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抜毛症になって1ヶ月で禿げた話

バスタブの中からこんばんは。

経緯とか話すと長くくどいので短く終わりたいnoteです。

正直あんまりこの話はしたくない部類で、していった方がわたしには有効であることを理解した上で、そうでありつつ、でもあんまりこの話はしたくない部類なのです。だってなんか、人にドン引きされそうで。
でも話した方が有効なので、ちょっとでも言葉にして、どう話せばわたしにとって楽なものになるか模索するきっかけにしていきたい、などは後付けのきっかけです。

ときは、小学四年生にまで遡ります。
私は、家の事情で引越し、小学三年生の頭から転校し、そこでどうにも上手く過ごせなかったのです。というのも、途中まではよかったのですが、途中からとても強い子が転校してきて、その子に耐えられなかったのです。
耐えられないことをきっかけに、展開させた落ち込みをうまく消化できなくなっていった私は、様々な『ヘンテコな行為』に手をだすようになりました。『ヘンテコな行為』というのは、今でこそ奇しくもファッションと言われてしまうようなものですが、リストカットだとか、極端な夜更かしとか、全く食べないとか、そういうものです。
そして、そのひとつとして、髪を抜く癖が始まりました。

いつからか?という疑問はとても重要なものですが、何せ5年以上も前なので具体的には覚えてないのです。覚えているのは、不登校になったのが6月下旬だったということ。恐らく小学四年生の夏あたりが最もだったはずです。

これはこの2年ほどで知ったことなのですが、『髪を抜いてしまう』というものはどうやら精神的な病気のひとつとされるらしく、またそれを『抜毛症』というらしいのです。そして、『髪を食べてしまう』というのを『食毛症』、『食べ物ではないものを食べてしまう』というのを『異食症』というらしいのです。初めて知った時はとてつもなく驚いたものです。
私は、抜毛症や食毛症だったのかもしれなかったのです。

まず簡単に、抜毛症というのは髪などの毛を抜いてしまうもので、食毛症というのは髪を食べてしまうものだと書いた通り、私は『髪を抜き、食べてしまう』癖が酷く起きてしまったのです。
それから、食毛症とするには少し違和感があって、どうやらそういう人も症例として挙がっているらしいのですが、私はかなり毛根だけ食べていました。

『髪を抜き、毛根を食べる』癖があった。

どうして、という話ですが、私が聞きたいです。そんな中でひとつ心当たりとして登場するのが母です。母はよく布団の中で豆電球に照らされながら自分の1本から5本程度の髪を淡々と引っ張っていたのです。なんとなくそれを真似したらハマったのかもしれません。それも可能性までですが。
まあ、髪を抜くきっかけが仮にそれだとしても、毛根を食べるのは全く心当たりがありません。どうしてそうなったのでしょうか。不思議なものです。

余談ですが、私はうつと診断されていました。『されていた』となるのは、治ったとか改善されたというようなものではなく、単純に通院をやめてしまったせいなのですが。小学四年生の頃はそもそも病院に行っていなかったのでなんとも言えませんが、もしかしたらその時からそうっぽかったのかもしれません。わりと関係の無い話です。

抜毛や食毛をやるようになってしまってから変わったものとして挙げたいのは、床です。私は作業をする訳でもなく椅子に座り、学習机に向かい、髪を抜き、食べていました。平気で何時間も。するとその中で頭皮から離れた髪が床にはらりはらりと落ちていくのです。2時間も続ければ、まるで美容院で施術を受けたかのような床が現れるのです。当時ロングヘアだった私は、昨日まで自分の一部だった髪の塊を持ち上げてゴミ箱に運んでいました。それを一日に数度。毎日。
髪を抜いているのでもちろんハゲたのですが、それ以上に辛かった弊害は湿疹でした。
髪を抜きすぎて、頭皮が荒んだのです。ただ髪を抜いていただけなのに、頭皮が突然かさぶたを生むのです。驚き、慄きました。そして、それが髪を抜く癖を悪化させました。

自傷行為というのは、カッターで手首を切るなどのリストカットに限るものではなく、かさぶたを剥がしてしまうとか、傷口を触ってしまうとか、あとから『やってしまった』と感じてしまうものも該当するらしく、結構対応範囲の大きなカテゴリなんだなと思ったものですが、それに言えることは『やっているあいだは気持ちいい』というところで、私はそれにまんまとしてやられたのです。

やっているあいだは気持ちいいのです。

あとからとめどなくこみあげる後悔や自責をすぐ忘れてしまうほど。

いつしか私は、湿疹が起きてしまった頭皮を歓迎するようになっていました。
かさぶたを剥がしながら髪を抜くのが楽しかったのです。血がくいこんだ爪を見るのが心地よかったのです。赤い毛根を口に運ぶことが高級料理を食べているようで興奮したのです。今思えばどうかしていたのですが、当時はそれが全てになるほどに至上の快楽でした。やめられなかったのです。湿疹が起きれば更に荒らし、湿疹が起きなければ湿疹が起きるまで荒らす。私の頭皮は地獄でした。

そして1ヶ月ほど経った時、ついに言われたのです。

『なんかてっぺんハゲてない?』

そりゃそうです。毛のある動物は毛を抜けばハゲます。ついにバレたのです。気付いた親は慌ててバレッタを買ってきて髪の分け目を変えるようにして私の頭をとめました。いまでもバレッタをみると親が手にした百均のバレッタを思い出します。

私は、なんとなく毛を抜いていただけで、他人が気がつくほどハゲたのです。
1日100とかむしってればそりゃあそうもなるでしょうと言った話ですが、人は案外髪の回転が早いようで、なんだかんだ生えるのです。しかし私はそれを抜くために、徐々に毛根が死んでいったのです。そんな感じで1ヶ月過ごしていたのです。

そして、バレてからとても注視されるようになりました。髪留めないとハゲてるの見られる、みっともない、など言われるようになりました。そこで初めて自分やべえことしたなって思いました。反省というか、理解でした。

しっかり話すことをしないだけでそういうことがあったんだ〜とはたまにこぼしているのですが、最もやり切れないのはどうして忘れられないのか、というところなのです。

やめられないのです。

仮にそれが小学四年生で始まったとして、それが10歳だったとして、そこから7年間、やめられていないのです。

いえ、軽減はしました。いつからか親に激しく言われることは減り、なくなりました。髪を抜いてカーペットが黒くなることも、毛根を食べようとすることも、減りました。

減ったのです。
減っただけなのです。

それは確かにとても褒められることで、努力の結果なのですが、ちょっとやってしまった時の自責が半端じゃないのです。ハゲていた頃の方が気楽だったと思えてしまうほどに。今でも美容院に行くのが怖いし、自分で頭をよく見るのも怖いです。なにか思うのが、思われるのが、そしてそれを言われるのが怖くて。髪を触られるのも苦手です。抜きたくなるから。

100%の改善は無理に近いかもしれないのですが、どうにか、せめて自責がちょっとでも軽くなるように。そんな吐露でした。長風呂。

髪を短くして、染めて、『かわいくなったね』なんて言ってもらえても、私はまだ、髪を見られることが苦手です。

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