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「タバコ吸い人」ショートショート【900字】

「すいません火を借りていいですか?」

まるでテンプレートのように使える共通語だった。
英語は苦手だがもし海外だったら
「ファイアプリーズ」とでも言えばいいだろうか。

海外ではないものの上京して誰1人知り合いのいないこの街の工場で俺は働きだした。

なんとなくかっこいいから。
そんな理由でタバコを吸い始めた。
友達も親戚も誰もいないしまだ仲の良い同僚もいない。

喫煙所は孤独を埋める社交場だった。

喫煙所でライターがないことに気がつく。
そんな時困った時はお互い様精神でタバコ吸いたちはライターを借りて火をつける。
喫煙所で顔なじみができたり上司と仲良くなれたこともあった。

ある日、憧れの先輩が喫煙所に入ってきた、しかも偶然2人きり。
俺はその先輩が好きだった。

そんな先輩がライターをなくして探している。
チャンス到来。

こういう時はライターを貸すのは不親切、火をつけてそっと差し出す。
「ありがとう」先輩はにっこり微笑んだ、かわいい。


そんな先輩が泣いている。
いや今は俺の妻だった。
「この子、標準と比べて成長していないんだって…」
少し膨らみかけたお腹を先輩は泣きながら撫でていた。
彼女はその日を境にタバコをやめ半年後、元気な女の子を産んでくれた。


新しい家を建てるがもちろん家でタバコを吸うのは禁止だった。
俺はベランダでふうっと月に向かって煙を吐いている。


「ねぇねぇパパがタバコ臭いぃ」
娘も大きくなり鋭くなった、なんだか妻に似てきて口うるさい。
「一体いつになったらタバコやめるの?」
禁煙宣言をしては実現できない俺にあきれ顔の妻と娘。
禁煙どころか家であまり吸えないストレスのせいか会社での喫煙が増えた。


「すいません火を借りていいですか?」
こんな寒い外の喫煙所でわざわざタバコを吸っている俺達。
「どうぞどうぞ」

「こんな寒い中わざわざタバコを吸っている俺たちって何なんでしょうね」

「ほんとにそうですね」

喫煙所は社交場でもあるし色んな出会いもある。
妻との出会いも喫煙所だった。

いい思い出もあるが身体には悪い。
「そのライターあげますよ」
俺はそう言った。

寒い屋外の喫煙所で移動式の点滴をぶら下げた2人のタバコ吸い人。

かっこいいから吸い始めたタバコなのに今はえらくかっこ悪い。

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