小さく白い饅頭――アウティングに関して

 今回は、terrakei(白饅頭)氏のnote「「かわいそうランキング」が世界を支配する」への批判を書きたいと思います。

 読みやすい文章で趣旨にも同意できましたが、二点だけ批判をば。まず、

『モテない男が異性に告白しそのやりとりがスクリーンショットでSNSにさらされても人びとは笑いの種にするだけだが、ひとたびこれが同性愛者の告白になれば「アウティング」と命名され社会問題にまでなる。』

 他の例示と比べて、この例だけが不適切に感じられた。というのも、動物の保護という例、衣食住の欠如という例でも、「かわいそう序列」以外の尺度(例えば絶滅の可能性の差や、食事の不足度合の差など)には言及していない。筆者としては、「同様に問題であるのに『かわいそう序列』によって扱いに差が出てくる」と読ませたいはずの部分である。しかし、この例だけ「かわいそう序列」以外の尺度が関係してくるため、素直に読み流せない。つまり、「かわいそう序列」以外のスティグマの違い、現実的被害の違いを想像させることを可能にする記述であり、後述のように私がゲイ・アウティングのほうをより深刻視するという立場性を差し引いても、具体的尺度で読者に比較させてしまう点で失敗だったと言えないか。

 件の記述だけでは、晒され広まる範囲は不確かだが、同性愛者の場合は、「笑いの種」になるだけでなく、職場など「公的領域」での待遇・評価にまで影響する(居心地が悪いとかでなく)可能性がある。また、「私的な」人間関係でいえば、「モテない」男にとって異性への告白のバレが「笑いの種」として機能し「被害」を生むとしたら、それは「モテる/モテない」が重要な価値尺度であり「モテない」ことがスティグマである集団の中においてではないか。クローゼットの同性愛者がバレるのとは異なり、告白が晒されて初めて「モテない」ことがバレたという想定はしにくい。つまり、その集団内で告白の暴露以前にその「モテない」人の「被害」がゼロだったとは考えにくい。

 勿論、異性への告白のやり取りが晒された「モテない」男性にも直面する問題や苦しみがあるだろう。その掬い上げが不十分だとか、具体的にどんな問題・苦しみがあるのかとかを述べる声は無下にされるべきでない。しかし、「同等に扱われるべき二つの問題が、『かわいそう序列』のみに左右されて異なった扱いを受けている」とみるならば、それはゲイ・アウティングの問題性の矮小化であるし、それだけでなく、「モテない男」の苦しみを「アウティング」問題に還元してしまう。

 こうした私の批判こそまさにterrakei(白饅頭)氏の示唆するところの「先進国の負け組と言っても地球規模で見れば勝ち組」言説じゃないか、という批判はあるでしょうが、むしろ、氏は「モテない男」と「同性愛者」という異なる問題を(文章の論理の上で)同じ物差しの上に置くべきではなかった。そうした一つの同じ物差しによる諸問題の「不幸比べ」は、氏の批判対象であるはずでしょう。


 二点目。男性保育士問題の部分の『世間は合意する』というふわふわ主語が気になりました。職能制限はまだしも、性犯罪者予備軍とみなすことに合意しているその「世間」とは実のところ誰なのか。

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