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モンペについて

モンペの制作の依頼を受けた。フリーのパターンを探して国会図書館デジタルでモンペを検索すると、裁縫書のほか、民俗学の本、「集団勤労作業」や「防空」の本などがみつかる。こうした本で解説されるモンペは、現代のモンペとは異なり、袴に似た直線的なパターンを持っている。現代のモンペの多くはズボンに似た曲線的なパターンをもっている。どうも戦時中ファッション性の観点から見た目をよくするためにズボン型のモンペが広まったようだ。袴型のモンペに改良を加えたものを制作したので、それについてのべる。

現代和服裁縫書. 第5巻 

昭和9

「軽袴(モンペ)」の項がある。「降雪多く寒き地方において仕事着として用いられる」とある。この本は足袋から蚊帳まで、いろいろなものの作り方がのっている。

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集団勤労作業教育の実際 

昭13
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462512

戦時中文部省は「国民精神総動員の教育的実践」として「集団的勤労作業運動」なるものを推進した。この本は「小学校青年学校における集団的勤労作業運動の実施上参考となるべきものを網羅したもの」であり、「女子の集団的勤労作業」の章で「非常時服の作製」について述べられている。島崎藤村や藤田嗣治がモンペ愛用者だとか、そういう寄り道も多い。
「和風と洋風のもんぺ(千代田女子専門学校案)」についてのほか、「婦人の非常服(大妻コタカ女史案)」というのものっている。非常服の「下着」(アンダーウェアではなくて上着の対概念)はモンペのようなもの。

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モンペの前には堆肥の作り方と害虫駆除の仕方、後ろには、防弾チョッキやガスマスクの作り方が書いてある。

大妻コタカは著名な教育家で、国会図書館デジタルでは下記の著作が読める。しかしここではモンペについてのべていない。

ちなみに、藤田嗣治はモンペの愛用者であるだけではなく、自身でモンペをデザインしたそうだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44643?page=5
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/123028
https://woman.nikkei.com/atcltrc/blog/hanayagimarishizuki/post/6b1478bed16e46b09478bed16e66b06e/

新潮社の「旅」という雑誌で「もんぺ時代」の特集か何かがあったようだ。
藤田嗣治は「自慢していゝモンペ」を寄稿している。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7887428?tocOpened=1


実修裁縫教本教授必携 

昭和14
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465687
脇空がなくてポケットがついた「改良モンペイ」についても。

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生活民俗図説 

昭和18  本山桂川
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460075

民俗学者の本。モンペの歴史についてのべている。

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服飾民俗圖説 

1943.12 本山桂川
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1910234
これも同じ民俗学者の本。先の本より詳細。各地のモンペについて説明あり。
「タチツケ」のパターンものっている。

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本山の「服飾民俗圖説」には、早川孝太郎のモンペの語源についての説への言及がある。早川の「猪・鹿・狸」は文庫化されていて(講談社学術文庫)、僕は下北沢の古本屋で買って持っている。国会図書館デジタルでも読める。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460080

「服飾民俗圖説」には宮本勢助著「山袴」への言及がある。宮本は山袴を、「タチツケ系統」、「モンペ系統」、「カルサン系統」の三つに大別した。しかし上述の現代和服裁縫書で軽袴(カルサン)とモンペを同一視しているように、その区別は曖昧だったろう。「山袴」は国会図書館にみつからなかった。宮本の下記の著作は読める。
民間服飾誌. 履物篇 宮本勢助
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452702

木綿以前の事

1938 柳田國男

「働く人の着物」の節にモンペのことが書いてある。

これによれば仕事着というのは洋服と同じように上と下が分かれていて、上着の裾は短かった。一方で普段着の方は裾が長かった。男用の仕事着の袴とはもともと細いものだったが、裾の長い普段着をきたまま穿けるように、股下に余裕のある太い袴が求められた。それがダフラ・モッペとか、ガフラ・モッペといわれるようなモンペらしい。


隣組家庭防空必携 

昭和15

家庭や隣組で行うべきとされた空襲対策の本。「消防」の章の「身支度について」の節において「廃品利用のモンペの作り方の一例」の項がある。本の後ろのほうには防空壕の作り方がのっている。

アニメ「この世界の片隅に」でも主人公がモンペを作るシーンがあったと思う。こういう本を読んで作ったのだろうか。

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着物でなくシャツを着ているのが印象的。

袴型モンペとズボン型モンペ

上述のモンペは、現在の日本で流通しているモンペとちょっと違う。

戦前の本に載っているモンペの多くは、和服の袴のように直線で構成されている。しかし現在の日本で流通しているモンペの多くは、洋服のズボンのような曲線的なパターンをもっている。前者を袴型モンペ、後者をズボン型モンペと呼ぶようにしよう。

戦時下のモンペについての近年の研究に、枝木 妙子「非常服としてのモンペの〈流行〉―第二次世界大戦期の新聞や婦人雑誌の記事に着目して―」がある。

http://www.arc.ritsumei.ac.jp/download/AR_19_edaki.pdf

これによれば戦前は農村で野良着として普及したモンペが、戦時中に「非常服」として都市にも普及した。

枝木はファッションとしてモンペが流行したという面に注目している。

袴型モンペは股下に生地が余る。ズボン型のモンペはファッションとしての見た目の良さから導入されたようだ。

当初普及したモンペは運動に不向きだったために、変化が加えられていった。これは襠を小型化し、股上を上げ、最終的に曲線を使用し布を裁ちズボンに近い形へ変化(図3)させることにより機能性を高めるだけではなかった。臀部のラインを隠すために襞をよせたり、逆に目立たせるためにゴムを通す事例など、結果として機能性を高めてはいるものの、ファッション性を重視した変更も行われていた。(枝木 妙子「非常服としてのモンペの〈流行〉―第二次世界大戦期の新聞や婦人雑誌の記事に着目して―」)

枝木はファッション性だけでなく機能性を、ズボン型への移行の理由にあげる。しかし、「当初普及したモンペは運動に不向きだった」というのについては疑問を持つ。野良着として用いられるくらい運動に適していたはずだ。実際、作って着てみると、ズボンより動きやすい。ある程度大きさのある襠は、見た目はわるいけれど運動性をあげる。ただ、ズボンに比べて太いので工場とか密集した環境で使うのにはモノがひっかかったりして都合が悪かったかもしれない。

枝野は上の引用の「図3」では『読売新聞』1943年3月16日朝刊に載っていたという「ズボン型のモンペ」を参照している。また、1940年に特許を取得した「柴田式モンペ」について「洋服を裁つときに用いられる曲線を利用し、襠をなくすことによって股上を上げている」と述べている。

柴田式モンペについては宮野洋子の下記の論文が参照されている。

https://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=ir&lang=ja&type=pdf&id=http%3A%2F%2Fid.nii.ac.jp%2F1618%2F00000037%2F&naid=120006466228

最近第二報が出された。

たしかに、柴田式モンペの研究(第 1報)にのっている「登錄實用新案明細書」の図面は襠がなく曲線を多用したズボン型のモンペなのだけれど、第2報で実際に作製している『農村作業着並びに家庭着の研究』にもとづくモンペは、襠がある直線的なもので、襠の一部に曲線を用いる以外は従来のものとあまり変わらないように思える。

上述の「集団勤労作業教育の実際」にも洋風のモンペについてのべてあいる。千代田女子専門学校裁縫科の発案だという。文章による説明のみで図はない。三角形の襠がある。

本山は「服飾民族圖説」で当時の改良モンペとか標準型モンペといった新しいモンペについて「中途半端なモンペ依存の迷夢」と手厳しい。モンペの股下がダボダボしているのは、着物の裾を入れるためという面があるので、上着を含めて改良しないといけない。本山は上着を裾の短いものにして、下は乗馬ズボンのようなものにしたら良いという。

モンペの制作

「実修裁縫教本教授必携」の「改良モンペイ」をベースに制作した。このパターンだと前襠が同じ三角形を二枚きりだして、一方を反転させて対称形に縫い合わせる仕様なので、裏表がある生地だと都合が悪い。今回つかった生地は裏面で模様が異なるので、前襠だけ、現代和服裁縫書に似たような形で作った。

依頼者は作業着として使うときに、いろいろ腰から道具類をぶら下げるということだったので、ウェストはベルトループをつけてベルトを付けれるようにした。前はファスナーをつけた。「実修裁縫教本教授必携」のままだと前の空きに何もないので、隙間から中が見える状態になる。ポケットはパッチポケットではなく、脇につけた。

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後ろ


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前のファスナー


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ポケット


■課題

ちょっとだぼっとしすぎているかもしれない。着物の裾を中に入れる必要がないことを考えれば、もう少し細くしてもいい。しかし着物生地を使う場合、ある程度生地の幅で決まってしまうこともある。本山がいうように乗馬ズボンに近づけてデザインしたほうが良いかもしれない。過去に作った「野袴」はこのモンペよりかは特に膝下にかけて細くなっていて見た目はスッキリしている。ただしパーツが多くて制作は面倒くさい。両方の利点を合わせて作るといいかも。


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