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金色にから始まる物語、シロクマ文芸部

 金色に輝く指輪が、夕闇の路地裏でかすかに光を放っていた。狭い裏通りには誰の姿もなく、ただ廃棄された古い木箱や散らばった紙くずが風に舞うばかりだった。その光景をぼんやりと眺めていたリアドは、ふと足を止めた。

「誰かの落とし物か?」

リアドは周囲を見回したが、人影はどこにも見当たらなかった。手を伸ばす彼の指先は自然にその小さな円環へと吸い寄せられていった。冷たい金属の感触が指に伝わる。持ち上げてみると、信じられないほど軽かった。指輪の表面には微細な刻印が施されていて、古代文字を纏っているように見えた。

リアドは、誰も見ていないことを確認すると、そのままゆっくりと自分の指にはめてみた。指輪は驚くほど指にぴったりと嵌り、その瞬間、淡い金色の光が広がった。彼が驚いて指輪を見つめていると、突然、背後で音が響いた。

リアドは慌てて振り返った。そして目の前に現れたものを見た瞬間、息を呑んだ。そこには今まで誰もいなかったはずなのに、男がひとり立っていた。瞳は冷たい青白い光を放ち、その口元は笑みを浮かべて曲がっていた。

「指輪を持つ者よ……」

その声は低く、闇の底から響いてくるようだった。リアドは凍りつき、言葉を発することもできずに立ち尽くした。男は跪くと、重々しく頭を垂れた。

「私は、あなたの永久の従者でございます。この指輪を持つ者に、忠誠を捧げ、主と崇めてお仕えいたします。何なりとご命令を」

リアドは目を見開いた。忠誠?命令?目の前の存在に恐怖を抱きながら、試しにと、口を開き、恐る恐る尋ねた。

「本当に、何でも言うことを聞くのか?」

従者は深々と頭を垂れ、静かに答えた。

「はい、主よ。この指輪の所有者である限り、あなたの望むことすべてを叶えます。富、力、あるいは、敵の抹殺でも」

リアドの心臓が早鐘のように高鳴った。ありえないことだ。だが、目の前の光景がその不可能を現実にしていた。リアドは信じられない思いで従者を見つめた。ひとつの思いが心に浮かんだ。

「じゃあ、金をくれ」

リアドが半ば冗談めかしてそう言うと、従者は静かに手を広げた。その瞬間、空間に不気味な歪みが生じ、彼の目の前に山のような金貨の山が出現した。硬貨が互いにぶつかり、金属音が路地裏に響いた。リアドは目を見開いた。金だ。本物の、きらめく金貨だ。

「あなたの望み通り、主よ」

従者の冷たい声が耳元で囁く。リアドは震える手でその金貨の一枚をつかみ、表面をこすった。輝く光沢、滑らかな感触――間違いない、本物だ。彼は思わず金貨を握りしめ、口元に笑みが浮かんだ。

「よし! 次は、次は! 家だ! 町外れの空き地に家を建てるんだ」
「建てました」
「では、見に行くぞ。連れて行け」
 目の前が一瞬ねじれて、目を開けると目の前に豪邸が建っていた。周りを見ると確かに指定した場所だった。

家に入ると、彼は命令を下し続けた。従者はそれに応じ、リアドの望むすべてを瞬く間に用意した。宝石、馬、しもべ、ありとあらゆるものがリアドの前に現れ、そのすべてが彼のものになった。彼は夢中で命令を繰り返し、次々と新しいものを要求した。そのうち、彼の心はさらなる欲望に支配されていった。

「もっとだ、もっとくれ!」

しかし、欲望の先に待っていたのは空虚だった。どれだけ手に入れても、心の中の飢えは満たされなかった。リアドはふと、自分を見つめる従者の冷たい目に気づいた。

「主よ、あなたの望みはそれだけですか?」

従者は不気味な笑みを浮かべていた。その瞳の奥で、何かがきらめいた。リアドは不意に寒気を覚え、言葉を失った。

「あなたが望むものはすべて叶えられます。しかし、あなたはまだ気づいていない」

「何を?」

「主よ、指輪の持つ本当の力を。あなたは一度も、指輪の有効期限を聞かなかった」

リアドの身体が凍りついた。従者は静かに立ち上がり、彼に近づいた。その目は獰猛な笑みをたたえ、彼の顔をじっと見つめた。

「私は忠誠を誓った、指輪を持つ者に対して――ですが、有効期限があるのです。それは、主に与えたものの価値の合計金額が、決められた上限に達するまでです」

リアドは息を呑んだ。その瞬間、従者の手がリアドの胸に触れ、冷たい感触が彼の体全体に広がった。

「先ほど、上限に達しました。指輪は、欲望を叶える者を生かすためのものではない。これは、次の『持ち主』を探し続けるための器です」

リアドの体が燃え上がるように痛み出し、悲鳴を上げようとした。しかし声は出なかった。指輪が熱く脈動し、彼の指を焼き尽くすように光を放った。そして次の瞬間、彼の視界は暗転し――すべてが消え去った。

気がつくと、リアドは再び路地裏に立っていた。だが、彼は民家のガラス戸に映る自分の姿を見て凍りついた。

そこには、かつて自分が命じた従者が立っていたのだ。

「お前は新たな『従者』となったのだ、リアド。次の持ち主が現れるまで、永遠にこの指輪に縛られる」

彼の声は、闇の中で嘲笑するように響いた。そして、金色に輝く指輪は冷たく光りながら、再び無人の路地裏に戻され、新たな持ち主を待ち続けるはずだった。

 しかし、持ち主は、すぐに現れた。農夫に連れられた仔牛だった。買われて家に帰る途中だった。仔牛が指輪を踏んづけた時に蹄の間に挟まった。

 農夫は面倒見が良くて、仔牛が何かを望むことはほとんどなかった。それでも、体を洗ってやったり、草を出してやったり、夜にそっと散歩に連れてやったりした。とても価値の上限には達しなかった。

 仔牛が成長し、歳をとって死にそうになった時、痩せ細った牛の足からポロリと指輪が落ちた。その指輪を仔牛が踏み、また、蹄の間にめり込んだ。そうして、彼はずっと牛小屋で牛の世話をし続けた。糞があちこちにあり、掃除したいのに、自分の欲求で動くことはできなかった。そのため、劣悪な環境下で過ごし続けねばならなかった。彼が成仏できるのはいつの日か。

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