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修学旅行の起源

●修学旅行の起源 

 いよいよ修学旅行の日が近づいてきました。
ところで「修学旅行」っていつ頃から,何のために始まったので
しょうか。あなたは,考えたことがありますか。

修学旅行は近代日本の学校が作り出した独特の行事で,最初は〈行軍(こうぐん)旅行〉であったということです。「行軍」?
1886(明治19)年に,高等師範学校に集団訓練の一環として兵式体操(教練(きようれん))が導入されました。
ところが,現場の教師たちから「軍隊と同一では学校としての持ち味を生かすことができないと反発が起きました。
そして〈行軍〉を実施するにあたっても,生物・鉱物標本の採集,地形の学習,史跡の探訪など〈学術研究〉の機能を果たすべきだ」という提案を出したのです。この提案が通って,「修学旅行」の名称を与えたらしいとのことです。

しかし当時は今ほど鉄道網が発達していなかったので,もっぱら徒歩旅行で軍装行進が基本だったため,「行軍旅行」に近いものだったようです。
現在のような「3~4日で鉄道を使っての名所巡りの旅」というような形で広まったのは,1900(明治33)年に学割制度が始まり安く乗れるようになってからのことだそうです。  
           参考文献:佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』小学館

この文を書いたのは徳島県の中学校で校長をされていた仁木正(にき・ただし)さんです。
修学旅行は明治時代に始まった。しかも,「学生に軍事訓練を行わせるため」に始まったなんて,すごく意外ですね。しかも,徒歩で行進だったなんて,ツラソウ~。

でも,これは軍隊が学生に訓練を強制することに反発して,訓練らしさを少しでも薄めようと努力して先生たちが編み出した知恵だとも言われているのです。その先生たちの勇気とカシコサにはちょっと尊敬しちゃいます。

いずれにせよ,今の時代に生まれたボクやキミたちは恵まれているんですね。「平和のありがたさを味あわせてくれる話」だなぁと,思い紹介しました。

● 修学旅行も〈予想を立てて〉楽しむ 

 ところで,仁木さんは「修学旅行をより楽しむ方法」も自分の学校の生徒さんに向けて書かれています。
ここから――
みなさんの旅行先の九州の太宰府(だざいふ)には土産屋(みやげや)さんは何軒あるだろうか。10軒では少ないし,100軒だとかなりのもんだ。
「学問の神様・菅原道真をお祭りしてある太宰府は,受験に御利益があると全国的に有名なので,多いとは思うけれど,まあ50軒くらいだろう」という具合に,予想をたててみるわけです。    
すると,太宰府に到着するとすぐに土産屋の数を数えて確かめたくなるでしょう。こんなことは大したことがないみたいです。

 ところがドッコイ,これは頭をスゴクよくしてくれるのです。予想が当たると嬉しい。はずれると本当のことがシッカリ頭にはいってしまいます。「何をするにも仮説・実験」です。                                    
                 『たのしい授業』№197('98,5月号)より
―― ここまで。

 なるほど,これは楽しそう。そこで,今回の「修学旅行のしおり」にもボクが考えた「予想問題」を入れてみました。さっそく今日からでも友だちやお家の人とアレコレ,予想しあってみませんか(実は,ボクも正解を知らない問題があります。旅行先で〈予想結果=正解〉が分かることを楽しみにしています)。
 また,あなたも,何かおもしろそうな「問題」を考えついたら教えてくださいね。ボクも一緒に予想させてください。 

―― 以上です。
「修学旅行の目的」はどの学校でも設定しているはずです。ボクは〈社会科のセンセイ〉なので,そこに,先人の苦労や知恵を加えてみることも大切だと思うのです。はっきりしたことは分かりませんが,昭和初期から敗戦直後までの動乱期には修学旅行なんて思いもよらないことだったでしょう。そして,戦争がなくなった日本でも,この数年「コロナ禍」で修学旅行を実施できずに終わった学校が数多くありました。
戦争,疫病などさまざまな恐怖や欠乏に脅かされることなく修学旅行ができる…平和だからこそ味わえるということを,子どもたちには少しは感じてほしいと願っています。

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