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15ヶ月に及ぶ卒業研究が終わりました!!

本日、卒業研究講評会の全行程が終了し、一旦卒業研究が終わりました☺️

所属からここまでの諸々を書き残しておこーって思います。



3年生の10月、第一志望で提出した今の研究室(A研究室)に所属。

2年生の頃から、自分の経験/成績を見てB研究室にしようかなと、
ボヤーっと考えてましたが、
研究室のガイダンスで一目惚れして急遽A研究室にしました。
先生の研究内容が今まで聞いたことない話で面白かったのと、
「研究を還元する」ことを大切にする考え方に共感したところが決め手でした。

正直、直前まで、B研究室には顔を売りにまでいってて、
A研究室は、先生の顔すら知らない状態でした。
興味を持ち始めてからは、先生に話を聞きにいったり、
急いで面接の資料を作成したり、必死だったなぁ。
そんな感じの急展開だったので、
B研究室を捨てて、A研究室に決めるのにはかなり悩みました。
それでも、「ここで選ばなかったら後悔する!」と思って、
A研究室を第一希望にして提出しました。
提出後は不安で、基本的になにも信じていないくせに、
愛宕神社に神頼みまでしました。(聖地巡礼も兼ねた)

そんなこんなで、なんとかA研究室に所属が決まりました!
後から倍率が2〜3倍だったと聞いて、良かった…とホッとしました。


3年生11月、初めての現地視察。

災害復興の分野に関わる研究室なので、
配属直後、被災地へ現地視察に行きました。

別のnoteで書いていたので引用↓

配属直後、研究活動として陸前高田・遠野・釜石へ行った。
高校時代に南三陸には行ったことがあったが、
3.11当時テレビで何度も名前を聞いていた陸前高田へ行くのは初めてだった。

祈念公園へ行ったり展示を見たり、被災者の方からお話も伺った。
さらに避難しているときに撮影していた映像も見せていただいた。

津波で街が流されてから8年でこんなに再建されているのかと思うのと同時に、
まだこれだけなのかという印象も受けた。


3年生12月、初めての研究フィールド視察。

配属前面談(就活でいう面接)の時から、
△市でやりたい!と考えていて、
配属2ヶ月後には現地へ連れていってくださいました。

面談の頃、ちょうど台風15号があって、
自分が行ったことがある街が被災しているのを知りました。
さっき載せた記事にも書いたのですが、
東日本大震災でなにもできなかったのが悔しくて。
研究を通して何か助けたいと思っていたため、
△市での研究を考えていました。

実際に現地の様子を見て、お話も少し伺って、
こんな感じなんだーって思ったのを思い出します。

あ、あと、現地に行く前に、
色々事前情報として、その土地の被災状況とかを調べていて、
まだ3年生なのにこんなにやることあるの?!と思ったなぁ。

2020年3月、研究の方向性を決定。

隔週のゼミを経て、この時には方向性が決まった気がします。
当時現地へ行こうと思っていましたが、先生の都合とわたしの就活で断念。
次は卒業試験が終わる5~6月かなーなんて思ってました。

2020年4月、卒業試験×卒業研究×就職活動。

元々4月に大学で卒業試験が行われる予定だったので、
その勉強を3月ぐらいからやってました。
それと同時に、就職活動が本格的に始まっていて、
履歴書書いたり、SPIの勉強したりもしてました。
その上、卒研の打ち合わせもあったので、忙しかったなぁ。
元々先生がリモートに慣れていたこともあってか、
コロナで自粛生活になっても、全然一時中断みたいなことはありませんでした。

結局、卒業試験はオンライン。
就活もオンライン。
(余談。就活は面接もSPIもほぼオンラインになって、就職予定の会社も本社に行くことなく内定をもらう結果となった。緊急事態宣言中でも対面面接が行われる企業もあり、元々志望度が低かったことも相まって辞退するようなこともあった。)

周りがどんだけ進んでるのか、何して暮らしているのか、就職は決まってるのか、
わからないままどんどん時は進んでいきました。

2020年8月、2度目の現地調査。

やっと大学から許可が出て(ギリギリまでいけるかわからなかった)、
現地調査へいけることになりました。

この時先生と会うのも半年ぶりで、
そもそも大学関係の人に会うこと自体がかなり久しぶりでした。
往復の車内でいろんなことを話しました。

自粛中に、本やインターネットから情報を集めてましたが、
やっぱり人から話を聞くほうが、頭に残るし印象にも残りました。
いよいよ本格的に情報収集が始まったって感じでした。

2020年10月、9日間の現地調査。

いよいよ現地でのインタビュー調査。
1人での滞在は不安でいっぱいでした。

それでも、初日に送ってくださった先生に、
色々聞いてもらって少し自信をつけた気がします。

いろんな方々に協力していただいて、
なんとか無事終わりました。

優しい方ばかりで、
きれいな景色が見られる場所(アイキャッチ画像)を教えてもらったり、
生きてる海老見せてもらったり、
つくった料理をいただいたり、
またコロナが収束したら行こうと思うくらいでした!!

帰ってきてから文字起こし(約15時間分)をしたのですが、
やってもやっても終わらなくて辛かったです。

2021年1月、地獄の卒業論文執筆。

年始明け、本格的に論文を書き始めました。

12月21日に目次をチェックしてもらって、
30ページ書いて1月7日に打ち合わせ。
この時、タイトルと内容があってないとか、
これから何を書き足すの?(自分の中では書き切ってた)とか、
諸々コテンパンに言われて結構落ち込みました。

それから1週間後の15日に60ページまで書かなければならず、
これが本当に辛かったです。。
文字をいくら書いてもページ数が増えない、
図を作成するのに時間がかかる、
書いている順番が正しいのかわからない、
文字のゲシュタルト崩壊が起きる、
疲れ目がひどい、
睡眠時間が取れない、
など、精神的にも辛かったです。
日によっては泣きながらやってたこともあるぐらいでした。
(振り返ってみたら生理前だったので、その影響もあったらしい)

結局打ち合わせの日の朝6時に終わり、なんとか間に合わせました。
その日は、午前中卒研打ち合わせ、午後会社の入社前説明会で、
ハードな1日でした。よくやってのけた私と褒めました。

そこからは、梗概を何度も修正したり、
プレゼンのパワポを何度も直したり、
厳しい言葉やアドバイスを先生や同期にかけられながらも頑張りました!!

無事提出し、講評会も褒められながら終わり、ひと安心。
辛く苦しい執筆の1ヶ月が終わり、15ヶ月の卒業研究も終了したのでした。



そんな感じで、今に至ります。
完全に終わったー!あとは卒業まで遊ぶだけー!!
という雰囲気を出していますが、
これから現地へのフィードバックなどあるのでバタバタは続きそうです。
明々後日にはまた打ち合わせなのです…。

1〜3年生の時は、試験前がめっちゃ忙しくて他は割と暇って感じだったけど、
4年生は、ずーっと程よく忙しいって感じでした。
もう一回4年生をやりたいかと言われるともう嫌です(笑)
ほんと、論文で大学院へ行く人を尊敬します。
これあと2年やるなんて、わたしには無理…!!

今2804文字。好きなことなら簡単にこれだけ書けるのにね〜
でも久しぶりだったのでめっちゃ時間かかりました。


それではまた。もう少しがんばります!