セミナー参加感想

 質疑の時間がもっと欲しいと思うほど良い会だった。

 「ハラスメント」がテーマで、最初から「セクハラ」に絞って話されたので、ん、女性への必ずしもセクシュアルではないハラスメント、つまりセクシュアルでないセクシズム領域のことは話されないのか、と思ったら、3.で問題がヘテロセクシズム一般とちゃんと繋がったので、おお、となった。「sexual」概念って結局なに?有用な定義できるの?という点は聞きたかったが。
 また、既にある程度の知識がある人向けかなと思った。「ヘテロセクシズム」という語について一言でも説明を入れてくれたら良かったのに。(単に「異性愛中心」主義という意味ではないよね、とかいうことが分かる参加者ばかりだという想定か。大学主催の「大学とハラスメント」という題の会に来る人たちだし。勿論、質疑で訊かれたら丁寧に解説するのだろうが。)
 合衆国の「Tittle Ⅸ」で「その性を理由として…教育プログラム・教育活動に参加することから排除されたり…ことがあってはならない」とあるが、例えば日本の女子大とかも違反視されるのだろうか?と思った。(追記メモ:https://twitter.com/KamikawaAya/status/1269282963662897152)
 「sexual misconduct(性的職権濫用)」は、私は初めて聞いて勉強になった。
 今回のお話の核である、セクハラをセクハラとして立ち現させない土壌文化、〈悪さ〉がそもそも共有されていなければ「ハラスメント」と認識・認定されないという循環構造の指摘。からの、「理解するオーディエンス」(聴き手)をつくっていく・増やしていくという実践目標。
 セクハラの〈悪さ〉について、「不快」でなく「尊厳」「人格権の侵害」「権力」とかからアプローチするほうが良いというのは同意するが、それでもまだ概念として広すぎると思う。より狭い・個別の〈悪さ〉をあらわす言葉がないか?例えば、性暴力の問題は不同意=「自由の侵害」や「自己決定権の侵害」の問題であり、差別行為の一部は「不平等」の問題であるが、性暴力とも差別行為とも言い切れない、しかし性差別と関係しているような〈悪い〉行為、つまり「セクハラ」という言葉でしか掬い取られていない〈問題経験〉があるように思う。(「侮辱」も不適切か。明白な侮辱でなくとも、相手を性的に欲望する言葉さえもセクハラになりうる。「地位引き下げ」「劣視」?この辺は「差別の悪さ」「性的モノ化」論が参考になるか。)(この辺の問題意識は、私とzaedno氏との「セクハラ」概念の拡散への危惧をめぐる議論で宿題になっている。)
 問題の個人化・心理化はよく分かるのだが、私の問題意識としては、「『過敏』にいつも怒ってるのはあなた自身のために良くないよ」という意識が、マジョリティ側だけでなく、マイノリティ当事者(集団)内に既にある、という段階に来ているのではないか、ということ。当事者同士で、「自身のためにより『賢く』ポジティブに『精神的健康』になろう!」みたいな相互〈アドバイス〉をし合う。これは大きな流れで言えば、いまの自己啓発文化の時流の一部。この〈アドバイス〉問題は、講演で話に出た「組織内の権威者を告発すると影響が私たちにも来るからやめてくれ」という要望とは異なる。

 一橋大学ロースクールアウティング事件にも触れていたが、「RANT」記事で心底救われた人間がいるということは感謝とともに対面で是非お伝えしたかった。(質疑で言う時間がなかったが。)

追記:


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