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そうだよ、ここがディストピア

幼気な少女という曲をLINEミュージックにしたばっかりに、あたしは少女でいることを手放してしまった。
飲みの場で連絡先を交換した、後になって聞いたらかわいい子だな、モテるんだろうなと思ってくれたらしい 気にならないと声掛けたりしないよと笑っていた。自分が飲めない分、大人数がいるお酒の場に苦手意識がつよいから、にこにこして口数少ない女の子をやっててよかったなと思った 人気のない交差点で抱きしめてくれたこと、吐くことに慣れているだろうかわいいと好きの甘い言葉があたしにとってはとても新鮮で、愛おしかった、そうだよ18歳なんて最高にかわいいもんあなたも独り占めできてよかったね。こんな言葉はいくらでもほしい。1度求めてしまえばもっともっとになってしまう 溺れたくなるくらいには

自分が女の子だということを意識する場面が、昔からものすごく苦手だった。高1のときに全てを諦めて愛だ恋だも手放していた分正直誰かと付き合うことなんてどうでもよかったし、「初めては大事にしないと」という腫れ物扱いも面倒くさくてはやく捨てたかった。ただ、自分のことはどうしたって嫌いになりきれなかったし、結局こじらせた自己愛に取り憑かれていたからあたしの存在を肯定してくれる人がよかった。それは歳を重ねるにつれて、あたしの中で息をし続けるんだと思う。たとえ永続的なものでなくとも、目の前にいるだれかの瞳に疑いもないくらいあたししか見えてない、そんな瞬間があればそれでいい。やっと自分が生きてもいいなって思えた気がして


別れ際に頬に触ってもちもちだね、とにこにこしてくれた時に、中1の時に仲良かった友だちが同じ理由であたしの頬を触ることが好きだったのを思い出した。それからその友だちとは仲が悪くなって、学校に行けなくなったこともあって自分のいやな部分になったんだけどやっと大丈夫になった。ああ、おかげで悪い思い出じゃなくなったよ。コンプレックスというのは誰かの言葉によって生まれて、また誰かによって救われて溶けていくんだろうね。


大人になればなるほど抱えるものが増えて、1人になった時の寂しさに弱くなってしまう気がしてたまらない。ちょっと前までは誰かでしか埋められないなんて、と思ってたけど、誰かで埋めることは簡易的な肯定なんだって。それでもあたしはあたしのままで、とくに変わったことなんてないけれど、思想も哲学も移りゆくものだよ


もしこれがあなただったらどんな気持ちになったんだろうかとちょっとだけ思い、やめてしまった あたしのまま生きて、もれなくあたしを好きな人がたくさんできたらいいなー、そしてかわいくいることを忘れないように

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