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#72-11 横井さんと小野田さんの情報戦

1972年(昭和47年)1月24日の夕暮れ時、横井庄一さんはグアム島のジャングルで地元の猟師に発見された。

終戦から28年目、満57歳の残留日本兵である。

2月2日に横井は日本に帰国。

「恥ずかしながら帰って参りました」というのは本当ではなかったけど、流行語になった。

帰国後、昭和天皇にお目にかかる機会

帰国後に両親の墓参りをした際に「親孝行できなくてすみませんでした」

1972年8月にお見合いをして結婚した。

グアム島には投降を呼びかける放送があった。「その放送を聞いても私たちは敗戦を信じられず、相変わらず敵の襲撃を恐れてジャングルの中をさまよい続けたのです。」

1972年10月19日 - フィリピンのルバング島にてフィリピン警察官に小塚金七元一等兵が射殺される。

1974年2月20日に、鈴木紀夫はフィリピンのルバング島のジャングルで小野田寛郎を発見。

3月9日に、小野田の元上官谷口義美(元陸軍少佐)が任務解除命令(「尚武集団作戦命令」と「参謀部別班命令」)して投降した。

3月12日に日本航空の特別機で羽田空港へ

帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫んだが、昭和天皇への謁見は断った。

小野田は短波ラジオでBBC、ABC、北京放送、ラジオピョンヤン、ラジオジャパンなどの放送を聴取していた。

日本の捜索隊が現地に置いていった日本の新聞や雑誌からも、情勢についての情報を小野田は得ており、皇太子成婚、東京オリンピック、新幹線などで日本が繁栄していることを知っていた。

末期には、短波ラジオで日本短波放送の中央競馬実況中継を聞き、戦友小塚と賭けをするのが娯楽だった

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