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それ、いる?


あの人は苦労人で… みたいな言い回しが、個人的に気持ちが悪ぃ。


「苦労人」って言葉は、どことなく「良い人」に繋がる枕詞のような印象があるんですよね。「あの人は苦労人だからさぁ…」 これだけで後半が割愛されてても、良い人に繋がる意味合いの言葉が当てハマって、自然に成立してしまうような気がする。


また、「苦労人」って言葉は、主語になりにくい言葉だと思う。自ら率先して「そうだす、私が苦労人だす」なんて事は、変なおじさん以外中々言わないと思うし、自己紹介の事例集に苦労人を主語にした例は見当たらないはず。


なので、「苦労人」って言葉は第三者から発せられる言葉に限定されていて、且つ「良い人」の枕詞のようなニュアンスを持っているワードだと思われます。ここまでなら別に良いのですが、この言葉ってちょっと上から目線で発せられて無いですか?


バカにしているというようなニュアンスは一切無いのですが、「あの人は苦労人だから…」の中には、上から物申している感が凄いある気がする。


だからニュースとかでこの言葉を発したり、記事に記載してたりするのを目の当たりにすると、気持ち悪ぃと感じてしまう。発信者や筆者はそんな気はさらさら無いのだと思うけども。特に「だれだれの婚約者は実は苦労人で…」みたいなエピソードは要らんでしょう。。極端な事を言うと褒めるポイントが”苦労人である事”以外無いのか?って思っちゃうし、さらに苦労人って言葉は誉め言葉で無く上から目線で発せられるワードだと思うし。


皮肉とも違うし… なんなんだ。


根底を覆すような事を言うと、そもそも少なからずみんながみんな、苦労人だと思いませんかね? 苦労人じゃない人間なんて、この世に存在しないと思います。それを敢えて強調するかの如く発する意味とは??


さげすむとまでは言わないですが、対象者の”良い人”を下に見るようなそんな印象がある「苦労人」って表現は、なんか受け付けないんですよねぇ。



あとは、賛否あると思いますが… 「苦労人」って誰かに思われた時点で敗けな気がします。これは特殊なアイデンティティなので聞き流していただきたいですが、努力とか苦労とかを人一倍した上で、如何に見せずに笑われるかが美学だと思うんですよね。。


「エンタメに悲壮感は不要じゃ」がわたしのモットーです。



以上。ドットスイッチの苦労人、Hyamaでした。



…あっおもいっきり主語っちゃった