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はつ恋

読書をしている保乃がふと顔を上げ、

保乃:そう言えば今日同窓会ちゃうん?

ソファで隣に腰掛ける俺に声を掛けた。

◯◯:あ…

俺は壁のカレンダーを見た。

◯◯:そうだな…

心の中で溜息をつく。

あまり気が進まない。

こういう集まりが苦手ということもあるが、あの時のことを思い出すと古傷がうずくみたいに心が落ち着かなくなるからだ。

同窓会の案内状が届いた時、あまり乗り気で無い俺を行かせようとしたのは保乃だった。

頑なに行かないと言い続けるのもなんだか気が引けて、案内状の「参加」に丸をつけた。

今夜、その同窓会がある。

保乃に言われるまで正直忘れていた。

◯◯:スーツかな?

保乃:その方が無難ちゃう?

◯◯:やっぱそうだよな

仕事でも着るスーツを出し、ワイシャツには保乃がアイロンを掛けてくれた。

保乃:せっかくやからぴしっとしとかんと

◯◯:ありがと

俺としては、同窓会なんてどうでもいいから格好など気にしちゃいないけど、保乃の優しさは素直にありがたいので無下にはしない。

同窓会は市の中心部にあるそこそこ高級なホテルの広間を貸し切って行われる。

俺と保乃の住むアパートからホテルまでは電車を使って小一時間ほど掛かる。

◯◯:そろそろ出るよ

保乃:いってらっしゃ~い。楽しんで来てな

玄関でキスを交わし、俺は部屋を出た。

冷たい風がアパートの廊下を抜けていく。

◯◯:寒っ

俺はコートの襟を合わせ気味にして駅への道を歩き始めた。

コートのポケットに手を入れると、6センチ角くらいの箱に触れた。

◯◯:…

保乃に渡すつもりで買った婚約指輪である。

ポケットの中で握ったり離したりしてもてあそぶ。

保乃とは付き合って3年になる。

去年から同棲を始めた。

保乃も俺との結婚を意識していることは、共に暮らしていて端々から感じ取れる。

しかし踏ん切りがつかない。

保乃のことを愛している。

その気持ちに偽りは無いはずなのに。

俺はポケットから手を出して、もやもやした思考を断ち切った。

◯◯:同窓会、か…もしかして来てるかな?

思わず呟く。

呟いておいて、そんなわけないかと思う。

まるで期待しているみたいじゃないか。

元カノと会えるかも、なんて。

彼女は風の便りで海外にいると聞いた。

ダンサーとして活躍しているらしい。

ずっと抱いていた夢を叶えたわけだ。

俺が彼女―森田ひかると付き合っていたのは高2の春から高3の終わりまで。

付き合うまでは互いの顔と名前は知っている程度だった。

ある日の夜、日課のジョギングをしていて、たまたま普段とは違うコースを走った。

思えば神のお導きだったのかもしれない。

ひと休みしようと立ち寄った公園に、遊具の側で踊っているひかるがいた。

お互い目が合い、「あ…」となった。

なんだか気まずくなって公園を出ようと踵を返した時、

ひかる:あ、ねぇ。待って

◯◯:ん?

ひかる:お願いがあるんだけど

◯◯:…何?

ひかる:あたしが踊ってるとこ、スマホで動画撮ってくれないかな?三脚壊れちゃって

◯◯:そういうことなら、別にいいけど

ひかる:ほんと!ありがと

突然のことに戸惑いつつ、スマホを貸してもらい踊るひかるにカメラを向けた。

俺は一瞬で魅せられてしまった。

彼女のダンスから迸るエネルギーに。

普段のかわいらしい雰囲気からは想像出来ない力強さと、時折覗く妖艶さ。

一目惚れだった。

俺から猛アプローチして交際にこぎつけた。

出会いの場となった公園にはひかるの練習に付き合って何度も行くことになった。

ふたりでいろんな想い出をつくった。

楽しい日々だった。

高校を卒業してもそれが続くと思っていた。

しかし別れはあまりにも急だった。

卒業式の日に、ひかるから海外に行くと告げられ、そのまま別れることになったのだ。

その際突然のことに混乱し、今考えるとかなり酷いことを言ってしまった。

俺はこんなに好きなのにと、裏切られたような気がしたのだろう。

喧嘩別れのようになったことが、未だに心の底に澱のように残っている。

電車の吊り革に掴まってぼんやり車窓を眺めていると、ちょっとしたことでよく笑う、背が低くてかわいらしい女の子の姿が頭に浮かんでしまい、胸の中がざわついた。

甘さや苦さが蘇る。

心が乱れる。

やっぱり会わない方がいい。

切なくなるのはごめんだ。

頼むから同窓会に来てませんように。

しかし、そんな願いは駅の改札を抜けてコンビニの前を通った時に見事打ち砕かれた。

コンビニから出て来た小柄な女性と出会い頭にぶつかりそうになり、

◯◯:すみません…あ…

ひかる:◯◯…くん…?

ずっと忘れられなかった大きな丸い瞳が、驚きでさらに大きくなっていた。

 ※

成り行きで一緒に行くことになった。

ひかる:久しぶりだね…

◯◯:おう…

ひかる:10年ぶり?

◯◯:そう、なるな…

ひかる:そっか…

大人っぽくなったひかるは大層な美人だ。

ちょっとした気まずさと、

ちょっとした照れ臭さで、

ぎこちなくなってしまう。

ひかる:元気だった?

◯◯:あぁ…ぼちぼち、かな…ひかるは?

ひかる:あたしもまぁ、そこそこ…

◯◯:そっか…

会話が続かない。

付き合ってた頃はどんな些細なことでも楽しくてよく笑い合ったものだが。

◯◯:今も海外にいるんだろ?

ひかる:うん…

ひかるが伏し目がちに応える。

別れの瞬間に通じる質問をしてしまったことに自己嫌悪した。

未だに拘っているみたいじゃないか。

いや、実際拘っているのか俺は。

 ※

会場に着くとなんとなくお互いに離れた。

一緒にいる理由が無かったからだが、どこか離れがたい気持ちがあったのも確かで、それはひかるも感じていたように思う。

同窓会は滞り無く進み、久しぶりに会う元クラスメイトたちとはそれなりに盛り上がったものの、親しい友人がいない俺はまだ1時間も経たない内に帰りたくなっていた。

保乃の手前、あまり早く帰るのもダメな気がしてこっそり抜け出せないかと思案する。

ひかるが友人らしき女性と言葉を交わしている姿を目の端で捉えつつシャンパンを飲んでいると、ひかると一瞬目が合った。

会話を切り上げたひかるがやって来る。

ひかる:ねぇ…抜け出さない?

ふたりにしか聴こえない声量で言う。

これ幸い。

◯◯:奇遇だな

ひかる:え?

◯◯:俺もそうしようかと思ってた

ひかる:気が合うじゃん

苦笑し合い、こっそり会場を出た。

少し肌寒い大通りを歩く。

◯◯:どこ行くんだよ?

ひかる:そうだなぁ…

◯◯:決めてなかったのかよ

ひかる:そう言う◯◯くんはどうなの?

◯◯:むー…

ひかる:やっぱ決めてないんじゃん

ひかるが手をパチンと合わせた。

ひかる:そうだそうだ

◯◯:いいとこ思いついた?

ひかる:あそこしかなくない?

 ※

ひかる:まだあって良かったぁ

◯◯:懐かしいな…

俺とひかるが初めて話した公園に来た。

ひかる:ここでよく踊ってたなぁ

遊具の側に歩み寄り、華麗にターンし軽くステップを踏むひかる。

手を天に掲げるように回ると、再会した時から密かに気になっていたものが、昔のガス灯を模した照明の光を反射して光った。

◯◯:ひかる…

ひかる:ん?

◯◯:結婚したんだな

ひかる:あ…

ダンスを止めたひかるが、無意識に左手の薬指にしている指輪をいじる。

ひかる:婚約はしたけど、式はまだ

◯◯:そっか…おめでとう

ひかる:ありがと…

はにかむひかるはとても幸せそうで、

なんだかとても悲しそうに見えた。

ひかる:でも正直ね、これで本当に良かったのかなって、思う時があるんだ…

ベンチに座ったひかるの隣に少しだけ隙間を開けて座り彼女の話に耳を傾ける。

ひかる:彼のことは好き。あたしのことを幸せにしてくれるって確信してる。でも何故か不安なの

ひかるは自分の靴先を見つめている。

ひかる:それでね、気づいたの

◯◯:何に?

ひかるが俺を真っ直ぐ見る。

ひかる:◯◯くんのことが忘れられてないからだってことに

俺の中で、す…と何かが腑に落ちた。

◯◯:そっか…そういうことだったのか…

ひかる:え…?

◯◯:あ、いや、ごめん、なんでもない

ひかるは気を取り直して続ける。

ひかる:別れ方があんな感じになってさ。あたしが悪いんだけど、お互い納得してお別れ出来なかったから、◯◯くんと過ごした時間や想いを未だに引き摺ってるんだな、って…

◯◯:ひかるだけが悪いんじゃない。俺も子供だったし、辛かったけど、あんなに酷いこと言ったりして本当にごめん

ひかる:こっちこそごめんなさい

ひかるが自嘲気味に笑う。

ひかる:なんかバカみたいだよね。そんなこと今更言ったってしょうがないじゃんって思われるかもだけど…

◯◯:そんなことないよ

ひかる:え?

◯◯:俺だって同じだ。さっきひかるの言葉を聞いて分かったんだ。俺もひかるとの恋を引き摺ってる。今付き合ってる娘がいて、結婚したいって思ってるのに、これでいいんだろうかとかいろいろ考えちゃって。彼女のこと待たせてずるずる引っ張ってて。その理由が、俺にも分かったよ

ひかる:やっぱ気が合うね、あたしたち

見つめ合う。

大きな瞳と、潤んだ唇。

思わず惹かれそうになる。

どちらからともなく、顔を逸らす。

ひかる:同窓会の招待状が届いた時、これはチャンスだって思った。もしかしたら◯◯くんが来るかもしれないって思ったから。半信半疑だったけどね

ひかるは立ち上がりそして笑顔で言う。

ひかる:◯◯くんと出会えてほんとに幸せだったよ。ありがとう

どこか切なさを帯びた笑顔だった。

◯◯:俺も幸せだった。最高の時間をありがとう、ひかる

自然と抱き合っていた。

だがすぐに離れる。

◯◯:やっときれいなお別れが出来たな

ひかる:だね

晴れやかな笑顔である。

ひかる:これからは、友達として

ひかるが手を差し出す。

◯◯:うん…友達として

差し出された手を握り返したが…

たぶんひかるとは友達ではいられない。

だが恋人には戻れないことも分かっている。

だからせめて、ふたりで過ごした時を大切なはつ恋として、胸に締まい前を向こう。

俺は猛烈に保乃に会いたくなっていた。

 ※

ひかると別れ、保乃の待つアパートに急ぐ。

保乃:おかえり

◯◯:ただいま

いきなり保乃を抱き締める。

保乃:どないしたん!?

愛しい人の背に回した手に力をこめた。

◯◯:結婚しよう

俺は玄関に跪き、ポケットから婚約指輪の箱を取り出して蓋を開けた。

驚いていた保乃の目から涙が一筋流れる。

保乃:…嬉しい

俺は保乃の薬指に指輪をはめた。

 fin

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