乾杯おっぱいチェリーパイって結局なんなの
福岡では歳の近い上品なお姉さんがやっている小さなスナックバーでアルバイトしていたので、神戸でも似た雰囲気のお店で働きたいなと思って求人を探していたのに気がついたらあやまんJAPAN考案のコールが鳴り響く店に入店していた。定番のコールをひとつも知らないと言ったら客に「中洲で何してたん?」と言われて喉の奥が震えた。
誰かがカラオケで中島みゆきの地上の星を入れて、物真似して歌えとマイクが回ってきた。それなりにちゃんとやったら上手いとそれはそれでおもんないみたいな空気になった。わたしと同時期に入った物静かな女の子が、酔った先輩に「なんかおもろいことやれ!出来るやろ!」と叫ばれて小さく頭を抱えていた。可哀想だと思ったけれどわたしじゃなくてよかったとも思った。
0時が回った瞬間に席を立って慌てて退勤する。猛スピードで自転車を漕ぎながら、中島みゆきの時代をデカい声で歌って帰った。今日の風に吹かれましょうっつったってこんな湿気を含んだ生ぬるい風じゃなにも拭えない。わたしの時代はまわるのかしら。
家に着いて、配偶者が作ってくれた苺のスムージーを飲みながら少し泣いた。
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昼は在宅でテレアポのアルバイトをしている。薄暗い和室でひとりパソコンと向き合っていると、月並な表現だけれど世界にひとりきりみたいな気分になってくる。架電システムが勝手に繋いでいく知らん人たちとの通話は、不在アナウンス、不在アナウンス、ガチャ切り、不在アナウンス。たまに感じの良い人と繋がると逆に申し訳なくてしつこく営業することが出来ず、「お忙しい時にすいませんでした」と謝ってすぐに切ってしまう。その押しの弱さゆえ営業成績が馬鹿みたいに悪い。いつクビになるかひやひやしながら働いている。
この間佐賀に住んでいる優しいおじいちゃんに電話が繋がった。おじいちゃんはもう20年以上前に奥さんを亡くし、息子も孫も他県で暮らしていて中々帰ってきてくれないと寂しそうに言った。佐賀は出られるけど入れないからマジ仕方ないっすよ!と思ったけどあまりに切実に寂しそうにするから言わんといた。
おじいちゃんはわたしと連絡先を交換したいと言って、わたしは仕事中だからそういうことは出来ないんですよとやんわり断って、じゃあ仕事が終わったあとまた電話してくれたらいいじゃないかと言うので面倒になりハイハイそうしますと言って切ってしまった。
切ってすぐ後悔した。おじいちゃん、今日1日わたしからの電話を待つかもしれん。てきとうなこと言って流さなきゃ良かった。ちゃんと納得するまでお話すれば良かった。顔も知らんおじいちゃんが固定電話の前でわたしからの電話を待つ姿を、うっかりちゃんと想像してしまって、なんかどうしようもなく泣きそうになってしまった。おじいちゃん、寂しいよなあ、わたしも寂しいよおじいちゃん。神戸が自分の居場所だと思え日が来るとは今のところ全然思えないよ。寂しいよなあ。
このあいだ用事があって地元の男友達と15分通話して、その15分でびっくりするくらい救われてしまった。「また電話しよう」とわたしが言うと彼は苦笑いしながら「前もって言ってくれたら、いいよ」と言った。いいよと言ってくれるだけで大丈夫な気持ちになった。自分に優しくしてくれる人の15分がどれだけ孤独を紛らわせてくれるかがわたしには死ぬほどわかってしまう。
悩んだ末に自分のスマホから電話をかけ直した時のおじいちゃんの嬉しそうな声と言ったら、良かった、いいことしたかもしれん、とさえ思った。こんなんめちゃくちゃ偽善かもしれん、やっぱり全然良くないかも、間違ったことしようとしてるかも、というわたしの迷いを打ち消してくれるような明るい声でおじいちゃんは「待ってたよ!」と言った。
また都合が合う時にお話しようねと言って電話を切った。なんだかずっと嬉しくて、仕事から帰ってきた配偶者ににこにこ報告して、友達が出来たよ!なんて言って、いつかかってきても気づいてあげられるようにとマナーモードを切って、それで、次の日また電話をして、「お付き合いしてくるっんじゃろ、いつ佐賀に来っと?」と言われて、絶句した。
は、と思って、「恋人としてってこと?」と確認したら当たり前じゃろみたいなことを言われて、結婚していると伝えたらありったけのデカさの罵倒を食らった。それならそうと最初から言え、こんなの詐欺だ、そもそもこの年齢でちゃんと働かずアルバイトなんてしてる時点でろくな人生じゃない、みたいなことを強い訛りで言われて、わけがわからずぼろぼろ泣いた。黙って切りゃいいのに「孫みたいに可愛がってくれるもんだと思ってた、お友達になれたのかと思ってた」だとか「最初から言えなんて言われても年が離れすぎていてまさかお付き合いしたいと思われるなんてこっちも思わない」みたいなことを言い返してしまって、それでもなお罵倒が返ってくるので「なんでそんなこと言うの」とまた泣いてしまった。なんでもクソも頭のおかしいジジイだったってだけの話だろうが。でも、悲しかった。
おじいちゃんは、や、クソジジイは「私が言ったことをもう一度よく考えてまた電話しなさい」みたいなことをのたまって、わかったよっつって電話を切ってでっかい声で泣いて、前の日に登録したばかりの連絡先をすぐ消した。そのあと1回だけ電話がかかってきたけど出なかった。
わたしこんな風に傷つけられなきゃいけないようなことしたかな、と思った、さすがに。
おじいちゃんひとりぼっちで可哀想だと思ったのがいけなかったのか、浅はかなヒーロー願望めいたものは確かにあったな、だからソッコーでバチが当たったのかな。話し相手になってあげたいな、の、「あげたい」の部分がやっぱ上から目線かつ無責任でダメでしたかね。でもさあ可哀想だと思うのってそんなにいけないことかな、おれは自分がしんどい時に可哀想だなんとかしてあげたいって思われたら全然嫌じゃねえけどなあ。
好きな漫画のこのシーンがしばらく頭をぐるぐるしていた。同情心を捨てることは相手のツラさを切り捨てることに繋がるだろうよ。
いや、ていうか、そんな難しい話じゃなかったね。
おじいちゃん可哀想とか言って、寂しかったのはわたしの方だった、喜んでくれたことが嬉しくて満たされたのはわたしの方だった。「78歳のお友達が出来たよ!」なんて能天気に話してた自分が憎らしい、お前は、馬鹿だよ。でも必要とされたと思って嬉しかったね。優しく話してくれた人に自分も優しくしたいと思ったよね。
迂闊に異性に優しくするもんじゃねえなという悲しい教訓を得てしまって、自分の魂が汚れていく感じがしてキツい。
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10年近く前の高校の時の話とか未だに新鮮にキレたり悲しんだりしてんのに、今日このあたりの話をそんな時代もあったねなんて話せる日が来る頃には年号が2つくらい変わってんじゃないですかね。あーしこの調子で神戸を好きになれるのかしらね………。あ、でも、近所の焼き菓子屋さんのマフィンがすごく美味しかった。店内でずっとレッチリ流れててイカしてた。
全然普通に全員死ねって思うことめちゃくちゃある。でも例えば「なんかおもろいことやれ!」って叫んでた店の先輩の家にはめちゃくちゃ可愛い犬がいる、あの人死んだら犬が悲しむな。それは嫌だなあって思う。
まあ、ぼちぼち、頑張ります。いつもの100円noteにしようと思ってたけど悪友に「そのジジイの話noteに書いて、こういうクソジジイが世の中にたくさんいることを知らしめて欲しい」って言われたので普通に載せます。や、このnoteにそんな影響力ねえよ。
実家の母がiHerbで買って送ってくれた気絶するみたいに眠れるサプリ(バリ怪しい)飲んで寝ます。じゃあまた。
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