私の認識に誤りがある可能性がありますので、あくまでひとつの考えであることをご了承ください。
1.創作文化と生成AI文化の性質は異なると思われる
創作者は、文化の表現に触れ、個人的感情を普遍的手法で表現します。
創作は、自己の文化の代弁と言えます。
生成AIは、文化の表現を解析し、統計に基づいて出力します。
生成AIによる出力は、他者の文化の代弁と言えます。
創作が主観的評価に基づいて行われるのに対し、
AI生成は客観的評価に基づいて行われます。
創作者と生成AIの違いは、学習にも現れています。
創作者の学習は、表現したい個人的な感情に適した、普遍的手法の引き出しを増やすことを目的としており、「表現方法」と「その効果」を紐付けます。
生成AIの学習は、他者の表現を正解だと仮定し、不正解の出力をしないようにすることを目的としており、「表現方法」と「その名称」を紐付けます。
2.同化について
異なる文化が同じ領域に存在するとき、以下のような手段がとられます。
・同化
強制的に文化への適応を求める
・市民的統合
非強制的に文化への適応を求める
・共生
文化への適応を求めない
3.生成AI文化は創作文化を同化していると思われる
一般人の判断力から、元の著作者又は演者が分かるようなAI生成物や生成AIモデルが許諾なく作られています。
特定の文化の担い手が、異なる文化に強制的に参加させられている状況だと思います。
(参考:特定の作家模倣・又は特定の目的に特化した生成AI一覧 - ai-illust @ ウィキ | 生成AI(generativeAI)による使用例、諸問題のまとめ - atwiki(アットウィキ))
(参考:コナン君に「#歌わせてみた」流行曲、実はAI偽音声…困惑する声優たち「対処しようがない」 : 読売新聞)
(参考:トム・ハンクス、無許可の“AIトム・ハンクス”登場CMに警告 - ライブドアニュース)
生成AIは学習データの特徴を再現しようとする点から、学習元の著作物の「表現上の本質的な特徴」が感じ取れるような出力を(軽微とは言えない程度に)する可能性が考えられるため、
あらゆる学習元の著作者が強制的に参加させられている(或いは確率的に将来参加させられる)とも捉えられます。
(参考:画像生成したらコラージュだった件 - Zenn )
創作文化においては、作品の制作のために他者の著作物を「利用」する場合は原則として許諾が必要です。
作品を公開しても、他人の創作に勝手に「利用」されないという共通の認識、価値観が根付いています。(その価値観に反するトレパク行為等は問題視されます)
生成AIは、AIに学習させる目的で許諾なく著作物を「利用」できるため、創作文化における価値観の喪失を要求されます。
(参考:イラストレーターたちがAI学習に抗議運動 pixiv上の作品を非公開に - KAI-YOU.net )
こうしたフリーライドの可能性と価値観の包摂が、法律や政策によって強制的に作られているため、同化ではないかと思われます。
4.文化的な生活に参加する権利について
経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約において「文化的な生活に参加する権利」が認められています。
条約機関の一般的意見をもとに、詳しく見ていきます。
コミュニティに属さない権利、強制的同化を受けない権利も含まれています。
生成AIが「文化的生活に参加する万人の権利」を実現させるというような意見もありますが、他者の「コミュニティに属さない権利」が阻害されるのであれば、完全な実現には至らないと思います。
文化的多様性を理由に人権を制限することはできません。
自己の文化的コミュニティに属する権利のために、他者の文化的コミュニティに属さない権利を制限することはできないのではないかと思います。
そして、生成AIの推進が文化的権利の享受に寄与する場合、考慮すべきことがあります。
文化的権利の享受のための政策は、許容可能性を要します。
関係する個人及びコミュニティに許容可能な方法で実施されるべきです。
現在、多くの団体が生成AIについて声明を出しています。
(参考:生成系AIに対するクリエイティブ団体・企業の反応・対応 - AI画像生成・生成系AI 問題まとめwiki - atwiki(アットウィキ))
生成AIは、「著作物を商業的価値しか持たないものとして扱うこと」や、
「特定の文化の象徴、シンボル及び表現がマーケティング又は利己的利用のために文脈から切り離されること」に寄与している側面もあります。
(参考:AI動画「ジブリアニメ」AI拡張描画で存在しない背景を描き足したAI技術が賛否両論!キレイと絶賛する声と宮崎駿監督に失礼という声が入り混じる)
生成AIは著作物利用者にとって都合がいいためだと思われます。(詳しくは以前の記事)
これらは文化的利益よりも経済的利益を重視した結果だと思われます。
5.AI生成物の扱いの曖昧さについて
現在のAI戦略の許容可能性に疑問が残ります。
これについて、AI生成物の扱いが十分に検討されていないためだと考えます。
二つ話題を挙げます。
まず著作権法47条の5の、情報解析の結果を提供するために著作物を軽微利用できることに関してです。
情報解析とは、30条の4において「多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の解析を行うことをいう。第四十七条の五第一項第二号において同じ。」とされています。
情報解析の結果とは、抽出して比較した結果又は抽出して分類した結果又は抽出して解析した結果であるはずです。
AIによる合成データsynthetic dataは、解析analysisの結果生まれたAIモデルが、合成synthesisした結果です。
解析と合成は逆の操作であり、合成データの提供のために47条の5が適用されるのは適当なのか疑問です。
次に、「既存の著作物と類似性がなく、創作的寄与もないAI生成物」の著作権についてです。
文化庁の「AIと著作権」の「AI生成物は「著作物」に当たるか・著作者は誰か」で示されている、
「著作権審議会第9小委員会報告書」(文化庁・平成5年11月)や「新たな情報財検討委員会報告書」(知的財産戦略本部・平成29年3月)、「次世代知財システム検討委員会報告書」(知的財産戦略本部・平成28年4月)を見ていきます。
元の著作物の表現上の本質的な特徴が感得できなければ、「外形上既存の著作物の表現が推知されないような独立の創作的表現となっている(=新たな著作物)」と捉えられますが、
創作的寄与が認められない場合、「既存の著作物を変形したものであるが、何ら創作的表現が付加されていない(=複製又は単なる変形)」とも捉えられます。
生成AIモデルを「既存の三次元の完全な構成物」、プロンプトの入力を「どの範囲の断面を選択するか」と捉えると、複製物又は単なる変形物に過ぎないと考えられるのではないかと思います。
生成AIモデルは場所によって断面の絵が変化している金太郎飴のようなもので、AI利用者はどこに包丁を入れるかを決定する、というような発想です。
一つの選択により、新たなデータポイントが数学的に一義的に決定します。
ーーーー追記(2023/10/17)ーーーー
著作権審議会第9小委員会報告書は平成5年のものですが、それ以降に、複製についても類似性を重視する裁判例が出ているようです。
よって、上記の考えは現状に適していませんでした。
ーーーー追記ここまでーーーー
もし複製物又は単なる変形物とされるならば、現在、働くはずの原著作者の権利が喪失していることになります。
また、権利制限規定によって、著作物を公開している(又は海賊版などが違法に公開されている)著作者はコンピュータ創作物の共同著作者になる機会を喪失させられている可能性が考えられます。
創作的寄与が認められる基準が明確でないのに、あたかも市場に提供されているものには創作的寄与があるはずであるかのような、根拠に欠ける指摘があります。
それこそフリーライドや権利の僭称である可能性があると思います。
具体的な方向が決まらなければ、どこからが僭称に当たるのかが決まりません。
ルールが曖昧では秩序が作られません。
先程の「既存の三次元の完全な構成物から二次元の断面図を作成する場合」のような「単なる変形」の考慮が完全に消失しています。
三次元の構造物と二次元の断面図には、外見上の類似性は認められないでしょう。(追記に書いたように、この考慮は不要でした。)
また、データセットの内容が確認不可能な状態の場合、依拠性を一律に否定するとまではいかずとも、一律に隠匿することができてしまいます。
AIの利活用の推進は産業競争力強化という経済的利益を重視した視点であり、
文化的利益を重視すれば、資料に何度も検討の必要性を示す文章が出てきたように、課題が多く残っていると思われます。
AI生成物へのフリーライドについて懸念されていますが、
AI生成物による侵害や依拠性についての検討が不十分では、人間の著作物へのフリーライドの抑制ができないのではないかと思います。
インセンティブ論にのみ基づいて保護の必要性が生まれているAI生成物を保護するあまり、
インセンティブ論と自然権論両方に基づいて保護の必要性が生まれている人間の著作物の保護が疎かになるのは、非合理的ではないかと思います。