有効な「同意」のために――「性交同意年齢」から

『現代思想 特集:性暴力=セクハラ』2018年7月号(46巻11号)
後藤弘子「性犯罪規定の改正が意味するもの」を読んで。
(今回の文章は批判というより、考えるためのもの。ゆえに主張よりも問いが多くなっている。)

有効な「同意」のために――「性交同意年齢」から
問題は同意能力(理解・判断能力)か、対等性(権力関係)か。

「性的同意年齢とは、性行為の同意能力があるとみなされる年齢の下限のこと。つまり、性行為がどのような行為かを理解し、自分が性行為をしたいかしたくないかを判断できる年齢とされる。」(小川2018)

「性交同意年齢が一三歳ということは、一三歳以上であれば、対等な関係において性交等についての同意ができることを意味する。同意が有効に成立するには、対等な関係の存在が不可欠である。」(後藤p81下)
これは正しいだろうか?
 「一三歳以上であれば、対等な関係において性交等についての同意ができる」というのは、【A.13歳以上であれば、対等な関係として同意ができる】という意味なのか、【B.13歳以上であり、かつ対等な関係においてという条件の下でなら、同意ができる】という意味なのか。Aは(13歳以上でなく20歳以上であったとしても)正しいか?
 「同意が有効に成立するには、対等な関係の存在が不可欠である」とすれば、対等でない関係においては同意は成立しない(あるいはその同意は無効)ということになる。もちろん、暴力や脅迫によって強制された同意や、騙しや嘘によって引き出された同意が、「本当の同意」ではないというのは感覚として納得できる。では、20歳と40歳なら?上司と部下なら?男と女なら?生活をともにするカップルのうち一方だけに収入があったら?モテる容姿端麗の相手と別れたくない「非モテ」の人は?破格の条件で売春を持ちかけられた貧困者は?セックス・アディクト(依存者)の「出会い系」に非依存者が応じたら?それらは「対等な関係」だろうか?対等でないとしたら、それらの同意も無効になる(べき)だろうか?

「この社会において、子どもであることは、おとなとの関係において、支配被支配の関係にある。本来なら、おとなと子どもとの関係が対等になる成人年齢をもって性交同意年齢とすべきであるが、子どもの性的自己決定権の保証の要請から、合理的な年齢の設定が求められる(4)。その場合、性交等が子ども同士である場合には、対等性の問題はクリアされていることから、一定の年齢以上で、年齢差が小さい場合には、強制性交等罪や強制わいせつ罪としない選択は十分可能である(5)。」(後藤p81下)
 もし同意能力のみが問題ならば、年齢差がどうであれ同意年齢未満の子どもとの性行為は禁じられ、年齢差がどうであれ同意年齢以上の者との性行為は許されるはずである。しかしながら、アメリカ合衆国ミシガン州刑法やニューヨーク州刑法では、性交同意年齢や成人年齢をまたいで、例えば15歳と19歳、16歳と20歳の関係における「性的接触」は禁止されていなかったり、「法律上の抗弁」ができたりする(後藤記事の註5文献)。つまり、「対等性」を理由に、「一定の年齢」以上で年齢差が小さい場合は例外視される。

「今回の法改正では、おとなと子どもの権力性に注目して、監護者等強制性交等罪・監護者等強制わいせつ罪が新たに導入されており、『監護者等』と子どもとの権力関係は適切にとらえられている。にもかかわらず、性交同意年齢を一三歳に据え置くことは、子どもの性的搾取との関係でも適切ではない。」(後藤p82上)
 子ども(被監護者)の生活に直接大きく影響力を持つ「監護者」と被監護者の権力関係は、おとなと子どもの権力関係一般よりも権力性が強いのではないか。
 ここでは、「おとなと子どもの権力性」と「性的搾取」とにどういう関係があると想定されているか?前述の様々な「非対等的」関係についても、同様の「性的搾取との関係」が想定できるか?

「子どもの成長発達権」(児童の権利に関する条約=子どもの権利条約 第6条)
 個々の具体的な生活領域・側面において子どもの「成長発達権」をどのように保障すべきかという問題は、どのような「成長発達」が望ましいかという議論と切り離せない。子どもの「適切で健全な」成長発達というお題目は曖昧で包括的であるがゆえに、過度な自由制限を正当化することもでき、逆に子どもに自己決定・自己責任を任せることで成長発達が阻害されることもあり得る。したがって、ある特定の方策を正当化する論拠として「成長発達権」を持ち出すだけでは不足であり、追加の主張が必要である。
 成長発達権を根拠に、同意におけるおとなと子どもの「非対等性」のみを他の非対等性よりも重視すべきと主張することは妥当か?他の非対等性についても、同様に同意を無効化するような権利は「発明」(導出)できないか?

「少なくとも、義務教育修了年齢である一六歳とすべきである。」(後藤p82上)
 実際問題、何歳で線引きすべきか?あるいは、年齢による線引き以外の方法があり得るか?(知的障碍者の安全で自由な「性」のために、何が必要か?)


小川たまか2018.3.28「日本の性的同意年齢は13歳 「淫行条例があるからいい」ではない理由」https://news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20180328-00083211/
後藤記事の註5文献(=註4文献)「いわゆる性交同意年齢に関する主要国の法制度の概要等」http://www.moj.go.jp/content/001132261.pdf

参考文献
「いかさまのゲーム:なぜ合意の上でのセックスがそれでもよくないのか。そしてなぜ私たちはそれについて語らないのか。」http://yk264.hatenablog.com/entry/2016/01/14/104543


 「性暴力」(YESのない性的行為)と「合意のある性的行為」とは区別されるべきだが、その区別が是非の線引きとなってしまうと、合意のある性的行為に潜む問題性が隠れてしまう。
 性暴力被害者と、「合意のある性的行為をしているのに〈問題経験〉を感じる人」とが、断絶することなく(また差異を無視することなく)連帯することは可能か。その連帯に意味があるとしたら、どういう意味があるのか。
 「性暴力」加害者を(他人ごととして)批判しつつ、自身の日常的な性的「合意」については批判的検討をしていないような人(特に男性)は多いのではないか。彼らに自分ごととして考えさせるためにも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?