池田さん

90歳 ラグビー教師が目指す高齢者像とは。

「人生楽ありゃ苦もあるさ。涙のあとには虹となる。」
90歳のラグビー教師である、池田一徳さんの好きな言葉だ。
池田さんは福岡県大牟田市で、子ども向けのラグビー教室を開催している。
取材時には袴姿で来られ、その立ち姿は武士を彷彿とさせる。

今回は、90歳になってもなおチャレンジし続ける池田さんに、インタビューを行い、そのバイタリティはどこから生まれてくるのかに迫った。

ラグビーを指導する理由

「人は目標に挑戦することを楽しみに、そしてそれを成し得た時に、人生の美学を習得すると思います。ラグビーにはワンチームという言葉があります。自分を犠牲にして相手を守るという犠牲的精神。その精神は武士道に通じる面があると思っています。「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」という言葉があります。ただそれは、「死ぬときにいかに立派に生きたか」という逆説であると捉えています。いかに立派に生きるかが重要であり、そのためには犠牲的精神が大切となる。ラグビーではその精神が身につくと考えています。」

池田さんは6人兄弟で5番目の3男。10歳で父が病死し、14歳で大東亜戦争が勃発。学徒勤労動員により学校の授業は休みになり、工場勤務となった。
将来は海軍を受験するつもりだったが、戦時中に、兄、友人を亡くした経験から、勉強する目的を見失ってしまう。しかし父、兄を亡くした母を助けるために農業の道へ。

「当時の農業は今の機械化された農業と違い、すべて手作業でしたのでそれは過酷な重労働でした。農作業の中で麦踏みというのがあります。丈夫な麦を育てるために若芽の頃に麦踏みをする。その時に人も若いうちに鍛えろ、というが同じだなと感じました。農業の過酷な重労働に耐えて我慢して働くうちに、生き物を育てる楽しさや喜びを感じるようになりました。」

この農作業を指導してくれた恩師のお陰で、意志の弱かった自身の気持ちの変化を肌で感じ、教育の素晴らしさを知り、教師を志すようになる。そして、もう一度学問の道へ。
そこでラグビーと出会い、大学まで続け、教員となった後もラグビーの指導を72歳まで続けた。

池田さん②

退職後に外出する目的の見つけ方

退職後は県教育委員会主催の生涯青春大学で、マジックや紙芝居を学び、それを活かしたボランティア活動を開始。そこで子どもと接するうちに、もう一度ラグビーを教えたいと感じ、多くの方の協力を得て、90歳でラグビー教師となることを実現させた。

しかし、多くの方が退職後に目的を失い、家に閉じ困りがちになる。なぜ池田さんはチャレンジし続けることができるのだろうか。

出会いを求め続けていることが、今元気でいられてることだと感じています。私は出会いを求めて出かけるようにしています。正直、体は衰えていて、出たくないなぁ〜と思うときもあります。ただ出会いがあるから、それを目的に一歩外へ出ようと自分に言い聞かせています。」

「運動もジムに通って定期的に行っています。食事も気をつけていて、自分で自炊しているんですよ。子供と一緒に住んでますが、自分のものは自分で作ってます。筋肉をつけるためにお肉や魚を取るようにしています。毎食時にヨーグルトにきな粉を混ぜたものと牛乳か豆乳を食べるようにしています。」

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これから目指す新しい高齢者像

食事まで自炊しているとは驚くことばかりである。最後に、池田さんの「新時代のこれから目指す新しい高齢者」をお聞きした。

「これまで、いろんな方々とお会いする機会がありました。そこで感じたのは、遊び心を持ち続けられるかが大事だと思っています。とても真面目で、現役時代に研究や教師などで表彰を受けた人達が、案外認知症になってしまっています。人生楽しく、遊び心を持ってチャレンジすることが大事だと思います。これからも、遊び心を持って、楽しく生きていければいいと思っています。子ども向けのラグビー教室で心がけているのも「楽しむ」こと。そうしないと続けられませんからね。」

終始笑顔で取材に応じていただいた池田さん。池田さんの取り組みを応援したいと共感を生み、協力者が続々と増え続けている。次回は高校ラガーマンと一緒に指導を行う予定もある。
最後に「100ッピー」ポーズにも気軽に応じていただきました。

池田さん③


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