「親になる」ということ

  • 記事を読んで

  • 自分のこと

  • これからのこと

noteでいつも拝見している方がいる。
その方の教育や子育てなどが面白く、分かりやすく書かれている。
読む私にとっては思考の癖が正されていくような気がする。
「親になる」ということ、の記事には

・家の中での「本当の親」とは?
・「世間体」や「他人の目」を気にするタイプに現れやすい「親」とは
・親子の関係が上手くいかないケースの場合
・家族というもの


子どもは無意識のうちに
「この人は何をしても見捨てないのか?」
「自分の親で居続けてくれるのか?」を試しているのだそう。

生まれたての赤ちゃんは自分一人では何もできない…。
親が全てのお世話をする。
少しずつ成長し、寝返り、ハイハイ、笑った、泣いた、と
小さな成長を喜んだ。
それを子どもは感じ、大きくなっていく。
決してこの人は見捨てない、と言う「安心」と「確信」を持てたとき
「親・子」になるという
「何があろうと、あなたは私の子である」という受容する姿勢が根底にある

子育ては正解がないのでは・・・と思っている。
たくさんの人間がいて、多様性を重視する時代になり
いくつもの家族が存在するのだから、
あなたのパターンは○○だった、別の家族は○○だった…
それが、うちに合うとは限らない。
だから母は悩む、自分を責める、落ち込むのスパイラルになる。
どうすればいいのか・・・と

記事を読むと
家には「親」でなく何者かがいるらしい、
子どもにとっての「親」ではなく、
世間体や他人の目を気にしてしまうタイプの人。
チェックしてみて欲しい

□ 子育てを頑張っていると思われたい
□ 自分の思うような子どもになって欲しい
□ 成績がいいとほめる
□ 自分の子どもを「良い子」と言われたい、思われたい

思い当たる人は
自分の期待する水準に達してないと、
厳しく指導してしまう傾向があるらしい「親」でなく「鬼」なのか??
自分の欲望が先に立ち、子どもへの気持ちが迷子になってしまっている。
こどもの頑張り、そのひとつひとつの成長に気付かなくなる。
驚かなくなってしまう。
そうすると、思春期になり、大人の事情や気持ちに敏感・繊細な子ほど
反発やグレるような行動になるようだ。

「親になる」とは
全面的な受容と驚くことが条件かもしれない。と書いてある。
これは大きくうなずいた。

子どもあるあるで、
私も以前の職場で学童支援員をしていた頃の話
「学校」ではとてもいい子で、先生の言うことも聞く、問題ない子。
一歩「学校」から離れると、やんちゃであばれる君だったり
支援員の膝に座り、指をくわえたり、
いつもイタズラをし注意される子もいたなあ・・・と
なつかしく思い出した。
保護者に話すと、学校でもお家でもその様子は見られないこともあり
驚かれることもあった。
いつも思うのは

・保護者がとても忙しいこと
・子どもの目を見て、会話ができていないこと
・ちいさな「できた!」を一緒に喜べていないこと
・褒めていないこと

本当の意味の「親と子」になっていないのかもしれないと
気付かなければ、悩みはなくならないと思った。

それには、
すべて放棄する必要がある。という

心配で先回りし、子どもの失敗を避けたり
子どもの話を携帯を操作しながら、右から左に聞いたり
子どもの成長を、自分の基準で型にはめこもうとしたり
自分の思うようにならないと、厳しくしたり
これらをすべて放棄し、

・「後回り」する
・「できた!」「やったね!」「がんばったね!」と驚く
・一緒に「面白がる」
・悩み立ち止まったときは「祈り」「待ち続ける」


この記事の中で、私が心に響いた言葉

社会的立場とは、外側の飾りでしかない
価値を認めてくれたとしても
家族の中では、意味をなさない
外面的なものは無効な関係
素の人間のまま向き合うこと
それが「家族」というもの
それが「親になる」ということかもしれない。

最後に、
私がこの記事を読んだとき、自分の事を書いているのかと思った。
外側の自分を壊す勇気がなく、
子育てに悩み、チェックしてみると当てはまる。
子どもとの会話、こどもと同じ目線、驚き、喜びを
一緒に感じよう!!と強く思った。
「外の自分」という重たい鎧を降ろすことからはじめよう・・・


記事を読んで、思ったことを書いてみました。
shinshinoharaさん ありがとうございます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?