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ディスコ エリジウム日本語版雑感

本当に日本語でプレイできる日が来るとは思ってなかったんで、感無量かつ狂ったようにプレイ。この周回はネクタイちゃんに活躍してもらう予定で神経質スタートして、怒涛の勢いで日本語版の一周めを終えました。日本語になってるからめっちゃ読みやすい。文章を読むのに苦労しなくていいって素晴らしい!というこの喜びよ。ありがとうありがとう。
※ネタバレ回避のために一枚を除いて冒頭部分のSSに限定しております。

Switch版も煮しめたパンツ一丁だったそうで何よりです

過去にセルフ無謀ソロほにゃくにトライしていた無駄な苦労のおかげでこれを全編齟齬なく訳すことの甚だしい苦労は想像にあまりあるため、点数をつけるとしたら100点中100点です。あとは単純に好み。

日本語版、ここがいい

・日本語
日本語だ。英語じゃない。日本語だぞう!!!!(頭悪そう
・訳す訳さないディシジョン
無理にすべてを訳さずに()内で補完して、ナラティブに干渉しないやり方は非常によかったです。また、固有名詞は訳さない基本方針も、フルボイスで聞こえちゃうだけに変に訳すよりもずっと自然だったと思います。

こういう英語じゃないだけで日本語にすると同じ言葉になるやつはこれがベストだと思うんよ

・忠実
こればっかりは如何ともしがたいCERO的配慮以外は、原文のテイストを大切に訳されていたと思います。やっぱり旗振ってる人ががっつりプレイしてるのは大事ですね。

この最悪なズボンの説明も
ほらね、本当に最悪です

・ハードコアモードがしんどくない(しんどくないとは言ってない
飛ばし読みしないから選択肢を間違えないんだ。日本語って素晴らしい。
・ディスレクシア対応してあった(Steam版)
Switch版の方はまだプレイしとらんのでわかりませんが、Steam版の方はUDっぽいゴシック体に切り替わるようになっていました。

明朝の方がナラティブには合っているが、こっちの方が可読性は高い。BIZ UDかな?
段落の下マージンに問題があるのは後述。

文字サイズはだいぶん大きくできますが、目が限界を超えてしょぼしょぼに疲れている時は明朝よりゴシックの方がありがたかったりするんやおばちゃん年やからな。あ、そこまで目が疲れてる時はゲームすんなって言わない選手権開催中です。

日本語版、ここが残念

・選択肢や段落の行かぶり
上のSSでもおわかりのように、何らかの条件で段落の最後の行がかぶる現象が結構あります。ディスレクシアモードの方が顕著だけど、デフォルト書体でも普通にあります。気にはなりますがそのうちパッチで直ると思うし、プレイに支障が出るような不具合ではないです。
・脳内のキャラと日本語が違う
これは公式と解釈違いの部類です。キツラギさんは原文でもあまり短縮形を使わず(クールにハリーさんとの距離を取る意味でも)敬語に近いイメージだったので、そこだけはずっと気になってしまいました。
・くそ周りが忠実すぎた
英語ではふ○っきんわーくとかしっとなんたらみたいに単語の手前に悪態を入れていかに嫌なものかを強調するのがお決まりですけども、日常の日本語だと違和感がある組み合わせも多いんで(くそ客と呼んでもくそ工場とはあまり言わないとか)、そこがほぼほぼ全部くそついてたのはちょっと読んでて邪魔な感じがしました。これに関連して各種悪態については、もう少し日本語の口語文に寄せても良かったんじゃないかなあとも感じた次第。ケツ穴野郎とかほんま言わんやん。
でも武藤さんのお話では敢えての直訳気味方針であったそうですし、ほんま難しいさじ加減なんで、単純に私の好みということで。

その他

・CEROめんどくせえな
CとかPとかDで始まるシモ単語よりも、明らかに未開の蛮族扱いしてるloincloth(腰巾着になっていましたね)とか差別用語方面どうすんのかなって思ってたんですけど、そこよりも自主規制が一番強かったのが麻薬関連だったのが意外でびっくりしました。スピードは口で言うてるから全部伏字でええわ!っていうのは思い切りが良くて好きだったんですがw、コカうんたらまでハーブなのは薬物としての危険度がぼやける感じがしますね。そうは言ってもD止まりにするために必要な措置だったのだろうなおつかれさまこれでおいしいもの食べてねってなんか渡したくなる気持ち。

改めてこのゲームの魅力をろくろ

政治をはじめとした社会的要素が取り沙汰されがちな本作。それでも私にとっては、何度プレイしても「生きること」を真摯に描いたところがこのゲームの最大の魅力であり、主題であると感じます。

誰しも多かれ少なかれ心に傷を負い、過去に忘れてしまいたい過ちを犯し、何らかの困難を抱えて、それでもこのクソみたいな世の中で誰かと関わって、小さな妥協を繰り返しながら今日を生きています。
そんな市井の一般人が英雄になることはあまりありません。それがアル中で精神を病んだ死にかけの浮腫んだ中年おやじならなおさらね。
不器用な生き方しかできないハリーさんが、不器用にあがきながら人生と格闘するからこそ、そこに悲喜劇が生まれ、ほんの些細なことが思いもよらない出来事につながったり、とんでもない奇跡を起こしたりする。ゲームのようなことが実際に起きるわけではないけれど、生きるってそう悪いことでもないよ、と語りかけられている気持ちになる。私にとってのディスコ エリジウムは、そんな温かで、微かな希望の物語なのです。
日本語になっても、そもそもの文章量とか求められる教養や興味の対象やビジュアルの問題で相変わらず人を選ぶ作品ではあるけれど、そんなふるいの目から滑り落ちずに、ラストのカタルシスを味わってもらいたいなって思います。

ディスコ エリジウムは、いいぞ。

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