いつだって言葉に救われてきた

 月末に引っ越しを控えていて、さらにその引っ越し先が義実家で、さらにしばらく同居することが決まっているとなれば、義両親がどんなにいい人達だとしても不安は募るもので。休日にも関わらず普段より早起きする日が出てきたりするわけです。

 昨日も土曜日なのに早起きして、モーニングノートとか書いたりしてたんですが、その時にふと「来るもんは来る。来た時にどーんと受けてたちゃええ」という言葉が頭に出てきて、少し不安が和らいだんですよね。
 この言葉自体は、ハリーポッターと炎のゴブレットの(おそらく)終盤のハグリッドのセリフで、上記が原文ママかと言われると多分少し違うんですが、意味合いは同じです。ハリーポッターは小中学生の時に夢中で読んでいたとはいえ、高校生になって以降、読み返したこともほとんどなかった。なのに、今になって突然ハグリットが私の心を軽くしてくれました。そのことにとても驚いたのですが、思い返せば私はいつもそんな風に、言葉に支えられながら生きてきました。せっかくだから忘れないように書いておこうと思い、これを書いています。

 ハリーポッターも読まなくなった高校生の頃、私は世の理に従って思春期真只中で、膨れ上がった自意識とか承認欲求とか、その他たくさんの生きづらさを感じながら生活していました。思えば、この頃が一番いろんな本を読んでいた気がします。大学生になってからはほとんど小説しか読んでいなかったし。
 そんな中でも、図書館でたまたま手に取った寺山修司の「ポケットに名言を」と、その中で出会った言葉たちが、まるでお守りのように私の心を守ってくれていましたし、今でも大切な言葉たちです。

 有名な「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ(井伏鱒二)」に出会ったのもこの本ですし、同様にこの本で知った太宰治の「晩年」の中の「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。(中略)夏まで生きていようと思った」なんて、うつ病が今よりずっとずとお酷くて、毎日「死にたい」と思っていた頃の私の手を取って、幾度となく明日に連れて行ってくれた言葉です。この言葉のおかげで今も生きていると言っても過言ではないかも。
 高校生の時に話を戻せば、「どこでもいいから遠くへいきたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ(寺山修司)」という言葉を祈りのように繰り返しながら、たくさん勉強しました。実家が居心地の悪い場所だった私は、天才でなくともたくさん勉強して、できるだけ遠いところに行きたかったのです。
 あとは、本の中で気に入った名言の原作を図書館で借りてきて読んだりもしていたし、本当にこの一冊のおかげでたくさんの言葉と出会えました。この本は今でも大事に本棚に持っていて、何ならKindleでも持っている、人生の一冊とも言える本です。

 小学生の頃、母が相田みつをの詩集を私に渡して「辛い時に、助けになるかもしれないから」と言ったときに、私は全然意味がわからなかったし、その時に読んだ詩の内容も覚えていないけれど、思い返せば私は、確かに言葉に助けられながら生きてきました。母はあまり本を読む方ではないと思うけれど、そんな母でも同じように言葉に支えられた瞬間があったのかも、と今では思います。
 最近あまり本を読めていないけれど、やっぱり本が好きだし、言葉が好きなので、久しぶりに本屋さんにいきたいなと、書きながら思いました。なるべく大きな本屋さんがいい。

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