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好きなことで稼ぐとは

そもそも、好きなことって何だろう?

趣味?

自己肯定感が上がること?

楽しいこと?

喜ばれること?

それを仕事にするってどういうこと?

ぼくは、宇宙飛行士になりたかった。
小学校のタイムカプセルに入れた将来の夢に書いた言葉だった。

特に、木星とかの模様が不気味だけど好きだった。

途中から、勉強ができないと無理だとわかって諦めた…。

次にバイクレーサー。
50〜125ccのミニバイクレースにハマり、当時は若いジュニアレーサーの登竜門的なレースに出場していた。

そこそこ速かったけど、頑張っても3位止まり。
上位の人たちは、スポンサーや親が資金を提供していて、練習量も参戦費用も段違い。

いつしか、仕事に影響すると父親に怒鳴られる毎日。(家業の仕事をしていました)
その後、仕事の事を考えるとリスクを冒せなくなり成績不振に陥る。
その後、レースを引退。

もう、夢も叶えたい夢もなく、適当にスポーツジムで鍛えたり、サーフィンしたり、スキーをしたり、車にもハマったり、全て趣味の範囲で終わる。

週末起業という本を読んで、何か始めたいと無性に思うが、結局のところは行動に移るまで3年以上かかった。

理由は、父親が身内の連帯保証人になっていて、身内が支払いをできなくなり莫大な借金を背負う事になったことが原因だった。
ほぼ、同時期に私はパニック障害になり、すべてに絶望した

絶望し過ぎて吹っ切れた。

でも、体調は良くならず、外出する事は困難になった。

そこから不思議なことが起こった。

当時は、私はSNSに否定的で、そんな所で繋がる人たちを小馬鹿にしていた。

しかし、パニック障害で行動範囲が殆どゼロになった私は孤独だった。

そこから、自分でパニック障害と向き合う様子をSNSに書き込んだ。
そこから、人と繋がった。

でも、同じ病気の人とキズの舐め合いはしたくなかった。
私は、お金が必要だった。
苦肉の策で、自分のできる事を発信し続けた。

すると、私のスキルに興味を持つ人が現れた。

私は嬉しくなって、更に発信をし続けた。
またまた、新しい人との出会いが増えた。

でも、私は地元の駅までも行けなかった。
すると、相手が私の所に会いに来てくれた。

その時、SNSの素晴らしさを知った!
人との繋がり、絆の大切さを実感した。

その後、家業の業績も上がり、連帯保証人の返済も減ってきた。
同時期に少しずつ体調も改善した。

それからも、私は発信し続けた。
人の輪が大きくなった。
ほぼ毎日1〜4人の初対面の人たちが私に逢いにきてくれた。

大嫌いだった家業の印刷を、生まれて始めて好きになれた。
大嫌いから好きに変化した瞬間だった。

ただ、それも一時の状態だった。
仕事の方向性で父親と大喧嘩して、私は自費で業務用のインクジェットプリンターを導入した。勿論、父親との仲は悪化していたので、自分の部屋に無理やりプリンターを隣の部屋の壁を取り払ってぶち込んだ。
勿論、部屋の改装費も自腹。


幾度となく父親と仕事を方向性で喧嘩する度に、わたしは反発するかのように貯めた貯金を全て使って色々な機械を買いまくった。

そこから、家業の仕事と、自分の仕事のダブルワークが始まった。

その数年後に、雑貨屋まで経営してトリプルワークになり、寝る時間は3〜4時間の生活を1年4ヶ月ほど経験しました。

寝不足とトリプルワークの重圧に押し潰されて、雑貨屋を閉店。

自分の会社も廃業して、私の仕事は父の会社に吸収。

その後、家業を手伝いながら、自分の仕事を再建させて、家業を支えるまでの売上まで回復。

その後、改めて個人事業主を再開しましたが、事業の移動をしないまま現在に至る。
(まぁ、社内独立みたいに独立採算制の状態)

話が脱線し続けました💦💦💦

今日、久しぶりに雑貨屋時代のスタッフと当時の写真をみて語り合った。

最近、好きではない事ばかりしていたと気づいた。

不思議と自分も相手も楽しむ事をし続けた時に、気がつけば雑貨屋、気がつけばイベント企画、気がつけばコラボ商品開発などをしていた。

わたしの好きな事って、私も相手も楽しく笑顔になるモノを生み出して販売する事でした。


いま、改めて『好きを仕事にする』という指針が見つかった。

私は、中途半端な状態のまま取り組んでいたから、結局は上手くいかなかった。

この15年間の低迷期は無駄ではなかったと、つい数時間前に気づいた。

会社を存続していく難しさは理解している。
好きだけの想いでも継続できないことも体験した。

父は生きる為だけに働いた。
わたしは楽しいを追い求めて雑貨屋を始めた。

父は変わらない事を選んだ。
わたしは変わる事を選んだ。

気がつけば、常に父親とは正反対の行動をし続けてきた。

そんな父も、既に70歳を越えていて、あと数年で80歳。
今でも現場に立ち続けているし、死ぬまで現場に立つと公言している。

わたしは、家業を継ぐことは辞めた。
家業は父そのものであり、私が継いだら数ヶ月で父は死んでしまうだろう。

父は仕事がある限り、健康で長生きすると思う。だから、仕事の方向性を話すのは辞めた。

既に、同じ会社いるのにお互いに自分の仕事を持っている。口座も別々に管理している。
ダブルワークをした時から、既にお互いの道は違っていたのです。

それなのに私は、自分の仕事以外にも父親の仕事の方針まで口出ししてたから、大喧嘩が絶えなかったのです。


わたしは既に自由に働けたのです。
そうとは知らずに、父親の仕事のルールという鎖に勝手に囚われていました。

noteを書くことによって、自分を客観視する機会が増えました。

もともと、noteを始めたきっかけは、父の仕事と決別して独立する目的でした。

でも、noteを書いているうちに、父親との確執よりも感謝の気持ちが強くなってきた。

いま、この文章を書きながら、心の奥から出てくる感情をこの場所に書き殴っている。

だから、投稿した後に読み直してみたら、誤字脱字、そして支離滅裂な文章に後で幻滅して恥ずかしくなるはず。

でも、文章は訂正しない。
湧き上がる感情のまま、このnoteという不思議な場所に、ありったけの感情をぶつけてみたい衝動に駆られている。

明日の朝に、この投稿を読み直して恥ずかしくなると確信している。(笑)

こんな投稿をFacebookやtwitter、アメブロで書いたら、凄く痛い人と思われるであろう。

でも、noteだから心の奥底の心の叫びを書いてみたくなる。(笑)

全ての感情を書き記したら、本当のスキが見つかる予感がする。

そんな事を書いた所で、なんだかスッキリしてきました。

noteって、どんな感情で書いても、そっと包み込んでくれる優しさを感じる。

そして、noteに居る人たちって、そっと見守ってくれる優しさを感じる。

だから、まだ始めたばかりなのに、noteが好きで堪らない。(笑)


バファリンが優しさでできているなら、noteは最強の優しさのツールだと思う✨

明日、読み直して赤面し、こんな投稿をした自分に幻滅し、でもスッキリしている自分が思い浮かびます💧

それでは、皆さまおやすみなさい。



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