかけてるけど

世界一読みづらい記事ですまない。心がいまいち纏まってない中向き合うもんじゃないと思いつつ、逃げ続けていると心から離れないんだどうしても。感情のぶつけどころとしてここがある。ネットがある。もちろんリアルでもそこそこには幸せでうまくやれているが。我ながらよくもまぁ、器用なもんだな。笑えるくらいに。

これは関係のない話だが、金木犀の香りがここ数日香らなくなり、どうしようもなく金木犀が恋しくなり金木犀の香水を買った。正確に言うとボディミストみたいなやつ。5年前東京に来た時初めて嗅いだ時はなんだこれ臭えな!?と思ったはずの匂いだ。北海道では嗅いだことが一度もない。それだけは言い切れる。こっちに来てからできた友人に言うとそれ金木犀って言うんだけど知らない? と言われて心底驚いたっけな。時をかける少女で確か金木犀の香り、みたいなフレーズがあってすごくいい香りなんだろうな、どんな匂いなんだろう、嗅いでみたいな。と心のどこかで幼きながら思っていたからな。

Twitter漁るとあの時のことはまだちゃんと残ってて証拠写真として家を死ぬほど綺麗にした俺の苦労が窺えるし家を出る前の俺は一ヶ月ほど睡眠2時間〜4時間ほどで家の整理と掃除に12時間くらい合計でかけてたはずだ。そのせいか痩せてたらしい(実際東京きてから最初は一ヶ月ほどで前よりも5キロ近く痩せてた。正確に言うとやつれてたが正解なのだが)ただこれに関しては本当にゴミ屋敷を業者でもなんでもない一人の女が二度と帰らないと誓った家からの脱出で己の痕跡すら残したくないからやったことだ。アルバムとかも捨ててやった。友達は投げ捨てるものだしな。仕方がないな。けど捨てすぎるとあまりに疑われるから残したのはランドセル程度か。ざまぁ!

この辺を語れば語るほど性格の悪さが際立ってしまうのでそろそろやめようか、とも思いつつそもそも俺が家族と何があったのかわからない人からすると ?? である。わかる。自覚はある。いい加減軽くだけど5年も経てば前より上手く説明もできるし説明しておきますね。急な丁寧語。丁寧語と言い切りの形って混ぜちゃダメなんじゃなかったっけ? 文章のそう言うあれがわからんまま思うまま書くからこの有様である。

5年前小学校教員を2年ほどやっていた(ただしテストに受からずずっと非正規だったけど。それに関しても父親によくなじられていた。ニートの兄貴と同様に。この時点で結構キレそうではあったが(ニートの兄貴は俺が2年間病みながらも頑張って働いてる中家でゲームしてパソコンして親から小遣いもらって生きてたらしいし度々実家に帰らされる時にマリオカートで舌打ちしてた姿しか覚えてねえ

その際に今言った通りだがまー病んだ。病んだ病んだ。病んだ病んだよヘンダーランドって感じ。クソみてえなしんちゃんネタをぶっこむのやめろや。そんなわけで大したことはしてないがその時は自責の念やら罪悪感やら己の無力感で己の全てが嫌になりすぎて自分を壊したくて壊したくてしょうがなかったからタバコを軽くやってみたり、軽くリストカットしてみたり。まぁどれもこれも軽く、だから大した話ではないと思われたのかもしれない。実際そうなのかもしれない。

で、仕事辞めて正直その時半分鬱みたいなもんだったんだと思うんだよな。ご飯の味もわからないし階段の降り方がわからなくて一旦階段の手前で5分くらい止まってどっちの足を動かせばよかったのかで悩み続けたり、ゴミの出し方がわからなくて怒られたり。何もかもが頭が回らない。楽しいことといえば自分の死に方を考えることと、死後の世界へのこと。そんだけ。……今説明しててもこんな精神状態の時あったのやば……(自分で自分に引く)まぁ俺は逃げも隠れも嘘もつかないと誓ってるからね。こんだけ正直に暴露してしまっているわけだが。

そんなわけで少しだけでもいい。頑張ったねって認めて欲しかった。よくそこまでボロボロになりながら生きてたねって。教員辞めたとしても次に行くまで少しだけ休んでいいよ。偉かったねって。ただそれだけでよかったのに、な。

まあ、現実なんてそんな生易しいもんじゃない。

「お前にいくら金かけたと思ってるんだ!?」

「つぎのあてもないってどういうことだ! そんなの父ちゃんは許されなかったぞ! お前が許されると思ってるのか!?」

「40万なんて端金あったってすぐ無くなるだろうが!!」

「この……役立たず!!」

5年前なのに、消えない言葉は今でもそこにあるし、今少し泣いてしまったあたり永遠に消えない記憶の一つなんだろうな、とぼんやり思う。母ちゃんは優しく受け入れてくれてはいたが、父親には許されなかった。父親の家庭はなんとなく知っていて父親は鍵っ子で一人暮らしで甘えは許されず、少しでも道を外れないようにと必死こいて努力続けて自分は完璧な生き方をしてると言うそこそこの自負があったんだろうな。

その結果がクソニート兄貴とこれからニート志望になる妹である俺、と言う現実がきっと耐えきれなかったんだろう。毎日毎日いた時は責め立てられたよ。なんならリストカットした時になんでひたんだ?といわれたけど説明なんか上手くできるはずもないしボロボロ泣くだけだったら「なんでこんな風に育っちまったんだ……」って漏らしたのを私は聞き逃さなかったよ、ねえ父ちゃん?

俺の物語はもうここで終幕でもいいか。そんなことをぼんやり思いながらネットでその辺り呟きつつ死ぬ予定なんだけど縄がいいかなーどれくらいの縄にしてどこで首引っ掛けてやろうかなと本気で思っていたし、きっと私はやり遂げてしまうんだろうな、と無駄な時間だけがある。どうもやると決めたら未遂で終わらないようにきっちり計画を立ててしまうと言うか、凝り性というか。いいんだか悪いんだから

そんな時だった。フォロワーに話しかけられたのだ。

「え? 死ぬの? 家出れば良くない?」

完全に晴天の霹靂だった。

「……? そんなことしていいのか?」

「いやいいでしょ。いらないって言われたんでしょ? なんでわざわざ死ぬのさ。何円あるの?そこから抜け出すお金もないってこと?」

「……40万なら」

「私よりあるじゃん!? 私なんか十万で家出たからぎりぎりかつかつだったんだから。何歳?」

「……24歳」

「成人してるじゃん!? 出られるじゃん!? なんなら私より年上じゃん!? こっちは22歳だよ? あ、いくあてないならひとまず私のところきたら? あとは私が紹介してくれた不動産に案内するよー事情話しても引かないし、安く家紹介してくれるからさ。死ぬかやるか決めたらまた教えてよ、ね?」

「わかった」

別に生きてたかったわけではない。どうでもよかったから。死のうが生きようがあの時は。今もどっちでもいいんだけど。ただその時も今回も私は生存ルートをひとまず選んだ、というわけだ。ついでに生存ルートを選んだ理由としては「あの人が端金と言った40万で口先だけはずっと大切な娘と言っていたあの男が私を失ったらどういう反応をするのだろう?」「お前が笑った40万で俺は完遂してやるよ、この計画を。そして言ってやるの、心の底からざまぁみろって」そんな気持ちが強かったのは本当だ。だって別にあの時生きてたくなかったもん。今以上に。


あの金木犀の香りのように、いつかあの人を許せる日が来るのだろうか。私が間違いなく来ないと知っていたから葬式の連絡もされなかったような関係性で。それにはあと何年かかるのか。それとも許せないままなのか。それもどっちでもいいと思っている。

あの時の選択に俺は今でも後悔なんて一つもない。助けてくれた彼女には今でもきっと今後もずっと感謝しているだろう。ずっとお前は北海道を出てはいけないなどのある種のマインドコントロールみたいなものをされてたに近いわけだから。そんな発想が本当に出てこなかったのだ。そんな悪いことしていいのか、という気持ちと。でもいざ計画を誰にもバレずに完遂して逃げ切ってしまった気持ちと。

本当は私あの時にバレたかったんだろうな、とあの時も今でも変わらずに思う。気づいてあげられなくてごめんね。苦しかったんだよね。悲しかったんだよね。それでも見捨てないからどこにも行かないで。そう言われたかった。俺は家族が好きだった。どんな時も……味方でいてくれる絶対的な存在だと、信じてたから。

24年間信じてた相手に裏切られたから俺は人間を今でも信じないし、好きにならない。その方がお互いのためだ……と思いつつ、付き合ってた相手もいたしフォロワーのことも本当に大好きになってしまったし、信じてない!なんて言いきれもしない。中途半端な厨二だけ拗らせてしまった感はある。我ながら。でも今でもやっぱりさ、怖いよ。ある日突然みんなが俺を拒否するんじゃねえかなとか。嫌われるんじゃねえかなとか。そうならないようにあらかじめこの人は俺のことそんなに好きじゃないからと予防線を張るのだが、好きじゃない割にめっちゃ関わってきてくれるじゃんどうなってんだ???? と己でも混乱を示す。何してんだ。

そんなこんなで、遺産相続関連が来てまた家族関連で思いを馳せて病んだり仕事がクソ多忙期で残業増えすぎたりして二ヶ月ほど消えてましたが、今後はしばらく毎日うるさいと思うのでその辺は許してやってください。私の感情がようやく落ち着いたいい傾向だということで見逃してやってください。

ヘビの命とムカデ裁判をこの記事読んだ人全員が履修しますように

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