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砂糖と焼いたら甘いかな

「推し」にされることを想定していない生業の人を堂々と推し呼ばわりするのってめちゃくちゃに抵抗がある。

特にアーティスト、音楽でも絵画でも演劇でも文章でもなんでもいいけど、純粋にその人が生み出す作品に胸を打たれてファンで居る人達を尻目にアーティスト本人の一挙手一投足に興奮し「この時の、顔が‼️」とか「この表情が‼️手が‼️歯が‼️口角が‼️」とか言ってんのわけがわからないし、真っ直ぐ気持ち悪い。

「推し」という言葉が世の中で自分の感覚よりもはるかにポップに浸透していることも弊害になっている。
推しの先輩、よく行くお店の推し店員、そういう使い方を否定するわけでは全然ないんだけど、自分にとってのその言葉はもっと切実で狂おしい意味合いがある。嘗て人生で唯一推しと呼んでいた人にはバイト代のほとんどを費やしていた、同じ煙草を吸い同じ音楽を聴いた、スマホのパスワードは何年も彼の誕生日だった。

でもなんか、もう、どっちもキツイ。
ポップな方で使ってると思われるのも自分の思う方で使ってると思われるのもどのみち気色悪い気がして申しわけない。
気持ち悪いファンだと思われたくない。善良で、弁えていて、なんならちょっと格好良いファンでいたい。とっ散らかりの自意識がこんなところでも自分の「好き」の邪魔をする。

人がそれをしていても別になんとも思わないのに……。自分にだけ負い目が生まれてしまうよ。最近たまにヤマトパンクスしか勝たん♡みたいな地雷っぽいメイクの女の子のツイートが流れてくるけど、自分の好きなものにも自分の愛し方にも自信があって羨ましくなった。美しいなとすら思った。

あたしはまだそんなに堂々と出来ないけど、でも叫びたい、推しが好きだと……凍てつく時間(とき)をぶち壊したい‼️
ので、いつも100円noteを買ってくださる優しいふぉろわ~~~にだけ見えるところで叫ばせてもらおうと思います。宜しくお願い致します。

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