「著作権者の利益を不当に害すること」の解釈を考察する
1.全般的な解釈について
「著作権者の利益」と、著作権侵害が生じることによる損害とは必ずしも同一ではないとする見解について
知的財産権の目的は次のように考えられている。
その中で著作権については次のような考えがある。
上記と著作権法第1条より、著作権者の利益とは「文化の発展に寄与しないフリーライドをされないこと」と言えるのではないか。
これを解釈aとする。
『AI と著作権に関する考え方について(素案)(令和6年2月29日時点版)』の『アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることについて』では次のような意見が多数を占めたとされる。
それに続く記述として、太字部分の記述が追加された。
これについて、多数を占めた「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」には該当しないという考えの元になっているのは、著作権者の利益とは「著作権法に認められる利益」であるという解釈だと思われる。
これを解釈bとする。
太字部分の見解は解釈aのことを指しているのではないかと思う。
解釈aと解釈bには「著作権法が保護しようとする利益」と「著作権法が実際に保護している利益」どちらを基準とするかの差がある。
保護の必要性が生まれてから、検討を経て、実際に法律によって保護をするという流れになるため、保護が必要になってから保護されるまでにタイムラグが発生する。
例えばアイデア等を文化の発展を害するために利用する技術が生まれたとする。文化の発展を害する用途で著作物のアイデア等を但し書きのある権利制限規定を用いて利用した場合、解釈aでは著作権者の利益を不当に害することに該当するが、解釈bでは著作権法が改正されるまでは著作権者の利益を不当に害することに該当しないことになる。
どちらの解釈にも長所と短所があると思う。
解釈aは許されない模倣を規制するという目的に合致するが、他の条文との整合性に問題が生じる事態が起こりうる。(ただし検討を終えるまで本当に保護すべきものなのかは不確定であるから、必ずしも正しい判断ができるわけではない)
解釈bは民主主義に基づく立法を尊重するものであるが、一時的に文化の発展を害する模倣が許される事態が起こりうる。
(これに関して、文化審議会著作権分科会報告書(平成29年4月)p.33~「具体的な法規範定立において果たす役割の比重が相対的に立法から司法へ移行することに伴う効果及び影響について」が関係ありそう)
どちらにせよ、文化の発展を害する模倣を規制するべきだという方向性は変わらないものと思う。
つまり、アイデア等を文化の発展を害するために利用する技術が生まれた場合、アイデア等の扱いを変えるべきか否かの検討は不要であるという結論には至らないはずである。
追記:法律用語で不当とは法令違反ではないが妥当ではないことを含むようなので、著作権者の利益を不当に害することと著作権侵害が同一とは限らないことは語義からして当然であった。
「文化の発展を害する」とはどういうことかを考えてみる
文化の発展度合いを示す何らかの専門的な指標が存在するのかもしれないが、無知ゆえここではパッっと思い付いた指標を列挙する。
文化的財・文化的サービスの数…総数が減るほど害する
文化的財・文化的サービスの多様性…多様性が減るほど害する、多様性が保護されないと害する
文化的財・文化的サービスの信用性…本物に対する贋作の割合が増えるほど害する、本物と贋作の類似度が上がるほど害する
どれかが良くなっても他が大いに悪くなれば文化の発展とは言えないと思われる。(例えば、数:100,多様性:5,贋作:1の状態から数:1000,多様性:5,贋作:1000となったり、数:1000,多様性:1,贋作:1となったり)
考察
ある行為が著作権者の利益を不当に害すると思われる場合、それがフリーライドであることを示すだけでは不十分であり、それが文化の発展に寄与しないフリーライドであることを示す必要性があると思われる。
そのためには文化的財・文化的サービスの数、多様性、信用性いずれかを大いに損なうことを示せば十分なのではないかと考えた。
2.第1層及び第2層の権利制限規定における解釈について
権利制限規定に要請される要件について
同様の但し書きのある権利制限規定は、47条の5を除き著作物の本来的利用を伴う第3層の行為に対する権利制限規定である。
それらは主として公共の福祉の増進を目的とした規定である。
本来的利用を伴うということは社会権規約第15条1項(c)を制限することになるから、社会権規約第4条より、その権利の性質と両立し公共の福祉の増進に必要な場合に限られる。
すなわち、第3層の権利制限規定は「著作権の性質と両立しない場合」や「公共の福祉を増進しない場合」に適用されないようにすることが要請されるものである。
ただ、そもそも公共の福祉の増進を目的としている規定なので「著作権の性質と両立しない場合」を除外するのみで十分である。
よって、著作者のインセンティブが確保されるように『著作権者の著作物の利用市場と衝突するか,あるいは将来における著作物の潜在的市場を阻害するかという観点』が導き出されるものと思われる。
それに対して、第1層及び第2層の行為に対する権利制限規定は要請されるものが異なる。
第1層及び第2層の権利制限規定は、著作権者に不利益が及ばないあるいは軽微であるために、社会権規約第15条1項(c)を制限することとならないため、公益性や権利者のインセンティブを考慮する必要なしに公正な利用が可能となるものである。
つまり本来的利用に当たらない行為に対して適用されることが要請されるのであって、言い換えれば「著作物の本来的市場に影響を与える場合」に適用されないことが要請されるものである。(本来的利用の意味については後述する)
そのような解釈は特に第2層に関する見解において確認できる。
ちなみに令和5年11月20日(月)の文化審議会著作権分科会法制度小委員会(第4回)では次のような発言があったものの、市場への影響に関する回答はなされていない。
まとめると、第1層及び第2層の権利制限規定は「著作権の性質と両立しない場合」や「公共の福祉を増進しない場合」に適用されないようにすることが要請されるのではなく、「著作物の本来的市場に影響を与える場合」に適用されないようにすることが要請されるのだから、第3層の権利制限規定の但し書きの解釈を流用するのは誤りだと思われる。
なぜなら第3層の権利制限規定は著作物の本来的利用を伴う行為に対して適用するものであり、著作物の本来的市場に影響を与えることを前提とした権利制限規定だからである。
第3層の権利制限規定の但し書きの解釈を流用することによる弊害は「著作物の本来的市場に影響を与える場合」にも適用されてしまうことで第1層第2層の趣旨に反するのみならず、
本来的利用を伴うにも関わらず「社会権規約第15条1項(c)を制限することになるから、社会権規約第4条より、その権利の性質と両立し公共の福祉の増進に必要な場合に限られる」という条件を満たさない条文になってしまう。
本来的利用の意味について
第1層及び第2層の行為は本来的利用に該当しない行為を指すが、本来的利用の意味が変わってしまっているのではないかと感じる。
元々は次のような意味で使われていた。
本来的利用とは著作物の本来的市場と競合する利用行為を指し、著作物の代替物足りうる二次的な著作物を通じた利用をも含まれるものである。
これらを考えると、アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることによって著作物の需要が代替される事態が起こった場合、本来的利用に該当する行為であると言えるのではないかと思う。
しかし、「非享受目的の利用は本来的利用に該当しない」ことが自明であるかのような解釈がされていることがある。
本来的利用の意味が「本来の用途」に変わってしまっている可能性がある。
(i)本来的利用とは著作物の本来的市場と競合する利用行為を指す
(ii)第1層及び第2層の権利制限規定には本来的市場に影響を与えないという要請がある
この二点から、上記の逆である「仮に権利制限規定がなかったとしたならば権利者に確保されるはずであった本来的市場における対価回収機会等が存在する場合、権利制限規定により認められることとなる行為は著作物の本来的利用を伴うものである。」が成り立つのではないかと思う。
「不当」の解釈について
文化審議会著作権分科会報告書(平成29年4月)p.38,39から、権利者への不利益が大きい層ほど公益性を要することが伺える。
逆に言えば、公益性が少ない権利制限規定ほど、許容される権利者への不利益は少なくなるはずである。
第3層の権利制限規定は上図の右端まで権利者の利益を害することを許容しているため、それを越えて害する場合は不当だと言えると思われる。
第1層に関しては、上図の第1層内の右端まで権利者の利益を害することを許容しているため、それを越えて害する場合を不当とするべきだと考えられる。
第3層の権利制限規定の但し書きの解釈を第1層のものに流用した場合、上図の右端まで権利者の利益を害することを許容することになり、本来相当の公益性を要する領域にまで第1層の権利制限規定が適用されてしまうことになる。
第1層、第2層、第3層それぞれで要求される公益性及び許容される権利者の不利益の領域が異なるのだから、どこから「不当」とするかの判断も変わるはずだと考える。
特に、第2層と第3層の境界は本来的利用を許容するか否かであるはずである。
考察
本来的利用を伴わない行為に対する権利制限規定においては、著作物の本来的市場に影響を与えるかという観点で但し書きの判断をするべきだと考える。
具体的には、仮に権利制限規定がなかったとしたならば権利者に確保されるはずであった本来的市場における対価回収機会等が存在することがないようにするべきだと思われる。
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